茅ヶ崎市立鶴が台中学校

〒253-0003 神奈川県茅ヶ崎市鶴が台2−7 TEL 0467-51-1170

 2校目に勤務したこの通称「台中」には10年間在職しました。その間に出会った子供たちの個性は様々で、私にとっては貴重な宝となりました。私もまだ20歳代でしたから若々しいですね。
 左の女生徒は「すんたろう」というニックネームを持った非常にユニークで優しい生徒で、私の学級通信のタイトルには、彼女のニックネームを拝借して「拝啓すんたろう様」という名前が採用されました。そして学年の最後には、すんたろう自らが描いてくれたきれいな水彩の表紙が束ねた原稿に与えられ、今でも大切な宝として、私の家の書斎の本棚に置かれています。

これはまた別の年の1年生のクラスです。やはり非常にパワフルなクラスで、男女の仲も良く、クラスで伊豆の城ヶ崎海岸まで遠足に出かけました。合唱祭も運動会も強かった。

これはある年の1年生のクラスです。元気いっぱいの彼らは、どんな行事にもものすごいパワーを発揮してくれました。文化祭のクラス参加では、短編映画を制作したのです。忘れられないクラスの一つです。

私の顔があまりに黒いのであれ?と思われたかも知れませんが、練習の鬼だったためにこんなに日焼けしてしまいました。教育実習生の市川さんと一緒に映っている右側の女性は、ソフトテニス部の顧問として神奈川県下に知られた名物顧問の「きよみ先生」であります。

台中で私が手にした一番大きな宝はソフトボール部の顧問になったことでしょう。練習着で記念撮影に臨んだ彼女たちは、台中ソフト部史上初の県大会進出を遂げました。ちなみに真ん中の市川先生(実習生)が着ている青いユニフォームが試合用のユニフォームです。市内初のカラー版で話題を呼びました。

左の女生徒たちはある代のソフトボール部員です。ちょうど私が離婚の痛手から立ち直れないでいるときに、なかなかグラウンドに出て顧問らしい指導ができなかった私を陰に日向に力づけてくれた娘たちです。心底優しく、そしてソフトボールの練習に関しては、どんなに辛い練習にもめげず、ねばり強く努力を重ね、彼女たちのおかげでやっと本来の自分を取り戻した私が、彼女たちが3年生に進級する春に、「もう一度ゼロから頑張りたいんだけど、ついてきてくれるか?」という私の言葉に、二つ返事でOKしてくれました。彼女たちの努力は確実に実り、県大会出場こそ逃してしまいましたが、湘南ブロック大会3位という輝かしい成績を残してくれました。そして、彼女たちの悔しい思いは、次の代に引き継がれ、後輩たちは湘南ブロック大会で堂々と優勝し、県大会に出場したのです。人数不足で、満足な試合もできない代もありましたが、どのチームのどの部員も、私にとってはかけがえのない「ソフトボールの娘たち」であることは確かです。私の転勤後一次廃部になった台中ソフトボール部は、現在新しい顧問の下、新たな歴史を歩み始めています。

上の写真が初めて湘南ブロック大会で優勝したときの記念写真です。みんな年頃の女の子たちなのに、真っ黒でしょう?それだけ日々厳しい練習に明け暮れていたということなのです。この写真には2年生7名も映っていますが、残念ながら3年生が引退した後の新チームの練習での私の言葉が厳しすぎて、彼女たちに真意がうまく伝わらず、4人が夏の終わりに退部してしまいました。本当に立派な選手たちばかりだったのに、これは正直言って私の顧問としての未熟さが最大の原因です。練習が厳しくてついてこれないというような軟弱な子たちではなかったのです。左の写真は残った3人の部員と、新入部員の1名を加えた写真ですが、たったの4人ではさすがに試合もできず、しかも彼女たちには1学年下の後輩がいませんでしたから、その下の1年生10名が入ってくるまでは悔しい思いをさせてしまいました。しかし、どの代の選手たちも私の心にはしっかりと焼き付いています。辞めた子たちも含めて誇れる娘たちです。