「大切なクマのぬいぐるみ」
私が佳代子と出会ったのは、今から二十一年も前のことになる。埼玉県草加市の塾で英語の講師のアルバイトをしていたとき、中学三年生のクラスに佳代子はいた。縁というのは不思議なもので、たった一年間のつきあいだったにもかかわらず、佳代子は私が茅ヶ崎の実家に戻って、公立中学校の英語教師になってからも、わざわざ遠方から私の家まで遊びに来た。うちは男の二人兄弟だったので、私の両親は佳代子を娘のようにかわいがった。中学時代、学校の先生にはあからさまに反発していたくせに、佳代子の人間的な優しさは誰からも愛されるほど際だっていた。
佳代子の父親は小さな建築会社を経営していたが、ちょうど佳代子が高校を卒業する頃に、保証人になった取引先に裏切られて、父親は莫大な借金を背負うことになってしまった。結局は、夜逃げ同然にして埼玉の実家を去らなければならなくなったのだ。今思えば、私はそんな苦しい時代の佳代子を十分に支えてあげられたとは言えない。実は、私の実家も不動産業を営んでいた母が、佳代子の父親と同じように保証人になった取引先に裏切られて、大変な借金を背負っていたからだ。そんな私が佳代子にしてあげられたのは、デパートでかわいいクマのぬいぐるみを買ってあげることくらいだった。「大事にするね」佳代子は満面に笑みをたたえてそう言った。
佳代子はたまにボーイフレンドを紹介しに我が家を訪ねたこともあった。私は、佳代子の優しさ故に、しっかりと相手の男を品定めしなければならないと自分で勝手に決め込んでいた。そして、そのうち私は私で職場の同僚と結婚することになる。私が結婚してからは、佳代子が我が家を訪ねる回数は自然と減っていった。遠慮したのだろう。佳代子はそういう女性だった。数年後、佳代子も職場の同僚と結婚した。私は、天使のように心の優しい佳代子が、大きな幸せをつかむことができるように、心から祈ったものだ。ところが、佳代子の選んだ相手はとんでもない暴力亭主だった。私は、結婚5年目で妻とは別れてしまっていたが、離婚の辛さを経験した身だからこそ、佳代子の悩みは私にとっても深刻だった。しかし、酔っぱらって帰宅しては暴力をふるい、生活費はほとんど入れずに威張り散らしている馬鹿な男を、いつまでも佳代子と一緒にさせておくわけにはいかなかった。いくつもの苦労を乗り越えてきた佳代子は、絶対に幸せにならなければならないのだと、私は心の底から信じていた。女性にとって、離婚は勇気のいることだが、私は佳代子に新しい人生を選ぶようアドバイスした。そして、だだをこねる馬鹿亭主が離婚届に判を押すには何年もかかってしまった。
佳代子の新しい人生。まさか、その相手が自分になろうとは思っても見なかった。でも、私ならきっと佳代子に大きな幸せをつかませてあげることができると強く信じ、私は佳代子にプロポーズした。佳代子にとっては、私はあくまでも「先生」だったから、私を男として見るようになるには、しばらく時間がかかったようだ。私たちは、まだ結婚して3ヶ月が過ぎたところだが、佳代子は今でも私のことを「先生」と呼ぶ。旅行先のホテルの受付などで、「先生」などと呼ばれたら、どんな誤解を受けるか知れたものではない。しかし、佳代子にとっては私は永遠に「先生」でいいらしい。
「大事にするね」と言った佳代子の言葉を私はすっかり忘れていた。佳代子がそう私に約束してからもう二十年以上が経過しているのだ。ところが、「クマ」と名付けられたそのぬいぐるみは、佳代子と佳代子の両親によってずっと家族の一員として大切にされてきたのだという。そんな佳代子たちの優しさを一身に受けて、「くま」の表情は明らかに穏やかになっている。天使のような佳代子が守り続けた約束は、現在もまだ進行中である。