「インターネット症候群」
 
《帝国商事商品管理課》
 三ツ井浩介はオフィスの自分の机に置かれたデスクトップパソコンの液晶画面をじっと見つめていた。どうやら仕事をしているのではないらしい。浩介のマウスのクリック音が響くたびに、画面は次々と変わっていく。どうやらインターネットサーフィンをしているようだ。
 浩介は東証一部上場企業の帝国商事に入社してから5年目になる。商品管理課に配属されている彼は、常に輸入商品の流れを管理するのが仕事だ。帝国商事は、東南アジアやヨーロッパ各地の貴金属、それに北米原住民のインディアンの手工芸品などを中心に輸入販売を手がけて、一躍大企業にのし上がった商社である。社長の水沼栄作はアメリカの大学を出た後、友人と共同で帝国商事の前身になる「トレジャー・ジュエリー」という会社を立ち上げた。時代は不景気の嵐に見舞われていたが、目の付け所が良かったのか、トレジャー・ジュエリーは、貴金属・工芸品ブームに乗って急速に収益をあげ、十年後には東証一部上場企業として、名前も新しく「帝国商事」と改めて、世間の注目を集めることになった。三ツ井は外資系企業への就職を希望していたが、なかなか就職口がみつからずにいたところを、コンピューター操作の技術を飼われてこの帝国商事に入社したといういきさつがある。しかし、入社5年目の三ツ井は、どうしても帝国商事の仕事になじむことができなかった。そうこうしているうちに、インターネットサーフィンにのめり込み、会社では暇さえあれば、液晶画面とにらめっこをする毎日が続くようになった。
 
「三ツ井君、ちょっとこっちに来てくれたまえ。確認したいことがあるんだ」
 浩介に声をかけたのは、商品管理課長の柴崎幸彦である。柴崎は、三ツ井浩介があまり仕事に夢中になっていないことを始終気にかけていた。それもそのはずだ。こんな不景気な時代に急成長を遂げたこと自体が奇跡なのだから、その会社の勢いを維持していくためには、社員の必死の努力が必要だからだ。
「何でしょうか、柴崎課長」
「君、確かタイからのルビーの輸入管理をしていたと思うが、そちらの状況はどうなっているか報告してもらいたいんだ。今日の午後会議があるから、それまでに資料にして20部印刷しておいてくれないか」
「タイからのルビーの輸入ですか。それは加工品の方ですか、それとも原石の方ですか」「何を言ってるんだね。両方共に決まっているだろう。君、まさかデータ管理を怠っていたなんていうことはないだろうね。我が社が来月からタイ産ルビーの一大キャンペーンをはるのは知っているだろう?」
「はあ、もちろん承知しています。データ管理もしっかりしてありますから、きちんと会議に間に合うように資料をそろえます」
「そうしてくれたまえ。三ツ井君、君は最近仕事に集中していないんじゃないのかね?」
「そんなことはありません。いつも机上の液晶画面と真剣ににらめっこしているじゃありませんか」
「まあ、それならいいんだが。ただ、これだけは注意しておいてくれよ。我が社の端末は常に本部の管理下にあるということだ。定期的にアトランダムに端末のチャックが行われているから、仕事以外のことに端末を使っていると大変なことになるからね」
「どうぞご心配なく。私は公私混同はしない主義ですから」
「その主義を貫いてもらいたいね」
「わかりました」
 浩介はむっとした表情で柴崎課長の前を立ち去ったが、本部の端末管理という情報には内心驚いていた。まさかそこまで…
 浩介は心配になって、同じ大学を卒業して帝国商事の総務課に勤務する、同期の立花百合にそれとなく探りをいれてみた。
「あら、三ツ井君、今日は総務課に何の用かしら」
「いや、ちょっと立花さんにコンピューターのことで聞きたいことがあったもんだから」
「コンピューターの分野で私があなたに教えてあげられることなんかあるわけないじゃないの。それとも何か訳あり?」
「そうじゃないけどさ。社内での噂が本当かどうか知りたくてね」
「どんな噂?」
「かく営業部の端末が本部で監視されているっていう話だよ。それ本当なの?」
「さあ、私はそんなこと聞いてないし、もしそれが本当だとしても、そんな重要な任務は私みたいなそれこそ端末社員には回ってこないわよ。やってるとしたら、社長室の秘書たちじゃないかしら」
「そうか。それじゃあ、確かめようがないよなあ」
「三ツ井君、まさかあなた何か変なことでもしてるんじゃないでしょうね。会社の利益に関する犯罪は大変なことになるわよ」
「そんなことしてないさ。僕は今の給料で十分だし、コンピューターの犯罪なら、もっとお金がたくさんある銀行とか、そういうところのコンピューターに侵入するさ」
「まあ、滅多なこと言わないでよ。そんなことしゃべってるの誰かに聞かれたら、私まで共犯にされちゃうじゃない。やるなら一人でやってね。それから、計画は絶対に私に話さないで。私は警察のお世話になるのはまっぴらごめんなんだから」
「立花さんも大げさだなあ。僕が本当にそんなことすると思ってるの?冗談だよ、冗談。僕だって、せっかく大企業に就職口が見つかったっていうのに、そんなつまらないことで一生を棒に振りたくなんかないさ」

《職場に咲いた一輪の花》
 浩介は、中学時代から勉強一筋の寡黙な少年だった。スポーツは苦手ではないが、一人で部屋にこもって細々とした作業をしているのが好きだったから、友達は彼を「おたく」と呼んでいた。何の「おたく」かは問題ではなかったらしい。とにかく、浩介は仲間内では「暗いやつ」で通っていた。頭脳明晰だった彼は、そのまま有名進学校に進み、ストレートで有名国立大学に合格し、留年もしないで帝国商事に就職している。要するにエリートコースをまっすぐに突き進んできたタイプだった。それ故に、女性関係もまったく経験がない。異性を好きだと思ったこともなかったような気がしていた。ところが、帝国商事の商品管理課に配属されたとき、同じ課に二年ほど早く勤務していた米田美津子という女性に恋をしてしまったのだ。美津子は高校を卒業してすぐに帝国商事に就職したのだった。高卒で帝国商事に就職したということは、それなりのコネがあったはずだが、私立探偵でも雇わない限りは、彼女の秘密を暴くことは誰にもできないように思われた。それほど、秘密のベールに包まれた女性だったのだ。
 美津子は他のキャリアウーマンが持ち合わせているような、鼻柱の強さのようなものは全く持っていなかった。謙虚で、どんな小さな仕事でも笑顔でこなす彼女の姿が、浩介には非常に新鮮に思えたのだ。浩介が生まれて初めて異性に対して抱いた恋心だった。
 美津子は若くて美人だったので、彼女に思いを寄せる男性社員は複数いたし、噂では誰かトップの人間にマンション住まいをさせてもらっているという話も広がってはいたが、浩介はそんな話には耳も貸そうとはしなかった。女性の経験がないというのは恐ろしいもので、浩介にとっては美津子は「天使」のような存在だったのだ。いくら若いとはいえ、美津子の年齢になれば浮いた話の二つや三つは当然あるものだが、浩介はそんな現実さえ理解できない。美津子のイメージは浩介の中で益々美化されていくのだった。もちろん、美津子は浩介が自分に思いを寄せていることなど知らないし、浩介のようなコンピューターおたくに魅力を感じることもなかった。美津子はもっと人間味のある男性に興味を感じていた。だから、浩介の自分に寄せる純情な恋心が、やがては美津子を恐怖の底に陥れるような異常な行為になって現れることなど想像もしていなかった。
 浩介は、デジタルカメラを使って、こっそり美津子の写真を撮っては、それをコンピューターで画像処理して、自分の部屋の壁に飾っていた。それはまさに美化された美津子の姿だった。しかし、浩介には理想と現実の区別もつかない。画像処理で美津子の背中に天使の羽をつけることもできたが、さすがの浩介もそこまで子供ではなかった。しかし、朝部屋を出るときも、夜部屋に戻ったときも、美津子の写真に挨拶するのは忘れなかった。浩介にはそれが異常な行為には思えなかったが、端から見れば、美津子の写真に向かって「おはよう」「行ってくるよ」「ただいま」「元気だった?」などと毎日あいさつを繰り返し、ときには頬ずりするような浩介の行動は、どう見てもストーカーまがいの行為としか思えなかったに違いない。
 ある日浩介は、とんでもないことを思いついた。同じ部屋で働いている美津子の端末にしつこくメールを送り始めたのだ。しかも、毎回メールには自分の写真を添えている。最初は軽い遊びのつもりでいた美津子は、適当に返事を返しておもしろがっていたが、やがて浩介のあまりのしつこさに嫌気がさし、メールを出すのはもうやめるように返信した。浩介の態度がいきなり変わったのは、そのメールを受け取った瞬間からだった。彼は、どうやって調べたのか、今度は美津子の家のパソコンにメールを送り出したのだ。美津子がなかなか返信をせずにいると、今度は美津子のマンションまでやってくるようになった。美津子は嫌気を通り越して、恐怖を感じるようになったが、まさか同じ会社の同僚をストーカー行為で訴えるわけにもいかず、課長の柴崎幸彦に相談した。実は、美津子をマンションに囲っていたのは柴崎だったのだ。
「幸彦さん、うちの課の三ツ井っていう人なんですけど、最初は会社の端末にメールを送ってきて何の冗談かと思っていたら、今度は家のパソコンまでメールを送ってくるようになって、私がそれを無視していたら、私のマンションにまでやってくるようになったんです。私、もう怖くて。でもストーカー行為で警察に訴えれば会社の看板に泥を塗ることにもなるし、どうしたらいいんでしょう」
「う〜ん、私が直接三ツ井君に注意をすれば
私と君との関係が彼に漏れる可能性もある。ここは私の知り合いのやくざ者に頼んで、ちょっと脅してもらうことにするか」
「暴力はふるわないように言って下さいね」
「まさか君、三ツ井君にほれてしまったんではないだろうね」
「まさか、あんな気味悪い人に惚れるわけ内じゃありませんか」
「まあ、それもそうだな。とにかく、二度と君には近寄らないように、適当に脅してもらうことにしよう」
 
 柴崎幸彦は、知り合いの海星組組員西田虎吉に三ツ井浩介を脅してくれるように頼んだ。西田はまず手始めに三ツ井の家に電話を入れてみることにした。
「もしもし、三ツ井さん?」
「はあ、そうですが。そちらどなた?」
「お宅ね、帝国商事の米田美津子にいろいろちょっかいを出してるそうだけど、美津子はねうちの組長の女なんだよ。コンクリートに詰められて東京湾に沈められたくなかったらもう二度と美津子には近づかないことだな」「それは米田さんの意志ですか?」
「てめえ、なめてんじゃねえ!本人の意志がどうのこうのっていう問題じゃねえんだよ!うちの組長の女に手を出すって事は、命を捨てる覚悟がなくちゃできねえって言ってるんだ。わかったか、このぼけなす!」
「僕は、米田さんのためなら死ねます」
「てめえ、いい加減にしやがれ!おれを誰だと思ってるんだ!おれをなめてやがると、すぐさま葬式をあげることになるぞ!」
「あの、僕、仕事があるんで、電話切ります」 浩介はさっさと受話器を置いてしまった。あきれかえったのは西田の方だ。たいがいの一般人なら、暴力団の組員から脅迫電話があったというだけでびびりあがってしまうはずなのに、三ツ井浩介はちっとも状況を把握していない様子だったからだ。西田は、三ツ井を痛い目に遭わさないと、事態は収まらないだろうと判断した。
 翌日の会社帰り。公園で待ち伏せをしていた西田は、三ツ井浩介を捕まえて、公園の中の暗がりに連れ込んだ。西田の周囲には、数名の手下もいる。
「三ツ井さん、あんたゆうべの電話ではずいぶんなめた口をきいてくれたなあ。今夜はちょっと痛い目に遭ってもらうけど、それも組長の女に手を出した罰だと思って勘弁してくれよな。コンクリート詰めにされねえだけ、運がいいと思いな」
 西田がうなずいて合図を送ると、西田の手下のちんぴらたちが、三ツ井に一斉に襲いかかった。そして次の瞬間、ちんぴらたちが宙を舞って投げ飛ばされる光景を目の当たりにして、西田の方がびびってしまった。
「おめえ、けっこうやるじゃねえか。だけどよ、いい加減調子に乗ってると、本当に命を落とすことになるぜ」
「僕は柔道も空手も三段の腕前です。殺せるものなら殺してみて下さい」
「何だと、このやろう!」
 殴りかかった西田も、一瞬の間に宙を舞っていた。三ツ井浩介にこんな隠れ技があるなんて、誰が知っていただろう。コンピューターおたくだとばかり思っていた三ツ井浩介が密かに武術を習っていたなんて。
 西田から事の子細を報告された柴崎は、頭を抱えてしまった。しかし、こういうときには女の方が度胸が据わっている。米田美津子は、職場で三ツ井浩介の机につかつかと歩み寄って、三ツ井の顔に思いっきり平手をくらわした。
「これ以上変な真似したら、あんた警察に引き渡すからね!私のことなめんじゃないよ!」 三ツ井はすっかり驚いてしまった。生まれて初めて恋心を抱いた職場の花が、とんでもないべらんめい口調で自分にくってかかっている。三ツ井の思いはいっぺんに冷めてしまった。おそらく、この経験がトラウマになって、浩介は当分の間は女性に近寄ることはできないだろう。もしかしたら、一生独身で過ごすことになるかも知れなかった。

《ずさんな商品管理》
「三ツ井君、ちょっと会議室に来てくれたまえ」
 柴崎課長の言葉はきつかった。
「失礼します。何かご用でしょうか」
「君、先日のタイ産ルビーの管理データは何だね」
「はあ、課長がお急ぎのようだったので、あれが精一杯かと」
「馬鹿者!君は何のために毎日液晶の画面と向き合っているんだ。取引の都度、データ管理をきちんとしていれば、あんないいかげんなデータ一覧表が出てくるわけないだろう!」「申し訳ありません」
「三ツ井君、君ね、コンピューター技術を買われて我が社に入社したんだろう?その君がいったい毎日コンピューターに向かって何をしてるのかね。まさか、会社の輸入商品を他社に横流ししているんじゃないだろうね」
「まさか、そんなことはしていません」
「本部からの報告だと、君のPCから毎日かなりの量のインターネットアクセス件数が確認されているんだが、それは何のためなのか説明してくれたまえ」
「あれは、いい商品を探すためです。小さな輸入店をチェックして、輸入先を探ろうとしていたのです」
「君の仕事は輸入先の開拓ではない!輸入された商品の流通管理なんだ。余計なことをしている暇があったら、自分の責任をしっかりと果たしなさい!二度とこんな醜態をさらしたら、君のクビは保証しないよ」
「はい、わかりました」
 
 柴崎幸彦が怒るのも無理はなかった。三ツ井浩介の作成した会議資料には、確かにタイ産ルビーの輸入総量などの数値は記入されていたが、産地別の採石量や石のサイズ別の輸入量、また加工品の既売量(小売業者へすでに卸した数量)などが明らかにされていなかったため、キャンペーンでどのサイズの石や加工品をどのくらいの数量扱うことができるか全く把握できないいい加減な書類だったのだ。 
 浩介の仕事は、データベースの作成と、データベースから必要な情報だけをトップの連中に見やすい一覧表に飛ばす作業が中心だった。会議の種類によって、一覧表の項目が変わってくる。そのたびに、必要な項目の一覧表枠を作成し、その枠に演算式を入力して、データベースから必要なデータを飛ばせばいい。データベースは入社して三ヶ月もしないうちに、三ツ井自身が完璧なシステムを構築していた。その当時の三ツ井は、仕事に全ての情熱を傾けており、トップの期待も大きかった。そのデータベースからデータを飛ばすことくらい、コンピューターおたくの浩介にとっては訳もないことなのだが、資料の一覧枠をいい加減に作っているものだから、資料としての価値が全くなくなってしまう。
 帝国商事はタイに数カ所の採石場を所有していたが、それぞれの採石場からどのサイズの原石が一日平均どれくらいの数量掘り出されるかというデータをしっかり管理していないと、現地の採掘担当者がいくらでも原石の横流しをすることができてしまう。浩介はそういう不正行為の可能性も監視していなければならなかった。ところが、最近の浩介は、インターネットで余計なホームページにばかり夢中になっているから、肝心要の仕事の方がお留守になっている。確かに、現地の担当者のモバイルからデータベースにデータだけは毎日電送されてくるから、それ自体には問題ない。ただ、その数量を厳しくチェックしていれば、不可解な数値の変化などがたまに見つかるのだ。そういう場合の多くは、天候不順による採石不能状態の発生だったり、あるいはまれに採石担当者の横流しだったりすることもある。つまり、浩介の腹一つで会社の利益は大きく左右されることになる。
 柴崎幸彦はやる気の見えない三ツ井に、これ以上会社の心臓部を担当させておくことは非常に不安だった。柴崎は、じっくり考えた挙げ句、とうとう社長室のドアをノックした。「水沼社長、折り入ってご相談が」
「何だね柴崎君、ずいぶん深刻な表情じゃないか。何か問題でも発生したのか?女か?」「社長、冗談はやめて下さい。実は、うちの課の三ツ井浩介の件なのですが、先日のキャンペーン会議でもずさんな資料を提出してみなさんの顰蹙を買ったばかりですが、ここ数ヶ月全く仕事に熱意を見せないのです。商品管理は我が社の心臓部ですから、これ以上彼にそんな重要な仕事を任せてはおけないと思いまして」
「つまり、三ツ井を飛ばせと言うんだね」
「はい、その方がよろしいかと。幸い本人にはまだ配偶者もおりませんことですし、遠方への転勤も苦にはならないかと」
「しかし、彼がデータベースの基礎作りをしたという実績は残っているんだ。彼が転勤に不服を申し立てて、ライバル会社へでも移ってしまったら、大切なデータが漏洩することにはならないのかね」
「確かに社長のおっしゃる通りなのですが、今のままでもデータ漏洩の危険性は十分にあるかと思いまして」
「君、何か確証でもあっての発言なんだろうね」
「実は、総務課からの報告で、三ツ井君の端末から意図不明なインターネットアクセスの件数が急増しているということなのです」
「それが、データ漏洩の証拠になると?」
「いや、そうは言い切れませんが、勤務時間中のことですし、本人にも注意はしておきましたが、アクセス件数は依然として減少することがないそうです」
「しかし、もしアクセスを監視されているということが明らかになっているのだとしたら、それでも彼が危険を冒して、わざわざ自分の端末からデータを漏洩するということはちょっと考えにくいんじゃないのかね」
「それは確かに…」
「いや、柴崎君の心配はもっともだよ。データ管理がずさんになれば我が社の利益も大幅に増減する。しばらく様子を見て、あまり思わしくない状況が続くようなら、君の判断で総務課に三ツ井の転勤を指示したまえ。私の方から総務課には連絡しておくから」
「はい、ありがとうございます。私の監督の行き届かぬ結果ですので、何と言ってお詫びをしたらいいか」
「君も大袈裟だね。まだ我が社に損失が出たわけではないんだから、そんなに謝る必要はない。それより、君は自分自身の私生活のけじめをしっかりした方がいいんじゃないのかね。私の目は節穴ではないよ」
「はっ、これはどうも恐れ入りました。それは責任を持って何とか」
「しっかりしてくれたまえ」
 柴崎幸彦は社長の水沼栄三が、自分と米田美津子との不倫関係を知っているらしい事の方がよほど気にかかった。もうそろそろ終わりにした方がいいのかも知れない。
 翌日、総務課から呼び出しを受けた柴崎は三ツ井浩介が会社の端末を使ってインターネットオークションに参加し始めたことを知らされて、愕然とした。三ツ井はもう帝国商事をクビになってもいいと思っているのだろうか。自分の端末が監視されていることを知っていながら、こんな馬鹿な真似をこれ見よがしに始めるというのは、いったいどういう魂胆があるのだろう。いろいろな疑問はあったものの、これ以上三ツ井浩介の馬鹿げた行動を見過ごすわけにも行かず、柴崎は水沼社長から許された権限で、総務課に三ツ井浩介の転勤命令を出すよう指示した。総務課の話では、三ツ井は北海道に転勤させられることになりそうだ。本人が素直に転勤命令を受けてくれればいいのだが…。

《左遷》
(ちくしょう。便利なときだけ重宝に使いやがって。用がなくなったら、はいそれまでよか。今に見てろよ、おれが作ったシステムだっていうことを忘れるな)三ツ井浩介は自分の机の整理をしながら、頭の中でぶつぶつつぶやいていた。そこへ、総務課の立花百合が心配してやってきた。
「三ツ井君、今回は大変だったわね。でもあなたが変なことするからいけないのよ」
「立花さんは、僕にお説教をするように言われてきたの?」
「そうじゃないわ。引っ越しのお手伝いをしようと思って」
「それなら、大歓迎。でも、もう終わり。僕がコンピューターの天才だっていうこと、会社は忘れてるよね。北海道は遠いけど、コンピューターは世界中に通信網が張り巡らされてるってこと忘れちゃいけないよ。まあ、みんな後で後悔しないことだね」
「三ツ井君、また変なこと考えてるんじゃないでしょうね」
「さあ、どうかな。立花さん、僕がそう言ってたって、上の奴らにチクるの?」
「私を見損なわないでよ。友達を裏切るようなことしないわよ。でも、あなたも会社を裏切るようなことはしないでね」
「会社は僕を裏切ったんだ、僕が何をしようと文句は言えないんじゃないの」
「そんなことしたら、今度こそクビよ」
「別にコンピューター技師を必要としているのは帝国商事だけじゃないよ。それに、僕は帝国商事の心臓部のデーターをしっかり握ってるんだ。よその会社にハンティングされたら困るのは誰かな?」
「そう、だからあなたは左遷だけですんだってわけか」
「そうだよ。もし立花さんだったら、クビだったんじゃないの」
「まあ、失礼しちゃうわね」
「ごめんなさい。せっかく手伝いに来てくれたのに、変なこと言っちゃって」
「ところで、あなたこの間米田さんにひっぱたかれたんですって?」
「ああ、そのことか。もう会社中に広まってるんだ。みんな噂が好きだね。僕のこと馬鹿なやつだって思ってるんだよね、きっと。だけど、僕はあの米田美津子っていう女の秘密もつかんだよ。いつかはそのカードも使わせてもらおうと思ってるんだ」
「何だか怖いこと言うのね。三ツ井君、あんまり変なことに首を突っ込むと、命が危なくなるわよ」
「命が危ないって、どういうこと?」
「これも噂なんだけど、水沼社長は暴力団の星海組とつながってるんですって。だから、めったな事がない限り、誰からも攻撃されることはないって」
「そうなんだ。僕を襲った奴らもそうかな」「あなた誰かに襲われたの?」
「いや、別に、何でもないよ」
「とにかく、北海道に行ったら少し頭を冷やして、しばらくは大人しくしてること」
「何だか、僕のお母さんみたいな口きくんだね、立花さんは」
「だってね、三ツ井君のやること見てると、危なっかしくて口出しせずにはいられなくなっちゃうのよ」
「母性本能がくすぐられるってやつ?」
「何言ってるの。それじゃあ、私はもう総務課へ戻るわね。暇つぶしてるやつに出す給料はない!って、また課長に怒られるから」
「へえ、立花さんでも怒られることあるの」
「しょっちゅうよ。私は仕事がとろいから、何かにつけて文句を言われてるわ」
「そうなのか。それじゃあ、君の分まですかっとするようなことやってあげるよ」
「またおっかないこと言わないでよ。とにかく三ツ井君は少し静かにしてなさい」
「はいはい、わかりました、お母さん」

《帝国商事札幌営業所》
 北海道に降り立った浩介は、冬の冷たい風に身が凍る思いだったが、これから起こる様々な計画に胸は躍っていた。浩介は札幌営業所への左遷辞令が下りたときから、綿密な計画を立ててきた。コンピューターの専門家としての知恵を絞った計画だった。それだけの熱意を仕事に傾けていれば、こんな事態にはならなかったのに、浩介は自分が逆恨みをしていることにはまったく気づいていない。
 札幌営業所の主な仕事は、アイヌ民族の伝統工芸品をアイヌの工芸家から安く仕入れ、それを全国の小売業者に卸すことだった。浩介も最初の半年ほどは、計画を練り直しながら営業所の仕事に没頭することにした。それはほとぼりをさますためでもあったのだ。
 アイヌ民族の工芸品は、非常に魅惑的だった。それまでは仕事に情熱を感じることのなかった浩介も、さすがに工芸品の美しさには目を見張る思いだった。札幌から車で1時間ほど南へ走ったところに、アイヌ民族の町である白老町がある。浩介はそこの工芸家を訪ねる目的で村を訪れたが、彼を出迎えてくれたのは、木下玲奈という二十歳の女性だった。彼女はアイヌの民族衣装であるルウンペを身にまとっていて、その姿はまさに天使そのものだった。というより、時を超えて過去からやってきた美少女という感じだったかも知れない。浩介は、こういう清純そうに見える女性に弱い。米田美津子に手痛い仕打ちを受けた傷は、どうやらすっかり癒えてしまったようだった。
 玲奈の父親である木下清蔵は、白老町でも有名な工芸家である。三ツ井浩介はどことなく無骨な木下清蔵との交渉をしなければならなかった。
「木下さん、どうも初めまして。今度帝国商事札幌営業所に勤務することになりました、三ツ井浩介と申します。どうぞよろしくお願いします」
 浩介はていねいに名刺を手渡したが、清蔵はぶっきらぼうにその名刺を受け取ると、さっさとズボンのポケットに突っ込んでしまった。
「また新しい人か。それで、今度は何が欲しいんだね。あんたたちは、我々アイヌの工芸品を売り物にするだけで、アイヌ文化にはちっとも興味がないようだが」
「そんなことはありません。私はこちらに来てアイヌの工芸品の美しさに改めて魅了されました」
「それも営業の社交辞令だろう」
「いいえ、そんなことは」
「あんた、札幌の前は?」
「東京本社で、商品管理の仕事をしていました。いつも机の上のコンピューターとにらめっこの生活です」
「そうかね。で、どうして本社の人間がこんな片田舎に転勤になったんだ」
「左遷ですよ。熱心に仕事をしないから、飛ばされたんです。でも、僕は北海道に来てかえって良かったと思っています。今までは画面上の商品の流れを見ているだけだったのが、実際に商品を見ることができるんですから、こんなに素晴らしいことはありません」
「あんたも変わってるなあ。本社にいれば給料だってそこそこ良かったろうに」
「はあ、そうかも知れませんけど、一日中机の前に座ってるのは退屈です」
「ところで、あんた、え〜と名前は…」
 木下清蔵はさっき無造作にズボンのポケットに突っ込んだ浩介の名刺を取り出した。
「三ツ井さんか。三ツ井さんは我々の工芸品がどのくらいの値段で引き取られていたか知っているのかね」
「一応、データは見させていただきましたが、とても安い値段ですね」
「そうだよ。安いなんてもんじゃない。私たちの足下を見たような取引だった。三ツ井さん、あんたにそれを返られるかな」
「はい、頑張って何とかしてみます。とりあえず、今までの買い取り値段は二倍にするというのではいかがでしょうか」
「二倍だって?そんなことをしたら、あんた今度はシベリア送りだぞ」
「いえ、それだけの値段で仕入れても、利潤は確実に確保できるはずです。その代わり、今までより納品数を増やしていただけませんでしょうか。それから、種類も。あと、先ほどの若いお嬢さんが身につけていた衣装ですが…」
「ああ、この白老町では、あの木綿の民族衣装はルウンペと言うんだよ。そのルウンペがどうかしたかね」
「今までの取引データを見ると、そのルウンペはあまり扱われていなかったようですが」
「ああ、あれは本土のちゃんちゃんこに似ているから、売れないだろうって、担当の人が目もくれなかったからな」
「僕は、そのルウンペを大々的に売り出してみたいと思うんです。あの衣装をまとうと、時代が昔にさかのぼったように感じます。アイヌの文化を宣伝するのに最高の民芸品だと思うんですが」
「ほう、そう思うかね。あれだったら、町の女衆に協力してもらえば、大量に生産することは可能だが」
「それでは、とりあえず来月までに二百着でいかがでしょう」
「そんなに仕入れて、売れなかったらどうするんだね。第一、あんなものをいくらで仕入れようって言うんだ」
「一着千円でいかがですか。売れなくても、札幌営業所が全て責任を負います」
「一着千円だって?そんな高値で仕入れて、いったいいくらで売るつもりなんだ」
「千八百円でいいと思います。おそらく小売値は二千五百円前後になると思うんですが、その値段なら十分消費者のニーズに合致していると思うんです。とにかく、私にやらせてはいただけませんか。私の北海道での記念すべき初仕事です」
「何だか知らんが、あんた、いや三ツ井さんがそこまで言うなら、とにかくやってみるとするか」
「はい、ありがとうございます」
「おい、玲奈、ちょっとこっちに来なさい」
「なあに、お父さん」
「お父さん…ですか?」
「そうだ。これが娘の玲奈だよ。これからはこの玲奈と商談を進めてくれ。この子は頭も切れるから何かと役に立つだろう」
「三ツ井さんとおっしゃいましたっけ。木下玲奈です。どうぞよろしく」
「はあ、僕の方こそどうぞよろしくお願いします」
 浩介の気持ちはすっかり舞い上がっていた。昔の仕事にかける情熱を思い出したばかりか、理想の女性にも出会えたのだ。しかも、これからの仕事は彼女と一緒にできる。

《一流営業マンへの変身》
 三ツ井浩介の大胆な取引は、札幌営業所長の宝田祥輔の怒りを買った。宝田は浩介を所長室に呼んで、浩介の真意を確かめた。
「三ツ井君、君はいったい何を考えているのかね」
「何をって、アイヌの工芸品の販売網を広げることですが」
「そのために、買い取り価格を一挙に二倍にしたというわけなのか?」
「はい、そうです。生産者の意欲を高めて量販することが、会社の利益に大きく貢献すると判断しました」
「それで、もちろん君の理論を裏付けるデータはあるんだろうね」
「もちろんです」
 浩介は、数ページのデータ書類を宝田所長手渡した。
「私の試算では、利益は二倍になると考えられます」
 しばらく浩介の作成した書類に目を通していた宝田所長は、重い口を開いた。
「確かに理論的にはそうなるようだが、もし君の計算通りに利益が上がらなかったら、会社の損失をどうするのかね」
「それは、私の責任外のことかと」
「何を寝ぼけたことを言ってるんだ!会社に損失を与えたら、自分が損失補填をするに決まってるだろう!」
「そういう責任は、宝田所長がおとりになるべきなのではありませんか。私は、自分が希望して札幌までのこのこ出向いたわけではありません。私に営業を任せたのは所長なのですから、私のミスは所長が責任を負うべきだと思います。それに、私はそんないい加減な営業はしていませんから、会社に損失を与えることはないと確信しています」
「君の理想論と心中するのはまっぴらごめんだね。明日から、君を白老町の担当からはずすから、そのつもりでいなさい」
「ちょっと待って下さい。私が始めたことですから、結果が出るまでは私に担当させて下さい。その代わり、会社の利益が二倍にならなかった場合には、私はクビになっても構いません」
「ほう、そこまで覚悟をしているというわけだね。おもしろいじゃないか、それならその細いクビをかけて思い通りにやってみるといいだろう」
「所長、お言葉ですが、もし私の予想通り会社の収益が二倍に上がった場合には、所長はどうされるおつもりですか」
「どういう意味かね」
「私をこれだけ侮辱したのですから、当然所長もクビをかけていただかないと」
「何を生意気なことを言ってるんだ、君は!さっさと出て行きなさい!どうせ、もうすぐ会社を辞めることになるんだしね」
「所長も覚悟を決めておいて下さいね。私を見くびったら必ず後悔しますからね」
 三ツ井浩介は所長に背中を向けると、不敵な笑みを浮かべて所長室を後にした。宝田所長は浩介の図々しさが鼻持ちならなかった。(あんな若造の机上の空論が通用するほど世間は甘くないんだ。今にほえずらかくなよ)宝田は自分を直接侮辱して立ち去った三ツ井の態度にいつまでも腹を立てていた。
 
 浩介の戦略が効果を発揮するまで、一ヶ月もかからなかった。量販戦略は現代のディスカウントショップの基本理念で、決して浩介の机上の空論などではないのだ。それに、今まではアイヌ民族の不満しか買わなかった帝国商事の営業活動が、浩介の登場で一気に変わりつつあったのだ。浩介が目をつけた民族衣装のルウンペは、予想以上の反響を得た。小売店からの発注が殺到し、白老町を初めとして、その他のアイヌの町も、生産に大わらわの状態になった。これこそまさに、嬉しい悲鳴である。町は潤うし、アイヌ文化を日本全国に広めることもできる。過去の差別の歴史を刷新することができるのだから、アイヌの人々にとって、帝国商事の新しい営業マンは神に等しい存在だった。アイヌの木綿衣にはルウンペの他にもチカ ペ、カパラミブ 、 チヂリなど何種類かあったが、浩介はその全ての民族衣装を本土に紹介したものだから、日本全国でアイヌ民族の衣装が一大ブームになってしまったのだ。会社の利益は二倍どころか三倍にも四倍にもふくれあがろうとしていた。他のアイヌの工芸品も次々に注文が殺到し、帝国商事札幌営業所の規模も二倍にふくれあがった。さすがの宝田所長も浩介に深々と頭を下げざるを得なかった。プライドよりも儲けが優先するのが企業の論理だ。宝田自身、給料が大幅アップしたのだから、三ツ井浩介さまさまである。あれだけ意地悪く浩介の失敗を祈っていた宝田は、手のひらを返したように浩介のご機嫌取りをするようになった。そして、この功績が本社に認められ、浩介は札幌営業所の副所長に抜擢された。年功序列の日本企業界にあっては、まさに大出世である。このとき三ツ井浩介、弱冠三十歳だった。
 浩介の、生産者を大切にする方策は、本社でも高く評価され、外国の貴金属生産地でも買い取り原価を一、五倍から二倍にアップすることになった。そのおかげで、生産量は飛躍的に増加し、量販体制に入った帝国商事の株価はみるみるうちに上昇していった。誰もが三ツ井浩介の本社栄転を疑わなかったが、本社からの打診に、浩介は何を思ったか、札幌営業所への残留を希望したのだ。浩介の計画はこれから実行に移されるところだった。もちろん、誰もが浩介を帝国商事の救世主のようにあがめていたが、浩介の腹は救世主どころか、疫病神と呼ばれてもおかしくないほどのどす黒い感情に支配されていた。(いよいよそのときがやってきたな)浩介は、一人暮らしのアパートの部屋で苦笑した。

《データベースの異常》
 帝国商事東京本社の商品管理データベースが異常なデータをはじき出し始めたのは、三ツ井浩介が札幌営業所で大成功を収めてから一ヶ月ほどした頃だった。実際の商品の流れとデータベースの数値とが一致しなくなったのだ。それもちょっとした違いではなく、大幅なずれだった。データベースからの情報をもとに、販売キャンペーンなどを企画していた本社では、宣伝した商品が実際には不足していたり、ないはずの商品が大量に在庫として残ってしまったり、大変な混乱状態に陥ってしまった。なぜそんなことが起きるのか、誰にも理解できない。コンピューター自体はシステム異常を起こしているわけでもなく、かく出張所の端末からはきちんとデータが送られてきている。それなのに、帳尻が合わないのだ。当然の事ながら、本社は札幌営業所にいる、データベースシステムの生みの親、三ツ井浩介に問い合わせたが、浩介は全く理解できない事態だと言う。帝国商事は、社の威信に関わる大変な危機に直面していた。
 もちろん、データベースに偽の情報を送信しているのは三ツ井浩介自身である。彼は、決して会社の端末や自宅のコンピューターは使わない。インターネットカフェのコンピューターから、各出張所の端末に侵入して、インプットされたデータを書き換えているのである。直接本社のデータベースにアクセスしているわけでもないので、誰もそんなからくりには気づかなかった。浩介は本社の混乱を聞いてはほくそ笑んでいた。(俺を邪険に扱うからこんなことになるんだ。みんなもっと苦しめばいい。俺のような有能な人材を北海道などへ左遷しやがって、それで俺が黙ってるとでも思ってたのか)浩介の恨みは驚くほど根が深かった。米田美津子へのストーカー行為でも明らかなように、浩介は感情的になると視野狭窄のような状態に陥り、執念深さがさらに深刻になる性格をしていた。
 帝国商事は事の深刻さを考慮して、警察の電子犯罪課に被害届を出した。どう考えてもコンピューターのシステム異常ではなかったからだ。専門のコンピューター技師にみてもらったところでは、誰かが出張所の人間になりすまして、偽のデータを送信しているのではないかということだった。実際その通りだったのだが、果たして警察の電子犯罪課程度の調査力で、浩介の犯罪が立証できるかどうかは非常に疑問だった。浩介自身は、絶対に発信元がわからないように、利用するインターネットカフェも次々に変えていた。それに帝国商事で大出世を成し遂げている三ツ井浩介に疑いの目が向けられることもなかったのである。浩介は、あらゆる点で有利な要素を備えていた。
 警察の電子犯罪課は、犯人が油断して特定可能なコンピューターから、出張所の端末にアクセスするミスをねばり強く待つことにした。非常に根気のいる作業である。警視庁でハイテク犯罪の摘発の指揮を執っていたのは元コンピューター会社エンジニアの上杉貴美警部補だった。彼は、ハイテク犯罪の犯人は執着質な人間で、動機はたいていの場合怨恨だから、そのうち自分の技術におぼれて必ずしっぽを出すと睨んでいた。
 そんなある日、上杉はデータベースの資料を眺めていておもしろいことに気づいた。帝国商事の各出張所から送られてくるデータには平均して数回の偽データが混じっているのだが、札幌営業所からのデータにだけは偽データが混入していないのだ。上杉は商品管理課長の柴崎幸彦に質問した。
「柴崎さん、確か帝国商事のデータベースシステムを立ち上げたのは、三ツ井とかいう社員でしたね」
「はい、そうです。今は事情があって北海道の札幌営業所の方へ行っていますが」
「事情と言うと?」
「実は、彼はこの課で働いていたのですが、勤労意欲というものがみられなくて、挙げ句の果てには社内の端末から個人的なインターネット操作を始める始末で、それで私の判断で左遷させたのです」
「つまり、帝国商事には恨みを抱いていると考えていいですか」
「まあ、以前ならそれもあったでしょうが、今では大変な業績も上げ、札幌営業所の副所長に収まっていますから、会社を恨んでいるということはないと思いますが」
「なぜ彼は本社に戻らないのですか」
「いえ、本社からは本社栄転の話を持ちかけたのですが、本人のたっての希望で札幌営業所に残ることになったのです。向こうの土地が合っていたのでしょう。それに向こうで恋人でもできたのかも知れません」
「そうですか、それならいいんですが」
「まさか、三ツ井君が今回の事件に絡んでいるとでもおっしゃりたいのですか」
「いえ、確証はありませんが、札幌営業所から電送されてくるデータにだけ異常がないのが不自然だと思いましてね」
「彼のコンピューターの知識なら、かなりのことはできるとは思いますが、十分過ぎるほどの待遇を受けている彼が、そんな馬鹿な危険を冒すとはとても思えませんなあ」
「柴崎さん、こういう犯罪を犯す人間は、思いも寄らぬ恨みを根深く持っているものなんです。ですから、たいていの場合は誰もが想像もしなかったような人物が犯行を重ねているんですね」
「そう言えば、彼は社内の女性にストーカー行為を働いて、ちょっとした問題になったことがありました」
「そうですか。いずれにしても、彼の身辺を少し探ってみる必要がありそうです。柴崎さん、私が今日話したことは、絶対に誰にも言わないようにして下さい。もし彼が何らかの形で事件に関与していたとしたら、疑われていることを知ってすぐに対策を講じてしまうでしょうからね」
「はい、わかりました。あのう、水沼社長にも黙っていた方がよろしいのでしょうか」
「はい、私とあなた以外の人間には絶対に知られないように注意して下さい」
「上杉さんの言うとおりにしましょう」
 柴崎は背筋に冷たいものが走るのを感じた。三ツ井浩介がそこまで会社を恨んでいたとしたら、その元を作ったのは自分だし、自分が恨まれているとしたら、米田美津子との関係も彼の口から漏れてしまう可能性もある。美津子との不倫は水沼社長にも感づかれているようだし、だとしたら執着質の三ツ井浩介が気づいていないという保証はない。柴崎は、適当な用事を作って、北海道へ飛ぶことにした。もし、三ツ井が犯罪に関与しているのだとしたら、上杉警部補に感づかれないうちに犯行をやめさせなければならない。それが、自分を守る唯一の道でもあった。柴崎は北海道へ向かう機中であれこれ作戦を練った。

《執念》
 柴崎幸彦が札幌営業所に到着したのは、勤務時間終了間際の四時五十分くらいだったろうか。柴崎がオフィスに入っていくと、副所長の席にいた三ツ井浩介は、もうすでに帰宅の準備を始めていた。
「三ツ井君、久しぶりだね」
「あっ、柴崎課長、いったいどうしたんですか、急に」
「いや、ちょっと北海道の親戚を訪ねる用があったんで、ついでに出世頭の三ツ井君の顔でも見て帰ろうかと思ってね。もし良かったら外の喫茶店にでも入らないか」
「ええ、構いませんが」
 浩介は、就業時間ぴったりに、オフィスの者たちに挨拶をして、柴崎と一緒に外に出た。外はもうすっかり薄暗くなっていて、冬の北海道の寒さが身にしみる。二人は、道を挟んで反対側にある喫茶店に入っていった。
 
「柴崎課長、北海道の親戚なんて嘘なんでしょう?だいたい、あなたがついでに僕の顔を見に寄るなんていうことはあり得ない」
「お察しの通りだよ。実は、君も知っての通り、本社のデータベースが大変なことになってるんだ」
「それが僕と何か関係でもあるかと?」
「いや、そうじゃないんだが、これは極秘事項で警視庁の警部補からも口止めされていることなんだが、データベースの混乱は何者かが意図的にやっていることで、それも犯人は社内にいるらしいんだよ」
「ほほう、それはまた大変なことですね。それで、僕に何を聞きたいんですか」
「いや、コンピューターに詳しい君なら、社内でこんな離れ業ができる人間に心当たりがあるんじゃないかと思ってね」
「そうですね、そんなことができるのは僕ぐらいじゃないんですか
「おい、冗談はやめてくれ。私は本気で聞いているんだから」
「僕だって、本気で答えてるんですけど」
「まさか、君が…」
「さあ、どうでしょうかね。僕は誰かさんにこんな寒いところの営業所まで飛ばされたわけだから、動機としては十分ですね。ただ、副所長にまで出世して収入も十分にもらっているから、その点では矛盾が生じる」 
「三ツ井君…」
「その警視庁の警部補がそんなことを言っていたんじゃないんですか?図星でしょう?」「いや、君には参ったね」
「そうだとしたら、柴崎課長がわざわざ僕に会いに来たのはまずいんじゃないんですか。それとも、僕が犯人になるともっとまずいことが起きるのかな?」
「三ツ井君、ここだけの話だと思って聞いてもらいたいんだが、私は社長命令で君を札幌営業所に配置転換するよう総務課に指示を出しただけなんだ。だから、私のことを恨んでいるなら、それはとんだお門違いというものなんだよ。わかってくれるね」
「今更、何を言い訳がましいこと言ってるんですか。そもそも、課長は僕の能力を見抜けなかったじゃありませんか。いつも机の液晶画面にばかり向かわせてるから、僕はどんどんやる気をなくしていったんです。札幌営業所に来て、初めて働いているという実感がわきましたよ。実際、帝国商事の誰もが驚くような業績をあげましたしね」
「それは、確かに私に見る目がなかったと認めよう。本当にすまなかった」
「課長、私はこの札幌が気に入っているんです。もう課長のことなど恨んでいませんから安心してください」
「それは本当なんだろうね」
「もちろん、本当ですよ。課長のことも、米田美津子さんのことも、少しも恨んでなんかいない。課長や水沼社長が暴力団の海星組とつるんでいることも、誰にもしゃべっていませんから。それに、僕は課長と米田さんの不倫関係にも興味はありませんしね」
「三ツ井君!」
「さあ、もうこれで用は済んだでしょう。僕は会う人がいるから、これで失礼します。会計は済ませておきますから、どうぞごゆっくり。帰りに札幌ラーメンでもお食べになったらいかがですか。課長もきっと札幌営業所に転勤願いを出したくなりますよ。ただし、そのときは僕が所長になっているかも知れませんけどね」
 三ツ井浩介は、そう言い残すと不気味な笑いを浮かべて喫茶店を後にした。柴崎は浩介の話を聞けば聞くほど恐怖心が募った。三ツ井浩介は、今でも確実に自分のことを恨んでいる。そしてデータベースを混乱させている犯人も三ツ井にまず間違いない。そして、自分が予想していたとおり、彼は自分の私生活のことまで詳しく知っているようだ。こうなったら、彼が捕まらないことを祈るだけだ。それとも、思い切って三ツ井浩介を消してしまうか。いや、それは危険だと柴崎は思った。美津子の件でも、海星組の西田たちが痛い目に遭っているではないか。失敗したら、今度は何をしでかすかわかったものではない。柴崎は、あれこれ考えれば考えるほど、どうしていいかわからなくなるだけだった。
 
 それから二週間ほどして、警視庁の上杉貴美警部補が柴崎を訪ねてきた。
「上杉さん、何か進展でもありましたか」
「いや、進展どころか、犯人はちっともしっぽを出さないんです。そこで、今日はちょっとしたお願いに上がったのですが」
「まあ、こちらにおかけ下さい。コーヒーでも入れさせましょう」
「それはどうも」
 上杉は誘われるままに、オフィスの一角にあるソファーに腰を下ろした。
「で、お願いと言いますと」
「おたくの課に、米田美津子という女性社員がいることはお聞きしましたが、その米田という女性を札幌営業所に転勤させて欲しいんです。もちろん、犯人が捕まるまでの間の臨時的な措置ですが」
「米田君が転勤することで、何かが起きるのですか」
「それは何とも言えませんが、三ツ井浩介が犯人だとしたら、もしかしたら米田美津子さんの端末を使ってデータベースに偽の情報を送る可能性がある。彼は米田さんを恨んでいたわけだから、彼女に犯行の濡れ衣を着せることができれば、願ったりかなったりでしょう。だめでもともとですよ」
「いくら何だって、わざわざ米田君が札幌営業所に転属されれば、三ツ井君もかえって警戒するだけなんじゃありませんか」
「そこが、この手の犯人の弱点なんです。恨みに執着するあまり、それまでは周到に勧めてきた犯行にミスが出る。米田さんの端末を常に監視体制に置いておけば、偽データが送信された時点ですぐにこちらにはわかることになっている。今まで偽データが電送されてきたことのない札幌営業所から偽データが送られたということになれば、三ツ井浩介の犯行を立証する大きな手がかりになるでしょう」「しかし、もし彼が犯人だとしたら、そんなつまらないミスを犯すでしょうか。たとえ米田君の端末から偽データが電送されたとしても、三ツ井君は自分がかかわった痕跡など残さないんじゃありませんか。証拠がなければ彼を犯人にするわけにはいかないでしょう」「普通ならそうですね。しかし、米田美津子さんの顔を見て逆上したとしたら、いつものように回りくどい操作をせずに、思わず自分の家のコンピューターから米田さんの端末に侵入する可能性もあるんです。そうなれば、三ツ井浩介のPCには必ず痕跡が残る。コンピューターというのは、操作データを消去しても、必ずその記憶をとどめているものなんですよ。こちらの目的は、彼が自分のコンピューターから犯行を実行してくれることだけです。そうすれば、彼のアパートを家宅捜索して彼のコンピューターを押収すればいい。それでおそらく事件はめでたく解決することでしょう」
「もし、三ツ井君が逮捕された場合は、彼はどの程度の処罰を受けるんでしょうか」
「柴崎さん、三ツ井君のことがそんなに心配ですか。そもそも彼を札幌営業所に飛ばしたのはあなただったのではありませんか。そのあなたが、彼の処分まで心配するというのはどうも解せませんなあ」
「いや、たとえ自分が左遷させた人間だとは言っても、元の部下であることには変わりはありませんから」
「ほう、帝国商事はそんなに人情に厚い会社でしたか。私はもっと商売に徹している企業だとばかり思っていましたが。そうでなければ海星組と組む必要もないわけですしね」
「何のことをおっしゃっているのか、よくわかりませんなあ」
「柴崎さん、今回は海星組の件は捜査の対象ではありませんから、とやかく言うのはやめますが、ものには限度というものがある。あまり派手にやられれば、警視庁としても黙認しているわけにはいかないのです。その辺のことは水沼社長にもよく伝えておいて頂きたいですね。ちなみに、三ツ井浩介が逮捕されると何か困ることでもあるのですか」
「何を言うんですか。そんなことあるはずがないじゃありませんか。滅相なことを言わないで下さい」
 柴崎幸彦も気の小さい男だ。上杉警部補の挑発に乗って、思うように動揺して見せてくれた。上杉は三ツ井浩介が逮捕されたら、何か別の秘密まで暴露されるのだということについても、これで確信が持てた。ということは、会社側が素直に捜査に協力しないという可能性もある。上杉は慎重に動こうと思った。

《玲奈の結婚》
 帝国商事東京本社のデータベースを混乱させながらも、同時に浩介は札幌営業所での仕事には熱心に取り組んでいた。白老町の木下清蔵のもとには毎日のように足を運び、清蔵の紹介で他の町へも、気軽に車を飛ばしてアイヌ工芸品の調達に奔走していた。そんな矢先のことである。三ツ井浩介にとって衝撃的なニュースが飛び込んできた。清蔵の娘、玲奈が同じ町の幼なじみと結婚するというのだ。玲奈にほのかな思いを寄せていた浩介は、再び裏切られたような惨めな気持ちになった。(何で世の中の女は俺のことをこうも馬鹿にしてくれるんだ。俺がこんなに必死で思ってやっているというのに、最後には必ず俺を裏切るんだ)浩介は本当に執着心の強い男だった。執着心が強いと言うより、自己中心的な執念の固まりだった。玲奈の結婚話を聞いてやけになっていた浩介は、その怒りを帝国商事にもろにぶつけようとした。
 その頃、帝国商事東京本社商品管理課のオフィスでは、米田美津子が柴崎幸彦課長に呼ばれていた。
「米田君、申し訳ないんだが、三ヶ月ほど札幌営業所に飛んでくれないか」
「札幌営業所と言えば、あの変態男がいるところじゃありませんか。課長は私を獣の檻に投げ込むつもりなんですか」
「そう言わんでくれ。三ツ井君も、すでに君のことは忘れているだろう。それより、会社の命運を分ける大切な仕事なんだ。詳しい事情は今話すわけにはいかんが、とにかく私の、いや会社の頼みを聞いて欲しい」
「そこまでおっしゃるのなら構いませんが、ときどき会いに来て下さるんでしょう?」
「もちろんだとも。ただ、警視庁の目も光っている折りだから、そんなに派手な動きはできんだろうけどな」
「本当に三ヶ月だけですよ。それに、この仕事を引き受けたら、それなりの見返りもあるんでしょうね」
「もちろんだとも。きっちり昇給させてもらうから、安心してくれ」
「裏切ったら、怖いですよ、課長」
「おいおい、年寄りを脅かさんでくれよ。私は君から平手を食らうのは勘弁してもらいたいねえ」
「あら、やだ。あれはあの変態男が悪いんですから、もう言わないで下さい」
「そうだったね。もう言わないよ」
 美津子は何だか知らないが、自分が007のボンドガールにでもなったような胸のときめきを感じた。全く根性の座った女である。
 
 札幌の冬は本当に凍えるような寒さだった。美津子は柴崎に買ってもらった毛皮のコートの襟をしっかりと両手で押さえながら、札幌営業所のドアを開けた。美津子の顔を見て驚いたのは三ツ井浩介の方だった。本社からは何の連絡も受けていない。というより、所長にだけ連絡があったのかも知れなかった。
「あら、三ツ井君、元気そうね。いけない、三ツ井君なんて呼んじゃいけなかったわ。お元気そうですね、三ツ井副所長」
「君こそ、相変わらず元気そうだね。それで君も何かしでかしたのか?」
「いいえ、三ヶ月だけの営業所勤務です」
「何でまた君なんか」
「君なんかで失礼しました。とにかく本社の命令なので、私はそれに従っただけです。どうぞよろしくお願いします」
「それじゃあ、君は向こうの、あの窓際の机を使ってくれ」
「はい、わかりました、三ツ井副所長」
 浩介は美津子の人を食ったような言いぐさが鼻持ちならなかった。(今にお前も痛い目に遭わせてやるから待ってろよ)浩介は、自分の中の怒りが益々大きくなっていくのを感じていた。これが上杉警部補の作戦だなどと気づく余裕もなくしている。 
 そんなある日、白老町の木下玲奈のところに小包が届いた。大喜びで小包を開けた玲奈は、思わず悲鳴を上げて周囲のみんなを驚かせた。中には、ずたずたに引き裂かれて殺されたキタキツネの死骸が、死臭が漏れないように周到にビニール袋に包まれて、入っていたのだった。
「結婚を目前にした娘に、こんなひどい仕打ちをするのは誰なんだ!」
 嗚咽する娘を前に、木下清蔵は怒り狂ったが、まさかそれが愛想のいい営業マンの三ツ井浩介の仕業だとは思いも寄らなかった。浩介にとって木下玲奈は、自分の思いを裏切った魔性の女以外の何者でもなくなっていた。彼の感情の豹変ぶりは、彼自身にも説明のつかないものだったのだ。それに、浩介自身は自分の行為が異常だなどとは少しも思っていない。ストーカーになるような執着気質の男にはよくあることなのだが、自分自身の行動を客観的に振り返ることは全くできない。それは、まるで二重人格のジキルとハイドのようだった。
 浩介が執着気質の男になった背景には、彼の生育歴が大きく影響していたかも知れなかった。自分の部屋に閉じこもって細かな作業に夢中になっている大人しい浩介に安心しきった両親は、彼とのスキンシップを十分にとることを怠ってしまったのだ。浩介は内心では両親にかまってもらいたかったが、そんな気持ちを素直に表現できずに、益々一人で部屋にこもるようになっていった経緯がある。そんな経験が、自分の思い通りに行動してくれない相手に対する憎悪の念となって浩介にとりつく結果を生み出してしまったのだろう。しかし、ふだんの浩介はそんな一面を見せることは決してないから、周囲の人間は誰も浩介を疑うことはない。ふだん、普通の人間を演じれば演じるほど、浩介の執着気質には磨きがかかるという悪循環が繰り返されていたのだが、そんな心理的な構造は、専門医でもない限り見抜くことは不可能だった。
 木下玲奈に理不尽な仕打ちをした後も、三ツ井浩介は熱心な営業マンを演じ続けた。しかし、浩介の内心では、もうすでにアイヌ文化を本土に紹介したいという熱意は姿を消しつつあった。自然の美しさや、アイヌの民芸品・工芸品に惹かれたやさしい気持ちは決して嘘ではなかったが、そんなプラスの側面も自分の期待を裏切られたという浩介の執念の前には姿を潜めてしまうのだった。
 そして、浩介は上杉警部補が張り巡らせた捕縛の罠にまんまとはまってしまうことになる。浩介としては、米田美津子に全ての罪をかぶせようとしたのだろうが、彼女の端末に自宅のコンピューターからアクセスしたのが間違いだった。監視体制下にあった美津子の端末から本社のデータベースに偽のデータが電送されたのを確認した上杉は、すぐに部下数名を連れて三ツ井浩介のアパートへと向かった。実は、上杉警部補を筆頭とする警視庁ハイテク犯罪特別捜査チームは、米田美津子と同時期に札幌に入って、札幌署内に一室を借りて陣取っていたのだった。浩介のアパートに到着した上杉は、自らドアをノックした。「三ツ井さん、こんばんは。ちょっとドアを開けてくれませんか」
「どなたですか、こんな夜遅くに」
「警視庁の上杉警部補と申します。ここに家宅捜索の令状がありますので、ご確認下さい」 浩介はしぶしぶドアを開けた。
「三ツ井浩介さんですね。帝国商事データーベース侵入の疑いで、ただいまより家宅捜索をします。よく令状を確認して下さい」
 浩介が令状に目を通している間に、捜査員たちが素早く部屋に入り込み、まずは一番肝心な浩介のノートパソコンとデスクトップパソコンの両方を押さえた。周辺のコンピューター関係の機器が次々に段ボール箱の中に詰め込まれていく。
「これはいったいどういうことなんですか」「それは、あなた自身が一番良くご存じのはずだ。あなたほどの技術を持ち合わせた人がまさかこんな罠にかかるとは思いませんでしたが、油断大敵ですな」
「罠とはどういうことですか」
「米田美津子ですよ。あなたの彼女に対する恨みがまだ消えていないと踏んだのです。彼女が札幌営業所に姿を現せば、感情的になったあなたが何かミスを犯すのではないかと思いましてね。おそらくあなたは、今夜に限って自分のコンピューターから米田さんの端末に侵入したのではありませんか?もし、そうだとしたらあなたのコンピューターにしっかりと痕跡が残っているはずだ」
「捜査を消去しても、ハードディスクの記憶を完全に抹消することはできない」
「そこまでわかっていながら、なぜ自分のパソコンを使ったのですか。今までは、執拗なまでに痕跡を追求されない他のPCを使っていたというのに」
「あの女が悪いんだ!僕の気持ちをもてあそんで、挙げ句の果ては職場のみんなの前で僕に恥をかかせた。自分は課長と不倫関係にあるくせに、あんな女にひっぱたかれる覚えなんかない!」
「不倫関係と言いますと?」
「刑事さんならとっくにわかっているのではありませんか。柴崎課長と米田美津子の不倫ですよ。だから僕は北海道の札幌まで飛ばされたわけですからね」
「それにしても、あなたのような有能な営業マンが、しかもコンピューター技師としても有能なあなたが、実にもったいない」
「そんなこと関係ありません。会社でいくら業績をあげたって、ただそれだけのことじゃありませんか。世の中の女はみんな僕のことを馬鹿にする」
「まあ、詳しい事情は署の方で聞きましょう。それではご同行願えますね」
「はい、わかりました」
 あれだけ用意周到な作戦を練って、数ヶ月に渡って本社のデータベースを混乱に陥れることに成功した浩介が、女性への恨みに負けてしっぽを出してしまうとは。浩介の自供から、木下玲奈のもとへキタキツネの死骸を送り届けたのも彼の仕業であることが判明した。上杉警部補はなぜこんなに優秀な男が、そこまで感情に支配されてしまうのか、不思議でならなかった。
「木下玲奈という女性は、あなたが恨むような根性の悪い女性ではないと思うのですが」「彼女は、僕が思いを寄せているのを知っていて、他の男と結婚する道を選んだんです。僕に何の恨みがあると言うんだ!」
「三ツ井さん、あなたはなぜ自分中心のものの考え方しかできないのですか。木下玲奈という女性は、私が事情聴取した限りでは、あなたの親切は、営業マンとしての親切だとばかり思っていたそうですよ」
「嘘だ!みんな僕を利用するだけ利用して、最後には裏切るんだ!」
「あなたは悲しい人だ。他人が自分の思い通りにならないと、すぐに自分が裏切られたと思いこんでしまう。それじゃあ、あなたはいつも他人の期待通りの行動をしているとでも言うのですか」
「それは…」
「でしょう?人間は、誰だって他人の思惑を常に気にしながら行動しているわけではないのです。しかも、悪意など抱いていない」
 三ツ井浩介はすっかり落ち着きを取り戻して、丁寧な口調を最後までくずさずに自分に敬意を払いながら事情聴取をしてくれた上杉警部補の話に耳を傾けた。落ち着いて考えれば、上杉の言うとおりなのだ。誰も、自分に悪意など抱いてはいなかったに違いない。それなのに、自分は一時的な感情の爆発で他人を恨むことしかしなかった。そのために、必死で築いてきた自分の業績まで簡単に捨て去ってしまった。浩介は、やっと自分の馬鹿さ加減に気づいたようだったが、やってしまったことはもう取り返しがつかない。せめてもの救いがあるとすれば、それは他人の命を奪わなかったということだけだろう。ここに、一人の男の人生が終わりを告げた。
 ところが、実に不可解な事態が起きたのだ。三ツ井浩介が捕まった後も、帝国商事東京本社のデータベースには偽のデータが送り続けられたのだ。犯行の手口は三ツ井浩介のものと同じで、アクセスの痕跡をたどることはほどんど不可能だった。つまり、犯人は特定可能なPCを使ったハッキングは決してしないのだ。上杉警部補は頭を抱えてしまった。三ツ井浩介に共犯がいたとはとても思えない。三ツ井浩介の逮捕を知って、誰かが彼の後を勝手に引き継いだとしか思えなかった。しかし、いったい誰が浩介のような執着気質の男をかばうような行動に出ると言うのだ。上杉の調べた限りでは、浩介には親しい友人も恋人もたったの一人としていなかった。

《後継者》
 立花百合は、インターネットカフェのコンピューターに向かって、リズム良くキーボードの音を響かせている。サングラスをしているから、誰だかわからない。もうおわかりの通り、三ツ井浩介の跡を継いで、本社のデータベースを混乱させているのは、浩介と同期入社の立花百合だった。百合は、米田美津子の前に商品管理課長の柴崎幸彦との不倫関係にあった。しかし、まじめで思いこみが強い百合に恐れを抱いた柴崎が、つきあい始めてから一ヶ月もしないうちに、一方的に縁を切ってきたのだ。百合は悔しかった。自分はただ遊ばれただけなのかと思うと本当に悔しかった。真剣に愛した男性だったのだ。幸いにも、百合は総務課勤務だったので、始終柴崎の顔を見ていなくてすんだが、米田美津子との噂を聞いたときには、何とかして復讐してやりたいと思った。そして、三ツ井浩介の逮捕をきっかけに、ついにそのチャンスをつかんだのだった。
 立花百合は浩介ほどのPCの知識はないが、ハッキングの方法ぐらいは雑誌で研究して知っていた。今の時代は、キーボードをたたいてデータを入力するくらいのPC操作では、能力のうちに入らないのだ。だから百合は時間を作ってPC専門の学校にも通ったし、自分でもPC関連の雑誌を定期購読して勉強を続けてきた。三ツ井浩介のハッキングの悪知恵は社内でも有名だったから、インターネットカフェを使うこともすぐに思いついた。もちろん、同じカフェは二度は使わない。今ではインターネットを利用できる場所はありとあらゆる場所に設置されている。駅の売店の横にも、カウンター式のインターネットバーがあるくらいだ。漫画喫茶にもインターネットブースが用意されているし、ホテルにはたいていインターネットサービスが整っている。ただ、あまり大きな場所を使うわけにはいかなかったし、会社からの距離も十分に配慮しなければならなかった。あと、アクセスする時間もできるだけ短くしなければならない。 立花百合の唯一の失敗があったとすれば、それは商品管理課長の柴崎幸彦の端末を経由して偽のデータを電送したことだった。鼻のきく上杉警部補が操作担当であることを考えれば、当然柴崎幸彦の過去の人間関係が現れるに決まっている。百合はそこまでは考えなかった。ただただ柴崎に対する恨みがなせる業だった。三ツ井浩介の場合もそうだったように、この手の犯罪には個人や社会に対する恨みが動機になっている場合が多いのだ。百合の名前が捜査線上に上がるのも時間の問題だろう。百合は、東京の拘置所に移された三ツ井浩介に面会に行った。
「三ツ井君、私あなたの跡を継いだの」
「立花さんが札幌営業所に?」
「そうじゃなくて、あなたのハッキングを継いだのよ」
「何を馬鹿なこと言ってるんだ」
「私も柴崎課長に復讐してやりたいことがあって、あなたの後を継いだんだけど、このままだとあの上杉警部補にすぐに捕まっちゃいそうだから、あなたの意見を聞きたくて」
「おいおい、おもしろい話だけど、とんでもないことを始めたね。課長とのことは何となく予想がつくけど、気をつけなければならないのは上杉警部補が非常に切れる人間だということだよ。おそらくは、柴崎課長の過去の人間関係を徹底的に洗って、その中から君の名前も浮上するに違いない。まず、しばらくの間は偽データの電送をストップした方がいいだろうね。それでね、ちょっと準備に時間がかかるかも知れないけど、君が職場にいる時間帯に、あたかも別の人間がハッキングを行ったように時間差をつける方法を使うんだ。僕にも少し時間をくれないか。よく作戦を練ってみるから。それで、また一週間後に会いに来てくれよ」
「わかったわ。私頑張るからね」
 約束通り、それから一週間して立花百合は拘置所の三ツ井浩介を再訪した。浩介は目を輝かせながら、乗り出すように話し始めた。「立花さん、よく聞いてくれ。僕の言うとおりの材料を秋葉原で調達して、タイマー付きのパソコンを組み立てるんだ。帝国商事の柴崎課長のデスクトップは、無線ランシステムを搭載しているから、そこにタイマーで指定した時間に無線でデータを飛ばす。後は柴崎課長のPCから直接データベースにアクセスするようにセットするのはいつもと同じやり方でいい。組み立てたパソコンはプロバイダーを経由せずに直接無線で柴崎課長のPCにアクセスするから、さすがの上杉警部補もどこからデータが発信されたのか突き止めることはできないというわけだ」
「でも、私にパソコンなんか組み立てられるかしら」
「そんなのは簡単だよ。マザーボードとかメモリーのチップセットなんかは、専門店がみんなアドバイスしてくれるから、全くの素人を装って買えばいい。でも、安全を期して、秋葉原ではなく、地方の量販店に行った方がいいかもしれないね。気をつけるのはタイマーの接続方法だけ。後は自前のPCに任せればいいのさ」
「その組み立てたパソコンはどこに置けばいいの?」
「それは、どこかの廃屋でいいんじゃないかな。バッテリーを使えば問題はないよ。ただし、君の名前がリストアップされた時点で、行動を見張られるだろうから、不用意に動いて尾行されることだけは避けないとね」
「あまり頻繁にアクセスしない方がいい?」
「そうだね、月に一回でいいんじゃない。それもキャンペーンの直前をねらって、大きなデータ変動を起こせば、会社の被る被害は絶大だよ。それで十分だと思う」
「それをずっと続けるわけ?」
「いや、5〜6回やったら、もう自作パソコンも始末した方がいい。全ての証拠を消し去って、後は知らんぷりをしていればいいさ」
「それでどうなるの?」
「決まってるだろう。商品管理でミスを重ねた柴崎課長が、どこか地方の営業所にご栄転になるだけさ」
「そうなれば、米田美津子との関係ももうおしまいね」
「いや、それは手ぬるいね。柴崎課長の奥さん宛に、匿名の手紙を送るのがいい。しかも柴崎課長と米田美津子が一緒にホテルから出てくる写真家何かを添えてね。手紙はワープロソフトで打てばいいけど、間違っても素手で作業はしないこと。後、投函する郵便局はどこか遠くの場所を選べばいいさ。そこまでやれば柴崎夫婦の幸せな家庭もずたずたになるだろう」
「何だか恐ろしいわね」
「君がいやなら、そこまでしなくてもいい」
「いいえ、いやだなんて言ってないわ」

《不倫のつけ》
 データベースへの偽データ電送回数を減らしている間、立花百合は浩介の提案した密告の手紙を書いていた。浩介の言った写真を手に入れるのは大変だったが、さすがに何ヶ月もホテルに行かないわけにはいかなかったのか、ねばり強く様子を観察していた百合に、絶好のシャッターチャンスが訪れた。女のためだと男はまさに盲目だ。というより、それは柴崎の性欲そのものだったのかも知れない。 プリントアウトしたデジタルカメラの写真には、ホテルの看板と、柴崎課長が米田美津子の型に腕を回しながらにこにこしている様子が、しっかりと映し出されていた。これなら立派な証拠写真になる。百合は、事細かく不倫の状況を記した手紙にその写真を添えて柴崎加奈子宛に郵送した。選んだポストは千葉県内のものだった。
 柴崎加奈子は、差出人不明の手紙を読みながら、頭に血が上るのを感じていた。

柴崎課長の奥様へ
  こんなお手紙を差し上げるのはどうか と思いましたが、課長の行いがあまりに もひどすぎるので、これは奥様にぜひお 知らせしなければと思い、お手紙を書い ています。社内では同じ課の米田美津子 との不倫の噂がかなり前からありました が、不確かなお話では失礼かと思い、二 人の行動を監視していた結果、同封の写 真を撮影することに成功しました。これ で二人の関係は明らかに証明されたもの と存じます。
  課長の今後のためにも、ここは奥様か ら厳重な注意をしていただきたく、お願 いする次第です。かくいう私の友人も、 実は入社早々柴崎課長の毒牙にかかりま した。課長は世の中の女性の敵です。ど
うかよろしくお願いします。
 
 柴崎夫婦には二十歳になる長女の理彩と十八歳の長男健二の二人の子供がいる。加奈子は今離婚するのは、子供たちの将来にも大きく影響するだろうと判断し、今回の件に関しては幸彦が素直に自分の非を認めれば、とりあえずはそれ以上騒がないでいることに決めた。子供たちが社会人になってしまえば、そのときはまた別の決断をすればいい。
「あなた、この写真は何なの?」
 加奈子は仕事から帰った幸彦の目の前に、郵送されてきたデジカメの写真を放り投げた。「こ、これは…」
「その女性、あなたの課の米田美津子とかいう社員ね」
「お前、私立探偵でも雇ったのか?」
「馬鹿おっしゃい。あなたがまさかそんなことしてるなんて思ってもみなかったわよ。それはね、会社の行く末を案じたどなたかが、独自で調査をして報告してくれたものよ」
「社員の誰かだって」
「そうよ。会社ではあなたと米田美津子との不倫関係は大きな噂になっているそうじゃないの。本当に恥さらしだわ。だいたい社員に手を出すなんて、上の人に知れたらあなたは完全に左遷だわよね」
「お前、まさか会社の上司のこのことを相談したんじゃないだろうな」
「誰が、自分の夫の恥をさらしたいものですか。あなたには十分反省してもらいます。理彩と健二のためにも、米田美津子との関係はここできっぱり精算してもらいますからね」
「もちろんだとも」
「でも、誤解しないでね。私はあなたを許したわけではありませんよ。二人の子供が立派に就職できた暁には、改めて私の結論を出させていただきますから。そのときのためにもこの写真は私が預かっておきますからね」
「ちょっと待ってくれ。私が悪かった。もう二度とこんなことはしないから、許してくれ。それにほんの出来心なんだ」
「あら、そうなの?手紙の主は、あなたの毒牙にかかった女性は他にもいるということだけど」
「それは…」
「それは何なの?この期に及んで嘘なんかついたら、絶対に許しませんよ」
「すまん。実はもう一人付き合っていた女性がいた。もう別れたがね」
「当たり前です!同時に二人の女性と不倫なんかされたら、私はあなたとは即刻離婚しますからね!」
「だから、申し訳ないと謝ってるじゃないか」
「謝って済むことと、済まないことがあるんです。あなたは私を裏切ったわけですから」
「だからほんの出来心だと」
「二人も女性をもてあそんでおいて、出来心とは何ですか!」
「わかった、わかった。二人とも本気だった」
「何ですって!よくもぬけぬけとそんなことが言えたわね。あなた覚悟してらっしゃい!」 翌日、柴崎幸彦のもとを上杉警部補が訪れた。何やら晴れ晴れしい顔をしている。
「いやあ、柴崎さん、いろいろおもしろいことがわかりましてね」
「と言いますと?」
「いえ、帝国商事の社員名簿を見ていましたら、三ツ井浩介と同じ大学の出身でしかも同期入社の立花百合という女性が総務課にいることがわかったんです。しかもですよ、その彼女がこの一ヶ月で二回も拘置所の三ツ井に面会に出向いている。ただ、最近の犯行は彼女の勤務時間中に起きていますし、念のために彼女の端末のアクセス記録を調べてみたんですが、疑わしい点は全くありませんでした。ただ、三ツ井浩介が何か入れ知恵をしているとすると、特別な方法を使っているということも考えられる。ところで、柴崎さんは立花百合という女性とは面識がありますか」
「総務課には何度か出向いていますから、顔と名前くらいは知っていますが、個人的にはそれほど」
「そうですか。私が総務課の社員に聞き込みをしたところでは、以前あなたと親しい間柄にあったことがあるという話もあるんですが」「そんなことは…」
「ありませんか?立花百合という女性を任意で引っ張れば、詳しい事情はすぐにわかってしまいますが」
「わかりました、上杉警部補。実は、彼女が入社してすぐ一ヶ月ほど付き合っていたことがあります」
「つまり、男女の関係にあったと」
「そうです」
「立花百合は、一時的にせよあなたの不倫相手だったということですね」
「不倫だなんて」
「でも事実ですからね。それで、どんな別れ方をしたのですか」
「私の方から一方的に別れ話を持ちかけました」
「とすると、彼女があなたのことを恨んでいても不思議はないわけですね」
「まさか、彼女が…」
「柴崎さん、しっかりしてくれないと。私が言ってのを忘れたのですか。この手のハイテク犯罪は怨恨が動機になることが多いのですよ。あなたの端末を経由してデータベースを荒らしているとなると、あなたに恨みを持っている人間の犯行だと考えるのが一番自然ではありませんか」
「確かに、そう言われればそうですが」
「最近、何か変わったことはありませんか」
「実は、自宅の家内宛に匿名の手紙がありました。私と米田美津子との関係を暴いた内容です。ご丁寧に写真付きでね」
「その手紙と写真を見せて頂けますか」
「それなら、うちの家内に頼んで下さい。家内はすっかり腹を立てて、将来何かあったときのために手紙と写真は大切な証拠として保管しておくと言い張ってましたから」
「わかりました。それではこちらから正式に奥さんに頼んでみましょう」
 柴崎はもう生きた心地がしなかった。自分の乱れた女性関係が白日のもとにさらされる日が間近に迫っているのを感じたからだ。そうなれば、当然自分は今の地位を維持することはできないだろう。左遷ならまだいい方で、下手をすれば会社に大損害を与えたということで、背信行為と判断されれば懲戒免職もあり得ることだった。
 柴崎加奈子は上杉警部補の話を聞いて、操作内容を公にはしないという約束で、証拠の手紙と写真を提出してくれた。柴崎は念のために指紋を採取しようとしたが、思った通り指紋は検出されない。犯人は相当に用心しているということだろう。おそらくは、この手紙を出した人間が犯人だということになる。そして、それは総務課の立花百合である可能性が濃厚だった。しかし、それを証明する手だてがない。上杉は考え込んでしまった。

《DNA鑑定》
 今日は、何やら深刻な面持ちで、上杉警部補が帝国商事の東京本社を訪れた。
「柴崎さん、今回の犯人を捕まえるのは、どうやら思っている異常に難しい」
「あなたの技術をしても、ですか?」
「そうですね。犯人がなかなかしっぽを表さないのです。ところで、柴崎さんの端末には犯人は無線でアクセスしてきている」
「それはどういうことですか」
「つまり、電話線や光ケーブルを通じてアクセスするには、特定のプロバイダーを経由することになりますから、そこから元のコンピューターを追跡することができるのですが、無線でアクセスされたら、発信源を特定するのは非常に難しいのです」
「携帯電話からアクセスするようなものですかねえ」
「いえ、携帯電話ならやはり特定のプロバイダーの管理課に置かれます。しかし、犯人は非合法な無線であなたの端末に侵入しているのです。しかも、警戒してアクセスの回数を極端に制限している」
「何か打つ手はないのでしょうか」
「あなたの端末に無線でアクセスしている瞬間に電波探知をするしかないでしょうね」
「つまり、四六時中私の端末を監視していなければならないわけですね」
「そうなりますか。仕事に多少の差し支えはあるかも知れませんから、あなたは内緒で別の端末を使用して下さい。ただし、この件は社内の誰にも秘密です。犯人は身近にいるはずですからね」
「わかりました。何でもご協力しましょう。その代わり、私の女性関係だけはどうか公になりませんよう、ご配慮願います」
「それに関しては、あなたの家庭状況も関係していることですから、こちらも最善を尽くしましょう」
「どうか、よろしくお願いします」
 その日から、柴崎の二十四時間監視体制が始まった。上杉を含めた捜査員三人の、三交代制である。上杉は、一番アクセスの可能性がある、勤務時間の時間帯を担当した。
 上杉たちの監視体制が始まってからちょうど二週間ほどが経過したときだった。上杉の目がきらりと光った。柴崎課長の端末に無線を使ったアクセスが起きたのだ。柴崎はすぐに他の二人に命じて、無線の逆探知を開始した。アクセスはほんの二分程度だったが、上杉警部補たちの逆探知は見事に成功した。場所は、湾岸沿いの廃屋だった。上杉の連絡を受けて、所轄のパトカーが数台、大急ぎで現場に向かった。
 その頃、出張先から抜け出した立花百合は廃屋工場に設置したパソコンを、大急ぎで始末している最中だった。もうそろそろ無線アクセスも限界だろう。三ツ井浩介の指示で、何の痕跡も残らないように、慎重にパソコンを段ボール箱に詰め込み、そのまま車のトランクに放り込んだ。おそらく、今頃はパトカーがこちらに向かっていることだろう。立花百合は大急ぎで廃屋を後にした。これでもう大丈夫だろう。上杉警部補たちが廃屋に到着する頃には、中はもぬけの空になっていることになる。
 上杉警部補たちが廃屋に到着したのは、立花百合が立ち去ってからほんの数分後のことだった。まさに危機一髪の犯行だった。
「遅かったか…。もうこれで犯人は二度と柴崎課長の端末にはアクセスしてこないだろう。最初で最後のチャンスを逃したことになる。俺としたことが、何という不始末だ!」
「上杉警部補、まだあきらめるのは早いです。科学捜査班を呼んで、犯人のどんな小さな痕跡でもいいですから、探し出しましょう」
「そんなことをして何になるんだね。肝心のコンピューターがないのだから、犯行を立証することはできないんだ」
「いえ、髪の毛一本でもいいんです。それをDNA鑑定にかけて、それが警部補の睨んだ被疑者のものと一致すればどうなりますか?」 上杉に執拗に迫ったのは、アメリカで科学捜査の最前線の勉強をしてきたばかりの、新藤伸一刑事だった。
「そうか、DNA鑑定か。よし、だめもとでやってみるか」
「はい、お願いします」
 上杉の連絡を受けて、大至急科学捜査班が現場に呼ばれた。彼らは、それこそノミ一匹逃さぬ綿密さで、廃屋の隅から隅まで探索した。そして、作業台の上に落ちていた一本の髪の毛を発見したのだ。
「警部補、ありました」
「そうか、あったか。悪いが、その髪の毛をすぐにDNA鑑定に回してくれるか。それと新藤君、君はすぐに帝国商事に行って、立花百合の髪の毛を入手してくれ」
「はい、わかりました。彼女の机の周辺に必ず何本か落ちているはずです」
「しっかり頼むぞ」
 
 新藤刑事の予想通り、廃屋の作業台の上から発見された髪の毛は、DNA鑑定の結果、立花百合のものと同一であることが判明した。(完全犯罪などあり得ないんだ。しかも怨恨が動機の犯行には必ず落ち度がある。日本の警察をなめてもらっちゃこまるぜ)上杉は長い闘いの終わりに、どっと疲れが出てくるのを感じていた。あとは、立花百合の逮捕状を申請して、本人の自供を待つだけだ。
 逮捕状を見せられて、最初は動揺した様子を見せた立花百合も、すぐに観念したのか、素直に警視庁に連行された。コンピューターの後始末のことだけを考えていた百合は、まさか自分の落とした髪の毛から足がつくなどとは考えてもみなかったのだ。さすがの三ツ井浩介もそこまでは考えていなかった。全ては柴崎課長憎さゆえの犯行だったから、上杉の言うようにどこかに穴があったのだ。
「立花百合さんだったね」
「はい、そうです」
「あなたは三ツ井浩介と特別な関係だったのかな」
「そんなんじゃありません。私は仕事に手を抜く人は好きじゃありませんから」
「それじゃあなぜ、三ツ井浩介の跡継ぎのような真似をしたんだね」
「それは、柴崎課長に復讐がしたかったからです」
「あなたと、柴崎課長の関係を詳しく話してもらえるかな」
「はい。私が入社してすぐ、柴崎課長の方から声をかけてきたんです。私は総務課の先輩たちからいろいろプレッシャーをかけられていたんで、そんな心細さからつい柴崎課長の優しい言葉にすがってしまいました」
「それで、男と女の関係になったんだね」
「はい、そうです」
「見返りは何だったのかね」
「見返りなんてありません。私はただ心の底から柴崎課長を愛していました。それなのに私の気持ちを無視して、一方的に別れ話を持ちかけてきたんです」
「しかし、君との不倫関係は、もし君にしゃべられれば柴崎課長にも大変不利な材料になるはずだ。それなのに、どうして君は別れ話に応じたんだい」
「男の浮気話には誰も興味は示さないけど、女の不倫関係には誰もが興味を示すから、課長との関係がばれれば、もう会社にはいられなくなるだろうって言われたんです」
「それだけ?」
「いえ、手切れ金として二百万円ほど都合してくれました」
「それじゃあ君、復讐する理由はないじゃないか。手切れ金を受け取っているんだろう?」「そうですけど、女の気持ちはそんなに簡単に割り切れるものではないんです。それに…」「それに、何だね」
「私、初めてだったんです、男の人とそういう関係になるの」
「そうか。柴崎課長はずいぶんといい思いをしたってわけか。ところで、君に無線とタイマーを使ったハッキングの方法を教えたのは三ツ井浩介に間違いないね」
「はい、間違いありません。でも、私が頼んで教えてもらったのですから、このことで三ツ井君の罪を重くしたりしないで下さい」
「法律はね、そんなに単純に割り切れるものではないんだよ。三ツ井浩介は共犯には間違いないわけだから、それなりの罪は覚悟しなければならない。だいたい、君たちの犯行で帝国商事は多大な損害を被ったんだよ」
「それについては、大変申し訳ないことをしたと思っています。どんなことをしても償うつもりです」
「償うってね君、何億円もの被害をどうやって埋め合わせるつもりなんだ」
「そんなに大きな損失なんですか」
「総務課にいた君が、損失額さえ知らずに犯行を重ねていたとでも言うのかね」
「すみません。私は柴崎課長が困りさえすればそれで良かったので」
「全く、素人さんはこれだから困るんだ」
「でも、社内の端末を不正に使用しているのは私たちだけじゃないんですよ」
「それはどういうことかね」
「それは…それは今は言えません」
「何か隠し事をすると、君が不利になるだけなんだよ」
「でも、いろんな人に迷惑がかかりますから」
「例えば、どんな不正利用の仕方があるかくらいは、教えてくれてもいいだろう」
「はい、そのくらいなら。例えば、個人的なメール送信とか、勤務時間中のインターネットオークションへの入札とか、それから…」「それから、何だね」
「会社の利益を横取りしたり」
「それは穏やかじゃないね、事実なら」
 警視庁のオフィスでは、上杉警部補と新藤刑事が疲れた表情で会話をしていた。
「警部補、三ツ井浩介や立花百合の犯罪行為は、どのくらいの刑罰に処せられるんですか」「おいこら、新藤君、君は刑事をしていてそのくらいの知識も持ち合わせていないのか?
アメリカ留学があきれるなあ」
「どうも面目ありません」
「まあ、新しい法律だから仕方ないか。これは不正アクセス禁止法に抵触するんだよ。刑罰としては一年以下の懲役または五十万円以下の罰金ということになっている。まだ平成十二年に施行されたばかりの法律だがね」
「大した罪にはならないということですか」
「何を言ってるのかね。どんな軽微な罪でも刑法犯になるわけだから、今後の人生には大きく影響しないわけにはいかないさ。それに帝国商事が民事訴訟を起こせば、会社が被った損害の支払いを求められることになる」
「どのくらいの額になるんですか」
「うん、正確に計算してもらわないとはっきりしたことは言えないが、十億は下らないだろうな」
「十億ですか。それじゃあ、一生かかっても払い切れないじゃないですか」
「もちろんそうだとも。だからね、犯罪は割に合わないということだよ」
「でも、帝国商事が他にも端末の不正使用があるということを公にしたくない場合には、民事に持ち込まない可能性もあるのではないでしょうか」
「そこなんだ。端末を個人的に利用しているなんていう話はどこにでもあるんだが、立花百合が会社の利益を横流ししているやつもいると言っていただろう。こっちが問題だ」
「どうしてですか」
「総務課が各端末を調べて発覚した犯罪行為であるにもかかわらず、警察への訴えがないだろう。つまり、公になるとまずい立場の人間が関係していたことになる」
「どうしますか」
「そうだなあ、立花百合の犯罪を立証する証拠を押収するという名目で、総務課の捜査令状を取ろう。その際に、社内の前端末のアクセス状況を調査したデータ表を押収するんだ。証拠を消される前にすぐにでも動かないといかんだろう」
「はい、わかりました」
 
 上杉警部補たちハイテク犯罪課の職員は、帝国商事東京本社総務課の捜査令状を裁判所から受け取ると、すぐに帝国商事に向かった。
証拠となりそうな書類は全て押収したが、肝心かなめの端末アクセス状況調査一覧表が見あたらない。それどころか、総務課の端末の履歴はすべて削除されていた。ハードディスクのデータも、営業に関係するものしか残っていない。(また先を越されたか)上杉はほぞをかんだ。コンピューターの専門家である自分が、帝国商事の事件に関しては常に後手後手に回っているのだ。もちろん、端末のハードディスクの中から、消去したデータを復元することは不可能ではないが、犯人もなかなかの知恵者と見えて、データは全て上書きされていた。上書きされたデータの下にあったはずのデータは読み出すことはまず不可能だ。上杉はしてやられたと思った。しかし、帝国商事で一番コンピューターに詳しい三ツ井浩介が留置場にいるというのに、いったい誰がそんな複雑な小細工をしたのだろう。
 上杉はすぐに犯罪課に戻って、帝国商事社員の過去の履歴を全て調べてみた。そして、水沼社長が某国立大学の情報工学科の卒業であることを突き止めたのだ。
「データを消去した犯人が水沼社長ということであれば、立花百合が口を濁した理由も理解できますね」
 新藤刑事はもう事件が解決したかのような弾んだ声で上杉に言った。
「そうだな。社長自らが会社の商品を横流ししていたとなれば、一大事だし、立花百合も水沼社長から何らかの口止めをされていたのだろうね。水沼社長なら、立花百合が驚くような額の金を動かすのもたやすいことだ」
「でも、データが上書きされているとなると証拠がないわけで…」
「新藤君、君も女性のことがよくわかっていないようだね。女性はね、二重三重の安全策を講じているものなんだよ。おそらく、立花百合はデータをディスクに保存して、どこかに保管しているに違いない」
「それでは、すぐに取り調べを再開しましょう」
 
 立花百合は、すっかり気の抜けたような顔をしていた。これなら、もう何もかも素直に白状するだろう。失うものは何もないのだから。上杉警部補は単刀直入に質問した。
「立花さん、あなた社員全員分の端末のアクセス履歴のデータをどこに隠しているのかな。水沼社長が開き直ったときのために、あなたならきっと安全策を講じているはずだ」
「どうしてそれを」
「刑事の勘ですよ。日本の警察をなめてもらっちゃ困るな」
「そうですか、もう駄目ですか」
「こうなったら全て白状した方がいい。捜査に協力してくれれば、あなたの罪も少しは軽くすることができるからね」
「わかりました。データディスクは、会社の更衣室の私のロッカーの中です。鍵は私のバッグの中にあります」
「おい、新藤君。立花さんのバッグをここに持ってきてくれないか」
「はい、わかりました」
 新藤が息せき切って、立花百合のバッグを持って取調室に駆け込んできた。
「それじゃあ、鍵を出してもらいましょうか」
「はい、これがそうです。それから、これは駅のロッカーの鍵です。バックアップディスクがそこに入っていますから」
「あなたも本当に用意周到だね。水沼社長も選ぶ敵を間違ったかな。ところで、社長からはいくらもらったのかね」
「五百万です。事件が無事終わったら、さらに五百万くれる約束でした」
「で、水沼社長は、横流しした商品をどうやってさばいていたんだね」
「インターネットオークションです。全く違う名前の会社を仕立てて、バイヤーズのオークションに出品していたんです。一円オークションでしたが、商品の質は最高だという評判が流れていて、常にものすごい価格で落札されていました。価格が思うように上がらないときには、社長の指示で私がさくらを務めるんです」
「つまり、わざと入札者に化けて、価格をつり上げるわけだね」
「その通りです。それでも市場価格よりは数段安いので、飛ぶように売れてました」

《インターネットの罠》
「しかし、水沼社長の横流しがばれなかったということは、商品管理課と総務課にまだ社長の息のかかった社員がいたということじゃないのかな」
「良くは知りませんが、総務課でアクセス記録を検索していたのは私だけではありませんから、当然いたと思いますが」
「とすると、会社ぐるみということにもなりかねないな。立花さん、あなたの柴崎課長に対する悔しい気持ちはよく理解できるが、あなたもまだ若いんだ。もう恨みは忘れて、新しい人生を考えた方がいいのじゃないかね。こうして捜査協力もしてくれたわけだから、できるだけ罪は軽くしてもらえるように私も頑張るから、ぜひ自分の将来を考えてもらいたいんだが」
「ありがとうございます。私もどうかしていたと思います。これからは、もっと自分の人生を大切にします。本当に、ご迷惑をおかけしました」
 
 上杉警部補は、水沼社長の犯罪に誰が荷担していたか、しっかりと把握した上で、水沼社長の逮捕状を請求しようと思った。そしてできれば、ハイテク犯罪にはハイテクの罠を持って応じてやりたいとも思っている。上杉は、新藤刑事を伴って拘置所の三ツ井浩介に面会に行った。
「三ツ井さん、立花百合さんは君の指示通りに動いたんだが、残念ながら現場に残されて髪の毛のDNA鑑定で、逮捕されたよ」
「そうですか。DNA鑑定ですか。日本の警察もハイテク時代を迎えたんですね」
「そりゃあ君ね、君のような犯罪を計画する人間が増えてきているんだから、警察としてもそれに対応できる捜査能力と捜査技術を磨かないといかんからね」
「それで、今日は僕に何か用ですか」
「君にもできれば捜査に協力してもらおうかと思ってね。もちろん捜査協力が得られれば立花さんと同様、君の罪も軽減することができるんだよ」
「それで、どんな協力をしろと?」
「君の知恵を借りたいんだ。君が協力してくれるという前提で捜査秘密を放すから、他言は無用だよ」
「はい、わかりました。何でも協力します」
「よし、それじゃあ話そう。実は君の会社の水沼社長が君の犯罪よりずっと以前から会社の商品を横流ししていたらしいんだ」
「でもデータベース上の矛盾は生じなかったわけですよね。とすると、社内に帳尻あわせをしていた人間がいるということですね」
「その通り。水沼社長は、横領した商品をインターネットオークションに出品して、その売り上げをたんまりと懐に入れていたらしい。そこで相談なんだが、ハイテク犯罪にはハイテクの罠で応じたいんだ。オークションの入札額をコントロールすることは可能かね?」「そうですね、それはオークションを管理している企業の協力さえ得られれば、簡単だとは思いますが」
「バイヤーズのオークションなんだ。それでどうすればいい?」
「バイヤーズのオークションを管理しているコンピューターで、水沼社長の出品している商品の入札額だけを、常に入力不能な状態にセットすればいいんです。それは一円オークションなんですか」
「そうだよ」
「それなら、一円以上の額が入札されたときに、アクセスを拒否するようなシステムを作り上げれば、商品は常に一円で落札されることになります」
「一円か…。それなら水沼社長も動かずにはいられなくなるな」
「そうですね。バイヤーズに問い合わせをすれば疑われるから、まずはコンピューター上の入札履歴を調べるでしょうね。そして、履歴がないことを不思議に思うでしょう。履歴は最初に一円を入札した人間だけのものしか残りません」
「すると、君だったら次にどうする?」
「そうですね、誰か他の人間を使って、直接バイヤーズのオークション担当者に事情を確認させると思います。常に一円入札者が一人だけというのはどう考えてもおかしいわけですから」
「ありがとう。それだけ確認できれば完璧だ。君も、おそらくは罰金刑で済むだろうから、今後の人生をよく考えるんだぞ」
「はい、どうもすみませんでした」
 
 上杉警部補は、捜査員を何人か連れてバイヤーズを訪ね、オークション担当者と綿密な打ち合わせをした上で、水沼社長の指示で入札状況の問い合わせに来た人間をまずは捕縛することにした。もちろん、バイヤーズには三ツ井浩介が言ったとおりの細工をしてもらった上でだ。さすがの水沼社長も、オークションの異変には驚くに違いない。
 その頃、上杉警部補が睨んだとおり、水沼社長は端末のオークションサイトを見ながら驚きの表情を隠せなかった。そして、すぐにインターホンで総務課の金井涼子を社長室に呼びつけた。
「何かご用でしょうか」
「金井君、これを見てくれ。オークションに出品した商品が、全て一円で落札されているんだ。しかも、入札履歴にはたった一人の記録しか残っていない。これはバイヤーズのコンピューター以上じゃないかと思うんだよ。電話は盗聴されているといけないから、悪いが君が直接バイヤーズに行って、入札状況を確認してきてもらえないだろうか」
「わかりました。でも社長、立花さんも逮捕されて、下手な動きをしたら私まで逮捕されることにはなりませんか」
「端末をいじるわけじゃないから、その心配はないだろう。それに君にも、それだけの報酬は払っていると思うが」
「それはそうですが、いくらお金をいただいても、警察のお世話になったら全ておしまいじゃありませんか」
「いやだと言うのかね。君がそういう気なら君の変わりの人間はいくらでもいるんだよ」
「クビということですね。わかりました。バイヤーズに行ってきます」
「ここまで関わったのだから、今更びくびくしても仕方ないだろう。状況が判明したら、当分の間はオークションに出品するのもやめにしようと思う。それでいいだろう?」
「わかりました。それではすぐに行ってきます」
「何かわかっても、絶対に私に電話はするなよ。必ず私のところへ直接報告に来てくれ」
「はい、その通りにします」
 水沼社長は、まんまと罠にはまってしまった。金井涼子の逮捕は目前に迫っている。
 水沼社長から半ば強引に頼み込まれた金井涼子は、その足ですぐにバイヤーズの事務所を訪れた。受付で案内を受け、オークション担当室のドアを開けた瞬間、涼子は唖然として言葉が出なかった。そこに、上杉警部補の姿を確認したからだ。
「金井涼子さん、ですね。まあ、どうぞこちらにおかけ下さい」
 バイヤーズのオークション担当者も立ち会いの下で、金井涼子は応接用のソファーに腰掛けるよう促された。もう、何を抵抗してもしかたがない。
「今日は、どういうご用件でこちらにいらしたのですか」
 上杉は意地の悪い質問をした。
「あの、オークションの入札の件でちょっとお聞きしたいことがありまして」
「帝国商事はインターネットオークションにも参入しておりましたかね」
「いえ、その、会社の用ではなく、個人的な用で、その、入札の調子が…」
「そうですか。あなた自身のオークション出品の件だと判断してよろしいのですね。扱われている商品は、間違いなく帝国商事が仕入れたものなんですがね」
「私じゃないんです。私じゃ…」
 金井涼子はもう半べそをかいている。
「金井さん、もう調べはついているんです。後は証拠固めをするだけだ。あなたが全て正直に話してくれないと、あなたの罪も相当重くなるということを覚悟した上で、質問に答えて下さいね」
 金井涼子はしかられた子供のように力なくうなずいた。
「あなたは水沼社長の指示で今日ここにやってきたのですね」
「はい、そうです」
「オークションに出品している商品は、帝国商事の仕入れたものを横領したと判断してよろしいですね」
「はい、その通りです。全て水沼社長の指示でした」
「横領はいつ頃から始まったのですか」
「もう半年以上前になります」
「すると、三ツ井浩介君がデータベースに不正アクセスをする前からということになりますね」
「はい、そうです」
「なぜ、総務課の職員はデータベースの異常に気づかなかったのですか」
「私が二重帳簿を作成していました。三ツ井さんが不正アクセスを始めたときは、私の二重帳簿さえ狂ってしまったので、すぐに水沼社長に相談したんです」
「それで、三ツ井君の不正アクセスだけを問題にしたということですか。なるほど、それなら水沼社長の横領がばれても全て三ツ井君のせいにすれば済むわけですからね」
「はい。あの、私はあのときにもうやめにしようと社長にお願いしたんです」
「それでも水沼社長はうんと言わなかったわけですか」
「はい、莫大な利益になりましたから」
「あなたも、仕事に見合うだけのものはもらっていたのでしょう?」
「月々、三十万円づつもらっていました」
「水沼社長の手にしていた利益からすれば、雀の涙ほどじゃないですか。どうして、そんな小さなお金のために人生を棒に振るような犯罪に荷担したのですか」
「それは…」
「それは、何ですか。全て正直に話してくれる約束でしょう?」
「はい、それは水沼社長が私の過去の秘密を握っていたからです」
「過去の秘密と言いますと?」
「私は、帝国商事に入る前、AV女優のアルバイトをしていました」
「つまり、学生時代にということですね」
「はい、そうです。そのビデオをたまたま水沼社長が見てしまったんです。それで、秘密をばらされたくなかったら協力しろと脅かされました」
「でもね金井さん、割の合う犯罪など世の中には存在しないんですよ。結局、水沼社長の悪事が暴露されれば、あなたの秘密も世間に知れてしまうことになる」
「それだけは何とかなりませんか」
「私たちが公表することはありませんが、水沼の証言の中にあなたのことは当然出てくるでしょうから、それをマスコミがかぎつけないとは限りません。そこまでの報道規制は敷けないのです」
「もう私の人生は終わりなんですね」
「それはあなた次第だ。あなたがもう一度ゼロからやり直そうという強い意志を持てば、人生はまだ開けるかも知れない。しかし、それはそんなにたやすいことではないでしょうね。それがあなたの犯罪に対する報いなのですから、仕方ありません。ただ、あなたが全てを正直に証言して捜査に協力してくれるなら、あなたの罪を軽減することはできると思いますよ」
「もう、どうなっても構いません。何もかも白状して楽になりたいんです」
「そうですか。それが人生をゼロからやり直すということです。私も応援しますから、ぜひ頑張ってもらいたい」
「刑事さん…」
 と言ったなり、金井涼子はその場に泣き崩れてしまった。それにしても、帝国商事という会社はどうなっているのだろう。立花百合も米田美津子も金井涼子も、みんな管理職の餌食になっただけのことではないか。女性の弱い立場を利用して甘い汁を吸おうなどというのはもってのほかだ。長引く不景気の中でただでさえ倒産していく会社が数多いというのに、帝国商事だけは運良く売り上げを伸ばすことができた。それだけでも感謝しなければいけないというのに、何ということだ。

《背任と横領》
 上杉警部補は、金井涼子の証言を得ると、すぐに新藤刑事ら数名の部下を連れて、帝国商事の社長室を訪ねた。
「これは上杉警部補、いろいろお世話になっております。で、今日は何のご用かな」
「水沼さん、あなたを特別背任と横領の疑いで逮捕します。これが逮捕状です」
「君は何を言っているのかね。私は何も責められるようなことはしていないよ」
「とぼけてもらっては困りますな。あなたの商品横流しに関しては、金井涼子と立花百合が全て話してくれましたよ」
「私は帝国商事の社長だ。社長が自分の会社の商品をどうさばこうと、私の勝手ではありませんか。刑事ごときにとやかく言われる筋合いはない」
「あなたも社会的に立派な地位にありながら常識のない方ですね。株式会社を名乗る帝国商事は株主に対して大きな責任を負っているのをお忘れですか。利益の横領はれっきとした背任罪です。まあ、これは調べればわかることですが、インターネットオークションであれだけの荒稼ぎをしていたあなたのことだから、税金だってきちんと納めていないのではありませんか。背任と横領の罪は、十年以下の懲役ですが、どんな判決が下るにせよ、あなたには横領した利益を全て返済する義務があるんですよ。何十億もの大金を、これから一生かけて償っていくのです」
「馬鹿馬鹿しい!帝国商事をここまで大きくしたのは私なんだ!その私をつかまえて、背任だの横領だのとふざけたいいがかりはやめてもらいたいね」
「どうもあなたには法律というものがわかっていないらしい。あなたが金井涼子に犯行を強要したことは脅迫罪にも問われる可能性がある。いずれにせよ、会社の利益は会社に関わる全ての人々のものなのです。あなた個人の資産ではない」
「何を訳がわからんことを言っているんだ。弁護士を呼んでもらおうか」
「どうぞご自由に。あなたの弁護士に、あなたがどれほどまずい立場にあるか、よく説明してもらうことですね。ああ、それからあなたから暴力団の海星組に大金が流れていたのもまずかったですな」
「そんなことは知らん」
「水沼さん、日本の警察をなめてもらっては困る。あなたのような人には、それなりの制裁を加えないとね」
「君は、私に楯をついて、これからどうなっても知らんぞ」
「あなたには味方も多いかも知れないが、その分権力のある敵も多いということを忘れてはいけませんよ。いくら莫大な資産があるからと言って、世の中が自分の思うように動くと思ったら大間違いだ」
「…勝手にするがいい。しかし、私を裁くことなど絶対にさせんからな」
「全くあなたはだだっ子のようですな。年齢だけは重ねていても、頭脳は子供並みだ」
「きさま、それ以上侮辱すると許さんぞ!」「それはこちらのせりふです。新藤君、こんな下らないやりとりをしていても時間の無駄だ。ご同行を願いなさい。ところで、水沼さん、一つだけ聞きたいことがある。何十億もの金をつかんで、あなたはこれから何をしようとしていたのですか。まさか墓場まで札束を持って行くわけにもいかんでしょうに」
「君のような貧乏人には所詮はわからんだろう。金はいくらあってもいいもんだ。あればあるほど、もっと欲しくなる」
「そうですか、まあいいでしょう。私は人生を棒に振るよりは、貧しくても幸せで自由な生活を楽しみたいですからね」
 
 水沼栄三は特別背任罪と横領罪によって、懲役六年の実刑判決を受けた。当然の事ながら、控訴と上告をしたが、判決が変わることはなかった。何しろ、反省するそぶりが全く見られないのだ。これでは裁判官の心象を悪くするだけだ。
 帝国商事は、副社長の高木勇作が株主総会で社長に昇格し、新しく商品管理のコンピューターシステムを開発することになった。また、水沼栄三の横領した三十億円近い利益は水沼の固定資産を売却することで、その三分の一ほどは回収することができたが、残りの二十億円弱は、水沼が一生をかけて払っていくことになる。また、コンピューターへの不正アクセスをした三ツ井浩介らは、警察の捜査に積極的に協力したということで、軽い罰金刑で済んだ。もちろん、帝国商事にとどまることは許されなかったが、三ツ井浩介を中心にして、正式にインターネットオークションへの出品企業を立ち上げた。札幌で磨いた浩介の熱心な営業活動を活かせば、業績も次第に伸びていくことだろう。浩介は立花百合と金井涼子も社員として迎えることにした。 一件落着した後の警視庁ハイテク犯罪課では、新藤刑事が単純な疑問を上杉警部補にぶつけていた。
「警部補、帝国商事で起きたようなインターネットを利用した犯罪は、他企業でも同様に起きているんでしょうか」
「そうだなあ、何とも言えないが、ひどい企業になると、顧客の個人データを専門の業者に漏洩している場合もあるんだ。インターネットの普及で、プライバシーの問題がこれだけ取り上げられているというのに、全く不謹慎な話だよ」
「ハイテク犯罪に対する罰則が軽すぎるということはありませんか」
「それも何とも言えんなあ。考えてもみたまえ。死刑があっても殺人事件は後を絶たないじゃないか。おそらく、いくら罰則を重くしても、コンピューターを自由に操る快感のようなものは、常に人間を犯罪に誘う魅力を持っているということなんじゃないか」
「コンピューター社会の避けて通れないハードルということですか」
「そうだろうね。コンピューターの製造会社がセキュリティーの強化を図っているが、それでもいたちごっこで、万全なセキュリティーなど存在しないから、ハッカーたちは次々に新手の侵入方法を企てるだろうよ」
「それが一種の楽しみなんですね」
「そうだな。麻薬と同じかも知れないな」
「それにしても、帝国商事では他にも端末を個人的に使っていた社員たちが多かったと聞きますが」
「そうなんだが、大きな犯罪行為でない限りは、会社側の管理責任の問題だから、我々が首を突っ込む余地はないし、そんなことに関わっていたら、それこそ馬鹿馬鹿しくてお茶を飲む暇もないぞ」
「いったい端末で何をしているんですか」
「いろいろさ。自分の女や男とメールのやりとりをしていたり、インターネットオークションに参加していたり、卑猥なホームページを閲覧していたり、もっとガキっぽいのになると、パチンコのゲームソフトをインストールしてそれで遊んでいたり、いろいろさ」
「端末の使用を細かく監視するシステムはないのですか」
「そりゃあ、金をかければそういうシステムを導入することは可能だが、会社側もある程度の不正使用には目をつぶっているんだろうね。液晶画面と向き合う仕事だから、ストレスがたまる。そのストレス解消になるのなら業務に大きく影響しない範囲内の、いわゆるお遊びには寛大な態度をとっているということなんじゃないだろうか」
「でも、そういうあいまいな管理体制が、結局は大きな犯罪につながったということですよね、今回の帝国商事の場合は」
「まあ、その通りだね。この事件がきっかけとなって、各企業では端末のセキュリティーに対する意識が大きく変わるだろう」

《インターネットオークション》
 三ツ井浩介の立ち上げた「三ツ井トレイディング」は、順調な売り上げを積み重ねていた。浩介は、市場調査や消費者の需要傾向を徹底的に分析して、生産者に対する親身な営業活動をモットーにしていた。卸売業者を介さない流通だから、中間マージンがない分、生産者にもある程度の魅力的な利益を保証することと、生産者のプライドを最大限に尊重することを忘れてはいけないと、営業担当の部下たちには口をすっぱくして指導していたのだ。生産者の信頼をなくしてしまったら、それこそ会社にとっては命取りになる。後はインターネットのデータ処理さえしっかり管理していれば、売り上げが下降線をたどることはないだろう。
 長引く不景気の影響で、消費者は少しでも安い商品を求めるようになっている。しかもある程度の市場価値を持った商品を、安価に手に入れたいという欲求だ。今までは、大手のディスカウントショップが消費者の購買欲を満たしていたが、ディスカウントショップ同士の自由競争の結果、商品の価格も最低限度のラインすれすれにまで落ちている。この状況が続けば、薄利多売の原理も意味がなくなってしまうだろう。需要は無制限ではないからだ。消費者などというものは、実に気まぐれなもので、売れ筋の商品が人気を持続できる保証などどこにもない。新たな商品が登場すれば、すぐにそちらに人気は流れるし、最終的に市場に生き残ることができるのは、やはりブランド品に限られてくる。そのブランド品を安価で供給するとなると、もはやディスカウントショップの守備範囲を大きく逸脱しているわけだ。そこで登場したのが、インターネットショッピングである。キーボード操作一つで手軽に商品を動かすことができるこの画期的な手法は、少なくとも今後数年間は商品取引の主流になるだろう。中間マージンと人件費を大幅に削減することで、ブランド品の安価な供給も十分可能になった。そして、オークションというゲーム感覚の市場が消費者の購買欲を駆り立てる。これは、いくら損をしてもパチンコから足を洗うことができない人間たちの心理と非常によく似ている。インターネットオークションで信じられないような得な買い物をした顧客は、次々にオークションで商品を落札していく。そしてやがては商品自体よりもオークションに参加することに目標が移ってしまう。経済的に破綻を来さない限りは、その麻薬効果は永遠に続くことになる。
 また、オークションサイトを経営するバイヤーズのような大手企業は、莫大な利益を基盤にして、「一円オークション」のような画期的な企画を打ち出すことに成功した。本来ならばとても手が出ないような高価な商品がうまくいけば一円で手に入るのだから、これに飛びつかない消費者はいないだろう。そして、赤字覚悟のこの企画でさえ、結局はある程度の価格に落ち着いてしまうのだから、利益はさらにふくらむ一方なのだ。問題は、顧客の個人情報をどのように厳重な管理下に置くかということだけになる。
 また、三ツ井浩介は会社の規模を社員十名以内の状態に保つことに決めていた。会社規模が大きくなれば、情報管理にも問題が生じやすいし、何より端末を各個人が操作するこの業種では、社員全員が経営に携わっているという強い責任感と使命感のようなものを持つ必要があると考えたからだ。それは、自分自身の帝国商事での経験が大きく影響している。大企業の歯車になってしまえば、自分の存在意義を感じることもほとんどない。データーベースのシステムを開発したといってもそれを使って商品管理をしているのは、他の社員だし、自分は液晶画面の自分の担当地区のデータだけをチェックしていて、それがどのように会社の利益に貢献しているのかさえ見えてこないのだ。それでは自分の存在感などどこかへ消え去ってしまうのも無理はないことだ。浩介が暇をもてあまして、次第に仕事に対する熱意を失っていったのも、そんな状況の中でのことだった。
 そういう経験などが役立って、「三ツ井トレーディング」のオフィスは常に活気に満ちていた。現在八名だけの小さな企業ではあったが、収益は莫大で、浩介は常に社員全員の会議を開いて、収支決算を全員に見える状態にするよう心がけた。そして、再生産に回す資金を除いた純利益は、社員に納得がいく形で報酬として分配していた。一人あたりのいわゆる月給は軽く手取り五十万円を超えていたから、社員が情熱を持って仕事に取り組みのも当然と言えば当然のことだった。自分が営業で開拓した新しい取引筋とのつきあいが軌道に乗れば、それが即売り上げに反映されるので、営業のやりがいもある。浩介は、新しい取引筋の開拓には歩合給を出すのも決して忘れなかった。大企業だけが生き残れる不景気な時代にあって、非常に新しい形態と発想のインターネット企業だった。考えてみれば、帝国商事でのデーターベースへの不正アクセス事件がなければ、今の浩介はないわけだから、まさに瓢箪から駒の珍事である。
 浩介が帝国商事札幌営業所に勤めていたころの取引相手だった白老町のアイヌ工芸家木下清蔵は、当然の事ながら帝国商事との取引を中止して、「三ツ井トレーディング」との取引一本に絞っている。不正アクセス事件を起こした浩介だが、木下清蔵にとっては、アイヌの文化に最大限の尊敬を払い、アイヌ文化を一生懸命本土に広めるために尽力してくれた貴重な営業マンだった。昔気質の清蔵はそんな浩介に対する義理立てを忘れたくなかったのだろう。
 仕事がすっかり軌道に乗った浩介は、曲がった執着気質にも大きな変化を見せていた。そして、立花百合との結婚話が進展している。これで男としても一人前になれるだろう。

《熟年離婚》
 一方、女性関係が発覚してしまった、帝国商事東京本社商品管理課長の柴崎幸彦は、妻の加奈子から離婚を求められ、それに応じることになった。米田美津子との関係だけでなく、立花百合との関係まで暴露されてしまったとなれば、もう何の言い訳もできない。五千万円の慰謝料だけですんだのが幸いかも知れない。柴崎の女癖の悪さは、社内でもすっかり評判になってしまったので、東京本社に勤務を続けるわけにもいかず、会社側も考慮に考慮を重ねた結果、三ツ井浩介の穴を埋めるべく北海道札幌営業所へ係長に格下げした状態で転勤を命じた。自業自得である。三ツ井浩介を失った札幌営業所は、それまでの顧客のほとんどが取引を中止してしまい、その中の何人かは三ツ井浩介の新しい会社との取引を希望した。営業所の売り上げは極端に落ち込み、その地盤回復の任務を任されたのが柴崎係長ということになる。もちろん、自分自身の足で営業して回らなければならない。それまでの楽な生活が、柴崎に営業マンとしての生活を余計に重く感じさせた。
 柴崎が、帝国商事に退職願を届け出たのは札幌営業所に転勤になってからちょうど一ヶ月した頃だった。依願退職なので一応雀の涙ほどの退職金は支給されたが、女性問題もからんでいるために、それなりの減額はされていた。柴崎はもう前向きな人生を送る気力さえ残っていない。噂では、退職後東京に戻ってきた柴崎は自宅を売り払い、ローンのの頃を全て返済し、その後どこかの公園で不老舎同然の生活に入ったということだが、誰もその情報を確認するすべを持っていなかったし、また確認しようとも思わなかった。柴崎の人生は、周囲の全ての人間の興味の対象から外されてしまったのだ。おそらく、これからは転落の人生をたどるだけだろう。まじめに勤務していれば、まだまだ出世もあり得たのに、人生は油断してはいけない。
「柴崎が会社を辞めたらしいよ」
 三ツ井浩介が立花百合に言った。百合にしてみれば思い出したくもない名前だったかも知れないが、浩介は柴崎の転落を知らせることが百合にとって少しでも慰めになるのではないかと思ったようだ。
「そうですか。かわいそうな人」
「かわいそうって、柴崎が?だって、立花さんは芝崎にいいように遊ばれたんだろう?」
 言ってしまってから浩介は後悔した。
「ごめん、変な言い方して」
「いいの。だけどね、だまされた私にも原因はあるんだから、あの人だけを恨む気持ちはないのよ。女ってだめね。そうやってすぐに上に流されちゃうから悪い男がいつまでも世の中からいなくならないんだわ」
「そんなもんなのか。僕は、そういう女性の心理には全く詳しくないから、だめだな」
「そんな言い方しないで。三ツ井君は純粋な生き方をしてきただけなんだから。でも、本当に私なんかでいいの?」
「何を今更いってるんだよ。僕には君が必要なんだ。過去なんか全く関係ない。僕みたいなケツの青い男で申し訳ないけど、ずっとそばにいてくれよ」
「ありがとう。もう三ツ井君なんて変ね。浩介さんでいいでしょう?」
「いいよ、百合。何だかちょっと照れくさいなあ」
 二人が結婚を約束してまでお互いに堅苦しい呼び方を続けてきたのには訳があった。それは浩介がちっとも百合に手を出さないからだ。百合はそのことで時々不安に陥ったが、女性経験のない浩介にとっては、百合は本当に大切な存在だったのだ。女としては早く抱いて欲しいという気持ちが強かったが、百合は浩介の気持ちを尊重したかった。浩介はと言えば、どうやって百合をホテルに誘ったらいいかもわからないし、百合のアパートに誘われても、どうやって手を出していいかわからない。まったくもってやっかいな男だった。百合は何度も自分から誘いをかけようかと思ったが、浩介がそれで深く傷ついてしまうことを恐れて、百合自身も慎重になっていた。最近では珍しいケースである。浩介に男としての性欲がないというわけではもちろんないのだが、最近の男性は男としての本能を失いつつあるのだろう。学者は環境ホルモンが男性の女性化を促進していると言うが、そんな理屈はどうでもいい。百合は女性としての歯がゆさに必死で耐えていた。しかし、さすがにある晩、自分のアパートで夕食を共にした後、百合はそれとなく浩介に言ってみた。
「ねえ、浩介さん、私、あのね、言いにくいんだけど、あなたに抱いた欲しい」
 百合は浩介の手をつかんで、自分の胸に触らせた。浩介はドキドキしている。
「だけど、百合、あのね、僕は何も知らないんだよ。ごめんね情けない男で。だから、今までもそうしたいと何度も思ったんだけど、どうしていいのかわからなくて」
「やり方なんてないの。自然でいいのよ。さあこっちに来て」
 百合は浩介を寝室に誘った。浩介の目の前には生まれたままの姿の百合がいる。浩介はもう気絶しそうだった。
「さあ、浩介さんも、裸になって」
「でも、僕、恥ずかしいよ。つまり、その」
「あそこが大きくなってるからね」
「ずいぶんはっきり言うんだな」
「それが自然なの。だから安心して服を脱いでちょうだい」
 浩介は、百合に促されるままに服を脱いだ。そして思いっきいり百合を抱きしめた。後はなるがままに熱い時が流れたのだった。
 百合を抱いた後のけだるさに包まれながら浩介は言った。
「何だかすごく幸せな気持ちだよ」
「私もよ。浩介さんとっても上手だったわ。自信を持ってちょうだいね」
「変なこと聞いてもいいかい」
「何?」
「僕が年をとって、今の仕事にかける情熱を失うようなことになったら、やっぱり君は柴崎の奥さんのように僕と離婚する?」
「そんな心配今からしていてどうするの?私は、あなたがいつまでもあなたらしくいてくれればそれだけで十分よ。でも他の女の人に手を出したりしないでね。その人がかわいそうだから」
「ああ、それだけは約束するよ。だいたい、僕は軟派の仕方なんかわからないから、その心配は全くないんじゃないかなあ」
「それはどうかわからないわ。水沼も柴崎も若い頃からあんな女癖の悪い男だったとは限らないでしょう。大金を手にした瞬間から、男の人は世の中の物も人間も、自分の自由になるような錯覚に陥ってしまうんじゃないかしら」
「そうかなあ。僕とは生きる世界が違うよ」

《オークション詐欺》
 「三ツ井トレーディング」もすっかり軌道に乗ったある日、データベースと入金状況をチェックしていた金井涼子が、どうも納得がいかないという顔つきで、三ツ井浩介のところにやってきた。
「ねえ、三ツ井君、どうも最近おかしいの」
「まさかデータベースへの乱入かい?」
「そうじゃなくてね、落札者の入金状況が極端に悪くなっているのよ」
「落札者はみんな同一人物なの?」
「いいえ、そうじゃないんだけど、でも何となくうさんくさい気がするの。でたらめの個人情報が入力されているんじゃないかと」
「それじゃあ、念のために未入金のうちの何人かに電話で確認してみてくれないか」
「わかったわ」
 三ツ井トレーディングは顧客の信用を第一にしているので、落札者の入金は商品到着後に指定のインターネットバンクまたは第一銀行の指定普通口座に代金を振り込むかたちになっている。口座への振り込み状況を確認してから商品を発送するシステムが一般的だが、それでは顧客はあまりいい気持ちがしないだろうという浩介の判断だった。そのシステムが現実に今まで順調な顧客数の伸びにつながっていた。ところがここで異常が発生したのだ。どうやら犯罪のにおいがする。電話の調査を終えた金井涼子が浩介のところに戻ってきた。
「どうだった?」
「やっぱり、個人情報はすべてでたらめだったわ」
「それじゃあ、商品も違う人間のところに届いていることになるよね」
「どうもそれも違うらしいの。誰かが、配送の時間帯に玄関先で商品を確実に受け取っているのよ」
「そうか、偽の人間になりすまして落札し、商品を持ち逃げするっていうことだな」
「どうやらそうらしいわね。何か対策はあるかしら。やっぱり、口座振り込みを商品発送の前にすませてもらうしかないのかなあ」
「それは最後の手段だよ。後払い方式が会社の信用度を高めてきたという実績もあるわけだから、できればその方法は維持したい。僕にちょっと時間をくれないか」
「それはいいけど、でもできるだけ早く結論を出してね」
「わかったよ。一両日中には対策会議を開いて対策案を提示するから」
 
 三ツ井浩介は、警視庁の上杉警部補を訪ねた。妙な縁である。かつては不正アクセスの被疑者だった浩介が、今度は被害を訴える側に立っているのだから。上杉警部補も、懐かしいお客の皮肉な相談に思わず吹き出してしまった。
「いやあ、すまんすまん。笑うなんて不謹慎だったね」
「いえ、仕方ありません。僕は前科者ですからね」
「まあ、そう言うなよ。コンピューター専門の君に相談を受けるなんて、こちらこそ光栄だよ。それで、犯人を訴えるつもりかね」
「いえ、犯行をやめさせることができれば、それで十分です」
「そうか。まあ、それは事の成り行きを見ながら考えることにしようじゃないか」
「それで、このような場合にはコンピューターの操作で犯行を防ぐのは難しいと思うのですが」
「そうだろうね。入力される落札者の情報が実在する人物のものだとすれば、確かに防ぎようがない。もちろん、人物確認をすることは会社の方針に反する訳なんだろう?」
「そうですね。それだけは、できれば避けたいのです」
「だったら、やはり罠をしかけるしかないだろうな。君のところでは貴金属類ももちろん扱っているね」
「はい、海外から直接輸入しています」
「それじゃあ、今度直輸入貴金属のキャンペーンを張ってくれないか」
「それはいいですが、キャンペーンを張ってどうするつもりですか」
「犯人は高価な商品を見逃すはずはない。落札者の個人情報からアトランダムに抽出した五十人ほどの人物の住所をを、一日十件ずつ監視するんだ。宅配便の発送期日を意図的にずらすことはできるね」
「もちろんです。なるほど、五十件も抽出すれば、その中にかなりの高い確率で犯人がいるということになりますね」
「その通りだよ。玄関前で商品を受け取った瞬間に現行犯逮捕することができる。逮捕してしまっても構わないかね」
「そういう計画でしたら、仕方ないですね。前科のある私ですから、遠慮したのですが被害届を出した方がよければそうします」
「そうか、君さえその気なら、こちらも動きやすい。さっそくキャンペーンの期日を決めてこちらに連絡してくれたまえ。ところで、会社の人間が関わっているということはないだろうね」
「それはないと思います。そのために、社員を増やさずにここまで頑張ってきたのですから。社員と顧客は信用したいじゃありませんか。こんな時代だからこそ、余計です」
「わかったよ。君の考え方を尊重しよう」
 
 三ツ井トレーディングのキャンペーンは大々的に宣伝され、オークションサイトは入札の嵐だった。そして、落札者の打ちからでたらめに抽出された五十人の顧客の家を監視していた警視庁の捜査員たちは、予想通りそのうちの一件で、玄関先で勝手に商品を受け取ろうとした人物を現行犯逮捕した。名前は、柴崎健二。帝国商事をやめて浮浪者となったという噂の柴崎幸彦の長男だった。
 警視庁ハイテク犯罪課の取調室に連行された柴崎健二は、上杉警部補をにらみつけていた。父親の転落の件で、相当周囲の関係者を恨んでいるのだろう。
「君は、元帝国商事東京本社商品管理課長柴崎幸彦さんの息子さんだね」
「そんなこと、調べればすぐにわかるんでしょう、どうせ」
「言っとくがね、君は現行犯逮捕なんだ。そんな開き直った態度で取り調べに応じると、あまりいい結果にはならないから、そのつもりでいたまえ」
「…」
 健二は少し神妙な顔になった。
「ところで、今回三ツ井トレーディングの落札詐欺に関しては、罪を認めるかね」
「はい」
「共犯は?」
「僕一人の犯行です」
「そうだろうか。全国各地の落札者を装ったということは、大学の友達にでも協力してもらったんじゃないのかね」
「いえ、僕一人の犯行です」
「まだ、張り込みが続いているということを忘れちゃいかんよ。別の人間がまた逮捕されれば、君は偽証罪にも問われることになる。若い身で、将来を完全に棒に振りたいのなら別だがね」
「…」
「まあいいだろう。君には黙秘権が認められている。しゃべりたくなければしゃべらんでも結構。ただし捜査に非協力的な態度だったということで情状酌量の余地はなくなるから覚悟をした上で答えた方がいい」
「共犯者がいた場合には、同じ罪に問われるんですか」
「決まってるだろう。もちろん主犯格の罪は重くなるが、共犯も厳しく罰せられる」
「…」
「動機はお父さんのことかな」
「なぜうちの親父だけが、惨めな思いをしなければならないんですか。端末を使った犯罪は他の社員も同じようにやっていたんでしょう。それに、三ツ井とかいうやつは、自分から不正アクセスを行っておきながら、軽い罰金刑で済んで、しかもその後すぐ新しい会社を設立するなんて、どう考えても不公平ですよ」
「君は、お父さんが会社の女性をだましていたことは知っているのかね」
「はい、ある程度は。でも、それだってひっかかる女の方が悪い」
「その女性にも親御さんはいるんだよ。親御さんも君のお父さんのことを相当に恨んでいるはずだ。君の理屈だと、君たち一家だけが被害者のように聞こえるが、それはとんでもない勘違いだ。君のお父さんが甘い汁を吸った分、苦い思いをした人たちがいる。それでもお父さんは会社をクビになったわけではないんだよ。自分が営業の苦労に耐えられなくて依願退職をしたんだから、それを他人のせいにするのはお門違いじゃないのかね」
「世の中は厳しいんです。だまされるやつが悪いんだ」
「ほう、そういう考え方なんだね。それじゃあ君の親父さんだって、誰にも文句は言えないじゃないか」
「だからって、親父が浮浪者になんかなる必要はないんだ」
「浮浪者を馬鹿にしちゃいかん。君のお父さんのように、自分から堕落して浮浪者になった人間もいるかも知れないが、永年勤めた会社に突然リストラされて、仕方なく浮浪者になった人たちだっているんだ。ところで、君は誰のお金で大学に通っているのかね」
「親父の慰謝料ですよ」
「五千万円の慰謝料だったね、確か」
「それがどうしたと言うんです」
「五千万円と言ったら、平均的なサラリーマンの年収の十年分だ。君たち一家にとっては大したお金ではなくても、一般の人がそれだけ稼ぐのは大変なことなんだよ」
「親父は、それに見合った能力があったんだから、それ相当の報酬がもらえて当たり前です。能力のない人間は貧乏な生活をするしかないじゃないですか」
「君のお父さんがどれほどの能力の持ち主だったかは知らないが、社会で認められるためには、能力以外に人間としての信用が大切なんだ。法律を無視するような人間には、法外な報酬をもらう権利はないと私は思うがね」
「刑事さんの言うことは理想論だ。政治家だって陰でいくらでも悪いことをしているのに警察は何もしないじゃないか。弱い者いじめばかりして威張ってもらいたくない」
「君だって浮浪者を馬鹿にしているじゃないか。君の態度も弱い者いじめじゃないのか」「とにかく、僕はあの三ツ井が許せない。だから仕返しをした。ただそれだけです。自分がしたことに後悔はありません」
「そうかね。君は詐欺罪に問われ刑法犯になるんだよ。君のお母さんもまともな生活を続けていくことはできなくなるだろうね。それと、もう一つ言っておくが、私の部下が調査したところによると、君のお父さんは暴力団海星組の口利きで、小さな不動産屋に再就職して働いているそうだ。そこは悪徳業者で有名でね、お年寄りから土地や財産を奪ったりしているんだよ。しかも、お父さんは毎晩のように銀座の飲み屋に行っては若い女性と派手に遊びまくっているそうだ」
「そんなの嘘だ!」
「嘘だと思ったら、いつか自分の目で確かめてみることだね。君のお父さんが本当に善良な人間だったら、帝国商事をやめずに、またゼロからやり直していたはずだとは思わないのかね。お母さんがどんなに苦しんだか考えたことがあるのかね。君も、刑務所でしっかり頭を冷やすことだ。君のような自分勝手な理論が通用するほど世の中は甘くないよ」
 警視庁のその後の調査で、柴崎健二に協力した四人の大学生が次々に逮捕された。それにしても、実際には詐欺による利益を目的にした犯罪ではないにせよ、立派な刑法犯であることには違いない。下らない犯罪に手を染めて前科を作ってしまうなんてもったいないことだと上杉は思った。
 
「というわけで、柴崎健二を含め全部で五人の犯罪であることが判明しました」
「そうですか、柴崎の息子さんが主犯格でしたか。あの、上杉警部補、怒らないで聞いて頂きたいのですが、実は僕は今回の被害届を取り下げようかと思うのですが」
「何ですって!それはまたどういう訳で?」
「いえ、元はと言えば、僕自身が自分の弱さに負けて帝国商事のデーターベースに不正アクセスを図ったことが全ての発端です。それを思うと、まだ大学生の彼らを、刑法犯として喜んで見ているわけにもいかなくて」
「しかし、三ツ井さん、あなたたちは罰金刑とはいえ、きちんと自分たちの罪に対する償いをしているんだ。もし、彼らをこのまま無罪放免にしてしまったら、きっと彼らは社会をなめてかかって、似たような犯罪を将来起こしかねないと私は思うんだが」
「少しも反省していないのですか」
「反省どころか、自分たちのやったことに後悔はないと豪語していますよ」
「そうですか。それでは、万が一次に犯罪を重ねるようなことがあったら、厳重に処罰するということで一筆書かせるというのはどうでしょうか」
「うん、そういうケースを経験したことがないので何とも言えませんが、あなたがどうしてもと言うのなら、そうしても構いませんけれど、裏目に出ればもっと重い罪を犯すことにもなるわけで、その方が彼らのためにはならないと私は思うのですがね」
「それでは、一筆書いた上で、五人そろって私のところに謝罪に来るということにしてはいただけませんか」
「わかりました。あなたが強くそれを望むのであれば、仕方ないでしょう。私としては警察の威信もかかっていますから、かなり強く脅させてはもらいますけどね」
「それは上杉警部補にお任せします」
「しかし、三ツ井さん、あなたも一回り大きく成長しましたな。会社を経営するということは人を育てるというわけですか」
「そんな、成長しただなんて。ただ、恨みは恨みしか買わないということを痛感しているんです。他人を恨むよりは、自分の人生を前向きに考えることの方がよほど大切だと、自分自身の経験から学びました」
「いいでしょう。あなたからも、そういう話をこんこんと聞かせてやって下さい」
「捜査員の皆さんにお手数をおかけしておきながら、本当に申し訳ありません。上杉警部補にも心から感謝しています」
「そこまで言わんでもいいですよ。それより立花百合さんと結婚されるという話を聞きましたが」
「ええ、そうなんです。上杉警部補のおかげでと言ったら変な言い方になりますが、あの事件がきっかけですっかり意気投合しましてね。僕は、女性関係が非常に苦手だったのですが、百合はそんな僕をやさしく見守ってくれました」
「それはめでたいことだ。式には私も呼んでいただけますかな」
「いえ、式は挙げないつもりです。社内でささやかな宴を設けるだけで、それで終わりにしようと思っているんです。社会を騒がせた僕らですから、大手を振って披露宴というわけにもいきませんよ」
「そうですか。まあそれなら、簡単なお祝い程度はさせてもらいましょう」
「どうぞお気遣いなく。警部補のお気持ちだけで本当に結構ですから」
 三ツ井浩介の希望したとおり、落札詐欺を働いた五人の大学生は、それほど反省した様子もなく三ツ井トレーディングに顔を出した。「君が、柴崎健二君だね。お父さんによく似ているからわかったよ。まあ、みんなそこに腰をかけなさい」
「何でまた僕たちが刑法犯になることを阻止したんですか?正義の味方を気取っていい気なもんだ」
「いやあね、君たちには会社に多大な損害を与えられたわけだから、僕の一声で君たちをこの世から抹殺することなど簡単なんだ。だから、口の利き方にだけは気をつけてもらいたいね」
 五人の顔は急に引き締まってしまった。
「柴崎元課長の件については、君たちが知らないことが山ほどもある。僕はここでその全てを説明しようとは思わないが、君たちも大人なら、あれだけの犯罪を犯した水沼社長の部下として働いていた柴崎課長が、君たちがいうような生半可な仕事をしていたわけはないということぐらい察しないとね。それが左遷で済んだこと自体不思議なくらいなんだ。それで僕らが恨まれても困るよ。僕らは、罰金刑とはいえ、立派な前科一犯だ。再就職だってできる状況ではなかった。今は順調に経営が成り立っているうちの会社も、最初は顧客の確保に大わらわだったんだ。だから、君たちにも同じ目に遭わせたいとは思わないんだよ。ただそれだけだ。ただし、上杉警部補にも言われたとは思うが、今度また同じような犯罪を犯すようなことがあったら、そのときは警察の手は借りないからそう思いなさい。世の中を甘く見るととんでもないことになるんだよ。君たち学生が思っているほど、世の中はきれい事ではすまないんだ」
「それはどういう意味ですか」
「僕の口からはっきりと言うわけにはいかないよ。ただ、一つの企業を経営するには、それなりのバックがついているということさ」「僕らを脅すつもりですか」
「よくわかっていないようだね。脅すというのは言葉だけで終わりということだ。僕が言ってるのは、言葉では済まないということだよ。それをどう捉えるかは君たちの自由だけどね。まあ、無事に人生を終えたければ、余計なことに首を突っ込むのはやめることだ」「おい、柴崎もういい加減に謝れよ。俺たちはこれ以上お前に巻き込まれるのはご免だ。この人のおかげで前科者にならずにすんだんだから、みんなでお礼を言うのが筋だろう」 仲間のうちの一人が柴崎健二をたしなめるように言った。
「わかってくれた人もいるようだね。でも謝罪の言葉などいらないよ。世の中言葉ほど信用できないものはない。君たちは行動で示してくれればそれでいい」
 五人は入ってきたときとは違って怯えた表情で事務所を後にした。もちろん浩介の言ったことは全てはったりである。
「ちょっと甘すぎるんじゃない?」
 浩介に抗議したのは立花百合だった。
「そうかも知れないね。だけどさ、立花さん、こっちが胸がすっとなるようなことをすれば、相手はそのことをいつまでも恨みに思うことになると思うんだ。そうなれば、また復讐を考えることになる」
「恨みは恨みしか生まないってことね」
「そう思うよ。あれで、また似たような犯行をするようなら、そのときは上杉警部補に厳しい対応をお願いすればいいことだよ」
「それがいいかも知れないわね。ごめんなさいね、私つい感情的になってしまって」
「いや、そんなこと。立花さんが感情的になるのは当然だから」
「何だか恥ずかしいわ。いつまでも過去を引きずるなんて」
「それは仕方ないよ。人間はそんなに簡単に過去を切り離せるものじゃないと思う。口で言うのは簡単だけどね」

《決断》
 三ツ井トレーディングの売り上げは、みるみるうちに大きく膨らみ、従業員八名では処理するのも大変な規模にまで発展していた。「社長、従業員を倍に増やして、経営規模を拡大するっていうのはどうでしょうね」
 現在、三ツ井トレーディングの営業を支えている大岡祐二である。肩書きは営業部長ということになっている。
「そうだなあ、輸送費などの面を考えると、全国に最低四店舗は展開しておくのがいいとは思うんだけど、会社の規模が大きくなればそれだけ末端の社員には目が届かなくなるだろう。そうすれば、また誰かが魔の誘いに惑わされないとも限らない」
「そうですね、それを考えると経営規模を拡大するのはリスクも大きいわけですが」
「しかし、今のまま売り上げが大きくなってくれるのはありがたいのだけれど、それではみんなの健康状態も心配になってくるから、どうだろう大阪にもう一店舗を構えて、西日本の取引はすべて大阪営業所で賄うというのは。従業員はやはり同じ八名でいく」
「それはいい考えだと思います」
「もし、みんなの同意が得られれば、大岡君、君に大阪支店長をお願いしたいんだけど、頼めるかな」
「僕が支店長ですか。僕なんかで大丈夫でしょうか」
「営業畑で活躍した人間が上に立たなければ、下の人間の苦労がわからないからね」
「三ツ井社長がそうおっしゃって下さるなら喜んでお引き受けしますが」
「そうか、じゃあお願いしよう。生産者を大切にする三ツ井トレーディングの精神をしっかり売り物にしてくれ」
「はい、わかりました。それで、新しい社員の人選はどうしましょうか」
「そうだな、まずは商品管理のプロを一人置かなければならないだろうから、立花さんか金井さんのどちらかに大阪支店を任せようと思うんだけど。後の人選は全て支店長の大岡君に任せるよ」
「ありがとうございます。商品管理は、まさか社長の奥さんにお任せするわけにはいきませんから、僕の方から金井さんにお願いしてみます。それでよろしいですか」
「ああ、そうしてくれるかい」
「はい、わかりました」
 三ツ井はすっかり社長が板に付いていた。あれこれ細かな指示を出すのは簡単だが、支店長を大岡祐二に任せたのなら、細かな人事は全て彼に一任するのがいい。人間は大きな責任を負わされれば、期待を裏切らないように一生懸命頑張るものだ。細かな指示を受ければ受けるほど、自分から頑張ろうという気持ちは萎えてしまう。浩介は、自分が帝国商事の社員だった頃、柴崎課長にあれこれ指示されて働く意欲を失っていった経験を忘れることができなかった。部下には絶対的な信用をおきたいではないか。
 金井涼子は大岡祐二の提案を快く引き受けてくれた。何しろ、実質副支店長の扱いなのだから、悪い気はしないだろう。今や、社員の収入はほとんど全員が三桁の大台に乗っていた。この不景気なご時世に、とんでもない利益をあげていることになる。従業員が二倍に増えても、今後の利益の伸びを考えたら、収入は同じ規模を保てるだろう。これで働く意欲がわかない人間などいるわけがない。ただ、三ツ井はこれ以上経営規模が大きくなることは避けたいと思った。帝国商事のようにいずれ大企業にまで成長することは可能かも知れない。しかし、そうなれば肥大化した組織のひずみが必ずどこかに出て来るだろう。今までの経験から、それだけは避けたかったし、今の収入でもう十分だった。人間、欲を出せばきりがない。経営規模をある程度で抑える代わりに、浩介は生産者を今まで以上に大切にしたいと思っていた。
 ある日、勤務が終わったばかりの百合が浩介の机の横に真剣な顔つきでやってきた。
「ねえ、浩介さん、私ね、できればこの東京を離れて暮らしたいなあって思うの。わがまま言ってるのはわかってるんだけど、東京にいるとついつい嫌なことを思い出しちゃってね、それで…」
「そうか、僕も百合に相談したいと思ってたんだ。実はね、この三ツ井トレーディングを大阪支店の大岡君に任せて、引退しようかと思ってたんだ」
「えっ?本気なの?」
「うん。何だか、インターネットの仕事に飽きちゃってさ。できれば、もっと人間同士のふれあいができる仕事に就きたいと思ってたんだよ」
「具体的な計画でもあるの?」
「あるよ。北海道の札幌に行って、そこでアイヌの木下さんたちの工芸品を中心に扱う卸売業をやろうと思ってるんだけど、どう?」
「北海道で暮らせるなんて、私は大賛成だけど、浩介さんがここまで大きくした会社をそんなに簡単に手放しちゃってもいいの?」
「もう十分稼いだじゃないか。これからは、利益ばかりを追求しなくても、のんびり生活していくことができるだけの財産は築いたよ。欲を出したらきりがない。それより、コンピューターとは少し離れた生活がしてみたいとは思わないか?」
「そうね。思えば、私たちの仕事はいつも液晶の画面と向き合ってばかりだったものね。それもいいかも知れないわ。それで、大岡さんにはもう話はしたの?」
「一応、そうなったときには彼が社長になって、三ツ井トレーディングから大岡トレーディングに社名変更することで承諾は得ているんだ。あとは、君の賛成が得られればOK」
「私は、大賛成よ。この東京都もさよならできるし、北海道は私のあこがれの場所だったのよ。広くて大きな大地で暮らしてみたかったんだ」
「なんだ、そうだったのか。もっと早く言ってくれれば、すぐにでも行動に移せたのに」「でも、何だか夢みたい。本当にいいのね?」
「もちろんだよ」
「それで、商品の宣伝や注文の受付なんかはどうやってやるつもりなの」
「宣伝は、大岡君にお願いしてインターネット上にバナーを掲載してもらうけど、注文は所定の用紙をダウンロードしてもらってファックスで受け付けることにするんだ。だから会社のオフィスにはコンピューターは置かないつもりだよ」
「何だか大岡さんには悪いわね」
「そんなことないさ。これだけ大きな企業を譲るんだ。それくらいのことは喜んでやってくれるよ。でも、商売が軌道に乗れば、宣伝もアナログで新聞広告とか雑誌広告でいこうかとも思ってるんだ」
「インターネット卒業ってわけね」
「そうだね。考えてもごらんよ、僕たちはまるでインターネット症候群にかかっていたみたいなものだとは思わないか。手軽にデータを動かす仕事をしているから、魔が差して手軽に犯罪にも手を染めてしまった。それが、どんな影響を周囲に与えるかなんて考えもせずにね。インターネットは世界中に張りめぐらされた電子網だから、ボタン一つで大変な混乱を招くこともできてしまう。そういう怖さに僕らは鈍感になっていたんだよ」
「そうかも知れない。コンピューターのキーボードをたたく代わりに、伝票にペンを走らせるなんて、なんだかわくわくしちゃうわ。それにインターネットは二十四時間営業だけど、アナログ経営ならお休みもちゃんと取れるしね。北海道の自然を楽しむ時間もたっぷりできるわね」
「僕たちの子供のためにも、その方がずっといいと思うよ」
「子供だなんて、恥ずかしい…」
 こうして、三ツ井トレーディングはその看板を大岡トレーディングに譲り、予定通りの簡素な結婚披露宴を済ませた浩介と百合は、札幌に向けて羽田空港を飛び立った。
 長い長いインターネット上の仕事から解放された二人は、目に見えない呪縛から解放されたような気持ちだった。「インターネット症候群」という病が実際に存在するかどうかは別として、コンピューター相手の仕事を続けていると、人間関係にも疎くなるし、何より仕事の重さを実感できなくなってしまう。非常に便利な機械ではあるが、コンピューターに使われるようになったとき、人間は何か大切な感覚を忘れていってしまうのかも知れなかった。それは「生きている実感」とでも言えるかも知れない。
 北海道で始まる二人の新しい生活はきっと幸せに包まれたものになるだろう。しかし、二人の子供はコンピューターと無縁の人生を送ることができるだろうか。
 浩介と百合はインターネットのイメージを払拭するために、会社名も「三ツ井物流」へと変更した。消費者がインターネットの便利さに慣れているせいか、最初の打ちはファックスの注文票も数えるほどしか届かなかったが、そのうち「大岡トレーディング」の宣伝が功を奏して、百合の伝票整理がてんやわんやになるほどの大盛況ぶりとなった。仕事が忙しいのは大歓迎だ。その代わり、会社の営業時間はきっちり朝の十時から夜の七時までと決めてあるし、週末の土日と祝祭日は休業日にしてあったから、しっかり休息をとることもできた。やがて、百合が最初の子供を身ごもると、木下清蔵の娘である玲奈が事務職として正式に社員に迎えられた。浩介は、北海道の海産物にも手を出すことを考えたが、小規模な会社を維持していくには、あまり手を広げない方が賢明だとの判断から、とりあえずはアイヌの工芸品を中心に、北海道ならではの産物に的を絞ることにした。
 三ツ井物流の上昇気流に乗るかのように、アイヌ文化に対する関心も高まり、札幌でアイヌ文化展が盛大に催されることになったときの木下清蔵の喜びようと言ったら大変な物だった。文字通り、盆と暮れと正月が一緒にやってきたような大騒ぎだ。三ツ井トレーディング時代に多額の貯蓄を築いていた三ツ井夫婦は、文化展の開催に一千万円の寄付金を出し、札幌市長から名誉市民として表彰されるというおまけまでついた。浩介たちの人脈も次々に広がり、コンピューターの向こうの見えない相手と商取引をしていた時代とは全く違う、地に足のついた人生を歩んでいる実感を、夫婦で楽しむこともできるようになった。二人は、北海道に来て、新しい会社を立ち上げることができて本当に良かったと思うと同時に、会社を陰に日向に支えてくれている多くの人々に心から感謝したい気持ちだった。あのまま東京にいたら、おそらく決して味わうことのなかった幸福感だったろう。

《大岡社長の誤算》
 順調な生活を送っていた浩介のところに、大岡祐二から電話が来たのは、北海道に住むようになってから一年ほどがたった頃だった。
「もしもし、三ツ井社長ですか、どうもお久しぶりです。仕事の方も順調なようで何よりです。それにもうすぐパパですものね」
「そうなんだよ。こんな自分が親父になるなんて、何だか信じられない感じだね。ところでどうしたんだい、珍しく電話なんかして」
「いや、実は三ツ井社長にぜひ相談したいことがありまして」
「会社、うまく行ってないの?」
「いえ、うまく行ってないどころか、三ツ井社長の土台がしっかりしていたおかげで、大繁盛ですよ。それで、社長には会社はできるだけ小規模で押さえておいた方がいいと言われていたんですが、ここで思い切って四国と沖縄に支店を拡張しようかと思っているんですが、どう思いますか」
「そうだなあ、自分としては考え方は以前と少しも変わっていないんだけれど、大岡トレーディングの取引量が増加を続けているとなると、東京と大阪の二店舗ではちょっときついだろうね。ただ、よほどしっかりした人材を支店長に起用しないと、インターネットの罠にはまることになるから、それだけは注意した方がいいと思うよ」
「私も、それを考えると、少しためらってしまうのですが、今の二店舗の社員の過労ぶりを考えると、このまま営業を続けていくことは非常に厳しいと判断しているんです」
「そうか、それなら仕方ないんじゃないかなあ。その代わり、何度も言うようだけど、支店長選びだけは慎重にね」
「はい、支店長候補は現社員の中の営業マンから選ぼうと思っています。営業マンとは言っても、沖縄支店は女性支店長になると思いますけどね」
「それは画期的だね。女性にしか思いつかない企画もあるし、何より女性社員の励みになるじゃないか。ところで、二つの支店の社員数はどのくらいを考えてるんだい」
「やはり十名前後で行こうと思います。商品管理のコンピューター作業は東京本社と大阪支店から一人ずつ課長の肩書きで異動してもらうつもりです」
「それもいい考えだと思うよ。君の考えを一番良く知っている人間がいいからね。それに昇進するというのは仕事の励みにもなる」
「ああ、やっぱり三ツ井社長に電話をして良かったですよ。迷いがぱっと消え去った感じです。ありがとうございました」
「そんな他人行儀はやめてくれよ。こちらこそ、大岡トレーディングの宣伝がなければ閑古鳥状態だったはずなんだから」
「いやいや、三ツ井社長の行動力なら、うちの宣伝なんかなくてもきっとどうにかなっていたはずですよ。私は、社長の行動力を見習って今の仕事をしているんですからね」
「まあ、そう言ってもらえると嬉しいんだけど、とにかくくれぐれも無理のないようにね。君が体をこわしてしまったら、船はどっちに向かって進み出すかわからないよ」
「はい、ありがとうございます。それではまた、支店の方の状況が落ち着いたら、連絡させていただきますので」
「うん、いい知らせを待ってるからね」
 
 大岡祐二が張り切っているだけに、浩介は否定的なことを言うわけにはいかなかった。ただ、やはり浩介の胸の中には、会社が大きくなると必ず誰かの心に魔がさすことになるのではないかという心配が強く残っていた。
しかし、自分も失敗から多くを学んできたように、大岡祐二という男が一回りも二回りも大きく成長するためには、多少のリスクを覚悟した挑戦は必要だとも思っている。浩介は大岡にもし何かあったら、万全の体制でバックアップするつもりでいた。
 しかし、ハイテク犯罪は抜け目がない。大岡トレーディングが経営規模を拡張してから一ヶ月もしないうちに、新手のハッカーが登場した。大岡トレーディングのインターネットオークションで落札した人間に、偽の落札メールを電送し、大岡トレーディングから届く正式な落札メールをブロックしてしまう。その結果、偽の落札メールに記載された振り込み口座に落札代金と郵送料等を振り込んでしまうと、そのお金はネットの網をうまく泳いで、入金した口座とは全く別の未知の口座に振り込まれるという念の入りようだった。どう考えても、こんなに手の込んだ操作をするくらいだから、社内の人間の犯行ではなさそうだ。大岡は頭を抱えてしまった。もちろん、札幌の三ツ井浩介にも相談した。
「三ツ井社長、とんでもないやつが現れました。うちの会社のデータベースに不正アクセスした上に、偽の落札メールを送りつけ、さらにうちからの正式な落札メールはブロックされてしまうのです。そんなことが素人にできるんでしょうか」
「悪質なウィルスだってばらまける時代だからね。不可能なことはないと思った方がいいと思うよ。だけど、これは完全に外部の人間の犯罪だから、すぐに警視庁の上杉警部補に被害届を出した方がいい。対策を練るのはそれからだね」
「わかりました。僕の方もいろいろ考えてみますが、三ツ井社長も何かいい対策があったらぜひお知恵を拝借させて下さい」
「もちろんだとも。僕にも少し考える時間をくれないか。相手は、大岡トレーディングないしは、前身の三ツ井トレーディングと何らかの関係を持った人間のような気がするんだ。とにかく僕も頭を整理してみるから」
「ぜひ、お願いします。僕は、これからすぐに警視庁に行って、上杉警部補に被害届を出してきます」
「そうだね。被害が大きくならないうちに何とか対策を練らないといけないからね。それにしても、次から次へとやってくれるよな」
「やはり、経営規模を拡張したのがいけなかったんでしょうか」
「それは結果論だからね。店舗数を増やさなければ、誰かが過労で倒れていたかも知れないじゃないか。自分の決断をそんなに責める必要はないさ。とにかく相手も人間だから、必ず穴があるはずだよ。その穴をどうやって探るか、これからが勝負だ」
「何だか、三ツ井社長の声は生き生きしていますね」
「アナログ生活に慣れてしまったから、久しぶりの刺激に腕が鳴るってことかな」
「頼りにしてますからね、三ツ井社長」
「君自身も知恵を絞ってくれなくちゃ困るぞ。これからだって、ハイテク犯罪は後を絶たないはずなんだからね」
「はい、それはもう覚悟しています。でも、三ツ井社長という強い味方がいますからね」
 それにしても今回のハッカーはかなり手が込んでいる。相当研究したに違いない。それでも上杉警部補の捜査方針は変わらなかった。この手の犯罪には、何らかの形で怨恨がからんでいる。大岡トレーディングの応接室には大岡祐二、上杉貴美警部補、そして三ツ井浩介の三人が膝を寄せて作戦を練っていた。
「やあ、こんな形でまた三ツ井さんと再会できるなんて思わなかったね」
「そうですね。僕もすっかりコンピューターとは縁のない生活でしたから、まさかまたハイテク犯罪の捜査に参加できるなんて思ってもみませんでしたよ」
「詳しい手口は大岡さんから聞いているんだが、今回のハッカーはかなり技術的にレベルが上のようだね。三ツ井さんの関係で、これほどコンピューターに詳しい人間はいたんだろうか」
「さあ、僕の知る限りではいなかったと思うんですが。警部補は犯人の目星をつけているんですか」
「いや、目星といえるほどの確証はないんだが、どうも気になる人物がいてね」
「それは僕や大岡君に関係のある人物なんですか」
「関係があるどころか、三ツ井さんとは一度面識がある」
「まさか、柴崎社長の」
「あなたが十分に脅してくれたようだが、人間の恨みというのはなかなか消えないものでね。それに、彼の正確はかなりの執着気質だと見ているんだ」
 たまらずに大岡祐二が口をはさんだ。
「それで、何かいい対策があるんでしょうか」
「対策を練っても、向こうは次々に新しい手を編み出してくるだけだろうから、今回も上手に罠を仕掛けて、逮捕する以外に解決法はないと思っている。前回は三ツ井さんのたっての願いで大目に見たんだが、今回ばかりは子供扱いするわけにはいかんだろうからね」
「警部補、私が第三者になりすまして大岡トレーディングのオークションに参加して、落札者になるというのはどうですか」
「私もその方法を考えていたんだ」
 大岡祐二が感心したように言った。
「なるほど、そうすれば三ツ井社長のところに偽の落札メールが届いて、そこに記載された振り込み口座に入金すればいいわけですね。でも、振り込まれた代金は巧妙に別の口座に移動してしまうわけですよね。それをどうやって追跡するんですか」
「そのために私たちのようなハイテク犯罪の専門捜査員がいるんじゃないか。振り込まれた金銭の動きは、銀行の了解を得て銀行のメインコンピューターで追跡することができるんだよ。その最終地点で部下が張り込みをするというわけだ」
「うまくいくでしょうか」
「とにかく犯人は恨みが動機で犯行を重ねている。そういう場合は犯人の行動にも大きな穴ができるものなんだ」
「なるほど。そういうことですか」
「とにかく、やってみるしかないだろう。大岡君は、とにかく会社がてんてこ舞いしている振りをしていてもらいたい。そのためにもできるだけ、いろいろな場所で会社の被害をわざと大袈裟に吹聴してもらいたいんだ」
「わかりました。そういうことなら、いくらでも協力できます」
「よし、これで作戦決定だ。それじゃあさっそく三ツ井さんにはオークションに参加してもらおう。できるだけ値段のはるものがいいと思うんだが」
「それなら、ビルマ産の最高級のルビーの指輪なんかがいいんじゃないでしょうか。事件が見事解決したら、百合さんにプレゼントさせてもらいますから」
「そんな大盤振る舞いをしていいのかい?百合は大喜びすると思うけどね」
「被害額を考えたら実に安いもんですよ」
「ところで、上杉警部補、柴崎課長のその後の消息はご存じなんでしょうか」
「それなんだがね、実は柴崎課長と思われる変死体が二ヶ月ほど前に東京湾で発見されたんだ。どうやら柴崎は、不動産会社の金をもに逃げしようとして、闇の連中に消されたらしい」
「そのことを柴崎健二は知っているのですか」
「おそらくはね。柴崎課長の奥さんには連絡をとったから、奥さんの口から当然伝わっているはずだろうね」
「そのことで彼は私たちを逆恨みしているということですか」
「可能性は十分にあると思う。もちろんこれは憶測の域を出ないんだが」
「そうですか。とにかく、まずは作戦を実行してみましょう。大岡君には今日にでもオークションサイトにビルマ産のルビーの指輪を出品してもらいます。僕が明日の朝一番で入札して、最終的には明日の夜には僕が落札者になるようにしようと思いますが、それでいいですか」
「結構。おそらく、落札直後に犯人から落札メールが届くはずだから、そうしたら代金の振り込み口座をすぐに私に連絡してもらいたいんだが」
「はい、そうします。何度もご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「いや、三ツ井さんが悪い訳じゃない。それにこれが私たちの仕事なんだからね」
 
 三ツ井浩介は胸にわだかまった複雑な思いをぬぐい去れないでいた。元をたどれば、自分が帝国商事のデータベースに不正アクセスしたことが全ての発端になっているからだ。
 浩介は、頭を冷やしたくて夜の東京の街をふらついてみた。行き交う人々の半数ほどが携帯電話を耳に当てたまま歩いている。道ばたに座り込んで必死に携帯の画面とにらめっこしている若者たちも大勢いた。進化した携帯電話からももちろんインターネットが気軽に楽しめる時代だ。これでは、どんなに警戒してもハイテク犯罪が姿を消すことはないのではないかと浩介は思った。
 無線ランの拡充で、モバイルと呼ばれる小型のノートパソコンから、インターネットに接続することも簡単にできる時代だ。もう、携帯電話をパソコンに接続する必要もない。目に見えない情報が、目の前の空間を自由に飛び交っている。その情報を捕まえようと思えば、簡単に捕まえることだって可能だ。無防備で飛び交う情報なのだから、誰に盗み見られても不思議ではない。無線の情報にアクセス制限をする技術が開発されるまでは、ハイテク犯罪は絶対になくならない。情報を暗号化したとしても、ハッカーはその複雑な暗号化のシステムを破ることに生き甲斐を感じるだけだろう。キーボードの操作で、口座から口座へのお金の移動も簡単にできてしまうのだから、犯罪を誘っているようなものだ。

《執拗な怨恨》
 三ツ井浩介は計画通り、大岡祐二がその夜に出品したビルマ産のルビーの指輪に入札を開始した。値段はみるみるうちに引き上げられ、千円で入札を始めた浩介が落札者に決まる頃には、落札額は何と三万八千円にまで達していた。実際の仕入れが五千円足らずだから、大岡トレーディングの儲けは莫大な額に上るが、もしその指輪が市場に出回れば、価格札に書かれる値段は間違いなく十万を下ることはないだろう。それがインターネットオークションの最大の魅力なのだ。驚くほどの安値での落札。市場価格は卸売業者を仲介することでかなり高価になっているが、実際に事業に関わって原産地から買い入れの仕事をした人間なら、日本国内の宝石店で貴金属類を購入する気にはとてもなれないだろう。
 浩介が落札者に決定してから五分後に、落札を知らせるメールが届いた。もちろんそれは大岡トレーディングの名前を語った偽の落札メールである。メールには代金を振り込むための口座名が書かれていた。「大東銀行さいたま支店普通口座」と書かれた後に口座番号が記されている。口座名義は「大岡トレーディング」になっているから、これでは落札者が騙されてしまうのも無理はない。浩介はすぐに警視庁の上杉警部補に振り込み口座名を連絡した。その連絡を受けて、上杉警部補は大東銀行と連絡を取り、入金された代金の流れをコンピューター上で追跡させてもらえるよう手配をすませた。もう犯人は捕まったようなものである。
 浩介は翌朝一番で口座への振り込みをすませた。コンピューターでの追跡開始である。浩介が振り込んだ代金は、何と大東銀行ではなく、いくつかの銀行を経由して、何と北海銀行の網走支店にまで運ばれてしまった。すぐに上杉警部補と警視庁の捜査員が数名、北海銀行網走支店まで飛んだ。上杉警部補たちが到着する前に犯人が口座から現金を引き出さないよう、網走署の私服刑事が店内で張り込みをしていた。上杉警部補たちは二時間半後に網走署の刑事たちと接触することができた。犯人はまだ何の動きも見せていない。
 上杉警部補は柴崎健二に面が割れているので、警視庁の刑事を二名だけ店内の残し、警部補たちは北海銀行の向かいにある喫茶店に陣取ることにした。午後四時頃だったろうか、閉店後の北海銀行のATMの前に一人の女がやってきた。それは何と、柴崎理彩だった。殺された柴崎幸彦の長女である。銀行側から確かに目的の口座にアクセスがあったことを確認して、張り込み中の二人の刑事が理彩を現行犯逮捕した。
 
 柴崎理彩はそのまま上杉警部補たちの手で東京の警視庁まで連行され、取り調べが始まった。
「あなたは、柴崎幸彦さんの娘さんだね。名前は柴崎理彩。間違いないね」
「はい、間違いありません」
「大岡トレーディングのインターネットオークションの収益を不正に奪取したことも認めるね」
「もう全て調べはついているんでしょう?でしたら、いちいち質問は必要ありません。全て刑事さんたちが調査された通りです」
「健二君はどこにいるんだね」
「健二は今回の事件には関わっていません。私一人の犯行です」
「しかしね、あなたはコンピューターの知識を大して持っていないんじゃないのかね」
「それは…」
「ごまかすと、罪が重くなるだけだよ」
「弁護士を呼んで下さい」
「ああ、いいだろう。しかし、あなたが積極的に捜査に協力しなかったということになれば、関係者の情状酌量の余地はなくなるからあまり我々を甘く見ない方がいい。それだけは言っておくからね」
 柴崎理彩はじっと下を向いたまま返事をしなかった。それは開き直った態度にも見えるし、また味方によっては脱力感に包まれているようにも見えた。
 その後の事情聴取の結果、弟の健二も計画に関わっていたことが判明した。健二は、姉の逮捕を知って、何と警視庁に自首してきたのだった。さすがにハイテク犯罪に手を出すだけのことはあって、もう逃げられないとなったときのあきらめも早い。二人の話では、柴崎幸彦が他殺体で東京湾に上がった後、母親の加奈子は電車に飛び込んで自殺をしてしまったらしかった。二人は両親の恨みを何とかして晴らそうと、今回の犯行に及んだのだが、どう考えても柴崎夫婦の不幸は三ツ井浩介たちの犯行が原因ではなかった。不幸の始まりは、明らかに柴崎幸彦の浮気なのだ。それさえなければ、柴崎家の不幸は始まらなかっただろう。家庭では見せることのない柴崎幸彦のもう一つの顔を、二人に見せてやりたいと、上杉警部補は思っていた。柴崎姉弟の中で、父親はあまりにも美化された存在でしかなかったからだ。父親はあくまでも社会の弱者であり、犯罪の被害者だった。しかし、父親が殺されてしまった今となっては、何を言っても始まらないだろう。
 三ツ井浩介の胸のわだかまりも、決して消えることはなかった。自分のちょっとした悪巧みが原因で、二人の若者が二度と取り返しのつかない人生の落とし穴にはまってしまった。上杉警部補からいくら慰められても、自分の最初の犯行さえなければ、何もかもが秘密のうちに過去のものとなって闇に葬られていたことだろう。自分自身は決して正義の味方を気取るつもりはなかったのだ。ただ単に帝国商事に復讐したかっただけだ。それを考えると、自分だけが幸せな生活を送っていくことには、消し去りがたい罪悪感を抱かざるを得なかったのだ。おそらくその罪悪感は一生消えることはないだろう。
 札幌に戻った浩介は、毎日少しずつおなかが大きくなる百合をいたわるように抱きしめながら、大きなため息をひとつついた。
「疲れたの」
「ああ、ちょっとだけね」
「まさか、あの柴崎課長の娘さんまで関わっていたなんて、驚きだわね」
「そうだね、人の恨みというのは、それほど深いということなんだろうね」
「私の場合は北海道まで逃げて来ちゃったし、柴崎もそれなりの制裁を受けているし、あなたとの赤ちゃんもできて幸せな生活を送ることができてるから大丈夫なのね」
「そうなのかなあ。僕は、君自身が人を許すことのできる優しい心を持っているからだと思うんだけど」
「それはどうかしらね。私も、浩介さんのデータベース侵入事件がなくてあのまま帝国商事で働いていたら、いつかは感情がどんどん不安定になって、もっと恐ろしい形で柴崎課長に復讐していたかも知れないわよ」
「結局は、人間って言うのは恨みに代わるような大きな幸せをつかむことができない限りは、一生その恨みを抱いて暮らしていくっていうことなのかなあ」
「怖い話だけど、きっとそうなんだと思う」
「あの姉弟は短期の懲役刑で済むだろうけど、出所したらどうするんだろう。また、僕たちに復讐をすることだけを考えて生きていくんだろうか」
「それはあの子たち次第だと思うわよ。今回は上杉警部補からお父さんの裏の顔を十分説明されたんでしょう?」
「ああ。でも、上杉警部補はおそらくそんな説明は素直に受け入れないだろうとも言っていたよ」
「でも、次にあの子たちがハイテク犯罪に手を染める頃には、不正アクセスに対する法律ももっとずっと厳しくなっているんじゃないかしら」
「それはあり得るね。でもね、きっといたちごっこだと思うよ。キーボードで簡単に犯罪が行える手軽さがなくならない限り、人間は常にハイテク犯罪の誘惑にさらされながら生きていくんだと思う。僕らみたいに、コンピューターから遠ざかった生活でも始めない限りは、人間らしいまともな生活を送ることはできなくなるんじゃないかなあ」
「私たちも含めて、子供の頃からコンピューターに囲まれて育った世代ですものね」
「そうだよ。外で木登りしたりどろんこ遊びをしたりする代わりに、家の中でテレビの画面とにらめっこしながら、コントローラーをいじる早さを競ってたんだからね」
「私たちの子供たちは、絶対にこの北海道の自然の中で、人間らしい子供時代を送らせてあげたいわね」
「もちろんだとも。でも学校の授業で情報の勉強をしなくちゃいけないから、コンピューターをいじらずに一生を過ごすわけにはいかないとは思うけどね」
「コンピューターと賢く付き合う方法をあなたが徹底的に教育してあげればいいわ」
「徹底的に教育することが、もしかしたらあだになって、かえってコンピューターそのものに対する興味を深めてしまう危険性だってあるかも知れないよ」
「だったら、何も教えなければいいわ」
「でも、本人たちが東京に出て仕事をすることを希望したら、僕らにそれを無視する権利はないと思うんだ。東京で仕事をするっていうことは、コンピューターとはべったりの生活にならざるを得ないし、コンピューター操作も自由にできない人間には、おそらく就職口もないだろうね」
「私たちにはどうすることもできないのね」
「そうだね。僕たちの世界がもうすでにコンピューターに支配されてしまっているということなんだよ」
 百合は心配そうにおなかをさすった。
《あとがき》
 私は自分自身が機械音痴を自称していたものですから、コンピューターをいじるのも周囲の仲間たちより十年以上は遅かったのではないかと思います。みんながカチカチとキーボードをたたいている状況の中にあって、スイッチの入れ方も知らなかったのは私ぐらいではなかったでしょうか。
 しかし、そんな私にも時代の流れは容赦なく襲いかかってきました。「これからはPCを使った授業を展開できない教師はリストラされるのではないか」という噂を聞いて、さすがの私もコンピューターを始めないわけにはいかなくなってしまったのです。それまでは、ただひたすらワープロで仕事をしていた私にとって、コンピューターはまさに腫れ物にでもさわるような存在でしかありませんでした。しかし、負けず嫌いの私は、セットアップも何もかも全て説明書を読みながら自分一人の力でやってみようと決心したのです。かれこれ十時間ほどもかかったでしょうか、それでもコンピューターはしっかりと動き出してくれました。機械音痴だと思いこんでいた私にも、少し自信のようなものがわいてきて愉快な気持ちになったのを覚えています。 私は非常に極端な人間で、いざコンピューターを始めるとなると、とにかく一挙に何もかもやろうとするたちで、デスクトップとノートの二種類のコンピューターはほぼ同時に買いそろえてしまいました。しかし、一度キーボードに触れてしまうと、コンピューターもそれほど厄介な代物ではなく、ワープロソフトをある程度使いこなせるようになるのにも一週間あれば十分でした。仕事の必要上からデータ処理も迅速に行わなければならなくなった私は、参考書をそばに置いて三ヶ月ほど深夜までの学習を続けましたが、それとても覚えてしまえばどうということはなく、今では簡単な処理ソフトなら自分でどんどん作ることができるレベルにまで達しています。あれほど機械音痴だと思っていた私が、それを機に、オーディオ機器にも果敢に挑戦するようになり、今では電気屋のような仕事も気軽にこなせるようになりました。人間の能力というものは実に不思議なものです。自分の気持ちの持ち方次第で、意外と能力は開発できるのだと言うことがわかっただけでも、大きな収穫でした。
 現在の私はインターネットオークションに結構夢中になっています。普通の流通の中で購入すれば非常に高価な商品が、インターネットオークションという、半ばゲームのような入札方式で驚くほど安く手に入れることができるのですから、こんな時代にあって小売店が生き残るのは至難の業でしょう。しかし最近世間をにぎわせているような「個人情報の流出」など、インターネットには大変危険な罠も潜んでいます。あまりいい気になっていると、いつその罠に足を取られるかわからない怖さが現代という時代にはあるのです。 この小説の中で起きたハイテク犯罪が、実際には可能かどうかは私にはよくわかりませんから、詳細については専門家の批判を受けてしまうかも知れませんが、そこはどうか大目に見て頂いて、コンピューターを駆使しながらも、アナログの生活を大切にするような生き方を、共に模索していきたいものです。
 私個人としては、コンピューターを使って仕事の時間を短縮することでできたゆとりの時間を、妻や愛犬と上手に楽しんでいくことができるようになれば最高だと思っています。また、インターネットのメールも最大限に活用しながら、筆書きの手紙を出すことも決して忘れないようにしたいとも思っています。コンピューターが悪であるとは思いませんが、人間がコンピューターに使われるようになってしまったときには、やはり何か大切なものが失われるのではないでしょうか。IT化が進む時代を生きる私たちは、そのへんの見極めをしっかりする必要があるのでしょう。
 ところで、最近電車を使って職場に通うようになったのですが、電車の中では携帯電話は少なくともマナーモードにしておいて欲しいと、車内放送でも再三注意されているにもかかわらず、いい年をした男性が平気で形態に向かって会話をしているのを見て、ああこの国にはもはや法律は無用になってしまったのだなあとつくづく思いました。隣に座っている人が心臓にペースメーカーをつけていたらどうするのでしょう。他人に致命的な迷惑をかけてしまうような事は、絶対に慎まなければなりません。
 こんな例一つをとってみても、インターネットの使用に関していかなるルールを作ったとしても、おそらく半数以上に人間はそれを守ろうとはしないと思います。そして、そんな軽い気持ちがやがては自分に大きな被害となって返ってくるのです。そのときになってあわててももう手遅れ。犯罪のない世界は、一般人の心がけ一つにかかっています。