ツバメの夫婦

                                                      作: 石山 等(2010年7月6日)


 ツバメの夫婦が私たちの住むマンションに姿を現すようになったのはいつ頃のことだったか。階段の入り口から入ったかと思えば、電灯の当たりの居心地を確かめて、また出口から去って行くの繰り返し。マンションの管理人は、きっと電灯が平らだから、その上当たりに巣作りを始めるのではないかと思っているようだった。

「管理人さん、ツバメの巣作りのことずいぶん気にしてるようだけど、邪魔だから撤去しちゃうのかなあ」
「そうじゃないみたい。ツバメが巣作りしやすいように、何か工夫してるみたいよ」
「それ、本当?そんな優しい管理人さんが今どきいるんだね。普通だったらさ、下を通る人に糞がかかっちゃいけないって、巣作りをさせないんだろうに」
「それがちがうんだなあ。管理人さん夫婦は動物が大好きなのよ」
「ふ〜ん、それなら安心だね」

 私たち夫婦も、ツバメの巣作りにはとても興味があったし、それを誰も邪魔しないことを祈っていた。ツバメの夫婦はどうやら巣作りの場所を階段の一番下の電灯の上に決めたようだった。それにしても、いったい何もないその場所にどうやって巣を作ろうと言うのだろう。ツバメは泥を少しずつ運んできて巣を作ると言うが、そんなこと本当に起こるのか。

「ねえねえ、ツバメたちが少しずつ泥を運んできたわ」
妻に教えられて、私はすぐに階段を下りていった…そっと、そっと。すると、少しずつではあるが、電灯の上が泥で汚れ始めているではないか。もう感動の一言。ツバメたちの小さな頭の中の巣作りの設計図がしっかりとインプットされているのだろうが、そんなことを誰がやったのか。自然の力というのは本当に素晴らしいと思った。
「本当だね。少しずつ運んできてるよ。でも、どこから運んできているんだろう。もともと湿った土をくわえてくるのかなあ、それとも乾いた土を口に入れて唾で濡らすのかなあ。唾で濡らすっていう方法の方が、ツバメの巣らしいよね」
「きっとそうじゃないの。唾の粘性で土が固まるんだと思うわ」
「お前、粘性なんていう言葉どこで習ったの?」
「あら、パパは知らないの?そんなの理科の基本でしょう」
中学時代から理科が苦手だった私は、それ以上「粘性」の話題には触れないことにした。

 ツバメたちが泥を運び始めてからどのくらいが経っただろう。巣はほとんど完成し、もういつでも子育てができる状態になっている。よくもここまで立派な芸術作品を仕上げたものだと思う。美術の作品として学校に提出したら、絶対に満点がつく。そのうち、雌の方(多分そうだと思う)が、じっと巣の中に座っているようになった。雄の方(こちらも多分そうだと思う)は、外に餌をとりに行って雌に与えているのではないだろうか。そのうち、雌は産卵して卵を暖め続けることになるはずだ。
 ツバメの夫婦の行動は、私たち人間の昔の姿によく似ている。妻が家で子供を産み、夫は外で一所懸命に働いて食べ物をとってくる。これこそが動物の原点なのだろう。今では人間の世界はだいぶ様変わりをしてしまったが、ツバメの夫婦の行動を見ていると、何かこう懐かしいものを感じさせられる。

 雌の様子からして、どうやら卵を抱え始めたようだ。自分がいくら寒くても、決してお腹の下の卵を冷やすことはない。現代の女性は、母性本能に欠ける人が多くて、自分が産み落とした子供でも平気で捨てたり、殺したりしてしまうが、ツバメはそんなことは絶対にしない。ときどき襲撃に来る烏からも、身を挺して卵を守ろうとしている。大きな烏が、何羽ものスズメやツバメに襲われている姿を見ることがある。それはきっと、卵か雛を盗んでしまったからだろう。これも自然の摂理の一部なのだが、残酷な話だ。一生懸命に守り育てている卵や雛が、いとも簡単に大きな鳥の餌食になってしまうなんて。

「卵、産んだみたいね」
「そうだね、きっと卵をずっと抱いている方が雌だろうね」
「そう思うわ」
「私にも子供産んで欲しかった?」
「お前、突然何言ってるんだ」
「パパも男だから、きっと自分の子供が欲しかったんじゃないかと思ってさ」
「俺はお前が健康でいてくれればそれで十分だし、だいたい小さい子供は苦手だよ」
「それ、本気で言ってるの?」
「本気だとも。この前なんかさ、小学校訪問してちびっ子たちと触れあってきたんだけど、パニックになったよ」
「でも、かわいかったんでしょう?」
「そりゃあ、かわいかったけど、でも自分の子供を育てるのはまた別さ」
「ごめんね」
「馬鹿だな、お前のせいじゃないだろうに。きっと俺に立派な種がないんだよ。だから、もう言うな」
「わかったわ。ありがとうね、パパ。」
 私たち夫婦には子供がいない。でも、普段はそのことを少しも気にしていないのだが、何かきっかけがあるとどうしてお気になってしまうのかも知れない。どちらが悪いのでもないし、きっと神様が私たちには別の人間にたくさんの愛情を注ぐように命じているのだと、そう私は思っている。現に、私は中学校の教師だし、妻はマンションの管理の仕事で多くの子供たちと接している。もし、自分たちに子供がいたら、他人の子には半分しか愛情が行かなくなる計算だ。

 それにしても、ツバメの子育ての行程は実に早い。母鳥が卵を暖め始めてしばらくすると、何やらお腹の下で動く小さな物体が確認された。
「ねえ、パパ、雛が孵ったんじゃないの?」
「えっ?こんなに早く?」
「だってね、母親のお腹の下あがりがもごもご動いているし、小さいけど泣き声も聞こえるのよ」

 私は、再び抜き足、差し足、忍び足で巣の方へ近づいてみた。
「本当だ、確かに何か小さいものが動いてるよ」
「偉いねえ、ママは雛を返したのね。しっかり育てるのよ」
 妻は助産婦のような声になっている。でも、確かにしっかりと育てて欲しかった。

 雛の成長は著しい。みるみるうちに大きくなって、食欲も旺盛のようだ。ただ、人間に巣を見つめられているときは、決して騒いではいけないと親鳥に指示されているようで、私が写真を撮ろうとしても、絶対に動かない。親鳥が帰ってくれば大騒ぎの癖に、よく躾けられたものだ。「死んだふり」とまではいかないが、それに近いものがある。

「雛、ものすごく大きくなったね」
「そうなのよ、もうあの巣の中に全員は入りきれないみたい」
「一体、全部で何羽いるの?」
「4羽かな。3羽ではないみたいよ」
「もうどれが親鳥かわからないね。親鳥の方が色が濃いくらいかな」
「あの子たち、もうこれで巣立っていってしまうのね」
「今まで体を張って一生懸命に育ててきた親鳥はどうなってしまうんだろう」
「ここで親子が別れるのが自然の掟なのよ」
「厳しいなあ」
「そうね、私たち人間とは大違いだわ」
「そう言えばさ、うちの龍馬だって、お母さんに産んでもらった後、ちょっとの間しか親子でいることはできなかったんだろうね。きっとお母さんに会いたいだろうに、それは許されない訳だから、つらいよね」
「そういう厳しさに耐えていけるから、動物は強いのよ」
「見習わないとなあ」
「そうね、特に甘えん坊のパパは」
「俺、そんなに甘えん坊か?」
「そんなに甘えん坊でちゅよ。…冗談」
「何だよ、脅かすなよ、マジでやばいかと思った」
「あれ、パパ、いつからそんなガキ言葉使うようになったの?」
「ちょっと使ってみたかっただけさ」

 ツバメの雛たちは、完全に巣立ってしまった。そして、残った土の巣だけが寂しそうに持ち主の帰りを待っている。恐らくしばらくの間はツバメの夫婦が巣に戻ることはないのだろう。きっと次の産卵の時期にはまた帰ってきてくれるに違いない。私たちが願うのは、巣立った4羽の雛たちが無事に成長してくれることだけだ。  
 管理人さんが糞受けに設置してくれた段ボールは、もうこれで撤去され、階段に糞の後が残ることもなくなるだろう。ツバメの巣の設置場所の選定から巣立ちまで、何だかあっという間の出来事だったが、私たちは1つの家族の物語を目の当たりにすることができた。かわいらしいツバメの家族に幸アレ!

「あれっ、パパ、ちょっとちょっと、早くこっち来てったら」
「何だよ。どうしたの?」
「ツバメがね、子供を連れて帰ってきたの」
「そんな馬鹿な」
「ほら、あの電線見て。確かに4羽の雛と2羽の夫婦がいるでしょう」
「本当だ、確かに数はあってるけど、ここで巣立った子たちだとは限らないんじゃないの」
「そうかなあ、私は絶対に雛たちを私たちに見せに来てくれたんだと思うわ」
「見せに来てくれた…か」
「そう、こんなに立派になりましたって見せに来てくれたの」
「お前にそう言われると、何だかそんな気がしてきた」
「ほら、パパもそう思うでしょ?」
「ああ、そういうことにしておこう。僕らに見せに来てくれたんだ。でも、これが最後のお別れかもね」
「そうね、きっと最後のお別れ。さようなら、みんな、元気で大きくなるのよ」
「そして、また帰っておいで。泥の巣はそのままにしておくからね」