
22年以上も公立中学校の教師をしていたために、私は何度も修学旅行の引率で京都に行くチャンスがありました。でも、修学旅行で知る京都はあくまでも私にとっては仕事の場であり、遠い存在だったのです。方向音痴の私は、何度修学旅行を経験しても、どこに何があるのかさっぱりわからずじまい。
そんなある時、私は個人的にゆっくり下見をして、京都の街をレンタバイクで走ってみようと決心しました。一人で訪ねた京都、しかも仕事ではなく純粋に「旅」として訪ねた京都は、修学旅行で知っていた京都とは全く違う顔をしておりました。
京都への一人旅に味を占めてしまった私は、今度は歩きで京都の街をさまよう計画を立て実行しました。そのおかげで、どれだけ京都が身近な街になったことか。ちょうど妻の佳代子が京都大好き女なので、今では京都の街で観光案内ができるほどになった私です。
金閣寺から嵐山方面に道をたどると、最初に出会う大きな門構えの寺院が「仁和寺」です。私は今までにもう20回近く京都に旅をしていますが、あまりにも大きな門構えであるが故に、いつもここを通り過ぎて、次の竜安寺に行っておりました。ですからこの写真を撮ったときが初めての訪問です。
仁和寺が立派だったのは門構えだけでなく、境内の信じられないほどの広さでした。そして、立派な木々と草花。壮大な建築物と繊細な自然とが見事に調和しているのです。境内を散策しているだけでも、心が晴れ晴れする気分でした。
調べてみると、仁和寺は仁和4年(888年)に光孝天皇の遺志を継いだ宇多天皇が完成させたそうです。真言宗御室派の総本山で、別名「御室御所(おむろごしょ)」と呼ばれる桜の名所でもあるそうです。立派な門の名前は「仁王門」。東寺の五重塔も立派ですが、ここ仁和寺の五重塔も大変立派なものでした。私の腹も立派ですけどね。


京都では「お西さん」と呼ばれている西本願寺は、幕末には新撰組の頓所になるなど騒々しい時期もありました。現在では広い境内に多くの鳩が舞い降り、静かな空間を提供してくれています。浄土真宗本願寺派の本山で、1591年に豊臣秀吉が現在の場所に移構したそうです。御影堂には親鸞聖人の木像が、本堂には阿弥陀如来像が安置され、華麗な桃山文化を伝える建築物が多いことでも有名です。
駅から歩いて15分、堀川通り面した広大な構えはまさに圧巻です。ちなみに、最初に御影堂を開いたのは親鸞聖人の娘覚信尼で、場所は東山でしたが他宗派の反発で二度も破壊され、その後この地に移されたわけです。
私は東本願寺にはまだ行ったことがありません。この西本願寺も修学旅行で第三タワーホテルを利用したときに、地下街を歩いていて地上に出たところがたまたま西本願寺の交差点だったという偶然から、境内に入りました。特に桜の名所というわけではないようですが、広い本堂に座っていると、心が空っぽになっていくような癒された気持ちになります。この境内で新撰組が刀や槍の稽古を大声を張り上げながらやったのかと思うと、当時の僧侶たちの心中が察せられますね。
「常寂光(じょうじゃっこう)」というのは仏教上の天台四土の一つ生滅変化を超えた永遠の浄土という意味だそうです。本圀寺の住職だった日禎上人(1561〜)が開祖で、豊臣秀吉の命に反し、この地に隠棲したのが始まりだとか。本堂の後ろにそびえる多宝塔は、私の名字と同じ石山寺の多宝塔と日本一を競う美しさで、建立は元和6年(1620年)です。もう徳川幕府の時代に突入していた頃ですね。
どこの寺院もそうですが、この常寂光寺は本当に静寂に包まれた場所です。それは訪問する観光客の人数がそれほど多くないことも関係しているかも知れません。場所は、嵯峨野の竹林を抜けて山間の小道を進んだところにあるのですが、天龍寺が借景しているとされる小倉山の中腹に位置するそうです。ですから、常寂光寺からは嵯峨野の街並みが一望できるわけです。
後半の3枚の写真は、別のサイトから承諾を得てお借りしたものですが、私たちが訪ねたのはこんな美しい紅葉を見ることができるもう少し前の時期だったようですね。常寂光寺にはゆっくり半日くらいいても、絶対に飽きることはないでしょう。
元徳川家康の家臣だった石川丈山が寛永18年(1641年)に造営した詩仙堂は、中国歌人36名の肖像画を狩野探幽に描かせた上に、丈山自らが彼らの詩を書いて四方の壁に飾ったとされる「詩仙の間」から名前を取ったとされています。「庭造りの名人」とも謳われた丈山だけあって、庭園はさほど広くはありませんが、非常に見事な作りになっており、庭の隅にある「鹿威し(ししおどし)」も有名です。階段を下りて庭の一番下まで歩いて行くと、そこには素晴らしい緑の世界が広がり、美しい苔がむした小さな丘陵を楽しむこともできます。観光に訪れた人たちの多くは、大広間に座し、ゆったりとした気分で庭を眺めるのを一番の楽しみにしているようでした。
丈山は90歳で亡くなるまで、ずっとこの詩仙堂に住んだとされていますが、執筆も手がける私は、こんな閑静な雰囲気の中でペンを執ったら、さぞかし素晴らしい作品が次々に書けるに違いないと思いました。
入り口の門をくぐるとすぐ左手に立派な竹林が広がっているのですが、地面から見事なタケノコが顔を見せている様子は、まさにかぐや姫の世界を思わせてくれます。
修学旅行で京都を訪れる中学生たちの中にも、しっかりと下調べをしてこの地味な詩仙堂を自主行動のコースの中に入れる生徒たちもいます。私の印象では、竜安寺の石庭よりも、銀閣寺の渋さよりも、この質素な詩仙堂の庭園の方が中学生たちにも好まれているような感じがしました。時間があればこの詩仙堂からさらに北に上がって大原三千院まで訪ねることができればいいのですが、修学旅行の班別コースの中に大原三千院まで組み込むのは少し無理があるかも知れません。
私はまだツツジの花咲く新緑の詩仙堂しか知りませんが、今度は秋の紅葉の季節にまた詩仙堂を訪ねてみたいと思います。
私は京都に行くときは、たいてい「ホテルフジタ京都」の鴨川沿いの部屋を予約します。夜は鴨川のせせらぎを子守歌代わりに眠りにつき、朝目覚めると一番に窓から鴨川の清らかな流れを眺めることができるからです。人々は鴨川沿いを散歩し、夕方になれば多くのアベックが鴨川を眺めながら愛を語り合います。もちろん時代の流れに逆らうことはできないので、いくつもかかる橋の下にはホームレスの青いビニールシートが目立つようになりました。それでも、不思議と鴨川の景観は汚された感じを与えません。
はるかいにしえの時代から変わらずに流れ続ける鴨川。私はその川面を眺めているだけで、本当に心が癒される気がします。江戸末期にはここでも殺戮が繰り返されたのでしょうが、やはり周辺の空気は決して恐ろしい雰囲気を与えたりはしておりません。
円山公園にある坂本龍馬と中岡慎太郎の像は有名ですね。霊山護国神社にある二人の墓碑は、ちょうど京の街が見渡せる最高の位置に立てられていて、二人とも本当に京の街を愛していたのだということを痛感させられます。あちこちに隠れ家を持っていた龍馬も、結局は京の街で暗殺されてしまうのですから、歴史というのは非情なものです。二人が生きていたら、明治維新後の日本はもっと早く近代化(精神的に)されていたのではないでしょうか。実際には龍馬たちが夢に描いた「全ての人間が平等に扱われる自由な世界」は実現しなかったわけですからね。
京の街はどこを訪ねても、静かなたたずまいしか見せてはくれません。しかし、本当は多くの若い命が尊い血を流した恐ろしい場所なのです。それでも、京の街に散った若き魂たちは、今の日本の状況を静かに見守ってくれているような安らぎを感じます。







妻と二人で京都の街をふらふら歩いておりましたら、どこかの神社の境内で居合の披露をしておりました。その厳かな雰囲気に惹かれて、しばらく見物させてもらったのですが、江戸時代の京都には全国各地から腕自慢の浪人たちが集まってきて、真剣で斬り合いをしていたのですから、大変物騒な雰囲気だったに違いありません。
私は剣道部の顧問を2年間ほどしていたことがあります。竹刀も長いものを使えばかなりの重量になりますから、真剣の重さはかなりのものだったことでしょう。聞くところに寄れば、慣れない人間が刀を袈裟懸けのように振り下ろせば、刀の重さで自分の足を切ってしまうそうです。
「真剣勝負」という言葉が現在でも残っていますが、真剣を手に相手と向き合う恐怖はどんなものだったのでしょうね。日本刀は世界一の切れ味だと言いますから、相手の刀が自分の体に触れれば大怪我をしたはずです。とても現代人には真似ができません。










私は、大原三千院と共に、嵐山が大変気に入っています。保津川にかかる渡月橋の美しさは本当に素晴らしいですね。ここは恐らくは紅葉の季節よりも桜の季節の方がきらびやかなのではないでしょうか。
天龍寺は私と妻のお気に入りのスポットです。天龍寺の紅葉風景は「佳代子の京都のページ」に紹介してあります。ここは後醍醐天皇の冥福祈願のために足利尊氏が建立したとされている、京都五山第一位の寺でした。臨済宗天龍寺派の総本山で、世界文化遺産にも指定されています。夢窓国師の手になる曹源池庭園は実に見事です。嵐山と亀山(小倉山)の借景を見事に取り入れた造園なのだそうです。
嵐山を散策していると、甘いものがやけに恋しくなります。京都はそういう気持ちになったときに、すぐ適当な場所を提供してくれるのも魅力です。ぜんざいと緑茶が本当によく似合う街、それが京都だと言っても言い過ぎではないかも知れません。

天龍寺の裏門を抜けて竹林を通り、常寂光寺までの散策は本当に気持ちいいものです。こちらは紅葉の季節がよく似合います。もちろん嵯峨野の竹林は5月が一番ですけれどね。聞くところに寄れば、日本の山々は今や孟宗竹の大繁殖で荒れつつあるのだそうですが、竹林はやはり日本人の心の故郷なのではないでしょうか。
仏教はインドから中国を経由して日本に伝来したものですが、この日本の風土に非常に合っていたのでしょうね。数々の寺は周囲の自然にとけ込んで、素晴らしい癒しの空間を提供してくれています。もちろん、度重なる戦火によって元の状態を維持している建造物は数少ないわけですが、無宗教と言われる私たち日本人は、恐らくどんな時代になっても寺社仏閣を愛する国民性を維持していくことでしょう。





京都の桜は本当にきらびやかです。京都の街中が桜色に染まっているのですが、その美しさもしっかりと京都の街を浮き彫りにする裏方の役をしているかのように、きらびやかでありながら謙虚でもあるような印象を受けました。
哲学の道は、普段でもゆっくりと散策したくなる落ち着いた雰囲気を醸し出していますが、桜の季節には足がなかなか前に進みません。あちこちで立ち止まって記念撮影をしている観光客が。その美しさはデジタルカメラの画像でも十分に表現し切れていないように思います。もちろん言葉で言い表すことは不可能でしょう。
琵琶湖疎水の激しい流れも、疎水の両岸に植えられた桜の木々がしっかりと包み込んでしまっている感じでした。この季節には、昔の人々もゆったりとした気分で京の街をぶらぶらと散策したのでしょうね。

琵琶湖疎水は琵琶湖から京都の街に引かれた水路で明治期に作られたそうです。目的は舟運・発電・灌漑用水・上水などで、現在は専ら京都市民の上水道用に利用されているそうです。確かに鴨川の流れは浅く、水量的には不十分でしょうからね。しかし、その工事の壮大さを考えると、当時の人々のエネルギーの大きさが思いやられますね。




平安遷都1100年を記念して、明治28年3月15日に創建されたのがこの平安神宮です。素晴らしく広大な敷地に、鮮やかな朱色の門や本殿が大きな存在感を誇っています。この平安神宮は平安遷都のおや神様とされている第50代桓武天皇をご祭神として創建されたものだそうです。
詳しく調べてみると、幕末の時期に荒廃してしまった古都京都の人々は、明治維新と共に首都が東京に遷都されてしまったことで、ダブルショックを受けたのだそうです。そういう人々が英知を結集し、古都京都の再建と古き伝統の維持を目的に、平安神宮の創建に全力を注いだということでした。ですから、平安神宮は京都復興のシンボル的存在なのです。
その後昭和15年(皇紀2600年)には、平安京有終の天皇である第121代孝明天皇のご神霊が合祀され、広く日本全国の人々の崇敬を集めることになったそうです。
右上の写真は、たまたま書家展を開かれていた、前田旭泉先生と佳代子の記念写真です。私がトイレに行っている間に、ベンチに座っていた佳代子のとなりにちょこんと前田先生が座って、何やら佳代子と親しげに会話を楽しんでおられたのです。そんな有名な方だとは知らずに、招じられるままに書家展の会場を覗きましたら、そこでも中国の有名な書家の方に紹介されました。私たちはとんでもない幸運に恵まれたのでしょう。というよりも、佳代子には人を惹きつける何かがあるのです。私にではなく、妻の佳代子にです。彼女と京都の街を散策していたら、きっとこれからも数々の驚くような出会いが待っているようなわくわくした気持ちにさせられます。






この大原は王朝の昔、「天台声明(てんだいしょうみょう)」の精舎が立ち並んでいたそうです。「声明」(別名「梵唄」ぼんばい)とは御仏を礼賛する仏教音楽のことです。朝霧のたちこめる大原の里に声明が流れていた様を思い浮かべてみてください。やがてこの地は中国の声明聖地の名をもらって「魚山」と呼ばれるようになります。三千院は、49を数えた魚山を司る政所(まんどころ)として12世紀の中頃に建立されたのだそうです。三千院の別名は梶井門跡、梨本門跡、円融院門跡などで、天台宗五箇室門跡の一つ。開基は伝教大師最澄上人(767〜822)で、本尊は薬師瑠璃光如来(秘仏)です。現在では樹齢何百年にもなる杉木立と、鮮やかな緑色を披露してくれる苔、そして秋の紅葉で有名になっています。
実はこの門跡前の階段で、高校時代の私は修学旅行のクラス集合写真を撮りました。ですから、私にとっては本当に特別な場所です。京都と言えば、一番最初に思い浮かぶのがこの大原三千院なのです。三千院の到達するまでの小道にある茶屋は、非常に風情があり、思わず立ち寄りたくなってしまいます。
大原三千院のある山麓のふもとにはいくつものしそ畑が広がっています。漬け物で有名な京都ならではの光景ですね。京都のお土産で私がよく買うのは、「しば漬け」「千枚漬け」「すぐき」などですが自分が日本人だなあと感じるのは、そういう漬け物と温かいご飯だけあればおいしく食事ができてしまうときですね。
大原三千院が心を静めてくれるのは、恐らく何本あるかわからない杉木立ではないでしょうか。いわゆる森林浴の効果なのでしょう。本当に立派な杉の大木の足下に、びっちりと美しい苔がむしているのです。この光景は、まさに宮崎駿さんの「もののけ姫」の中の光景を思わせます。実は三千院にはたくさんの紫陽花も植えられていて、梅雨時にはまた別の風情を楽しむこともできるのです。
三千院の近くには多くの茶屋があります。私はそこで有名なみたらし団子(向こうでは4つの団子が串に刺さっています)と緑茶を賞味するのが好きですね。
坂の途中には手焼きのせんべい屋もあって、観光客の中にはそれを1枚2枚買って、ぽりぽりかじりながら三千院を目指す人々もいます。私と妻も仲間入りをしました。
















