「幸せにするからね」
「絶対に幸せにするからね」そう約束して私は理枝と結婚した。世の中には冷め切った夫婦がたくさんいるけれど、私たちだけは絶対に例外だと信じていた。理枝は、私と同じ職場の音楽の教師だった。私は結婚と同時に別の中学に異動することになった。ところが私が異動した先の中学校は市内でも有名な荒廃校だったのだ。私はA型で、もともと神経が細い方だったし、教師になってまだ5年目の経験不足が、私の人生を大きく揺さぶった。私は一時的に「通勤拒否症」になってしまったのだ。妻の理枝は、何度も私の学校の校長室に呼ばれ、私の様子を聞かれたようだった。幸せいっぱいのはずだった新婚生活は、期待とは裏腹に苦渋に満ちたものとなった。理枝は恐らくこの時点で私に大きな失望をしたのだと思う。
立ち直った私は、それこそ馬車馬のようにたくましく働いた。夜遅くまで学校に残ることもしばしばで、夕食が真夜中になることも少なくなかった。私にしてみれば、一年目の借金を何とか倍にして返したい気持ちで仕事に打ち込んでいたのだが、知らず知らずのうちに理枝との会話は少なくなっていた。結婚5年目も半ばを過ぎたある日、理枝は突然黙って家を飛び出して帰ってこなかった。警察にも連絡して、実家の両親までかけつけてくれた大騒ぎの結末は、ただの「飲み会」だった。しかし、それは私たちの結婚に大きな亀裂が生じた瞬間でもあった。理枝をそこまで追い詰めてしまった責任は私にあることは承知していたが、いくら努力してもいったん閉ざされた理枝の心の扉を開けることはできなかった。「絶対に幸せにするからね」という約束とは裏腹に、私たちは6年目の秋に離婚届を提出した。理枝の荷物が全て運び出されて広々とした部屋に戻ったとき、私の目からは大粒の涙が次から次へとこぼれてきた。テーブルの上に置かれた手紙を読んだ。「私の帰る家はずっとここしかないと思ってきましたが、もうそうではなくなりました」私は、人生で一番破ってはいけない約束を、とうとう破ってしまったのだ。
それからの私は、三年後に理枝が再婚したと聞いても、新しい女性を見つける気にはなれなかった。一度破った約束を、もう一度別の女性とすることはどうしても考えられなかったからだ。しかし、過ぎゆく時間は私の心の傷を少しずつ癒してくれた。「そろそろ新しい女性と一緒になってもいいかな」そう考えるようになったのは、理枝との離婚から十年近くたった頃のことだった。今度こそは絶対に失敗はしたくない。理枝と別れたことを無駄にしないためにも、新しく出会う女性には十分なことをしてあげたい。私は、年齢的にもすっかり大人の男になりつつあったのだろう。
私が、二度目の約束をした相手は、私が埼玉の学生時代に塾で知り合った女生徒だった。生徒とは言っても、私とは八歳しか離れていない。佳代子は、私が実家のある茅ヶ崎に帰って学校の教師になってからも、度々遠路はるばる遊びに来てくれていた。私の両親にとっては、まさに娘のような存在だった。そんな佳代子も、年頃になり結婚し、そして亭主の暴力に苦労したあげくに離婚をしていた。「幸せをあげそこなった男」と「幸せをもらいそこなった女」の出会い。私の心のどこかには、まだ理枝との結婚生活のかけらが残っているのかも知れないが、私は全身の力を振り絞って佳代子にプロポーズした。「絶対に幸せにするからね」(今度こそは絶対に期待を裏切らないからね)という思いは、もちろん言葉には出さなかった。しかし、勘の鋭い佳代子は私の気持ちを十分に理解してくれていたようだった。
私と佳代子は文字通り幸せな結婚生活を送っている。お互いに辛い経験も知恵もついた者同士だ。今度の約束は守れそうである。