「指導者の条件」
 
《まえがき》
 二十三年前、私が自分の出身した中学校で教育実習をしたときのことです。私の指導教官は英語教育に関しては大変評判のいい先生で、野球部の顧問としても近隣に名の知れた方でした。二週間の教育実習が終わったとき、その先生は私に大変な達筆の筆字で一枚の色紙を下さいました。表には大きく「心」と書かれ、裏には「本当の指導者とは人の心のわかる人なり」としたためられていました。その色紙は、長い月日を経て少し色が茶褐色を帯びてきてしまいましたが、私は今でも大切に保管しています。
 長引く不景気が影響して、経営者は会社の利益を守るために非情なリストラを敢行せざるを得ませんでした。そんな時代だからでしょう、「良き指導者論・リーダーシップ論」はついぞ語られなくなってしまったような気がします。しかし、こんな不透明な時代だからこそ、部下を自信を持って導くことができる指導者が求められているのではないでしょうか。
 国の指導者や大きな組織の指導者に対する批判は絶えませんが、指導者の立場の難しさをきちんと理解した上での批判は極めて少ないことに気づきます。他人の批判をすることは簡単ですが、指導者には指導者なりの悩みがあるのです。恐らく、この難しい時代に大組織の指導者を上手にこなすことは、至難の業でしょう。逆説的な言い方になりますが、指導者の立場を思いやれない人物は、自分自身も決して指導者にはなれないという理屈が成り立ちます。私の教育実習の指導教官の言葉が全てを物語っているのです。
 指導者の条件とは関係なく、人の心を理解できる人であるかどうかは、その人の人生に大きな影響をもたらします。素晴らしい人間関係に恵まれる人たちは、恐らく人の心を理解できる人々でしょう。逆に、いつも自分の利益しか考えることができないような人たちは、常に人に裏切られ、不遇の人生を送ることになるのではないでしょうか。
 私は二十二年間を少し超える教員生活と、その後の5ヶ月間に渡る私塾の講師生活を通じて、様々な指導者の姿を見てきました。部活動の顧問や学級担任として自分自身が指導者の立場を経験したことも少なくありません。そんな経験の中から、私なりの指導者の条件が見えてきた気がします。本当の指導者には何が必要なのか、いろいろな具体事例を挙げながら本書で論じていきたいと思います。
 プライバシーの問題が強く叫ばれる時代ですので、本書には実名を登場させることは敢えて避けたいと思います。また、本書は指導者の素質がない人間たちを非難するための目的で書き進めるものではありませんから、私自身も未熟な指導者であるという前提で話を進めていくつもりです。
 私のことを直接知る人々は、本書の具体事例がもしかしたら自分の知っている誰かのことだと気づくかも知れません。しかし、例え思い当たる人物がいたとしても、それで大騒ぎをしないで下さい。本書は、少しでも立派な指導者が増えてくれることを祈念して、プラス思考で書き進めるつもりです。誰かを非難しても、何の利益ももたらすことはありません。
 また、もしかしたらこれは自分のことを書いているのではないかと不愉快な気分になった方がいたとしたら、そこは私の個人的な解釈であるのだということで、どうかご容赦いただければと思います。現に、私自身も指導者として数々の失敗をしてきましたし、その失敗も包み隠さず披露するつもりでいるからです。
 そして、本書が刺激になって、少しでも多くの優秀な指導者が世の中を変革してくれることを祈りたいと思います。

《若い人材を育てられない若い室長》
 これは、私が5ヶ月間お世話になっていたある大手進学塾の個人教室での話です。あらかじめ断っておきますが、私は私塾の運営を批判するつもりもありませんし、未熟な室長を糾弾するつもりもありません。
 私が勤務していた教室の室長は、まだ室長になりたての若い女性でした。何をしていいかもわからずに、最初のうちは恐らくパニックになっていたことでしょう。どうして、そのような経験不足の人間を室長にしてしまうのかは、その私塾の経営方針ですから私が口を出す領域ではありませんが、若い彼女は時間講師の学生たちにとっては非常に心許ない存在でした。
 まず、私はミーティング用紙を見てびっくりしました。何とその日の掃除当番の講師名が印刷されていたのです。自分が使ったブースの掃除は、その人間がすればいいことで、子供ではあるまいし、なぜ当番を決めなければならないのか私は不可解でなりませんでした。そして、ミーティングでは毎日同じような内容の話が繰り返しなされるものですから、本当に文字通り耳にたこができるかと思いました。はっきり言って時間の無駄なのです。時間講師は時間給で働いていますから、勤務時間を超えて拘束されることは基本的におかしいのです。その塾のいいところは、生徒一人一人を大切にするために、個人用のファイルが用意されていて、そこにその日の授業内容と生徒の様子、宿題の内容、申し送り事項などを詳しく記入するシステムになっていました。とても素晴らしいアイデアなのですが、難点は記入に時間がかかるということです。講師たちは授業が全て終わった後に、一生懸命ファイルの記入をしているのですが、中身のないだらだらとしたミーティングのおかげで、その時間さえ制限されてしまう有様でした。挙げ句の果ては、「今日は何時までに帰りたいので急いで下さい」と室長宣言が飛び出す始末で、私は彼女がいったい何を考えているのか理解に苦しみました。本来であればファイルにデータを記入する作業に対しても時間給が支払われるべきです。しかし、それに関しては誰も文句を言うつもりはありませんでした。みんな熱心だったのです。
 しかし、私はいろいろな生徒のファイルを見ているうちに、室長のチェック欄に何のチェックもされていないことに気づきました。それは室長がファイルの点検を怠っている証拠でもありました。学生たちが一生懸命に無給で書いているファイルに目も通さないなど、室長としては落第です。私は、長い間学校の教員をしていて通知票の所見欄や3年生の調査書を書くのに慣れていましたから、ファイルの記入もあっという間に終わってしまいます。暇になった私は、掃除当番でもないのに自分から進んで掃除をやっていました。少しでも早く学生講師たちを帰宅させてあげたかったのです。しかし、それは同じ時間講師という身分の私がやるべき仕事ではなかったと思います。もし私が室長なら、ミーティングなどは短時間で済ませ、掃除は自分がやるからと言って、学生たちを早く帰らせてあげていたことでしょう。
 大手進学塾ということで、どんなすごい授業が展開されているのかと期待していた私は、次第に落胆せざるを得ませんでした。こんなことを書いては申し訳ないとは思うのですが、授業に関しては学校の教師を超える人材は皆無だと言ってもいいでしょう。あるとき、別の教室の室長が出張授業に来ていて、「つまらない授業は学校だけでたくさんだからさ」というような軽口をたたいたので、私はその若い女性に厳しい口調で反論しました。「あなたは確かに上手な授業をするかも知れないけれど、同じ授業を四十人の目的意識もばらばらな生徒たちの前でできると思ったら大間違いだよ。少なくとも、子供たちの前で学校の教師を見下すような発言はやめなさい。あなたが考えるほど学校は甘い場所ではない」彼女はきっと憤慨したことでしょう。しかし目的意識の強い生徒ばかりが集まった少人数制の塾の授業で苦労するようでは、お話にならないのは事実です。しかし、実際には塾の授業ですら上手にきりもりできない講師たちが驚くほど多いのです。
 ある日突然、室長が授業が終わった後に研修を毎日始めると言い出しました。研修は塾の方針として決まっていたようですが、無給で実施するとは聞いてはいませんでした。しかもその研修というのが、5分ほどの模擬授業を誰かにやらせてみんなで批評し合うという形式だったのです。全く持って無意味です。なぜなら、誰もが未熟な学生講師だったからです。他人の授業を云々する前にまずは自分の足下を固めなければならない講師がほとんどなのです。あるとき、突然の研修で誰も模擬授業をする人間がいないということがあったので、私が進んで授業を引き受けました。塾の講師たちの感覚では、模擬授業もきちんと準備しなければできないというものだったようですが、私たち学校の教師にしてみれば、そのような模擬授業は頭の中で三十秒も考えれば簡単に組み立てられてしまうのです。私は全部英語で授業をとも思いましたが、他の講師たちがわからないといけないので、ある程度中学生向きにレベルを落として授業を展開しました。授業が終わった後で、ある講師が言いました。「不定詞の用法名をちゃんと教えてあげるべきだと思うんです」私はにっこり笑って「そうですね、この次はそうしましょう」と答えましたが、釈迦に説法とはこのことです。不定詞の用法名など最後の復習で教えればいいことで、最初はそんな文法名など授業に組み込んではいけないのです。でも私が反論すれば、誰も意見が言えなくなってしまうと思い、私はみんなの意見を素直に聞いていました。
 ところが、あるときまだ新米の講師が模擬授業をしたのですが、室長を初めみんながその講師の批判を始めたのです。なぜそんなことをするのでしょう。まだ慣れていない講師にあれこれ言ったら混乱してしまうだけではありませんか。研修と言うからには、ベテランの教師が模範授業をして、何をどうすればいいか、そのノウハウをわかりやすく説明するのが本筋でしょう。ですから、本来ならばきちんと時給をつけた研修会を開いて、室長自らが模範授業を展開すべきなのです。しかし、少なくとも英語に関して言えば、他人の模範になるような教育技術を備えた講師は一人もおりませんでした。教員免許も持っていない大学生ですから、それも仕方のないことです。もしそうなら、私塾独自の研修制度を受けた講師には、それなりの資格を授与する制度を作ればいいのです。何も教員免許を持っていればいいというわけでもないわけですからね。
 室長の考えることは、一事が万事そんな具合でした。新米の講師が上手に授業をきりもりできないと、ただ責めるのです。ベテランの教師は、新しい先生を励ましてあげるのが役目なのではないでしょうか。私からすれば室長の英語の授業もお話になりません。教育実習生とほとんど変わらないレベルでした。自ら研修を積んでいれば、もっとましな授業ができるはずなのに、明らかにそれを怠っているとしか思えませんでした。しかし、室長の彼女もまだこれからの人です。私はそんなことで彼女を責めるつもりは全くありませんでした。ただ、自分がやれないことを要求し学生講師を管理するだけしか考えない彼女の態度には非常に腹立たしい思いを何度もさせられました。
 ある時、私が教室に入ろうとすると、室長から止められて、教室に入るときには必ずミーティング用紙を取ってからにしてくれと言われました。荷物を置いてから用紙を取りに戻っても何の差し支えもないのにです。そしてあきれたことに、翌日ミーティング用紙を取ろうとしたら、「すみません、まだできていないので」と言われてしまいました。厚顔無恥と言う言葉は彼女のためにあるような言葉です。講師に厳しい要求をするなら、その前に自分自身に対して厳しくなければなりません。ミーティング用紙など家で作ってくればいいのです。
 まだまだ細かな事例はたくさんあるのですが、あまり並べ立てると塾批判になってしまうのでこの辺でやめておきましょう。要するに、室長の彼女は若い学生講師たちを成長させるという意識に決定的に欠けていたのです。学生たちは次第に反抗的になっていきました。何しろ、その日になって突然時間割が変更になることもしばしばだったので、学生たちは室長を全く信頼していなかったのです。
 日がたつに連れて少しずつ余裕の出てきた彼女は、ようやく室長らしい雰囲気を見につけて来ましたが、やはり若い息吹をのばそうとするにはあまりにも未熟すぎました。私がいた5ヶ月間で二人の講師が辞めました。そのうちの一人の女性は、いきなり難しい生徒を割り当てられてしまったのです。室長ですらいつも手こずっている生徒を、新任の彼女に預けてどうして自信がつくでしょう。彼女はすっかり自信をなくして辞める決意をしたようでした。本当にかわいそうなことをしたと思います。あの教室で、どの生徒を受け持っても何とかやっていけたのは私だけだったかも知れません。
 誰でも最初は未熟です。室長と名の付く立場でも最初は不慣れな仕事に苦労することでしょう。しかし、室長自らが自分に厳しく仕事をする姿勢を見せ続ける限り、学生たちは一生懸命に働いてくれたはずです。それだけ熱心な学生講師たちが揃っていましたから。しかし、口先ばかりで自分ではミスばかりしている室長に文句を言われたら、誰だって反抗したくなるのが当たり前でしょう。
 「足りない教材があったら、すぐに言って下さい。発注しますから」これが室長の台詞として成立すると思いますか。どの教材が足りないか事前にチェックするのが、きちんと月給もボーナスももらっている室長の仕事なのです。そこまで気を配ってもまだ何か不足していたら言ってくれというのなら筋が通りますが、自分が何もしないうちに、時間給の学生講師たちに教材の過不足まで点検させるというのはどう考えても指導者のするべき要求ではないでしょう。
 室長の仕事にはもちろん「管理」があるでしょう。しかし、教室のブースを仕切る壁がいたずら描きだらけであるのをそのまま放置しておくのは、職務怠慢なのではないでしょうか。結局5ヶ月間ほったらかしの汚い仕切りは、退職間近の私が洗剤を使ってきれいにしてしまいました。恐らくきれいになったことにも室長は気づいていないでしょう。それでも、私は若い彼女だからということで、彼女の力になれることは何でもやるつもりでおりました。ちょうど水戸黄門の助さん角さんのようにです。冬期講習を前に辞めることを表明した私でしたが、特別授業や冬期講習用の特別テキストを自作して、生徒分印刷して室長に渡しました。室長はとても喜んでくれましたが、そこに込められた私のメッセージまでは恐らくくみ取ることはできなかったでしょう。「これは本当はあなたの仕事なのですよ」という強いメッセージです。決して皮肉ではないのです。ただ、保護者からお金をもらって授業をする私塾たるもの、コピーをした教材をそのまま使うなどと言うみっともないことはしてはいけないと、私は言いたかったのです。
 先日、ある生徒の父親が退塾届けを手に塾に怒鳴り込んできました。私は別に驚きもしませんでしたが。なぜなら、いつ起きてもおかしくはない状況だったからです。指導者のあるべき姿をここでもう一度自分自身に問うことができるかどうか、彼女のこの先の人生はそれによって決まってしまうでしょう。私は家庭の事情で退職しましたが、私の他にも講師を辞めることを考えている学生は数名いるようでした。実際、冬期講習は講師不足でてんやわんやの状況だったようです。これが高い月謝をとって授業をする塾のあるべき姿でしょうか。
 しかし、彼女自身も室長という指導者であることは確かですが、室長を指導するその上の指導者がやはりいるのです。彼らはどういう基準で室長を選んでいるのでしょうか。成長株の熱心な若者を選んでいるとはとても思えません。指導を素直に受け入れる「イエスマン」を室長にしているのかも知れません。少なくとも私のように、彼ら以上に教育事情に詳しい人間を室長にするようなリスクは犯したくはなかったようです。向上心のない指導者が、向上心のない室長を生み出す腐りきった構造。いつまでメッキが持ちますか…。 「率先垂範」という言葉がありますが、年連に関係なく、指導者の器を備えた人間は、自然と自分から動くようにできているものです。クールで情が通じないと思われている現代っ子たちであっても、自ら率先して範を垂れる指導者の見分けくらいはつくでしょう。 先日は、「ポスティング」と彼らが呼んでいるチラシの配布作業が行われたようですが、室長は別の仕事で参加できなかったとか。もし私が室長だったら、当然の事ながら陣頭で指揮を執るでしょうし、その上で規定の時給以外に「交通費」と称して、自腹で数千円を包むに違いありません。寒い中を、わざわざ一時間ちょっとの宣伝の仕事のために職場まで足を運んでくれたのですから、そのくらいの配慮ができなくて指導者とは言えないと思うのです。月給をもらっている身と、時間給の学生講師の立場の違いを考えたら、飲み代を二回分くらい浮かせても、学生たちに自腹で謝礼を払うべきでしょう。
 ちなみに、学生講師たちは、その日になって突然「今日は授業に行けません」という、いわゆる「ドタキャン」は許されませんが、生徒は用事で指定の日に授業を受けられない場合には「振り替え措置」を受けることができます。そういう場合には学生の授業はキャンセルされて、当然の事ながら時給ももらえません。一番ひどいのは、生徒も当日になっての「ドタキャン」は振り替えがきかないにもかかわらず、出勤した学生には正規の時給が支払われないことです。その時間帯を拘束されたわけですから、生徒が勝手に欠席してもきちんとした時給が支払われるべきなのですが、浮いた分の授業料は塾の懐に入るという仕組みです。これで若い芽が育つと思いますか?学生たちは、教員免許がなくてもそれを補うエネルギーで一生懸命仕事をこなしています。彼らに気持ちよく仕事をしてもらうことが、指導者の一番の仕事なのではないかと、私はつくづく感じました。

《継続が信頼を生む》
 今から二十三年前、まだ私が学生だった頃に、教育実習でお世話になった指導教官のT先生は、本当に立派な方でした。しかし、私が初めてT先生とお会いしたときには、ジャージ姿で生徒たちと一緒に昇降口の掃除をされていたので、その方がまさか有名なT先生だとは全く気づかなかったのです。生徒指導でも教科指導でも、同僚たちから一目も二目置かれていたT先生は、その後教育委員会に出て最後は小学校の校長先生として、小学校教育に英語教育を積極的に取り入れる試みをされていました。ほんの数ヶ月前には、市教委の教育長に推薦されたのですが、残念ながら市議会の賛成を得られずに残念な結果となりました。九州出身のT先生は、地元優先の市の風潮には勝てなかったのです。それにT先生が教育長になれば、教育界が刷新されてしまいますから、役人気質がこびりついた教育委員会のメンバーにとっては脅威となったことでしょう。生徒には非常に親しまれていたT先生は、同じプロとしての同僚には至って厳しい方でした。もちろん、自分自身にはもっと厳しい目を向けられていました。
 そのT先生が、ある日私に向かってぼそっとつぶやいたことがあります。「石山君、私が一番緊張するのはね、第一号の英語のプリント教材や第一号の学級通信を書くときなんだよ。第一号を出すと言うことは、少なくともそれから一年間の継続との格闘が始まることを意味するからね。途中でやめるわけにはいかんだろう」T先生とはそういう方でした。一度始めたことは、どんな困難があっても決して途中で投げ出すことがありません。T先生はクラスの生徒たちと個人ノートを交換していましたが、生徒たちが提出するノートは必ず翌日には返却されていました。もちろんきちんとT先生の赤ペンが入った状態でです。T先生が英語の授業の初めに必ず実施していた5分間ドリルという小テストは、絶対に都合で延期されるなどということはありませんでしたので、生徒たちのT先生に対する信頼は絶大でした。
 しかし、野球部の顧問としてのT先生は、まさに鬼顧問です。T先生の教え子の中からは、現在のプロ野球界を背負って立つ有名な投手も育っています。T先生の立つグラウンドの空気は、いつもぴんと張りつめていました。ものすごい緊張感です。内野手がエラーをすれば、守備位置をしっかりと指示しなかったと言う理由で、捕手がしかられます。エラーをした本人は、自分のせいで捕手が叱られているのを見て、大きな責任を感じたことでしょう。それがT先生のやり方でした。部活が終わると、T先生は部員たちに一個ずつ野球のボールを手渡します。選手たちは毎晩そのボールをT先生の自宅までマラソンで届けなければなりませんでした。一生懸命走ってきた生徒たちを出迎える、T先生と奥さんの笑顔が目に浮かぶようです。選手たちはそんなT先生の大きな愛の中で、たくましく成長していったのです。
 T先生は生徒との約束を決した破らない信念の人でした。人間ですからついうっかりと約束を忘れてしまうこともあって当然なのですが、恐らくT先生は絶対に忘れないようにしっかりとメモを取っておられたのではないかと思います。そんなT先生は、ある夏の三日間を「早朝学習」と称して、確か朝の5時くらいからクラスの学習会を開いておられました。朝の5時からわざわざ学習会に参加する生徒などそんなにいるはずはないと思われるでしょうが、クラスのほとんど全員が参加してしまうのですから、本当に驚くばかりです。そしてT先生は、そんな彼らに向けた学級通信にそれとなく記すのです。「先生はこんなに早く学校に来たことがなかったので、学校を一番に開けるのにいくつもいくつも鍵を開けなければならない苦労を初めて知りました。こんな面倒なことを毎朝やって下さっていた用務員のHさんには、本当に感謝しなければなりません」用務員さんは現在では学校施設員と呼ばれていますが、その学校の裏方さんをこんな形で上手に持ち上げることのできる先生は、今ではほとんどいないと言っていいでしょう。尊敬するT先生が言うことですから、生徒たちも素直に用務員のHさんに感謝するようになります。しかし、実際にはT先生はいつも驚くほど早い時間に出勤されていたのを私は知っていました。
 T先生の座右の銘は「継続は力なり」「あせらず、あわてず、あきらめず」でした。そして、T先生の指導者としての素晴らしさは、口にしたことは必ず実行するということです。しかも、一旦始めたことは最後までやり遂げるということです。自らが範を垂れることで、生徒たちに無言の教育をされていたのです。そんなT先生ですから、指導教官としての私への接し方も、他の先生たちとはひと味違っていました。私の授業などほとんど見に来ては下さらないのです。私が塾の講師をしていたのを知っていたT先生は、恐らく授業の手法をどうのこうのと注意するつもりは全くなかったのでしょう。それよりも、生徒たちとの接し方を身をもって私に見せることに終始されていたように思います。ある時など、私が「なかなか計画通りにはいきませんね」と職員室に戻ってぼそっとこぼすと、笑顔でひと言だけ答えて下さいました。「石山君、そりゃあそうだよ。彼らは生きているんだからね」生きている生徒たちに、臨機応変の対処ができるようになってこそ、初めて一人前の教師と言えるのだと、T先生は私に伝えたかったのでしょう。二週間の教育実習の最後の日に、お別れのバスケットボール大会で何と足を骨折してしまったドジな私に、T先生は後にも先にも初めて「オールA」の成績をつけて下さったそうです。T先生からの満点の評価は、私にとってはどれほど大きな勲章になったか知れません。しかし、それほどまでに私を買って下さったT先生の期待に応えることもなく、二十二年間と三ヶ月の教員生活に勝手に終止符を打ってしまった私は、本当に罰当たりです。しかし、教員は辞めても、私はT先生の教えを決して忘れることはありません。そして、教育実習の時にT先生からいただいた「本当の指導者とは人のこころのわかる人なり」という色紙の言葉の意味が、この年齢になって本当に良くわかるようになりました。
 T先生は教育委員会に出られてからも、市内の英語教員の誕生日には必ずその先生に誕生祝いの色紙を贈られていました。T先生は達筆でも有名だったので、色紙をいただいた先生たちはもう感激の嵐だったことでしょう。そんなT先生に、県の教育センターで久しぶりにお会いしたとき、私は思わず勤務校の愚痴をこぼしてしまいました。するとT先生は私にこう言われたのです。「石山、今はね、他人のことをとやかく言う前に、まず自分の足下を固める時期だよ」と。私はその一言で目が覚めたような気がしました。T先生は人のこころがわかるばかりか、相手の心理状態までしっかりと見抜いてしまうのです。その人にとって今どんなアドバイスが必要か、即座に判断してしまうのでしょう。しかし、多くの英語科教師がT先生を神様のように慕うのに反して、私は敢えてT先生とは別の道を歩もうとしました。それは私が本当にT先生を尊敬していたからです。私は個人を崇拝することを良しとしません。それにT先生と同じ事をやろうとしたら、誰一人としてT先生を超えることなどできるわけはないのです。私はT先生の心意気をそのままに、自分にしかできない英語教育を追究しようとしました。私の性格もよく知っておられたT先生のことですから、そんな私の気持ちもとっくにお見通しだったことでしょう。
 二週間の教育実習が終わったとき、T先生のクラスの生徒たちが私に文集を作ってくれました。その中のある男子生徒の言葉です。「先生にはT先生の教育技術を真似して欲しくはありません。それはT先生の二番煎じでしかないからです。先生にはT先生の教育に対する情熱を学んでいってもらいたいと思います」彼は生徒会長をしていましたので、言うことも実に大人びています。そして、彼の言うとおりでした。
 私はその頃私塾の講師をしていましたから、地元の学校の先生たちの話を子供たちから聞いていて、学校の先生というものにある意味での先入観を抱いていました。もちろんマイナスの先入観です。その私の気持ちをT先生は一八〇度転換してしまったのです。本当に素晴らしい指導者でした。私が慕っていた大学の先輩も九州の福岡の出身でしたが、奇しくもT先生も九州の熊本の出身でした。さすがに九州男児の血は濃いなあと、私はつくづく実感したものです。「継続は力なり」私もその言葉を座右の銘にするようになりました。

《子供を型にはめようとする教師》
 公務員批判の風潮の中で、その指導力の低下が問題となった学校の教師ですが、実際にはそれは個人の問題で、指導力のない自分を謙虚に反省して、努力を惜しまずに続けている先生たちも大勢います。私は、大手の進学塾の講師たちも直接見てきましたから、両方を比べれば、やはり学校の教師の方に確実に軍配が上がるでしょう。子供を指導するというのはそれほど難しいことですし、世間の批判的な風潮がさらに教師を良き指導者に育てる機会を奪っていると言えなくもありません。 私も含めて、学校の教師はとかく子供たちを既成の枠にはめようと必死になりました。それが学校の秩序を保つ唯一の方法だと信じたからです。しかし、権威に反発することを覚える思春期の子供たちが、一定の枠にはめられることを嫌うのは当たり前のことで、私たちも自分たちが中学生の頃は、同じように権威の象徴である教師に反抗したではありませんか。しかし、子供の頃の気持ちを忘れてしまうのが大人の悲しさです。
 良き指導者は、子供たちの中に秘められた可能性をきちんと見抜くことができなければなりません。ところが、多くの場合は表面的な格好や言動に惑わされて評価を誤ってしまうのです。自分の方に注意を向けて欲しくてわざと反抗的な言動を繰り返す子供に、「非常に反抗的で素直さに欠ける」というレッテルを貼ってしまうこともあります。逆に、腹の中では「あっかんべー」をしているのに、表面的な従順さに騙されて、「この子は本当にいい子だ」とやはり評価を誤ることもあるでしょう。
 ある教師は、指導力のなさを親から指摘されて、その腹いせに子供に信じられないような仕打ちをしました。親は子供を守るのに必死なのです。だから、時には自分を見失ってしてはいけない発言をすることもあるでしょう。しかし、それも子供を愛する余りの失言だと受け取る器の大きさが、今の教師には必要かも知れません。話は、そのとんでもない仕打ちをしてしまった教師に戻りますが、この人物が学校の教師なのか塾の講師なのかはここでは明らかにしないでおきましょう。とにかく彼は、その少女の勘に障るような発言を繰り返し行っていたのです。「損な問題も解けないようでは、まず希望の学校には受からないね」とか「入試で算数から逃げているようじゃ、将来建築士や薬剤師にはまず一〇〇%なれないね」など、指導者の名前には到底値しない発言を繰り返したのです。その子の両親は激怒しましたが、管理職は「指導の過程でつい口から出た発言で、どうも誤解されてしまったようです」と言い訳をしたそうなのです。私は、その先生と彼女との会話をすぐそばで一部始終聞いていましたから、指導の過程の仕方ない発言ではなく、明らかに不必要な悪意に満ちた発言であったことは確かです。
 子供の持つ可能性は本当に無限です。現に私など、小学校・中学校を通じて作文ほど苦手な作業はありませんでした。それが、現在では一日に原稿用紙百枚の原稿を書くことも可能になってしまったのですから、子供時代の表面的な能力など、いかに当てにならないかということがわかると思います。しかも、人間の脳は与えられる刺激によって、信じがたいパワーを発揮する可能性を持っていますから、子供の将来がどのようになるか断言することなど、神様でもない限り誰にもできないことなのです。それがわかっていない人は「教師」と呼ばれる資格を持たないと思って間違いないでしょう。
 思春期の子供は確かに扱いにくいものです。枠にはまっている子供は確かに扱いやすいかも知れませんが、味方によっては反抗的な子供の方がエネルギーに満ちあふれていると言えなくもないのです。大人しく、素直な子供はエネルギーも少ないかも知れません。しかし、それとても人間が常に成長する生き物であることを考えれば、断定して考えることは危険でしょう。
 教育に携わる指導者は、「教育」という壮大な行為の意味を深く理解している必要があります。「教育」とは知識を詰め込むことでも、教師の話を素直に聞かせることでもありません。「教育」とは疑問を持つことを教え子供の可能性を最大限に引き出す手伝いをすることです。世の中には埋もれた才能が数限りなく存在するでしょう。人間の可能性や能力が開発されないまま放置されているという事実を目前に突きつけられて、そんなことではいけないと正義感に燃えない自分がいたとしたら、その人は教育という仕事に携わるべきではありません。教育界で立派な指導者になる見込みはまずないからです。指導者次第で人間はいくらでも成長することができます。そういう使命感を持ち、型にはまらない子供をたのもしく感じる人が求められています。

《若い社員を育てること》
 日本の学校は、一人前の社会人を育てるようなシステムには、残念ながらなっていません。子供たちは有名大学に合格した時点で、あたかも人生の目標を達成したかのような錯覚に陥ってしまいます。実際には、社会人として何をするかでその人の価値が決まるというのにです。
 そんな若者たちを採用する企業は、人材の育成に血眼になることでしょう。「イエスマン」は確かに扱いやすいでしょうが、会社の発展に貢献するような独創性に富んだ戦力にはなり得ません。しかし、就職したばかりの若者たちは、とんでもないミスばかりをしでかすことでしょう。場数を踏んでいないのですから、それも当然のことです。ですから、そういう若者たちを指導する立場にある中堅社員たちは、新入社員たちのミスに寛大でなければなりません。「ミスができるのも今のうちだから、どんどん新しい仕事に挑戦して思いっきりミスをしなさい。君らのミスは僕らが何とかするから」と若者たちの自由なエネルギーの解放を認めてやれる指導者に恵まれた社員たちは、本当に幸せでしょう。ところが、自分たちが新採用だったころの頼りなさをすっかり忘れて、新入社員の小さなミスにカリカリする指導者の下に置かれた社員たちは、不幸にも小さな器にしか育たないでしょう。そして、毎日の仕事に意義を見いだせずに、すぐに会社を辞めてしまう若者たちも続出するはずです。
 私が新採用で学校現場に赴任したとき、先輩教師たちは「どうせお前らはミスばかりするんだから、そんな事は気にせずに思いっきりやればいい。お前らのケツは俺たちが拭いてやるから安心しろよ」と言ってくれました。だからというわけではありませんが、私たちはとんでもないミスの連発でした。それでも先輩たちは嫌な顔もせず、笑って許してくれたものです。そして保護者からの苦情が来れば、間に入って関係を取り持ってくれました。だからこそ、私たちは自由に育つことができたのだと思います。しかし、最近の学校現場は管理主義が横行して、若い先生たちがまるで年寄りの教師のように冒険をしなくなっています。最初からミスをしないことを求められるのです。小さなミスを気にして仕事としていたら、人間は小さくまとまって終わってしまいます。
 指導者は、若い人材の育成に全力を傾けなければなりません。なぜなら、人材の育成こそが会社や組織の将来を決定するからです。人材の育成に失敗すれば、その会社や組織の未来は先細りになること間違いなしでしょう。逆に人材の育成に成功すれば、その企業には茫洋たる未来が開けるのです。「角を矯めて牛を殺す」という諺がありますが、若い人材の小さなミスをとがめて、彼らの伸びるエネルギーを台無しにしてしまうことだけは、絶対にあってはならないのです。
 しかし、最近の指導者、特に中間管理職と呼ばれる人たちには、保身主義に凝り固まった人間が多いのが残念です。部下のミスが自分のマイナス評価につながると考えるから、ついつい部下を必要以上に管理してしまう。部下の小さなミスにこだわる姿勢が、やがては我が身を滅ぼす結果に通じることを理解できない指導者たちは、目先の保身に走りがちです。保身を第一に考えている指導者は、その消極的な気持ちがはっきりと言動に表れますから、決して部下から信頼されることもありません。「この人のためになら、多少の無理はおしても頑張らなくては」と思わせてくれるような指導者にならなければ、部下は十分に能力を発揮してはくれないのです。結局は保身に走って保身にしくじるという皮肉な結果を招くことになるでしょう。
 私が働いていた中学校の管理職も、保護者からの評判を非常に気にするタイプでした。保護者のいない校長室では、さんざ保護者の悪口を言っておきながら、いざ保護者の会合に出席したりすると、自分の部下である教職員の立場を守ることもしようとはしません。私がいじめられていた少女を救いたいがために、二人の少年に体罰を行使したときも、その少年たちの親の悪口を言いたい放題言っておきながら、最終的には私の立場を守ってはくれませんでした。そして、最後には「あなたに学校にいられると迷惑だから転勤してくれないかしら」と、信じられないような発言までする始末です。私は腹立たしいよりも情けなさの方が大きかったように思います。私以外にも、保護者から恨みを買った二人の教員が無理矢理転勤させられました。目の上のたんこぶは全て取り去って、無事に定年退職を迎えたいのでしょう。私はその校長を少しも恨んではいませんが、彼女はいつの日か必ず私たちにした仕打ちに対する報いを受ける日が来るのだと思います。
 今日のような不景気な世の中にあって、家族を抱える人間たちが保身に走るのは決して単純に非難することはできません。しかしながら、自分の部下を見捨ててまで身を守ろうとする人に、果たして指導者としての資格があるでしょうか。まあ、そうは言っても、私がそういう責任のある立場になったら、危険を冒してまで部下をかばおうとするかどうかはわかりませんが、少なくとも部下に全ての責任を背負わせて自分は知らんぷりを決め込むことだけはできないだろうと思います。
 有名な映画俳優のトム・ハンクスと映画監督のスティーブン・スピルバーグが共同で作成した『バンド・オブ・ブラザーズ』というテレビ映画が話題になったのはつい最近のことです。このテレビ映画はノルマンディー上陸作戦に参加した実在の空挺部隊をモデルに作成されたものですが、映画の中には様々なタイプの上官たちが登場します。そして主人公的存在の上官は、自らが危険な任務の先頭に立って指揮を執るのです。モデルになった空挺部隊で幸運にも生き残った人々は、口を揃えて上官の勇気を賞賛していました。部下の命を一つでも多く無事に本国に返したいという上官の思いが、部隊の兵士たち全員に伝わっていたのでしょう。その部隊は誰もが勇敢に戦い抜いたのです。中には、飛び交う銃弾の中で怖じ気づいて動けなくなってしまう兵隊もおりましたが、その上官は決して勇気を無くしてしまった部下を責めたりはしませんでした。それどころか「お前は疲れているのだからゆっくり休んでいろ」と優しく命じて自分は前線へと向かうのです。
 私の父は、終戦を迎えたときちょうど二十歳でしたが、上官たちははっきりと二通りの人種に別れていたそうです。のべつ幕無しに威張り散らす上官と、部下思いの人情味あふれる上官とにです。恐らく、人間の持つ器の大きさは一生変わらないのではないかと思います。人の上に立てる器とそうでない器。それとも、本人の心がけ次第で生まれ持った器の大きさを少しずつ大きくしていくことはできるのでしょうか。もしそうだとしたら、指導者という立場に立った人たちには、部下を思いやる大きな器になる努力を期待したいものです。そのために、部下の何倍もの報酬を受けているのですから。
 人の人格はなかなか繕うことができないもののようです。良き指導者を演じようとしていくら無理をしても、普段の言動のどこかに自分を大切にする感情がこぼれだしてしまいます。自分がいくら部下に気を遣っているつもりでも、肝心な場面ではやはり鈍感さを画すことができません。どんな小さな仕事にも「ありがとう」「ご苦労さん」のひと言を忘れないという簡単な習慣でさえ、指導者としての立派な人格が備わっていない人には常に実行に移すことは無理なのです。会社が多忙を極める時期になれば、すぐにぼろが出てしまうことでしょう。心から部下を思いやる指導者になることは本当に大変です。

《褒め上手になること》
 「お世辞」とか「おだて」など、大人の世界には中身のない褒め言葉が横行していますが、相手が本気で言っていないことがわかっていても、褒められて嫌な気持ちになる人はまずいないでしょう。人間というのは実に単純な生き物です。そして褒められると、もっと仕事をしようと頑張りたい気持ちになってしまう。逆に、ミスを叱られてばかりいたら仕事をやる気も失せてしまいますね。
 私は教員時代に十年以上女子ソフトボール部の顧問をしていましたが、選手たちが試合で活躍するかどうかは、本当に顧問のかけるひと言で決まってしまうということを何度も実感させられました。例えば、いくら注意してもストライクに手を出さずに、高めのボール球に手を出してしまうバッターがおりました。こちらがたまたま不機嫌で、彼女のボールの見極めの悪さを叱れば叱るほど、彼女は萎縮してストライクのボールにも手を出せなくなってしまうのです。ところが、どんなボール球に手を出しても、「そういう積極的な姿勢でいけよ」とか「今のすぃんぐはなかなか良かったぞ。次はへその高さの球が来たら同じように思いっきりスウィングしてみろ」などと励ますような言葉をかけると、本当にヒットを打ってしまいます。小さい頃から野球に慣れ親しんでいない中学生の女の子ですから、監督に褒められることは本当に嬉しいのでしょう。そして、男子部員には滅多に起きないことが起きるのです。つまり、男の子たちは自分の能力を知っていますから、監督の「おだて」があまり功を奏しません。自分が確かな実績を残さない限り、自分の能力に自信を持つことが少ないのです。ところが、女の子は全く違います。自分の野球センスなどは全く自覚していませんから、監督が褒めれば本当に自分はすごい選手かも知れないと思いこんでくれるのです。そして、その思いこみが、その選手を本当に育ててしまう。よく同僚たちと話していたのですが、部活動の顧問をするなら絶対に女子の部がいいね、というのはそういう意味からです。逆に男子の部活動を育てることは本当に大変です。
 基本的に、人間は完璧ではありません。ミスをするようにできていますから、そのミスを叱っていたらきりがないのです。それどころか、ミスをしないように気をつけようとすると、かえって緊張してしまって事がうまく運びません。まさに悪循環ですね。ですからミスをしたときには、指導者がミスをすることはいいことだという暗示をしっかりとかけてあげることが必要になってきます。暗示と言いましたが、実際に人間はミスから学ぶ生き物です。ミスをたくさんすることで、場数を踏み、やがてはリラックスした状態で状況に対応することができるようになるのです。そう考えれば、ミスは非常に大切な経験です。むしろ、普段の練習試合などでミスをしない選手が、たまたま公式戦で一つのミスをしたりすると、一挙にペースが狂ってしまうのです。それがエリート選手の弱点です。
 「叱咤激励」という言葉もありますから、たまには檄を飛ばすことも必要なのですが、初心者を育てる場合には、それがスポーツであれ仕事であれ、ミスを上手にフォローしてあげることが何より大切なのです。そして、ミスをすることがどのように自分を育ててくれるか、時を見てしっかりと説明してあげることも意味があるでしょう。そして、私のようにチームプレーのスポーツで監督業をする立場になったら、ミスは「個人のミス」ではなく「チーム全体のミス」だと思いこませることが大切です。実際に、ミスは続くもので、チームが緊張しすぎているときなどにそういう現象が起きるのです。そういうときは、試合には流れがあって、今は自分たちに不利な流れの中にあるからミスが出てもあわてずに、一つずつアウトを取ることだけに集中しなさいとアドバイスするのが一番です。恐らく、それでもミスは続くでしょうが、何とかスリーアウトをとってベンチに戻って来たときには、「よく乗り切ったね」と笑顔を褒めてあげることが非常に大切です。もう一度リラックスした状態に戻ることができれば、失点を挽回することはいつでもできるからです。私がよく犯してしまったミスですが、選手たちがエラーを連発して相手に思わぬ得点を続けて与えてしまったようなとき、ベンチがパニックに陥ることだけは絶対に避けなければなりません。ところが未熟な監督だった私は、よくパニックになって怒鳴りまくってしまいました。「しっかりしろ!びくびくやってるから駄目なんだ!」と檄を飛ばしてしまう。ところが、こういうマイナスのメッセージは選手たちをマイナスの暗示にかけてしまうことになり、いい結果につながることは決してありません。「駄目なんだ」という言葉は絶対に禁物です。そこが監督業の難しさであり、同時に醍醐味でもあるわけです。
 今年セ・リーグを制覇し、日本シリーズに進んだ中日ドラゴンズの落合監督は、まずめったに激怒した表情を見せることがありませんでした。チームがどんなピンチにあっても、常にベンチの中で笑顔を絶やさなかったのです。内心は、腑の煮えくりかえりそうなプレーに激怒したいことも度々だったに違いありませんが、彼は決してその感情を外に出すことはありませんでした。それだからこそ、選手たちは伸び伸びと力量を発揮することができたのだと思います。もちろん、ベンチで激怒ばかりしていた星野監督のようなタイプの監督もいますから、一概に笑顔でいることがいいとは言えないかも知れませんが、星野監督も恐らくはどこか別の場面で選手たちを大いに褒め称えていたことでしょう。怒ってばかりで選手がついてくるはずはないからです。スポーツの監督は、選手の持つ力を十二分に引き出すことができて初めて立派な指導者だと評価されることになるのです。

《人の可能性を信じること》
 これはよく知られた話ですが、普通の人間は死ぬまでの脳の3%程度しか使わないということですね。5%も使えば天才の領域に入り、ノーベル賞を受賞するような優秀な科学者でも、せいぜい12%を使うのが精一杯なのだそうです。つまり、人間が開発しないまま埋もれている可能性や才能は非常に大きいと言うことでしょう。
 昔、こんなことがありました。私が中学校の教師を始めてから十年ほどした頃、英会話をマスターするためにはできるだけ手本となるような英語を無理矢理にでも脳にインプットする必要があるというので、自作の対話を作り、そのスキットを暗唱して私の前ですらすらとそらんじることができたら、新しいスキットがもらえるというシステムを作ったのです。もちろん、暗唱するスキットの数でポイントが付与されましたから、高校進学の成績が気になる三年生たちは必死になって暗唱に努めました。その中の一人の女の子が、ずば抜けた能力を開発することになります。彼女は新しくもらったスキットをほんの数十分も練習するとすぐに覚えてしまうようになりました。それからは、新しいスキットを作ればすぐに彼女が試験にやってくるので、私は大忙しのスキット作りに挑まなければならなくなってしまったのです。これこそまさに嬉しい悲鳴なのですが、私はそのとき子供たちの持つ能力というのは計り知れないものだとつくづく感心させられました。
 特に、運動能力などは、訓練の仕方しだいでいくらでも開発することができます。問題なのは、「自分は運動音痴なのだ」とマイナスの暗示をかけてしまっていることです。能力開発の訓練は、非常に単純ですが、多くの工夫を必要とします。ここ十年ほどで爆発的な人気を得た「ラダー」と呼ばれる、ロープで作ったはしごなどはそのいい例でしょう。私は一万円以上もするラダーを購入する代わりに、自分で安いロープを買い込んできて、自作のラダーを作りました。そしてついでに9マスの正方形を編んだ特製ラダーも作ったのです。それで子供たちの運動能力がどのくらい開発されたのか、実証する術はありませんが、少なくとも人数ぎりぎりの部員数しかいなかった私のソフトボールチームが、毎年常に県の優勝候補に挙げられていたのは、そういう工夫があったからではないでしょうか。雨の日の練習には、多くの運動部が廊下を走ったり階段の上り下りをしたりするものですが、私は選手たちを多目的ホールに集めて、バスケットボールとバレーボールで手首の筋力を鍛えるトレーニングをしました。また、四月の新入生募集の時期には、宣伝の意味も兼ねてフリスビーを練習に取り入れたりもしたものです。現代っ子たちの運動神経の鈍さは、明らかに遊びの経験の少なさから来ていると思われます。私たちが子供の頃は、学校が終わって家に帰ってくると、コンピューターゲームに興じる代わりに、ランドセルを玄関に放り投げて、すぐに野原を駆け回りに出かけたではありませんか。砂場で裸足で相撲をとることもよくありましたし、木登りだってよくやりました。そういう遊びの中から、私たちは自分たちに秘められた運動能力を知らず知らずのうちに開発していったのではないかと思うのです。
 バッティング練習にしても、ただ単にボールを打つ練習をするのではなく、動体視力を鍛えるトレーニングを積み重ねて、ミートを確実にする訓練をしていた顧問もおりました。右打ちの選手にわざと左打ちの練習をさせることも、体のバランスを身につける意味で大いに価値があることです。また、私は女の子たちに野球選手のピッチャーのように、ゆったりしたフォームで足を高く上げてピッチングをする練習をさせました。しかも、投げるボールはストレートではなくカーブです。手首の柔らかさを開発する目的でした。これらの練習の成果も実証する術はありませんが、チームの選手たちがスローイングのきれいさを他の監督たちから褒められていたところを見ると、やはり何らかの効果はあったのでしょう。足の遅い選手を鍛えるのには、腕をできるだけ速く振る練習をさせます。なぜなら人間の足は腕を振ることによって動くからです。オリンピックの百メートル走の選手たちの上半身が筋肉隆々なのはそのためなのです。 こうして、練習を工夫することで運動音痴だと思いこんでいた選手たちの秘められた能力は、みるみるうちに開発されていきます。小さい頃に運動をしたことがない子供たちの方が、その変化が目立って大きかったような気がします。
 かくいう私は、自称「機械音痴」でした。ステレオの配線もできなければ、ビデオの録画予約もできないのです。パソコンに至ってはスイッチの場所さえわからないと言った有様でした。しかし、ワープロだけは何とか遅れてスタートしてブラインドタッチでは誰にも負けない速さだけは誇っていました。これは高校生の頃からタイプライターを自主的に練習していたためです。そして、機械音痴の私もいよいよパソコンに挑戦しなければならない時代がやってきてしまったのです。私はなかなか気が進みませんでしたが、いずれはパソコンを使った授業もしなければなるだろうと思い、思い切ってノートパソコンとデスクトップパソコンの二種類のパソコンをほぼ同時に購入しました。そして、何を思ったか説明書を見ながら配線は十時間近くをかけて全て自分で行ったのです。それが自信になったからでしょうか、私のパソコンの腕前は信じられないスピードで伸びていきました。パソコン歴はまだそれほど長くはありませんが、必要なソフトなら自作できるほどにまで上達したのです。学校周年記念誌の編集長として予算を削減するために全ページカラーで編集作業も行いました。おかげで、万年寝不足の状態にはなってしまいましたが、本来ならば一五〇万円ほどはかかるだろうと言われた記念誌が、オールカラーで五〇万円で業者に請け負ってもらうことに成功したのです。自分にこんな能力があったなんて、私自身でも信じられない気持ちでした。それからは、パソコンのトラブルを同僚から相談されることも多くなり、まるでインストラクター気取りでいる自分に苦笑したものです。ステレオの配線もやってみれば結構面白く、私は視聴覚機器の保管責任者としても大活躍できるようになりました。現在、我が家では居間と寝室の二カ所がホームシアターと化しています。防犯機器も全て自分で設置しました。
 私塾に勤めた私は、理解以外の五教科を教えなければならなくなりましたが、自分では苦手だった社会も、教えるようになってもう一度勉強をすると驚くほど簡単にコツを覚えてしまいました。最初は、何で自分だけが英語以外にあれもこれもやらなければならないのかと不満に思っていたのですが、今思えば私は大変な得をしたことになります。私は五教科の中では理科が一番苦手でしたが、今ではその理科も教えることができるのではないかと思えるようになりました。
 結局、人間の能力というのもは、予測不可能なのです。誰にどんな能力が秘められているか誰にもわからない。チャンスさえ与えられれば、いくらでも開発できる能力があちこちに眠っていることになります。そういう目で周囲を見渡してみると、世の中は非常に人材に恵まれているという感じがしてきます。私の妻もコンピューターは大の苦手でしたが、私が無理矢理妻用のコンピューターも買い与えて、放っておきましたら、今では達者にインターネットなどを楽しんでおります。もともと事務職でデータの打ち込みの経験がある妻でしたので、恐らくコンピューターとの相性は悪くないはずだと踏んだ私の判断は見事に的中したのです。

《仕事を上手に割り振る能力》
 実は、私もそうなのですが、真面目に仕事をこなすタイプの人は、どうしても部下に仕事を上手に割り振ることができません。何もかも自分がやらなければならないような気持ちになってしまうからでしょう。
 私の血液型はA型ですが、几帳面なA型は例えば掲示物が曲がって壁に貼られていることがどうしても気になって貼り直してしまいます。こういう性格は非常にいいように見えて、実は教員をするにはあまり良くない性格です。なぜなら、生徒の個性はさまざまで、中には一生懸命作業をしてくれても、横のものが縦になっていても少しも気にならない生徒もいるのです。そういう生徒の作業を、にこっと笑って褒めてあげられる資質がなければ教員は務まりません。掲示物が曲がって貼られているのも、その生徒の個性なのだと感じれるようにならないと駄目なのです。そして、どうしてもそれが気になるのなら、作業をしてくれた生徒にわからないように、毎日少しずつ位置をずらすしかないでしょう。
 私は、最後の勤務校に赴任したとき、それまで何度も療養休暇をとっていたことを考慮されて部活動の顧問をはずされました。確かに私にとっては非常に楽な生活にはなったのですが、農家の長男に生まれて貧乏性が身に付いている私には、自分だけが楽をしていることは絶対に許せませんでした。そこで、私が探した仕事が、校舎の壁磨きだったのです。もう何十年も磨かれたことがない壁は、ハイテクスポンジを使ってそうじをすると、見事に白い輝きを取り戻してくれました。その作業はとてもやりがいのあるものだったので、私は暇さえあれば壁磨きに没頭していたのです。そんな私の姿を見ていた生徒たちは、私のことを高く評価してくれましたが、実はそれが仇となってしまいました。つまり、私が頑張ると言うことは他の先生たちが低く評価されることにつながってしまうからです。私は、学校の先生たちはそれぞれに仕事を抱えていて大変なのだと言うことと、壁磨きが自分の仕事なのだということを、じっくりと説明して聞かせたのですが、子供たちの目からすると、なぜ私だけが汚れ仕事をしなければならないのか不可解だったのでしょう。
 私の壁磨きを素直に評価してくれた職員は当時の教頭先生と事務室の人たちだけでした。事務室の事務主事を務めていたKさんは、かつてお嬢さんが私のクラスの生徒だったという不思議な縁の持ち主だったのです。彼は私が遠慮無く壁磨きができるように、高価なハイテクスポンジを大量に買い込んでくれました。教頭先生は、いつもにこにこしながら私に声をかけて下さいました。「石山さんは、壁磨きをしないと一日の仕事が終わらないんだね」それは教頭先生流の「ご苦労様」という言葉だったのです。ところが、職員室の他の同僚たちは、これ見よがしに壁磨きをされていると感じたのでしょう。私の行動は、味方によっては、「お前たちは今まで何をやっていたんだ?こんなにきれいになるのに、どうして壁磨きもせずに過ごしてきたんだ?」という批判の行為に思えてかも知れません。しかし、私の本心は、新採用でお世話になった学校でもあった最後の勤務校が、愛おしくて仕方なかったという気持ち以外の何物でもありませんでした。
 確かに校舎の壁はみるみるうちにきれいにはなりましたが、私と職員室の同僚たちの間に、目に見えない壁ができてしまったのも確かなようでした。私のように、自分一人の判断でどんどん行動してしまうようなタイプは、リーダーとしては失格です。本来ならば、職員会議に提案して、全職員と全校生徒を巻き込んだクリーンアップ運動にまで発展させるべきだったのでしょう。そして、その音頭取りは自分が立候補してやれば良かったのです。そうすれば誰からも恨みを買うことはなかったでしょうし、職員室の仲間たちを悪者にしなくても済んだはずなのです。自分はいいことをしているつもりでも、それが他人の評価を下げることにつながっている場合は結構あると思います。私の行為は悪い言葉で言えば「独善的」だったと言えなくもありません。しかし、私は思ったらすぐに行動に移すというタイプであるだけでなく、他人に仕事を頼むことがとても苦手なのです。みんな忙しい生活を送っているのに、その腕に新たな仕事を頼むことがどうしてもできません。それで何もかも自分でやってしまう結果になるのです。しかし、私がただ単に遠慮してそうしていることも、他人から見れば「仲間の仕事を信頼できないのではないか」といううがった見方をされかねません。
 どんなに頼みにくくても、上手に仕事を割り振ることは、リーダーとなる人間には絶対に不可欠な資質です。部下や生徒に「自分は信頼されているんだ」という安心感を与えることができなければ、誰も気持ちよく働いてはくれません。生徒にしても、せっかく頑張ってやり遂げた作業を、目の前で直されたしまったらがっかりすることでしょう。
 よく一般社会では言われることですが、仕事というものはなぜか忙しい人のところに集まるものです。それはその人がよく仕事ができる証拠でもあるわけです。ですから、仕事を頼まれるということは、確かに最初は面倒に感じることがあっても、後になって落ち着いて考えれば、決して嫌なことではないわけです。能力がなければ仕事を頼まれることは絶対にないのが一般社会ですから。逆に、他人に仕事を頼まないということは、他人の能力を過小評価していると思われても仕方ないでしょう。そうなったら、その人がどんなにいいことを提唱しても、誰も賛同してはくれなくなってしまいます。A型の人間よりもB型の人間の方が指導者に向いていると言われるゆえんは、そのあたりにあるのではないでしょうか。仲間は信頼しないといけません。 私が良しと思ってやったことで失敗してしまった例は限りなくありますが、そのうちのいくつかを挙げてみましょう。まずは、朝練の終わる頃に職員玄関前の水打ちをやってしまったことです。毎日必ず水打ちをやることは事務室の人たちには大いに喜ばれましたが、一般の職員からすれば、まるで自分たちが仕事をさぼっているように言われているような気持ちになったかも知れません。ある冬の日に私は言われてしまいました。「水打ちをしてくれるのはいいけど、こんな寒い日にやったら水が凍って滑ってかえって危ないから辞めて欲しい」と。確かにその通りなのですが、私はその悪意のこもった言葉にものすごい反発と激怒を覚えました。今思えば、若かったなあと反省しきりです。
 学校を辞めて塾に勤めたときもそうでした。ゴミ箱がいっぱいになっていたので、ただそのゴミをまとめて、新しいゴミ袋をゴミ箱に取り付けただけなのです。その他にも、ブースを仕切る壁がいたずら描きで汚れていたので、洗剤をつけた雑巾できれいに掃除してしまいました。私にしてみれば、気がついた人間がやるのが当たり前のそういう行為も、私より長くそこに努めていた講師からすれば、「何でお前はこんな簡単なことにも気がつかないんだ!」と責められているような気持ちになったのでしょう。年配のある女性講師が突如として私に攻撃的に言ってきたのです。「あなたは自分の判断で物事を勝手にやりすぎるから、もっと周囲の先生たちにきいた方がいいわよ」と。私がまとめたゴミを一時的に教室横の台所に置いたのがいけなかったようです。もちろん、この件に関しては、私のミスをていねいに指摘してくれれば済むことですから、相手の中年の女性講師も了見が狭かったことは確かでしょう。しかし、私はもっともっと多くの場面で、知らず知らずのうちに仲間から反感を抱かれていた可能性が大きいのではないかと思います。

《冷静な判断力と迅速な行動力》
 とかく指導者としての批判を受けやすいのが、一国の首相や大統領でしょう。現政権の小泉首相も数々に批判を浴びています。それでは彼が本当に指導者として不適任かと言えば、決してそうではないと思うのです。
 北朝鮮の拉致問題で、北朝鮮に対して厳しい経済制裁を即座に実施すべきたという意見が多数派になりつつありますが、北朝鮮を追いつめることが果たして日本の本当の国益につながるかという問題は、慎重に検討しなければなりません。「拉致問題と人道支援とは別に考えなければならない」と答弁した小泉首相の答えは、まさに的確だったでしょう。 「窮鼠猫を噛む」の喩えのごとく、追いつめられた北朝鮮政府がどんな無謀な手段に出るかは予測不可能なのです。万が一、北朝鮮が核ミサイルを発射することにでもなったら、どうするのでしょう。7分で日本に着弾します。アメリカから買いためてきたパトリオットミサイルで確実に迎撃できるでしょうか。万が一迎撃に成功したとしても、上空で核爆発が起きれば、地上の電子機器は機能しなくなるのを皆さんはご存知ですか。それに放射能汚染は気流に乗って広範囲に拡散することでしょう。もし、弾頭に化学兵器が装填されていたとしたら、被害はもっと甚大になること間違い無しです。それを考えたら、安易に強硬な経済制裁を実施することはできないわけです。
 首相の靖国神社参拝にしても、誰が考えても中国や韓国を刺激するに決まっている靖国神社への参拝を、首相が喜んで実施したと思いますか?国民からも批判の声が上がるのを覚悟の上で参拝したということは、「首相として靖国神社にどうしても参拝してもらいたい」という強力な圧力を受けていたということを意味します。支持団体がそのような強い意志を持っていたとしたら、首相自身は参拝に消極的な意見を持っていたとしても、靖国神社には行かざるを得ないのです。
 構造改革も少しも実がないではないかと批判されがちですが、そんなことはありません。彼が首相になってから、官僚たちの汚職がどれほど白日の下にさらされるようになったかを考えてみて下さい。構造改革は、ちょうど流通経路を単純化することで商品の価格を抑えるのと似ています。複雑化した構造を単純にすることで、国民からすればガラス張りの政治を目指そうということなのでしょう。様々な国営事業を暫時民営化するという方策も非常に有効だと思います。親方日の丸の組織には「企業努力」というものがどうしても欠如しがちですから、国鉄がJRになって蘇ったように、できるだけ国の負担を減らす試みは必要でしょう。
 しかし、私たち国民というのは実に勝手なもので、例えば消費税が5%になって大騒ぎをしましたね。欧米諸国で消費税が5%という国があるでしょうか。消費税二桁になっても文句を言わないようにしなければ、社会保障の充実など望めないのです。だいたい財源無くしてサービスを望むこと自体が間違っています。それなりの義務を果たしてこそ、国民へのサービスが望めるわけで、私たちもそういう冷静な判断力と分析力をもって指導者の資質を判断しなければなりません。
 憲法改正論議も盛んですが、自衛隊を自衛軍にするという自民党の原案は、広島や長崎の原爆被害者のことを思えばとんでもない案でしょう。しかし、武力無くして国を守ることができるかということになると、世の中はそんなに理想的な展開はしないものです。スイスが永世中立国の状態を保てているのは、強大な軍隊を保持しているからで、日本も自衛軍をしっかりと充実させて、文民統制(シビリアン・コントロール)をしっかりすることが大切なのではないでしょうか。自衛隊が軍隊かどうかなどという次元の低い論争はもうやめましょう。自衛隊は明らかに軍隊です。それは後悔されたアメリカの極秘文書からも明らかで、日本国憲法に沿った形で日本を再軍備かする方法が「自衛隊(Self Defence Forces)」という名称だったわけです。しかし、アメリカ空軍のことを英語で"U.S.Air Force" と言うことからも明らかなように、"Forces"という名前がついた自衛隊は、明らかに軍隊なのです。しかし、日本の自衛隊は先日の新潟中越地震やもっと前の阪神淡路大震災のときにも明らかになったように、災害救助の大きな役目も担っています。ですから、北朝鮮のような独裁軍事国家がいつ生まれるかわからない状況の中では、憲法を改正して自衛軍という軍隊をしっかりと整備することは必要なのです。中国も、経済発展の途上にある今だから日本やアメリカと仲のいい関係を保とうとしていますが、やがて力が十分についたときには、どのような動きを見せるかは不透明です。軍隊を保持することで、簡単には侵略されない保証を確保できるのであれば、それに越したことはないでしょう。また、現実的な話になりますが、兵器産業が公認されれば、大きな不景気対策にもなるのです。もちろん、核兵器を所持するかどうかという問題については、広く国民の議論を待つ必要があるとは思います。そうでなければ、世界で唯一の被爆国である日本の役割が消えてしまうからです。被爆者や被爆者の遺族たちのためにも、新しい形態の軍事力を考案する必要があるでしょう。
 アメリカのブッシュ大統領が、大量破壊兵器を持っているという根拠のない理由でイラクに戦争をしかけたことで批判されていますが、それではブッシュ大統領以外の人物だったらイラクと戦争を始めなかったのかと言えば、それは同じ結果になっていたのではないでしょうか。なぜなら、アメリカの政権を支えている巨大な企業がそれを要求していたからです。政治はきれい事では済みません。人道的に間違っていることでも、敢えて実行しなければならないこともあるでしょう。そして、首相とか大統領という肩書きを持った人々は、私たちの知らない場所で、自分の下した結論に苦悩しているかも知れません。
 一国の指導者であるということは、小さな組織の指導者であることとは、かなり状況が違います。国民に政策の全てを詳しく説明したくても、その時点で作戦を漏らすことが国益に沿わないときには、どうしても黙りを決め込むしかありません。すると、国民はより一層指導者としての首相や大統領を批判するようになります。
 ただ、一国の指導者であっても、国民の苦しい生活をよく知った上で政治をする必要はあるでしょう。リストラされる社員が後を絶たない状況の中で、自分だけが六〇〇万円を超えるボーナスを平気でもらっているようでは国民の信頼を得ることはできません。私の希望しては、その金額を全て何かに使って欲しかったと思います。

《臨機応変の判断ができる勇気》
 組織にはルールがつきもので、中間管理職的な立場にある人々は、そのルールをしっかり守って社員や部下を管理することにやっきになります。しかし、「例外のないルールはない」という格言があるように、特例を作っても大して影響のないものに関しては、指導者の判断でいくらでも臨機応変の対応ができるのですが、最近の指導者は度胸の据わった人が少ないために、融通の利かない人物が非常に多くなりました。
 例えば、私が5ヶ月間勤務した私塾では、講師の身元を明らかにするような情報を生徒に与えてはならないという鉄則がありました。そのルールの真意は測りかねますが、恐らくは出身大学や在籍大学の名前が知れることで、塾の評判に影響が及ぶことを恐れてのことなのでしょう。また、大学の名前で生徒たちが講師に先入観を抱くことを避けたいという糸もあったようです。しかし、実際には子供たちは大学の名前で講師に対する見方を変えるということはほとんどありません。それよりも、いかにわかりやすく楽しい授業をしてくれるかで講師を公平に評価するのです。私は素人作家の活動もしていますから、子供たちを元気づけるために自分が出版した本をメッセージ付でプレゼントしていたのですが、もちろん「生徒に物はあげない」という塾のルールには違反していたことになります。しかし、そのルールは物で生徒をつらないという意味であって、決して書籍などをプレゼントしてはいけないという意味ではなかったのではないでしょうか。
 ある日、私が表紙を開けたページに筆でメッセージをしたためようとしていると、室長がつかつかと寄ってきて、詰問口調でこう言いました。「何ですかそれは?先生の出版した本ですか?うちの塾ではそういうものを生徒にあげることは禁止されているので」と冷淡な物言いです。しかも、授業を受けている生徒の前で私にそう言ったのです。私は彼女に向かって質問しました。「生徒を励ますための書籍でも駄目なのですか?その意図は?」彼女は返答に困った挙げ句、「決まりなので守って頂かないと」と言うだけです。私はその場はそれで納得した振りをして、終わりにしました。
 しかし、その塾では講師の茶髪を許していないにもかかわらず、新しく採用された講師は見事な茶髪だったのです。これはいったいどういうことでしょう。ルールを徹底したいのなら、そういうことにも厳しくあるべきなのに、生徒に本をプレゼントすることは許されないのです。私は国語を担当していましたから、本を出版している先生なのだからということで、子供たちも安心して私から国語を習うことができたでしょうし、小学校・中学校時代を通じて、作文が苦手だった私にもこれだけのことができたのだということが、子供たちにとっては大きな励みになると思ったのです。しかし、それが塾則だと言われてしまえば、雇われている身である限り従わざるを得ません。私は、彼女の度量の狭さにがっかりしました。
 今だからこそ言えるのですが、小学生の場合は塾に5分前に来て、宿題もしっかりやってあるとシールを四枚貼ってもらえることになっているのです。しかし、中には学校が終わるとすぐに塾にかけつけて来て、三十分も前に到着している子供もいましたので、私はそう言う場合には特別に二枚ほどおまけでシールを貼って上げていました。それが子供のやる気を育てるのなら、ちっとも問題はないでしょう。
 ルールには絶対に守らなければならないものと、臨機応変の対応が許されるものとがあります。その塾では携帯電話の持ち込みは禁止していましたが、実際には車での送り迎えをしてもらっている生徒たちにとって、携帯電話を持ってくることは必要不可欠だったようです。しかし、教室内で携帯電話を私用することは厳禁で、それは徹底していいルールだと思うのです。しかし、現実には先生たちの注意を無視して、友達と電話のやりとりをしかも授業中にしている生徒もおりました。そして、いくら注意してもその生徒は「少しだけだからいいじゃん」と言って、携帯電話を切ろうとはしません。そういう指導を徹底できないでいて、なぜルールにこだわろうとするのでしょう。中には、授業中に立ち歩いてしまう生徒もいるのです。もう秩序も何もあったものではありません。私は、長年中学校の教師をしていましたから、そう言う生徒をびしっとさせることなどいとも簡単にできますが、私が横から口を挟めば担当している学生講師の立場がなくなるだけなので、私は極力見て見ぬふりをしていました。
 指導者たるものは、ルールを徹底する前に、そのルールにどんな意味が込められているのかを十分に理解する必要があるでしょう。そして、ミーティングでその意味をしっかりと講師である私たちに説明すればいいのです。自分でも意味がわからないようなルールをただ口にして講師に注意をするだけなら、誰にでもできるではありませんか。そこが指導者の重さを決定する重大な分かれ目になるでしょう。
 学校の教員をしていた頃は、特に校外行事のルール決めが大変でした。そして、多くの先生たちが望んだものは、どういう場合にはどういう対応をすればいいかというマニュアル作りでした。どうして自分で判断できないのでしょう。先生によって対応が違ってしまってはいけないから、というのが彼らの理由でしたが、対応が多少違ってしまってもそれはそれでいいではありませんか。それより、あらゆる場面を想定してマニュアルを作る身にもなって下さい。自分でマニュアルを作りながら、本当に馬鹿馬鹿しくなってしまいました。こんなことまで決めておかなくてはいけないのかと。例えば、修学旅行で夜に別の部屋へ移動している生徒を発見した場合には、誰がどんな注意をしてどういう措置をするかを決めておいて欲しいと言うのです。簡単ではありませんか。怒ればいいのです。その怒り方が先生によって違ってしまうのは致し方ないことです。それよりも、他人が作ったマニュアルに従って、心のこもらないしかり方をする方がよほど問題だとは思いませんか。
 こんな笑い話もありました。私とある先生との間の冗談だったのですが、修学旅行のマニュアル作りをしながら、私は思わす彼に言ったのです。「生徒が自動販売機でジュースを買っている場面を発見したら、どうやって指導するかマニュアルを調べてから注意することになるよね。先生がマニュアルを調べているうちに、その生徒は姿を消してしまうんじゃないかな」相手の彼は苦笑していました。こんなことを続けていたら、学校の先生の指導力はどんどん低下するばかりです。自分自身の規準で判断し行動できる人間でなければ学校の教師など務まりません。目の前で生徒が大怪我をしてしまったら、救急車を呼ぶべきか、それとも先に管理職に連絡をすべきか迷うのでしょうか。救急車を呼んで、後で叱られてしまったとしても、それで生徒の治療が少しでも早く行われるのなら、別に構わないではありませんか。管理職には事後報告でいいのです。そういう臨機応変な対応ができない先生たちがどんどん増えているのは実に嘆かわしいことです。
 これも笑い話になってしまうかも知れませんが、遠足に持って行くリュックサックの色が問題になって、「華美にならない物」というルールを決めたら、生徒が前日にリュックサックを持ってきてこれでいいかと聞くのです。私は、こんな子供たちを作ってはいけないとつくづく反省しました。遠足で例えば崖から落ちてしまったら、蛍光ピンクの派手なリュックサックを背負ってくれていた方が発見しやすいのです。つまり、普段の学校生活とは違って、校外の遠足などではできるだけ発見しやすい目立つものが適切だということになりますね。そういう臨機応変の判断ができないのです。学校の教師たちが杓子定規な指導をするから、子供たちも「中学生らしい物」などと言われると、何が中学生らしいのか自分で判断することができないわけです。「中学生らしいもの」と自分が思ったら、それでいいのです。つまり自分の判断に任されているのですから、どんな派手な物を持って行っても先生たちから文句を言われる筋合いはありません。
 臨機応変な判断ができない指導者に育てられた子供たちは、臨機応変な判断ができない大人に成長していくのでしょう。そんな四角四面な人間ばかりで世の中がいっぱいになってしまったら、息抜きなどできなくなってしまいます。基本的には人の命に関わらない限り、ルールの拡大解釈は許されるのです。

《部下や生徒のわずかな変化を見抜くこと》
 
 私がまだ学校の教員をしていた頃は、管理主義が主流だったので、担任しているクラスの朝の短学活では、生徒の服装や名札の有無にどうしても注意が向けられてしまいました。自分でも本当に情けないと思っていましたね。どうして、生徒の表情に一番最初に目がいかないのかと。悩みを抱えている生徒や具合の悪い生徒がいないかどうか、それが一番大切なことなのに、私たちは名札がついているかどうか、服装がきちんとしているかどうか、髪の毛が茶色く変わっていないかどうか、ピアスをつけていないかどうか、そんなつまらないことに最大の関心を払っていたのです。 部下や生徒の心の状態を把握することは、指導者にとっては最大の任務だと言っても過言ではないでしょう。調子が悪ければ、仕事や勉強にも調子が出ないでしょうし、悩み事があれば能率も落ちてしまうでしょう。その不調を見抜けないでいて、仕事や勉強の結果だけを叱責していたら、相手は落ち込んでしまうだけです。
 私が二校目の中学校に勤務していた頃は、校内暴力の全盛期で、学校は徹底的な管理教育を実施しておりました。きちんとした制服を着ていないだけで、正門から中に入れないという指導(当時はそれを「再登校指導」と呼んでいました)に荷担している自分は、いったい何のために学校の教師になったのかと日々苦悶していたのです。学校に持ってくるかばんも職員会議の多数決で統一した指定バッグに決定してしまい、私のストレスはもう限界に来ていました。そんなとき、当時のM校長先生が私を三階の空き教室に連れて行ってくれたのです。校長室は二階にあったのですが、そこでは話がしにくいだろうというので、わざわざ普通教室に連れて行って下さいました。「石山君、何か悩み事があるんじゃないのか。自分の中に秘めていないで、正直に私に言ってごらんよ。校長としてではなく一人の先輩教師として聞かせてもらうから」校長先生は私の心中を察していたのでしょう。私は普段疑問に思っていることを全て吐き出しました。当時は二泊三日のキャンプが「宿泊研修」という名前の堅苦しい行事に変わり、修学旅行も勉強の一環として何やら面白くない行事に変わりつつあったのです。私は校長先生に聞きました。「みんなは修学旅行が全ての行事の集大成だと言っていますが、校外行事は生徒たちの息抜きの場であってはいけないのでしょうか」すると、校長先生の答えは私の想像とは全く違ったものでした。「その通りだと思う。みんな難しく考えすぎるんだ。無事に行って帰ってこれればそれでいいと私も思っているよ」私は、M校長先生のその言葉を聞いて胸のつかえが取れたような気がしました。
 ちょうど私が離婚の痛手に苦しんでいた時期でもあり、M校長先生は私が二学期の終業式の日に、早退して成田空港に向かうことを特例として許可してくれたのです。通知票は副担任の女性教師が子供たちに渡してくれました。後で聞いた話では、M校長先生は私に特別な許可を出したことを周囲の教師たちからずいぶん批判されたそうです。しかし、校長先生は私には十分な休養が必要だと言うことをよくわかっていて下さったのでしょう。
 私は成田空港からたった一人で十二時間の空の旅を経て、南太平洋のタヒチ島に向かいました。中学生時代からの私のあこがれの島だったのです。ミュージカル映画の『南太平洋』の舞台になった島です。さぞかし美しいだろうと思って訪ねた島も、傷心の私にとっては多少色あせて見えた記憶があります。でも、日本から遠く離れて一人旅をした私は、学校の同僚たちとの生活の貴重さを嫌と言うほど思い知らされることになります。
 私が元通りの元気いっぱいな先生に戻るのにはそれからまだ一年余りの月日が必要でしたが、M校長先生の温かい思いやりだけは今でも忘れることができません。管理職でさえ教育委員会から厳しく管理される現在の教育界では、M校長先生のような太っ腹な校長先生はなかなかお目にかかれないとは思いますが、部下の心の状態を敏感に察知して、できるだけ健康な状態で仕事に向かわせようと配慮することは、立派な指導者の大きな条件ではないでしょうか。
 そういう意味では、私はソフトボール部の監督として非常に未熟なミスを数多くしでかしてしまいました。高熱を隠して雨の中三試合も連続で投手をこなしてしまった部員もおりましたし、調子が悪いのをおして試合に出ている部員に気づかずに、ミスを怒鳴りつけたりしたことも度々です。相手が誰であれ、人間の心の内を見抜くということは本当に難しいと思います。相手の小さな変化に気づくためには、自分が余裕のある状態でアンテナを四方八方に張り巡らしていなければならないからです。
 組織の要は人材です。その人材が見事に能力を発揮してくれなければ、組織の発展は期待できません。しかし、人である限りは、必ず背後に個人としての生活があり、そこには様々な喜怒哀楽が存在します。もちろん、一般の社会人になれば私生活のトラブルを職場に持ち込むのは禁物ですが、人間は完璧ではありませんから、公私をきっぱりと切り離して行動できる人間などいないでしょう。
 そういう部下の感情の起伏を敏感に感じ取って、温かい励ましの言葉をかけられる上司であるかどうかによって、職場の労働意欲も大きく変わってくるのではないでしょうか。仕事の引き際に、何気なく部下にお金の入った封筒を渡して、「今日は少し早めに仕事を切り上げて憂さでも晴らして帰り給え」などと言える上司がいたら、本当に素晴らしいことだと思うのですが、現実はそれほど甘くはありませんね。しかし、本当に企業を大事にするなら、まずは人を大事にしなければ。

《目先の利益に惑わされないこと》
 「金は天下の回り物」という格言がありますが、この言葉の本当の意味をよく考えてみたことがあるでしょうか。この格言は、きちんとした経済の法則を表した物で、世の中の人々がお金を貯め込んで使わないと、お金は死んでしまうのです。使ったお金はやがては自分に対して支払われる賃金として戻ってくることになります。経済の仕組みとはそうなっているのです。
 指導者になる人は多くの場合組織の利益も考えなければならない立場にあると思いますが、目先の利益ばかりを気にしていると、将来のもっと大きな収入を逃してしまうことになります。それは、幕末にアメリカのペリーが黒船を率いて来航したとき、異国に屈してはならぬと無理をして反発しようとした多くの武士たちの中で、坂本龍馬などの少数派は今はまだ反発する時期ではないと判断しました。そして、最初の打ちは外国の言うとおりに開国しておいて、その間に外国から多くの知識と技術を学び、富国強兵を図って、やがて国力がついたときに異国と対等に交渉しようと考えたのです。もしもあのとき、幕府が目先のプライドだけにこだわってアメリカと戦争をしていたら、日本はその時点で主権を失って列強の植民地と化していたことでしょう。長い先を見通す先見の明がなければ、指導者としても経営者としても組織を発展させていくことはできません。
 何度も言っているように、組織の命は人材です。優秀な人材を集め、また育成することに成功しなければ、組織の未来は恐らくは尻つぼみになってしまうでしょう。不景気の世の中では、一番最初に削られる予算は人件費です。しかし、安い給料をもらって一生懸命に働こうとする人間がいるでしょうか。どんなに経営が苦しくても、そしてトップの人間の人件費を抑えたとしても、部下の給料は十分に出すだけの器量がある会社は、将来莫大な利益を期待することができるはずです。なぜなら、「給料」は会社という組織が自分につける値段だからです。自分を高く買ってくれていると思えば、誰でも張り切って仕事をするに違いありません。ところが、自分が過小評価されていると感じたら、人間は本来の才能さえも発揮せずに終わってしまうでしょう。不景気を乗り切るためには、さまざまなアイデアが必要ですが、アイデアは人間が考案するものです。優秀な人材を抱えている会社組織は、そういうアイデアの宝庫だと言えるでしょう。そうやって将来的に莫大な利益を生み出していくのです。
 目先の利益に惑わされて人件費を惜しんでいたら、下手をすると優秀な人材も他の組織へと逃げてしまうことでしょう。私が5ヶ月間勤めていた私塾も、安い時給で学生講師たちをこき使っていましたが、やはり彼らの本音はもっと時給のいい場所に移りたいというものでした。例えば、現在の進学塾の多くは最初に入塾する際に二週間から一ヶ月間の無料体験期間を設けています。しかし、実際には授業は行われているわけですから、授業料収入のない分、学生講師たちの時給が抑えられているのです。テスト前になるとサービスでテスト対策の特別授業が実施されたりしますが、そのときの時給は普段の授業の時給よりもさらに安くなります。誰が好んで安い時給をもらうために休日出勤をするでしょう。名物講師に法外な給料を支払う余裕があるのなら、その分を少しでも学生講師たちの時給に回して上げたらいいのにとつくづく思いました。時給が百円でも二百円でもアップすれば、労働意欲が違ってきます。家で自作のプリント教材を作ろうかという気にさえなるでしょう。ところが、安い時給でこき使われているのだと感じている限りは、必要最低限度の労働以上のことは絶対にしようとはしないでしょう。そんな当たり前のこともわからないようでは経営者は務まりません。
 私塾も乱立の時代を迎えていますから、生徒の勧誘にやっきになっていますが、子供や保護者が塾を選ぶ基準は口コミで伝わる情報でしょう。だとすれば、いい授業をしていれば自然と生徒は集まることになります。そしていい授業を提供するためには、講師たちにそれに見合ったいい給料を支払わなければなりません。その代わり、講師たちには厳しい研修を課せばいいのです。私は、生徒の勧誘をするために、担当している子供たちを通じて塾の宣伝を積極的にして欲しいとミーティングで言われるたびに思っていました。「自分を室長にしてくれれば、塾生は今の一、五倍にはしてみせるのになあ」と。実際、私なら自腹を切ってでも講師たちをもっと大切に扱うでしょう。その代わり、いい加減な授業は絶対に許しません。また、講師たちが自主的に教材研究できるような十分な資料や書籍を完備するでしょう。そうすれば必ず生徒は集まるのです。実際、私が担当していた生徒は、仲間に「いい塾だよ」と口コミの宣伝を普段からしてくれていましたから、その子たちを通して数名の生徒が新たに入塾しました。しかし、私の勤務していた塾は、新しい生徒を増やすきっかけを作った私にではなく、何もしないでいた室長に歩合給を出すのです。馬鹿馬鹿しくてやっていられません。最初の契約の時点では、新しいアイデアや働き具合によって、待遇は徐々にアップするという話だったのに、実際には私が何をしているかなど、きちんと本部には連絡されていなかったようです。私が英語の講師たちのために作成した何十枚ものプリント教材は、その他の廃棄プリントと一緒に、教室の隅の机の上に重ねられたまま配られることはありませんでした。室長のプライドが許さなかったのか、それとも忙しさの中で単に配るのを忘れてしまったのか、いずれにしても部下の苦労を簡単に水泡に帰させることができる室長は、指導者としては失格でしょう。
 これは決してうぬぼれで言っているのではなく、私のように長い教師経験を持った教師には、あと十万円も余分に月給を支払えば、塾の発展のためにいくらでも利用できたはずです。高校の先生とのコネも多く持っていますし、何しろ現場の事に関しては誰よりも詳しく知っていて、テストの点数と絶対評価との関係も塾の先生たちが誤解している点を是正するのに大いに役立ったはずだからです。しかし、塾側は私の存在を「脅威」と判断したのかも知れません。私は恩に徒で報いるようなことをする人間ではありませんが、いつ寝首をかかれるかと心配だったのでしょう。結局、私は何度か待遇を良くしてもらえれば塾に残りたいというメッセージを送りながら、それを無視されて退職することになりました。もっと自分を高く買ってくれる場所は、他にいくらでもあったし、もう私塾に安月給で雇われるくらいなら、自分で塾を起ち上げてしまった方がずっとましだと思ったのです。
 私がこういう意見を言うと、「そんなことを言われても、塾は奉仕活動ではないのだから、やはり経営第一に考えないといけないんだよ」と諭されてしまいそうですが、実際には私の方が経営第一に考えて物を言っているということになぜ気づかないのでしょうか。私は霞を食って生きていけるとなど思ってはいません。お金は儲かれば儲かるほどいいと思っています。しかし、収益を上げるためには、他の塾がしていないような工夫が必要だと言っているのです。いつまでも旧態依然の経営をしているから、生徒がどんどん減ってしまう。安い時給で雇える学生講師を次々に導入するから、授業の質が落ちてしまう。そういう基本的な部分を改革しない限り、塾産業の発展は期待できないでしょう。実際、塾の講師たちの授業より、世間から批判され続けている学校の先生の授業の方がはるかにましです。知識も教育技術も生徒指導力も、塾の先生ははるかに未熟だと言えるでしょう。 ただ、誤解の無いように付け加えておきますが、私が勤めていた進学塾の学生講師たちは、みんな非常に熱心に授業に取り組んでいました。むしろ、室長よりももっと教室や生徒のことを真剣に考えていたと言えるかも知れません。私は、彼らなら十分に魅力的な教室を作り上げることができると思うのです。そして、私が経営者なら彼らにはもっと多くの時給を支払うでしょう。実際、彼らの時給は自宅での教材研究の時間も考慮に入れればコンビニのバイトより安かったのではないでしょうか。それでも彼らが塾の講師をやめずにいるのは、子供たちが大好きだからです。経営側は彼らのその情熱をうまく利用していたと言うこともできるでしょう。しかし、忘れてはいけません。彼らも大学の卒業と同時に塾をやめていくということです。その後に彼らと同じくらい熱心な講師を獲得できる保証などどこにもないのです。彼らが後輩に同じ仕事を果たして勧めると思いますか?

《才能を見抜く眼力》
 私の母がよく小学校時代の私の話を聞かせてくれました。小学校低学年時代の私は、とにかく落ち着きが無くて、授業参観などは恥ずかしくて教室にはいるのもためらうほどだったそうです。私は椅子をロッキングチェアーのように前後に揺らして、買ってもらったばかりのシャープペンシルをカチカチさせていたそうです。父は余りの恥ずかしさに、本当に教室を後にしてしまったと言いますから、よほどひどかったのでしょう。しかし、その頃の担任の先生は、「お母さん大丈夫よ。この子はきっとすごい子になるわ」と慰めてくれたそうです。しかし、それには少なからぬ根拠があったそうで、勉強にちっとも興味を示さない落ち着きのない私は、知能指数の検査ではずば抜けて優秀な成績を収めていたというのです。しかし、教室での乱心ぶりを見た両親は、そんなことを言われても少しも信じる気にはなれなかったようです。
 私が勉強に興味を示しだしたのは、恐らく小学校六年生のときだったでしょう。その時の担任の先生がいろいろな刺激をくれたのです。しかし、私は相変わらず体育と給食が大好きないたずらっ子でした。暇さえあれば、ほうきを手に女の子を追いかけ回してスカートめくりに夢中になっていました。ところが、中学校に入学すると、小学校低学年時代の担任の先生が予言したように、私は別の面を見せるようになります。何とクラスの学級委員に立候補してしまったのです。学校の成績もどんどん上昇し、二年生になる頃には学年二百人中でたいてい十番以内に入るようになっていました。高校は、家が貧乏で尋常高等小学校しか出してもらえなかった父があこがれていた、地元の有名進学校に何とか合格することができたのですから、人間はどこでどう変わるかわかったものではありません。
 でも、私は当時東大合格者の人数で、有名私立高校に混じって唯一のベストテン入りを果たした公立高校に籍を置いていたにもかかわらず、自分の才能を開花させることはほとんどありませんでした。成績も一時は奇跡的に五十番以内に入ったことがありますが、たいていは二百番前後をうろうろしていたと思います。ただ、英語の勉強だけは普通とは違っていて、授業の前日には必ず次の日の授業の予習は徹底的に終わらせていたので、授業中に先生が教えてくれることで、私が調べていないことはほとんどありませんでした。しかも、私は目にする英語を全て暗唱する癖がついていたので、英語の力だけは人並みはずれていたと思います。それでも、学校の成績は十段階で8をとるのがやっとでした。私は結局一浪することになるのですが、予備校の全国模擬では一度だけ二十番くらいの奇蹟的な偉業を成し遂げたことがありましたが、それでも私の英語の才能はまだまだ開花してはいなかったのです。
 結局、浪人しても第一希望の国立大学に合格できなかった私は、地方の名もない私大に入学することにしました。中途半端に有名な大学には入りたくなかったのです。それは私の下らないプライドだったと今では思います。しかし、私は思わず籍を置くことになってしまったその地方の大学で、素晴らしい指導者たちと数多く出会うことになります。それでも最初の六ヶ月間は劣等感の固まりになりかけていました。何しろ、周囲の連中が笑っているのに、私はニューヨーク出身の外国人講師の面白い話がまったく理解できなかったからです。所詮自分のやってきた英語は受験だけのための英語だったのかと、どれほど落ち込んだことでしょう。ところが、私の英語を認めてくれたイギリス人の女性講師がおりました。ケーリーという名前のその先生は、私の頭を英語風に改造すると言い出したのです。「あなたの頭の中にある日本語を追い出すわよ」と宣言して。
 ケーリー先生のおかげで、私が頭にインプットを続けていた英語が、見事に開花し出しました。それからはものすごいスピードで私の英語力は本物になっていきます。海外への留学経験がないまま、日本にいてネイティブ並みの英語力を身につけることは至難の業だとされていましたが、私はありとあらゆるチャンスを活かして、自分の英語力に磨きをかけました。気がついてみれば、英検の一級にも楽々合格できる力がついていたのです。もし、あの大学に進学してケーリー先生と出会っていなかったら、今頃私は英語とは全く関係のない仕事についていたかも知れません。 人の才能を見抜くというのは、本当に難しいことであり、そして同時に大変神聖な仕事ではないでしょうか。この世の中には埋もれたままの才能がいくらあるか知れません。私の父にしても、貧乏な農家に生まれなければきっと才能を活かして芸術家にでもなっていたのではないでしょうか。私の母は経営の才がありますから、もし貧乏な漁村に生まれていなければ、今頃はバリバリのキャリアウーマンとして、一つの会社を切り盛りしていたことでしょう。ですから、私は勉強に自信をなくしている生徒たちを見ると、無意識のうちに張り切ってしまいます。人間にはどんな才能が隠されているかわからないということを身をもって体験しているからです。だいたい、作文と聞けば逃げ回っていた私が、こうして原稿用紙に向かってすらすらと文章を打ち込んでいること自体奇蹟に近いことなのです。
 私が学校の教師になってから、母はたまたま買い物先で小学校低学年時代の担任の先生に会ったそうです。「等君はどうしていますか」「おかげさまで、今では中学校の英語の教師をしています」と母が答えると、その先生は涙を流して感激していたそうです。そうですよね、誰もがただのクソガキとしか思っていなかった私を、「将来物になる」と宣言した最初の先生だったのですからね。
 「大器晩成」という格言は本当にうまくできているなあと感心します。早い時期に完成してしまう人間は小さな花しか咲かすことがありませんが、遅くなってから才能を発揮する人間はびっくりするほど大きな花を咲かせるからです。そして、本当に向学心の強い人は、何歳になっても好奇心を忘れず、年老いてからもいろいろな新しいことに挑戦していきます。そうやって死ぬまで自分を開発し続けるのです。
 私は、「才能を埋もれさせること」が世の中で最も大きな罪だと思っています。ですから、教師をしていた頃には、決して勉強のできない生徒を馬鹿にして見たことはありませんでした。クラスの生徒たちの何人もが、いずれは自分をはるかにしのぐ立派な人物に成長していくのだと思うと、本当に胸がときめいたものです。指導者とは、人の才能を信じ常に開花する芽を感じ取る準備をしていなければなりません。素晴らしい仕事ですね。

《適材適所と時勢を読む力》
 私は、宮崎駿さんの「風の谷のナウシカ」というアニメが大好きです。主人公のナウシカはとても不思議な力と洞察力をもった少女で、彼女はメーヴェ(ドイツ語で「カモメ」の意味)に乗って、上手に風を読みます。私はこの「風を読む」という言葉がとても気に入っています。
 今の時代は政治家の不祥事が相次いでいますが、幕末のように時勢を読む力に長けた政治家が実に少なくなったのではないでしょうか。私は特に支持する政党を持っていませんし、現小泉政権を大々的に支持しているわけでもありませんが、小泉内閣が発足したときに田中女史を外務大臣に抜擢した眼力は大したものだと感心しました。もちろん周囲の政治家たちや、世間の多くの人々は本当に大丈夫なのかと心配したことと思いますが、恐らく小泉首相の頭の中には、将来の中国との関係を強化したい気持ちがあったのでしょう。
 田中女史の父親である田中角栄氏はロッキード事件で失脚してしまいますが、彼の大きな功績の一つが「日中平和友好条約」の調印でした。第二次世界大戦で中国を侵略した歴史を持つ日本が、もう一度中国との関係を築き直すきっかけを作ったという意味で、歴史に残る偉業だったのです。なぜなら、中国は今や世界にただ一つだけ残された広大な市場だからです。実際、アメリカなどは日本よりも中国との関係に関心が強いと言われています。修正社会主義路線を歩む中国は、崩壊したソビエト連邦の二の舞にならないように、経済特別区(経済特区)を設けて、上手に資本主義経済を導入して国力の発展を図っています。上海などはみるみるうちに近代都市へと変化してきたのもそのためです。ですから、中国との関係を良好に保っておくためには、中国が親近感を持っている田中角栄氏の関係者が外務大臣になることは、非常に重要なことだったわけです。
 残念ながらあまりにも切れすぎる刃のために失脚を余儀なくされた田中女史ですが、田中女史が外務大臣を降りたあとの、中国の日本に対する批判的な姿勢を見れば、小泉首相の最初の決断がいかに正しかったがよくわかるでしょう。北朝鮮の拉致問題に強硬な姿勢を取ることを渋っている背景には、北朝鮮を中国が擁護しているという事実があります。実際、朝鮮戦争の時には、北朝鮮が勝利を収めそうになったので、アメリカがあわてて国際連合で北朝鮮を悪者に仕立てる決議をして、国連軍としてアメリカ軍が大量に朝鮮半島に投入されました。しかし、その後中国が北朝鮮の擁護に回ったため、見るに見かねたソビエト連邦が仲介役になって、三十八度線で北と南に分ける案が採用されたという歴史があります。そういうことまで考慮すれば、中国が強硬な経済制裁に反対している以上、その中国の意志を無視して北朝鮮の拉致問題の解決を急ぐことは、将来的な日本の国益にかなわないのです。
 国の指導者は、時勢をしっかりと読み取り、適材適所の人材配置をしなければなりません。それがたとえ多くの国民から批判を受ける方策だったとしても、国益を優先する指導者として実施せざるを得ない政策もあるのです。もちろん、私が拉致被害者の家族であったなら、恐らくは小泉首相の消極的な態度を真っ向から批判していたことでしょう。小泉首相にしても、北朝鮮側が日本との約束を破って自分のメンツをつぶしてくれたことに関しては、大きないらだちを覚えているはずです。でも、今は冷静に時勢を読みながら、強攻策に出るタイミングを慎重に探る必要があるのでしょう。
 「何を軟弱な!」と声を荒げる人もいるでしょうが、考えても見て下さい。広島と長崎に必要のない原子爆弾を投下されて、東京も焼け野原にされて、沖縄の人々も大量に死に追いやられて、それでも日本はアメリカの傘下に入り、戦後の経済発展を成し遂げてきたではありませんか。「何を軟弱な!」という台詞は、他の国々がとっくの昔に日本に対して叫んでいたはずです。どうして底までされたアメリカにしっぽを振るのかと。しかし、それも仕方のない歴史の流れだったのではないでしょうか。
 日本から米軍基地はなくすべきだと主張する人たちも大勢いますが、米軍基地がなくなってしまったら、そこで働く多くの日本人は職を失うことになるのですよ。しかも、米軍基地があることで、その街は多くの補助金を政府からもらって町の発展のために役立てているはずです。政治はきれい事ではすまないのです。心情的には我慢のならないことでも、じっと我慢して流れに身を任せることも時には必要だと言うことです。
 もし、日本が一国で世界の国々と渡り合って行くためには、憲法を改正して強力な軍隊を持つ必要もあるかも知れません。アメリカにしっぽを振るのがいやなら、憲法改正に賛成しますか?人間も動物ですから、いくら理性があるとは言え、行動は力関係で決まってきます。強い相手には強硬な手段がとれないという力関係は、国家間から消えることは決してないのです。日本は平和を愛するいい国だから仲良くしていこうと、他国がそんな風に考えてくれると思いますか。日本と付き合って得することがなければ、どの国も日本など見捨てるに決まっているのです。
 もちろん、アメリカの傘下にいることに代わる国力が「武力」だと断言することはできないと思います。徹底的に教育改革を図り、優秀な人材を多く育てることで、強大な文化国家になることも別の選択肢になりうるかも知れません。それは私たち国民がこれから真剣に論議していかなければならないことでしょう。ただ、一つだけ言えることは、誰が首相になっても日本の方策は恐らくほとんど変わらないだろうということです。
 もう一つ指摘しておきたいことがあります。それは、広大な中国市場を巡って各国が競い合っている今の状況は、第二次世界大戦前の状況と非常によく似ているということです。日本が日露戦争での奇跡的な勝利をきっかけにして、軍事大国に成長しつつある中、世界の列強は中国から富を搾取し続けていました。そして、日本がそこに割り込んで列強をアジアから追い払おうとした。いわゆる「大東亜共栄圏」の構想です。しかし、それを許せなかったアメリカは、日本の真珠湾攻撃をいいきっかけにして、日本との戦争に踏み切りました。当時のアメリカ国民は他国との戦争など望んでいなかったのです。その国民の意識を戦争に向けるためには、日本が卑怯なことをしてくれるのを待つしかありませんでした。日本の真珠湾攻撃についての歴史的な解釈はまだ定まってはいませんから、何とも言えませんが、見解の一つとしてアメリカはわざと真珠湾を攻撃させたという見方もあるのです。現に、真珠湾攻撃の何十年も前から、日本がアメリカに戦争を仕掛けるとしたら、ハワイの真珠湾を奇襲する作戦しかないだろうと、アメリカの学者が予測していたのですから。 いずれにしても、中国市場を巡って日本とアメリカが経済的な摩擦を起こすようになると、歴史は新たなピンチを迎えることになるでしょう。アメリカのある歴史学者が、もう二十年以上前に第三次世界大戦は日本とアメリカの間で起こるだろうと予測しているのです。そして、第四次世界大戦の武器は石斧だろうとも予言しているのです。つまり第三次世界大戦で世界は一度滅亡してしまうということなのでしょうね。私たちは、長い不景気の中にあるとは言え、非常に豊かな平和の中で生活しています。自国が戦争に巻き込まれるなど誰も想像さえしていません。しかし、日米戦争が起きる前のアメリカ人たちも同じように戦争など予期していなかったのです。時代は刻々と変化しています。

《見て見ぬふりをする寛大さ》
 人はコンピューターのような精密機械とは違いますから、当然言動が完璧であることはあり得ません。しかし、人間というものは実に勝手な生き物で、自分自身に対しては意外と甘い基準をあてはめても、他人には厳しい基準をもって接してしまうことが多い。これでは、相手は息が詰まってしまいます。
 私の教員時代の大先輩は、男子バレーボール部の指導者として県下でも有名な名監督でした。剣道四段で体格もいいそのS先生は、生徒指導でも生徒から一目置かれる存在だったのですが、普段は至って温厚な教師でした。今でも印象に残っているのは、放課後の職員室で小さな机に向かって、大きな手でゆっくりとていねいに学級通信を書いているS先生の姿でした。B5判の原稿用紙にほとんどワープロの四倍角くらいの大きさの文字で、ゆっくりと文字を連ねていくのです。そして、その作業は一日も欠かさずに行われました。「怖い」というイメージのS先生からは想像もできない優しい作業です。 
 ある日、S先生が顧問をする男子バレーボール部の生徒たちが、外のバレーボールコートで遊びながら練習をしているのを廊下の窓から見つけた私は、職員室のS先生に、「バレー部の子たち、先生がいないものだから、羽を伸ばして遊んでますよ」と報告したのです。するとS先生からは意外な言葉が返ってきました。「石山先生、いいんですよ。生徒だって息抜きをする場がなければやってられないでしょう。私がコートに顔を出したときにしっかりと練習をしてくれればそれでいいんです」私がS先生だったら、矢のように外に飛び出していって、部員たちを怒鳴りつけていたに違いありません。ところが、S先生はまるで手のひらの上で子供たちを自由に遊ばせているような感覚だったのです。怖いS先生が、生徒たちの間では一番人気の教師の一人であった理由がわかるような気がしました。体も大きいS先生は、心も大きかったということなのです。
 人間はいつも緊張していたら疲れてしまいます。私はA型人間なので、ついつい何事にも全力投球をしなければいけないと自分自身を追いつめてしまいがちで、そのために自分のエネルギーの限界を何度も超えて、自律神経失調症やうつ病を患うことになってしまいました。よく、「うつ病」と聞くと、何か困難な状況に直面して、精神的に参ってしまう状況を思い浮かべる人が多いと思いますが、一口に「うつ病」と言っても、その症状や原因は多種多様です。私の場合には体力的な限界を超えてしまったときに、体が悲鳴を上げる状態が「うつ病」という形で表れるのです。つまり神様から「休みなさい」という指令が下っていると考えればわかりやすいでしょう。そして、私の場合は適当な休養期間をとればすっかり元の元気な自分に戻ってしまいます。しかし、「うつ病」という私の病歴を知る人たちの多くは、私がストレスに弱い人間なのではないかと誤解しがちです。それどころか、私は自分を限界ぎりぎりまで追い込むことができる、精神的に極めて強いタイプの人間なのです。そして、病気をする度に、私のエネルギーの限界線はどんどん範囲を広げていきました。今では、他人から見れば信じられないような仕事量をこなしても、全く打撃を受けません。
 しかし、私は、自分のように厳しく自分を追い込むことが決していいことだなどとは思っていません。たまたま私の場合はそれで自分のキャパシティー(能力)の範囲が広がったからいいようなものの、本当に生真面目な人だったら、二度と立ち直れないほどの打撃を受けていたかも知れないからです。適当に息抜きや手抜きができる才能も、人間には絶対に必要です。そして「やるときにはしっかりとやる」という生き方で少しも構わないのです。常に緊張した生活を送っていたら、それが徐々に大きなストレスとなって自分を襲い、もしかしたら取り返しのつかない大きなミスをすることにつながってしまう可能性もあります。いくら几帳面な仕事をしても、最終的に大きなミスをしたのでは、所属する組織に多大な損害を与えてしまうでしょう。
 私は小中学生時代は作文が大嫌いだったと書きましたが、そのきっかけは句読点の打ち方を授業で習ったことにありました。例えば次の文に句読点を打つことにしましょう。
『僕は昨日カナダに行った友達と電話で話をしました』小学校のときの国語の授業では、「〜でね」と「ね」をつけて区切ることができるところに「読点(、)」をつけると教わりました。几帳面な私は、『僕は、昨日、カナダに、行った友達と、電話で、話を、しました。』という具合にやたらと読点を打つことになり、自分でもその作業にどうしても納得がいきませんでした。本来ならば、句読点は読み手が読みやすいように打てばいいと教えるべきです。特に、この文の場合は、「友達がカナダに行ってしまったのがきのうだった」のか「電話で話したのがきのうだった」のかをはっきりさせる必要があります。ですから、『僕は、昨日カナダに行った友達と、電話で話をしました。』とするか『僕は、きのう、カナダに行った友達と、電話で話をしました。』とするか、そのどちらかを選択すればいいでしょう。しかも、基本的には句読点の打ち方には決まったルールはなく、書き手の癖で句読点を打ったり打たなかったりするというのが現実です。そういう風に教わっていたなら、私は作文が嫌いになることはきっとなかったのではないでしょうか。完璧であることが無理な場面で完璧を要求されれば、私のような結果になってしまう可能性があるわけです。 もちろん、緻密さを要求される作業でミスがあってはいけませんから、寛大であることも時と場合によることは確かです。しかし、書類の作成など事務的な作業は、美術作品を作成しているわけではありませんから、そこには個人差が出てきて当然で、確かに整然として美しいレイアウトは魅力的ですが、誰もがそういう才能を持っているとは限りません。むしろ、内容に落ちさえなければ、ある程度の雑さは認めていかないと、部下は仕事がしにくくなってしまうでしょう。
 そして、仕事は場数を踏むことで次第に要領を得ていくものですから、緻密でない作業が低い評価を受けることがわかれば、それなりに自分が作業の緻密さを調整していけばいいことで、それにはある程度の時間的な猶予を与えるべきでしょう。最初から完璧に仕事をこなせるのであれば、「経験者」というものの存在が意味を無くしてしまいます。
 場数というのは恐ろしいもので、例えば私の場合は英語が専門ですから、子供たちが汚い字で書いた英語の作文であっても、さっと目を通しただけで、スペルのミスはきちんと目がキャッチするようになっています。自分でもどうしてそんなことができるのかよくわからないのですが、スペルミスのある文章は何か違和感を持って視野に飛び込んでくるようなのです。日本語の原稿の校閲作業を専門にしている人たちも、私と同じように、全体を斜めに読むだけで、間違った箇所に目がとまるようになっているのでしょう。そう言う状態になって初めて「プロ」という称号が与えられるのです。
 聖書にこんな言い回しがあります。「ミスをするのは人の常、それを許すは神の業」まさにその通りだとは思いませんか。指導する立場にある人は、ある程度プロの領域に達している人でしょうから、その人から見れば新人の仕事は穴だらけに違いありません。しかし、自分が初心者だった頃を考えれば、もしかしたらもっと穴だれけだったかも知れないのです。長い目で人を見て、将来的に役に立つ人材を育成するためには、最初から完璧を要求してはいけません。

《つまらないプライドは捨てる》
 「プライドにはこだわらない」と言葉で言うのは簡単ですが、例えば現実に職場に新しく配属された上司が、自分より十歳も若いエリート社員だったとしたらどうでしょう。それでも、上司の若者にぺこぺこと頭を下げることはできますか?
 日本の世の中も次第に実力主義の時代に突入して来ましたが、それでも今までの年功序列制の感覚は全く消えたとは言い難い状況でしょう。若くて経験のない上司に、あれこれ指示されて、しかもその指示が明らかに経験から間違っているとわかっていても、とりあえず実行しなければならないというみじめな状態に人はどれだけ我慢ができるものでしょうか。理屈では割り切れない難しい問題です。
 上司になった若者の方も、自分より経験豊かなおじさん連中を相手に、偉そうに指示を出すのは決して快いことではないでしょう。こういう場合は、部下の年齢を考慮した口の利き方や、指示の出し方を工夫すればいいのです。日本に生まれたからには、やはり年配者を敬うことは人間関係を潤滑にするための賢い方策です。同じ事を指示するにも、物の言い方次第でそれが「横柄な態度」とは受け取られずにすむことも可能です。断定した言い方をせずに、「こういう風にしたらどうかと思うんですが、○○さんの経験からしてどう思われますか」というように、部下の経験を尊重する態度も必要かも知れません。
 そして、若くして「上司」と呼ばれる立場になった自分こそが、プライドを捨ててしまうのが一番です。自ら率先してゴミ捨てをするとか、誰よりも早く出勤するとか、「やつは若いけど、なかなか見所があるな」と思わせるチャンスはいくらでもあると思います。
 かつて、私が新採用二年目のときだったでしょうか、ある英語科の大先輩が教頭に出世して私の学校に異動になりました。彼は、とにかく職員たちとの距離をできるだけ縮めようと必死になっていたように見えました。あるときなどは、私にこんなことを訊いてくるのです。「なあ、石山先生よ、教頭になって何が一番嬉しいと思う?」「はあ、そんなことを訊かれても僕には想像もできませんから」「それはね、英語の授業をしなくて済むようになったことさ」と言って、大声で笑っていました。私はどう対応していいのかわからずに、ただ唖然としていた気がします。そして、いつ頃からか、毎朝早く出勤して職員室の全ての机の上の水拭きを始めたのです。学校の教師というのは非常に疑い深い人種で、教頭のこの突然の奉仕活動にどんな意味があるのかと、誰もがいぶかしがりました。私も、あまり腰の低いことをやられすぎても、かえってこちらが恐縮してしまうし、机の上を水拭きされるということは、私たちが常に机の上をきちんと整理しておかなければならないことを意味します。実は、教員ほど机上の整理が不得手な人種もいないのです。中には、後一枚プリントを載せたら、確実に雪崩をおこすだろうと思われるような、悲惨な状態で何とかバランスをとっている先生もいます。机の上で乱闘騒ぎでも起きたのかと思われるような、はちゃめちゃな状態の机の上で、平気で仕事をしている先生もいます。それが、ある日突然毎朝の水拭きが始まってしまったわけですから、教頭の奉仕精神も諸手放しで喜ばれるわけにはいかなかった状況は簡単に想像がつくのではないでしょうか。
 そういう事情で、残念ながら教頭先生の思惑ははずれてしまいました。職員室の同僚たちは、かえって教頭先生の腹を探るようになり、本音を言わなくなってしまったのです。ですから、立場のある人間があまり細々と動きすぎても、職場に仕事をしにくい雰囲気を作ってしまうので、十分注意しなければなりません。管理職というのは本当に難しい仕事だと思います。
 中には、職員室のゴミ箱の位置まで細々と指示をした校長先生もおりました。私は幸運にもその職場には勤務していませんでしたが、噂で聞く校長先生の話は、「極悪非道」という言葉がぴったりくるような、悪口ばかりだったのです。自分は校長だというプライドを強くアピールしすぎれば、やはり職員に嫌われてしまいます。かといって、例の教頭先生のように、あまりに迎合的な態度にでれば、それはそれで職員に信用されなくなってしまうのが管理職なのです。
 だから、あまり目立たないところで、本当の管理職ないしは指導者に徹すればいいのではないでしょうか。私はよく思ったものですが、勤務時間が終了すると、校長か教頭が校内の巡視をすることになっておりました。彼らは、どうやら戸締まりがきちんとできているかどうかという、防犯的な観点から見回りをしていたようなのです。職員も日替わりで日直を割り当てられていますから、日直が必ず最後の見回りをしているのですが、その上に更に管理職が二重の巡視をするのなら、思い切って日直制度を廃止してくれれば良かったと思います。なぜなら、巡視の後の管理職の言葉は「どこどこの戸締まりができていませんでした」という点検報告だけだったからです。もし私が管理職だったら、もっと教室の掲示物や机の状況などをつぶさに観察してきて、きれいに整頓された教室の担任には、「あなたのクラスのあの掲示物はなかなか面白いね」とか「あなたのクラスは机がきれいに整頓されていて本当に気持ちが良かったよ」などと、気がついたいい点を大袈裟に褒め称えたことでしょう。もし、乱雑な状態のママの教室があったなら、黙って整理してしまえばいいのです。そして、そのクラスがあまりいい状態でないことを掌握した上で、敢えて担任にはひと言も言わずにおけばいいのです。そして、時間をおいたどこかで、「先生のクラスは、最近どんな状況ですか」と気軽に質問を投げかけてみるのはどうでしょう。もしかしたら、誰に相談していいかわからずに、学級崩壊状態になった自分のクラスのことで悩んでいた先生が、そんな管理職の温かい言葉をきっかけに、愚痴をこぼすチャンスを得られるかも知れないではありませんか。人間の悩みは、他人に愚痴をこぼすことで半分は解決してしまいます。その半分のエネルギーを、残りの半分の問題の解決のために費やせばいいのです。本当の管理職とは、そういうさりげない管理ができる人でなければならないと私は今でも思っています。
 教室の管理は担任の仕事だとか、校舎内が汚いのは掃除監督がきちんと仕事をしていないからだとか、そんな文句ばかりを言っていないで、突然裏庭に花壇を作ってしまうとか、職員の意表をつくような行動に出たら、管理職が汗水流して校内美化に努めているのに、平の自分がおちおちしてはいられないという気持ちになる職員が何人も出てくるでしょう。中にはへそ曲がりがいて、管理職の上手な挑発に乗ってたまるかと反発する職員もいるかも知れませんが、それはそれでいいのです。人間は十人十色なのですから。そう言う先生にも、何か活躍の場があるはずで、それを見抜くのが管理職のもう一つの大切な仕事だと思うからです。
 プライドにしがみついている人は、端から見ていて非常に見苦しい感じがします。決して親しみを感じることはありませんし、ましてや敬意を表する気にもなりません。しかし、プライドをかなぐり捨てて、自分のできる範囲の仕事に黙々と取り組んでいる人は、自然と周囲の人間から尊敬されるでしょう。昔、ある人が言いました。「トイレ掃除を進んでやれる人でなければ、会社の社長は務まらないものだよ」と。私はその言葉の意味が、この年齢になってようやく理解できるようになった気がします。「立場」というプライドにこだわらずに細かな配慮ができる人こそ、部下を管理するのに適した人物なのでしょう。 とにかく、時代はすでに実力主義の世の中です。私は、日本全国に名の通った有名公立高校の出身ですが、その学校の名前を人前で自信を持って言う気にはなりません。なぜなら、そこで私は何の活躍もしていないからです。人はその高校の名前を聞くだけで、私に対する見方を変えたりしますが、私はそういう効果には少しも興味はないのです。もちろん、相手が自分の肩書きを縦にとって威張り散らすような場合には、その効果を利用することはあるかも知れませんが。それよりも、私は自分の出た無名の私立大学の方をよほど誇りに思います。なぜなら、私はそこで様々な人と出会い、人生観が変わり、そして何よりも私の英語力を本物にしてもらったからです。「どこの大学を出たの?」と訊かれると、私は喜んで獨協大学外国語学部英語学科ですと、答えます。でも、無名の私立大学などと言っては失礼ですね。現役で獨協大学に通っている学生諸君たちは、自分たちが可能性を十二分に引き出してくれるしっかりした大学に籍を置いていることを誇りに思って下さい。実際には、その大学はかつて文部大臣を務めた天野貞祐氏が、「大学は学問を通じての人間形成の場である」という建学の理念に基づいて、昭和三十九年(一九六四年)に開学した最高学府です。ただ、私が在籍した頃には、学生たちはどちらかと言えば遊びに興じていて授業にほとんど顔を出さない状況だったので、もう一度自分の大学に誇りを持って頑張ってもらいたいと思います。
 ナポレオンがヨーロッパの征服に成功したのは、自分の背の低さにコンプレックスを持っていたからだと言われます。人間はコンプレックスを大きなプラスのエネルギーに変える力を持っているということです。第一希望の国立大学に落ちた私も、その劣等感をバネにして獨協大学で大きな花を咲かせることができました。だから、私は肩書きとか名前には少しもこだわらないのです。

《常に誠実であること》
 もしかしたら、この「誠実」という言葉が指導者にとって最も必要な条件かも知れません。部下や生徒に対しても、また仕事そのものに対しても誠意を持って臨む人こそ、本当に信頼を得ることができる指導者ではないでしょうか。
 どんなに立派なことを言っていても、またどんなに親切な言葉を口にしていても、いざとなると普段の発言とは全く異なった行動を取る指導者がいます。自分の利益になることがあれば、人の信頼を裏切っても平気な人種です。もちろん、経営者の立場にある指導者が、組織の利益を優先して考えることは当然だと思うのですが、それでも最低限の人の道を踏み外してはいけないと思うのです。なぜなら、他人の不幸の上に自分の幸せを築くことは基本的にはできないからです。
 どんなに大きな成功を収めたとしても、それが多くの人々の恨みの上に成り立った成功であるとすれば、いつかは誰かに足をすくわれるときが来るでしょう。誠実であることをなめてかかってはいけません。逆に、なかなか逆境から抜け出せないように思えても、誠意を忘れない人には必ず大きな幸福が訪れるのではないでしょうか。
 バブルの崩壊の時期に、信じていた仲間に裏切られて、多大の借金を負ってしまった人々がいました。今風の言い方をすれば、彼らは「負け組」の人間かも知れません。しかし、彼らを裏切った人々は、本当の「勝ち組」になれたのでしょうか。苦難と屈辱の長い時期を何とか生き延びて現在に至った老人たちは、本当に豊かな心を持ち合わせています。私の母もそうですし、私の妻も妻の両親もそうです。やはり、誠実であり続けたことが、大きな幸福をもたらしてくれたのでしょう。
 金が物を言う世の中で、自分がこの世に生を受けた使命を深く考える人間はそんなに多くはないかも知れません。若い頃の私も、そんなに難しく自分の人生を考えたことはありませんが、教育公務員を辞して、経済的に恵まれない生活を強いられるようになった今だからこそ強く思うのでしょう。やはり、私は教育に関わって、多くの子供たちの中に眠る可能性と才能を引き出すことが自分に与えられた使命だと感じます。貧しくて十分な教育が受けられなかった両親の元に生まれた私だから、特に強くそう感じるのでしょう。そして、決して他人を騙すことのできなかった誠実な両親の元に生まれたから、私自身も絶対に誠意の人であり続けたいと思うのです。
 ところで、学校の教師というのは、子供や保護者に謝ることがなかなかできません。特に保護者に「すみませんでした」と言ってしまうと、自分の過失を認めることになるので、簡単には言わないか、逆に保身を優先させて、簡単に言うかのどちらかです。つまり、いずれにしても保護者と腹を割って理解し合おうという姿勢は絶対にとらないのです。生徒に対しても保護者に対しても、本当に誠実に対応しようとすれば、時には口論になることがあっても当然だとは思いませんか。私は、自分の腹の内をごまかすのは絶対にいやですから、保護者と口論になったことも何度かありました。しかし、たいていの場合はその後でより一層親密な関係を築けたものです。人間同士ですから、腹を割ってくれた相手を恨むことは絶対にないわけです。子供にしても同じです。私は、ストレートに怒ったり叱ったりする反面、自分が間違っていたときにも素直に謝りました。偉そうに顧問をしていたときも、自分が間違っていればミーティングで素直に部員たちに頭を下げました。それが、部員に対する私の誠意でした。別に顧問のメンツなどどうでもいいのです。私は部員たちと人間同士のつきあいをしたかったから、誰よりも厳しい顧問だったし、誰よりも優しいお兄さんだったし、誰よりも頼もしい味方だったのだと思います。だから私が優れた指導者だったとは思いません。私は、立派な指導者と言われるには、まだあまりにも未熟すぎます。もっともっと勉強しなければいけないことが山ほどもあるのです。
 人間なんて、一生勉強の連続でしょう。だから、どんな指導者であっても、どんな偉い肩書きがついた経営者であっても、完全であることなど決してないわけで、そういう意味では謙虚さと誠実さだけは絶対になくしてはいけません。下手に立派な人間を演じようとすれば、どこかでぼろが出ますから、かえって周囲からの信頼を損ねることになるでしょう。「信頼」というものは非常に微妙なもので、築くのには長い時間がかかっても、失うのは一瞬です。信頼無くして指導者は絶対に務まりませんから、常に人に対しては誠実であることが何より大切なのです。そして、人に誠実であるということは、同時に自分に対して厳しくあることも意味します。指導者という名前に値する人間になろうと必死にならなければなりません。自分一人でいるときには、誰の目もありませんから、さぼろうと思えばいくらでもさぼることができます。それでよしと思う人は、恐らく立派な指導者にはなれないタイプの人間でしょう。誰も見ていないからこそ、自分自身で自分を律することのできる人こそが、本当の指導者の資質を備えた人なのではないでしょうか。
 人を指導する立場の人間は、自分自身が常に前向きに進んでいる人間でなければならないでしょう。そのためには、停滞は絶対に許されません。「今日は疲れたから仕事はやらずに寝てしまおう」という考え方はある意味では大切だし、他人に対してはそういうおおらかな接し方をしてあげるべきだと思いますが、自分に甘い基準を一度でもあてはめたら、また次にも同じ事をするでしょう。今日を大切にしなければ、恐らく明日も同じなのです。「今日は疲れたから少しだけにしておこう」という姿勢の方が好ましいでしょうね。
 人間は、基本的には楽をしたいと願う生き物です。ですから、自分を律するものがなければいくらでもだらけることができる。だからこそ、「座右の銘」とか「信念」とかそういう常に自分を刺激してくれるものの存在が必要なのでしょう。もちろん、自分に厳しくと言っても、続かないような無理な試練を自分自身に与えても仕方ありません。そんなに大それた事でなくても、毎日続けるということは結構根気がいるものです。ですから、私は小さな努力を積み重ねることが一番いいのではないかと思っています。「塵も積もれば山となる」「石の上にも三年」式の考え方です。大変な試練を課して、三日坊主に終わってしまうより、少しの努力でできる小さな事柄をねばり強く積み重ねる事の方が、より現実的ですし、実際に自分を高めてくれる可能性が高いでしょう。そうやって少しずつでも前進している人間は、前向きのオーラを発していますから、周囲の人間も心から敬意を表してくれるに違いありません。自分自身が努力を積んでいる人ならば、多少の苦言を呈しても、そのせいで人の恨みを買うことはないのです。「あの人に言われるなら仕方ない」と思ってくれるからです。ところが、自分自信に対して甘い人が偉そうにあれこれ指示をしたりすれば、「あんな人にだけは言われたくない」と反感を買うのが関の山でしょう。 指導者の第一歩は、自分が管理すべき人たちを上手に管理する方法を学ぶよりも、まずは自分自身に対して常に厳しくある習慣をつけることだと思います。そういう姿勢が、次第に自分を指導者として育ててくれるのです。「有言実行」型の人間になれば、人は自然とついてきてくれるでしょう。大切なのは、自分の言葉にしっかりと責任を持って、自らが模範を示す心意気です。そして、自分自身には厳しくあっても、部下に対しては比較的寛大に接することが何よりも大切でしょう。立派な人の笑顔ほど怖いものはないからです。

《良き先輩になるために悪習は撤廃する》
 私が公立中学校の教員をしていた頃、私が担当した部活動で、大改革を必要としたのは女子バスケットボール部と女子ソフトボール部の二つでした。しかし、残念ながら前者のときの改革は大失敗で、その失敗を取り繕うこともできないまま、私は次の部活に移ってしまいましたから、大変申し訳ないことをしたと反省しています。私が何をやったかと言うと、実は女子バスケットボール部には恐らく多くの弱いチームに共通した悪習がありました。それは、先輩たちが神様のようにあがめ奉られていて、後輩たちはろくにボールも持たせてもらえないという、まあ日本の企業で言えば極端な「年功序列制」が敷かれていたのです。先輩に敬意を払うことは必要だとは思いますが、先輩・後輩とは言っても、所詮は学生の分際です。たった一年か二年違いの後輩たちに必要以上に威張り散らすなんてもってのほかです。しかも、私の持った女子バスケット部では、最上級生の三年生たちは必ず放課後の練習に遅れて参加するのです。そして、遅れてのこのこやってくる三年生たちが来るまでは、一・二年生たちはボールを持ったまま壁際に突っ立っていなければなりませんでした。コートは誰も使わずに空いたまま。どうしてこんな無駄なことをするのかと、私は遅れてくる三年生を無視して、二年生部員たちに練習を開始させました。そしてそれまでは絶対にボールを持った練習をさせてもらえなかった一年生部員たちにも、ボールを持った練習を始めさせたのです。私の改革は絶対に正しいものでしたが、それまで悪習の中で我慢の二年間を送ってきていた三年生部員たちにすれば、これほど侮辱的な改革はなかったのでしょう。彼らは、大切に扱われるようになった二年生部員をいじめました。特に、私が二年生にしてレギュラーに抜擢した背の高い部員は、相当に嫌がらせをされたようでした。それに気づかずに、勝手な改革を推し進めていい気になっていた私は、非常に未熟な片手落ちの監督だったわけです。もちろん、私は三年生部員たちにもいい思いをさせてあげることは忘れませんでした。夏の大会を終えて引退した彼女たちを、引退旅行に館山で民宿を経営する祖母のところに連れて行ってあげたのです。しかし、それは引退後のことでしたから、それまでは彼女たちも私が三年生を大切にしていないと思いこんでいたに違いありません。幸いにも、そのときの三年生たちは非常に賢い子たちで、私の実施した改革が全く理屈にあったものであることは十分に理解してくれていました。しかし感情的に許せなかったのでしょう。それが女子の部活動の悪いところなのです。
 私が一番長く関わることになった女子ソフトボール部にも、同じような先輩・後輩の悪しき慣習が存在しました。汚れ仕事の一つもできないであぐらをかいているような人間たちが、なぜ「先輩、先輩」と呼ばれてちやほやされなければならないのでしょう。私は、ソフト部の顧問になる頃には、女子の部をどうやって改革するかという点に関しては、相当に強い信念を持つようになっていましたから、私の改革は急激かつ強引でした。反発も買いましたが、あからさまに反発する部員は決して許しませんでした。試合にも出さないし、三年生と言えども公式戦で背番号さえ与えませんでした。最初はそういう極端な制裁を加えられたので、部員たちも顧問の言うことに忠実に動いてはいましたが、私の実施した改革に命が注がれるまでにはしばらくの時間がかかったようです。
 しかし、私のしたことはごくごく当たり前のことばかりです。グラウンドに散らばったボールは速やかに回収せよとか、泥水につかったボールを指で汚そうに持つのはやめて、自分のジャージで拭けとか、何か指示をされたら大きな声で返事をしろとか、グラウンド整備は徹底的にしろとか、本当にごくごく当たり前のことばかりでした。…たった一つの点を除いては。「たった一つの異例の措置」とは何だったかと言うと、練習後の後かたづや練習前の準備は、上級生が率先してやれという指示でした。一年生部員にブラシをかけさせたりしたら絶対に許さないという強い命令です。しかも、練習には下級生より遅れてきたら絶対に許さないと、上級生には命じてありました。しかし、私は時を見てミーティングを開いて、なぜそのようにするのかという意味を、ていねいに説明することも忘れませんでした。「先輩がただ威張り散らすだけで、本当に後輩たちから尊敬されると思うか?例えば、そんなことをしていて後輩たちからちやほやされても、腹の中ではアッカンベーをされていたとしたら、それでも形だけ先輩として扱われることがいいと思うか?それよりも、後輩を大切にして、汚れ仕事は率先してやる、後輩たちに本当に尊敬される先輩になりたいとは思わないか?」そう私に問いかけられて、賢い子供たちは私の言うことが正しいと判断してくれたようでした。もちろん、私は三年生たちがいないところでは、一・二年生たちには矛盾した指導をしていました。「三年生たちが率先してグラウンド整備をしているのを黙って見ている後輩たちがかわいがられると思うか?三年生の先輩たちに本当に大切にされたいと思うなら、三年生がブラシを手にする前に、自分たちが駆けていってブラシを取ってしまいなさい。先生から突然汚れ仕事を全てやれと言われて、その通りに動いている三年生部員たちは本当に立派なのだから、その先輩たちをないがしろにしたら先生が許さないぞ」ですから、部内はある意味では大混乱でした。三年生は下級生たちにブラシをかけさせたら大変だとあわてるし、一・二年生たちは三年生たちにブラシをかけさせたら大変だとあわてるわけです。三年生部員たちには、更に「先生がおやつの差し入れをしたときなどは、一年生に一番おいしいものをあげなさい」という指示もしていましたから、部内の雰囲気は一気に変わってしまいました。しかし、私の言うとおりの雰囲気作りをしているうちに、チームはあっという間に県下でも注目される強豪チームになってしまったので、私は選手たちから絶大な信頼を寄せられるようになりました。そうなったら、顧問の言うことは神の言葉とほとんど等しくなります。私は実力第一主義をとって、一年生でも優れた部員はレギュラーに抜擢していました。部員たちの前では、「同じ力だったら、下級生を使うよ。将来性のある選手にチャンスを与えた方がいいに決まっているからね」と言っていましたが、本当は真面目に練習している三年生部員にできるだけレギュラーポジションをあげられるように腐心していたのです。チームは本当にどこにだしても恥ずかしくない、私が心底誇れる集団に成長してくれました。そして、本当に強いチームに成長したので、県内のあちこちから練習試合に誘われ、土曜日も日曜日もない大変忙しい部活動になってしまいましたが、それも嬉しい悲鳴でしたし、部員たちはチームのユニフォームを着て街を歩けることが本当に嬉しいようでした。一度悪習が撤廃されてしまうと、いい習慣と雰囲気が伝統となり、もう私があれこれ指示をしなくても、新しいチームは前のチームと同じようにいい雰囲気を作り出してくれました。私は、部長は立候補しか許しませんでしたから、部長になる子たちは本当に気の利く立派な指導者ばかりでした。「部長は他の部員の十倍は厳しく叱られることを覚悟で立候補しろ」などと偉そうなことを言ってはばからなかった私ですから、それでも部長に立候補する選手たちは、それこそ本当の肝いりでした。その辺の詳しい状況は、私の拙著『ソフトボールの娘たち』に詳しく書いたとおりです。
 学校内でも、ソフトボール部だけは先輩と後輩が仲がいいということで大評判になり、他の部にも多かれ少なかれ影響を与えたようでした。しかも、全てに誇りが持てるようになった部員たちは、校内で一番大きな声で先生たちに挨拶をしましたから、ソフト部は立派だという定評があちこちから聞こえるようになり、部員たちもその言葉を聞く度に、益々立派に成長していくという好循環が定着したのです。
 私は私で、自らブラシを持ち、グラウンドをかわいがる姿勢を忘れないように、常に自分自身に言い聞かせていましたから、絶対に椅子にどんと座って生徒たちの作業を監督しているなどということはありませんでしたが、選手たちにしてみれば私がブラシを持っているなどということは、大変恐れ多いことで、実際には私はなかなかグラウンド整備をさせてはもらえませんでした。ピッチャーたちは、自分たちが投球練習をした後の、スパイクで穴が掘られてしまった地面に、土と水を入れて素手で丁寧に補修することを、一日も欠かしたことはありません。こんな部員たちですから、技術的にも精神的にも成長が早かったのだと思います。どのチームの監督さんたちも、私のチームの部員を見てうらやましがりました。もちろん、そこまで来るのに茨の道であったことなどは知る由もありませんが、私はチームが褒められるたびに、部員たちに心の底から感謝をしたものです。確かにチームを改革したのは私ですが、私の方針に素直に従って改革を実行してくれたのは他ならぬ部員たちなのです。もし、彼女たちがストライキでも起こしていたなら、私の改革も失敗して終わっていたことでしょう。だから、私は普段は威張っているように見せていても、心の中では彼女たちに感謝の気持ちを忘れませんでした。しかし、友達のような監督というのは実際には強いチームを作る障害にしかなりませんから、私は敢えて鬼監督を演じることは辞めませんでしたが、私の心の中は選手たちには透けて見えていたようです。
 それにしても子供たちというのは本当に素直なもので、ある代の部長と副部長は、朝練のために毎朝六時四十五分頃までにはグラウンドに姿を現していました。家でお弁当を作ってくれていたお母さんたちも大変だったに違いありません。しかし、そういう努力を毎日続けていた彼女たちは、後輩たちからどれほど慕われたか知れません。部長などは、もう新チームの部長に就任した中学二年生の秋から、県内のソフトボールの名門校からぜひうちに来させてくれと声がかかったほどでした。彼女は実際にその高校に進学しましたが、体調を崩してしまい不運な高校生活になってしまい、私はそれだけが今でも気にかかっています。ただ、彼女が中学時代を通じて身につけた指導者としての心構えは、必ず社会に出てからも通用するはずですし、謙虚さも人一倍心得ている彼女なら、どんな企業に勤めることになっても、上司から必ず目をかけられることでしょう。
 このように子供たちは、素晴らしいものに接すればすぐにでも変身することができるのですが、大人はそう簡単に変われるものではありません。もちろんこれも人に寄ります。中には非常に柔軟な性格を維持していて、環境の変化に上手に適応できる人たちもいて、そういう人たちはいつでも素晴らしい出会いに素直に反応して、自らを改革していくことができます。もちろんそういう人たちは、今の社会では少数派でしょうけれど。
 人間は一度肩書きがついてしまうと、なかなか自分から型を破ることができません。しかも、年齢を重ねれば重ねるほど冒険をするのが怖くなってしまうのです。だから、余計に自分の肩書きにしがみつこうとします。しかし、そういう保守的な姿勢は部下たちにあまりいい印象を与えるはずはありません。ですから、結局は保守的になることは自分を滅ぼす道につながってしまうという皮肉な結果になるでしょう。賢くならないといけません。

《忙しくても暇な振りをする》
 私が教員に成り立ての頃、理科の教師で野球部の顧問をしていたA先生が、私にこんなことを言いました。「子供たちが職員室に来やすい雰囲気って大事だと思うんだよね。そのためには、子供たちが入ってきたときには絶対に机に向かって仕事をしていちゃだめなんだ。どんなに忙しくても暇そうな振りをしていないと、子供たちはだんだん職員室に来にくくなってしまう。それに、学校に子供たちがいて活動しているうちは、職員室の机に向かって事務仕事をしているようじゃだめなんだなあ。緊急の場合は別として、後でできる仕事なら後に回して、できるだけ子供たちと一緒に活動に参加するんだ」A先生は生徒にとても人気のある先生で、その当時の私の学年の主任をされていました。後に同じソフトボール競技でライバル監督同士(A先生から見れば私などはライバルと呼ぶに足りない未熟な監督だったとは思いますが)になるなど、そのときは思ってもみませんでしたが。 実際、A先生はいつも暇そうにしていました。本当はものすごく忙しかったのです。進路を控えた三年生の学年主任である上に、理科の教師ですから、放課後は翌日の実験の準備をしなければなりません。しかし、不思議なほどA先生が忙しそうにしている場面を見た記憶がないのです。きっと、私たち若手の見えないところで、密かに努力をされていたのでしょう。私たち同じ職員室の同僚にさえそんな呑気な先生に見えたのですから、子供たちにしてみれば本当に穏やかで暇な先生に見えたことでしょう。ですから、A先生のところにはいつも生徒たちが群がっておりました。本当に素晴らしい先生です。そして立派な指導者でもあります。A先生は、その後ソフトボール部の顧問になってからも、着実に努力を重ね、県下でも有名な監督となり、数々の名選手たちを生み出しました。何度も県大会で優勝して、関東大会に駒を進めているのですが、いつも腰が低く、誰にでも親切にいろいろなアドバイスをしてくれます。職員会議が大嫌いで、「俺はグラウンドで倒れて教員人生を終わるのがいいなあ」などと、冗談ともつかないことをいつもおっしゃっていました。A先生も退職まであと十年もないのですが、自ら出世コースをはずれて、現在もまだ現役でグラウンドに大きな声を響かせています。実は、A先生が過去十年間勤務されていた学校は、私の家のすぐそばの中学校、つまりは私の出身中学だったので、A先生の活躍ぶりは手に取るようにわかりました。
 A先生は、ベンチにいてもめったにあわてた素振りを見せたことがありません。もちろん、私のチームと接戦になって敗色が濃くなったときは、大声で選手たちに檄を飛ばしていたこともありましたが、普段はいつも笑顔でどかっと構えているのです。ですから、選手たちも非常にリラックスした雰囲気で、応援歌などを歌っていたりしました。それに引き替え、私はと言うと、チームがピンチになるとすぐに感情的になってしまい、かえって選手たちを不安にさせてしまったのではないかと思います。もちろん、私とA先生とでは全く個性が違うので、私がA先生の真似をする必要はないのですが、私から見てもA先生のようなゆったり構えた指導者は理想的な存在に思えたのは確かです。
 私はA型の上に魚座の生まれと来ているので、非常に生真面目で感情がすぐに顔に出てしまいます。最近になってようやくたぬきを演じることができるようになってきましたが、若い頃は熱血先生で有名でした。熱血先生と言えば聞こえはいいですが、そういうタイプの先生は悪い意味でも物事に熱中しすぎてしまうのです。そして、知らず知らずのうちに勝負にこだわって、一人で興奮していたりします。そういう感情的な人間は、ときには周囲の人間たちが近寄りがたい雰囲気を醸し出してしまいます。私にもそういうところが多々ありました。今ではできるだけ感情的にならないように気をつけているつもりなのですが、それでも正義感が強すぎて、他人に不快感を与えてしまうことがまだあるようです。自分の腹の中をストレートに見せることは、時と場合を十分に考えた上で行わなければなりません。時には、腹で怒って顔で笑うことも必要です。感情的になれば、思わぬ失言も飛び出しかねません。言葉は一旦口をついて出てしまえば、一人歩きをします。失言の内容によっては、二度と取り返しのつかないこともあるでしょう。ですから、指導的な立場にある人間は常に「忍」の一字を胸に秘めていなければならないのです。
 人間は基本的に感情の動物ですから、同じ内容の話をしても、言葉の使い方やその場で作る表情によって、相手を怒らせてしまったり、逆に相手が警戒心を解いてくれたりするものです。「怒り」「嘆き」「悲哀」などのマイナスの感情は非常に強いものですから、ついつい相手に警戒心を抱かせてしまいます。できるだけ平静を装って、感情を抑えることが、指導者にとっては非常に大切な要素になってくるでしょう。それは自分自身に対するマインドコントロールでもあり、また「平常心」で事に当たるということでもあります。 感情のもつれが事を複雑にしてしまうのは、何も女性に限ったことではありません。今では男性よりも冷静に事に対処できる女性も大勢いますし、逆にちょっとしたことですぐに感情的になり、いつまでもその感情に言動を左右されがちな男性も少なくはありません。最近の興味深いテレビ番組が、血液型の相性を取り上げて一躍視聴者の注目を浴びましたが、血液型は人間の言動を決定する最大の要因にはならないでしょう。むしろ、どのくらい場数を踏んでいるか、どんな環境で育ったか、今まで人間関係で嫌な思いをしてきたかどうかなどの、後天的な経験によって人間の言動は大きく左右されるのではないでしょうか。先日のテレビ番組があまりにも衝撃的な内容だったために、特に子供たちは大きなショックを受けたという話も聞きました。実際私が私塾で担当していた中学三年生の女生徒は、自分の血液型がB型であることを非常に気にしておりました。「先生、やっぱりB型って良くないですよね」「血液型で確かにある程度の性格が予想できることもあるけど、でもそれが全てではないと思うよ」「それじゃあ先生はB型の女の人が好き?」「そうだねえ、僕はA型だけど、今まで好きになった女性は不思議とB型が多かったよ。自分に持っていない魅力があるんだと思うな。でもB型の女性にはどうしても支配されてしまってあまりうまく行かなかったかな。今の奥さんはO型で、先生との相性はばっちりだね」私はついつい余計なことを言ってしまいました。「ほら、やっぱり最終的にはO型の女性がいいんでしょう?」「そういう意味じゃなくて、たまたま先生の場合はそうだったということだよ。それにあなたはいわゆる典型的なB型の女性には見えないしね」「私は何型に見えますか?」「そうだなあ、A型か、どちらかと言えばO型に見える」そんな会話がしばらく続いたのです。
 実際、その女生徒はとても性格のいい温厚な子で、自分の血液型など少しも気にする必要のない子でした。私は彼女を見ていて、血液型による性格の分類などやはり当てにならないのだと、痛感したくらいです。でも、細かいことが気になってなかなか大胆な結論を出せないことが多いA型やAB型の人間よりも、これと決めたらとことん理想を追求するB型の人間の方が指導者には向いていると聞いたこともあります。特に政治家はB型がいいとある本にも書いてありました。A型はどちらかと言えば、事務仕事とか研究職に向いているようです。しかし、そういう分類にしても至って当てにならないもので、A型の私は非常に判断が速く、滅多に迷いません。
 ただ、私自身の普段の生活を振り返ってみると、やはり自分が忙しいスケジュールに追われているときは、どうしても自分のことで頭がいっぱいになりがちで、何かに集中しているときに他人に話しかけられることを非常に嫌がります。たとえそれが家族であっても、「今は大事な仕事をしているから、話しかけないでくれる?」などと無愛想なことを言ってしまったりするので、反省しきりです。ゆったりと構えるという姿勢は、現実には非常に難しいことなのですね。性格的な問題もあるにしても、A先生の指導者としての資質はやはり特別なものなのかも知れません。
 私にしても、比較的自分にゆとりがあるときには、他人のことをよく思いやる方ですから、もっと人間的な修行を積んで、どんなに忙しいスケジュールの中にあっても、余裕を持って事に当たれる図太さを持てるようになれば、指導者としても、もっと評価されるようになるのではないでしょうか。

《約束は必ず守ること》
 私も人のことはあまり言えた身ではありませんが、世の中には口先ばかりで調子のいいことを言っておきながら、ちっとも行動が伴わない人が大勢います。「OK、任せておいてくれ」と返事をもらって安心していると、いつまでたっても何も起こらない。不安になって、「あの約束はどうなりました?」と訊くと、「約束って、何だったっけ」ということになるのです。全くあきれて物が言えません。こういう人が指導的な立場に立つと、大変です。何かをお願いしても、それがきちんと実行されるかどうか、最後まできちんと監視していなければならないからです。調子よくうんうんと返事をする上司ほど信用できない人間はいないと思って間違いないでしょう。
 人間的には決して悪い人ではなくても、まだ指導的な立場になったばかりの人は、自分の頭のハエを追うことだけで必死です。部下から何かを依頼されれば、いい指導者を演じたいがために、気軽にOKを出すのですが、几帳面にメモでも取っておく人でない限り、そのOKは恐らくは忘れられて終わりでしょう。そして、何日もたってから、また催促をしなければならなくなります。そんなことなら自分に任せてくれればすぐにでも不足した商品を発注するのにと思っても、相手の立場を考えると、平の身で勝手なこともできません。そんなことが何度も続くと、ついつい意地悪なことを言いたくもなってしまいます。「余分に給料をもらってるくせに、無駄飯じゃないか。給料分ぐらい働けよ」とね。
 多くの場合は、指導的な立場に立つことと引き替えに「管理職手当」のような特別な報酬が出るものです。余分にもらうそのお金の意味を本当に理解していたならば、もっと責任感のある言動があってもいいのですが、世の中はそんなできた人間ばかりではありませんし、実力第一主義とは裏腹に、まだまだ形だけの出世が残る日本の社会では、悪い言葉を使えば「無能な」指導者が後を絶ちません。能力もないのに、ない能力に対して給料が支払われるというのはいったいどういうことなのでしょう。天下り天国の日本社会だからこそ起こる不思議な現象ですね。
 賃金とか報酬というのは、それに見合った労働に対して支払われるべきものです。その元になるお金を生み出しているのは、一人一人の労働者たちなのですから、自分たちが生み出したお金の行方が、とんでもない方向に向かっていたなら、それに対しては厳しい目を向けなければなりません。特に、税金や積み立て年金として国民から徴収された貴重な財源が、信じられないような馬鹿馬鹿しいことに浪費されていたなどと聞かされたら、たとえ罰せられても絶対に税金など支払いたくはないと思うのが人情でしょう。
 バブルの崩壊の後に続く景気の低迷状態は、その長いトンネルの出口がなかなか見えてきません。そんな日本社会にあって、一般労働者たちは非常に苦しい生活を余儀なくされているのです。それにもかかわらず、法外な報酬を手にしている人間たちが、この社会のどこかに必ずいるわけです。なぜなら、世の中に出回っているお金の総額は日本銀行によって巧みに操作されていますから、みんながお金を持っていないと言う状態は絶対にあり得ないわけです。貧しい生活を強いられている人々が多いということは、その分の莫大なお金が一部の人間たちに占有されていることを意味しています。「金は天下の回りもの」と言われますが、今の日本の社会はそのお金が天下を回らずに、一カ所に留まってしまっているかのようです。
 お金の話ばかりで申し訳ありませんが、資本主義経済にあっては、手に入れたお金は貯め込んでいたら意味がありません。手にしたお金は生きた使い方をしなければならないのです。水と同じで、お金も循環しなくなれば腐ってしまいます。つまり本来の価値を持たなくなるということです。にもかかわらず、実際には大量のお金が無駄な使い方をされている。能力のない指導者に法外な報酬を与えることもその一つなのですね。
 文科省は公立学校の教員の勤務評価制度を大幅に改革しました。それは、やがて訪れる歩合給の時代への伏線となるべき改革だったはずなのです。ところが、実際の勤務評価は自己評価制度の形を取っています。その自己評価に対して管理職が更に評価をし、どのように評価したかを公開した上で、本人の承諾をとってから上に報告するという仕組みです。こんな評価制度に何の意味があるのでしょうか。職員に恨まれたくない管理職たちは、厳しい評価をすることをついつい避けようとしがちです。そして、もちろん教育委員会が今度は管理職を評価するのですが、それにしても同じ現象が起きていることは想像に難くないでしょう。そんないい加減な勤務評価を元に、どんな歩合給制度を発足させようと言うのでしょうか。現実の教員の世界は、例えば部活動を熱心に指導して土日祝祭日を返上して教育活動に専念している先生と、部活動には全く非協力的で休日は完全に自分の余暇として満喫している先生と、毎月十六日に銀行口座に振り込まれる給与額は全く同じなのですよ。上手にクラスを経営する担任と、学級崩壊を常に起こしてしまうようなどうしようもない担任。わかりやすい授業の研究を熱心にしている教科担当と、いつまでも退屈な授業を改革しようとしない怠慢な教科担当。空き時間に一生懸命仕事をしている先生と、空き時間はコンピューターゲームやお茶の時間に充てている先生。どのタイプの組み合わせでも、支払われる給与は全く同じです。しっかりとした年功序列制に基づいた、不平等賃金制が教育界の現実なのです。
 そればかりか、熱心に教育活動に取り組めば、どこかで生徒や保護者と摩擦を起こす危険性も秘めているわけで、そういう摩擦が致命傷になりかねないこんな時代に、余分な給料ももらえないことがわかっていて、誰が熱血教師になろうとするでしょう。「給料分だけ働いていればそれが一番安全だ」と多くの教師が結論を出すのは当たり前です。ところが、そうなると今度は「今の先生たちはサラリーマン教師が多くて困る」と世間は批判をする。いったいどうしろと言うのでしょう。熱心な先生のやることに余計な口出しをしないことと、きちんと歩合給を支払う制度を確立することを世間が認めれば、多くの先生たちは喜んで熱血教師になろうと努力し始めるでしょう。なぜなら、教師になろうと思った人たちのほとんどは、熱い思いを胸に教育界の飛び込んだはずだからです。
 私には一般企業の実情はよくわかりませんが、建築会社に勤める弟の話を聞く限りでは、こんな不景気な時代であるにもかかわらず、ろくにコンピューターもいじることができない社員に無駄な給料が支払われている一方で、そのツケを払わされている一部の有能な社員たちが、過労死を招きかねないような重労働にあえいでいるというのが実情のようです。しかも、有能な社員たちは中間管理職として登用されてしまうために、残業手当ももらえなくなってしまうとか。どうしてこんな矛盾した状況が改革されずにそのまま温存されてしまうのでしょうか。日本の経済界は本当に不景気から脱出する努力をする気があるのでしょうか。
 リストラをされて職を失い、最悪の場合は家族までも失ってしまった人々の中にも、優秀な人材は多くいたことでしょう。鞄持ちが上手ではなかったという理由で、職を追われた人もいるはずです。出身や人脈にとらわれず、能力のある人間がどんどん出世の機会を与えられ、その能力に見合った報酬が支払われるアメリカのような社会の方がよほど気持ちを割り切ることができるのではないでしょうか。会社に義理を感じる時代は、もう終わりにしましょう。「いや、そういう日本式の会社組織を大切にするべきだ」と主張する人が多いのなら、きちんと能力のある人を出世させ、能力に見合った賃金が支払われる会社運営を確立してもらいたいと思います。
 現在、5%を維持している消費税も、やがては二桁台に乗ることでしょう。先進国では消費税の税収入全体に占める割合は大きいのが普通です。消費税一桁で消費者が文句を言っているのは日本くらいのものではないでしょうか。税金が集まらなければ、公務員の給与も出ないし、公的サービスも充実することはないのです。私たち国民はそのことを十分理解しなければなりません。ただし、その血税がきちんとした使い方をされるという前提があってのことです。苦しい思いをしながらやっとの思い出支払った税金が、一部の腐った官僚たちの宴会代として消えていくのだとしたら、もう私たちは誰も税金など支払わなくなるでしょう。そして日本は崩壊します。 「税制改革を進める」「聖域無き構造改革によって無駄な出費を抑える」などなど、小泉首相が公約した政策は、必ず実行してもらわないと困ります。日本の最高指導者なのですから、「指導者は約束を守るべきだ」という鉄則を、身をもって国民に示してもらいたいと思います。
 そして、政治家は嘘つきだと批判する私たち一般国民も、自分が指導者の立場に立ってそれなりの報酬を得ることになったならば、必ず約束を守ることを忘れたくはありません。どんなに小さな約束事でも、誠意を持って守る努力をしようではありませんか。そういう草の根の運動がなければ、国の体質も決して変わることはないでしょうから。
 さあ、私も含めて、私たちは軽くOKした約束を忘れてはいませんか?忘れた約束事を除夜の鐘と共に、自分の人生から、過ぎたこととして葬り去ろうとしてはいませんか?まずは自分の足下から固めましょう。

《名物監督と言われる所以》
 十年ほど前のことでしたでしょうか、神奈川県で中学生のソフトボール競技の関東大会が開催されたときのことでした。私たち県内の各チームの顧問の代表は、大会運営の役員として、会場整備や試合運営にあたっていたのですが、そのとき神奈川県の第一代表として大会に出場した海老名市の名門中学が、東京のある私立中学と対戦しました。その私立中学は前年度の全国大会で三位になった競合で、監督の先生は全国に名の知れ渡った有名な方でした。私たちは固唾をのんで試合の行方を見守っていたのですが、ある場面でその私立中学が突然の投手の不調で、ピンチを迎えたのです。後で知ったことですが、その投手はチームの二番手のピッチャーで、エースピッチャーは調子が悪かったのか、その試合ではサードを守っていました。ストライクが思うように入らなくなった二番手のピッチャーは、明らかに焦りの色が表情に見えるまで追い込まれていました。監督は、静かに立ち上がると、主審に投手の交代を告げました。いよいよエースの登場です。しかし、私たちの目には、一番手も二番手もないくらい、先発した投手は素晴らしい出来だったように見えました。そして、交代したエースピッチャーがアウトを一つとったところだったでしょうか、監督がまた立ち上がって、再び投手の交代を告げたのです。もちろん、先発した二番手ピッチャーが再びマウンドに上がることになったのですが、私は監督が何を意図しているのか全くわかりませんでした。ところが、再びマウンドに立つチャンスを与えられた二番手ピッチャーは、明らかに先ほどまでの追い込まれた顔とは違っていました。もう一度投げられることが嬉しくて仕方ないといった感じに私には見えました。そして、監督が大きな声でその二番手投手に言葉をかけました。「どうだ、もう落ち着いただろう。大丈夫だよ」正確な台詞は覚えていませんが、そんな感じの言葉だったと思います。私たちは、その言葉を聞いて初めて、監督の意図がわかったのです。監督は、追い込まれて我を失いかけていた二番手投手に、気持ちを切り替えるチャンスを与えただけだったのです。つまりエースピッチャーはそのための一時しのぎでしかありませんでした。ところが、すぐに交代させられたエースピッチャーも監督の意図をよく理解していたのか、満面に笑みをたたえています。本当に信じられないほど不思議な光景でした。これが名監督と言われる所以なのだなと、私はつくづく感心してしまいました。本当に、あのときほど感動したことはなかったかも知れません。
 再びマウンドに立つことを許された二番手投手は、監督が自分に絶大の信頼を寄せてくれていることを身にしみて感じたことでしょう。それ以後のピッチングはもう見事としか言いようがありませんでした。目が覚めるようなスピードボールを、きわどいコースにずばずばと決めていくのです。そして、魔法にでもかかったかのように浮き上がるライズボールが火を噴きました。本当に美しいボールの軌跡でした。どうしたら、こんなすごいボールを投げる投手を育てることができるのだろうと、私は途方に暮れてしまいました。試合は僅差で東京の私立中学が勝利を収めましたが、内容は神奈川県第一代表の完敗でした。その海老名市の中学校も、神奈川県では敵無しの強豪で、エースピッチャーも目が覚めるような素晴らしい速球を投げるのです。
 技術的な指導は別として、監督業というものは、本当に奥の深い仕事です。私にはとうていあの私立中学の名物監督さんの域には達することはできないでしょう。でも、私はそれほど奥の深い仕事に携わることができて、本当に幸せなのだと思いました。「自分などいくらやっても駄目だ」とあきらめの境地には不思議とならなかったのです。それどころか、自分も少しでもあの名物監督の域に近づきたいと、心から思いました。恐らく、あの試合を見ていたどの監督も、私と同じ感情を抱いたのではないかと思います。
 スポーツの試合だけでなく吹奏楽のような文化的なコンクールにおいても、指導者の役割の大きさは測り知れません。もちろん、チームや集団を構成するメンバーにも恵まれる必要はあるでしょうが、それ以上に魔法のようにメンバーの心をコントロールしてしまう力量がなければ、全国レベルの試合や演奏を見せることはできないのです。「学問に王道無し」という格言がありますが、恐らく監督業にも王道は無いでしょう。一人一人の指導者には、それぞれの個性があり、その個性がそれぞれのやり方で魔法を繰り出すのです。その域に達するまでは、恐らく並大抵の苦労ではなかったに違いありません。最初は、誰でも素人から始まるのですから。名物監督とか最高の指導者になれるかどうかの別れ目はいったいどこにあるのでしょうか。
 私なりに突き詰めて考えていくと、最後にたどり着く結論は、私が教育実習でお世話になった指導教官のT先生のあの言葉なのです。「本当の指導者とは人の心のわかる人なり」きっと全国的に名の知れ渡った名物指導者たちに共通しているのは、自分が指導するメンバーたちの心の内を、鋭く見抜く力でしょう。そして、メンバーの心を最高の状態に高めるための独特の言葉や仕草があるのだと思います。その魔法にかかって、メンバーたちは自分たちの持てる力の全てを出し切ることができる雰囲気に導かれてしまうのでしょう。
 自分の心でさえ正確に理解することが難しいのですから、他人の心の内をしっかり把握するという仕事は、それこそ「崇高」という言葉に値する気高い業でしょう。かと言って、そういう熟練の域に達するのに長い時間がかかる人もいれば、若いうちから芽が出る人もいるのが不思議です。やはり生まれ持った器というものがあるのでしょうか。
 最近、マスコミを賑わしているIT関連業界の若手社長たちを見ていると、「指導者の器」というものが生まれつきのものである感を強めざるを得ませんが、できれば努力することで小さな器も徐々に大きく変えていくことができるものと信じたいものですね。そして、たとえ大きな器を持って生まれても、努力や工夫のない人には、立派な指導者になるチャンスはないと思いたいものです。そうでなければ、いい指導者になろうと努力をする意欲が減退してしまうからです。
 ただし、生まれ持った素質だけで、立派な指導者が務まるほど社会は甘くはないでしょう。営利を目的とする組織のリーダーになるのであれば、しっかりした経験理念と戦略をもっていなければなりません。部下の気持ちを十分に把握して働きやすい環境を作る努力と、しっかりと利益を生み出す工夫を両立させることができれば、こんな不景気な世の中でも生き残る企業のトップになれるでしょう。

《個人は組織の歯車の一つではない》
 学校の教師は、クラスを担任すると、たいてい四月の学級目標作りで「まとまりのあるクラス」という言葉を好みます。しかし、へそ曲がりの私は、いつも子供たちに「クラスのまとまり」という言葉は嫌いだから使わないで欲しいとわがままなお願いをします。私の考え方は、一人一人が充実感を味わえることを最優先する学級でなければ、意味がないということと、「まとまり」というのはあくまでも実態のない集団心理で、一人一人が充実した生活を送れる状態を作り出せれば、後から自然とついてくるおまけだと思っていたからです。「ワン・フォー・オール・オール・フォー・ワン(One for all,all for one.)」という言葉があります。最近の先生たちの間で、A氏とT氏の詩と共に、非常に人気のある言葉ですが、私はこの全般の「一人は全てのために」という部分が嫌いです。どうして集団のために個を犠牲にしなければならないのでしょう。個が確立した大人の世界であれば話はまた少し違ってくるかも知れませんが、まだ個を作っている最中の子供たちに、滅私奉公的な発想を要求するのは、私にはとてもできません。人は、一人の人間として常に尊重されるべきで、例えば運動の苦手な生徒が意図的に欠席したために、体育祭でクラスが総合優勝したとしたら、それを両手放しで喜ぶことができるのかということです。私は、一人が欠けた総合優勝よりも、全員で取り組んだ第三位の方が数段価値があると思っています。だからいやなのです。「まとまりのあるクラスを作るために団結しよう」というタイプの学級目標が。
 私の学級経営は大きく二本柱に別れていました。一つは個人ノートを主体にした、クラスの生徒一人一人との対話で、もう一つは学級通信や学活・道徳の授業を利用したクラス全体への投げかけです。特に、クラスに小さな係をたくさん作って、一人でも多くの子が名前だけでなく実質のある活躍ができるチャンスを作ろうとしました。ですから、私のクラスには日直制度がありません。日直制度を作れば日直が多くの仕事を抱えることになりますから、その本来は日直がこなすべき仕事を分業制にして固定してしまうのです。「黒板消し係」「号令係」「戸締まり消灯確認係」「学級日誌係」という具合にです。これは大成功でした。何もみんなの前でしゃべることが苦手な子に、無理矢理日直当番をさせて、朝と帰りの短学活の司会をさせる必要はないというのが私の考え方でした。もちろん、敢えてそういう機会を与えることで、子供たちのキャパシティー(できること)を広げようとすることにも意義はあると思いますが、私はそちらの方法をとらなかったというだけの話です。朝と帰りの短学活の司会は学級委員の仕事にしましたから、意外と目に見える活動が少ない学級委員が毎日みんなの前で話をする機会ができて、非常に良かったし、次第に学活の運営が上手になっていって、効率的に時間を使うことができました。日直制度だと、せっかく早くそうじが終わっても、なかなか帰りの会が始まらないという、至って無駄な時間がどうしてもできてしまいます。子供たちは、早く放課後になって部活動に散って行きたいわけですから、私の学級経営は子供たちの利害関係とも一致していたことになります。
 そういう学級経営をしていて、クラスがめちゃくちゃにはならなかったのかと思う方もいられるかも知れませんが、私が担任したクラスのほぼ全てが、学年で常に一・二にまとまったクラスになりましたから、私の方針は決して間違ってはいなかったと思います。そして、合唱コンクールや体育祭でも立派な成績を収めましたから、「団結」「まとまり」などは目標にしなくていい、と言っておきながら、クラスはしっかりと団結しまとまりを育てていってくれたことになります。もちろん、合唱コンクールや体育祭で総合優勝をしても、私はクラスの功績にしないで、むしろ小さな役を引き受けてくれた役員たちの功績にしようと努力したつもりです。合唱委員や体育祭実行委員、ムカデ競技の先頭や大縄飛び競技の二人の縄回し役の生徒たち、そして合唱のパートリーダーや指揮者や伴奏者たちに、これでもかと明るいスポットライトを当てました。そして、クラスの一年間の終わりにはできるだけ「学級アルバム」を作るようにしていました。これはものすごい作業で、一人当たり千円ちょっとの実費がかかりますが、控えめに評価しても卒業アルバムをはるかにしのぐ出来映えだったと思います。からコピーを最大限に駆使して作るのですが、一人一人の生徒たちがあらゆる場面に何度も登場しますから、見ていて本当に懐かしく貴重なアルバムとなりました。そのために、私は年間三千枚以上の写真を撮影していました。今だったらデジタルカメラを使ってもっともっと簡単に編集作業もできるのですが、昔は銀塩の写真を使った作業ですから、年間の写真代も決して馬鹿にはなりません。これも恵まれた公務員の給与があったからこそ可能だったのだし、本来はもっとお金がかからない方法を考えるべきだとは思いますが、もしアルバム代を毎月百円ずつの積み立てで一年間千二百円集めたとしたら、一ヶ月にジュース一本を我慢すれば済むことですから、なかなかいい方法だったかも知れません。
 私よりも優れた担任は他にも大勢いたと思いますが、個人の存在を大切にすることでは私が一番優れた学級経営をしていたのではないかと自負しています。そして、私は一般社会の組織でも同じことが言えるのではないかと思うのです。会社のために個人の犠牲を要求するような企業は、恐らく将来的には人材が去っていくのではないでしょうか。それよりも、ある程度の個人的な犠牲は仕方ないとしても、個人個人の能力を十分に活用して、社員に存在感を与える配慮を忘れない企業の方が、将来的には大きく発展する可能性を秘めていると思います。なぜなら、企業は人材が勝負だからです。不景気で「買い手市場」の時代には、どんな経営をしていても優秀な社員を集めるのに苦労はないかも知れませんが、時代が変わって「売り手市場」になれば、優秀な人材を集めるためには、それなりの魅力がなければ絶対に組織を作ることは無理でしょう。そのときに大切になるのが、個人の才能を最大限に評価する経営方針です。個人を大切にすることが、やがては会社の利益につながるという発想さえ忘れなければ、優秀な社員は必ず集まることでしょう。なぜなら、個人の才能を正当に評価するということは、企業にあっては正当な報酬を保証するということを意味するからです。
 個人は組織の歯車の一つでは決してありません。一人一人の個人の集まりが、組織という形態を取ると考えるべきなのです。
 みなさんは、ハリソン・フォード主演のアメリカ映画『エアフォース・ワン』をご覧になったことがあるでしょうか。私は、英語の教師をしている関係で、今でもDVDで映画をよく見るのですが、この作品はもう5回くらい見たと思います。エアフォース・ワンとはアメリカ大統領の専用機のことです。アメリカ本土がミサイル攻撃で壊滅的な打撃を受けても、空飛ぶ要塞として、そこから全ての指令を出すことができるという、大変なハイテク旅客機です。映画は、その旅客機をハイジャックして、大統領を人質に、すでに拘束されていたあるテロリスト国家の元首を釈放させようと、犯人たちが暗躍するサスペンスです。アメリカ政府の方針は、ブッシュ大統領が実際のテレビ演説でも何度も言っているように、「テロリストと交渉はしない(We'llnever negotiate with terrorists.)」です。しかし、ハリソン・フォードはたまたま同乗していた妻と娘を人質に取られて、結局は交渉に応じてしまいます。その前に、多くの部下が犠牲になっているのにです。しかも、無事エアフォース・ワンを奪回した後も、被友好国の領空を侵犯していたために、敵機のミサイル攻撃を受けてしまいます。もう回避できない状況の中で、アメリカ軍のジェット戦闘機を操縦する一人のパイロットが、自らの戦闘機のミサイルとエアフォース・ワンの間に割り込ませて自爆して大統領の命を救うのです。映画は、彼を英雄として描いていましたが、私は映画のハピー・エンディングとは全く別の部分で、映画を見てとても切ない気持ちにさせられました。一国の大統領を救うために、多くのアメリカ国民が命を投げ出すというのは、果たして美談なのでしょうか。 一人の人間の命の重さには違いはないと主張するアメリカ国民が、もしあの映画を無条件に賞賛するのだとしたら、私はどこかに矛盾を感じざるを得ません。指導者とはそういうものなのでしょうか。非常に疑問です。

《困難に対処する陣頭指揮をとること》
 指導者として、どうしても忘れてはならない資質は、困難に直面したときに、自らが積極的に陣頭指揮をとって、問題に対処する勇敢な行動力と判断力でしょう。先日、新潟県中越大地震が起きた際に、政府の代表が現地入りするのにいったい何日かかったでしょうか。最初に現地入りした指導的な立場の人間は民主党の岡田氏と田中氏でした。自民党の小泉首相はどうして出遅れてしまったのでしょう。私は、政治的な宣伝とかそういう思惑は一切無視して考えても、なぜもっと早く行動ができなかったのかと不思議でなりませんでした。こういうときに、一番早く行動するのは、イラク派兵で批判の的になっている自衛隊の隊員たちと、民間のボランティア団体です。日本は指導者不在の国家なのですか?
 今回のスマトラ沖大震災の津波による犠牲者も、十二万人を超え、未曾有の惨事となってしまいましたが、日本政府の指導者たちはどうしてすぐに現地入りして状況把握に努めないのでしょうか。すぐに現地入りしたのは、犠牲になった可能性のある日本人観光客の家族の人たちでした。そして、今日のテレビニュースでは、近々アジア諸国の首脳が集まって対応策を検討する緊急会議を開催し、そこに小泉首相も参加するとのことでした。現地では、犠牲者の死体が腐乱して、伝染病の発生などの二次被害が拡大しそうな状況を呈しているというのに、日本は被災国からの具体的要請があるまで、何もしないで待っているつもりなのでしょうか。新潟中越大地震のときと全く同じです。
 二十年前の日航機の墜落事故の時も、すぐに自衛隊の捜索が始まっていれば、助かっていた人々がまだ他にもいた可能性があるという報道がなされました。五百人以上の犠牲者が出たにもかかわらず、奇跡的に助かった四人の乗客の証言からも、墜落直後にはまだ他にも生存者がいたことは確かです。しかし、実際には救助活動の開始が遅れてしまい、どこに墜落したのかという場所の特定さえ、何時間もできないままでした。アメリカの九・一一テロ以来「危機管理」という言葉が流行のように使われるようになりましたが、現実は二十年前と危機管理の鈍さはほとんど変わってはいないのです。
 この本は、与党政権の批判をするために書いているものではありませんから、私は小泉政権の行動の鈍さを客観的に疑問視しているのです。一国の指導者たる人物が、人名が関わる非常事態で、事態の推移を見守ってから対応策を検討するというのでは、国民は心許なくてしかたありません。このような状況の日本で、もし首都圏に大地震が来ることが専門家たちによって予知された場合、もし地震が発生しなかった場合の経済的な損害の大きさを考える余り、避難警報が出るのが遅れるのは目に見えているとは思いませんか。しかし、恐らく関係者の家族たちだけは、秘密裏に避難をする時間を与えられるに違いありません。もし私が地震予知連絡会議のメンバーで、情報を漏らすことを固く禁じられていたとしたら、まずすることは自分の家族を旅行に出すことです。周囲の人々に疑問を抱かれないように、自然な形で旅行に出発させるでしょう。もちろん、自分は最後まで本部に残って対策を検討するメンバーとして任務を全うするとしてもです。恐らく、現在の日本の危機管理などその程度なのではないでしょうか。もちろん、私の意見は個人的な推論に過ぎませんが…。
 私が短期間ですが講師をしていた塾では、地震が起きた際に、二つある非常階段のうちのどちらを使うかで、室長が判断に迷っておりました。なぜそんなことが話題になっていたかと言うと、ちょうど新潟の中越大地震が起きた直後だったからです。そして、結論らしい結論が出ないまま、時は過ぎ、今では非常階段に教材などの荷物が山積みされてしまっている状況すら改善される気配はありません。生徒たちの命を本気で心配するなら、まずは非常階段の掃除を講師全員でやるべきでしょう。その上で、どちらの非常階段を優先して避難に使うかを決めればいいことです。あのままでは、実際に大地震が首都圏を襲ったときには、パニック状態に陥って、誰も正しい指示を出すことができずに、荷物が山積みになった非常階段を使ってしまった先生や生徒たちは、恐らく犠牲になってしまうに違いありません。
 似たようなことは学校に勤めているときにもありました。印刷室の印刷機のコードの長さがぎりぎりで、コンセントにプラグが完全にささらない状況になっていたのです。つまりプラグの上部が3ミリほど空気にさらされている状態なので、そこに誇りがたまれば火災が発生しても少しも不思議ではありません。私は担当者にも管理職にもその話をして、直接現場も見せたのですが、私が退職した時点では何の処置も施されないままでした。恐らくは今現在もその状態のままでしょう。
 今の公立学校にも「危機管理」という言葉が定着しています。それは、何か問題や事件が発生したときの対処の手順や組織整備を行うことを意味しているのですが、「危機管理委員会」とか「事故防止委員会」などという組織は、学校の要覧の組織図に名前だけ掲載されていて、現実にはほとんど機能しておりません。ただでさえ会議漬けの学校ですから、余分な会議を開くことは誰からも歓迎されないのです。しかし、意味もない会議を開く時間を削れば、そういう大切な会議はいくらでも開けるはずで、それができずにいるのは管理職の怠慢としか言えないでしょう。
 日本人は、何か重大な事件が起きたときだけ、ああだこうだと議論が盛んになり、「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」の格言通り、時間が経過するとすぐに油断してしまいがちです。神戸の小学生殺害事件が起きてからもう十年になりますが、犯人の少年はすでに保護観察の身を解かれて、社会に復帰するそうです。そして、奇しくも昨年末には小学生女児の惨殺事件が起こってしまいました。学校関係者はいったいどんな対策を取っていたでしょう。下校時のパトロールはきちんと実施され続けていたでしょうか。答えはノーです。私は不審者の侵入を防ぐために正門に守衛を置くべきだという意見をずっと持っていましたが、実際に行われた対策は、予算的な誓約から訪問者の記帳と訪問者用名札の着用の徹底でした。しかし、私が退職してから近くの中学校の顔見知りのソフトボール部員が二人で練習しているのを見かけて、話をしにグラウンドに入ったとき、遠くでその光景を見ていた野球部の顧問の先生は、こちらをちらちら気にするだけで、私が何者か確認しにやってくることさえしませんでした。私はそれがおかしくて仕方ありませんでした。私とその野球部の顧問は顔見知りではありません。私はそんなに恐ろしい人間に見えたのでしょうか。それにしても意気地のない先生です。
 そして、昨年末の小学生女児殺害事件が発生した直後に、父親の介護施設を訪問する途中で小学生の下校風景を注意して見てみましたが、一人で下校している生徒が何人もいるのには驚いてしまいました。先生たちが手分けして学区に立っている気配は全くなかったのです。私が目にしていた小学生たちは、全国的な教育研究で有名になって、某国営テレビの取材まで受けた立派な小学校です。その立派な小学校の、事件後の動きがこんなに鈍いのですから、いったい学校の教師の本音と建て前はどういう関係にあるのかと、実際に教師をしていた身でありながら、改めて疑問に思わざるを得ませんでした。
 どんな事件がいつ誰に降りかかってもおかしくない異常な時代です。指導者は真剣に危機管理を考えるべきですし、そのために強い指導力を発揮しなければならないと思います。

《犬のしつけの難しさ》
 指導者の条件と犬のしつけがどういう関係にあるのかと、怒りを覚えた方もいらっしゃるかも知れませんが、実際に犬をペットとして飼ってみれば、その意味がよくわかるのではないかと思います。
 最近はペットとしての犬のしつけを特集したテレビ番組もいくつか作られるようになりました。それほど、飼い主の思い通りにならないのが犬なのです。犬は忠実な動物だと言われますが、実際にはその行動の意味を理解することが非常に難しいのです。これでもかといたずらをする犬を叱ってばかりいたら大変なことになってしまいます。犬のいたずらの意味はいろいろです。多くの場合は、飼い主の注意を引きたくてわざとやっているのです。ですから、いたずらをした犬を叱るよりは、そばい行って、思い切り抱きしめて上げた方がよほど効果的です。犬は満足して、しばらくはいたずらをやめてくれるでしょう。 犬は人間の言葉を話すことができませんから、自分の気持ちを訴えるためには、飼い主の注意を引くような行動に出ざるを得ないわけです。ですから、犬がとんでもない悪さをしたときには、その場で叱ることも大切ですが、その意味をよく考えてみることの方がもっと大切になってきます。
 我が家でも、ペットの柴犬を飼い始めてから、もう半年以上が経ちました。雄の彼には思いを込めて「龍馬」と名付けましたが、立派な名前をもらった割には、やることは小さないたずらばかりです。それも仕方ありません。龍馬はまだ十ヶ月を過ぎたばかりの子犬なのですから。一時期の龍馬は、せっかく覚えたトイレの習慣を一挙に無視して、居間の床の上に何度も粗相をしてしまいました。私たちは何度も龍馬を叱ったのですが、結局それは龍馬が本当の赤ちゃん犬から、少しずつ大人に近づいていった証拠だったのです。考えてみれば、私たちは龍馬を散歩させるたびに、いつになったら電信柱にマーキングができるようになるのだろうと、楽しみに待っていたではありませんか。そして、初めて後ろ足を上げてマーキングをしたときには、もう大喜びをしたものです。でも、よく考えてみれば、外でマーキングをすることを覚えたということは、家の中でもマーキングに近い行動に出るのはごく自然なことでした。それなのに、私たちは床の上で粗相をするようになってしまった龍馬を叱ったのです。人間というのは、実に勝手で愚かな存在です。
 龍馬は家中の家具という家具とかじってしまいます。私は彼に「かんな犬」というあだ名を付けたくらいです。ダイニングキッチンのテーブルや椅子の脚は、もう少しで折れてしまいそうなくらい、龍馬ががりがりとかじってしまいました。よく考えてみれば、彼がテーブルの下に潜り込むのは、私たちが食事をしているときだけです。つまり、自分にもお裾分けが欲しくて、龍馬なりに一生懸命私たちにアピールしているのでしょう。ですから、龍馬を育てることにだいぶ慣れてきた私たちは、そんな龍馬の作戦を本気で叱ることはなくなってきました。最近では、玄関に下りることを覚えてしまい、気がつくと誰かの靴をくわえて家の中を歩き回っています。ある時などは、母の大切な靴を三足もかみ切ってしまい、母から大目玉をくっていました。龍馬にしてみれば、革靴は恐らく食料に等しいのではないでしょうか。動物の皮で作ってあるわけですからね。
 龍馬は他にもいろいろな行動を取ります。落ち着き無く訳もわからない行動をとるときには、たいてい外に連れて行って欲しいときです。つまり、龍馬は家の中で用を足すことを自分に禁じたようなのです。ですから、家の中にいる限りは、ぎりぎりの限界を超えるまでは、ずっと我慢をし続けます。それが限界に近づいてきたときに、一生懸命私たちに合図を送っているのです。
 こんな風にして龍馬と私たちの間には、自然にできあがった言語ができあがりつつあります。自分の気持ちが少しずつ理解してもらえるようになってきた龍馬は、次々の言語の幅を増やして行くと同時に、ストレスもすっかり解消されてきたようです。夜、ソファーの上で私たちに寄り添って眠っている龍馬の顔を見たら、本当に「しあわせ」という言葉の意味が理解できたような気持ちになります。龍馬が我が家に来てくれたことで、我が家にはどれほどたくさんの幸福が訪れたことでしょう。そして、私たちは龍馬のおかげで、相手の気持ちを読む力が磨かれました。
 ここまで書いてくると、ペットの気持ちを理解することが、指導者としての訓練になることをよくわかってもらえたのではないでしょうか。言葉のない動物たちの気持ちを理解できるようになったなら、言葉のある人間の気持ちはよりよく理解できるようになるはずです。もちろん、動物の場合も人間の場合も気持ちとは裏腹な表現をすることがありますから、その辺の人情(犬情)の機微もしっかりと理解しておく必要があるでしょう。「きらいきらいは好きのうち」という言葉が古くから日本にはありますが、人間も相手の注意を引きたいときに、わざと相手の気に障るような発言をするのです。それは全くペットの犬と同じ行動原理だとは思いませんか。
 ですから、反抗的な発言をされたときには単純に怒ってはいけません。それは、自分に対する何かのメッセージだと考えることができるようになれば、落ち着いた対処をすることができるようになるでしょう。龍馬の話からは離れますが、私がまだ教員になりたての頃、よくクラスの女生徒から反抗的な言動を受けたものです。ある時などは、廊下ですれ違いざまにあからさまによけられたときもありましたし、目の前で個人ノートを破られたこともありました。その頃の私は、そういう女生徒たちの「仕打ち」の一つ一つに胸を刺されるような思いをさせられていましたが、教員としての経験を積むうちに、女生徒の扱いもだんだんとうまくなっていきました。女生徒は大切に扱いすぎてもいけないし、乱暴に扱いすぎてもいけないのです。上手に間合いを取ることさえできれば、とてもかわいい存在です。あの頃私に一番反抗していた女生徒が、成人してから私の家に遊びに来たことがありました。彼女が我が家を訪問してくれた事自体が意外なことでしたが、私は彼女に当時の気持ちを聞かされて本当に驚きました。「先生は、何て言うか反抗しやすかったの。嫌いだったわけじゃなくて、とにかく反抗しやすくて反抗してたの」つまり、私があまりにも素直に彼女たちの反抗に反応するのが、彼女たちにしてみれば嬉しかったのかも知れません。
 人間が相手を批判したり、誰かに反抗したりするときは、その心理の裏にはその人間に対する期待があることを、自分自身も気づいていないことがあります。相手に何かを期待しているからこそ腹が立つのであって、もしどうでもいい相手なら、何をされても本気で怒ることはないでしょう。そういう人間の心理をよく理解していると、自分に対してどんなことを言われても、落ち着いて対処することができるようになります。それは、言外に秘められた別のメッセージを受け取るアンテナが発達した証拠です。そして、そのような余裕のある指導者になったとき、皮肉なことに周囲の人間は初めて素直に感情を表現してくれるようになるのです。それは、あなたが頼りがいのある、信頼に足る立派な指導者であると認められたからです。
 どうでしょう。指導者と呼ばれるようになったら、試しにペットを飼ってみてはいかがですか。動物と上手に付き合うことができるようになれば、人間としての魅力がそれだけ深まったということです。指導者としてもきっと成長させてくれることでしょう。

《あとがき》
 指導者としてまだまだ未熟な私が、なぜこのような本を書こうとしたのかと言えば、それは未熟な私の目から見ていても、もっとどうにかなるだろうと思えるような、未熟な指導者たちが非常に多いと感じることが多くなたからです。そして、指導者さえしっかりしていれば、才能を埋もれさせることなく立派な仕事ができる人たちが大勢いることも、実際に見る機会が多くなったことも理由の一つです。
 しかしながら、指導者論というのは非常に難しいということがよくわかりました。こうすればこうなるという鉄則というものが、存在するようで存在しないからです。基本的には相手の気持ちをしっかりと理解できる力があれば指導者としての資質はあるのでしょうが、十人十色の人間ですから、立派な指導者への道もいろいろです。まさに、全ての道はローマに通ずというところでしょうか。
 そんな事情もあって、私の主張はあちこちに飛んで、わかりにくい部分も多々あったのではないかと反省しています。私は決して政治的な色合いの濃い本を執筆するつもりはありませんでしたが、指導者としての資質を考えるときの一番いい例が、一国の指導者であったために、敢えて実名で原稿を書き上げてしまいました。しかし、その際にも、私なりに小泉政権の評価できる部分と、そうではない部分を、平等に取り上げたつもりです。自衛隊の問題や国際関係に言及することは不適切だという指摘を受けるかも知れませんが、それは一つの個人的な見解として読んで頂ければと思います。なぜなら、政治的な解釈は歴史の判断を待たなければ誰にも確定的なことを言うことはできないからです。意図的に隠されている事実もあるでしょうし、それは私の意見が的はずれであったとしても、お許し願えればと思います。
 また、私は教員生活が非常に長かったため、教育に関する記述がどうしても多くなってしまいました。教育批判に聞こえる部分も多くあるかと思いますが、私もその未熟な指導者の一人であったことを付け加えておかなければなりません。
 ある新春の特別番組で、有名な政治評論家が発言していました。「現代の日本は、若者たちが夢を抱くことができない国になってしまった」と。私たちが、日本の将来を真剣に考えるとき、一番大切なのは人材の育成だと思います。そういう意味では教育が担う責任は重大です。そして、立派な指導者を数多く育てることでしか、日本の明るい未来を切り開いていくことはできないでしょう。現に、時代はますます混迷を深めています。恐らくどんな指導者がトップに立ったとしても、日本の現状は簡単に改革することはできないでしょう。戦後、長い時間をかけて崩壊してきた社会ですから、その修復にも長い時間がかかるのは当然です。どうせ長い時間がかかるのですから、即効薬を考えるよりも、今の子供たちを立派な人材に育て上げることの方がより現実的だと思います。子供は国の宝だとよく言われますが、その割には虐待される子供たちや、簡単に命を奪われてしまう子供たちの数が多すぎます。私たちは、本気で子供たちを大切に育てる社会を作り上げる方法を模索しなければいけない段階に来ているのです。不景気の時代にあって、目先の生活だけに追われていては決していけません。
 私は、教員を辞めてからまだ決まった職業がありませんが、何らかの形で教育に関係する仕事を続けていきたいと思っています。そしてできれば、若い指導者も育ててみたいと真剣に思うようになりました。子供たちに誠意を持って接する指導者が増えれば、その子供たちがまた誠意の人に育ってくれるに違いありません。私自身も、自分を磨くことを忘れずに、日々様々なことに挑戦していきたいと思います。