『緑園の天使』 作者 石山 等
バス停のゴミ箱
「まったくさ、自分たちのゴミぐらい自分の家に持ち帰ればいいのにね。いくら、私たちの善意でゴミ箱が置かれてるからって、こんなにあふれ出るまで捨てなくたっていいじゃない。このゴミ箱これからも続けるつもり、幸子?」
「そうねえ、生徒会の奉仕活動の大切な一つだし、先輩たちからの伝統にもなっているわけだし、私たちの代で終わりにしちゃうっていうのも、ちょっと不名誉なことじゃない?亜希子はもうやめたいの?」
「別に、続けてもいいんだけど、せめて燃えるゴミだけにして欲しいわね。空き缶まで捨てるなんて、ひどいよ。」
「それじゃあ、空き缶用のゴミ箱を別に作ろうか。そうすれば、私たちが掃除するのにも便利じゃない?」
「そこまでしなくちゃいけないの?何だか、憂鬱な気分になってきたなあ。」
生徒会長の横山幸子は、愚痴ばかりこぼしている副会長の水沢亜希子のため息を聞いて、何だかおかしかった。亜希子は、愚痴をこぼしているわりには、生徒会一番の働き者だったからだ。湘南海岸のすぐそばにある、幸子たちの緑が浜中学校は、生徒会活動が盛んなことでも有名だった。バス停にゴミ箱を設置するというアイデアも、数年前から始まったものだ。大きなビニール袋を持って、ゴミ箱の中身を整理していた幸子と亜希子は、近くの歩道をいつもていねいに掃除している一人の老婆の存在に気付いていた。その老婆は、幸子たちがバス停のゴミ箱掃除に出かける時間には、たいてい歩道の掃除をしていたのだ。不思議な光景だった。
「ねえ、幸子、あのおばあさんなんだけどさ、いつもああやってていねいに道を掃いてるけど、この近くの人かなあ?」
「まさか、遠くからこんなところにわざわざやって来るわけないから、きっと近所に住んでるおばあさんよ。」
「それにしても、よく続くよね。飽きっぽい私たち現代っ子とは大違いで〜す。私なんか、いつゴミ箱掃除をやめようかと、日々チャンスをうかがっているのだ。」
「うそばっかり。亜希子なんか、愚痴ばっかりこぼしてる割には、ゴミ箱掃除を一生涯の仕事にしようと計画してるんじゃないの?」
「馬鹿言わないでよ。私は看護婦さんになって、世の中の不幸な人々を助けるのよ。」
「病院のゴミ箱掃除をしてでしょ?」
「あんた、私に喧嘩売る気?」
「冗談冗談。謝るから、許して。」
いつものようにゴミ箱の中身をビニール袋に移し替えると、幸子たちはさっさと生徒会室に引き上げていった。後に残ったのは、空っぽになったゴミ箱と、歩道のそうじをゆっくりとしている老婆だけだった。何となく寂しげな光景である。だいたい、歩道にゴミを捨てるのは若者に決まっている。まあ、理性のある大人でも、たばこのポイ捨てをする人もいるが。とにかく、そうやって心ない人たちに汚された歩道を、もう90歳近い老婆が背中を丸めて掃除しているのだ。これが現代社会の縮図なのだろうか。
ミーティング
生徒会室に戻った幸子たちは、いつものように放課後の簡単なミーティングを始めた。司会は真面目少年で通っている副会長の西田順一である。彼が司会をすると、ミーティングの雰囲気がやけに堅苦しくなる。5分で終わる話が20分になったり、真面目にもほどがある。
「それでは、みなさん、定例のミーティングを始めます。最初に生徒会長の横山さん、お願いします。」
「ねえ、西田君、そんなに堅苦しい言い方じゃなくてさ、もっと気楽にやってくれていいのよ。みんなも気軽に意見が言えなくなっちゃうしね。それはそうと、最近はバス停のゴミ箱の中身がいろいろなの。せっかくビニール袋に集めてきても、もう一度ゴミの仕分けをしなければいけないから、二度手間よね。バス停のゴミ箱を増やして、種類別にしたらどうかしら。」
すぐに意見を言ったのは書記の太田賢治だった。彼は愛想のいいひょうきん者で通っている。 「いいけどさ、果たしてちゃんと種類別に捨ててくれるかな。ほら、コンビニの前にも種類別のゴミ箱が置いてあるけど、中を見るとけっこういい加減だよ。それにゴミ箱の外にわざと投げ捨ててあるものもあるし。あんまり効果ないんじゃないかな。」
次に発言したのは1年生で会計の坂井静香だった。静香はあどけない少女の面影が残る美少女で、さわやかな性格が男子の間でも人気を呼んでいた。
「あの、会計の立場で言うんですけど、新しいゴミ箱を増やす予算がないんです。だから、横山先輩の意見は実行不可能だと思うんですけど。」
「あれ?僕たちってそんなに貧乏だったっけ?ゴミ箱ぐらい、何とかなるんじゃないの?」
とぼけたことを言っているのは、同じ会計で1年生の木島太郎である。彼はのんきな性格で、細かな会計の仕事は全て坂井静香に任せきりだ。生徒会にいくら予算が残っているかなんて、知っているわけがない。1年生の二人が発言したので、同じ1年生で書記の村井敬子も何か言わないわけにはいかなかった。
「あのう、私はゴミ箱は一つで十分だと思います。二度手間でも私たちが分別し直せば済むことだし。」
「そう。みんなの話をまとめると、ゴミ箱を増やすのはちょっと無理みたいね。それじゃあ、分別作業はちょっと面倒だけど、これからもみんなで協力して頑張りましょうね。私からはそれだけよ、西田君。」
「他に何か話題のある人はいますか?」
みんな、そろそろ部活に行きたいという顔だ。生徒会の仕事をしていると、部活に出れないことが多いから、普段のミーティングぐらいは手短に済ませたいのだ。
「それでは、これで今日のミーティングを終わります。ただ、この後ゴミの分別をしてから解散になりますので、みなさんもう少し頑張ってください。」
働き者の水沢亜希子がみんなに声をかける。 「さあ、さっさと仕事を片づけて、部活に行きましょう。みんなでやれば、10分で終わっちゃうわ。」
亜希子のかけ声でみんな一斉に仕事に取りかかった。さすがに精鋭揃いの生徒会である。10分どころか5分で終わってしまった。役員たちの部活は様々だった。ここで生徒会のメンバーを改めて紹介しておこう。
☆生徒会長…横山幸子(2年)・吹奏楽部
☆副会長…西田順一(2年)・野球部
☆副会長…水沢亜希子(2年)・吹奏楽部
☆書記…太田賢治(2年)・サッカー部
☆書記…村井敬子(1年)・テニス部
☆会計…木島太郎(1年)・卓球部
☆会計…坂井静香(1年)・ソフト部
★生徒会担当…清原雅彦(2年担任)
数学・ソフト部顧問
緑が浜中学校の生徒会は、土曜日の放課後に定例の会合を開くほか、バス停のゴミ箱清掃をすることになっている月・水・金の3日間の放課後に、短いミーティングを持つことになっていた。生徒会の仕事は多忙を極め、各常任委員会への指示や、募金活動、校内球技大会、新入生への学校説明会と部活説明会、中央委員会と生徒総会、学期末の大掃除時の校外ボランティア活動、そしてバス停のゴミ箱清掃である。七人のメンバー全てが活発に部活動も行っているし、生徒会担当教師の清原にしても、ソフト部の顧問として放課後はなかなか自由な時間が作れなかった。活動規模を縮小しようにも、「伝統」という言葉の重みに負けてしまう。
一人暮らしの老婆
その日の帰り道、幸子と亜希子はけらけら笑いながら、吹奏楽部の噂について夢中になって話していた。
「ねえ、知ってる?ソフト部の清原先生とうちの部の池永先生って、あつあつなんだって。」
亜希子は目をランランを輝かせながら、幸子に言った。
「それって、本当なのかな。ただの噂じゃないの?それとも、二人がデーとしてるところを誰かが目撃したとか?」
「そうじゃないんだけどね、この間職員室に行ったときも、二人はすごく仲良さそうに話してたわ。あれは完全にできてるよ。」
「仲良く話してたら恋人同士になるわけ?それだったら、あんたと太田君も仲良く話してることが多いから、できてるんだ。」
「冗談じゃないわよ!なんで私があんな吉本興業の回し者みたいなやつとできてなくちゃいけないのさ。私はね、もっと口数が少なくてりりしいタイプが好きなの。太田君とは、正反対じゃない。」
「ほら、そうでしょ。だから、清原先生と池永先生も、ただのお友達かも知れないじゃない。♪噂を信じちゃいけないよ♪」
「それ大昔の山本リンダの歌ね。あんたって本当に懐メロなんだから。」
「亜希子だって知ってるんだから大したものよ。とにかく、二人のことはどうでもいいじゃない。私たちがとやかく言う問題でもないし。」
「あんたって、本当に冷静なんだから。私は、いつか証拠をつかんでやるんだ。」
芸能レポーター気取りで張り切っている亜希子の興奮ぶりが、幸子にはやけにおかしく思えた。誰が誰と恋しようと、そんなことは他人には関係ない。幸子は芸能人の結婚とか離婚とかの話題にもちっとも興味がなかった。それよりも、私生活を公表して人気取りをしている一部の芸能人を軽蔑さえしていた。
「ところで幸子、歩道を掃除してたあのおばあちゃんだけどさ、私、なんだかすごく気になったの。だって、とっても寂しそうなんだもん。」 「そう言えばあまり楽しそうじゃなかったわね。何か事情があるのかしら。」
「ねえ、あさってのゴミ箱掃除の時におばあちゃんに話しかけてみない?」
「いいわよ。私も気になるから。」
水曜日の午後は小雨が降っていたが、幸子たちは予定通りゴミ箱掃除に出かけた。
「今日は雨が降ってるから、おばあちゃんも掃除してないんじゃない?」
幸子の予想は見事にはずれた。驚いたことに、老婆は傘もささずに掃除をしているのである。幸子たちは、ゴミ箱掃除そっちのけで、急いで傘を持って老婆の所へかけつけた。
「あのう、こんにちは。おばあちゃん、雨に濡れて風邪ひいちゃいますよ。この傘使ってください。」
幸子の差し出した傘を、老婆は有り難そうに受け取って言った。
「ありがとう。優しい娘さんじゃね。でも、あんたが濡れちまうじゃないか。」
「私は、亜希子と一緒の傘に入りますから。私、緑が浜中学校で生徒会長をしている横山幸子と言います。こっちが、副会長の水沢亜希子です。」
「水沢です。おばあちゃん、どうしていつも歩道の掃除なんかしてるんですか。おばあちゃん一人じゃ大変だし、私、いつも不思議に思ってたんです。」
「他にやることがないからね。少しはみなさんのお役に立とうと思って。」
「あの、失礼ですけど、おばあちゃんはこの近所に住んでるんですか。」
「あんたたちの学校のすぐそばじゃよ。裏門を出るとすぐ右の方に黒い瓦屋根の家が見えるじゃろ?」
「ご家族と一緒に?」
さすがに芸能レポーターの亜希子の質問は、次から次へと飛び出してくる。
「一人暮らしさ。他には誰もおらん。」
「食事なんかも全部おばあちゃんが作るんですか。誰か親戚の人とか・・・・」
「弟夫婦がいるんじゃけど、住んどるのは大磯じゃからね。それはそうと、今度うちに遊びに来ないかね。いつも一人でつまらんからのう。」
亜希子は幸子と顔を見合わせた。どうらや意見は一致したようだ。
「それじゃあ、明日の帰りに寄っていいですか。私と幸子と二人で行きます。」
「もちろんじゃとも。楽しみに待ってるよ。」 「それじゃあ私たち、ゴミ箱の掃除をしなくちゃいけないんで、これで失礼します。」
普段は現代っ子の代表のような亜希子が、やけに緊張して、ていねいな応対をしている。
「この傘、明日返せばいいかね。」
「もちろんです。それより、あばあちゃん、雨の中で掃除してて、風邪ひかないように注意してくださいね。じゃ、行こうか幸子。」
亜希子は幸子の傘を自分の傘のように言っている。緊張気味の亜希子を見ていて、幸子は笑いそうになってしまった。
「ちょっと待ってよ亜希子ったら。私の傘はおばあちゃんに貸しちゃったのよ。私は風邪引いてもいいわけ?」
「あっ、ごめんごめん、幸子のことすっかり忘れてた。でも、あのおばあちゃん何か不思議な人ね。私、ちょっと緊張しちゃった。」
「そうね、いつもの亜希子らしくなかったわね。いつもだったら、もっと言葉遣いも乱暴だし。『風邪ひかないように注意してくださいね。』だって。おかしいんだから。」
自分の声色を幸子に真似されて、亜希子はちょっとふくれっ面になった。もちろん本気で怒っていたりはしない。二人の会話はいつもこの調子なのだ。まるで姉妹のように仲がいい。
戦争の傷跡
翌日は吹奏楽部が休みだったこともあって、幸子と亜希子は学校が終わるとすぐに、裏門を出て老婆の家に向かった。目的の家は平屋建ての一軒家で、古びてはいたがしっかり手入れが行き届いている感じがした。表札を見ると、「村田」と書かれている。
「おばあちゃんの名前、村田って言うんだね。一人暮らしか・・・・寂しいだろうな、すごく。」 亜希子はすっかり老婆に情が移っていた。
「亜希子、とにかく中に入って見ようよ。」
「ごめんください。こんにちは。」
しばらくすると玄関の開き戸を開けて、割烹着姿の老婆が姿を見せた。
「よく来たのう。さあ、きれいなうちじゃないけんど、上がっておくれ。」
老婆は久しぶりの訪問客が本当に嬉しそうだった。玄関に入ると煮物のいい匂いがする。どうやら、幸子たちのために老婆が腕を振るった料理を作ってくれていたようだ。
「失礼します。」
「わあ、いい匂い。おばあちゃん、何作ってるんですか。」
育ち盛りの中学生は、放課後になればもうお腹の虫が鳴き始める。特に、亜希子は食欲旺盛だった。茶の間に通された二人は、目の前のちゃぶ台の上に用意された煮物に目を見張った。見るからにおいしそうである。亜希子は、本当にお腹の虫が鳴いてしまった。
「やだ亜希子ったら、もうお腹空いたの?女の子なんだから、少しはお行儀よくしなくちゃね。お腹がグーッて鳴ったわよ。」
「そんなこと言ったって、私が鳴らしたわけじゃないわよ。お腹が勝手に鳴いたんだからしかたないでしょ。幸子だって、お腹空いてるくせに、一人でかっこつけちゃってさ。」
たわいもないことで言い合いをしている二人の所へ、老婆がお茶を入れて持ってきた。
「さあさあ、お腹もすいたじゃろうに。これはのう、わしがお母ちゃんから教わった煮物なんじゃよ。味は、先祖代々保証付きさね。どうぞ、召し上がれ。遠慮はいらんからの。」
「それじゃあ、お言葉に甘えて、いっただっきま〜す!ほら、幸子も食べようよ。」
「そうね、じゃおばあちゃん、ごちそうになります。」
「おいしい!こんなの今まで食べたことない。おばあちゃんてすごいんですね。もう、感激だわ。もっと食べちゃおうっと。」
亜希子はやたらと感激している。そう言えば最近の若い主婦たちは、煮物が上手にできる人はそんなに多くない。亜希子にとっては、本当に珍しい日本の味だったのだろう。
「おばあちゃん、本当においしいです。私のお母さんもこんな風に料理ができたらいいのになあ。私、おばあちゃんにお料理習いに来ようかしら。花嫁修業だわ。」
幸子までとんでもないことを言い出した。老婆はそんな二人の感想を笑顔で聞いている。老婆の名前は村田志乃と言った。年齢はもう90歳近い。いつも歩道の掃除をしている姿を見たら、とてもそんな年齢には見えなかった。
「おばあちゃん、もうそんな年齢なんですか。それなのに、いつも掃除やってて、お元気ですね。うちのおばあちゃんなんか、まだ70歳を越えたばかりだというのに、いつも家の中にいて、テレビばっかり見てる。少しは、おばあちゃんを見習えばいいのに。」
「ほれほれ、自分のおばあちゃんをそんな風に言うもんじゃないよ。人にはね、それぞれの苦労ってもんがあるんじゃ。まだまだ若いあんたらには、わからんだろうがね。」
大した家具もなくこぢんまりした部屋の隅に仏壇があるのを幸子が見つけた。仏壇の上の壁には中学生くらいの女の子の写真と、30歳くらいの男性の写真が飾られていた。黒く縁取られたその写真の男性は、どうやら軍服を着ているようだった。毅然として前を見つめている。
「ねえ、おあばちゃん、あの写真の人誰ですか。・・・・こういうのって、聞いちゃいけないのかなあ。ごめんなさい、おばあちゃん。」
「いいんだよ。あれはうちの旦那さ。特攻隊って知っとるかね。」
「ああ、それならきのう歴史の授業で習ったばかりだわ。片道の燃料しか飛行機に積んでもらえなくて、死を覚悟で敵に向かっていったんですよね。出発の前に家族にあてた遺書を書いて、それが今でも本になってるって、先生が言ってました。」
亜希子は歴史の授業が大好きだった。嫌いな数学の授業の時は眠そうな目をしているくせに、歴史の授業となると俄然張り切るのだ。それはまた教えている太田幸四郎という先生のおかげでもあった。太田先生は授業もうまかったし、何より若くてりりしい男性で、亜希子の理想のタイプだったのだ。中学生の女の子が好きになる教科は、多くの場合その教科を教えている先生の好き嫌いと一致している。
「手紙は、わしももらったよ。美佐子をよろしく頼む・・・・だなんて、お国のために・・・・わし一人を残して・・・・」
志乃は涙ぐんでいるようだった。志乃の夫の村田健太郎は特攻隊員として訓練を受け、もう日本の負けが決定的になっていた終戦間際に最後の手紙を残して、飛び立ったのだった。当時は健太郎よりもずっと若い者たちが、次々に命を捨てていった。33歳の健太郎も、健康でさえなければ、特攻隊員には選ばれることもなかったろうに。志乃と一人娘の美佐子を置いて、死の戦場に向かう気持ちはどんなに辛かったことだろう。志乃は真面目な健太郎の切ない気持ちを思うたびに、今でも涙があふれてくる。 「隣の女の子は一人娘の美佐子じゃよ。わしらは、終戦前は平塚に住んでおっての、平塚は軍の火薬敞があっての、それでアメリカさんの大空襲を受けたんじゃ。美佐子はちょうどあんたらと同じくらいの年齢じゃった。学徒動員で火薬工場で働いているところへ、爆弾が落ちてのう。美佐子は即死だったそうじゃよ。苦しまずにすんだだけが、救いじゃったけんど、わしはおかげで独りぼっちになっちまった。」
「私たちと同じ年齢で死んでしまうなんて、そんなこと・・・・」
さすがに歴史好きの亜希子も、目の前にたたきつけられた戦争の現実に唖然としていた。 「結局、うちの旦那も美佐子もお国のために命を捧げたわけじゃ。人の命を奪うお国なんてとずいぶん恨んだもんじゃが、戦争はそういうものなんじゃろうね。二人が一生懸命お国のために頑張ったのに、わしだけ何の役にも立たないんじゃばつが悪いじゃろ。」
さっきからじっと話を聞いていた幸子が、やっとのことで重い口を開いた。話の重さに圧倒されていたのだ。
「それで、おばあちゃんはいつも歩道の掃除をしていたんですね。」
「それに、あんたたちの姿を見ていると美佐子が元気で働いているように見えてね。」
「そうだったんだ。おばあちゃん、いつも寂しそうな顔してた。美佐子さんのこと思い出してたからなんですね。」
元気者の亜希子が気を取り直すように大きな声で口をはさんだ。
「おばあちゃん、元気出して!私たちが美佐子ちゃんの代わりになってあげる。だから、おばあちゃん、泣かないでね。」
「私たち、ときどきおばあちゃんのお料理食べに来てもいいですか。」
「もちろんじゃよ。今度はお友達もたくさん連れといで。あんたらに喜んでもらえるなら、ばあちゃんも腕の振るいがいがあるってもんさね。それに・・・・」
志乃は仏壇の上の美佐子の写真を見つめていた。幸子や亜希子がそばにいると、まるで美佐子が戻ってきたような気持ちになるのだった。
健太郎と美佐子の死後、志乃は長い間一人で生活してきた。健太郎の大好きだった庭の植木を大事に世話しながら生きてきた55年間だった。長い長い55年間だった。
「おばあちゃんのおうちのお庭って、すごくきれいなんですね。」
幸子は自分がマンションに住んでいて、庭というものには縁のない生活だったので、まるで京都の庭園のようにきれいに手入れされた庭が印象に残ったのだ。
「これはね、うちの旦那が大事にしていた庭なんじゃ。健太郎さんの形見の庭じゃよ。わしには手入れの仕方もよくわからんかったが、弟の亮輔がいろいろ教えてくれて、何とかこんなになったんじゃ。あの人も生きとったら、今頃は庭の草むしりでもしとるじゃろうね。最近は、草むしりをすると腰が痛くなってかなわん。わしも、先は長くなさそうじゃよ。」
「おばあちゃんったら、変なこと言わないでくださいよ。悲しくなっちゃう。あっ、そうだ今度生徒会のみんなを連れて草むしりに来てもいいですか。私たち一生懸命やりますから。」
「そりゃあ助かるね。あんたたちもどこまでやさしい子なんじゃろう。死んだ美佐子とちっとも変わらん。今の子はなんだかんだと言われるけんど、昔も今も子供は子供じゃね。みんなやさしい。」
幸子たちは庭を一通り散歩した後、仏壇に線香を上げさせてもらって、志乃の家を後にした。精神的にどっと疲れた感じがした。煮物のおいしさも格別だったが、それよりも志乃の戦争の話が重く強烈な印象となって心に焼き付いていたのだ。今まで、こんなに戦争を身近に感じたことはなかった。歴史の授業で太田先生の話を聞くのとは訳が違ったのだ。
「ねえ、幸子、人間って死んじゃうとなんにもなくなっちゃうの?」
「私は、魂だけは永遠に残ると信じてる。だってそうじゃない、こんなにいろんなこと考えてる心までが消えてしまうなんて、あるわけないわよ。肉体は滅びても魂は永遠なの。」
「あんたって、いつから宗教家になった?」
「私も、去年おばあちゃんが死んだばかりだから。そのときいろいろ考えちゃったってわけ。」 「なるほどね。魂は永遠か・・・・」
「だからね、村田のおばあちゃんのことも、どこかで旦那さんと美佐子ちゃんの魂が見守ってくれているはずよ。」
「そうだといいんだけどね。でも、戦争って怖いんだね。もうずっと前のことなのに、おばあちゃんの心の中ではまだ戦争が終わってないみたいに感じたわ。」
「そうね。残された人間の悲しみも大きいのね。私たちみんなで、これからおばあちゃんを元気づけてあげましょうよ。美佐子ちゃんのこと思い出しながら歩道を掃除してるなんて、あまりにも寂しすぎるわ。」
「がってんだい!ようし、明日からまた頑張るぞ!」
「何を頑張るの?」
「太田先生の歴史の授業に決まってるじゃない。私、戦争のこともっと知りたい。」
「亜希子ったら、いつからそんなに勉強家になったの?」
「あこがれの幸四郎先生の授業だもん。命がけよ。そのためにも数学の時間には十分な睡眠をとっておかなくちゃね。」
「馬鹿なこと言って。そんなことしてると、高校入試の時にひどい目に遭うんだからね。」
「そのときは、数学博士の幸子に応援をお願いするから。頼りにしてるからね。」
庭の手入れ
その週の土曜日の会合で、幸子たちはさっそく村田志乃の家の庭の草むしりについての提案をした。一通り志乃の話を聞かされたみんなは一も二もなく賛成だった。担当の清原先生も乗り気である。
「生徒会の活動内容を精選しようと思っていたんだが、君たちの案は立派だよ。ちょっと忙しくなるけど、地域に貢献するという意味でも、緑が浜中生徒会の新しい伝統になる。」
「でも、部活があるから、それとのかねあいも考えないといけないよね。」
サッカー部の主将を務める太田賢治が言った。確かに、部活にはこれ以上迷惑はかけられない。すると、真面目隊長の西田順一がいかにも名案ありという得意げな表情で発言した。
「各部活はだいたい月曜日を定休日にしているんです。運動部はみんなそうです。吹奏楽部は別ですけどね。だから、月曜日のゴミ箱掃除をカットして、その日を草むしりの日にしたらいいと思うんですけど。どうですか?」
さすがに真面目隊長は理屈が通っている。というわけで、村田志乃の家の草むしり計画は、毎週月曜日の放課後に実施されることになった。吹奏楽部の池永先生も快く了承してくれたので、幸子たちも安心して活動ができる。
「やっぱ、清原先生が池永先生に頼んだんだと思うよ。二人はますます怪しいな。」
亜希子は相変わらず二人の仲を疑っている。 「そんなのどうでもいいじゃない。とにかく、私たちも堂々と草むしりに参加できることになったんだから、もし清原先生と池永先生がアツアツなら、それに感謝しなくちゃ。」
幸子は笑いながら亜希子に言った。
週が開けて最初の月曜日がやってきた。清原先生引率の元、生徒会のメンバー全員が村田志乃の家に押し掛ける形になった。
「こんにちは。あのう、緑が浜中学校の清原と申しますが。村田さんいらっしゃいますか。」 「はいはい。おやまあ、こんなに大勢で来てくれたのかね。先生まで一緒で。これならあっという間に庭もぴかぴかになっちまうね。それじゃあ、わしはあんたたちのために、また煮物を作るとするか。」
「わあ!またあれ食べれるんですか。もう超嬉しい!私、張り切って草むしっちゃう。」
「こら、水沢、おばあちゃんに失礼じゃないか。言葉を慎みなさい。」
「いいんじゃよ。この子たちは私の娘みたいなもんなんだから。」
最近の子供たちは遠慮というものを知らないから、例え生徒会のメンバーと言えども、外に連れ出すときにはハラハラしてしまう。しかし、今回ばかりは、志乃の満面の笑顔を見て、清原先生も安心したようだった。
「さあ、みんな仕事にかかるぞ!」
「レッツゴー!」
清原先生のかけ声で、一斉に草むしりが始まった。庭はどんどん美しさを増してゆく。40分ほどで見違えるようになってしまった。幸子たちは、むしった草をビニール袋の中に全部詰め込むと、志乃に誘われるままに、茶の間に上がらせてもらった。
「みなさん、本当にどうもありがとう。こんなにきれいになって、死んだ亭主もきっと喜んでくれてることじゃろうて。緑に囲まれて暮らすのがあの人の夢じゃった。さあさあ、お腹も空いたじゃろ。煮物をたっぷり食べとくれ。」
志乃の煮物はみんなにも大好評だった。特に一人暮らしの清原先生は、感激のあまり涙を流しそうに喜んでいた。
「村田さん、僕こんなにおいしいおふくろの味久しぶりですよ。こんな味が家庭で作れるなんて、村田さんもさすがですね。年季が入ってるなあ。」
「あら、清原先生、年季が入ってるだなんて失礼じゃありませんこと。お言葉には十分注意していただかないと。ね、幸子。」
亜希子はさっきの仕返しをしたつもりでいた。清原先生も現代っ子の前ではたじたじである。みんなで楽しいお茶会が終わると、この前と同じように、仏壇にお線香を上げて、村田家を失礼した。
毎週月曜日の庭の草むしりは、だんだんと庭の手入れへと発展していった。真面目隊長の西田順一が一生懸命植木の手入れを研究したのである。みんなは西田講師のもと、庭師の特訓をさせられた。庭の一部に池があったらいいという提案もあったが、水道代も馬鹿にならないし、泳がせる鯉などの購入費もなかったので、その案は却下された。志乃も美佐子と同年代の子供たちが毎週決まって訪問してくれることを、楽しみにしていた。老人にとって、一番大切なのは会話をする相手だ。しかも、若い世代との交流は老人の心を潤す。志乃は、幸子たちとの出会いを、仏壇の健太郎と幸子に感謝するのだった。
「お父さん、わしももうすぐいくから、待ってておくれよね。美佐子も待ってろや。天国に行ったら、うまい煮物をこしらえてやるから。」
片思い
ある木曜日の放課後、突然幸子が志乃の家にやって来た。木曜日は吹奏楽部の定休日である。今日は、珍しく亜希子は風邪で学校を休んでいた。
「こんにちは。おばあちゃんいますか。」
「はいよ、ちょっと待ってておくれ。」
志乃は夕食の準備をしていたのだろう。最初の時と同じ割烹着姿で現れた。
「あらま、どうしたかね。今日はあの元気のいいお友達はおらんのかい。」
「ええ、風邪で休んでるんです。」
「まあ、お上がり。お茶でも入れるから。」
「すみません。それじゃあ失礼します。」
幸子のいつもと違った思い詰めたような表情に、志乃は気付いていた。
「さあ、お茶どうぞ。あんた、確か名前は幸子さんといったね。幸っちゃんでいいかい?」
「はい、構いません。あのう・・・・」
「何か悩み事があるんだね。顔にそう書いてある。こんなおばあちゃんで良かったら、話してごらんよ。」
「あのう、私好きな人がいるんですけど、思いを打ち明けられないんです。それで、その人のことを思うたびに胸が苦しくて。」
「若いのう。胸が苦しいなんて幸せなことじゃないかね。」
「幸せなこと、ですか?」
「そうじゃよ、人を愛せるということは幸せなことなんじゃ。それだけあんたの心がきれいだという証拠じゃないかね。」
「でも、胸が苦しくて・・・・どうしたらいいか分からないんです。その人に告白した方がいいんでしょうか。」
「相手は、あんたのすぐ近くにいる子かい?」 「はい、同じ生徒会の太田君です。」
「ああ、あのおもしろい男の子だね。いい子じゃないか。明るくてさっぱりしてる。」
「おばあちゃんも、そう思いますか。」
「だけんど、告白するのはちっとばかり待った方がいいかも知れんよ。男の人はのう、風船と同じじゃよ。追いかけて捕まえようとすると、するっと逃げてしまうんじゃ。静かに寄ってくるのを待つのが一番賢い。おなごはおなごなりの知恵を働かせんとなあ。」
「でも、今までもずっと待ってるばかりで、何も進展がないんですよ。それでも待つんですか。私、胸が苦しくてつぶれちゃう。」
「おうおう、かわいそうに。まず、あんたは自分を一生懸命磨くことが大事じゃね。きらきら光っとれば、男の子は自然と寄ってくる。人間は一生懸命なときが一番輝いとるもんだ。わしの目からすれば、あんたも十分輝いとるよ。もしかしたら、太田君もあんたに惹かれてるかもしれん。幸っちゃんが気が付いてないだけなのと違うのかい?」
「そんなことないと思うんですけど・・・・」
「あんたは控え目な子じゃからのう。自分の輝きにも気付いとらん。いい娘ごだこと。」
「本当に、一生懸命頑張って、待ってればいいんですね。私、おばあちゃんを信じます。」
「わしも、そうやって旦那と結婚したんじゃ。間違いないから、安心していい。」
「おばあちゃん、ありがとうございます。何だか心が少し軽くなったみたい。」
「おやそうかい。こんな死に損ないのばあさんでも、役に立ったかい。そりゃ嬉しいこった。」 幸子は誰に相談していいか分からなかったのだ。いつもは、亜希子と一緒になってからかいの対象にしていた太田賢治だが、本当は彼の明るいやさしさにずっと惹かれていた。今さら亜希子に相談するのも恥ずかしいし、先生や親には相談しづらいし、そこで思いついたのが村田志乃だったのだ。実際、老人の知恵というのは貴重なものだ。百戦錬磨の人生の達人なのだから、経験も豊富である。今の時代は、そんな老人の知恵を無駄にしている。老人ホームに入った老人たちは、せっかく身につけた知恵が錆び付いてゆくのを待つだけだ。
しかし志乃の勘は鋭い。実は太田賢治はひたむきな横山幸子に惹かれていた。まぶしくてそばにいると気絶しそうになる。しかし、ひょうきん者で通っている自分が告白したところで、真面目で純真な幸子が相手にしてくれるはずはないと決め込んでいた。でも、我慢にも限界がある。賢治が幸子に告白してハッピーエンドになる日も、そう遠くないかも知れない。
噂
今日から定期テスト一週間前ということで、部活動は全て停止している。放課後の職員室はいつもとは違ってくつろいだ雰囲気だった。2年生に音楽を教えている池永美智子は、吹奏楽部の顧問としても、男勝りの活躍を見せていた。普段はやさしい彼女も、怒ると怖いというので有名だ。そのくらいの気合いがなければ、部活の顧問などは務まらない。ましてや、音楽の授業はどこの学校でも一番最初に荒れる傾向がある。生徒になめられれば、授業はもう成り立たない。池永美智子にはそういう危機感もあったのだろう。
「池永先生、テスト前はゆっくりできて、ほっとするでしょう。先生は、いつも全力投球だからなあ。」
「清原先生だって、そうでしょう?それともグランドで怒鳴り声を上げられなくて寂しいかしら?先生は、ソフト部命ですものね。」
「いやあ、そんなことはないですけどね。子供たちって可愛いじゃないですか。こっちがいくら怒鳴っても、ハイハイ言って素直に頑張ってくれる。あの子たちのそういう純真さが魅力的なんだなあ。」
「青春してるわね、先生は。ところで、生徒会の庭いじりの方は順調なんですか。」
「ええ、子供たちもすっかり庭師気分です。村田さんの庭は、もう誰に見せても恥ずかしくありませんよ。それに、あの子たちにしてみれば、世代の全く違うおばあちゃんとの会話がいろいろ勉強になるみたいなんです。」
「そうですね。老人と接する機会がものすごく少なくなりましたからね。核家族化って言うんですか、家にお年寄りのいる家庭はほとんど見なくなりました。」
「それがね、村田さんのおばあちゃんが煮物を作ってくれるんですけど、これがまためちゃくちゃうまいんですよ。僕なんて、最初食べたときは、感激のあまり涙が出そうになりました。今度、先生も一緒にどうですか。」
「そうねえ、そうしたいんだけど、また噂されちゃうといけないから。」
「何の噂ですか。」
「先生と私の噂です。生徒たちは私たちが付き合ってるって言ってます。清原先生は全然気付かなかったんですか。」
「いやあ、僕はそういうのに鈍感だからなあ。しかし、池永先生と噂になるなんて、ちょっと光栄だなあ。」
「何のんきなこと言ってるんですか。根も葉もないことを言われて、先生はいやじゃないんですか。」
「別に気にしませんよ。それに、僕は池永先生のこと好きですから。」
「先生、冗談言ってからかうのはやめてください。ここは職員室ですよ。」
「冗談なんかじゃなくて、本気です。」
まったく、職員室で堂々と告白する清原先生も、もう少しムードがなくてはいけない。全く女心が分かっていないのだ。池永美智子にしても、熱血教師の清原に惹かれるところはあったのだが、こんな風に職員室で淡々と言われたのでは、返す言葉がないではないか。
「とにかく、噂は噂です。先生が僕に気がないのなら、無視していいんじゃないですか。」
「それは、そうですけど・・・・」
「それより、先生、もうテスト問題はできましたか。」
「私は完成してますけど、先生はまだなんでしょう?もう少し余裕を持って作ればいいのに。焦ったりしないんですか。」
「はあ、僕は追いつめられないと本気を出さないタイプなんですよ。だから、僕のチームも追いつめられないと力を発揮しない。何だか、監督の僕に似ちゃったなあ。」
「先生はノー天気でいいですね。」
「そう。人生はのんびりやるのが一番です。」 池永美智子はあきれてしまった。自分に好きだと告白したかと思えば、テストの話題に移ったりして、いったいこの人はどこまで本気でものを言っているのだろう。しかし、そういうつかみどころのない性格も、また池永美智子を惹きつける魅力なのだった。でも、こんな調子だと二人の噂が本当になるのは難しいかも知れない。
純粋な疑問
「というわけで、日本は二発の原爆をきっかけに、無条件降伏することになった。戦後の日本はアメリカの援助もあって急速に復興したけれど、戦争の犠牲になった若いエネルギーがもしあったなら、もっとすばらしい国になっていたかも知れないな。」
歴史の太田先生は熱弁を振るった。すかさず亜希子が手を挙げて質問する。
「何だ、水沢、質問か?」
「はい、先生。なぜ、わざわざ死ぬと分かっていながら、特攻隊のような部隊を作らなければならなかったのですか。それに、残された人たちの悲しみは誰が救ってくれるのですか。」
「そうだなあ、戦争を仕掛けた側の日本としては、最後の最後まで戦い抜かなければならないというメンツがあったんだろうね。もし、原爆が落ちていなかったら、最後の最後まで闘っていたかも知れない。この相模湾にもアメリカ兵が上陸していただろうね。そして、もっと多くの一般人が犠牲になったはずだ。国民の命を大切にしようという発想に欠けていたんだと思う。それに、残された人々の悲しみは誰にもどうすることもできないんだ。」
「村田のおばあちゃんがかわいそう。」
「そうか、村田さんのご主人も特攻隊員だったんだっけね。娘さんも空襲で亡くしたとか。」 「そうなんです。愛する人たちを戦争に奪われてしまったんです。それで、おばあちゃんは独りぼっちで生きてきた。」
「戦争は悲しみしか生み出さない。私たちにできることは、二度と悲惨な戦争をしないことだね。」
亜希子は大声をあげて泣き出してしまった。誰からも報われることのない悲しみ。お国のために命を捧げて散ってしまった二つの命。それにもかかわらず、村田志乃はまだ誰かの役に立とうと歩道の掃除を続けている。それを思うと平和な時代に何不自由なく生きている自分たちの身勝手さが思われて、亜希子はますます悲しくなった。
「水沢は、村田のおばあちゃんと出会って、たくさんいい勉強をしたんだな。今の時代に生きる私たちは、戦争のもたらす悲しみを実感することがなかなかできない。でも、水沢たちは村田のおばあちゃんのおかげで、その悲しみの大きさを知ることができたわけだからね。」
太田先生も、それ以上何と言って亜希子を慰めていいのか分からなかった。自分自身も、戦争を知らない世代である。本で読んだ知識を元にして授業をしている。社会科の教師としてもっとできることがあるのではないか。太田先生自身にも大きな戸惑いがあった。
魔の水曜日
幸子たちが村田志乃と出会って一ヶ月ほどした水曜日の放課後のことだった。いつものようにバス停のゴミ箱清掃に出かけた幸子たちは、今日も元気に歩道を掃除する志乃の姿を見てにこにこして挨拶を交わした。その次の瞬間である。ものすごい轟音と共に暴走バイクの一団が目の前を通過した。
「ほらほらババア、邪魔なんだよ!」
大きな怒鳴り声にびっくりした幸子たちは、志乃の方を振り返ってぎょっとした。二人乗りバイクの後ろの少年が、金属バットを振り上げて志乃を殴りつけたのである。志乃はその場に倒れ込んでしまった。頭からは大量に血が流れ出している。バイクはいったん止まったが、「ヤバイ!」というかけ声と同時に、逃げ去ってしまった。幸子は冷静にバイクのプレートナンバーを頭にたたき込んだ。普通の暴走族はプレートを隠しているが、たまたまその新しいバイクはまだナンバープレートをつけたままだったのだ。
「亜希子、急いで救急車呼んで!」
幸子はそう叫ぶと、志乃のそばに行って出血している頭部に自分のハンカチを当てた。血は生き物のように歩道に広がってゆく。幸子の目からは涙がぼろぼろこぼれるばかりだった。
「おばあちゃん、しっかりしてね。いますぐ、救急車が来るからね。死んじゃだめだよ。おばあちゃん、死なないで!」
亜希子の連絡ですぐに救急車はやって来た。同時に到着したパトカーの警官に、幸子は頭にたたきこんだプレートナンバーを伝えた。暴走族の少年たちはすぐに逮捕されたが、まだ17歳の無職の少年だと言う。一方、救急病院に担ぎ込まれた志乃は、意識不明の危篤状態だった。大量に出血している上に、頭蓋骨が陥没して脳に傷を負ったらしい。志乃の死はもう時間の問題だった。生徒会のメンバーや何人かの先生たちも、急いで病院に駆けつけた。
「ひどいよ、先生、村田のおばあちゃんはみんなのために歩道の掃除をしていただけなのにさ、何であんな目に遭わなくちゃいけないの。」 亜希子はわんわん泣いている。幸子も大粒の涙をぼろぼろこぼしている。
「あの人たち、『ババア、邪魔だ!』って叫んだんです。邪魔なのはあの人たちの方なのに。」
「あんなやつ、死刑になればいいんだ!」
「そうよ、死刑だわ。」
「何てむごいことをするんだろう。人生の大先輩じゃないか。俺たち教師はあんなやつらしか育てられないのか・・・・俺は情けない。」
清原先生も、ぐっと涙をこらえていた。悲しい気持ちを押さえれば押さえるほど、笑顔で煮物をご馳走してくれた村田志乃のやさしい笑顔が思い出されてしまう。恐らく、犯人の少年たちは少年院に送られて、それでおしまいだろう。未成年だし、死刑になんかなりっこない。《人の命を何だと思ってるんだ。》清原先生はこみ上げてくる怒りのやり場所がなかった。
遺言状
村田志乃の危篤の連絡を受けて、弟の滝口亮輔夫婦もかけつけたが、時はすでに遅く、志乃は息を引き取った。集中治療室の前の廊下に集まっていた緑が浜中学校の生徒会メンバーたちは号泣していた。清原先生も必死で涙をこらえている。池永先生はもうハンカチがぐしょぐしょだった。しばらくの間病院は重い空気に包まれたままだった。
翌日、志乃の自宅を整理していた弟の滝口亮輔は、仏壇に供えられていた一通の手紙を発見する。それは、万が一の時のために志乃がしたためた遺言状だった。
お世話になった方々へ
私、村田志乃は、老い先短い命です。私の身に万が一のことがあったら、次のことを実行していただきたいと存じます。
一、家屋敷は緑が浜中学校に全て寄付し、庭の手入れなどは、生徒会の子供たちに一切任せること。
一、私の遺骨の一部は、夫の戦死した南の海に散布すること。
一、私の僅かな貯蓄は、庭の手入れのための資金として使ってもらうこと。
以上、大変わがままなお願いですが、ぜひかなえていただければ幸いです。
平成十三年五月五日
村田 志乃
滝口亮輔は姉の遺言状通りに事を運ぶよう段取りをとった。茅ヶ崎市の教育委員会も、緑が浜中学校に寄贈された村田志乃の屋敷を、有り難く受け取り、その管理は遺言の通り、緑が浜中の生徒会に全て任された。緑が浜中では緊急の職員会議が開かれ、志乃の屋敷は生徒会の会議室として使うことに決定した。そして、校長の原田勇は、特例として志乃の葬儀に生徒会のメンバー全員と清原先生が参列することを認めた。また、清原先生の提案で、志乃の命日に当たる五月二十三日を、「清掃ボランティアの日」と定め、全校生徒で学区の清掃活動にあたることになった。これは、生徒会メンバーの強い希望を、清原先生が代弁したものだったのだ。
「村田のおばあちゃん、自分が死ぬことが分かっていたみたい。どうして遺言状なんか書いてたんだろうね。」
亜希子は不思議そうに幸子の顔を見つめた。 「そうね、おばあちゃんの亡くなり方はとても悔しいけど、おばあちゃんもそろそろ旦那さんや美佐子ちゃんの所へ行きたかったのかも知れないわ。」
「ねえ、幸子、魂って本当に不滅なの?」
「そうよ。おばあちゃんの魂は、今は旦那さんや美佐子ちゃんと一緒。そして、いつまでも私たちのことを見守ってくれるはずだわ。」
「おばあちゃん、幸せだったかな?」
「そうねえ、少なくとも私たちと一緒のときのおばあちゃんは、とても幸せそうだったじゃない。おばあちゃんの長い人生のことは私たちには分からないけどね。」
「それにしてもさ、屋敷を全部学校に寄付するだなんて、おばあちゃんのやることすごいよね。私たち、すごく重い責任感じるわ。」
「みんなで力を合わせて、お庭の手入れも続けて行きましょうよ。そして、これは緑が浜中生徒会の一番大きな伝統にするの。」
「清原先生も、よく頑張ってくれたじゃない。『清掃ボランティアの日』認められたんだから。それに、校長先生も私たちの葬儀への参列を許可してくれるなんて、ちょっと見直したな。」
「先生たちにも、おばあちゃんの気持ちが通じたんだわ。」
「私ね、将来看護婦さんじゃなくて、学校の先生になって歴史を教えることにしたよ。戦争のむごさを生徒たちに知ってもらいたいの。」
「それもおばあちゃんのおかげね。それとも太田先生の魅力かしら。」
「どっちもあるけど、やっぱりおばあちゃんの方が大きいかな。おばあちゃんの悲しい人生を考えたら、戦争なんて絶対に二度と繰り返しちゃいけないって心から思うもの。」
「私は、婦人警官になる。婦人警官になって暴走バイクを取り締まるの。マシンガンぶちかましてやるわ。」
「ちょっと幸子、あんた性格変わったんじゃないの?それに、この間までちょっと元気なさそうに見えてたことあったけど、最近はすごく元気じゃない。何かいいことあった?」
「それは、私とおばあちゃんの秘密よ。」
「なによなによ、教えてってば。」
「今はまだ駄目。でもそのうちちゃんと亜希子には話すから、心配しないで。」
「あ、そうだ、幸子おばあちゃんの告別式でスピーチするって本当なの?」
「ええ、言いたいことがたくさんあるの。」
志乃の弟の滝口亮輔のたっての願いで、幸子は生徒代表として、告別式でスピーチをすることになっていたのだ。幸子は快く引き受けた。みんなに聞いて欲しいことがたくさんあったからだ。もちろん、天国にいる志乃にも。
告別式のスピーチ
志乃の告別式は茅ヶ崎市内の葬儀場で行われた。授業を抜けて参列した生徒会のメンバーたちや清原先生の前で、幸子は堂々とスピーチの原稿を読み上げたのだった。
みなさん、私は村田志乃さんの死を心から 悲しんでいます。私が村田のおばあちゃんと 出会ったのは、ほんの一ヶ月前のことでした。 おばあちゃんは、私たちがバス停のゴミ箱の 掃除をしている脇で、一生懸命歩道の掃除を していました。戦争でご主人と一人娘の美佐 子さんを失っていながら、それでもまだ社会 の役に立ちたいと、毎日雨の日も歩道の掃除 を続けたのです。私は、おばあちゃんと出会 って、いろいろなことを教えてもらいました。 戦争の悲惨さや、人間の生き方など、いろい ろです。私は、今でもおばあちゃんの作って くれた煮物の味が忘れられません。本当に やさしいおばあちゃんでした。
私たちは今平和な日本に生活しています。 戦争の痛みも悲しみも知りません。でも、私 たちの平和な生活は、多くの人の命と引き替 えに与えられたものなのです。そして、多く の残された人たちの悲しみの上に成り立って いるのです。それなのに、心ない少年がおば あちゃんの命を奪いました。命の尊さを誰よ りもよく知っていたおばあちゃんを、命の尊 さを全く知らない少年が奪ったのです。私は 彼を憎みます。でも、戦争の悲惨さをほとん ど知らなかった自分も恨みます。
私たちに、命の大切さを教えてくれたお ばあちゃん、どうか安らかに眠ってください。 私は、肉体は滅んでも魂は永遠だと信じてい ます。私は、これからも、おばあちゃんの魂 に見守られながら、平和な日本を守るため に頑張って行きます。私の大事な相談相手だ ったおばあちゃん、さようなら。私は村田志 乃というおばあちゃんのことを一生忘れませ ん。おばあちゃんの庭は私たちが一生懸命守 りますから、どうか安心してください。
平成十三年五月二十五日
茅ヶ崎市立緑が浜中学校
生徒代表 横山 幸子
会場にはすすり泣きの声があちこちで聞こえていた。村田志乃には親類縁者がほとんどいなかったにもかかわらず、志乃の話を聞いた緑が浜中学校の保護者たちが、大勢参列してくれていたのだ。原田勇校長の姿も見えた。青柳幸太郎教頭も参列していた。《たくさんの人が来てくれて良かったね、おばあちゃん》幸子は心の中で志乃に話しかけていた。
緑園の天使
それから一ヶ月後の志乃の家の庭には、親子三人連れのブロンズ像が立っていた。もちろん、モデルは村田志乃一家である。一人娘の美佐子を真ん中に挟んで、三人仲良く手をつないでいる。美しい緑に彩られたその庭の像には、「緑園の天使」という名前が付けられた。ブロンズ像は志乃が残してくれた貯蓄の一部を使って、美術の北見沢先生と仲野先生が、心を込めて作ったものだった。命名はもちろん生徒会のメンバーである。天使のように優しい心を持ったおばあちゃん・・・・それが、生徒会メンバーの一致した意見だった。
今日は、おばあちゃんが亡くなってからちょうど一ヶ月だ。手に花束を持った幸子と亜希子は、バス停のゴミ箱掃除に向かっていた。
「おばあちゃん、いつもあそこで歩道の掃除をしていたんだわ。ねえ、亜希子、まずはおばあちゃんの亡くなった場所に、お花を飾りに行きましょう。」
「そうね、おばあちゃんもきっと喜ぶわ。」
「おばあちゃん、歩道の掃除はね、毎月おばあちゃんがなくなった日に、全校生徒で掃除することになったのよ。だから安心してね。」
「それからね、その日にはおばあちゃんの家に生徒会のメンバーみんなが集まって、家庭科の内海先生に煮物を作ってもらうことにしたの。みんなで食べて、おばあちゃんのこと話すからね。お庭の銅像も立派でしょう?うちの美術の先生たち、腕いいんだから。」
「さあ、そろそろ私たちもお仕事しなくちゃね。亜希子、行くわよ。」
「ちょっと待ってよ、幸子ったら。じゃあね、おばあちゃん、私たち行くわ。」
「相変わらず、いろんなゴミ捨ててあるわね。みんなもっと常識持ってくれないかな。」
「平和すぎるのよ、今の日本がさ。」
「平和すぎるから、みんなぼけちゃってるってわけか。さすが未来の歴史の先生は言うことが違うわね。」
「平和すぎると、平和の有り難さを忘れちゃうって、太田先生が言ってた。」
「戦争の時はみんな命がけだったから、一生懸命生きてたのね。それが、今ではだらけちゃって、何だか恥ずかしいわ。」
「このまま時代が進んだら、日本はどうなっちゃうのかな。村田のおばあちゃんみたいな人に出会えたから、私たちはこんな風に考えるようになったわけじゃない?他の人たちは、きっと戦争のこととか平和のことなんか考えないで大人になるんだと思うよ。」
「そうね。そんなのんきなことしてたら、また戦争になっちゃうかも知れないわ。でも、私たちは自分たちにできることを一つずつやっていくしかないわよ。私は自分を磨いて待つの。」
「何を待つの?」
「さあ、何かしらね。ねえ、亜希子、おばあちゃんの庭に行ってみない?」
「いいわよ。」
志乃の庭は生徒会の努力でいつも美しい輝きをたたえていた。北見沢先生たちが作ってくれた銅像も、緑の庭によく似合っている。
「村田のおばあちゃん、この銅像気に入ってくれたかしら。『緑園の天使』なんてしゃれた名前も付けちゃったしね。幸子もいい名前思いついたよね。」
「そういう題名の古い外国映画があったの。おばあちゃんって、天使みたいに優しい人だったじゃない。だからいいかなと思って。」
「明日は最初の『清掃ボランティアの日』ね。みんな頑張ってくれるかしら。」
「原田校長先生が全校朝会でみんなに話してくれたし、きっとうまくいくわよ。」
「今の私たちの気持ちが、ちゃんと後輩たちに伝えられていくといいけど。」
「それには、生徒会の努力が必要かも知れないわよ。最初の気持ちって、だんだんと薄れていっちゃうから。」
「そうだわ。太田先生が言ってたけど、日本は戦争が終わった後に武力は二度と持たないって誓ったのに、今では自衛隊の力は完全に武力と呼べる規模だって。人間が変われば、最初の意気込みもだんだんと忘れられていっちゃうのね。村田のおばあちゃんのことも、だんだんと忘れられちゃうのかしら。」
「そうならないために、先生たちがこの銅像を造ってくれたんじゃない。生徒会の会合はいつもこの茶の間でやるんだから、その度に『緑園の天使』は目に入るわ。それに、ときどき私たちが来て、おばあちゃんの話を後輩たちにしてあげればいいと思うんだけど。」
「それはいい考えね。何だか、戦争の世代のお年寄りたちが、戦争を知らない私たちの世代に、昔の話をするのと似てるわね。」
「ほんとだわ。大事なのね、そういうこと。」 そんな二人を銅像が見つめている。夕日に染まって、かすかに微笑んでいるようだった。