「日記が育てた文才」
 
 私は、小学校の頃から作文が大の苦手だった。夏休みの宿題の読書感想文などは、実を言うとほとんど父に書いてもらっていた有様である。その「父の作品」が県のコンクールで入賞してしまったときは、さすがの私も罪悪感を抱かずにはいられなかった。
 そんな私が、日記と呼べる代物を初めて書いたのは中学三年生のときだった。同じクラスにあこがれの女の子がいた私は、ある日の放課後思い切って彼女に交換日記を申し込んだのだ。彼女が笑顔でうなずいてくれた瞬間、私は天にも昇る気持ちだった。中学校三年の一年間は、もう夢中で日記に向かった。そのせいで、多少勉強がおろそかになったことも事実だが、私は自分の気持ちを一生懸命つたない文章に表現したものだ。
 今思うと、小学校時代から中学校にかけての私は、作文にはきちんとした形式があるものだと勝手に信じ込んでいたようだ。句読点を打つ位置も自分には明確に判断できなかったし、とにかく文章の体裁を整えることに躍起になっていたように思う。あこがれの彼女との交換日記でさえ、何度も文章を推敲しながら書いていたに違いない。
 そんな私が、自由奔放に文章を書くことの楽しさを知ったのは、大学生になってからだった。埼玉県草加市の下宿に一人暮らしを始めた私は、女子大生とのアバンチュールを楽しむ術も知らない純真な青年だったので、下宿に帰るとすぐに机に向かって、大学ノートにその日の出来事や感想などを、これでもかというくらいたくさん書き連ねた。ある時は、デパートに飾ってあったマネキン人形に一目惚れしてしまって、そのことだけで何ページも日記を書いたこともある。そんな生活を続けている内に、気が付くと私は文章を書くことに快感さえ覚えるようになっていた。外国語学部で英語を専攻していた私は、英語の文章もすらすら書けるようになっていったのだから、能力とは不思議なものである。
 大学を卒業して中学校の英語教師になった私は、担任のクラスで学級通信を書くのが最大の楽しみだった。ある年などは、一年間でB4版のわら半紙で600枚近い通信を書いたこともある。これはギネスブックに載ってもいい記録かも知れない。思えば、学級通信は、私にとっては日記を書いているようなものだったのだと思う。
 そして、私は途方もない夢を抱くようになる。本の出版だ。周囲の人間たちはただ笑って私の夢物語を聞き流していたが、ある出版社との出会いがきっかけで、私の第一作目の本が本当に書店に並んでしまったのだ。もちろん、大して売れるわけはないのだが、それでも私は大きな夢を一つ実現した充実感でいっぱいだった。私は今も小説や随筆を書き続けている。日記を書くことが自然の文章修行となった私。これからもっと大きな花を咲かせることを願って、今日もペンを執る。