『父の庭』
 私の家にはそんなに広くはないが庭がある。昔は農家の名残で、広い畑を有していたが、事業に失敗したこともあって、畑は切り売りしてしまった。南側に残った百坪ほどの土地に、新しい家を建てたのが七年ほど前のことだ。長年住み慣れた古い家を取り壊す日、私の父は新しい家の自分の部屋に閉じこもったきり出てこなかった。私は、そんな父の気持ちが痛いほどよく分かったが、何と言って励ましていいのか分からなかった。
 そんな父も、新しく立てた真っ白な大きな家の庭に、一生懸命植木を移し替えていた。大きな植木まで、必死に運んでいる。まるで、自分の子供を扱うかのような、ていねいな作業である。私は、父が腰をおかしくしてしまうのではないかと、何度も往復する父の姿を見て気をもんだものだ。
 あれから七年。昔の家があった場所には立派なマンションが建ち、我が家の庭もすっかり形を整えた。庭にある植木の数を数えてみたことはないが、さつきの鉢だけでもけっこうある。父が長年かけて育ててきたさつきは、五月になると見事な花をつけるのだ。色とりどりの花は、展覧会でも開けそうなほど立派で美しい。私の父は、昭和元年生まれで尋常高等小学校しか出ていない。しかし、父の芸術のセンスは非常に優れていると思う。見事に手入れされた形のいいさつきを見るたびにそう思うのだ。
 「焼却炉を作る工場になんか勤めないで、庭師にでもなったらよかったのに。」私は本気で言っているのに、父は黙って聞いているだけだ。四年前に軽い脳梗塞の発作を起こした父は、現在でも病院通いを続けている。何種類かの薬を毎日飲み続けないと、またいつ救急車のお世話になるか分からないのである。でも、弟に勧められて飲み始めたプロポリスの効果もあるのか、父の容態は最近比較的安定してきたように思う。幸いにも、麻痺の残らなかった父は、今でも元気に庭を歩き回っている。そのスピードはいたってゆっくりではあるが。
 最近は、母も庭いじりに参加するようになったようだ。先日などは、猫が糞をして臭くて困るというので、店で猫よけの薬を買ってきて庭にまいていた。しかし、我が家の庭は相変わらず近所の猫の通り道になっている。猫よけの薬をまかれたくらいで、猫だって自分の縄張りを変更するわけにもいかないだろう。糞をまき散らされるのは困るが、散歩のコースに使っている程度なら、動物愛護の精神で許してやってもいいのではないかと思う。
 父の鉢植えはとても凝っている。サザエの壺を利用して、小さな植物を植えたり、父の手にかかると蛇イチゴまで立派な植木に早変わりしてしまう。「そんなものまで植えて・・・・」と母はぼやいていたが。作った鉢植えは、これまた手作りの木のベンチの上に、整然と並べられている。その配置がまた芸術的なのだ。私は、中学校の英語の教師をしていて、外国人の知り合いも少なからずいるから、いつか家に招待して、この立派な父の庭園を自慢してやりたいと思っている。
 父の話では、今年はさつきが花をつけないと言う。昨年の夏の天候が原因しているのだと本人は言っているが、本当にそうなのだろうか。手入れが悪かったわけではない証拠に、近所のさつきも花をつけていない。五月に花をつけるから「さつき」と言うのに、これでは今年の五月は寂しい限りではないか。叔父の家の庭に立派なピラカンサの木が植わっているが、ピラカンサという植物も、年によって赤い実の大きさや数が違っている。これは、植物の知恵なのだと、昔勤務先の校長が言っていたのを思い出す。
 庭の隅には蕗も植わっていて、春の食卓を賑わしてくれる。私は、母の煮付ける蕗が大好きだ。今年もたくさん食べさせてもらった。「梅の木があるといいんだけどなあ・・・・」梅の花が大好きな私がつぶやくと、「毛虫がすごいんだぞ」と父が答えた。死ぬほど毛虫の嫌いな私は、よその家の梅の花を見て満足することにした。

『メール交換』
 最近はよく自転車に乗りながら、携帯電話でメールを打っている女子高生の姿を目にする。よく事故を起こさないものだと感心してしまう。いわゆるピッチを使ったメール交換は、中学生の間にも広まっている。不届き者になると、たいくつな授業の気晴らしに、机の下でメールを送っている生徒もいる。いつだったか、メールを送る相手のピッチが担任に見つかってしまって取り上げられてしまったことがあった。職員室でその話題をしていたら、たまたまそのピッチが鳴り出したのだ。誰からだろうと思って、発信者を見たら、今授業中のはずの男子生徒からだった。私は、すぐにその教室に飛んでいって、彼のピッチを預かった。まったくドジな話ではないか。
 以前、ポケベルが流行ったことがあった。私は興味があって自分もポケベルを持ってみたが、誰かからメッセージが届くと本当に嬉しいものだ。私は、生徒の何人かにもポケベルの番号を教えて置いたので、よく夜などに「先生、おやすみなさい。」などとメッセージが届いたりした。教師のくせに何事かと叱られてしまいそうだが、別に悪いことに使っていたわけではないから、私は反省したりしない。子供たちの文化を知ることも、教師として大切な仕事である。
 現在では、コンピューターを使った電子メールのやりとりが盛んである。私の職場も今年の正月を境に、急激なOA化が始まった。私も、去年の暮れにデスクトップのパソコンを買い、今年の春前にはラップトップのノート型パソコンまで購入してしまった。何事にものめり込むタイプの私は、今まであんなに毛嫌いしていたコンピューターの楽しさにはまってしまったのだ。もちろんインターネットも電子メールも楽しんでやっている。職員仲間とのメールの交換は実に楽しい。学校では言えないような本音を、文字にして交換したりするのだ。
 私は、手紙を書くのも好きだが、メールにしても手紙にしても、文字の持つ魅力には不思議なものがある。口に出して言ってしまえば簡単なことも、文字にするとなぜか雰囲気が違ってくる。「ありがとう」「ごめんね」のような簡単な一言も、文字にするとなぜか心がこもって感じてしまう。女子高生たちのメールごっこは、面と向かって会話をすることが苦手になった、人間関係不在の現代っ子の象徴だと論じられることもあるようだが、私はあながちそうとも言い切れないのではないかと思う。手紙の返事を待つ楽しみも、メールの返事を待つ楽しみも、全く同じものだと思うからだ。
 もちろん、面と向かって意見が言えなくなってしまうのは困る。よく、会議などで全く発言しないでいて、会議が終わってから、ああだこうだと愚痴をこぼす人がいるが、自分の意見くらいは堂々と人前で発表したいものだ。だから、メールが意気地なしの隠れ蓑になってはいけないと思う。恋人同士の「ごめんね」というメールのやりとりは確かにロマンチックでいいかも知れないが、ちゃんと相手の目を見つめて、「さっきは、あんなこと言って悪かったね。」と言葉にすることも、大切だ。メールも使いよう、というところだろうか。
 携帯電話でのメールのやりとりで、月額何万もの通信費を払う子供もいると聞く。これは、ちょっと考え物だろう。自分の稼ぎがない子供の分際で、何万円もの通信費を誰に払えと言うのか。まさか、親が払う?そんな親がいたら過保護もいいところだ。高校生なら、バイトである程度のお金も稼げるだろうが、それにしても、バイト以外に高校時代にしかできないことだってたくさんあるのだ。メール代を稼ぐために、貴重な青春をバイトに費やすのはもったいないではないか。
 ものには限度がある。その限度さえきちんとわきまえていれば、メールの交換も楽しい趣味と言えるだろう。ただし、使い方を誤ってはいけない。メールで友達を作ろうとする人もいるようだが、それが殺人事件に発展してしまうようでは情けない。楽しいメールもほどほどに。

『ペットを飼うこと』
 私の家では昔からよく犬を飼っていた。もう何匹になるだろう。最後の柴犬「ハナ」が死んだのは今年の冬だったから、それ以来我が家で犬のなき声が聞かれることはない。ハナは十年以上の大往生だったが、最後は乳ガンを患って死んでいった。とても頭のいい、お転婆な娘だったハナは、最後まで雄犬を近づけずに、一生涯「独身」を通したのだった。近所の人からも、とても愛されていた。
 ハナが私の家に来た頃は、まだほんの子犬で、最初は家の中で飼っていたものだから、カーペットの上にソーセージのような大便をして、私を困らせてくれたものだ。少し大きくなって、外で飼うようになったときには、興奮して空中一回転の離れ業をした挙げ句に、後ろ足を骨折してしまった。本当にお転婆娘だ。獣医さんに治療してもらって、後ろ足に添え木を縛り付けた格好で、ハナは少し狭めの段ボール箱の中に入れられた。おしっこのときだけ箱から出してやるのだが、まるで骨折しているのを忘れたかのように、添え木を当てた足まで地面についてぴょんぴょん跳ねていた。
 その当時は「ミー」という名の猫も飼っていたのだが、「人のいい」ハナは、自分の小屋をミーに占領されてしまって、自分は外で寝たりすることもあった。ドッグフードをすずめがつつきにきても、じっと見守るだけで騒ぎ立てることもなかった。ハナが大騒ぎをするのは、他の犬が現れたときと、ミー以外の猫が登場したときだけである。人間に対してはあまり吠えなかったから、番犬としては役に立ったとは言えないかも知れない。
 私はそんなハナを、毎朝早起きして近くの田圃に連れて行った。小さな可愛い花を咲かせるあぜ道を、ハナを連れて歩くのは本当に楽しかった。ハナはあらゆるものに興味を示したが、すれ違う犬だけには少しも注意を払わなかった。「私は犬には興味ないのよ。」と言わんばかりの態度なのだ。もしかしたら、ハナは自分が犬であることを認めていなかったのかも知れない。道路を横断するときだけは危ないので、私は「待て」のしつけだけはしつこく行った。でも、代わりに「お手」を教えるのを忘れていたので、ハナは一生涯「お手」ができなかった。「待て」に関しては、その指令が「よし」という合図で解かれるまでは、大好きな煮干しにも決して口を付けずに待っていた。
 隣の小さな女の子もよくハナを散歩に連れ出してくれたが、ある日妙なことを言うのである。「ハナはおしっこをするとき、逆立ちするんだよ。」そんな馬鹿な話があるわけないと思っていた私だが、母もその姿を目撃したという。
他の犬も、雌はそんな格好で用を足すのだろうか。それとも、ハナだけが「犬離れ」した犬だったのか。しかし、私はついぞその姿を見なかった。私の前では、確かちゃんとしゃがんでいたと思うのだが・・・・。
 ハナは夏の暑い盛りに、父にホースで水をかけてもらうのが好きだった。犬は寒さには強いが暑さにはめっぽう弱い。ハナは自分の小屋の脇に穴を掘って、その中で丸まって涼んでいることもあった。犬には蚊も大敵だから(フィラリアに感染する危険がある)、いつも蚊取り線香を小屋の中につるしていた。
 しかし、犬というのは本当に忠実な動物だ。私のことは「主人」と決めてくれていて、仕事が忙しくなってなかなか朝の散歩にも連れて行けなくなっても、私が出てゆくとちゃんと小屋から出てきて挨拶してくれる。エサをやっていたのも私の両親だし、私はあまりいい飼い主ではなかったと思う。ハナが乳ガンに犯され始めたときも、もっと早く胸の出血に気付いていれば、もっと長生きができたに違いない。
 ハナは静かに息を引き取っていった。私の両親は私が動揺するのを心配して、ハナの死を、私が家に帰るまで連絡してくれなかった。私が帰宅したときには、もう遺体は引き取られた後だったから、私はハナの死に顔を見ていない。今でも呼べば小屋から顔を出しそうな気がする。

『英会話スクール』
 「行こうか行くまいか考えよう。」ある英会話スクールのテレビコマーシャルで、考える人の銅像が言うせりふだ。「猫も杓子も英会話」の時代である。誰もが、ぺらぺら英語を話せるようになることを願っている。でも、日本で生活している限り、英会話スクールなるものへ通った程度で、英語が達者になると思ったら大間違いだ。語学には徹底した訓練が必要だから。
 戦争時代、日本語のしゃべれるスパイを養成するために、アメリカでは兵隊を缶詰にして日本語の特訓を行ったと聞く。その特訓にしても数ヶ月は要したそうだから、「ぺらぺら」を実現するのは容易なことではない。一番簡単なのは、直接外国暮らしをすることだが、ほとんどの人はそんな夢を実現する余裕などない。
 私は中学校の英語の教師だが、外国で暮らしたことは一度もない。ホームステイの経験すらない。海外旅行なら五回ほど経験したが、いずれも一週間程度の短いものだった。それでも、私は比較的ぺらぺらと英語を話すことができる。その秘密は学生時代にあった。私は、外国語学部の学生時代にすばらしいイギリス人の女性教師と出会った。ケーリーという名のその女性は、私の思考回路の改革から始めた。「あなたは日本語で考えてから英語に直してしゃべる段階にあるのがだめなの。物事を直接英語で考えるようにしないと。」ケーリー先生は徹底的に私を指導してくれた。また、別のアメリカ人の先生は、一枚の写真を見て、そこから自由に英語で物語を創作するという授業をしてくれた。目で見たものを、直接英語で表現するのである。
 NHKラジオの英会話番組にもずいぶんお世話になった。「続基礎英語」「英会話」が中心だったが、テキストの会話はテープに録音して、外国人と同じように発音できるまで、それこそ何十回もテープを聴いて練習したものだ。NHK文化センターの会話教室に通ったこともあるが、それはあまり役に立たなかったような気がする。高価なリンガフォンの会話教材も持っていたが、それもあまり使わなかった。要するに、英会話の勉強で一番効果がある方法は、一番安上がりな方法でもあったのだ。ラジオのテキストなら月々二百円ちょっとだった。
 とにかく、英語は訓練である。同じ文型を何度も何度も繰り返し練習しながら、頭にたたき込んでゆく。「テープを聞いていれば自然に覚えられる。」などと、いかにも注意を引きそうなキャッチフレーズで消費者を誘う英会話教材もあるが、そういううまい話には簡単に乗らない方が賢明だ。そういう方法は、ある程度の基礎的な訓練を受けた後の人には効果を発揮するかも知れないが。
 私は英語が専門の学生だったから特別かも知れないが、ラジオやテレビの英会話番組を徹底的に研究して訓練するだけでも、絶大な効果があることは確かだと思う。ただし、安上がりなこの方法には根気がいる。途中で投げ出してしまったのでは意味がない。語学の学習に関しては、まさに「継続は力なり」である。外国暮らしをしていなくても、会話スクールに通っていなくても、そういう訓練で私はちゃんと英検一級に合格しているのだから。
 しかし、残念なことに、英検一級程度の英語力では、字幕なしで外国映画を楽しむことはまだまだできない。同時通訳などは至難の業。だから私はDVDの映画を買ってきて、英語字幕を見ながら楽しく英語の勉強を続けている。同じ映画を、飽きずに何度も何度も見るのだ。最初は日本語の吹き替えで見てしまってから、今度は英語で見る。そんな楽しい方法でも、けっこう勉強になる。繰り返しは、訓練と同じだからだろう。
 英会話スクールに通うのも悪くはない。ただ、外国人の講師と話していれば、それで何とかなると思ったら大間違いだということだ。何をするにもまずは基礎訓練が大切だ。退屈でも、数百円のテキストから始めるのがいい。さあ、スクールに行こうか行くまいか、よく考えよう。

『切れる十七歳』
 十代の少年たちの残忍な事件が報道され、『切れる十七歳』という言葉も、すっかり時事用語として定着してしまった。髪の毛を黄色に染めて(「茶髪」と呼んでいるが、実際には黄色に近い)街を闊歩する若者たち。制服を着た中学生や高校生を見て、正直「怖い」という印象を持つ人は多いのではないだろうか。私も、仕事柄、何度が生徒とつかみ合いをしたことがあるが、今の子は確かに切れやすいと感じなくもない。でも、私と同じ程度かな?
 しかし、不思議なことに、電車やバスの中でお年寄りに席を譲っている茶髪の若者を見ることも少なくない。その一方で、寝たふりをしたり、新聞や雑誌で顔を隠したりして、席を譲ろうとしない大人もいる。現代の若者の心がすさんでいると、果たして本当に言えるのかどうか。すさんでいるのは、むしろ大人の社会自体なのかも知れない。世の中の人が、他人の出来事に無関心になった殺伐とした時代だからこそ、駅のホームから線路に飛び降りて、酔っぱらいを救おうと命をかけた二人の勇敢な行為が、これほどまでに社会に衝撃を与えたのだろう。
 私がある中学校を転勤するときの離任式に髪の毛をピンクに染めた少年が来てくれた。彼は、一年生の時の私のクラスの生徒だった。悪いこともたくさんしたし、短気で先生たちに喧嘩を売るようなこともあったが、基本的には心の優しい少年だった。私は、離任式が終えて正門を出ようとしたときに、そこに彼のピンクの頭を見つけて本当にびっくりした。まさか、見送りに来てくれるとは思っても見なかったからである。私は彼と握手した瞬間、止まっていた涙がまたあふれ出してしまった。
 あるとき、学区の団地の住人から学校に電話がかかってきた。「団地でおたくの生徒がたばこを吸っているんですが、注意しに来てくれませんか。」あれ?どこかおかしくないか?団地でたばこを吸っているなら、それを見た大人がその場で注意すればすむことだ。それなのになぜわざわざ学校の教師を呼ぶのだろう。子供たちを教育するのは学校ではなくて、地域だというのに。でも、その気持ちが全く分からないでもない。注意して、「逆切れ」されたらたまったものではないからだ。その人も、中学生がよほど怖かったに違いない。
 あなたは、犬に追いかけられたことがあるだろうか。怖そうな犬に出くわしたとき、こちらがびびっている様子を見せると、犬は勇気づいて襲ってくる。でも、こちらが平気な顔して逆に威嚇したら、犬の方がびびるに違いない。追いかければ、犬の方が逃げ出すだろう。大人が子供を恐れているうちは、子供たちは少しも良くはならないのではないか。大人が毅然とした態度をとれないから、子供が調子に乗るのだと思う。そして、本当は純真な子供のくせに、強がって見せようとするのだろう。
 一部の少年が犯罪を犯すと、全ての少年が犯罪を犯しそうな気持ちになってしまう。ある先生が言っていた。「一人がそうだと言うと、全員がそう言っているように思いこみがちだ。」この言葉は、像の体の一部を触って全体を想像する有名な話を思い出させる。だから、『切れる十七歳』という言い方は正確ではない。十七歳で切れてしまう子もいるというのが、正確な表現だと思う。
 しかし、犯罪が低年齢化しているのは事実で、これは見逃してはおけない。マスコミが少年犯罪を報道すればするほど、「少年は犯罪を犯すものだ」というような安心感のような気持ちが、少年たちの中に根付いてしまうのではないだろうか。少年法をいくら強化してみても、犯罪はなかなか減らないと思う。死刑があっても殺人を犯す大人が後を絶たないのだから。
 切れやすい心はカルシウムの不足とも関係しているのだそうだ。先日、あるテレビ番組で乾燥した桜エビの効能について特集していた。乾燥桜エビはカルシウムを補給してストレスを減少させ、おまけに血液中のコレステロールまで処理してくれるという。少年法の強化より効果的か?

『パチンコ屋の赤ん坊』
 私はパチンコが好きで、以前はよく行っていた。休日は部活動があって行けないから、行くのはたいてい仕事後の夜だったが、なぜか店内を子供が走り回っていることがある。夜の十時近くになっても、子供たちの姿が消えない。親たちはいったい何を考えているのだろう。
 あるとき、私の隣に座った女性のところに子供がやってきて、何やらぐずっているようだった。その母親らしき女性は、「あっちへ行ってなさい。」の一言だけで、自分は一向にパチンコ台から目を離さない。子供はしぶしぶ母親の元を離れていった。何という馬鹿な母親だろう。自分で産んだ子供ぐらい、しっかりと面倒が見れないのかと、他人事ながら腹が立ってきた。自分の打っている台が出ないから、余計に腹が立った。まったく、ため息をつきたくなる。
 ひどいケースになると、パチンコ屋の店内に乳母車ごと赤ん坊を連れてくる親がいる。店内はたばこの煙で空気がよどんでいるから、ときどきドアを全開にして、店が換気に気を遣うほどだ。そんな空気の汚い場所に、なぜ平気で赤ん坊を連れてくることができるのか。世の中は何かが狂っている。
 以前、パチンコに夢中になって、子供を駐車場の車の中に置き去りにして死なせてしまう事件が続いたことがあった。そんな馬鹿な親のせいで、パチンコ台は爆発的に大当たりをしないように工夫されてしまった。大当たりするから子供を置き去りにしてまでパチンコに夢中になってしまうという理屈らしい。全く馬鹿げている。爆発的な大当たりを楽しみにして、みんなパチンコ屋に通っているのに。
 そんな事件があったからか、保育室を設けるパチンコ屋まで登場したという。私は自分が子供を持った経験がないが、もし子供ができたらパチンコ屋に行く時間に子供と遊ぶだろう。乳母車を引いてゆくのは、パチンコ屋ではなくて、遊園地や公園でなければいけない。だいたい、子供を犠牲にしてまで夢中になるほど、パチンコはおもしろいのか。・・・・と、そこまで言うことはできないか。私もおもしろくてパチンコに夢中になっていたのだから。でも、子供を犠牲にしてまでやるのはおかしいと思う。
 世の中は、全てが大人中心だ。わいせつな雑誌やアルコール飲料やたばこの自動販売機は、見つけるのに苦労しない。コンビニは一晩中営業しているし、女子高生相手に買春に走るおじさん族もいる。子供たちが健全に育つ環境ではないのだ。外国では、子供に害を与えるような環境を排除する努力をしている国もある。そういう意味では、日本は文化的に遅れた国なのではないだろうか。
 「寝る子は育つ」と言うが、小さい子には睡眠時間が十分確保されなければならない。本当に、人間が成長するのは寝ている間なのだから。パチンコ屋に閉店近くまでいる子供たちは、いったい何時に床につくのだろう。これでは、いい夢も見れないに違いない。パチンコ屋の中は、絶えず大音量の音楽が流れているから、こういう子供たちは難聴になる可能性もある。こんな場所にいるくらいなら、家でファミコンでもやらせておく方がまだましだ。
 大人だって人間なのだから、完璧な姿を子供たちに見せることはできなくても仕方ない。人生は理屈通りには行かないから、ストレスを発散させることも必要だろう。しかし、子供たちは大人の後ろ姿を見ながら育つということも忘れてはいけないと思う。不完全であっても、一生懸命に子供のことを考える姿があれば、子供は曲がって育ったりしないのではないか。たまに、パチンコに行くのもいいだろう。しかし、それは大人の娯楽であって、子供を巻き込んではいけないのだ。
 私の祖母は、大の花札好きだったそうだ。うちは、代々賭け事が好きな家系なのかも知れない。でも、孫の私が生まれてからは、ぴたっと花札をやめてしまったらしい。そう言えば、私の家には週刊誌の一つも置いていなかった。昔の人は偉いと思う。私たちも見習いたいものだ。

『動物の不思議』
 アメリカでは自閉症の子供の治療に、イルカを使っているというのを知っているだろうか。イルカと一緒に泳いでいるだけで、心の窓が開かれるというのだ。日本からも、イルカ療法を受ける希望があるそうだが、人気があるので順番待ちだと聞いた。私もイルカと一緒に泳いだらストレスが解消するだろうか。そう言えば、以前高知へ旅したとき、桂浜の水族館でイルカの芸を見たことがある。そのとき、イルカの泳いでいるプールサイドに行って、芸を見せてくれたイルカを間近に見ようとした。すると、回遊してきたそのイルカと何度も目があったのだ。本当に思慮深そうな目だったことを覚えている。本当に、不思議な動物だと思う。
 話は陸に上がって、最近では老人ホームへ犬を連れてゆく試みがあるようだ。犬が、孤独な老人たちの心を癒してくれる。優しく傷つきやすい老人たちの心を、きっと犬は読みとれるのだと思う。犬が人間の心を読みとるという話はよく聞く。自分の目の前にいる人間が、犬好きなのか犬嫌いなのか、犬は即座に判断できるそうだ。だから、自分に悪意を持っている人間には決してなつかない。老人は、犬などのペットを飼っていると、長生きするという話も本当らしい。動物には、人の心のストレスを消し去る不思議な力があるのだろう。ストレスがなくなるから長生きできるのだ。
 今日の昼のテレビ番組で、カラスが人を襲撃する事件を報じていた。五月も中旬の今の時期は、カラスの子育ての時期と重なるそうだ。だから、自分の子供を一生懸命守ろうとして、人を襲うことになる。カラスの攻撃の対象は、大人ばかりでなく、小さな子供や赤ん坊にまで及ぶ。だから、カラスの襲撃から人間を守るために、仕方なく木の上にていねいに作られたカラスの巣を壊すのだ。中には、数匹の雛がいるが、人を守るためにはその犠牲もやむを得ない。都会に出てきたカラスは、何とクリーニング店が使っている使い捨てのスチールハンガーなどを上手に組み合わせて巣を作っていた。全ては大切な子育てのためだ。我が子の命を奪って平気な顔している人間もいるというのに、動物の母性本能というのは、本当に立派だと思う。カラスの子育てを見本にしたいところだが、残念ながら彼らは人間の社会には歓迎されない。
 私は、以前教室で熱帯魚を飼っていたことがある。一時期は60センチ水槽を二個も置いていたこともあった。水槽には流木を入れ、玉砂利を敷いて、熱帯地方の水草を生やす。熱帯魚なしでも、観賞用のライトに照らされたその美しい光景を見ているだけで、心が洗われる思いだった。私の飼っていた熱帯魚は淡水魚ばかりだったので、水はPH(ペーハー)6・5くらいの弱酸性に保つ。それは、自然の雨のPHと同じなのだ。雨水が川となって流れるわけだから、水槽の水が弱酸性である必要が理解できるだろう。ところが、どんなにいい環境を作っても、死んでしまう魚がいる。どうやら、私は一つの水槽に熱帯魚をたくさん入れすぎたらしい。要するに「人口密度」が高くなりすぎたのだ。すると、熱帯魚はストレスをかかえ、やがては病気になったり死んでしまったりする。あんな小さな熱帯魚にストレスがたまるのかと疑問に思う人もいるかも知れないが、それは事実なのだ。外国から運ばれてくる飛行機の旅に疲れて、ストレスをかかえる熱帯魚もいるそうだ。小さな水槽の世界の不思議である。それは、人間の世界の縮図なのかも知れない。
 アフリカに住むマウンテンゴリラたちは、草食である。ゴリラは見かけからすると肉食動物に見えるが、実際は立派な菜食主義者だ。彼らは、住処を次々と移動する。一つの場所で食事を済ますと、次の場所へと移るのだ。理由は、一つの場所にずっと居続けると、その場所の植物が全部なくなってしまって、再生できなくなるからだそうだ。彼らは本能で自然を破壊しないようにしている。「乱獲」という言葉があちこちで聞かれる人間界とは大違いである。動物たちは、なぜこんなに知恵深いのだろうか。

『ジュラシックパーク』
 スチーブン・スピルバーグという人は本当に偉大な監督だと思う。マイケル・クライトンという作家も、もちろんすばらしい原作者なのだが。最先端のCG撮影の技術を駆使した、『ジュラシック・パーク』と、その続編の『ロスト・ワールド』は、色々な意味でセンセーションを巻き起こしたが、私は二つの映画に共通して貫かれたメッセージに感動した。「生命は、自ら道を開く」(Life will find a way.)というメッセージだ。人間は生命を冒涜してはいけない。生命をもてあそぶと、とんでもない結果になる。自然は偉大で、その自然の中で生命は自らの運命をたどるのだ。そこに人間の干渉は必要ない。遺伝子工学の発達した現代に対する警告ともとれるこのメッセージが、私はとても気に入った。
 それにしても、アメリカという国はすごいと思う。映画の制作にどれだけのドルを注ぎ込んだら気が済むのか。いいものには、いくらお金をつぎ込んでも構わないという、スケールの大きな発想が、実にアメリカらしいと思う。『ジュラシック・パーク』のメイキングを見ると、映画に登場するTレックス(ティラノサウルス)は実物大の模型も使っている。その模型を本物らしく動かすために、航空工学の先端技術まで使っているそうだ。コンピューターで動く恐竜たちは、CGの映像とほとんど区別が付かない。『ロスト・ワールド』で、サンディエゴに連れてこられたTレックスが街中を大暴れして、バスに体当たりする場面があるが、あれはバスが潰れるシーンを撮影した後で、CGのTレックスを体当たりさせているのだそうだ。だいたい、そんなことができるなんて、素人の私には想像もできない。
 私は映画館で最初にこの映画を見たとき、恐竜が飛び出てきた瞬間に、映画館から逃げ出しそうになった。そのくらい、真に迫った映像だったのだ。そして、ただただ映画のすごさに感動するばかりだった。そして、最初に書いたように、スピルバーグ監督の映画には必ず深いメッセージが込められている。『E・T』 という映画を覚えているだろうか。あの作品も、私はときどき英語の授業で生徒に見せることがあるのだが、夢を追い続けることの大切さと、子供の心の純粋さを見事に描いていた。
 私は以前、あるミュージシャンにこんな質問をされたことがある。「先生、もし私の子供を公立の中学校に入れたいと言ったら、自信を持って引き受けてくれますか?」「それは答えるのが難しいですね。」「先生は、子供に感動を与えてくれますか?」「努力はしますが・・・・」「先生、考えてもご覧なさい。私の仲間でもあるユーミンなんて、たった一曲で何百万人もの人に感動を与えるんですよ。」「・・・・」そんなことを言われたら、何と言って答えたらいいか分からないではないか。でも、確かにユーミンと私とでは天と地の差があるだろう。
 スピルバーグ監督は、たった一本の映画で全世界を震撼させ、感動のメッセージを伝えることができるのだから、本当に偉大なのだ。映画評論家の水野さんが、「映画って、本当にいいですね。」という決まり文句を繰り返しテレビ画面で言っていたが、映画は本当にすばらしいと思う。たった一本の映画との出会いで、人生が変わってしまうことだってあるかも知れない。
 アメリカ映画のもう一つすばらしいところは、気の利いた台詞が随所にちりばめられていることだ。冒頭にあげた台詞もそうだが、『ロスト・ワールド』の中では、自分の命を投げ出して仲間を救ってくれた男性をTレックスのエサ呼ばわりされて腹を立てたマルコム博士が、「恐竜は腹が減らないと狩りをしないが、人間は腹が減っていなくても狩りをする。」という意味の皮肉を言う場面がある。確かに、弱肉強食の世界である動物界では、必要以上の殺戮は行われないが、人間は不必要な殺戮を繰り返す存在だ。また、恋人の古生物学者であるサラが、「5〜6日で帰ってくるから心配しないで。」と言うと、マルコム博士は「5〜6個の肉のかたまりになって帰ってくるさ。」と切り返す。機転の利いた会話もまたアメリカ映画の魅力である。

『ビデオクリップ』
 最近の歌手は、ビデオクリップなるものを作っている。つまり、映像入りの演奏である。以前は、プロモーションビデオと呼んでいたのだろうか。DVDの普及に伴って、ビデオクリップの作成もますます盛んになった。一枚のディスクを
DVDプレーヤーにかければ、美しい映像と音声が飛び出してくる。時代も進んだものだ。
 ビデオクリップの中には、メイキングと言ってそのクリップを撮影したときの風景が納められている場合も多い。クリップの撮影は、ほとんど映画の撮影並みだ。スタッフも大勢必要だし、ロケ現場の準備も大変だ。どのシーンが、どの順番で、どのようにつながるのか、全てはディレクターの頭の中に描かれているのだろうが、撮影されている本人には何がどうなっているのかちっとも分からないのだと思う。ビデオクリップの作成は、一つの映画作品の作成と同じだから、ディレクターの構成能力やアイデアに全てがかかっていると言える。
 私が一番最初に強い印象を受けたのは、宇多田ヒカルの『オートマティック』のビデオクリップだったと思う。この子はいったいどういう子なのだろう?歌のテンポはどことなく日本人離れしているし、英語の発音も驚くほどいいし、繰り返しテレビ画面に映し出されるたびに、私は彼女の魅力に圧倒されて、とにかく何という名前の歌手なのか一生懸命になって調べて、レコードショップに駆け込んだ。私は、子供の頃から歌が大好きだったので、四十歳を越えた今でも印象に残る歌を耳にすると、すぐにレコードショップに飛んでゆく。全ての曲のCDを買うわけにはいかないから、特別に気に入ったものを除いてはレンタルしてきて、自分でカセットテープに吹き込んだりする。ビデオクリップの威力というのは、ものすごいものがある。上手に構成されたクリップなら、宣伝効果は絶大だ。
 近頃では、一曲の新曲のためだけのビデオクリップのDVDも作られるようになった。値段も普通のCDと大して変わらなくなった。時代は次第に映像入りのDVDの時代へと、移ってゆくのかも知れない。ただ音楽を聴くだけでなく映像を楽しみながら音楽を聴くのだ。確かに、その方が楽しみも倍になる。
 子供たちの間で人気のある(もしかしたら年配者のファンも多いかも知れないが)モーニング娘。略して「モー娘。」最後のマル(。)は必ずつけなければいけない。それが彼女たちの正式な名前の綴り方なのだ。私は、そのモー娘。のビデオクリップ集のDVDも買ってみた。映像の被写体である彼女たちが可愛いからか、撮影にはあまり凝っていないようだった。可愛いから手抜きのクリップでも十分売れてしまう。「手抜き」などと言ったら叱られてしまうから、「シンプルな」という表現に変えておこう。しかし、そのシンプルなクリップ集も、モー娘。の魅力をアピールするのに十分だと感じた。子供たちが夢中になるのも無理はない。
 私は調子に乗って、倉木麻衣やaikoのクリップ集も買ってしまった。どちらも、とてもよくできていて、特にaikoのDVDは途中の画面に出てくる犬のイラストをクリックすると、aiko自身の撮影秘話が登場するという仕組みになっていた。大阪弁でしゃべる彼女の語り口を聞いているうちに、私は彼女にとても親しみを感じるようになっていた。ビデオクリップとはかくも偉大な効果を持ったものなのだ。
 私が子供の頃は、好きな歌手のレコードを買い集めた。プレーヤーの針がだめだと、レコードに傷が付いてしまうから、扱いにも大変な気の使いようだった。LPレコードともなれば、直径30センチはあったわけだから、保管場所にも苦労したものだ。それが、いつしか小さなCDになっている。こんな時代が来ると、一般の人間の誰が想像しただろう。専門家たちは、当然研究していたのだから、彼らにとってこういう時代の到来は時間の問題だったのだろうが。
 しかし、ビデオクリップ集などにはまってしまうと、お金がいくらあっても足りない。魅力ある商品なのだから、もう少し安価だといい。

『新緑の古都』
 庭をわたって、開け放たれた居間の窓から入ってくる五月のそよ風を肌に受けると、私はどうしても京都の街並みを思い出してしまう。そう言えば、京都の空気もこんな匂いだったのではなかったか。不思議なもので、空気にはその土地それぞれの匂いがある。鼻で感じる匂いではなくて、肌で感じる匂いだ。
 私は自分の修学旅行も含めて、京都にはもう十回以上も旅している。そのほとんどは、修学旅行の引率だが、そのうちたった二回だけは個人の旅だった。私は、駅前のレンタカー店でバイクを借りると、颯爽と京都の街中を走ったものだ。京都の街の道路は、だだっ広くて片道三車線くらいに分かれているから、不慣れな人は車で走らない方が賢明かも知れない。いい気になって、直進の車線に乗っていたら、思わぬ場所に案内されてしまう可能性がある。旅先の迷子もまたいい思い出かも知れないが。
 というわけで、私の京都への旅は、そのほとんど全てが新緑の時期だったのだ。それにしても、京都という場所は緑の多いところだ。京都駅は、モダンな新しい建造物に変わってしまったが、京都は人工の街と自然が上手に共存している場所ではないだろうか。バイクを飛ばしながら胸一杯に吸い込む新緑の匂いは、また格別のものがあった。何というすばらしい街なんだろう。思わず笑みがこぼれてしまう。
 十回以上も京都を旅している割には、私の京都の街に対する知識は貧弱だ。いつも、同じような場所ばかり回っていたからだろう。それでも、私が知りうる限りでも、目の覚めるような美しい緑に恵まれた庭園がたくさんある。中でも一番印象的だったのは、高台寺のそれだろう。手入れの行き届いたその庭を歩いていると、まるで、はるか昔の古都の時代にタイムスリップしたような錯覚を起こす。詩仙堂の庭園も見事だった。庭園に作られた茶室も、見事な配置で、当時の建築家(造園家?)たちの苦労がしのばれる。美しく咲き誇っていたのは、ツツジの花だったろうか。周囲の竹林もまたすばらしく、同じ緑でも色合いが微妙に違う。よく見ると太いタケノコがあちこちに顔をのぞかせていた。これを掘っていって売ったら、すごいお金になるだろうなと、不埒な考えを抱いた私である。銀閣寺の庭園もすばらしい。素朴な美しさとでも言えばいいのだろうか。木々の間に静かにたたずむ銀閣寺の姿が、また何とも言えない渋い味を出しているのだ。ここで緑茶をすすったらさぞかしおいしいに違いない。金閣寺の庭園も美しい。しかし、金閣寺の場合は金閣寺に至るまでの歩道の周辺の美しさの方が際だっているような気がする。私たちは、修学旅行の時よくここをチェックポイントに使う。「先生の待機所」みたいな看板が立てられたテントを張った場所があるが、あれだけは興ざめだ。でも、何時間いても飽きない魅力がある。駐車場の売店で買って食べた抹茶アイスの味が忘れられない。金閣寺の庭園の出口でも茶団子なるものを売っていた。これもまた格別な味わいだった。
 東寺はあまり生徒のコースに入れられることがないが、庭園の向こうに見る五重塔の見事さは一見の価値がある。嵐山の渡月橋の美しさも忘れられない。しかし、考えてみれば私は実際に渡月橋を渡ったことがない。ただ、景色を楽しんだだけだ。「絵になる景色」というのは、こういう景色のことを言うのだろう。嵐山の土産物屋で買った京扇子は、とても趣のある一品だった。あの匂いが何とも言えない。私は、清水寺の清水坂で買い物をするのが大好きだ。いつも、生徒の見回り役をほったらかして自分の買い物に熱中してしまう。私は清水焼の焼き物が特に好きで、お香をたく皿を買ったり、夫婦茶碗を買ったりした。最近は色々な味の八ツ橋が売られていて面白い。特に、チョコレート味とバナナ味の「おたべ」(八ツ橋とほとんど同じ)は感動的だった。宇治平等院の庭園は、十円玉の表に描かれた鳳凰堂が美しく、何と言っても宇治川周辺に漂う緑茶の香りが最高だ。やれやれ、京都の街を語り出したら止まらない。

『江の島水族館』
 今日はいい天気だったので、海岸線をドライブしながら江の島水族館まで足を伸ばしてきた。第二土曜日だけあって、子供連れの若い夫婦の姿もあちこちに見られる。幸せそうな光景。やっぱり、家族はいいなあと思う。子供のいない自分が少々寂しく感じられた。
 まあ、そんなことは脇に置いておいて、まずはマリンランド2号館で、イルカと鯨のショーの見学だ。イルカはゴンドウイルカとバンドウイルカの二種類だったか。鯨の名前は忘れてしまった。確か、イルカというのは元々鯨の一種だったと記憶しているが、違うだろうか。いずれにしても、マリンランドのイルカたちは本当に賢かった。特に人間の年齢にしたら86歳にもなるという、ハナゴンドウの元気のいいこと。どうして、そんな年齢であんな離れ業ができるのだろう。実際にはイルカの年齢は、人間の二倍ほどになるらしい。だから、そのおばあちゃんイルカは、江の島水族館にやって来てから、もう43年にもなるのだ。奇しくも、私の年齢と同じである。
 バンドウイルカたちのジャンプ力はすごい。軽々と水面から6〜7メートルは飛び上がっていただろうか。エサをもらいながらの演技ではあっても、あの頭の良さには感心してしまう。胸びれを使って手を振って見せたり、ショーの最後に尾びれを使って挨拶をしたり、調教するのも大変だったと思うが、その訓練に応えるイルカたちの苦労も並々ならぬものがあるだろう。どんな小さな演技に対しても、必ず褒めることを忘れない「お兄さん」「お姉さん」の姿には、イルカたちに対する強い愛情を感じた。胸をなでられて気持ちよさそうにしているイルカたちにしても、世話をしてくれる人間たちに対する信頼感がその表情にしっかり表れていた。「あんな可愛いイルカが家にいたらいいなあ・・・・」と馬鹿なことを考えている自分がおかしかった。よほど大きな海水プールがなければ不可能ではないか。私はアラブの大富豪ではない。
 マリンランドから少し離れたところに、海の動物園3号館がある。ここには、有名なミナミゾウアザラシの「みなぞう君」がいる。体長は6メートルほどもあるのだろうか。その巨体は、相撲取りの小錦をさらに五倍くらいに拡大した感じだろう。桁外れに動きの鈍い「みなぞう君」は、結構芸達者で、あっかんべーまでする。あんなに脂肪だらけの体で、よく心臓病にならないものだと感心してしまう。水中にいる彼は、もうすっかりくつろいで身動き一つしない。生きているのか死んでいるのか、分からないくらいだ。同じプールには、数頭のゴマフアザラシがいて、しきりに愛嬌を振りまいていた。エサは鯖をもらっていたが、その食欲のすごいこと。人間と違って、食べ物を噛み砕く奥歯がない彼らは、魚を丸飲みしてしまう。隣のプールには、トドがいたが、私はそのりりしい姿に惚れ込んでしまった。体はビロードのように美しく、なき声は低音の魅力で迫力満点だ。私たちは「トドみたいに・・・・」などと、トドを悪口の例えに使っているが、実物のトドは華麗な動物である。
 ちょうどその頃アシカのショーが始まろうとしていた。アシカとアザラシは、耳で区別できるそうだ。アシカには耳たぶのようなものがあるが、アザラシには耳の穴しかない。ショーに出演していたアシカも本当に頭が良くて、何だか本物の芸人を見ているようだった。アシカがあんなに速く泳げるとは知らなかった。モーターボートのように水しぶきを上げながら水面すれすれを泳ぐ姿には、思わず吹き出しそうになった。自分の芸が済むと、舞台中央の台の上に乗って胸びれで自分から拍手をしている。本当に楽しい午後を過ごすことができた。
 日差しが強かったせいか、海辺で遊ぶ人たちの姿も多かった。サーファーもいたようだが、ほとんど波のない海で、どうやってサーフィンを楽しんだのだろう。「湘南海岸」と言えば聞こえはいいが、実際には海水は極めて汚い。何本ものどぶ川の水が直接注ぎ込んでいるからだ。私は地元に住んでいながら、ここで海水浴を楽しむ気には到底なれない。水族館が一番だ。

『歯切れのいい外務大臣』
 何かと問題の多かった森首相の跡を継いだ、小泉新内閣。内閣発足当時の国民の支持率は
80%を越えていたそうだ。小泉首相自体は、何とか50%台をキープしたいと言っているらしい。国民の期待にどれだけ応えることができるのか、日本だけでなく外国も注目している。
 その小泉新内閣に、田中真紀子さんが入閣すると聞いて、私はぜひ文部大臣になってもらいたいと願った。しかし、蓋を開けてみれば、本人の希望もあって外務大臣を務めるという。日本人の優柔不断な性格がそのまま反映されたような日本外交が、田中さんのきっぱりした性格でどのように変わるだろうか。
 日本人は、狭い国土に数多くの人間が住まなければならなかったことも影響して、他人に気遣いながら生きる術を覚えてしまった。広大な国土に、数少ない人口を抱えたアメリカとは当然事情が異なるわけだ。日本人の、優柔不断さは、そんなところから育まれてしまった国民性なのではないだろうか。はっきりとものが言えない。きっぱりと拒絶できない。しっかりした自己主張がない。日本人のそんな気質は、日本外交を、アメリカを初めとする多くの国の批判にさらすことになった。
 「粗茶でございます。」と言って、お客にお茶を勧める慣習は、外国人には理解されにくいらしい。なぜ、大切なお客に粗末なお茶を出さなければならないのか。本当はおいしいお茶なのだ。それを、謙遜して「粗茶」と表現する。これがアメリカ式だと、「とてもおいしいお茶だから、ぜひ飲んで欲しい。」という言い方に変わるのだろう。本音と建て前が異なる日本文化。
 私は学生時代にこんな経験をした。大変お世話になったイギリス人講師が帰国するというので、私は彼女と東京の喫茶店で待ち合わせて湯飲み茶碗をプレゼントしたのだ。彼女はとても嬉しそうに、その場で包みを開けて中の茶碗を取り出した。私は、何も考えずに、「まさかこんなところで開けるとは思わなかった。」と言ったのだ。私は、「そんな立派なものではないけれど、どうぞ受け取ってください。」と言う気持ちでいたのに、それがついつい「こんなところですぐに開けてもらうほど立派な贈り物ではないのに。」という謙遜の言葉になってしまった。すると、彼女はきりっとした顔になってこう言ったのだ。「なぜ、開けて欲しくないなら、最初からそう言わなかったの?」私は、何と答えていいか分からず、一瞬パニックになってしまった。外国人には、本音で迫るのが国際式なのだろう。私は、純正の日本人だった。
 外国語学部に籍を置いて、外国人と接する機会が多くなった私は、次第にオープンな性格に変わっていった。小さい頃は、祖母の後ろに隠れるようにして、いつもそばを離れなかった照れ屋の私が、堂々と人前で自己主張できるようになっていったのだ。「三つ子の魂百まで」という諺があるが、それは当たっているようで当たっていない。人間の性格は、大人になってからでも変えることができると思う。私の場合がそうだったように。私は、今では職員会議などで、生意気なくらいたくさんの発言をする。いいと思ったことには堂々と賛成し、賛同しかねることに対しては、はっきりと反対意見を述べる。多くの先生たちは、日本人らしくじっと発言を控えているが・・・・。
 日本外交も大きく変われる可能性がある。田中真紀子さんの小気味よい演説を聴けば、彼女なら何かやってくれそうな気がする。日米関係に気を遣いすぎて、いつもアメリカの尻を追いかけているようではいけない。時には、袂を分かつことも必要だろう。まだまだ貧しいアジアの国々の中にあって、経済大国と呼ばれる日本は、堂々と自分の役割を主張すべきだ。日本に求められていることをしっかりと理解し、できることはできる、できないことはできない、とはっきり自己主張する日本外交であって欲しい。世界で唯一の被爆国としての役割も、まだ十分に果たしているとは言えない。「お陀仏発言」はいけないが、田中さんへの期待は大きい。

『バレンタインデー』
 日本人というのは、どうして外国文化をこうもたやすく受け入れてしまうのだろう。しかもクリスマスにしてもバレンタインデーにしても、本来の姿とは違う方向にどんどん発展してしまった。例えばクリスマスは、キリスト教徒の国であれば家族が一堂に会する貴重なときであるのに、日本では恋人同士のデートの色彩が濃くなっている。仏教徒なのに、クリスマスケーキを買って、私たちはいったい何を祝っているのだろうか。
 バレンタインデーに関しては、もうあきれてしまう。外国では、男女を問わず、親愛の情や感謝の気持ちを相手に伝える日で、贈るものも心のこもったカードだったり、花束だったり、お菓子だったり、いろいろである。アメリカの学校では、教室に自分の名前を付けたボックスを置いて、友達がそこにメッセージカードを入れることになっているのだそうだ。「いつも仲良くしてくれてどうもありがとう。」とか、「これからもずっと仲良しでいてね。」とか、そんな素直なメッセージを交換しあうという発想は、なかなか優れているとは思わないだろうか。女性が男性にチョコレートを贈るなどという習慣は、日本が勝手に作り出したものらしい。一説によれば、「恋する男性に、甘い気持ちを込めたチョコレートを贈ろう。」という、チョコレート会社の戦略が見事に成功したのだそうだ。
 今では、小学生も中学生も、少ないお小遣いをはたいてバレンタインチョコを買ったり、自分で材料を買い込んできて自作のチョコやクッキーを作ったり、本当に涙ぐましい努力である。コンビニなどで山と積まれて売られているチョコレートは、一箱五百円から千円もするのだ。「義理チョコ」なるものまで用意したら、いくらお金があっても足りないではないか。というわけで、日本ではバレンタインデーは女性にとっての受難の日であり、またチョコやクッキーの恩恵にあずかれない男性にとっても、悲惨な一日となる。まったく困ったものだ。しかし、この日がなくなってしまえば、チョコレート会社は大損害となり、倒産する所も出で来るかも知れない。このまま、消費者である女性の賢明な判断に任せるしかないのだろう。
 私は、よく子供たちに、アメリカ式にメッセージカードを贈ることを勧めている。食べればなくなってしまうチョコをもらうよりも、心のこもったメッセージをもらった方が、はるかに嬉しいのではないだろうか。それとも、甘いチョコレートの方がやはりいいのか。私の学校では、バレンタインデーに女生徒がチョコを持ってくることを特に禁止してはいない。男の先生たちだって、もしかしたらもらえるかも知れないと、内心楽しみにしているのだ。いや、全員がそうだとは言わないが、少なくとも凡人の私はそう思ってしまう。これが正直な話だ。でも、私は自分が顧問をしているソフトボール部の娘たちには、無理をして顧問に義理立てする必要はないからねと念を押している。念を押しているが、来ないとやはり寂しいのが人の情である。
 私は、今年のバレンタインデーに、思いきって両親にチョコレートを贈った。もちろん、感謝の気持ちを込めたメッセージ付きである。ちょっと照れくさかったが、「毎朝、おいしい朝食を作ってくれてありがとう。これからも長生きしてね。」と書いた。メッセージが主役だから、チョコはおまけだ。本当は花束でもいいかと思っていたのだが、花屋さんに行く余裕がなかったのでコンビニに頼ってしまったのである。
 私自身は、バレンタインデーにチョコを贈る習慣に目くじら立てるつもりはない。ただ、女性ばかりが経済的な負担をするのはどうかと思うから、男性たちも大いにこの日を利用したらいいと思う。ホワイトデーばかりが男の出番ではないのだ。
 親愛の情や感謝の気持ちを素直に言葉にすることは難しい。照れくささもあるし、毎日のように言っていたら価値も半減してしまうかも知れない。だから、バレンタインデーを上手に活用しようではないか。

『作られるアイドルたち』
 この何十年かで、芸能界に登場したスーパーアイドルたちの数は、相当なものだ。中でも一世を風靡したアイドルの活躍ぶりはすごかった。山口百恵・ピンクレディー・松田聖子・安室奈美恵・宇多田ヒカル・浜崎あゆみなどなど。
気がついて見れば、ほとんどが女性だ。私が男性だから、女性にしか注目していなかったということか。そうそう、もう一つ偉大なアイドルグループを忘れていた。「モーニング娘。」。彼女たちの原型は、昔の「おにゃんこクラブ」だろうか。追っかけのファンたちの数も膨大だ。
 そもそも、アイドルたちは自然に生まれてくるものではない。プロデューサーを中心としたスタッフたちが、これと見込んだスターに全精力を注ぎ込む。大変な宣伝合戦の始まり。「これはすごい」としつこく聞かされれば、本当にすごいのかと思いこんでしまうのが人の常。今までに登場したアイドルたちが、そこいらの道ばたに転がっている石ころだったとは言わないが、アイドルの育成は宝石を磨くのに似ている。宝石は磨けば磨くほど光り輝く。磨かなければただの石。もちろん、本当にただの石だったら、いくら磨いたところで宝石に化けることはないとは思うが。アイドルたちは、周囲のスタッフたちによって磨きに磨きをかけられて、その地位を確立してきた。
 実際、例えば浜崎あゆみにしてみても、あの大きな美しい目が確かに魅力的ではあるが、彼女と同じくらいの美貌を備えた女性は、世の中にごまんといることだろう。歌唱力が飛び抜けて秀でているわけでもない。断って置くが、私は決して「アンチ・あゆ」ではない。彼女のアルバムだって持っているのがその証拠だ。でも、浜崎あゆみが絶大な人気を誇って、他のアイドルを寄せ付けないのは、スタッフの努力のたまものなのではないだろうか。
 歌手が売れるかどうかは、歌う曲にもよる。ヒットメーカーの作詞家・作曲家に恵まれれば出す曲、出す曲が、みんなヒットしてしまう。本人の歌唱力とはあまり関係なしにだ。だから実力派の歌手が必ずしも売れっ子アイドルになるとは限らない。アイドルと呼ぶにはちょっと戸惑いがあるが、Misia(ミーシャ)などは歌唱力抜群で、人気も伴ったごく少数の歌手の一人だろう。ただ、昔と比べると、最近のアイドル歌手たちは歌唱力にはそんなに問題はないような気がする。田原俊彦がデビューしたときのことを思えば、時代は確実に変わってきている。昔は、「なんで?」と思うような歌唱力の持ち主が、堂々とテレビ画面でマイクを握っていた。今では、宇多田ヒカルやaikoのように、歌唱力もまあまあで、しかも自分で作曲ができるアイドル歌手が登場している。自分で曲が作れるというのは、大変な強みだと思う。昔なら、さだまさしとかイルカのようなシンガーソングライターが、その強みを握っていた。もちろん、彼らはアイドルとは呼ばれていなかったが。
 倉木麻衣というアイドル歌手がいる。私は彼女の大ファンだ。見てくれも可愛いし、歌唱力も抜群だし、何と言っても曲がいい。しかし、彼女はヒッキー(宇多田ヒカルの愛称)のように自分で作曲しているわけではない。ほとんど全ての曲の作詞はしているが、作曲家はおおむね二人が担当しているようだ。大野愛果という女性も徳永暁人という男性も、すばらしい感性の持ち主だと思う。あれだけ、いいセンスの曲が書けるのだから。というわけで、倉木麻衣は二人の有能な作曲家によって支えられている。
 松田聖子もずいぶんいい曲に恵まれた方だろう。歌う曲はほとんど全てが大ヒットし、現在もまだ人気がある。まあ、彼女の場合は年を取ってからのスキャンダルでイメージダウンしてしまったが。それでもまだアルバムは売れるのだから、大したものだと思う。
 つんくの強力なプロデュースのもとで、モー娘。が大人気を博している。でも、よく見ればメンバーは普通の女の子たちばかりだ。誰もがアイドルになれそうな今の時代。しかし、真相は違う。アイドルは意図的に作られるのだ。

『頻発する凶悪事件』
 青森のサラ金に強盗が押し入って、お金が取れそうもないと見ると、突然ガソリンをまいて火をつけた。五人の従業員が犠牲になったという。犯人の似顔絵が公開されているが、未だに情報はつかめない。お金欲しさとはいえ、なぜこうも簡単に殺人を犯すのだろう。
 女子短大生殺害の犯人が捕まった。動機は、「可愛かったから」だそうだ。可愛かったら、後をつけて殺してしまうのか。犯人は、殺人を犯した後も、平気で仕事をしていたという。似顔絵だって公開されていたのに、それすら知らなかったという。職場の上司が手配所と顔が似ているということで、警察に通報されたらしい。何という馬鹿な男だろう。そして、何という残虐な人間だろう。
 最近は、自分の子供を殺害する事件も増えている。せっかくお腹を痛めて産んだ子を、どうして簡単に殺せるのか。世の中の冷たい風から我が子を守ろうとするのが親の役目ではないのか。それが、自ら命を奪うとは何事だ。子供は、一旦この世に生を受けたら、もう親の私物ではない。子供の命を自由にもてあそぶ権利など、親にはないのだ。父親と母親が協力して、片方ずつ足を持ちながら、幼い我が子を畳にたたきつけて殺したという事件もあった。異常としか言いようがない。
 基本的に、人間の本能の中には残虐性というものがあるのだろうか。子供時代に、平気で残酷なことができるのは、そのためかも知れない。カエルのお尻にストローを差し込んで思い切り息を吹き込んで腹をパンクさせたり、バッタに爆竹をしばりつけて爆発させたり、アリの巣に火薬を流し込んで一気に火をつけたり、子供時代の残虐性は、考えてみれば実に恐ろしい。
 やがて、成長するに従って人は理性を身につけてゆく。残虐性は理性という名のベールで包み隠されてゆくのだ。その理性が、大人になっても働かない人間たちが多くなったのか。他人の痛みが分からない。我が子の痛みさえ分からない。理性の欠如というよりも、人情の欠如と言った方がいい。愛情の欠如でもある。まさに「情けない」時代になってしまった。
 「矢ガモ事件」や「矢猫事件」を覚えているだろうか。弓矢を近代化したボーガンという武器を使って、無抵抗な動物たちを虐待する。虐待される動物たちの苦痛の表情を見て、自分のストレスを発散させているのだろうか。いくつかの小学校では、飼育小屋のウサギや鶏たちが殺される事件が起きている。私の知っている小学校でも、ウサギを生き埋めにするという事件が起きた。犯人はどうやら子供らしい。いくら残酷な子供時代だといっても、哺乳動物を虐殺するというのは異常だ。大人ばかりか、子供までが精神的な異常をきたしている。
 戦時中の日本軍の残虐な行為は有名な話だ。アジアの国々、特に中国や韓国はそのことで日本をまだ完全に許していない。旧満州では、石井七三一部隊という秘密のグループが、現地の住民を使って数々の恐ろしい人体実験を行っていた。人を、生きたまま麻酔もかけずに解剖するのだ。想像するだけで、身の毛がよだつ。「南京虐殺」についても、そのあまりの残酷さ故に、歴史の教科書への記述で議論が巻き起こる。中国では、妊娠した女性の腹を銃剣で切り裂いて、中から胎児を取り出し、銃剣の先に突き刺して勝ち誇ったような笑顔を見せていたという。話の真相は定かではないが、中国人の首を切り落とす寸前に、笑みを浮かべている日本兵の写真を見たことがある。戦争中の残虐行為をあげたらきりがない。精神分析のフロイトは、人間は追いつめられたときに、先祖の記憶がよみがえると言った。日本人は、室町時代当たりの殺戮の時代の記憶を、いつまでも受け継いでいるのだろうか。
 今日もまたどこかで残虐な殺人事件が起きているかも知れない。人の命を奪うときの心境というのは、どうなっているのか。狂気の時代。このままでは、どんな世の中になってしまうのか心配だ。でも、どうしていいのか分からない。

『進路指導』
 今の中学校は、一年生の時から進路の学習を始める。一年生は、さしあたり「職業調べ」あたりから始めるのがいいだろう。世の中にはどんな職業があって、仕事の内容はどうなっていて、その職業に就くにはどんな資格や資質が必要なのかを、調べるのである。本を使って調べてもいいし、実際にその職業に就いている身近な人の話を聞いてもいい。私の学校でも、一年生の職業調べの発表会を実施したが、なかなか楽しい内容だった。中には、自衛隊について調べた女の子もいる。
 二年生になると、話はもっと具体的になってくる。具体的と言うよりも、現実的と言った方が適切だろうか。進学する高校や専門学校にはどんな種類のものがあって、どこの学校がどんな特徴を持っているか、その学校に通っている先輩に聞いたりして調べるのだ。本当なら、適性検査のようなものを実施して、自分の適性を知ることも大切だと思うが、県の予算も逼迫している現状では、なかなか事情が許さない。
学校の特性を知っても、自分が果たしてどこの学校に向いているのか、自分の特性が分からなければ判断のしようがない。
 しかしながら、現実はさらに厳しい。自分の適性が分かっていて、自分に合った学校が見つかったとしても、その学校の学力レベルに自分の能力が適合していなければ、入学することができないわけだ。三年生になると、そういう意味での進路指導が始まる。本来ならば、「君の特性はこれこれこういう風だから、君にはここの学校が合っていると思うんだけど。」などと切り出したいところだが、実際の進路指導はそうはいかない場合が多い。「君の成績だと、ここらへんの学校が可能だけど・・・・」という話し方になってしまう。
 「輪切り」という言葉が使われ始めてから久しいが、みすみす落ちると分かっている学校に挑戦させるわけにはいかないから、進路指導は当然「輪切り」に近いことをせざるを得ない。もちろん入試に落ちるのを覚悟で受けたいというのであれば、私たちは敢えてそれを阻止したりはしないが。一年生の時から、せっかく進路の学習をしてきていても、実際には自分の特性や将来の希望を取り入れながら、進学する学校を決めているケースは大変少ない。それは、成績に余裕がある子にのみ許された自由なのだ。実際、将来音楽の方面に進みたいと考えていても、音楽コースを設けている学校の数が少ない上に、さらにレベルが高すぎて、あきらめざるを得なかった例もある。現在の高校には、実に様々なコースが設けられている。体育専門のコースもあれば、外国語や福祉を専門にするコースもある。看護を専門にしている高校もあるが、それは県内には一つしかない。
 ただ、現在は「推薦制度」という入学試験免除の制度が発達して、現実の矛盾は少しは解消された。しかし、推薦制度にしても、まったく成績が関係ないわけではないのだ。その学校に見合った学力がなければ、例え入学できたとしても、授業について行けない危険性もある。高校側も悩みに悩んでいることだろう。それに、推薦制度もまだ専門科の高校がほとんどで、普通科の高校で推薦制度を取り入れている学校は、ごく稀だ。学力は高くても、素行が悪くて指導が大変になりそうな生徒は、面接をすればいっぺんに分かるだろうに、ただ入試の成績のみで合否が決まってしまう。そのために、入学後に学校側が苦労することになる。
 日本の入試制度も、現在徐々に見直しが進んでいるが、進路指導が「輪切り」を脱するまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。そして、入試制度に改革が必要であるのと同じように、進学を希望する中学生にも意識の改革が必要だと思う。「高校進学」は飾りではない。学校は勉強するところなのだから、その気がない人間は「何となく」進学するのはやめた方がいい。もちろん、勉強に限らずスポーツでも何でもいいから、その学校に何か目標になるものがあればいいと思う。学生時代は二度と来ない。

『表現の自由』
 百科事典を調べてみると、表現の自由とは「人がその思想・信条・意見を述べ、これを出版し、他の人にこれを伝えるにあたって、なんらの抑圧をうけることなく自由にこれをなしうること」とある。日本国憲法では、第21条で《言論・出版その他一切の表現の自由》を保障し、検閲の禁止や通信の秘密の保持をも同時に規定している。『表現の自由』は、民主主義の原点だから、大切に守ってゆかなければいけない。
 しかし、それに名を借りて、行き過ぎた表現の自由もあるのではないだろうか。例えば、あるテレビ番組では女性を投げ飛ばして、ミニスカートの中に見える下着を映し出す企画が、堂々と実行に移されている。有名なタレントたちが司会役を務めているのだから、あきれてしまう。民放の放送協会も「有害番組」として、テレビ局の自粛を呼びかけたが、現在でもまだ一向に応じる様子はない。大人は、洒落や冗談で済むかも知れないが、そんな破廉恥なシーンを公共の電波に乗せて、子供たちの目にもさらしてしまっていいものだろうか。どんな「自由」でもそうだと思うが、「自由」には必ず「責任」が伴わなければならない。何でもやり放題なのが本当の「自由」ではないのだ。
 特に、大勢の人間に大きな影響を与えるマスメディアには、ことさら重大な責任が負わされていると思う。『表現の自由』という基本的人権を盾にとって、無茶苦茶な内容の番組を放映するのは、考えものだと思う。出版物にしても、例えば「サリンの作り方」とか「効果的な殺人の方法」とか「自殺の勧め」などという題名の本が書店に並んでも、民主主義の国ではそれを放置しておくことしかできないのだろうか。「有害図書」の判断の基準があいまいだからと言う理由で、「核爆弾の製造法」などという本が実際に売られていいのなら、世の中はどんどん破滅の方向に向かっていってしまうのではないだろうか。こんなことを言うと、「それは、読者が判断すればいいことで、有害図書は自然淘汰されればいいのだ。」と反論されてしまいそうである。実際、法律の専門家などは、その手の意見を堂々と述べている。「やたらと有害のレッテルを貼ることは、表現の自由を侵すことになる」
というのだ。確かに理屈はそうなのかも知れないが、子供たちへの悪影響を思うと、両手をあげて賛成するわけにはいかない。子供たちには、まだ正当な判断力が備わっていないのだから。
 日本で公開される映画は、すべて「映倫」を通っているから、猥褻なシーンをスクリーンに直接映し出すことは禁止されている。しかし、よく指摘されるように、暴力シーンは規制の対象外だ。最近公開されたビートたけし監督の映画は「R15指定」を受けたが、残虐なシーンは映画館のスクリーンだけでなく、テレビ画面でも堂々と放映されている。アメリカでは、日本と全く逆で、暴力シーンには強い規制が働くが、猥褻なシーンに関しては寛大である。残虐な場面を映像や画像で目にすることに慣れた子供たちは、現実の生活でもそれを当たり前に考えるようにはならないのだろうか。それとも、これも子供を含めた一般大衆の判断に任されていい問題なのか。日本は大人中心の社会で、子供たちのための適切な環境作りに配慮を欠いているような気がしてならない。
 「自由」というのは本当に難しいものだ。「自由」と「勝手」は違うから、「自由」には自ずと自主的な規制が要求される。その規制をどんな判断基準でしたらいいのか分からないから、複数の人間で検討する場が設けられてもいいかも知れない。日本に本当の意味での民主主義が根付くためには、「自由」のあり方についても、もっと真剣に考えなければならないと思う。
 私が子供の頃、あるテレビ番組で、ふざけて食べ物を投げ合う場面が頻繁に登場した。それは子供たちに大変人気のあった番組なのだが、農家に育った私には、子供心に食べ物を粗末に扱う大人の姿が許せなかったのを覚えている。大人は子供たちの感受性を馬鹿にしてはいけないと思う。もっとみんなで検討しよう。

『インド洋に浮かぶ真珠の島々』
 私にとって、「天国に一番近い島々」は、インド洋に浮かぶモルジブ共和国である。私は、今までに三回もモルジブへ旅してしまった。旅行の費用も比較的安価で、シーズンをはずせばびっくりするほど安い値段で旅することができる。私は、三回とも旅行会社のツアーを利用したので、滞在期間はいずれも一週間だった。モルジブ共和国は一千を越える珊瑚礁の島々が、輪のようにつながってできた国で、『インド洋に浮かぶ花飾り』と呼ばれることもある。人間が住んでいるのは、そのうちの二百ほどの島々である。日本からモルジブに行く方法は二つある。一つはエアランカ航空を利用してスリランカ経由で行く方法、もう一つはシンガポール航空を利用してシンガポール経由で直行する方法だ。私は、三回とも前者を選んだが、スリランカが政情不安定であるために、多少の危険を覚悟して行かなければならなかった。実際、私の旅行と前後して、スリランカの街中で日本人商社マンが流れ弾に当たって死亡しているし、飛行機に仕掛けられた爆弾で何組かの新婚旅行のカップルが命を落としている。スリランカの飛行場に降り立つと、機関銃を下げた兵隊の姿に背筋がぞくっとする。
 スリランカからモルジブのマーレ国際空港までは、飛行機で45分ほどの旅である。もうすぐ着陸するという機内アナウンスが流れても、眼下には海しか見えない。私は、初めて旅したときには、自分の乗った飛行機が海に不時着するのかと焦ったほどだ。マーレ国際空港は、空港だけのためにある小さな珊瑚礁の島だ。空港の港からは「ドーニ」と呼ばれる船で、それぞれ希望の島へ移動する。遠くの島になると、二時間以上も船に揺られていなければならない。目的の島に近づくに連れ、海の色が濃いブルーから徐々にエメラルドグリーンや何と言って表現していいか分からないような美しい青に変化してゆく。マーレ空港の港の海の色も何とも言えないほど美しかったが、とにかくモルジブの海の美しさを言葉で表現することは、恐らくほとんど不可能に近いだろう。以前沖縄にも旅したことがあるが、沖縄の海を十倍くらいきれいにした感じに思えた。もちろん、沖縄の海だって十分きれいなのだが。
 観光用に使われている島は、一周歩いて15分から20分ほどの小さな島ばかりである。砂浜は砂糖を敷き詰めたような感じで、サンダルで歩くのがもったいない気がした。海水の透明度は最高だ。私はダイビングができないので、もっぱらシュノーケリングを楽しんだが、朝食のパンの残りを手に握りしめて海に入ると、色とりどりの熱帯魚が一斉に集まってくる。人間を恐れることがないので、平気で指までつついてくるのだ。浅瀬のラグーンには大きな鮫が来ることはないから安心していいが、ちょっと沖へ出ると、ドロップオフと呼ばれる急な崖に出くわす。ラグーンはここで終わりで、そこから先は深い海になるのだ。ドロップオフに出ると、海底に吸い込まれてしまいそうな錯覚を起こして、恐怖すら感じる。私は臆病だから、すぐにラグーンに引き返してしまった。夕方突然訪れるスコールも、南国の島に独特の自然現象だ。私は、夕暮れのモルジブの空気の色を忘れない。空気に色があるなんておかしいと思うかも知れないが、本当に青紫色に輝いているのだ。昼間の浜辺に寝そべっていると、5分もしないうちに日焼けしてしまう。天国に一番近い島・・・・。
 しかし、最近では観光客も増えて、モルジブの経済は潤ったかも知れないが、自然環境は徐々に汚染されてきたと聞く。もともと、珊瑚礁が隆起してできた島々だから、いずれはまた沈んでしまう運命にあるという噂もある。私にとって天国に一番近いモルジブが、変わってしまうのはとても残念だ。
 モルジブの人々は日本人に大変好感を持ってくれている。だから、他の国々の人々よりも待遇がいい。同じ有色人種だからだろうか。日本人は偉そうにしないから好きだと言っていた。旅するなら、彼らの期待も裏切ってはいけない。

『恐怖のドライブ』
 私は運動神経は人並みはずれていい方だが、なぜか機械に弱く、自動車学校に通っている頃は、運転がへたくそで、よく指導教官に叱られていた。ギアーを入れたままエンジンをかけてしまってエンストしたり、坂道発進に四苦八苦したり、路上では垣根に激突したこともあった。路上試験の時は、三百メートルくらい走ってしまったところで、突然シートベルトを締め忘れていたことに気付いて、勇気を出して試験官に謝ったくらいだ。ペーパーテストも全然だめで、私は本当に落第ぎりぎりの「生徒」だった。
 しかし、運転免許を取得してからの運転技術の向上にはめざましいものがあった。そこは、持ち前の運動感覚の良さで、細い道もすいすい走り抜ける・・・・何度か電信柱やブロック塀と喧嘩したことはあったが。基本的に私は短気だが、スピードを出すのが怖いので、安全運転を心がけている。たまには、のろのろ走っている前の車にイライラすることはあっても、高速道路などでスピードをがんがん上げると、もうジェットコースターに乗っているような気分になる。私は、ジェットコースターが大嫌いだ。
 ところが、世の中には危険なドライバーが多いらしい。酔っぱらい運転で親子が犠牲になった事故があって、飲酒運転に対する取り締まりが強化されたのは、つい最近のことだ。酒を飲んで運転するのは問題外だが、しらふのくせにとんでもない運転をする人たちがいる。私もときどき黄色の信号で直進してしまうことがあるが、信号がとっくに赤に変わっているのに、それでも強引に進むドライバーは、いったい交通事故というものをどう考えているのだろう。
 どんなに注意していても事故は起きる。私など、大通りに出ようとして、左右をしっかり確認したつもりで発進したら、目の前に自転車がいて、急ブレーキをかけたことがあった。車の前部が自転車に接触したので、乗っていた男性は自転車ごと転倒してしまった。相手の激怒のすごかったこと。私は、相手が落ち着くまで、ドアを開けて外に出るのを渋ったくらいだ。でも、大事故にならずに済んで本当に良かったと思う。相手の怪我もたいしたことはなかったので、私はほっと胸をなで下ろした。人身事故で被害者が大怪我をしたり、死亡したりしたら、一生後悔することになる。自動車事故はそのくらい怖いのだ。いくら注意しても、注意しすぎということはない。
 よく制限速度よりも速めに走っていても、後ろからあおってくるドライバーがいる。「事故でも起こしたら、お前が責任とってくれんのかよ!」私は大声で怒鳴るが、もちろん相手に聞こえるわけがない。どうして、そういう乱暴な運転をしなければならないのだろう。昔、交通安全週間の標語で「狭い日本そんなに急いでどこに行く」というのがあった。何とすばらしい標語だろう。どんなに慌てたって、大して進む距離は変わらないし、どうせどこかの信号でストップさせられるのが落ちだ。とにかく、そういう危険なドライバーがいる限りは、交通事故の数は決して減少することはないと思う。
 交通事故で肉親を失った家族の苦しみは、想像を絶するに違いない。相手がもう少し注意して運転していさえすれば事故は起きなかったということになれば、なおさらむなしさは募る。
自動車でもバイクでもそうだが、スピード狂のドライバーたちには、そういう悲劇にもっと注意を向けてもらいたい。
 また、自動車同士が狭い道でにらみ合いをすることもあるが、なぜ譲り合いの精神を発揮できないのだろう。自分がちょっと下がれば済むのに、頑として動かない馬鹿な意地っ張りドライバー。そういう人間に限って、道を譲ってやっても挨拶のひとつもない。「当然だろう?」という顔をして行き過ぎる。長い時間車を運転していると、本当にストレスがたまる。私はあの自転車事故以来、広い道へ出るとき、必要以上に注意深くなってしまった。何度も左右の確認をしてからでないと、アクセルを踏むのが怖い。でも、そのくらいでちょうどいいのかも知れない。

『感動は共有するもの』
 私は南国の海が好きだ。初めて海外に出たのは、南太平洋のフィジーに行ったときだった。その後、インド洋のモルジブに三回、そして南太平洋のタヒチにも行った。タヒチ島への旅は一人旅だった。私は、中学生時代に見た『南太平洋』というミュージカル映画が大好きで、その撮影の舞台になったタヒチ島に、一度でいいから行ってみたいと思っていたのだ。映画撮影の舞台はタヒチの本島ではなくて、そこからセスナで飛ぶモーレア島だった。スリルたっぷりのセスナの旅を終えて降り立ったモーレア島は、映画通りの美しい島だった。しかし、美しいタヒチの景色も、一人で見ると何となく物寂しい感じがした。というよりも、一人で見るのがもったいない美しさだったのだ。「きれいだね。」と確認し合う相手がいたら、どんなに感動も大きかったことだろう。「友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分にする」という格言があるが、その言葉通り、感動は分かち合う相手があって初めて大きくなるのだということがよく分かった。
 おいしいものを食べたときも同じだと思う。食事を共にする相手がいるということは幸せなことで、「おいしいね。」と確認しあうことが、とても大切なのだ。それでこそ、本当においしい食事を楽しむことができる。学生時代は下宿生活だったので、食事も部屋で一人でとることが多かった。だから、たまに近くに下宿する仲間と食事をしたときなどは、どれほど楽しかったことか。最近は、親が遅くまで仕事で家に帰れないために、たった一人で食事をする子供もいるようだが、家族がそろって食事をするというのは、どれだけ貴重なことか知れない。しかし、人間というものは贅沢なもので、みんなで一緒の生活が続くと、幸せの感覚が麻痺してしまって、「一人になりたい」などと考える。そして、本当に一人の寂しさを味わったとき、そばに誰かがいて、感動を分かち合えることの喜びを知るのである。
 最近では、コンビニやスーパーマーケットに行けばたいていの食べ物は手に入るが、例えば寿司などは、寿司屋に行って、カウンターの向こう側のおやじとああだこうだ言い合いながら食べるのが一番うまい。「お客さん、今日の甘エビは最高だよ。」「このトロ本当にうまいね、おやじさん。」そんな会話が、寿司の味を二倍にも三倍にもうまくしてしまう。近頃流行の廻転寿司もいいが、一人で黙って皿を空にしてゆくのはやはり寂しいものだ。隣に仲間でもいて、「うまいね。」と言い合いながら食べることができたら、さぞかし味も違うだろうに。もちろん大食い競争でもしているのなら話は別だが。
 いい音楽を聴くにも、いい映画を観るにも、感動を分かち合う相手は絶対にいた方がいい。「この曲なかなかビートが利いていていいよね。」「さっきの場面はすごくかわいそうで、思わず泣いちゃった。」どんな会話でもいいのだ。お互いに頷き合うだけで、感動は何倍にもふくれあがるのだから。
 かく言う私は、ただの寂しがり屋なのだろうか。実際、一人旅を好む人もいるし、部屋で一人静かにクラシック音楽を聴くのが好きな人もいる。そういう人は、一人でも十分感動を味わうことができるのだろうか。それで満足なのだろうか。私は、一人旅よりも仲間がいる旅の方がいいし、音楽も誰かと一緒に聴いている方がずっといい。例え、一人で何かをしなければならなかったとしても、後でそのときの気持ちを誰かに話して聞かせると安心する。
 私の家には、家庭用の通信カラオケの機械がある。たまに、試しに一人でマイクを使わずにカラオケをやってみるのだが、三曲も歌うとしらけてしまって、スイッチを切ってしまう。何人かでやれば、5時間も6時間も続くのに。
 一人で行動することが多くなり、周囲とのコミュニケーションがますます減る現代。感動を分かち合うことの幸せも、そんなに話題にされることもない。しかし、私はあくまでも、美しい夕日を見て、「きれいだね。」と言い合う相手が欲しいと思う。感動は大きい方がいい。

『働き者の父と母』
 私の父は昭和元年生まれで、私の母は昭和十三年生まれ。父は尋常高等小学校を出るとすぐに家業の農家を継ぎ、母は中学校を出るとすぐに実家の漁業を手伝った。十八歳で農家に嫁いだ母は、農家の大変な作業に悲鳴を上げたようだ。実際、私が生まれる前日まで、母は畑で農作業をしていたというからすごい。
 私の家には昔の写真はあまりたくさん残っていないが、その少ない白黒の写真の中に私の心に焼き付いて離れない写真が一枚ある。畑に立った父が、嬉しそうに私をだっこしている写真だ。私は、自分が祝福されて生まれてきたことの喜びを感じると同時に、畑に立つ父の作業着姿が、働き者の父を物語っているようで、強く印象に残っているのだ。
 父はもうとっくに定年退職を迎え、年金をもらって生活する身だが、相変わらずよく働く。庭いじりの好きな父は、しょっちゅう庭に出ては、細かな作業を飽きずにやっている。父はこれまでに、たくさんのさつきを育ててきたが、このさつきの世話がまた大変なのだ。私は詳しくは知らないが、葉を一枚ずつ摘み取ったりして、翌年の開花に備えるのだそうだ。さつきを持ったら旅行はできないとまで言われるほど、さつきの世話には手がかかる。別に大工の見習いをしたことがある父ではないが、たいていのものは自分で作ってしまう。これが、数年前に脳梗塞で倒れた人間かと思うほど、父の働きぶりは活発だ。さすがに、昔と比べると動きの素早さには欠けるが。
 母は母で、深夜まで友人の会員制クラブの厨房を手伝っている。夕方に出かけて、遅いときだと帰宅は夜中の三時を過ぎることもある。それでも、翌朝私の朝食を作る時間にはしっかり起きている。こんな生活をしていたら、いつか体をこわしてしまうと私は真剣に心配しているのだが、そんなことに耳を傾ける母ではない。血糖値が高いということで、薬を飲み、病院に定期的に通いながらのハードワークだ。まったく、無理をするのもいい加減にして欲しい。
 私は、父と母に親孝行したくて、ものすごく大きな家を新築した。七年ほど前の話である。しかし、実際に住んでみると、でかすぎるのだ。こんなに広い家に、私たちは家族たったの三人で暮らしている。でも、お手伝いさんを雇うような経済的な余裕はないから、家の掃除は母が一手に引き受けている。毎週月曜日に、せっせと掃除をする。その手際の良さも見事だが、これだけの作業をしっかりとやり遂げる根性には恐れ入ってしまう。母は料理も上手で、何でも手際よく作ってしまう。味もなかなかのものだ。要するに、朝から晩まで働きずくめなのだ。
 なぜ、二人ともこんなによく働くのだろう。貧しい農家の生活は、勤勉であることを二人の運命にしてしまったかのようだ。長男の私は学校の教師をしているが、働き者の親の後ろ姿を見て育ったせいか、仕事に手を抜くことができない。ちょっと頑張りすぎて、情けないことに現在は療養休暇をとっている最中だ。今時の中学生は難しくて、中学校の先生は本当に大変だと言われるが、私は十九年間の教師生活の中で、どんなに苦しいときも、教師という職業が大変だなどと思ったことは一度もない。苦しいのは自分が未熟だからで、仕事自体はそんなに大変なものではないと思っている。自分の理想をいつまでも追求できるのだし、経済的にも安定しているし、貧しい農家の畑仕事に比べたら、教師の仕事なんて雑用みたいなものだろう。私は、「先生」と呼ばれる身で、学歴もあるし、ある程度の教養もあるが、一生かけても、人間として父と母を越えられることはないと思っている。どんなに苦しいことがあっても、貧しい生活に耐えながら立派に私と弟を育ててきた父と母。私は、そんな両親を尊敬している。
 父と母に限らず、昔の人は本当によく仕事をする。高度成長期の日本を支えてきたのは、まさにそんな世代の人たちだ。私たちは、その繁栄の上にあぐらをかいて座っている。「ああ大変だ。」などと愚痴をこぼしたら罰が当たる。

『玉校の人文字』
 今朝の「ズームイン朝」を見ていたら、たまたま九州の熊本にある高校の「人文字」を取り上げていた。最近久しぶりに高校生らしい高校生を見たので、感動してすぐにインターネットでホームページを探したら、やっとのことで見つかった。インターネットというのは本当にすごい威力だなと、痛感する。「玉校」の正式名称は「熊本県立玉名高校(戸田善人校長)」で、明治36年創立の伝統校だ。もう少しで開校百周年を迎える。体育祭の応援合戦で人文字をやり始めたのが、昭和38年だそうで、今では四月の下旬から合計20時間ほどの練習で本番になるようだ。全校の約千人が赤団・黄団・緑団・青団の4つのグループに分かれて、人文字の応援合戦を繰り広げる。もちろん、体育祭の中での一場面だ。校訓を調べてみたら、「進取・剛健・至誠」となっていた。ちょうどメッセージボードに昨日の日付で玉校生のペンネーム「小梅さん」のコメントが載っていた。「体育祭、とっっっっっても感動しました!これで私もついに玉校1年生になれたのかな。明日休みだけど、頑張って早く起きて、ズームイン見ます!」書かれた時刻を見ると、体育祭の日の夜中の12時少し前になっている。体育祭で疲れているだろうに、よほど感動したのだろう。私は、すぐに返事のコメントを書いた。玉校の生徒からさらに返事が来たら嬉しいのだが。
 それにしても、玉校の応援合戦を見ていて気付いたのだが、茶髪の生徒が一人も見あたらないのだ。応援団長の男子生徒も眉毛のきりっとした男前の少年で、さすが九州男児だなあと、感心してしまった。市内の高校生は茶髪が当たり前で、そういう姿を見慣れていたから、「最近の高校生は・・・・」などと思っていたが、日本はやはり広いものだ。私が高校生の時も、体育祭の大きな看板作りや応援合戦に燃えた覚えがあるが、今の高校生も同じように純粋にエネルギーを燃やしているのかと思って、嬉しくなってしまった。玉名高校は鹿児島本線玉名駅の近くにある。いつか熊本に旅することがあったら、ぜひ訪問してみたいと思う。今後の健闘を祈りたい。百周年記念行事も盛大に行われるのだろうが、そのときも人文字を頑張って欲しい。
 人の悪い癖で、一部の人間を見て全体を見たような気になってしまうことがある。だから、「最近の・・・・は」などという言い方をする。でも、これは今に始まったことではないらしい。エジプトの古代遺跡にも「最近の若者は・・・・」という記述があるそうだから、人は常にこんな言い方を繰り返してきたのだ。それにしても、最近の高校生については、いい話よりも悪い話の方が多かった。女子高生の援助交際とか服装の乱れとか茶髪とかドラッグとか、「高校生」と言えば悪人の代名詞のような印象を与えていたと思う。でも、やはり決めつけたものの言い方はいけないのだ。最近の高校生の中にだって頑張っている子はたくさんいるはずなのだから。
 私の家の近所にある県立茅ヶ崎高校は、市内でも最も古い伝統校だが、十数年前は一時的に荒れてしまって建て直しが大変だった。若い先生をたくさん入れて、部活を盛んにしたり。私は内部にいたわけではないから、その苦労は想像するしかないが、荒廃した学校の再建は本当に大変なのだ。荒れるのには大して時間はかからないのに。でも、最近はとてもいい雰囲気になってきている。昨日は日曜日だったが、学校のそばを通ったら、サッカー部が練習試合をしていた。自転車で帰宅しようとしていた女の子たちは、どうやら吹奏楽部の部員らしい。茅高は吹奏楽の活発なことでも有名だ。サッカーも、私が高校生だった頃には、県のベスト4に入る強豪だった。復活なるか!
 ところで、インターネットというのは本当にすばらしいものだということを、今朝は痛感するいいチャンスになった。玉名高校の生徒は返事をくれるだろうか。先生からの返事でもいい。朝のテレビ番組をきっかけに、そんなやりとりができたら最高ではないか。全国の高校生諸君、玉校に負けないように頑張ろうぜ!

『塾の功罪』
 私は公立中学校の教師をしているが、一年生のクラスでも、「塾へ行ってる人は?」と聞くと、クラスの半数ほどの手が上がる。塾通いは私の中学時代でも盛んだったが、これほど多かったかどうかは分からない。それだけ、学校の授業が信頼されていないということなのか、それとも「安心材料」としての親の判断なのか。
 学校の教師はとかく塾のことを批判しがちだが、塾にもいろいろある。「進学塾」「補習塾」「お遊び塾」などなど。私は、教師になる前にアルバイト時代も含めて4年間塾で働いていた経験がある。私の働いていた塾は、分類するなら「補習塾」にあたるだろうか。ソフィアという名前のその塾は、一クラスが六名前後の少人数制で、月謝もさほど高くなかったと思う。各クラスは、それぞれに担当の講師が決まっていたから、ちょうど中学校の担任制と似ている。私は英語が専門だが、数学も教えていた。私の英語のクラスは小学校6年生から始まっていたが、私は中3までのクラスごとに、塾通信まで書いていた。誕生日の特集をしたり、通信を書くのは本当に楽しかった。当時はワープロなどは一般に普及していなかったので、手書きの通信はやたらと時間がかかったが、それだけの価値と満足感があった。ソフィアはとても変わっていて、夏には埼玉からわざわざ横須賀の浦賀まで出てきて、一週間の合宿生活をする。午前中は勉強、そして午後は体育館でスポーツだ。夕食が済んだ後は自主学習の時間で、生徒たちは思い思いに先生たちのところへ質問に来た。最終日の前夜は消灯時間がなくて、私たちは生徒たちを連れて夜の海へ出かけたりしたものだ。浜辺の自販機で買って食べたカップヌードルのおいしかったこと。あるグループなどは、浦賀の街を歩いていて警察官に職務質問されてしまったそうだ。それもいい思い出になったろう。
 というわけで、私は塾の批判をする気には少しもならない。頑張っている塾だってたくさんあるからだ。でも、塾によっては、学校の悪口を言って生徒の人気を稼いでいるところもある。これは塾そのものよりも、そこで働いている講師の人間性の問題でもあるのだろうが、塾や学校がお互いの批判をし合ってはいけないと思う。塾の先生は学校の先生の苦労を語り、学校の先生は塾の先生の苦労を語る。そんな助け合いをすると、子供たちは塾と学校の板挟みになることなく、順調に育ってくれる。私は、ソフトボール部の顧問をしているが、生徒は塾の時間が迫っていてもなかなかそのことを私に言ってこない。言っても早退させてもらえないと思っているのか、それとも不謹慎だと思っているのか。私は、たまたま塾があることを知ったときには、遅刻しないように行けと念を押す。遅刻したら一生懸命に教えてくれている塾の先生に失礼になるからだ。
 私自身も中学生の時に塾に通っていた。1年生の夏前に英語がちんぷんかんぷんになってしまったからだ。母が見つけてくれたその塾は、簡単には私を入塾させてくれなかった。確か、英単語を100個ほど集めた表をもらって、それを覚えた後単語テストに合格したら入塾させてくれるという話だったと思う。塾長の長峰先生はもともと女子高で数学の教師をしていたのだが、その生活に幻滅して塾を開いたのだと言っていた。英語の辞書を隅から隅まで独学して、英語も教えられるようにしたのだという。私は長峰先生に英語を教わったことで、目が覚めるよな経験をした。「わかる!」この気持ちは本当に貴重だ。私は長峰先生との出会いがなかったら、英語の教師にはなっていなかっただろう。先生は、私たちが冗談交じりに学校の先生の悪口を言うと、手を前に出させて竹の棒で思いっきりしっぺをして叱った。私は、すばらしい人格者に出会えたのだ。
 塾にもいい先生がたくさんいる。塾であろうと学校であろうと、子供たちは人との出会いから何かを学んでゆくものだから、そこで過ごす時間を大切にして欲しいと思う。願わくは、塾の先生たちも学校の私たちを応援して欲しい。

『大人気の健康器具』
 ゆうべ寝る前に寝室のテレビをつけたら、ちょうど私が以前から気に入っていた健康器具の宣伝をやっていた。時刻はもう夜中の12時近かったが、私は隣の書斎からすぐに受話器を持ってきて、テレビ画面に映っていたフリーダイヤルの番号に電話をかけた。すると、こんなに遅い時間だというのに、電話が混み合っているというテープが流れた。しばらくして、男の人の声で30分位したら向こうから電話をかけ直してくれると言われたが、もう眠たかった私は、丁重に断って翌日の朝に再挑戦することにした。
 私は、朝目覚めるとすぐに、枕元に置きっぱなしにしておいた受話器を手にして、ゆうべの電話番号をプッシュした。さすがに今度はすぐにつながって無事注文終了。品物が届くまでには1〜2週間かかるそうだが、私は今から楽しみで仕方ない。中学校で運動部の顧問をしている割には、下腹が出てきて気になっていた私だ。恒例の簡易人間ドックでは、「脂肪肝」「肝機能障害の疑い」「血糖値高め」などと書かれてしまって、ちょっと青ざめた。内科の医者に相談したら、要するにただの「デブ」ということらしい。それならそうと書いてくれれば安心したのに、検査の結果表というのは実に人騒がせだ。しかし、念のために精密検査は受けてみることにした。大したことはないとは思うが。
 血糖値に関しては、私の母の方が問題がある。その関係で、あるテレビ番組がきっかけで、私はコンピューターのインターネットを駆使して、沖縄のシークワーサーを取り寄せることに成功した。沖縄にはシークワーサーのおかげで血糖値の高い人がいないと言う。シークワーサーは沖縄原産のゆずのようなミカンだが、果汁に含まれるノビレチンという成分が、血糖値を低く抑えてくれるのだそうだ。今の私は、健康にいいという情報があれば、すぐに飛びつく。「善は急げ」と言うではないか。
 私は、運動不足になりがちな父のために、もう一台別の健康器具を通販で購入する予定である。宣伝文句と実際の効果とはずれがあるかも知れないが、ものは試し。それで、健康が維持できるのなら安い買い物だ。しかし、こちらも電話をかける時間帯によっては、混み合う可能性がある。まずは、フリーダイヤルの番号を調べないといけない。
 世の中の人は、みんな私と同じようなことを考えているに違いない。沖縄のシークワーサーにしても、今では品切れの状態だ。テレビの宣伝効果というのは絶大だ。本当は、ウォーキング用のシューズを買って、歩けばいいのだ。私の家から、茅ヶ崎海岸までは距離にして約4キロ。歩くにはちょうどいい距離だろう。もちろん、それも実行に移してみたいとは思っているが、普段車を運転している私は、歩くことが面倒に感じるようになってしまった。そういう意味では、私の母の方が偉い。茅ヶ崎駅の近くのデパートに買い物に行くにも、たまに2キロの距離を歩いて行ってしまう。血糖値を下げるには歩くのが一番いいらしいのだ。偉いなあ・・・・。
 話は戻って、私の注文した健康器具は、電話が混み合うほどの人気があるのだから、きっと効果も絶大なのだろうと、信じている。それとも、電話が混み合っているというのは、通信販売会社の戦略なのだろうか。「それほど売れているんですよ」と私たちに思いこませるための。
まあ、それでもいいだろう。やっても無駄かも知れないが、何もしないでいるよりはましだから。あの江の島水族館のミナミゾウアザラシのようにはなりたくないからな。
 最近は、犬を連れて散歩する人や、夫婦仲良くウォーキングを楽しむ人をよく見かける。高齢化の時代になったから、なおさらそうなのかも知れない。みんな自分の健康管理に必死なのだ。きのうなどは、サーフボードを持って自転車に乗ったおじさんを見かけた。あの年でサーフィンをするなんて、すごいじゃないか。リュックを背負ってジョギングしながら通勤する若い人の姿も見かける。私も、健康器具ばかりに頼っていないで、海岸まで歩かなければ。 

『出会いのかたち』
 「出会い系サイト」というのを聞いたことがあるだろうか。コンピューターの出会いの広場のことだ。私は参加したことがないから、やり方も分からないが、基本的には男女の出会いを演出する場所らしい。要するに恋人探しだろうか。最近では、携帯電話でもそんな出会いを楽しむことができるそうで、実際それを利用して若い男性と知り合い、不倫する人妻が増えているという。自分よりも十歳以上も年下の男性と携帯電話で知り合う。別に、私がとやかく言う問題ではないとは思うが、それが発端で若い男性がストーカーのように人妻につきまとい、挙げ句の果ては殺人事件に発展した例も、ついこの間報道されたばかりだ。
 あるテレビ番組が、そういう人妻の不倫を特集して、実際に若い男性と付き合っている人妻にインタビューしていた。どうして年下の男性との不倫を望んだのかと聞かれて、ある人妻は「生活に刺激が欲しかった」と答えていた。そんなに暇なら新しい趣味でも発掘すればいいではないか。自分の子供までいるのに、わざわざ旦那に隠れて不倫するスリルを求めるとは、何ともあきれた女性たちだ。不倫するのは勝手だが、そういう親が増えるのはどうかと思う。
 人は出会いを求める存在で、誰かと出会いたいと願うことはごくごく自然なことだろう。一人の人間との出会いが、その人の人生を変えてしまうことだってあるのだし、出会いは大切なことでもある。しかし、出会いにはいろいろなかたちがある。インターネットを使ったり、携帯のiモードを使ったりして出会いを求めなくても、もっと自然な出会いのかたちがあるだろう。趣味のサークルでの出会い、散歩の途中での出会い、パーティーでの出会い、飲み会での出会い、旅先での出会いなどなど、直接その人の顔を見る出会いの方が、顔も見えない相手と電波の上で出会うよりよほど自然だと思う。それに、健全だと思う。これは、「見合い結婚よりも恋愛結婚の方が自然だ」というような議論でもなければ(実際、どちらの結婚も直接顔を見て知り合うわけだし)、「メールより手紙の方が自然だ」という議論でもない。出会いを安易で意図的な手段に求めるべきではないと言いたいのだ。昔、フォークシンガーのさだまさしが歌っていたではないか。「出会いはいつでも、偶然の風の中・・・・」
 でも、私の意見は少し古いのかも知れない。アメリカなどでは、もうずいぶん前から「コンピューター・デイティング(computer dating)」なるものが行われていた。コンピューターにインプットされたデータをもとに、その人に最適な相手を見つけデートのきっかけを作るというものだ。日本でも、よく葉書で「相性チェック」なる出会いの誘いが届いたりする。実際、そういう出会いを上手に活用して幸せな結婚に至った夫婦もいるわけだから、出会いのかたちを云々するのはお門違いなのかも知れない。
 しかし、私はどうしても出会いにロマンを求めてしまう。偶然の劇的な出会いに、夢を求めてしまうのだ。「あの人との出会いが私の人生を変えた」とか「この人との出会いがなければ今の自分はない」とか「たった一冊の本との出会いが、これほどまでに私の人生に大きな影響を与えることになるとは知らなかった」などという言い方に、どうしてもあこがれてしまう。そう言うと、「いや、インターネットや携帯のiモードでの出会いも、出会いには変わりないじゃないか。」と叱られてしまいそうだ。確かに、かたちにこだわる必要はないのかも知れない。どんなかたちの出会いであっても、それがその人の幸せにつながるのなら、それは「運命の出会い」であることに違いないのだから。ただ、少なくとも不倫や援助交際のようなつき合いを求めて、インターネットや携帯電話を使うのはやめた方がいい。そんな軽はずみなことをしていると、いつか大やけどをすることになる。
 私は月末に二泊三日の京都の旅に出かける。どんな人と出会えるか楽しみだ。私はあくまでも偶然の出会いに期待したい。

『未来への旅』
 『バック・トゥー・ザ・フューチャー』というアメリカ映画が大ヒットした。マイケル・J・フォックス主演、ロバート・ゼメキス監督の三部作だ。タイムマシーンを研究していた博士が、燃料のプルトニウムを過激派のテロリストから盗んでしまったため、大ピンチに陥って、スポーツカー型のタイムマシーンに逃げ込んだ主人公の少年は、そのまま過去の世界に旅してしまう。そこで、その時代の博士に出会い、何とか事情を理解してもらって、博士は雷のエネルギーを使って、少年を元の時代に戻らせるというのが第一部。昔から見れば元の時代は未来だから、「未来に戻る(Back To The Future)」という題名になった。元の時代に戻ることができるのなら、タイムマシーンで過去を旅するのは楽しいことかも知れない。間違って、恐竜時代にでも行ってしまって、ドアを開けたら食われてしまったというのでは困るけれど。ところで、テロリストに機関銃で撃たれて死んだものと思っていた博士は、実は防弾チョッキを着ていて無事だった、というのが第一部の最後のシーンだった。
 この映画の第二部では、今度は未来へ旅することになる。未来への旅は過去への旅とは訳が違う。これから起こることを、前もって見てしまうのだから。それはときには幸せなことであり、多くの場合は不幸なことだ。私は、例えタイムマシーンに乗れたとしても、未来への旅だけは遠慮したい。
 アメリカで冷凍保存の技術が研究されている。人間を超低温で冷凍して、細胞分裂の速度を極端に落として未来の世界に送るのだ。何のためにそんな研究をしているかと言うと、現在では治療不可能な癌のような病気にかかったとき、冷凍保存して未来の世界に送れば、その時代には治療可能になっているかも知れないという発想からだ。ただ、人体を超低温で冷凍することはできても、その凍り付いた体を無事に解凍する技術が難しいとか。電子レンジに入れてチンするような訳にはいかない。『デモリッション・マン』という映画の中では、シルベスター・スタローン演じる主人公は見事に未来の世界で解凍されているが。
 マイケル・パレという俳優が主演の『フィラデルフィア・エクスペリメント』という映画がある。これはあまり多くの人にはなじみのない映画かも知れないが、アメリカ海軍が敵のレーダーから見方の戦艦を消す実験をしているうちに、事故が起きて戦艦が本当に消えてしまう。二人の兵隊が甲板で意識を取り戻すが、二人が行き着いた先は未来のアメリカだった。父親の経営していたガソリンスタンドに行ってみると、そこにはすでに亡くなった父親の写真があって、何とも悲しい映画だ。二人のうちの一人は、未来の世界の不思議で、同じ人間が同時代にはいられないということで、消えてしまう。マイケル・パレはその消えた兵隊の未来の生活を見ることになるのだ。彼は、未来に行ったという話をしたために周囲から気違い扱いされて、精神を病んでしまっていた。何とも複雑なストーリー展開に、観ている方も頭が変になる。もう年寄りになっている彼の奥さんに聞くと、マイケル・パレだけは戻ってこなかったそうだ。昔と全く変わらないマイケル・パレとお婆さんになった自分の姿を鏡の中に見て、二人とも複雑な思いに浸ることになる。結局、マイケルは過去と未来とを結んでしまっている「時のトンネル」をふさぐために、ロケットに乗って時空の渦の中に突入して行く。無事に任務を終了した彼は、そのまま未来の世界に戻ってしまうのだ。未来で知り合った恋人に会うために。だから、彼だけは過去の世界に戻れずに行方不明のまま終わってしまったという理屈だ。何だか複雑な文章を書いてしまって、大変申し訳ないが、映画そのものが複雑なので説明が難しい。悪しからず。
 というわけで、未来の世界に旅することは、大きな悲しみを伴う。知人はみな年老いているか、すでに亡くなっている。もちろん、自分の親はとっくに遺影になっているはずだ。自分だけが昔のままの若い姿だなんて、耐えられない。

『結婚と離婚』
 私はいわゆる「ばついち」だ。離婚は今から十年前のことだった。人間にとって、精神的に最も打撃があるのは、離婚のような「喪失体験」だそうだ。私の場合も、離婚の打撃から立ち直るのに、一年半以上もかかってしまった。「立ち直る」という言葉を使ったが、離婚の傷は恐らくは一生癒えないものだと思う。心のどこかに大切なものを失う恐怖感のようなものが残ってしまう。離婚に関しては、男性よりも女性の方が精神的にタフだと言われる。確かに、私の妻も数年後には再婚して、新しい人生を歩み始めた。私はといえば、まだ独身のままである。
 「結婚とは人生最大の誤解である。」と言った人がいるらしい。「自分にはこの人しかいないのだ」と思いこむことが、「誤解」だと言うのだ。確かに、「恋は盲目」という言葉もある。恋愛中のカップルは、お互いに相手の欠点が見えなくなっているということだろう。でも、私は妻と結婚したことを後悔したことはない。恋愛中に抱いた感情も本物だったと思うし、離婚が決まったときも決して妻を恨んだりしていなかった。女性は一度決心すると、テコでも動かない。私の妻も、離婚を決心したときには、もう二度と私とは一緒に生活できないと、心に堅く決めていたのだろう。私たち夫婦には、「鎹(かすがい)」になるべき子供もいなかったし、私は仕事にかまけて妻に対する思いやりに欠けていた。 妻が荷物を引き払った後の、だだっ広い部屋の悲しさを、私は今でもよく覚えている。ああいう思いは、二度としたくないと思う。あの頃はまだまだ未熟だった私も、あれから十年して少しはたくましくなったのだろうか。変な話だが、もう一度かつての妻に会って聞いてみたい。いや、待てよ、「昔とちっとも変わってないわね。」などと言われてしまったらどうしよう。やっぱり、そんなことは考えない方がいい。
 離婚を経験している私が言うのは変かも知れないが、結婚はすばらしいことだと思う。それまで、別々の生活をしていた二人が、一つ屋根の下で共に手を取り合いながら生活して行くのだ。喜びも悲しみも共に分かち合う。そんな相手が常にそばにいるということは、本当に幸せなことなのだ。しかし、忘れてはならないのは、夫婦というのは基本的に他人だということだ。価値観も違えば、生活様式も違う。一緒に暮らしていれば、その違いがはっきりと見えてくる。そのとき、お互いに譲り合うことができるかどうかで、結婚生活がうまく行くかどうかが決まるのだろう。いい意味での「妥協」は結婚生活には絶対に欠かせない。また、相手に期待ばかりしていてはいけない。「どうして〜してくれないのだろう?」などと考え始めたら、相手に対する不信感が強まるばかりだ。
 もう解散してしまった歌のグループに、プリンセス・プリンセスという女性4人組がいた。彼女たちが歌った『M』という歌の中に、こんな詩が出てくる。「いつも一緒にいたかった。隣で笑ってたかった。・・・・あなたのいない右側に、少しは慣れたつもりでいたけど、こんな日が来ると思わなかった・・・・」これは、別れの傷をなかなか癒しきれない女性の気持ちを歌った曲だが、男女を問わず、離婚の傷は負わないに越したことはないのだ。
 最近は、やはり簡単に離婚に踏み切りすぎる傾向があるのではないか。昔なら、子供がいれば、離婚の危機は何とか乗り切るように努力したものだ。一生続くと思われるような不仲も、年齢と共に雪解けは進む。年を取って、お互いに許せるようになる日が必ず来る。それまで待てるかどうかの問題だろう。もちろん、相手が一方的に協力関係を破壊している場合は別だ。例えば、暴力亭主がそうである。『星の王子様』という本を読んだことがあるだろうか。その最初にこう書いてある。「世の中には親がいなくて不幸な子がたくさんいるが、親がいるために不幸な子はそれ以上いる。」身に危険が迫るような夫婦生活なら、終止符を打つことも必要だろう。「ばついち」の私も、今度こそはもう少しましな亭主になるよう頑張りたい。

『続・玉校の人文字』
 熊本県立玉名高校の体育祭での人文字について書いた。そして、玉校のメッセージボードに感想を書き込んでおいたことも。そうしたら、嬉しいことにその日のうちに、返信のメールが2通も届いたのだ。両方とも玉校の3年生の女生徒からだった。「県外の人まで感動してくれるなんて、本当に嬉しい。」と書いてあった。私の方こそ、すぐに熊本から返事をくれるなんて本当に嬉しい。また、メールによれば玉校では茶髪は禁止で、玉校だけでなく、近辺の学校はみな茶髪禁止なのだそうだ。また、人文字については、規模は小さいものの中学校時代にも経験しているという。
 少ししてからまたホームページにアクセスしてみたら、玉校のメッセージボードには、次々と生徒たちのコメントが綴られていた。みんな相当疲れたらしい。そして、優勝した赤団以外の子たちも、精一杯頑張れた人文字に、満足しているようだった。翌日の朝に、テレビの『ズームイン朝』で人文字の映像が放映されるというので、疲れた目をこすりながら早起きした生徒たちも大勢いたようだ。玉校生の意見交換の場がこういう形で存在するというのもすばらしいと思う。他の高校でも、こういう場がインターネット上に設けられているのだろうか。私の住んでいる茅ヶ崎の高校はどうだろう。どのメッセージを読んでも、みんな青春真っ盛りという感じだった。ああ、うらやましきかな青春時代。いやいや、おじさんにはおじさんなりの青春があるのだ!自信を持とう!
 話は玉校生の返信メールに戻るが、世代の違いや住んでいる場所の違いを乗り越えて、こういう形でコミュニケーションが成立するというのは、実にすばらしいことだ。インターネット時代も、なかなかいいものではないか。家庭用コンピューターの普及で、自由に電子メールがやりとりできるようになり、その陰で手紙の行き来は少なくなってしまったかも知れないが、これも時代の流れだと思って、素直に喜ぼう。
 私は手紙を書くのも好きだ。キーボードを打ち慣れてしまうと、手書きの文字は少し面倒に感じることもあるが、自分の文字には自分にしかない個性が出るし、字の上手下手にかかわらず、そこには感情がたっぷりこもっているような感じがする。もしかしたら、上手な字よりも下手くそな字の方が、より味があるかも知れない。ただし、手紙は削除や挿入が自由自在にはならないから、書くのに緊張する。それもまた手紙のいいところなのだろうか。そして、手紙を書くと、返事が来るのが待ち遠しい。それがラブレターであれば、胸がどきどきする。返事が来ると、また書きたくなる。封筒に貼られた切手もなかなか情緒がある。それは、差出人が貼ってくれたときのぬくもりを感じるからだろうか。手紙を配達する郵便屋さんのバイクの音、ポストに入ったときのコトンという音・・・・手紙にはいろいろな夢があると思う。
 でも、そう考えると、コンピューターの電子メールも手紙と似たところがないではない。切手はないし、配達する郵便屋さんのバイクの音もしないが、メールを開くときの楽しみは、手紙の封を切るときの楽しみと一緒だろう。文字には個性はないが(飾り文字や様々な字体を使ったりすることはできても)、それが一生懸命に打たれた文面であることは、手紙と同じだ。電子メールもまた、文字と一緒に夢を運んでくれる。しかも、想像を絶するスピードで。
 私は、玉校生の2通のメールそれぞれに、返信のメールを送った。もしかしたら、また返信が届くかも知れない。神奈川県と熊本県。こんなに距離が離れているのに、電話線一本が確実につないでくれている。科学技術の進歩とは、本当に驚くべきものだ。私の文化系の頭では、細い電話線の中を文字や画像が飛んでゆく理屈は、全く理解できないが。
 玉名高校3年生は、最後の体育祭を感動のうちに終えて、明日からまた新たな目標に向かって前進を始める。大学受験や就職試験の準備は大変だろうが、君たちなら大丈夫だ。

『褒めることの大切さ』
 私は学校の教師をしているくせに、褒めるのが下手くそである。英語の授業や委員会活動などでは、自然に褒め言葉が出てくることもあるが、自分のクラスや特に部活となると、照れくささも手伝ってか、なかなか素直な褒め言葉が出てこない。人間は、褒められることで驚くほどの力を発揮することがある。自信もつくし、何よりもリラックスすることができるからだ。それが分かっていながら、だめな先生だなと思う。大人の私だって、服装のセンスを褒められたり、仕事の内容を褒められたりすれば、それが例えお世辞であると分かっていても、決して悪い気持ちはしないではないか。子供ならなおさらだ。
 自分のクラスでは、普段の生活は問題ない。掃除が良くできれば、「今日はすごく頑張ったじゃないか。先生も気持ちよく帰りの学活ができるよ。」などと自然に言えるし、気を利かせて戸締まりをしてくれた子がいたりすると、「よく気が利くね。君みたいな子がいると、先生は本当に助かるな。」なんて言ったりする。ところが、いざ行事の場面となると話は一変する。勝負がかかると、突然厳しい先生になってしまうのだ。体育祭の大縄飛びの練習などでは、なかなか続かなかったりすると、「気合いが入ってないからだめなんだ!もっと大きな声を出せ!」などと怒鳴っている。合唱コンクールの練習でも同じ。「そんな歌声じゃ話にならない!もっとお腹の底から声を出さなくちゃだめじゃないか!」挙げ句の果てには、教卓をたたいたりする。これでは、楽しいはずの行事も苦痛になってしまう。どうして分かっているのに、上手に褒めてやれないのだろう。「今のは惜しかったぞ。これなら次はきっと上手に飛べるよ。前よりも一回ずつ多く飛ぶように頑張ればいいんだ。」
「う〜ん、なかなかいい声じゃないか。お腹の底から声を出すようにすれば、もっと上手に聞こえるよ。」そんな褒め言葉が自然に出てきたら、私はもっといい先生になれるのに。
 私は、女子ソフトボール部の顧問をしているが、もうこのときは最低だ。グランドに出ると性格が変わってしまうのだろうか。部員たちが一生懸命キャッチボールの練習をしていても、ちょっとミスが続くとすぐに怒鳴ってしまう。「そんなキャッチボールはやっても無駄だ!とっととやめちまえ!」小学校時代に野球を経験する男子とは違って、ほとんどの女子は中学校で初めてボールを握るというのに、キャッチボールのミスくらいで目くじら立てていて、どうするのだ。ミスは叱れば叱るほど増えるものなのに。「こうすれば、もっと上手に投げれるぞ。」とか「グラブの使い方がもう少し上手になるといいね。でも、前よりはずっとうまくなった。真面目に練習してるといいことあるな。」などと声をかけてやれれば、部員たちも気持ちよく練習ができるし、上達も早いに違いない。それを、私は厳しく怒鳴ることが、運動部の顧問のあるべき姿であるかのように思いこんでいるのだろうか。お〜い、何とかしろよ!
 褒めるということは、相手にもいい感情を与えるし、自分自身もすがすがしい気持ちになれるものだ。逆に、叱ってばかりいれば、相手もいい感情を持てないし、自分自身にもストレスがたまる。理屈は分かっていても実行が難しいのが人間の常だが、私の場合はもっと真剣に自己改革を押し進めなければならない。それは、不景気な日本の経済対策よりも、もっと急を要するのだ。しっかりしなくては。
 しかし、最近の私は家ではやけに素直になった。食事がおいしいと、「今日の〜はおいしいね。」などと自然に母に言えている。病気で療養休暇をとっているから、心に余裕があるせいだろうか。確かに、仕事が忙しくていらいらしているときなどは、ついつい無愛想になってしまう。でも、人間として上等になりたければ、そんな気分屋を演じていてはいけない。
 そうか、人を褒めるには自分が心にゆとりを持っていなければならないのだ。心にゆとりを持つためには・・・・。難しい問題だなあ。

『男女の平等』
 私の学校では、今年から『男女混合名簿』が採用された。今までは、男子と女子に別々の出席番号をつけていたのだが、今年からは混合で番号をつけることになる。もちろん、健康診断などのような場合には、特別に男女別の名簿を用意しないといけないのだろうが。学校も、まだこの試みが始まったばかりなので、どんな場面でどんな工夫が必要なのか、現在試行錯誤の段階だ。近所の小学校では、もうとっくに混合名簿を使っている。これは、男女平等教育の一環なのだが、中学校はちょっと出遅れてしまったという感じだ。
 男女混合名簿の採用についての職員会議が開かれたとき、私は大反対した。理由は、名簿の名前をいじったところで、それが男女平等教育になるとは考えられないと思ったからだ。肉体的な差はあっても、基本的に人間としての権利には男女の差はないという教育は、名簿の名前を入れ替えたくらいでどうにかなるものではないと、私は考えた。しかし、いざ実施されてみると、想像したほどの手際の悪さもないし、何となく男女が平等に扱われるようになった気分になるから不思議だ。私の考えは間違っていた。形から入ることも必要なのだ。
 しかし、意識の上での男女平等はなかなか難しい。「男らしくしなさい」「女らしくしなさい」的な発言は、今でも至る所で耳にするだろう。私たち教師ですら、「それでも男か!」などと叱ったりすることがある。昔は、クラスのリーダーといえばたいていは男子が務めていたのだが、最近ではクラスの雰囲気作りの主導権は女子が握ることが多い。男子がそれだけ消極的になったということか。一説によれば、亭主に幻滅した母親が、理想の男性像を息子に求めるために、ついつい過保護になり「冬彦さん」が大量生産される結果となったらしい。しかし、「最近の男子は全く頼りなくなった。」などと私たち教師が愚痴をこぼすのも、もしかしたら男女の差別を知らず知らずのうちにしていることになるのではないか。私は、自分が運動部の顧問をしているので、ソフト部の娘たちには、「ほら、そこいらのなよなよした男子には負けんなよ!」などと発破をかけてしまう。男子はなよなよしていてはいけない、という考え方も、男女の固定観念を捨て切れていない証拠なのだろうか。「男なら」「女なら」という発想は、もう一度根本から見直してみなければならない。
 男女雇用機会均等法の実施は当然のことだと思う。女性だからといって、採用を渋られる必要は全くないからだ。実際、例えば政治家などは、冷静に物事を見つめることができて、物腰も柔らかい女性の方が向いているという話もある。小泉新内閣にも五人の女性が大臣として採用された。外務大臣の田中真紀子さん、法務大臣の森山真弓さん、文部科学大臣の遠山敦子さん、国土交通大臣の扇千景さん、そして環境大臣の川口順子さんだ。みんなばりばり仕事をしていて、テレビ画面の答弁を見る限りは、やはり男性政治家よりも歯切れが良くて頼りになりそうな印象を与える。また、女性の大臣が多くなると、政治の腐敗構造も是正されるかも知れない。
 もちろん、いくら男女が平等だと言っても、男性と女性にはそれぞれ独自の特性があると思う。その特性を活かす権利を同等に有することこそが、男女平等の基本理念なのではないか。私は、それ故に、「男らしさ」とか「女らしさ」のような区別は存在してもいいと思うのだが、もしかしたらそれも長年の日本の社会が生み出してしまった固定観念なのだろうか。ある新聞のコラムにあったのだが、未だに多くの人が「男は仕事、女は家庭」という意識を持っているそうだ。私が子供の頃も、よく母に言われたものだ。「男の子が台所に入ってくるものじゃないのよ。」しかし、小学校の家庭科の授業が大好きだった私は、学校でサラダの作り方などを教わると、一生懸命家の台所で復習するのだった。日本の社会はこんな風にして、男と女の役割分担を定着させてきてしまった。そして、それはそんなに簡単に拭いきれるものではない。
 私自身は強く男女平等を意識していないし、男性と女性の役割分担についても、どうでもいいと思っているから、職場でも率先して食器洗いをするし、夏場の暑い盛りには蜂蜜漬けのレモンスライスを前の晩に作っておいて、部員たちに食べさせたりしている。「まめだね」と言われるけれど、食器は手の空いている人間が洗えばいいし、食事も得意な方が作ればいい。「男の子は台所に・・・・」という私の母の教育は、どうやら失敗したようだ。
 私は、家庭に引きこもって狭い社会でしか生きれない女性たちを、心の底から気の毒だと思う。子育ては、夫婦が協力して行い、あるいは祖父母がいれば祖父母の協力をお願いして、女性もどんどん外に出るべきだと思う。「男は仕事で大変なんだ。人付き合いだってあるから家に帰るのが遅くたって仕方ないだろう!」なんて女房に怒鳴っている亭主を見ると、時代錯誤も甚だしいと感じる。だいだい、女性の基本的人権を無視しているではないか。
 私は、男女平等教育のような難しい言葉を実践しているとはとても言えないと思うし、時には自分でも気付かないうちに差別発言をしていることもあると思うが、心の中では、男女はともに幸せを追求する権利を持っていると、固く信じている。だから、女性だからという理由で、理不尽な扱いを受けている姿を見ると、やたらと腹が立つし、何とかしなければと使命感に燃えてしまう。「おしん」のような生活はあってはいけないし、男性ももっと女性の幸せについてじっくりと考える必要があると思う。
 というわけで、男女平等について長々と書いてきたが、本当のところ、勉強不足の私にはこの問題について偉そうに語る権利はないかも知れない。そんな私だから、最後に理想の男性像を書いてしまおう。私は、台所仕事もできて、女房と買い物も一緒に楽しめて、子育てに熱心で、漬け物も作れて、それでいていざというときには女房を守れる、そんな男性になりたい。 女性の弱さにつけ込む男性は最低だと思う。女性に向かって「ブス」だ「かわいい」だなどと、美人コンテストの審査員のようなことを軽率に口にする男性も最低だ。「かわいい」は言ってもいいかも知れないが、下心があったり、相手をからかって言うのは失礼だと思う。酔っぱらって、女性に抱きついたり、お尻に触ったりするのも最低の男。まあ、最近では女性が酔っぱらって醜態をさらした挙げ句、男性に「逆セク」を働くケースもあるようだが。とにかく、そういった不届きな行為は、相手の人間としての権利や人格を尊重していないから起こる。
 満員電車の中の痴漢騒ぎも、ほとんど全ては男性の痴漢が無抵抗の女性に手を出す。被害者が、まだ純真な中学生や高校生ともなれば、話はさらに残酷だ。そんなに女性の体に触れたいのなら、なにがしかのお金を払ってお触りバーにでも行けばよい。不謹慎な発言かも知れないが、それで世の中の多くの女性が救われるのだとすれば、お触りバーも必要悪だ。
 新潟の女性監禁事件も悲惨だった。抵抗のできない少女を部屋に閉じこめて、ちょっとでも反抗的な態度を取れば暴力を振るい、九年間もの長い歳月を、社会から隔離された「監獄」で過ごさせてしまった。二度と戻らない青春時代を、いったい誰が保証してくれると言うのか。 女子短大生刺殺事件の犯人は、北海道で白昼堂々と猥褻事件を起こした前科があった。おもちゃのピストルをつきつけて、「殺されたくなければ、言うことを聞け!」と脅して、女性を公園に連れ込んだらしい。裁判で検察側が再犯の可能性が大きいと主張したにもかかわらず、彼は再び社会に復帰し、とうとう殺人事件まで引き起こしてしまった。金欲しさの反抗ではなくて、最初からいたずらが目的の反抗だったようだ。人間の皮をかぶった獣。
 むごたらしい事件の被害者になるのは、いつも弱い立場の女性だ。いくら男女平等を叫んでも、女性は腕力では男性にかなわない。だからこそ、本当の意味での人権教育が必要なのだ。

『歴史教育の大切さ』
 今学校では、平成14年度から完全実施される、学校週休二日制にかんがみて、各教科の授業時数の見直しを図っている。現在の中学校では、一週間に30コマの授業があり、私の学校の場合は、そのうちの1コマが道徳に、別の1コマが学活に、そしてもう1コマが総合学習の時間に割り当てられているから、教科学習の実質のコマ数は27になる。週休二日になれば、それからさらに3コマ減るわけだから合計で24コマ。そんなに少ないのかとびっくりする人もいるだろう。どの教科を減らすか結論が出ずに、苦肉の策として年度を前後期の二期に分け、二つの教科が半分ずつもらう形も実行に移されている。 そういう苦しい現状の中でこんなことを言うのは何だが、私は国語と歴史の授業は現状でもコマ数が足りないのではないかと思っている。子供たちの国語力の低下は顕著で、教科書の読解ばかりでなく、作文の時間なども設けないと、日本語の運用能力はますます低下してゆくばかりだ。私の学校では、去年から『朝の読書』の時間を設けて、毎朝10分間の読書を始めたが、それだけでは不十分だ。国語力がなければ、他教科の教科書の内容を理解する力も自然と落ちてくる。教科の内容そのものよりも、説明の文章が理解できないのでは話にならない。
 歴史の授業も新幹線営業をしている。教科書の内容が盛りだくさんなので、一年間で全てを終わらせることは不可能に近い。だから、ほとんどの社会科の教師は近現代の項目ははしょってしまう。一番大切な近現代をていねいに扱えないなんて、それまでの知識が全て無駄になってしまうではないか。最近では、新しい歴史教科書の記述内容の問題が騒がれているが、それよりも何よりも、歴史の授業のコマ数を何とか十分に確保する努力の方が大切だと思う。
 実際、私たちが中学生の頃からそうだったように、日本の歴史の授業は事件や人名の暗記に中心が置かれていて、なぜそうなったのかという歴史の流れを学習する時間が決定的に不足している。十分な授業のコマ数さえあれば、「なぜ」という問いかけに対して、生徒自らが図書室などで答えを調べるゆとりさえ出てくるだろう。歴史の事象の原因を探り、それに対して自分なりの意見を持つことは、これからの日本の将来を考える上で、大変重要な土台となってくる。「歴史は繰り返す」という言葉は伊達ではない。過去の同じ過ちを繰り返さないためにも、歴史の流れを十分に理解し学習することは必要不可欠だ。
 歴史の授業については、教科書の記述内容の問題もあるが、歴史というものは、実際にその時代を自分の目で見るわけにはいかないから、色々な資料を基に、専門家が一生懸命解釈を与えることになる。同じ事件について、解釈が別れる場合も出てくるだろう。それが、現在韓国などから批判されている記述の問題だ。もし、解釈が別れてしまうならば、「こういう見方もあれば、こういう見方もある。」という教え方をしてはいけないのか。歴史の解釈に十分な評価が下されるには、長い時間がかかるものだからだ。内容が近現代になればなるほど、秘密の資料も多く、事実が公にならずに葬られている場合も多いだろう。情報公開制度が完全に整ったとしても、秘密の資料が世間の目に触れるまでには何十年もかかるものだ。しかし、そんな場合でも、新しい事実が判明したときには、躊躇せずにそれまでの解釈を訂正すればいい。例えば、日本の真珠湾攻撃は本当に奇襲攻撃だったのか、それとも開戦の理由をねつ造したかったアメリカの策略だったのか、真相は現在もまだ闇の中だ。原子爆弾は本当に広島と長崎に投下される必要があったのか、それについても解釈は別れる。情報公開が日本よりずっと進んでいるアメリカ国内に於いてもそうなのだから、歴史の解釈は本当に難しい。
 とにかく、少ないコマ数の中で、生徒たちが暗記暗記に追われる現在の歴史の授業は、すぐにでも改革しなければならない。思考力のない若者たちに、日本の将来は預けられない。
 
『失われた茅ヶ崎の自然』
 私の住んでいる茅ヶ崎市は、湘南海岸の中央当たりに位置した、大変風光明媚な場所である。海岸からは、「サザン・オールスターズ」の歌で有名になった烏帽子岩が真正面に見えるし、東を見れば江の島から三浦半島方面が、西を見れば伊豆半島方面が望める。大山と丹沢山に隣接するように見える、富士山の姿も実に美しい。海岸は、「サザン・オールスターズ」にちなんで、「サザンビーチ茅ヶ崎」と名付けられたばかりだ。東京当たりからはるばるやって来るサーファーたちも多く、浜辺はいつも人でにぎわっている。しかし、残念なことに私が子供の頃に泳いだ、透き通った水の遠浅の海の姿は
もうそこにはない。よく見れば、水はどぶのように黒ずみ、海底の地形も複雑になってしまって、とても海水浴を楽しめるような場所ではなくなってしまった。
 私がまだ小さかった頃、漁師町で生まれて泳ぎの達者だった私の母は、怖がる私を沖まで連れて行って、そこで水の中に放り込んだりしたものだ。競泳選手にでもするつもりだったのか。海の水は透明で美しく、引き潮の時などはどこまでも遠浅の海が続いていた。浜辺では、地引き網で捕れた魚介類を炭火で焼いて食べたが、あのときの醤油のこげる匂いが、今でも感じられそうな気がする。特に、ハマグリがおいしかった。茅ヶ崎の浜は普通の灰色の砂で構成されているが、ゴミのない浜での砂遊びは、子供の私にとっては何物にも代え難い楽しみだった。まだ数十年しかたっていないというのに、あの美しい自然はどこへ行ってしまったのだろうか。
 茅ヶ崎市と平塚市の間に流れる相模川は、河口付近では馬入川と呼ばれているが、その川の水の汚れがそのまま海に注いでいる。馬入川の汚さといったら、そこで釣った魚は食べる気がしないほどすさまじい。この川も、かつてはきっときれいな水をたたえていたに違いない。現在でも釣り人は後を絶たないが。
 茅ヶ崎市内には、私の家の近くに千の川という小さな川が流れていた。現在では、コンクリートで蓋をされてしまった部分もあって、すっかり表情を変えてしまったが、私が子供の頃は、よくここでザリガニやフナをつかまえて遊んだものだ。雨の降った後などは、ざるを持って出かけて、川岸の草むらの下あたりをがさがさと探る。すると何匹かのどじょうがとれたのだ。きれいな流れには、ウナギだって棲んでいた。私は、釣り糸を垂れるのが面倒で、大きな石を使って川をせき止めてダムを造り、できあがった水たまりからどんどんバケツで水をかい出して、底に姿を見せる雷魚を捕まえたりもした。千の川の周辺は、ほとんどが田圃で、小学校の帰り道などは、寄り道をしないことがなかったくらいだ。レンゲの花を摘んだり、シロツメクサの花で冠をこしらえたり、自然の遊び場には事欠かなかった。そればかりか、点在する小さな森の木にはカブトムシやクワガタが必ずいて、私は友達とそれらの昆虫を捕獲するのに夢中になった。蝉を捕まえるのも楽しみで、長い竹竿の先に針金で直径20センチほどの輪を作って、そこに蜘蛛の巣を張るのだ。こんな簡単な仕掛けで、蝉は確実に捕れた。トンボもたくさんいた。赤トンボ・シオカラトンボ・ギンヤンマ・オニヤンマなどなど、私は虫取り網を持って、夢中で追いかけたものだ。そう言えば、最近はトンボの姿もずいぶん減ってしまったような気がする。小学校の帰り道では、椎の実を取ってみんなで仲良く食べた。どこかの家のザクロの実もこっそりとって食べてしまった。すぐ近くにある赤羽根山に登れば、途中でアケビがたくさんとれたが、これだけは私は苦手で口にできなかった。今では立派なゴルフコースができてしまっている。
 可哀想だとは思うが、私が子供の頃に満喫した茅ヶ崎の自然を、今の子供たちに返してあげることはできない。失った自然は、二度と蘇ることがないから。私たちは、どうしてこんなに貴重な財産を手放してしまったのだろう。
 
『小さな銀行家』
 子供はものを集めるのが大好きだ。私の弟の息子は、つい最近までポケモンカードを集めるのに夢中だった。集めたものを英語で「コレクション」というが、コレクションは大人になっても楽しみなものである。
 私の子供時代は、切手のコレクションが流行っていた。郵便局に買いに行くのは、もっぱら母の仕事である。シートで買うこともよくあって、中央下に小さく印刷された「大蔵省印刷局」の文字が、この上なく価値あるものに思えた。新しい切手ばかりでなく、封筒に貼られた使用済みの切手まで集めていて、やかんでお湯を沸かしては、その口から出る湯気で切手を上手にはがすのが大変だった。いつしか卒業してしまった切手集めだが、そのコレクションは今も大切に私の書斎の本棚に飾られている。
 私が夢中になって集めたものがもう一つある。それは、「お金」だ。もらったお年玉を貯金したとか、そういう意味ではない。一円玉とか十円玉のようなコインが私の収集の対象だったのだ。ときには、街のゲームセンターまで行って両替機でわざわざコインを山ほども鞄に入れて持ち帰ったこともある。昭和○○年発行の□□円コインなどという、マニアックな集め方もしていたが、同時に私は千両箱のような立派な木箱を親からもらって、その中に一生懸命集めたコインを並べていたのだ。ただ並べていたのではない。きちんと、銀行のように50枚ほどを筒状に紙で包んでしまうのだ。あのずっしりした重さが何とも言えなかった。私は今でもお金を数えるのが好きだから、本当だったら銀行家になっていたら良かったのかも知れない。あの、思い出の千両箱はどこへ行ってしまったろうか。
 銀行家気取りの私は、お金が手あかにまみれて輝きを失っていることに失望した。そこで、入れ歯磨きの薬剤を買ってきて、その錠剤を溶かした水の中にコインを入れてみた。するとどうだろう。見事にぴかぴかの状態に戻るではないか。私は嬉しくて嬉しくて仕方なかった。カラスもぴかぴか光るものに興味を引かれると言うから、私の前世はカラスだったのかも知れない。今でも光るものが好きで、買い物が苦手な私も、デパートの宝石売り場だけは、いくら見ていても飽きることがない。子供の頃の習性は、やはり大人になっても変わらないのだろう。
 私は大変な凝り性である。一度夢中になると、徹底的にのめり込む。中学生の頃はプラモデルの収集に凝っていた。特に戦闘機と爆撃機が好きで、ていねいに組み立てると、あとは何色もそろえたラッカーで本物そっくりに塗装する。おかげで、部屋の中はシンナーの匂いでいっぱいだった。よく中毒にならずに済んだと思う。特に好きだったのは、イギリス軍のスピットファイヤーとドイツ軍のメッサーシュミットとアメリカ軍のB17戦闘爆撃機だった。B29は形が単純な上に、全体が単色の銀色だったのであまり興味を示さなかったようだ。しかし、このプラモデル収集からもいつの間にか卒業してしまう。私は飽きっぽかったのかも知れない。熱しやすく冷めやすいタイプなのだろう。
 次の標的は、好きな女優のブロマイドと好きな歌手のレコード集めだった。しかし、これはお金がかかったので、そんなにたくさんは集められなかったが。私が集めた天知真理のレコードは、今なら高く売れるだろうか。部屋にはアイドルのポスターがたくさん貼ってあって、私は完全なるミーハー少年だったのだ。現代っ子たちが、アイドル歌手のグッズを集める気持ちは、とてもよく分かる。私の中のミーハー少年は、実は43歳を迎えた今でも健在だ。それが証拠に、私のコンピューターの壁紙には・・・・これは秘密である。
 小さな銀行家から始まった私は、今ではCDとDVDの収集に凝っている。本当は、札束でも集めたいところだが、それだけは不可能というもの。でも、もし宝くじにでも当たったら、現金をおろしてきて、毎晩のようにお札を数えているかも知れない。いつまでも子供だな。
 
『いじめの構造』
 小学校や中学校でのいじめの問題が表面化してから、もう何年もたつ。「心の教育」が叫ばれて、大人たちは問題解決に躍起になってきたが、一向に効果はないようだ。しかし、いじめは子供たちだけの問題なのだろうか。私は、子供たちの世界は世の中の縮図のような気がしてならない。大人の世界が「いじめ」に満ちているからこそ、子供たちもそれを無意識のうちに真似るのではないだろうか。
 ある時、職員室で少し煙たがられていた男の先生がいた。彼は頑固で自己主張が強く、他を受け入れる寛大さに欠けていたのだと思う。生徒たちが学級内で席替えをするように、職員室でもたまに気分転換の席替えをするのだが、その男性教師の隣には誰も座りたがらないのだ。ある女の先生などは、いったん席が決まったというのに、彼のそばだからという理由で、学年主任に懇願して別の席にしてもらった。子供じゃあるまいし、なぜ席の位置などにこだわるのか。結局彼は一番端っこのドアに近い席に座ることになった。両隣は誰もいない。これも、明らかに「いじめ」ではないのか。いくら彼が嫌われ者だからといって、彼の座席まで端に追いやるというのはやりすぎだと思う。これは、実際に職員室の中で起こった話なのだ。
 団地では、奥さん連中の間に「公園デビュー」という儀式があるそうだ。新しく団地に引っ越してきた人が、もともといる住人たちの仲間になる儀式である。奥さん連中は、小さな子供を連れて団地内の公園に集まる。そこで、子供を遊ばせながら井戸端会議が始まるわけだ。話題はどうせ取るに足らない三面記事に決まっている。引っ越してきた新顔の主婦は、まずはその公園の集まりに参加するきっかけを作らなければいけない。「どうぞよろしくお願いします。」ということで話がまとまれば、いよいよ公園デビューだ。これに失敗すると、ほとんど村八分の苦痛を味わう羽目になる。そばを通りかかれば、ひそひそと何事かささやかれる。実にいやな雰囲気ではないか。どうせ、自分の悪口を言っているに違いないのだ。これから子供を育てようと言う母親連中がこれでは、先が思いやられる。
 私の家は以前事業に失敗して桁外れに大きな借金を抱えてしまったことがある。小さな不動産会社を経営していて、バブルの崩壊の直撃を受けたのだ。昔農業を営んでいた時代から持っていた広い土地は、切り売りせざるを得なかった。それまで住んでいた家も取り壊し、道路に面していない南側に新しく家を建て直して、その他の土地は全て売り払った。その売り払った土地に、大きなマンションが建つことになったのだ。道路を挟んでマンション建設予定地の北側に住んでいた人たちは、一斉に建設反対運動を起こした。その運動を先導していた人は、私たちがマンションの南側の日当たりのいい場所をわざと残して新しい家を建てたのだと、非難の声を上げだした。マンションを建てようとしていたのは私たちではないし、南側の土地は道路に面していないので高く売れないから残しただけのことだった。それを、悪魔呼ばわりして、私の親の悪口を書き連ねたポスターをあちこちに貼って歩いたのだ。私の怒りは限界を超えた。私はすぐにその人物の所へ怒鳴り込んで、いったいどういうつもりかと詰問したのだ。私たちの家の事情も知らないくせに、滅多なことを言うなと、私はものすごい剣幕で立ち向かった。相手はすっかり恐縮してしまって、その後すぐにポスターは処分された。これも、れっきとした「いじめ」に他ならない。ポスターのおかげで、私の両親は精神的にすっかり参っていた。
 大人の世界は「いじめ」に満ちている。そんな大人たちに育てられる子供たちが、大人の真似をして仲間をいじめたとしても、少しも不思議ではない。子供たちの世界からいじめをなくしたければ、まずは大人の世界をどうにかしなければならないだろう。大人にできないことを子供に要求しても、どだい無理というものだ。
 
『言葉の力』
 「言葉の暴力」という言い方があるが、言葉には偉大な力がある。それは両刃の刃であって、ときにはプラスに働き、ときにはマイナスに働く。たった一言で勇気づけられることもあれば、心ない一言が大きなショックを与えることもある。言葉とはかくもすばらしく、またかくも恐ろしいものだ。
 俳優の武田鉄矢率いる海援隊が、『贈る言葉』という歌を歌った。テレビ番組の「三年B組金八先生」の主題歌にもなったから、知らない人はいないと思う。その歌の詩にこんな言葉がある。「信じられぬと嘆くよりも、人を信じて泣く方がいい。人は悲しみが多いほど、人には優しくできるのだから。」すごい言葉だなとつくづく思う。武田鉄矢は自分で書いた本の中でも、「人は人からしか学べない」と言っていた。彼の心の中には、人と人との信頼関係の大切さがしっかりと焼き付けられているのだろう。だから、歌の文句にもなったのだ。自分が傷つくことがあっても、人を信じることだけは忘れたくない・・・・そんな生き方ができたら、本当にすばらしいと思う。人間関係に悩んでいるときなどにこの言葉を聞いたら、さぞかし勇気づけられるに違いない。私は、この部分だけは諳んじていて、決して忘れることがない。そして、失恋したりして希望を失っている仲間がいれば、海援隊がこう歌ってるよと、この言葉を紹介してあげるのだ。
 「明日は明日の風が吹く」という言葉も、心を広くしてくれる。これは、『風と共に去りぬ』という映画の最後の台詞だ。実際には、「明日は今日とは別のまた違う日になる(Tomorrow is another day.)」という英語で、それを上手に日本語に訳したものだ。仕事に行き詰まったときなど、この言葉を口にすると、ものすごく気楽な気持ちになれる。例え今日が嵐でも、明日への希望を決して忘れてはいけない。人生は何が起きるか分からないから、本当に明日になれば違った展開になっているかも知れないじゃないか。短い言葉ではあるが、やはり勇気を与えてくれる言葉だ。
 人生の出会いの不思議と大切さを歌った文句もある。映画『ラ・ブーム』(ソフィー・マルソー主演)の主題歌は、「君との出会いは驚くほど偶然だった。まさかそれが僕の人生を永遠に変えてしまうとは思わなかった。(Met you by surprise. I didn't realize that my life would change forever.)」その通りだと同感する人も多いことだろう。そして、自分もそんな出会いにきっと恵まれることがあると信じたくなる。
 英語の「こんにちわ」にあたる文句もなかなかしゃれている。英語では初対面の人に「あなたと出会えて嬉しいです。(Nice to meet you.)」と言うのだ。会えて嬉しいなんて、何と気の利いた挨拶なのだろう。英語では、別れるときにも同じ言葉を使うことができる。「会えて嬉しかったです。(Nice to meet you.またはNice meeting you.)」文化の違いかも知れないが、英米人は人との出会いを大切にしているのだなと感じさせられる。
 特に誰が言ったというわけではないが、「あなたがいてくれなかったら、今の自分はなかったと思います。」という言葉も、言われた本人はとても嬉しいと思う。とても素直な感謝の言葉だ。きっとどんな人にも、そういう相手が何人かいるのではないだろうか。
 人は言葉に喜怒哀楽を感じ、言葉に励まされ、言葉に慰められ、また言葉に勇気づけられる。私の知人の国語の教師が、「人間にとって一番大切なのは言葉だよ。」と言っていたが、彼の考えはまさに真実をついていると思う。言葉の持つ力を知る人は幸せだし、逆に言葉の持つ力を知らない人は不幸だろう。
 言葉は心が形になったものだ。言葉はその人自身を物語っている。だから、大切にしなければならない。「ありがとう。」「ごめんね。」「頑張れよ。」そんな小さな一言にも、大きな力が隠されているのだ。言葉は偉大である。
 
『ラブレター』
 私が初めてラブレターを書いたのは、小学校5年生の時だった。今の子はよく鉛筆で手紙を書くが、私はそのときは確か万年筆か何かで、ていねいに一文字一文字を確かめながらの作業だったと思う。自分の部屋の机の上で書いたのでもない。茶の間で寝ころんで書いたのだ。途中で、窓の外を買い物帰りの叔母さんが通ったりして、どきどきしながら書いていた記憶がある。書き上がった手紙を封筒に入れたかどうかは覚えていないが、翌日彼女に手渡した。
 私から手紙をもらったHさんは、すぐにトイレに行って読んだらしい。教室に帰ってきたときは顔が真っ赤だった。でも、彼女から返事は来なかったと思う。その後、Hさんの誕生パーティーに行ったりしたが、付き合ったりすることはなかった。実は、数年前中学校の同窓会でHさんに会ったので、お酒の勢いで当時のことを覚えているかどうか聞いてみた。最初は、とぼけていた彼女だが、本当はよく覚えていると白状してくれた。私は、失礼にも、そのときどんな気持ちだったか尋ねてみた。すると彼女はこう言った。「からかってるのかと思って頭に来たわよ。」・・・・なるほど、成功したかに思えた私のラブレター作戦は、冗談だと受け取られてしまっていたのだろうか。それ以上は詳しく聞くのがはばかられたので、真相はよく分からない。
 それから一年後、小学校6年生の時に転校生がやって来た。可愛い女の子で、私はすぐに恋してしまった。気が多かったのだろう。Hさんのことはすっかり忘れていたのだから。私は、転校してきたばかりのKさんにも、早速手紙を書いた。ラブレターと呼ぶには短すぎる手紙だったと思う。「僕は君のことが好きだけど、君は僕のことをどう思いますか?」という内容だったことだけは覚えている。Kさんからは返事が来た。「ふつうです。」・・・・これは、失恋と呼ぶべきなのか。しかし、当然といえば当然のことだ。転校してきたばかりなのに、好きも嫌いもないではないか。私はかくも軽率な男だったのである。でも、念のために言っておくが、Hさんに書いた手紙も、Kさんに書いた手紙も、両方とも真剣に書いたのだ。私は女の子の気持ちをもてあそべるほどのプレイボーイではなかった。
 今思えば、可愛い思い出だが、その当時ラブレターなど書いていた男子は、私以外にいるのだろうか。私は、とにかく気持ちを文字にするのが好きだったのだろう。それ以後はラブレターと呼べるものは書いていないような気がするが、手紙ならたくさん書いた。もちろん、相手はほとんどが女の子である。中学校3年生のときには、ガールフレンドと交換日記をしていた。交換日記を申し込むときは、Nさんを直接呼び出して希望を伝えたのだから、私も結構度胸があるではないか。Nさんは快く承知してくれた。私は、勉強そっちのけで交換日記にペンを走らせていたように思う。いろんなことを書いた。ものすごくばかばかしいことも書いている。例えば、Nさんは私より誕生日が17日だけ早かったので、私は「僕は君より年下だから、結婚できないかな。」などと書いている。Nさんもませたもので、「愛があれば年の差なんて!」などと返事を書いてきた。お互いに一冊ずつ持って、卒業したはずだが、私が保管していた日記は、つい数年前まで大切にとってあった。読み返すと、思わず笑ってしまう。純情だった日々。大学を卒業する直前にNさんに手紙を書いて、上野動物園で会うことにした。私は、昔の思いにもう一度火がつくことを期待していたが、彼女には意中の人がいて、すでに結婚を考えているようだった。これも、失恋と呼ぶべきか。
 私は今でも手紙を書くのが好きで、自分の口で直接言うのが照れくさいようなときには、生徒相手に一生懸命ペンを走らせることもある。さすがにラブレターではないが、私が手紙を書く相手は、相変わらず「女性」である。子供の頃の性分というのは、大人になってもやたらと変わるものではないようだ。そしてもちろん、相手が生徒であっても「真剣に」書いている。

『老いるということ』
 高齢化社会と呼ばれる現代。少子化は進み、世の中にはお年寄りの数が増えている。「子宝」という言葉がある。まさに、高齢化社会の時代にあっては、子は宝である。そんな時代に、幼児虐待や幼児殺しという悲しい事件が続発しているというのも、実に皮肉な話ではあるが。
 生あるものは必ず老いてゆく。老いは成熟を意味する反面、若さを失うことはやはり悲しいことだ。核家族化が進み、会話の相手を失った老人たちは、アルツハイマー病など「ぼけ」の状態に陥りやすくなった。市内の警報用のスピーカーから、ときおり迷子になった老人の行方を問う放送が流れてくる。食事をしたこともすぐに忘れてしまう。家族の人間の顔が認識できない。自分がいったい誰なのかも分からない。老いるとは、こんなにもむなしいものだったのか。
 家にある昔の写真をいじっていると、私の両親の若い頃の写真が出てくることがある。今の自分よりも若い時代だ。ああ、そうか、もうこの年齢で私や弟の子育てをしていたのだなと感慨に浸ると同時に、現在の年老いた両親の顔が重なって、なぜか悲しい気持ちになる。時の流れとは、かくも早く残酷なものなのか。
 私が子供の頃、鬼のように怖かった父も、私が大学生になる頃にはすっかり優しい親父に変身していた。私が親元を巣立ったということもあるが、父自身が年老いたのである。幼稚園の時、一人で園までたどり着けずに、知らぬ間に家に帰ってきてしまった私。ふと、窓の外を見ると、幼い私が立っているのでびっくりしたそうだ。そんな気弱な私に父は厳しかった。雨の降り注ぐ庭に、投げ出されたこともある。中学生の時には、近所の女の子の幼友達といっしょに泊まりがけの旅行がしたいと言って、思いっきりぶっ飛ばされたことがある。性に関する知識では晩生だった私だから、別に不届きなことを考えていたわけではないのだが、父は「何で信じてくれないんだ!」と抵抗を続ける私に激怒したのだ。今思えば当たり前のこと。私が父の立場でも、同じことをしただろう。そんな怖い父も、私が高校生の頃に勉強で悩んで自殺を図ったときを境に、怒ることをやめてしまった。先の見えない暗闇の中でもがいていた私は、風邪薬を一度に大量に飲んで楽になろうとしたのだった。「自殺」の意志がどれほど強かったかはよく覚えていないが、薬を飲み干してしまえば、もしかしたらもう二度と目を覚まさないで済むかも知れないという考えはあった。しかし、運良く目覚めてしまって朦朧としている私に不審を抱いた両親が、すぐにかかりつけの医者を呼び、大急ぎで市立病院へかつぎ込まれた。眩しいくらい明るいライトの下に横たわった私は、「胃洗浄!」という医師の叫び声しか覚えていない。私は無事助かったが、あわてふためいた父はそれを境にすっかり老いてしまったのかも知れない。私はとんでもない親不孝者だった。
 庭いじりをする父は、少し背中が曲がったように見える。三年前の脳梗塞の発作を乗り越えて何とか頑張っている父だが、もうすっかり「おじいちゃん」という言葉が似合うようになってしまった。母は父よりも13歳も年下だが、やはり老いには勝てないようだ。まだしゃきしゃきと動き回っている母だが、医者通いは続いている。小学校でPTAの役員をしていたころの着物姿の母の写真は、実に若々しい。まだ30歳にもなっていなかった若い母が、今ではもう60歳を越えた。それもそうだろう、高校時代にあれだけ親に心配をかけた私が、今ではもう43歳になっているのだから。「敬老の日」という祝日が今ではやけに身近なものに感じられる。作家の浅田次郎さんの作品に『天国までの百マイル』という本がある。私は、主人公が背負う病気の母親の姿に自分の母親の姿がだぶって、思わず目頭が熱くなってしまった。
 人は老い、やがてこの世を去る。この大原則を変えることはできないが、幸せに老いる工夫はできるのではないか。老いは知恵である。周囲の若者が老人の知恵に敬意を払う世の中を作ることができれば、老いは悲劇ではなくなる。
 
『天皇家の人々』
 第二次世界大戦の終結後、それまでの大日本帝国憲法(明治憲法)は廃止され、アメリカ駐留軍の手で新しく日本国憲法が作られた。その結果、それまで「君主」の立場にあった天皇は、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴《日本国憲法第一条》」となった。現在の天皇陛下は初代の神武天皇から数えると、第125代目となる。長い長い歴史である。
 それにしても、亡くなられた昭和天皇は、激動の時期に在位してしまったものだ。日本帝国主義の旗印とされ、終戦後は最高責任者としての責任を議論され、突然の「人間宣言」である。悲惨な戦争を遂行していたのは、暴走した軍部だったのだし、天皇陛下自身は多数の国民を犠牲にしてまで戦争を遂行する意志はなかったのではないかと思う。学生時代の私は、国民の税金で贅沢な暮らしをしている天皇家や、風光明媚な場所を選んでは葉山や下田のように「御用邸」を作って一般人を閉め出すやり方に、ずいぶん憤りを覚えたものだ。そもそも、人間はみな平等なはずなのに、「象徴」とはいえ、特別扱いの人間を認める天皇制度そのものは、廃止されるべきだとも思っていた。しかし、昭和天皇の崩御で平成時代の幕開けと共に即位した現在の天皇陛下の、庶民的な演説や行動を見聞きするうちに、天皇家の人々の苦労を思うようになった。もちろん皇后陛下の美智子さまの仏のような笑顔も、天皇制に対する反感を収めるのに大いに貢献したと思う。
 人間としての自由な生活は奪われ、国の象徴として世界各国を飛び回り、決して笑顔を忘れずに多忙なスケジュールをこなす天皇家の人々は、決して「贅沢な」暮らしをしているとは言えないのではないかと思うようになったのである。自分がその地位を望むかと聞かれれば、答えはノーに決まっているのだから。阪神大震災の時にも、外遊中だった皇太子殿下夫妻は急遽帰国し、被災者の激励に大忙しだった。
 日本の天皇制度は、戦時中に軍部にうまく利用されてしまったがために、不幸な運命をたどることになった。私の父の世代の子供たちは、天皇陛下のために命を捧げるのだと教育され、実際に戦地に赴き、貴重な若い命を散らしてしまった。日本の国旗である「日の丸」も、同じ運命をたどることになる。民主主義の国でも、イギリスのように王室制度が立派に機能しているところはいくつもある。王室は国民を勇気づける存在であり、決して個人の命を捧げる対象ではないから、平和に存続してきたのだ。とにかくそういう事情で、天皇制や日の丸は日教組の攻撃の的になったりした。「戦場に子供を送るな」というスローガンのもとに。
 皇太子妃の雅子さまご懐妊のニュースが、今日本中を駆けめぐっている。コメントを求められた各政党の幹部たちは、異口同音に祝いの言葉を述べた。共産党の書記局長でさえ「どこのご家庭でも、新しい命が誕生することは、喜ばしくおめでたいことと思います。」という談話を発表している。社民党の幹事長も「雅子さまは比較的高齢なので、医師団も万全を期すと思うが、立派なお子さまが生まれることを期待する。」と述べた。結婚八年目にしてようやく授かった大切な子宝。皇太子殿下夫妻を初めとして、周囲の関係者の喜びもひとしおだろう。無事出産の暁には、天皇陛下ご夫妻にとっては、秋篠宮殿下の二人の娘さんに続く、三人目のお孫さんになる。男子か女子かと、皇位継承問題にからんで、そちらの方も注目の的になっているが、もし女の子が生まれたのなら、男女平等の時代なのだし、皇室典範を改正して「女帝」の誕生も可能にすればいいと思う。
 今、一般社会の家族の風景は壊れかけているように見える。子育ても一人前にできない未熟な夫婦が増え、犠牲になった幼い命も数知れない。こんな時代だからこそ、天皇家の人々には仲むつまじい夫婦像と、模範的な子育てのあり方を、国民に大きくアピールしてもらいたい。それでこそ、本当の意味での「象徴」だろう。
 
『スズメの親子』
 時季はずれの台風が沖縄に迫っていたせいだろうか、夜半過ぎに音を立てて降り出した雨は翌朝まで続き、午後になってやっと晴れ間が顔をのぞかせた。春の天気も気まぐれである。
 私の知人が、庭先に遊びに来るスズメの餌付けに成功したという話をしていたので、私もこぬか雨が降る中、リビングルームの前の庭に米粒をまいてみた。あまり天気も良くないし、硬い米粒では食べに来るわけないかと、半分あきらめかけていると、数羽のスズメがやって来て米粒をつつきだしたではないか。今まで、庭先にエサをまいたことはなかったので、珍しい場所に食料を見つけたスズメたちも、やたらと周囲を警戒しているようだ。「大丈夫だよ。なにもしないから、安心してお食べ。」私は心の中で優しくスズメたちにつぶやく。聞こえるわけもないが、そんな優しい気持ちにさせてくれる、心和む風景だったのだ。
 そのうち、どうやら親子らしいスズメが四羽で飛来した。最初にまいておいた米粒はもうすっかりなくなってしまっていたので、今度はもう少し部屋に近い場所に米粒をまいておいてのだが、親鳥らしいスズメと好奇心の強い子供の二羽だけがエサをつつきに来た。残りの二羽は、少し離れたところで待機している。驚いたことに、親鳥らしいスズメはいくつか米粒を口の中に入れると、待機組の二羽の所へ跳ねていって、口移しでエサを分け与えているのである。それを、何度も何度も繰り返している。何とも微笑ましい光景に、私は仕事の手を休めて、じっと見とれてしまった。子供たちはまだ産毛が残っているようだったが、飛行訓練だけは終了しているようで、上手に飛ぶことはできた。お腹がいっぱいになったのか、彼らは前の団地の庭にある大きなびわの木の中に飛び去ってしまった。
 私は、嬉しくなって、今度は昼飯に作ったチャーハンをまいてみた。塩分があるから、小さな体のスズメにはあまりよくないかなとは思ったのだが、おいしかったので試してみた。すると、しばらくしてまた数羽のスズメがやってきて、そのチャーハンをつつきだしたのだ。しかし、どうも具合が良くないらしい。柔らかいチャーハンは味も付いているので、気に入らなかったのかも知れない。今、私の目の前の庭には散乱したチャーハンが残っている。これは、きっといつも庭を散歩道にしている近所の猫のエサになってしまうだろう。私は性懲りもなく、三回目の米粒まきに挑戦した。今度は、部屋のすぐ前である。さあ、スズメたちは近寄ってくる勇気があるだろうか。ふと、隣の家の屋根を見ると、スズメが一羽こちらの様子をうかがっている。私がエサをまいてくれるのだということを認識してくれれば、次からはきっと私の姿を見ても飛来してくれるのではないかと期待している。
 それにしてもさっきの親子。小さなスズメでさえ母性本能(父性本能だったかも知れないが)を発揮して、一生懸命子供を育てているというのに、人間はどうしてこんなに駄目になってしまったのだろう。先日は、あるテレビ番組で工場の煙突の支柱に営巣してしまった、ハヤブサだか鷹だかの映像を流していた。こちらも子育て真っ最中で、父親がエサのネズミなどを捕ってくると、それを母親がくちばしで細かくちぎって二羽のひな鳥に与えていた。一歩間違えば転落してしまいそうな狭い場所で、見ているこちらがはらはらさせられたが、子供を育てるとはそういうことなのだ。ああいう姿を、日本全国の母親たちに見せてあげたいと思う。
 アメリカでも幼児虐待の事件は後を絶たないようで、ある本に書いてあった事例では、夫婦げんかをした挙げ句に、まだ赤ん坊の我が子を父親が熱したフライパンの上に投げ入れたというのである。悲鳴を聞いた近所の人の通報で、その女の子は一命を取り留めたが、その後の彼女の人生は苦難の道そのものだった。この話は『フライパンで焼かれた少女』という本の中に詳しく書かれている。この狂気の時代に、人間が野生の動物たちから学ぶことは多い。

『うつ病』
 私は公立中学校の英語の教師だが、現在は病気療養で長期休暇をとっている最中だ。私の病名は『うつ病』。きっと多くの人は、この病気のことを語りたがらないだろうし、ましてや自分がうつ病にかかっているなどと言う人は滅多にいないだろう。しかし、私は自分のありのままの姿を知って欲しいので、敢えて白状する。
 アメリカなどではうつ病(depression)はしっかり市民権を得ていて、治療方法もいろいろ工夫が凝らされているようだが、残念ながらこの日本ではまだまだ誤解の多い病気だ。作家の北杜夫さんは、自分が「躁鬱病」であると明言し、その自分の病気をうまく利用して作家活動に励んでいるのだと言っていた。しかし、一般の人が「うつ病」と聞けば、精神病の一種だと勘違いするだろう。実際には「うつ病」は風邪と同じである。薬で治療すれば治ってしまう。
 うつ病は、様々なストレスが原因で起きるようだが、どういう状態かというと、脳細胞のシナプスとシナプスの間に電気信号が飛んで伝わるのを阻害する物質が形成されてしまう病気だ。だから、薬でその阻害物質を中和してしまえば元の状態に戻ることができる。一般的にはその薬は「抗うつ剤」と呼ばれている。「うつ病」の症状にもいろいろあるようで、私の場合は食欲がなくなり、常に疲労感があり、仕事の能率が落ちてしまうのだ。そんな状態だから、なかなか気が晴れないこともある。でも、人と会いたくないとか、そういうふさぎこんだ状態にはならないから、外出も普通通りできるし、薬を飲みながら仕事を続けることもできる。ただ療養休暇をとってゆったりした生活ができるのであれば、その方が治りが早いので、現在の生活を選んでいるのだ。職場には迷惑をかけているし、担任しているクラスの子たちもがっかりしていることは承知しているが、早く元気になって職場復帰する方が結果的にはいいと思う。
 しかし、私のような軽いうつ病ならいいが、中には箸を持つ元気も出ないような重い症状に陥ってしまう人もいるらしい。ふさぎこんでしまって、人との会話もできず、悲観的になり、最悪の場合は自殺願望まで抱くそうだ。そういう重症患者の場合は入院が必要なときもある。 「うつ病」は、ある意味では現代病である。何かとストレスの多い現代だからこそ、そのストレスを上手に発散できない生真面目な人がかかりやすい病気なのだそうだ。私は今までに3回もこの病気で療養休暇をとっている。いずれも精神的・肉体的なストレスが限界を超えてしまった結果だった。私の普段の生活は、普通では考えられないほどハードなのだ。農家に育って、一生懸命働く親の後ろ姿を見続けていた私は、自分の限界まで頑張らないと気が済まない性格になってしまった。この性格はなかなか直りそうもないが、もう少し生活のペースを考えないと、また数年後には医者の世話になることにもなりかねない。私が最初にお世話になった精神科医は、この病気は真面目で勤勉なA型タイプの人しかかからないから、皮肉なものだと言っていた。まじめだから病気になる。そして、病気になれば周囲から白い目で見られる。これではたまったものではない。いい加減に生きることができれば、「抗うつ剤」などのお世話になることもないのに、物事を深刻に考えすぎてしまったりするからいけないのだ。
 まあ、私の場合はどちらかと言えば、肉体的なストレスの方が大きいと思う。だから、症状も軽いのだろう。私の血液型もA型だが、けっこういい加減なところもあって、普段は冗談を言っては仲間を笑わせているタイプだ。学校でも「明るく元気な先生」で通っている。それでも、体に無理のある生活を続ければ、ストレスはたまり、そのストレスをうまく発散する場を作れないでいると、私のようになってしまうのだろう。確かに私はお酒もあまり飲まないし、女遊びもしない。趣味は多いが、暇がない。
 私は、「どこが悪いんですか?」と保護者に聞かれるのが一番困る。説明が難しいからだ。みんながこれを読んでくれると助かるのだが。

『ポイ捨て』
 テレビの刑事ドラマの一場面。電信柱の所に身を隠した刑事が、犯人のアパートを張り込み中である。足下にはたばこの吸い殻が数本。その本数の多さが、張り込みの時間の長さを物語る。これはドラマだから済むのだが、実際に道路にたばこの吸い殻を投げ捨てられたのでは、近所迷惑だ。できれば、これからの撮影は、ぜひ刑事に携帯用の灰皿を持たせて欲しい。「そんなことをしたら、雰囲気が出ない!」と監督さんは怒るだろうか。
 最近の電車のホームは、ほとんどが禁煙になっているか、もしくは喫煙の時間帯を制限して設けている。喫煙場所が作ってあるホームもあって、そこにはちゃんと灰皿も設置されているのだが、不思議なことにホームから線路を見下ろすと、そこにはたばこの吸い殻がたくさん捨てられている。駅員さんが掃除することを考えれば、もう少し考えて行動できるだろうに。まったく、喫煙者のモラルの欠如と言ったら甚だしい。車の窓から吸い殻を投げ捨てる馬鹿者もいる。たばこにはまだ火がついているのだ。自分の車の中にも灰皿がついているだろうに、それを汚すのははばかられるらしい。そういう勝手な人間に限って、自分の車の中は土足厳禁にしていたりする。私もたばこは吸うが、吸い殻を投げ捨てたりすることは絶対にない。携帯用の灰皿も持っているし、自分の車の中では吸わないから、灰皿もきれいなものだ。
 「ポイ捨て」は何もたばこの吸い殻だけに限られたことではない。ある時、私の前を走っていた車が急に停車した。運転席のドアが半分開き、そこから白いビニール袋に入ったゴミを捨てる手が外に伸びて、ぽいっ!そのまま車は走り去ってしまった。私は、我が目を疑った。わざわざ道路の植え込みに、ゴミ袋を捨てるとは何事だ。自分の家に持ち帰れば済むではないか。そしてゴミの日にきちんと決まった場所に出せばいいのだ。そんな簡単な常識さえ持ち合わせていないとは。新しくできたばかりの立派な道路でも、脇の植え込みの中にはゴミがたくさん捨てられている。空き缶も多い。自販機で買って、飲みながら運転していたのだろう。飲み終わると空き缶を窓から外の植え込みに投げ込む。投げ込まれた空き缶を、誰に処理しろと言うのだろう。
 ひどいケースになると、わざわざ「ゴミ捨て禁止」と書かれた立て看板のあるところに、ゴミが捨てられていることがある。字が読めないほど教養がない人は、この日本にはほとんどいないし、少しばかり教養があるやつだからこそそういう悪知恵も働くのだ。
 ある時、職場の近くの公園のそばをバイクで通りかかったら、お年寄りたちが一生懸命ゴミ拾いをしていた。ボランティアの清掃である。どうせゴミを捨てたのは、若い連中に決まっている。夜遊びをして、公園で飲み食いした挙げ句に、ゴミはその場にポイなのだ。常識のない若者たちの尻ぬぐいを、日本をここまで背負ってきた大先輩たちが、一生懸命やっている。何と情けない光景だろうか。そして、あのお年寄りたちはどんな気持ちでゴミ拾いをしていたのだろう。私は悲しくなってしまった。
 最近では、ゴミの違法投棄が激増して社会問題になっている。古い冷蔵庫やテレビ、ありとあらゆるがらくた、そしておんぼろの車まで。電化製品の廃棄にはお金がかかることになってしまったから、これからはもっと違法投棄が増えるのではないだろうか。
 アウトドアの活動が盛んになってきたが、自然を愛好するはずの人たちが、河原や山道にゴミを捨ててゆく。そして、現状を嘆く人々が捨てられたゴミを拾って歩く。この堂々巡りは、恐らく永久に続くのだと思う。
 一人一人の人間が、ちょっとした心遣いさえすれば、日本中のゴミはどんどん減ることだろう。自分の出したゴミは自分が持ち帰ればいいのだ。ゴミ箱があるなら、ちゃんとそこに捨てればいい。こんなに簡単なことは、誰にだってできるではないか。日本人のモラルが問われる。
 
『キャンプ』
 以前は、中学校の夏の恒例行事と言えば、キャンプだった。夏休みに2泊3日で山間のキャンプ場に出かける。昼間は近くの川で水遊びをし、お腹がすいたところで夕食の準備にかかる。野外炊事は初めての子も多かった。現在は、アウトドア指向の人が多く、家族でキャンプに出かける家も少なくないかも知れないが、昔はそれほど生活にも余裕がなかったのか、学校行事のキャンプが物珍しい子も多く、それだけに行事としての意味も大きかった。
 自分たちでお米をといで、指先で水加減を計り、上手に飯ごうを火にかける。その前に、火をおこすのが一仕事だ。新聞紙や段ボールの端切れを下にして、その上に小さな木から積めばいいのだが、何もないところに突然大きな薪をくべたりする子もいた。せっかく火がついても、薪をどんどん重ねてしまうから、せっかくの火が勢いを失ったりすることもあった。薪を井桁のように積み重ねる経験がないのだろう。私が子供の頃は、まだ風呂を薪でたいていて、風呂たきは私と弟の仕事だったから、ナタで薪を細かく割って、火にくべるのは得意だったが、今はガス湯沸かし器で風呂に直接お湯をためたりする時代だから、経験不足は仕方ない。
 野外炊事のメニューはたいていカレーライスか豚汁だった。失敗しても、何とか胃には流し込めるからだ。豚汁は比較的失敗が少ないが、カレーはスープになってしまう班も多かった。それでも、自分たちで作った食事を、みんなで一つテーブルを囲んで食べる楽しさは格別だ。たとえご飯がおこげになっていても、カレーがスープになっていても、自然の中で食べる食事は格別の味だった。
 夜は以前はテントが主流だったが、現在ではロッジスタイルも多くなった。興奮してなかなか眠りにつけず、いつまでも友達とおしゃべりをしていたり、何度もトイレに行っては先生に注意されたり、懐中電灯で隣のテントを脅かしに行ったりと、子供たちは精一杯野外での宿泊を楽しんでいるようだった。おかげで、見回りの私たちは朝方まで眠りにつくことができなかったが。寝不足もまたいい思い出だ。
 二日目は、たいてい登山が用意されていた。結構高い山に登ったこともある。坂道があまりに急で、両手を地面につきながら、はいずるようにして登ったこともある。途中で誰かがばててしまって、へたをするとおぶって登らなければならなかったり。しかし、山頂に到着したときの満足感は、何物にも代え難い感動だった。額の汗を拭いながら食べた昼食のおにぎりのおいしかったこと。疲れた足を引きずってキャンプ場に戻ってくると、また炊事の時間である。でも、2回目の炊事は手慣れたものだ。上手に火をつける知恵も付いているし、ご飯の蒸らし方にもすっかり慣れている。おいしい食事を済ますと、待ちに待ったキャンプファイヤーの時間がやって来る。最高の思い出の瞬間だ。
 ファイヤーの始め方にはいろいろあるが、薬品を使って自然発火させたり、空中に張った針金を伝って火の玉が飛んでくることもあった。2時間ほどの火の祭りはあっという間に終わってしまい、名残惜しい気持ちを抑えながら、残り火をしっかりと心に焼き付けて、テントに戻る。凝った学校では、ファイヤーの後、その火を分け合って小さな集団を作り、語り合う場を設けることもあるそうだ。なかなかロマンチックではないか。
 最後の夜は、登山ですっかり疲れていてぐっすり眠るかと思えば、やはり子供のエネルギーは無限だ。またもや寝不足の一夜となる。しかし、こんな大自然の中で、すぐに寝てしまうというのももったいない話ではある。
 そんなキャンプも、今では「野外活動」という名称に変わって、日程も1泊2日に短縮される場合が多くなった。実施の時期も夏休みから、平日に移っている。学校行事の規模はますます縮小化の方向に向かっている。一生の思い出作りの場が、今少しずつ姿を消そうとしている。

『難しい宗教問題』
 以前、私がインド洋のモルジブへ旅したとき、途中で立ち寄ったスリランカの人間に、日本人は宗教に縛られなくていいなあと言われたことがある。彼らは厳格なイスラム教徒だし、同じイスラム教でも宗派の違いから、政治的な争いにまで発展している国柄だ。それに比べて、日本では、正月の初詣とか七五三のお参りに神社へ出向き、結婚式は教会で挙げ、お葬式はお寺に頼むという変幻自在の宗教事情だ。実際には、宗教にあまり固執していないということなのだが。
 しかし、学校の教師をしていると、宗教的な問題で悩むことがある。例えば、エホバの証人は子供が学級委員のような目立った立場に就くことを嫌い、校歌は歌わせず、体育祭でも騎馬戦には参加させない。また、三年生の入試が近づくと、教室に鎌倉の絵柄天神(学問の神菅原道真を祀ったところ)のお札を貼りたくなるが、そういうものを嫌う宗教を信奉している子供がクラスにいたら困ってしまう。だから、十分に気をつけなければならない。私の学校では、体育祭や校内合唱コンクールの時に、担任がお守りを作ってあげたりするが、それも下手をすると大問題になりかねない。宗教の問題とは、それほど繊細なものなのだと思う。私は、今まで平気でお守り作りなどをしてきたが、本当は裏では、私の気持ちを気遣った親が妥協してくれていたのかも知れない。
 私の家は浄土真宗だが、昔は創価学会の勧誘にしつこく訪問されたそうだ。嫁である私の母の悪口を言って、何とか祖母を抱き込もうとするので、母はその相手と大喧嘩になったと話してくれた。今では、エホバの証人の人たちが盛んに玄関のインターホンを鳴らす。私がいるときには私が応対することにしている。「私は学校の教師をしていて宗教的には中立の立場でいなければならないので、残念ですが仲間入りすることはできないのです。ただ、雑誌には興味があるのでお持ちならどうぞ置いていってください。」と言って丁重に断ることにしている。実は、大学生の頃、私は下宿にやって来たエホバの証人の人と大喧嘩をしたことがあった。議論を始めてしまった私がいけないのだが、彼らは彼らなりに真剣に宗教活動に従事しているから、聖書の解釈も確固としていて、私がいくら反論しても、テープレコーダーのように同じ答えしか返ってこないのだ。若かった私は頭に来てしまって、こんな議論は無駄だと帰ってもらった。彼らはよく子供連れで訪問活動をするが、その理由を聞いたところ、それが子供の修行になるのだということだった。親に信教の自由が与えられているのと同様に、子供にも信教の自由があるのではないかと、私はそのことに対しても反論したことがあった。私も若かったのだ。教師になった今では、クラスにエホバの証人の子供がいることもあるので、一生懸命に理解しようと努力している。
 宗教問題も微妙だが、布教活動も難しい問題だと思う。もちろん、布教活動を否定するつもりはないのだが、自分の信じている宗教に興味を示さない相手を、頭から否定するような態度をとってはいけない。また、何とか仲間に引き入れようと熱心に勧誘するのも、時と場合と相手を選んで欲しい。かつて、昔の卒業生から電話がかかってきて、懐かしい昔話になり、すっかりいい気分になっていたら、小一時間も話した最後になって、宗教の勧誘の話になったことがある。私は、それまでの楽しい気持ちが急激に冷え切ってゆくのを感じた。「懐かしいですね。」と私に口裏を合わせていたのは、結局はそのためなのかと思うと、ものすごく残念な気持ちになったものだ。
 初めてインディアンの生活を見たヨーロッパ人たちは、アニミズムに似た信仰を持った彼らを野蛮人だと決めつけて、しきりにキリスト教の布教に努めた。「母なる大地に傷を付けたくない」と言って農耕を拒んだ彼らは、果たして本当にキリスト教徒より劣っていたのだろうか。宗教の問題は本当に難しいと思う。

『見ようとしなければ見えない』
 まだ私の家のハナ(雌の柴犬)が生きていた頃、私は朝早く起きて近くの田圃まで散歩に出かけたことがある。犬というのは何にでも好奇心を示すもので、まず真っ直ぐに歩くことがない。あちこち寄り道をしたがるから、ときどき綱を引っ張って無理矢理前進させなければならない。でも、いざ田圃のあぜ道を歩き始めると、今度は私が立ち止まってしまった。さすがにハナは我慢してじっと座っていてくれたが。 あぜ道を歩いていると、小さな植物がたくさん生えていることに気付く。私は小さくてきれいな花をつけた雑草につい見とれてしまって、ハナをずっと待たせることになったのだ。いつもは車で通勤しているから、春の桜の美しさぐらいにしか気付かなかったが、ハナと一緒に歩いていると、小さな自然の美しさにはっとさせられたりする。「見ようとしなければ見えないのだから・・・・」と歌ったのは、確かフォークシンガーのイルカだったろうか。
 作家の灰谷健次郎さんがある本の中でみな子ちゃんという小学生について書いている。みな子ちゃんは知恵遅れの子で、体育の授業で100メートル走をやっても、ゴールするまでに何十分もかかるのだ。みな子ちゃんは、走っている途中で、花を触ったり蝶を追いかけたりするものだから、寄り道が多くて時間がかかってしまう。近所の大人たちはそんなみな子ちゃんを見て、「あんなんで生きてて何が幸せなんや。」と言うけれど、灰谷さんは、果たして100メートルをあっという間に走り抜ける子たちの方が、何十分もかかるみな子ちゃんよりも幸せなのかと疑問を投げかけている。みな子ちゃんには、他の子には見えないものが見えるのだからと。
 今や何でもスピードの時代である。遅いより早いほうがいいという価値観が根強い。しかし、人生には往々にして、遠回りする方が近道するよりもいいということがあるのではないだろうか。現役で大学に合格するよりも、浪人生活を経験する方が、世の中を違った角度から見れるようになるということはないだろうか。早足で歩いていると見過ごしてしまうようなことも、ゆっくりと歩くと見えるということが、本当はたくさんあるのではないかと思う。
 私は学校の教師をしているが、朝の短学活から帰ってきて、ふと全員いたかどうか不安になることがある。具合の悪そうな子はいなかったろうか。悲しそうな表情の子はいなかったか。嬉しそうな顔をしている子は誰だったろう。10分間の学活の中で、いったい私は何を見ていたのだろう。早く学活を終わらせて、朝の打ち合わせに行かなければなどと時計を気にしているから、見えるものも見えなくなってしまうのだ。そのくせ、名札がついてなかったりするとすぐに注意をする。髪の毛が茶色っぽくなっているとすぐに気がつく。でも、もっと大切な子供たちの表情や心の中は、じっくり見ようとしなければ見えるわけがない。いじめで自殺をした子供が出たりすると、テレビのインタビューに答える校長先生は決まってこう言う。「いじめがあったという報告は受けていませんし、いじめられているようには見えませんでした。」これは私の短学活の理屈と同じである。いじめのような内面的な問題は、じっくり腰を据えて見ようとしていなければ、決して見えるものではない。 「灯台もと暗し」という言葉があるが、自分の身近で自分を支えてくれている人の有り難さも、人は見過ごしてしまいがちである。その人がいなくなって初めて気付いたときにはもう遅い。私たちは、見ているようでいて見ていないことがたくさんあるのだ。もしかしたら、多忙な生活に紛れて、大切なものも見失っているかも知れない。だから、たまには車を降りて、ゆっくり歩いてみることも必要だ。
 私は、先日久しぶりにゆっくりと庭を歩いてみた。いつの間にこんなにたくさんの花が咲いていたのだろう。自分の家の庭でさえ、気付いていないことがたくさんある。スピード化が進む現代にあって、私たちはたまにはゆっくり歩くことの大切さも忘れてはいけない。

『制服の自由化』
 現在、ほとんどの公立中学校・高等学校では基準服(普通は制服と呼んでいるが、基本的にはあくまでも基準となる服という規定になっている)を採用している。神奈川県内で、制服が自由化されているのはほんの数校だろう。例えば、大磯町立大磯中学校では十年以上も前に、数年間の猶予を持って制服の自由化に踏み切った。生徒会の生徒諸君の努力も大変だったようだ。制服の自由化は子供たちの自主性の尊重と平行して進行した。キャンプは現地集合とか修学旅行も京都に集合とか、校内のチャイムは廃止して、学校生活は常に自分の時計を見ながら動くとか、そういった改革である。これは、根付くまでが結構難しい。私の学校でも、「ノーチャイムデー」なるものが存在するが、いちいち時計を見ながら行動するのは大変面倒だ。チャイムがあった方が便利だと考えたのは、むしろ職員の方だったかも知れない。廊下に大時計があるわけでもなく、生徒が個人の腕時計を持ってくることも禁止だから、この「ノーチャイムデー」には少し無理がありそうだ。しかし、自主的に動くということはとても大切で、有名なパブロフの犬の条件反射の実験のように、チャイムの音に刺激されて教室に入るというのは、確かに自主性の育成には反することなのかも知れない。自主性が育たないと制服の自由化などもうまくは行かないだろう。大磯中学はそういった準備期間の苦労を、辛抱強く大切にして目標を達成したのに違いない。ただ、あるときたまたま乗ったタクシーの運転手さんが大磯中学の保護者で、制服の自由化についてはあまりいい感想を持っていないようだった。子供が朝着てゆく服を選ぶのに大変だと言うのだ。一般的には、制服が自由化されると、最初のうちはファッションにこだわって服を選ぶのに苦労するが、そのうち普段着で登校することに慣れてしまうと言われている。実情は違うのだろうか。
 私の学校はブレザータイプの基準服を使用しているが、市内の多くの学校はまだ男子生徒に学ランを着せている。学ランというのは、詰め襟の黒の(紺の場合もある)学生服である。私の中学時代もこれだったが、襟の内側につける白いカラーが首にこすれて痛かった。だから、ちょっと反抗的な生徒になると、ノーカラーで通したものだ。ただ、ブレザーと違って、学ランタイプの制服は変形が自由自在だ。「長ラン」「短ラン」「ぼんたん」「きんちゃく」などなど。わざわざ変形学生服を販売する業者もあって、私たちはそういった業者のボタンを覚えておかなければならなかった。なぜなら、変形学生服の業者は、限りなくノーマルに近い変形学生服まで販売していたからだ。一見すると、学校指定の基準服と区別が付かない。しかし、悲しいもので、こんな制服指導をしているうちに、だんだんとポケットの形や雰囲気から、変形かノーマルかの判断がつくようになってしまう。別にノーマルに近いのなら、変形学生服メーカーのズボンでも問題ないのではないかと何度思ったか知れない。それでも妥協を許さないのが教員の世界。あくまでも「基準服」なのだから、本当はメーカーにこだわるのは理屈に合っていない。それにしても、子供たちはいろいろと工夫してくれることくれること。これがだめならあれ、あれがだめならこれ。そんな感じのいたちごっこが続く。服装の問題でエネルギーを使い果たしてしまったら、本業の教育がなおざりになってしまうから、これは何とかしなければ。
 だから、私は制服は廃止していいと思う。幼稚園とか、小学校の低学年までは逆に制服があってもいいかも知れないが(「しつけ」の意味も込めて)、ある程度ものの判断ができるようになったら、私服を許すのが一番自然だろう。そうすればミニスカートだろうがルースソックスだろうが、腰パンだろうが自由にやればいい。服装の判断は個人と家庭がすればいいのだ。保護者は「着てゆく服を選ぶのが大変だ」と愚痴をこぼすかも知れないが、それは家庭の仕事。「いろんな服をねだられて困る」と苦情が出るかもしれないが、それも家庭のしつけ。だめ?

『茶髪とピアス』
 学校の教師をしていると、今なら必ずぶつかる問題が「茶髪」と「ピアス」である。子供たちは時代のファッションにとても敏感だから、すぐに自分も実行してみたくなる。好奇心旺盛な時代だから仕方ないと言えばそれまでだ。テレビのスイッチを入れれば、そこに登場するアイドルたちも茶髪にピアスのおしゃれをしている。彼らは生徒たちとほとんど同年代だから、芸能人に許されていることが、一般人に許されないのはおかしいと、子供たちは理屈をこねるかも知れない。理屈っぽいのが思春期なのだから仕方ない。スポーツ選手だって茶髪が多くなった。サッカーの選手もプロ野球の選手も茶髪大繁盛だ。私は考え方が古いから、スポーツ選手くらい黒髪のままでいて欲しいと思うが、時代の流れにあくまでも抵抗しようとは思わない。茶髪の水泳選手(これはプールの中の塩素で脱色されてしまうのかも知れないが)が、オリンピックでメダルを取る時代だ。
 茶髪の指導をしていると、本当に疲れ切ってしまう。茶髪で登校すれば、そのまま授業を受けさせておくわけにはいかないから、保健室や相談室に連れて行って、即席の毛染め剤で黒く染め直してから教室に戻す。毎日こんなことをしていたら疲れてしまうし、微妙な茶髪に関しては、そこまで強硬な手段を取ることもできないから、注意するにとどめる。しかし、今時の子供たちが、注意されたくらいで素直に髪を黒く染め直してくる場合は少ない。子供たちは、自分たちの行為に対して、職員がどんな対応をするかよく観察しているので、甘い対応はすなわちOKということになってしまう。顔を見るたびに茶髪の注意をするのも、教師にとっては精神的に大きなストレスだ。もっと実のある話をしたいではないか。
 だから、最近では喫煙室でこんな会話が交わされるようになった。今の学校は、ほとんどの職員室が禁煙で、喫煙希望者は特設会場に移動しなければならない。私の学校の場合は、職員室の向かいにある教材室が喫煙場所になっている。そこにはベンチが置かれていて、座ってゆっくり井戸端会議ができるのだ。冬場なら、簡易ストーブを囲んでストーブリーグとなる。「もう髪の毛の色を云々する時代は終わったんじゃないかな。」「そうですね、毎日こんなことを繰り返していたんじゃ、こっちも身が持たないし、だいたい髪の毛の色なんて家庭が管理すべき問題でしょう?」「小学校では比較的茶髪に寛大らしいし、高校ではもうほとんど見て見ぬ振り状態なんだから、間に挟まれた中学校だけが茶髪に厳格になるのも無理があるんだよね。」
「もういい加減、授業に集中したいよ。授業さえしっかり受けてくれれば、髪の毛が茶色くても問題ないんだから。」「でも、やっぱり茶髪は他のいろいろな問題行動の出発点なんじゃないですか?」「髪の毛が黒くたって、悪いことをするやつはするさ。」「ピアスなんかも、アメリカでは数を限定して許可しているみたいですよ。」「まあ、ここはアメリカじゃないから何とも言えないけど、小学校でピアスがまかり通っている現状を考えると、これからは段々指導が難しくなってくるね。」「ピアスの穴なんか、安全ピンで簡単に開けちゃうんですよね。そのうちばい菌でも入ったら、耳が腐っちゃうんじゃないですかね。」「僕は、娘がいたら可愛いピアスをさせてあげてもいいような感じがするなあ。」
 私たち教師も、こんなに迷いながら茶髪とピアスの指導に苦しんでいるのである。学校の先生は頭が固いなどと悪口を言われるが、とんでもない!私たちだって、世間並みの思考力と感受性は持っているのだ。ただ、時代の流れに乗ってしまってもいいのだが、茶髪やピアスが子供たちの心の変化と密接に結びついていることだけは確かで、信号機で言えば黄色の注意信号なのである。目的意識を失ったり、家庭が崩壊しかけていたりすると、子供たちの迷った心は茶髪やピアスのような形あるものになって表面に現れる。髪の毛を染め直したり、ピアスをはずさせたりすることより、心のケアが必要だ。

『総合学習』
 「総合学習」という言葉を聞いたことがあるだろうか。これは、数年前から文部省が学校教育に取り入れた新しい発想だ。それまでの教科中心の授業とは別に、教科の枠を取り払った総合的な学習の時間という意味だ。総合学習の形にはいろいろある。一つのトピックを決めて、それについての調査研究をする方法。そこには色々な教科の知識が必要になってくるから、教師はアドバイザーの役目をすればいい。また、実際に職場を体験して社会勉強をする方法もある。机の上だけの勉強から脱却しようという試みだ。その他にも、例えば「国際人」とか「環境保護」などと題した選択制の授業をいくつか用意して、生徒に選ばせる方法もある。そういう授業には、やはり様々な分野の知識か関わってくるから、普段の教室の授業で学んだ知識を大いに活用することができるというわけだ。
 私の学校では、職場体験学習を実施している。一年生は職業調べの学習をして、二学期の半ばに、市内にある汚水処理場やゴミ焼却場の見学をする。二年生は、実際にいろいろな職場で働かせてもらって、実地訓練を受ける。たった一日だけの実習だが、印象は強烈だ。三年生になると福祉関係の施設に実地訓練に行く。病院や老人介護施設や保育園までも。実際にぼけ老人の介護施設に行った子たちは、ものすごい衝撃を受けて帰ってくる。笑顔で帰校するのは保育園組だ。保母さんや保父さんになって幼い子供たちと昼寝まで一緒に体験してきた子たちは、思いっきり母性本能をくすぐられたらしい。看護学校で車いすの体験をしたり、アイマスク歩行を体験したグループもあった。
 学年別にいろいろなメニューを用意しているわけだが、年度末には講演会も実施する。一年生は、一人の講師の話を全員で聞くが、二・三年生はいくつかのコースに希望で別れて、少人数で講演を聴くシステムだ。講師にはいろいろな職業の人がいる。消防士・警察官・歯科医・イラストレーター・市長・議員・看護婦・保母・大学教授・エンジニアなどなど、交渉の成立した方たちに協力してもらっている。芸能人というのは今までなかったが、有名な芸能人が協力してくれたらそれもまた楽しいだろう。希望が殺到して、抽選しなければいけなくなりそうだが。講師たちは、大学教授など一部の職業の人を除いて、人前でしゃべることに不慣れな人たちが多いが、熱心に耳を傾ける中学生の純粋さにうたれて、一生懸命話をしてくれる。評判もなかなかである。
 しかし、まだまだ課題は多い。職場体験をするにしても、事前と事後の学習の時間が十分に設けられないことだ。事前調査を十分にしていれば、体験の意味も深さを増すだろうし、事後のまとめもじっくり時間をかけてレポート作成などができれば、学習の効果は倍増する。ところが、学校というところは、授業時数に限りがあり、週休二日制が完全実施されると、さらに授業のコマ数が不足してきて、他教科の授業を減らさなければならなくなる。そんな状況の中で、総合学習のための十分な時数を確保することは、ほとんど不可能と言っていい。文部文化省が思いきって大幅なカリキュラム改正をして、中学校で学ぶ教科の種類を限定しない限りは、この問題は解決できないのではないか。教科の合体というアイデアも必要になってくる。そして、学習内容を大幅に削減して、残された学習は高校教育に委ねるのである。中学校は本当に基礎的な知識を学ぶ場になるべきだろう。そして、学習の動機付けが成功すれば、高校での学習意欲も高まるに違いない。
 高度経済成長期の詰め込み教育はもう終わりを告げた。「ゆとりの教育」という言葉が教育界に登場してもうかなりの時間が経過しているが、実際には詰め込み教育の弊害は依然として残ったままだ。カリキュラムに無理がありすぎるのだ。新しい文部科学大臣の英断が期待される。時代は進み、経済の停滞と相まって、子供たちの学習意欲にも陰りが見える。人を育てる「教育」の改革は、国の将来を左右する。

『匂いの魔力』
 一時期、「アロマセラピー」という言葉がもてはやされたことがある。暖めたお湯の中に香油を入れて、部屋の中に匂いの粒子を飛散させる。心地よい匂いが、精神的なストレスを解消し、新しいエネルギーを生み出してくれるのだ。先日、あるデパートに買い物に行って、お香を買おうと思ったのだが、以前あった売り場がなくなっていた。店員に聞くと、アロマセラピーに対する熱が冷めたので、お香関係の商品は扱わなくなったとのことだった。私はブームに乗り損ねてしまったのだろうか。
 京都の街を歩くと、お香独特のいい匂いが漂ってくる。私はその匂いに魅せられて、清水焼のお香のお皿とお香のセットを買ってきた。家に帰ってさっそく焚いてみたが、京都の街をそのまま持って帰ってきたような、そんな錯覚に陥ってしまった。しばらくして、買ってきたお香がなくなってしまったので、近くのドラッグストアーで何種類かのお香を買ってきてみたが、どれもこれも京都のお香とは違っていて、がっかりしてしまった。ラベンダーにしてもローズにしても、何となく人工の匂いをかいでいる(実際人工の匂いではあるが)感じが強くて、あまり好きになれなかった。京扇子の匂いも独特だ。今月末に偶然にもまた京都に旅するチャンスがあるので、そのときは大量に仕入れてこようと思っている。
 私は整髪料は使わないタイプだが、ヘアートニックくらいならつけて出かける。資生堂のブラバスという銘柄で、学生時代から好んで使っていた。ところが、学校に行くと、女生徒たちが文句を言う。「先生、何か香水つけてるでしょう。臭いよ。おやじ臭い。」まったく失礼な話ではないか。「おやじ臭い」とは何事だ。資生堂のブラバスだぞ!しかし、よくよく考えてみると、これは私たちの世代に受ける匂いなのかも知れない。現代っ子はもっと何か南国風の甘い香りを好むようだ。今度は試しにココナッツの香りでも漂わせていって見ようか。そうしたら今度は「先生、臭いよ。サーファー臭い。」なんて言われてしまうだろうか。現代はどうやら無香性ないしは微香性の時代なのかも知れない。仕方がないので、私はトニックの銘柄を変えた。ちょっと値段が高いが、ポルトガル産のオレンジの香りのトニックとついでにオーデコロンだ。オレンジの香りなら、誰も文句は言わないに違いない。「フロリダ臭いよ。」とは言えないだろう。
 とにかく、匂いには不思議な力があることは確かだ。専門家の話によれば、レモンのような柑橘系の匂いは集中力を高め、バラの匂いは神経を高ぶらせるらしい。だから集中した仕事をしたいときにはバラの匂いは禁物だ。バラはデートの時に匂わせるのが一番いい。ラベンダーは、話題のα波(アルファー波)を誘い出すのに役立つとか。だから、ラベンダーの匂いをかいでいると心が安らぐらしい。私は、この原稿を書いている今、目の前でラベンダーのお香を焚いている。ローズもあるのだが、それを焚いたら話がまとまらなくなってしまうかも知れない。最近は、入浴剤もいろいろ出ているから、湯船に入れるなら匂いの効能を研究するといい。ゆったり落ち着くには、やはりラベンダーがいいのだろうか。私は桃の香りの濁り湯が好きなのだが。硫黄の匂いも大好きだが、釜を傷めるので我慢することにしている。
 あなたはどんな花の匂いが好きだろうか。好きな匂いは人それぞれだろうが、精神的な効能は抜きにして、好きな匂いをかぐとすがすがしい前向きな気持ちになれる。私はキンモクセイの匂いが大好きだ。あの匂いをかぐと、本当に幸せな気持ちになる。バラの花の甘酸っぱい香りも好きなので、もしプレゼントするような女性が現れたら、ぜひバラの花束を贈りたい。ココナッツの甘い匂いも大好きで、夏になるとココナッツの香りのサンオイルを塗ることにしている。
 私の職場は学校だから、匂いがあるとすればトイレの臭いくらいだが、市の予算が許すなら教室にはぜひα波を誘うようないい匂いを漂わせてあげたい。音楽室にはローズがいいかな。

『プロフェッショナル』
 
 大リーグのシアトル・マリナーズに移籍したイチロー選手の活躍ぶりが、毎日のように報道される。打率もいまだに3割6分を超えていて、連続安打記録も20にまでなった。野手の間を計ったように突き抜けるヒット。本当に天才的な野球選手なのだろう。誰もがイチローの活躍を期待したが、ここまでアメリカ中を沸かせるとは誰も思わなかったに違いない。イチローは俊足の持ち主でもあって、アウトになるはずの内野ゴロまでが安打になってしまう。守備もすばらしく、先日のゲームでセンターからサードに返球したボールは、ど真ん中のストライクだった。もちろん、サードに滑り込んだランナーはタッチアウトだ。これが、何十億円も稼ぐプロの技なのか。同じ日本人であることが、何だか誇らしく思えてきた。
 しかし、プロの技は何と言っても直に見るに限る。以前東京ドームに初めて行ったとき、プロの選手たちが扱うボールの球筋が、まるでドーム内に白い糸を引いているような感じがして感動した。まだ原選手が現役の頃で、彼の打ったヒットもすばらしく、打球は生き物のように左中間に飛んでいった。ホームランも何本か出たが、軽く打ったように見える打球が、こんなにも遠くに飛ぶなんて、実に不思議な気持ちだった。応援していたジャイアンツは負けてしまったが、実際に目の前でプロのプレーが見れただけでも幸せだったと思う。
 私は学校でソフトボール部の顧問をしているので、ソフトボールのプロの試合もよく見に行くのだが、彼女たちのプレーは、まさに芸術だ。シドニーオリンピックで銀メダルに輝いた女子ソフトボールのおかげで、ファーストピッチのソフトボールもだいぶ人気が出てきたようだが、それでも実際の試合のスタンドは満員になることがない。宣伝も少ないから、いつどこで試合をしているか知らない人も多いからだろう。シドニーで銀メダルをとった選手たちは、目の前で見ると本当にたくましい。もちろん、他の選手たちも決して全日本代表に劣ることはない。プレーそのものは、スピード感もあって、もしかしたらプロ野球よりも迫力があるかも知れない。技術的にも男性よりも正確さで上を行っている。ピッチャーの投げる球は、驚くほど速い。アメリカのエースピッチャーであるミッシェル・スミスの投球などは、とても人間業とは思えないスピードだ。私は、いくらお金をもらっても、彼女が投げるバッターボックスには立ちたくない。
 私は、何度か演劇を見に行ったことがある。劇団四季のものが多かったが、初めて見たときには感動のあまり心臓が破裂するかと思った。訓練を積んだプロというのは、こんなにもすごいものなのか。声は大きく響き渡るし、歌も驚くほど上手だ。舞台下で劇の進行に合わせて演奏しているオーケストラもすごいと思った。これだけの演技を見せてくれるなら、入場券の値段の高さも十分理解できる。『レ・ミゼラブル』もすばらしかった。小学生の時に初めて読んだ本が原作だったこともあって、私は食い入るように舞台を見つめていた。中学校の芸術鑑賞会で、若手の劇団が『ブンナよ木に登れ』を演じてくれたことがある。体育館に立派な舞台を作り上げてしまって、そこで見事な演技を披露してくれた。子供たちも、目の前でプロの演技を見ることができて幸せだったと思う。
 芸術鑑賞会と言えば、私が一番印象に残っているのは、『東京カンマコーワ』という合唱団だ。学校の希望に合わせて、いろんな曲を歌ってくれるそうだが、初めて耳にするプロの歌声は、私の心に深くしみ込んだ。中学校の合唱では定番になっている「流浪の民」や「山のいぶき」なども披露してくれたが、私はそのときに録音したテープを今でも大切に持っている。
 自分の技を披露してお金を取る人々を「プロ」と呼ぶが、最近はなかなかチャンスがなくてプロの技を直接見聞きしに行くことができないのが残念だ。プロの技は感動を呼び、観客に希望と勇気を与える。可能性をたくさん秘めた子供たちには、ぜひ直にプロの技を見せたい。

『人の死』
 つい先日、母の友人のお母さんが亡くなって、今日はそのお通夜だった。私は、お香典の会計を一手に引き受けることになって、まるで銀行員にでもなったように、次から次へと運ばれてくるお香典の中身を開けては、お札を数えるのに必死だった。私にとっては、初めての経験である。お通夜は民営の葬儀場を使ったが、私は恥ずかしいことに、お通夜の晩は家族が葬儀場に泊まり込むということすら知らなかった。大切な人の亡骸を、独りぼっちで葬儀場に置いておくわけにはいかない。だから「通夜」と呼ばれるのだ。ああ、何という無知。そして、会計をやっていて初めて知ったことがもう一つある。それは、葬儀にかかる費用は葬儀に参列してくれる人たちのお香典だけではとてもまかなえないということだ。たいてい、お通夜では立派な食事の場が設けられる。パーティー並みのその食事の費用だって馬鹿にはならないだろう。葬儀は大赤字の中で行われる。
 しかし、人の死とは悲しいものだ。「死」は誰にでも間違いなくやってくる運命なのだが、きのうまで生きていた人間が、今日からは口も開かなくなる。笑顔も見られなければ、声を聞くこともできない。知人や肉親の悲しみは、誰にもどうすることもできない。だから、精一杯お通夜の晩だけはにぎやかにしてあげたい。大勢の人が集まってくれれば、それだけでいい。悲しみは、みんなで分け合えば、少しは小さくなってくれるかも知れない。周囲の人間にできることは、それくらいのことだろう。そして、肉親の死を素直に受け入れられるようになるまでは、暖かく見守ってあげたい。「死」の悲しみを乗り越えるのには、時間がかかるものだ。
 私は子供の頃、よく親がいつかは死んでしまうと考えて、訳もなく悲しくなることがよくあった。たいていは、寝ようとして布団に入ったときで、やがて来るはずの親の死を思うと、涙がぽろぽろこぼれてくるのだ。どうしてそんなことを考えたのか、私自身よく分からない。とにかく「死」というものは、子供の私にとってはこの世で最も恐ろしいものだったのだ。それまで生きていた人間が「無」になってしまうと考えるだけで、ぞっとした。そして、自分が死んだらいったいどうなるのだろうと、なぜか「死」についてよく考えたものだ。死んだら何も感じなくなってしまうのだろうか。死んだらそれまでの考えはどこへ消えてしまうのか。死んだら真っ暗闇になってしまうのか。「死」に対する疑問は、次から次へと浮かんできては私を悩ませたものだ。小学校時代に祖母の死を経験していたからだろうか。私をかわいがってくれた祖母が、焼き場で焼かれて小さな骨になってしまった。その骨を箸でつまんだ瞬間に、そのあまりの軽さに悲しみが吹き出した。「死」=「無」という考えは、そのときに私の心の中に焼き付いたのかも知れない。
 年齢を重ねて、知恵もついた今、特別に宗教教育を受けたわけではないが、私の「死」に対する考え方は大きく変わっている。「死」は「無」ではなく、新しい世界への旅立ちだと考えるようになったのだ。肉体は滅びても、決して魂が滅びてしまうことはないと固く信じている。そのせいか、「死」に対する恐怖感も大幅に小さくなった。もちろん、実際に肉親の「死」に接すれば、大きな悲しみを抱くことには変わりはないと思うが。
 生命とは実に不思議なものである。生命は海から誕生し、子供は女性の体内の「海」から誕生する。妊娠した女性の子宮の中の「羊水」は、海水の成分とほとんど同じらしい。そんな神秘的な事実があるのだから、「死」もまた神秘的であっておかしくない。この広大な宇宙に神や仏が存在するかどうかは知らないが、少なくとも生命に関しては、超自然的な偉大な力が存在することは確かだと思う。人間の体の仕組みひとつをとっても、偶然にこんな高度なシステムが完成したとはとても考えにくい。
 「死」は悲しいが、それは未知の世界への旅立ちかも知れない。魂が永遠であることを祈る。

『学力と生きる力』
 あるテレビ局の報道番組で、来年度から新しく始まる「ゆとりの教育」についての対談を行っていた。「ゆとりの教育はいいけれど、学力が低下するという心配はありませんか。」というキャスターの投げかけに、相手の教育評論家は、「確かに学力は低下するでしょうね。現在でも世界的に見て日本の子供たちの学力は落ちてきていますから、文部省は問題ないと言っているけれど、大問題じゃないですか。今まで中学校で習っていたことは、高校になってから学習するようになり、高校の勉強は大学でやるわけですよ。大学ではやらなければならないことは山ほどもあるわけだから、そこに高校の学習が加わるとなると、大変でしょうね。」
 私は、その対談を聞いていて、「学力」とはいったい何だろうと考えてみた。学力とは、学習によって蓄積した「知識」のことを言うのだろうか。それとも、学習する「能力」のことを言うのだろうか。私は、後者が正しいと思う。今までの教育は知識偏重だった。とにかく知識を詰め込んで、その量の多さを「学力」と呼んでいたのだろう。そういう意味では、「ゆとりの教育」は確かに学力の低下を招く。しかし、学習する方法や姿勢を身につけることが学力ならば、「ゆとりの教育」は学力を低下させるとは限らないではないか。本当の意味での学力は、学校を卒業した後の長い人生で、自分から進んで学習する能力の基礎となるべきだし、しっかりした判断力や価値観を養うことで、やがては「生きる力」につながるものでなければならないだろう。
 鎌倉幕府が何年に開かれたかとか、日本に鉄砲を伝えたのは誰かとか、そんな知識の断片を頭に詰め込むよりも、どんな理由で時代が変化してきたのかを学習する方がよほど大切だと思う。そのためには、詰め込む知識の量を減らして、「なぜ」を教える教育に徹することは非常に意味があるのではないか。また、音楽や美術の授業を通じて豊かな感性を育てることが、「心の教育」につながるにもかかわらず、学力の低下を心配して主要5教科(国語・社会・数学・理科・英語)の授業時数を確保するために、音楽や美術の授業は減らされる運命にある。体育や技術家庭の授業も、本来の「生きる力」に直接つながるはずだ。
 そもそも、いくら教科書にたくさんの内容を詰め込もうと、それを全て子供たちに教え込むことはできない。昔、ある先生が言っていた。「教育とは、全てを教え込むことではなくて、学習する意欲を育てることだ。」極端な言い方をすれば、教科書を全て教えなくても、その一部分を使って学習する楽しさを知れば、子供たちは自分から残りの部分を学習しようとするだろう、という理屈だ。無理矢理詰め込まれた知識はやがては消えてゆくが、自分から学習して得た知識は血となり肉となる。だから、教科書の内容を精選することに躊躇はいらないし、授業時数の確保に神経質になりすぎる必要もないのだと思う。それとも、日本の教育はまだ少数のエリート育成を目標にしたいのか。
 現代の高度に発展した世の中を支えてゆくには、高度な知識と技能を持った学者やエンジニアの育成も無視することはできない。それならば、思いきって中学校教育から選択制度を導入してはどうか。基本的な学習で強い興味や関心を抱いた生徒は、より高度な学習のできる授業を選択できるようにする。そして、高校もより専門化して、得意な分野の学習をさらに進めることができるようにすれば、今までよりもはるかに大きな効果が得られるのではないだろうか。中には、一般教養を身につけたい生徒のための普通高校があってもいい。少なくとも、現状では、いくら高い高校進学率を誇っていても、高校で学習する意欲がほとんどないのだから、税金の無駄遣いである。
 知識偏重の教育が、子供たちの心をゆがめ、恐ろしい怪物さえ作り出してしまった。若くして人生を悟ったかのように開き直り、平気で犯罪に手を染め、前向きに生きる姿勢をなくした子たち。教育はいま改革を必要としている。

『別世界』
 先日、国税庁が二〇〇〇年分の確定申告で、所得税が一千万円を超えた「高額納税者」を公表した。トップは元大塚製薬グループ相談役で故人の大塚正士氏で、納税額は何と41億円を超える。二位はインターネット上で商店街を開いた「楽天」の三木谷浩史社長で、納税額は19億円近い。政界のトップは自民党の笹川尭衆院議員で約1億5千万円。俳優・タレント部門では「とんねるず」の石橋貴明が約2億8千万円でトップ。同じ「とんねるず」の相方である木梨憲武は約2億1千万円で2位につけている。作家部門のトップは西村京太郎で約1億5千万円。歌手では、「B’z」の稲葉浩志と松本孝弘が共に約2億8千万円でトップに位置する他、人気女性歌手の浜崎あゆみや宇多田ヒカルも2億円を突破した。プロスポーツ選手では現在シアトル・マリナーズのイチロー選手が約1億9千万円でトップ。2位・3位に松坂選手、松井選手と続く。ああ、うらやましい。
 私たち教師などは、年収すら1千万円を超えることはない。それでも、一般のサラリーマンの中では恵まれている方で、わずかな収入で貧しい生活を送っている人たちは、この狭い日本だけでもごまんといる。血眼になって働くよりも、歌手やタレントになって芸能活動とCM出演でお金を稼いだ方が、よほど能率がいい。もちろん、有名になるまではそれなりの苦労はあるのだろうが、苦労なんて多かれ少なかれみんなしているのだ。子供たちが芸能人にあこがれるのは、まさか高額納税者になるためではないだろうが、この驚くべき収入を知ってしまうと、「やめた方がいいんじゃないの。」などと気軽に否定的な意見を述べるわけにはいかなくなってくる。私は、新築した家のローンも抱えているし、車の借金もまだ残っているから、何とかまとまったお金が手に入らないかと、去年の暮れには年末ジャンボ宝くじを6万円分も買ってしまった。しかしながら、大金をはたいて買った大きな夢は夢のまま終わってしまった。
 それにしても、日本の貧富の差はこんなにも大きいのか。一攫千金を夢見て、サッカーくじのTOTOやナンバーくじなどに挑戦する気持ちは、非常によく分かる。自由主義の社会なので、個人の所得を国が調整する訳にはいかないが、もう少し何とかならないものなのか。あちこちのサラ金に手を出して借金地獄に陥り、挙げ句の果ては自己破産したり、強盗を働いたりする人もいる。わずかなお金を奪うために、殺人まで犯す馬鹿者もいる。何もしないでいて楽にお金が手に入る世の中にして欲しいとは思わないが、せめて年収が二倍ぐらいになってくれたら、どれほど助かることか。
 そんなことばかり考えているからか、私はよく埋蔵金を掘り当てたり金脈を発見したりする夢を見る。ときどき、昼間にぼーっとしながら、庭から小判でも出てこないかなと、夢のようなことを考えていたりする。宝くじを買ったときも、一等があたったらどうするか、細かい計画まで立てていた。まさに「捕らぬ狸の皮算用」である。「そんなに買ってきたって、当たるわけないでしょ。当たる人は一枚買っても当たっちゃうのよ。」なんて大量に宝くじを買い込んできた私を批判していた私の母も、実は宝くじを買っていた。やはり親子である。しかし、徳川の埋蔵金は本当に現実味のない夢だとしても、宝くじなら当たらないとは限らないから、私はしつこくサマージャンボに挑戦するのだ。あっ、そうそう、ラスベガスで大儲けという手もある。実際にそれで莫大な金額を手にした人がいるではないか。しかし、賭け事は当てにならない。私は以前よくパチンコをしたが、勝っているつもりでも、結局はトータルでマイナスになるのが落ちだ。ましてや、競馬や競輪は怖くて手が出せない。こんなことを考えている私は、「一攫千金症候群」という名の病であろうか。
 やはり、確実なのは五百円玉を瓶の中に貯めてゆくことだろう。地道に働いて、確実な収入を得ることが、庶民の幸せなのだ。○億円なんていうのは、全く別世界のお話である。 

『職場の連繋プレー』
 前任校でまだ卓球部の顧問をしていた頃、私はよくへとへとになって夜の職員室に戻ってきた。部活が終わるのは6時30分で、一週間に一度だけは、その後さらに地域のコーチを招いて7時30分過ぎまで練習していたから、職員室に戻ってくるのは、ずいぶん遅かった。その上、その当時は学校がまだ落ち着いていなかったので、夜間に家庭訪問をするようなときもあって、そんなときには「先に帰ってていいからね。」と、職員室に残っている先生たちに言い置いて出かけたものだ。しかし、疲れ切って戻ってきた職員室にはいつも必ず電気がついていた。もう、とっくに夜の10時近くになっているというのに、私の帰りをわざわざ待っていてくれたのだ。「ごめんね。わざわざ待っててくれたんだ。悪いね。」「いや別にそういう訳じゃなくてさ、仕事が残ってたから。」嘘に決まっている。しかも、残ってくれていた先生たちのうちの数名は、これから小田原まで帰らなければならない。私は、嬉しい気持ちになると同時に、とても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 中学校というのは、必ずこういう職場の雰囲気になるわけではない。現に、同じ学年の先生がクラスの子の家庭訪問に出かけていても、帰りを待っている先生がほとんどいない職場だってある。仲間が家庭訪問に出かけている事実すら知らない人もいれば、知っていて敢えて帰宅してしまう人もいる。学校という職場は、必ずしも温かいところではない。そして、職員のチームワークのなさは、必ず何らかの形で生徒に反映してしまう。私の前任校は市内でも有数の荒廃校だったので、みんなが力を合わせようという雰囲気が、自然とできあがっていたのだと思う。もちろん、個人の人柄もあるだろうけれど。自分のために気を遣ってくれる仲間がいれば、自分も仲間のために何かしようと、張り切った気持ちになれる。そんな好循環が、私の前任校を支えていた。そして、教師仲間の仲の良さは、子供たちの大きな安心感となり、学校は徐々に立ち直ってゆく。夫婦の仲が良ければ、子供が順調に育つのと同じだろうか。
 職員間の連繋プレーは至る所に発揮される。自分のクラスで作った資料で使えそうなものは、他のクラスの分まで用意していつでも他の担任が利用できるようにするとか、他クラスの窮状を知った仲間が、授業の時に気軽な雑談のような雰囲気の中で、しっかり担任をフォローするような話をするとか、そういうことは決して計画的に行われるわけではないのだが、そんな職場仲間のフォローで助かったことは、数知れない。こうして、職場の中には「友情」に似た感情が育まれてゆくのだ。
 職員の仲がいいと、例えば試験前の放課後など、体育館やテニスコートを使ってレクリエーションの時間を作ることもできる。チームワークのない職場だと、いくら呼びかけても人数が集まらないが、私の前任校はあっという間に職員が集まってきた。また、誰かが悩みを抱えていれば、お互いに声を掛け合って飲み屋に出かけることもしばしばだった。最近では、私生活を大切にする傾向が強くて、なかなか飲み会などを企画することができない。職場ではこぼせないような愚痴が、ほろ酔い気分の口からはこぼれやすくなり、それがストレスの解消となって翌日のエネルギーになる。
 私は現在療養休暇で学校に出ていないが、私の留守中のソフトボール部は、野球部の先生が面倒見てくれている。今年は陸上部の先生が転勤になってしまったこともあって、彼は陸上部の面倒も見ているのだ。彼自身は硬式野球の出身で、研究熱心な彼はソフトボール部の娘たちに、コンピューターを使って動体視力の検査をしてくれたそうだ。動体視力の訓練は打撃力の向上につながる。また、休日の練習試合まで組んでもらってしまって、本当に頭が下がる。
 現在私の勤めている学校は徐々に荒れた雰囲気になりつつある。まだ、職員室の中の連繋プレーが上手にできていないのだろうか。共に苦労を分かち合う姿勢が、今求められている。

『親子』
 親子連れでにぎわう休日の遊園地。いったい親子とは何だろう。子供が生まれて、一緒に暮らせば親子になるのか。それとも、血のつながりがあっても、一緒に暮らしていても、本当の意味で親子とは言えない関係もあるのか。
 私の母は養子に出されて義母夫婦に育てられた。母にとっては、本当の親はあくまでも義母であって実母ではなかったらしい。私の知人にも、義父母に育てられた女性がいるが、彼女にとっても本当の親は義父母である。そう考えると、親子の関係は、血のつながりとは全く関係ないものだということが分かる。
 アメリカでは養子縁組の制度が充実していて、子宝に恵まれなかった義父母に育てられる子が多いらしい。日本でも、状況は同じなのだろうか。義理の親子の関係は、片方の親が子供を連れて再婚した場合にも発生する。そういうケースなら最近は非常に多いかも知れない。子供の年齢が高い場合には、血のつながりのない親は、予想外の苦労を強いられることになるかも知れないが。
 先日、あるテレビ番組に某俳優夫婦が出演していた。子供は三人いるが、一番上の子は奥さんの連れ子である。彼女は、自分が父親と血縁関係にないことで、ずいぶん悩んだらしい。そして、番組の中で彼女が自分の気持ちを正直に綴った、父親宛の手紙が公開された。「私は中学生の頃、血のつながりのないお父さんにずいぶん反抗した。でも、あるときお父さんは私のことを本気で怒ってくれて、私をひっぱたいてくれた。そのとき、私はお父さんが私のことを本当に愛してくれていることがわかって、嬉しかった。お父さん、これからも元気でいてね。」そんな内容の手紙だったと思う。その手紙の内容を読んで、父親よりも母親の方が目頭を熱くしていたようだった。実の娘にそこまで言わせるほど、父親は一生懸命に子供を愛してくれたんだと、改めて痛感したのだろう。血のつながった父親でも、娘からこんなに素直な言葉をもらえる人は少ないと思う。血縁関係はなくても、彼と娘は本当の親子なのだ。
 最近は、自分で産み落とした子供すら愛せない人が増えている。「親が増えている」という言い方をしなかったのは、子供を愛せない人は
「親」とは呼べないと思うからだ。子供がいるから自由な生活ができないという信じられない理由で、我が子を捨て去る人。育児ノイローゼは辛いだろうが、なかなか泣き止まないからといって、我が子を虐待する人。朝起きるのが面倒だからといって、子供の弁当を作らない人。仕事が忙しいからといって、我が子の夕食はコンビニの弁当で済ましてしまう人。子供の服が汚れていても、少しも気にせず、自分は家事を投げ出してテレビの昼メロに夢中になっている人。言うことを聞かないからと言って、我が子の命を平気で奪う人。そういう人たちを「親」と呼べるだろうか。親には親としての責任がある。その責任を放棄する人間は、「親」である資格がないのだ。形ばかりの「親子」・・・・。
 私は19年間の教師生活の中で、いろいろな親を見てきた。そして、どうしようもない親のために大変な苦労を強いられている子供もたくさん見てきた。子供を授かるというだけでも有り難いことなのに、その子供を心の底から愛せない人々に、私は強い憤りを感じる。「これなら自分が親代わりになって育てた方がよっぽどましだ!」何度そう叫びたくなったことか。しかし、子供は親を選ぶことはできないし、他人の私が親子関係に余計な口出しをすることも慎まなければならない。
 私は前妻とは離婚してしまっていて、自分の子供を持った経験がない。だから、自分の受け持つクラスの子供たちや、顧問をしているソフトボール部の娘たちを、自分の子供のように思って頑張ってきた。でも、いくら一生懸命子供を愛すことができても、私は所詮は他人である。他人の私ができることを、本当の親ができない訳はない。「親子関係」は愛情で成立する。たっぷりの愛情さえあれば、「親」になれる。

『料理は楽し』
 料理と言えば、私は学生時代に腹を抱えて笑いたくなるような、大失敗をした。私の学生時代は、一人暮らしの下宿生活だったのだが、
たまに気が向くと自分で買い物に出かけて、料理をこしらえた。ある日、おでんを作ろうというので、もうありとあらゆる具を用意して、張り切って料理に取りかかったのだ。よく言われるように、買い物というのはお腹がすいているときにするものではない。私は、一人前をはるかに上回る量の具を用意してしまった上に、それを鍋いっぱいに詰め込んだ。まさか、おでんが煮込まれてあんなに膨れるものだとも思わずに。時間がたつに連れて、鍋からあふれ出しそうになるおでんの具に、私は大慌てでもう一つ別の鍋を用意して、半分をそちらに引っ越させたのだった。それにしても、鍋二つ分のおでんを、いったい誰が食べるというのか。料理とは不思議なもので、作っているうちに半分くらいはお腹がいっぱいになってしまう。屋台が開けそうなくらい大量のおでんを目の前にして途方に暮れた私は、隣の部屋の友達を巻き込むことにした。彼が助かったのかどうかは知らない。少なくとも、私は助かったが。
 私は今でもたまに自分で料理をすることがあるが、料理をしていて一番楽しいのは塩こしょうをふるときだ。誰が発見したのか知らないが、塩とこしょうは人類の宝だと思う。どんな食材もあっという間に味付けしてしまう。特に、料理をする前の下ごしらえで、肉に塩こしょうするときの快感といったらない。肉に生命を与える瞬間である。そして、それが網やフライパンの上で焼かれるときの香ばしい香り。最高の幸せの瞬間だ。私はよく醤油味やケチャップ味のチャーハンを作るが、そのときにも塩こしょうをたっぷりする。ニンニクも大好きなので、粉末のニンニクまでたっぷり使うと、出来上がったチャーハンは、もはや中華の域を脱して、メキシカンになっているのだ。その辛さがまた何とも言えない。これでもかと言うくらい大量に胃袋に収まってしまう。
 私の自慢は、フランス料理が作れることだ。正直言って、まったく私の顔に合わないくらいおいしい。まずは、タマネギのみじん切りとシメジをバターでソテーする。タマネギがきつね色になったら、そこへたっぷりと生クリームを注いで、沸騰するまで一生懸命かき回す。この、かき回す作業をさぼると鍋の底が焦げ付いてしまうから注意してもらいたい。あれま、私はいつの間にかお料理講座をやっている。まあ、気にしないで先に進もう。クリームソースが沸騰したらすぐ火を止めて(あれ?弱火にするんだっけか?まあ、細かいことは気にしない。)、レモン汁を垂らすのだ。これがいわゆる「隠し味」になるのだから忘れてはいけない。先にクリームソースの説明をしてしまったが、主役は鶏肉のささみである。ささみにはあらかじめ塩こしょうしておいて、フライパンの上にバターを敷いてソテーする。ちょっと焦げ目が付くくらいがおいしくていい。焼き上がったら、お皿に盛ってあらかじめ作っておいたクリームソースをかけるのだ。名付けて、「鶏肉のささみのクリームソースがけ」とでもしておこう。クリームソースの中に、グリーンピースやにんじんのみじん切りを入れてもいい。健康に良さそうではないか。私は、ときどき生クリームとホワイトソースを間違って買ってきてしまう。ホワイトソースを使うと、障子貼りののりのようになってしまうので要注意。簡単にできて、味は絶対に保証する。・・・・なんて自慢しているが、これはずっと昔にテレビの料理番組で覚えたのだ。試しに、ソフトボール部の部員に作って食べさせたが、なかなかの好評だった。
 料理とはかくも楽しいものなのだ。でも、これを毎日やるとなると大変だ。だから、主婦は偉いと思う。私はたまに趣味でやるから、楽しいなどとのんきなことを言っていられるのだろう。料理をしていて、最高の幸せを感じるのは、食べてくれた人が「おいしい!」の一言を口にしてくれた瞬間だ。シェフ気分になれて最高だ。

『煙害』
 私が初めてたばこを口にしたのは中学生の時だった。なんて書いたら驚いてしまうかも知れないが、テーブルの上の灰皿に置かれていた吸いかけのたばこにマッチで火をつけて吸ってみたのだ。全くの好奇心からで、そのあまりのまずさにそれ以後は全く手をつけなかった。
 少しまとめて吸ったのは、大学生の時。付き合っていた彼女を先輩に奪われた腹いせに、ばかばか吸った。でも、それは一時的なもので、学生時代のほとんどは、たばことは縁のない健全な生活だった。
 私が本格的に喫煙を始めたのは、教師になってからだ。きっとイライラすることが多かったからだろう。途中で3ヶ月ほど禁煙したことがあったが、そのときは体重が10キロも増えてしまって、とんだ災難だった。だからというわけではないが、それ以後現在に至るまで私の喫煙は続いている。
 たばこが体に良くないのは百も承知なのだが、なかなかやめられないのがこの習慣。食事の後などは、必ず一服する。それがまたうまいのだ。しかし、「百害あって一利なし」のたばこは、確実に体を蝕んでゆく。たばこを吸うと、血管が収縮し、体の隅々まで血液が行き届かなくなる。脳の毛細血管にも血が行かなくなるから、ぼうっとした感じになるのだ。血糖値は上がるし、肺は真っ黒になるし、本当に今すぐにでも禁煙した方が良さそうだ。
 パチンコ屋さんに行ったことがある人はよく分かると思うが、たばこの煙が充満した部屋ほど気持ちの悪いものはない。喫煙家の私でさえ、あの空気の悪さには閉口する。だいたい、喫煙家とは自分勝手なもので、自分の吐き出す煙には無頓着なくせに、他人のたばこの煙にはやけに神経質になる。私は、自分の車の中では絶対にたばこを吸わないようにしている。まず第一ににおいがこびりついてしまうからだ。喫煙しない人がそんな車に乗ったら、一発で車酔いしてしまう。そして第二に、運転はきれいな空気の中でしていたい。
 最近はどこの職場も禁煙になりつつあるのではないだろうか。妊娠中の女性がいたりすると大変な迷惑だし、副流煙の害が問題になったのもずいぶん昔のことだ。それ以来、職場での喫煙は場所を制限されることが多くなった。私の職場でも、職員室内はもちろん禁煙。喫煙は廊下を挟んで反対側の教材室でするように決められている。そこは校舎の北側なので、冬場は寒い思いを我慢しながらの喫煙タイムとなる。「ここまでして吸うことはないかなあ・・・・」と何度も禁煙を考えたが、なかなか成功しなかった。「先生、たばこは体に悪いんだから、やめなくちゃだめだよ。」と優しく気遣ってくれる生徒に対して、不届きな私は、「若くて可愛い女性でも現れて、『私のためにたばこをやめて』と言われたら、その場でやめるさ。」なんてはぐらかしている。でも、本当はできるだけ早く禁煙したい。たばこをやめれば、食事はうまくなるし、朝の寝起きも良くなる。グランドを走っても息切れしなくなるし、いらいらすることもかえって少なくなるかも知れない。 
 仕事の合間にたばこを吸うと、いい気分転換になって、仕事の能率が上がると考えるのは間違っているそうだ。本当に気分転換をしたかったら、外に出て散歩でもするのが一番いい。最近では、たばこに含まれるニコチンの量が少ない方がいいということで、新種のたばこが続々登場するが、ニコチンの量を気にして軽いたばこを吸うくらいなら、いっそやめてしまったほうがいいではないか。
 私の弟は建築会社に勤務しているが、彼の職場は禁煙ではないそうだ。おかげで、たばこなどとは全く縁のない弟の肺の中は、真っ黒だと医者に言われたとか。それはあまりにもひどい話だと思う。たばこを吸う自由があるのと同じように、たばこの煙を吸わない自由もある。不便かも知れないが、どうしてもたばこをやめられない人間は、やはり場所を選ぶべきだろう。かく言う私は、いつになったら禁煙できるかな。

『営業』
 「営業スマイル」という言葉があるが、心で泣いていても顔で笑っていなければならない「営業」という仕事は、本当に大変だ。私は教師だから、営業という仕事とはほど遠いが、ときどき親の文句に笑顔で対応していたりするとき、営業マンの気持ちになっていることがある。そんなときは、「教師も営業職になったかな・・・・」などと独り言を言っている。
 学生時代の友人に、学校を中退して製薬会社の営業マンになったやつがいる。彼は、基本的に人間づきあいが下手だったから、自分に最も不適な仕事を選んでしまったことになる。小さな製薬会社だったので、病院回りをしても、門前払いを食らったり、塩をまかれたりしたそうだ。それでも、彼は「ありがとうございました」の決まり文句を言って笑顔で退散する。たまに会った彼の髪の毛は、次第に薄くなって行くようだった。自分でもそのことを気にしていて、てっぺんが薄くはげ上がった頭を私に見せては、「ほら見てくれよ。もう精神的なストレスでこんなになっちゃった。」私は、何と言って慰めていいのか分からなかった。 
 営業はこの世で最も大変な仕事の一つかも知れない。相手に何を言われても我慢しなければならないし、かといっていつも弱気の姿勢でいたら商売にならないし、ノルマはのしかかってくるしで、ストレスはたまる一方だろう。中には、営業職が天職のような人間もいて、巧みな会話術で着実に実績を上げてゆく類の者もいる。まさに「営業スマイル」のプロだ。世の中とは不思議なもので、実績の上がった人間は次々と成功を収め続け、反対に実績の上がらない人間は、どん底に落ちてゆく。公園のベンチにひとり寂しく腰掛け、ため息をついている営業マンの姿が目に浮かぶようだ。
 私の知人に保険の外交員をしている女性がいるが、やはり彼女の場合もノルマに追いつかなくて、大変なストレスを抱え、学生時代の友人と同じように、髪の毛が抜けてしまった。それなら仕事を変えればいいと思うのだが、この不景気な世の中で、自分にあった仕事を自由に選べるほどの余裕はない。抜けてゆく髪の毛と闘いながら、日々悪戦苦闘を続けるしかないのだ。何とかしてあげたくても、まさか私がいくつもの保険に入るわけにもいかない。
 血液型で性格を判断するのが流行っているが、私もその性格判断は50%以上の確率で的を得ていると思う。几帳面で小さなことを気にしてしまうA型の人は、営業には向いていないだろう。人から何を言われても、気にしないタイプでなければ、髪の毛は薄くなる一方だ。だから、営業にはB型かO型の人が向いていると思う。特に、世界が自分を中心に回っていると思いがちなB型は、営業にぴったりだ。「売れないのは、客が悪いんだ」くらいに思わないと、とてもじゃないが営業は勤まらない。私はA型だから、営業をやったりしたら、まず間違いなくアデランスのお世話にならなければならないだろう。今はこんなに髪の毛がふさふさなのに。
 しかし、そんなに厳しい営業の世界も、何とか実績が上がっているのは、顧客にもきっぱりと断り切れないタイプの人が多いからかも知れない。私は、純真な学生時代、偽物の消防署員(姿格好から私が勝手にそう思いこんだ)から、高い消火器を買わされてしまった。美人の女性から英語の百科事典を買わされたこともある。百科事典の方は今でも十分役に立っているから問題はないが、消火器は悔しかった。私は、復讐を思いつき、ある英会話教材販売の営業マンと、下宿近くの喫茶店で落ち合い、しっかり説明を聞いた後で、その人に英語で書かれた推薦文を目の前で声に出して読んでみてくれとせがんだ。彼は困惑した。彼自身は、そんな英会話教材の恩恵には当然預かっていなかったのだろうから。私は困り果てた彼の表情に得意満面だった。「そんな教材別に必要ありません。」私の一言に切れた彼は、コーヒーの請求書を持ってさっさと退散してしまった。こんな根性の悪いお客もいるんだから、営業は本当に大変だ。

『セクハラ』
 すっかり時代語となってしまったセクハラ。英語のセクシュアル・ハラスメントの短縮形だ。日本語に訳せば、「性的な嫌がらせ」ということになるのだろうか。女性の髪の毛に触れたり、お尻を触ったり、女性の前でわざと卑猥な話をしたり、セクハラの範囲はとてつもなく広い。
 中学校でも、ちょっと女生徒の肩に手を触れたりでもしたら、すぐに「やだ、セクハラだ!」なんて言われてしまう。元気づけるのに肩をぽんとたたくのが、何でセクハラなんだよ!ただ、中学生の場合にはセクハラという言葉をただ面白くて使っているだけのようだ。
 それにしても、会社などでの深刻なセクハラは別として、世の中の女性の服装の露出度がこれだけ大きくなって、セクハラが問題になるというのも、実に妙な感じがする。自分たちの方から、誘っておいて、男性がそれに乗って思わず女性に近づいたりしてしまうと、すぐにセクハラ呼ばわりされる。最近の女子高生の姿を見たことがあるだろうか。超ミニのスカートで平気で自転車をこいでいる。あれじゃあ、パンツが見えてしまうじゃないかと心配すれば、中には短いジャージをはいていたりする。以前、修学旅行で清水寺に行ったとき、門前の階段の下に女子高生が座っていた。地べたに座っていたのだ。それも両足を大きく広げて。もちろんパンツは丸見えである。後で聞いた話では、人に見られても平気なパンツが特別に売られているそうだ。どんなパンツにしても、スカートの中身を平気で他人に見せるなんて、異常としか言いようがない。こういうのは、男性に対するセクハラなんじゃないだろうか。人呼んで「逆セク」である。通勤の女性がまさかスカートの下にジャージをはいているわけはないから、あんなミニスカートで駅の階段を上がっていれば、下から見たら大変な光景が目に飛び込んでくるのは避けられない。たまたま見とれてしまった男性は、セクハラと言われてしまうのか。ああ、無情!
 こんな時代の中で、セクハラというなじみの言葉も、だんだんと意味合いを変えてゆくかも知れない。こんな言い方をしたら世の中の女性に非難囂々かも知れないが、セクハラを招いているのは、女性自身だということをもっと自覚してもらいたい。胸元が大きくはだけた上着を着ていれば、男性の本能からして、触ってみたくなるのはごく自然のこと。それを、実行に移してしまうかどうかは、その男性の理性の問題だが。とにかく、世の中の男性を惑わすのはいい加減にやめてもらいたい。大胆な服装をしている女性を見ると、ときどき「女性というのは本来見られたい、触られたいという願望を持っているのではないか。」と疑いたくなってしまう。
 通勤電車の中の痴漢行為も後を絶たないが、これにしても男性を挑発するような女性側の姿勢にも問題がある。常習犯は別だ。女性がどんなに気をつけていても、痴漢という犯罪行為にどうしても走ってしまう馬鹿な男たちは確かに存在する。これは、無抵抗な女性の人格を踏みにじる行為だから、絶対に許されてはいけないと思う。でも、魔が差してしまったというようなケースでは、恐らく女性の側にも問題がありそうだ。反省してもらわないと。
 しかし、どこかの知事さんのように、自分の立場を利用して、女性に性的な悪戯をするのはもってのほかだ。これは立派な犯罪行為である。いくら多忙な生活でストレスがたまっているからと言って、弱い立場にいる女性をその解消に使うなんて、男性の風上にも置けない。
 セクハラは、被害を受けた女性が性的な不快感を感じた場合に成立する。でも、最近では、目に見えないセクハラが急速に発達している。盗撮がそうだ。女子トイレや女子更衣室に小型カメラを設置して、自分は離れたところでその電波を楽しむ。そんなことを隠れてするくらいなら、堂々とビデオ屋に行って、アダルトビデオでも借りてくればいい。そんな度胸もないのなら、完全にあきらめるしかない。
 主に男性側の行為として論じられるセクハラだが、男女を問わず他人の人格は尊重したい。

『医療関係者への期待』
 
 徳洲会病院の設立者である徳田虎雄は、生まれ育った徳之島が医療過疎地であったために、幼い頃に弟を病気で亡くし、そのことがばねになって、一生懸命勉強して大阪大学医学部に合格し、他の医学部生とは違って、インターンとして気違いのように症例をこなし、卒業後は自分の命を担保にして銀行から資金援助を受けて、念願の病院建設を実現した。彼は、医療過疎地をできるだけ少なくして、弟のように医者がいなくて無念の死を遂げる人々を、必死で救おうと頑張ったのだ。立派な志の人だと思う。徳田虎雄は医療過疎の状況をしっかりと調査した上で、交通の便の比較的いい場所に病院を建設しているので、茅ヶ崎市にも徳洲会病院ができたということは、それだけ茅ヶ崎が医療過疎の状況にあったということを意味している。しかも、駅前にも分院ができ、市の西端地区にも新しい徳洲会病院(名前は違うが)ができたということは、茅ヶ崎自体が大変な状況にあったという証拠で、ぞっとしてしまう。とにかく、近くに大きな病院ができるというのは、本当に助かる。何よりの安心材料である。現在では徳洲会病院の他に市立病院も救急指定の病院になったので、茅ヶ崎の医療体制は24時間万全の体制になったことになる。有り難いことだ。
 ちなみに、私が初めて救急車のお世話になったのは、3年前のことだった。職員室の隣部屋でくつろいでいた私は、急に背中に痛みを感じて、最初は筋肉痛かと思って軽く考えていたのだが、時間がたつに連れて痛みがひどくなる。時間はもうだいぶ遅くて、職員室には私以外には誰もいなかった。私はあまりの苦痛に職員室の床に寝そべって様子を見たのだが、痛みは一向に和らぐ気配がない。玄関は戸締まりされているので、救急車を呼んでも誰も入って来れないから、私は痛みをこらえて職員室の戸締まりを終わらせ、何とか警報装置をセットして、玄関から外に出ることができた。そのときの私は、あまりの心細さに、病院へ行くよりも早く家に帰りたかった。そこで、私は自分の車に乗ると、痛みをこらえながら何とか家までたどり着いてしまったのだ。家に帰って、ソファーに横になったのだが、痛みは激しくなるばかりである。何かがおかしいと不安になった私は、携帯電話を使って自分で救急車を呼んだ。タンカーに乗せられ、血圧や脈拍を計測される。行き先は市立病院だった。病院について、救急治療室に入った私は、担当してくれた女医さんの顔を見た瞬間に、ほっと一安心することができた。「これで助かる・・・・」私の背中の痛みの原因は、尿管結石だった。医者は私の尿を見ただけで、すぐに分かったようだった。やはりプロである。私は、座薬の鎮痛剤をもらって、そのまま帰宅することになった。夜、寝ている間に少し痛みを感じることはあったが、何とか無事に夜明けを迎えることができた。結石が尿に混じって排出されたのは、それから数ヶ月もたった頃だった。私の場合は尿酸系の結石で、そのぎざぎざしたクリスタルのような結晶を見たとき、こんなものが細い尿管を動いたら、痛いに決まってるじゃないかと、私はびっくりしてしまった。もう二度とあんな思いはしたくない・・・・と思った私だったが、二度目はまた数ヶ月後にやって来た。ただし、今度は落ち着いて同僚の車で病院まで送ってもらったが。
 私の父も、5年前に救急車のお世話になっている。脳梗塞の発作だった。私も母もけいれんする父を目の前にして、前進の血の気が引くようだった。急いで救急車を呼んだが、名前の確認だの住所の確認だのと、電話の応対はやけに落ち着きすぎていて苛立ちを覚えた。「そんなことより、早く来てくれ!」私は、受話器に向かって大きな声を出していた。父が運ばれたのは、徳洲会病院だった。もうだめかと思ったほどひどい発作を起こしていた父だったが、救急治療室での治療の後は、すっかり別人のように落ち着いていた。発作を起こしたことは、自分では全く覚えていないようだった。それは、私や母にとっては有り難いことだったが。本人がひどい苦痛を感じていたのなら、私も母もどんなにか心を痛めつけられたことだろう。真面目が服を着たような勤勉な父が、必死で働いて定年を迎えた後に、そんなひどい目に遭うのはどう考えても理不尽だ。父は現在でも定期的に通院しているが、あのときの大騒ぎが嘘のように、元気な生活を送っている。昔と比べると、物忘れも激しくなったようだが、CTスキャンの画像を見せてもらっても、特に脳に異常な萎縮は見られない。体に麻痺も残らずに済んだのは本当に運が良かったと思う。最初の発作以後、何度か軽い発作に襲われはしたが、病院の薬のおかげで大事に至らずに済んでいる。医者というのは本当に有り難いものだ。どんなに感謝しても、感謝しきれるものではない。そして、もし茅ヶ崎市に徳洲会病院が建設されていなかったら、恐らく市立病院の救急指定も遅れていたことだろう。徳田虎雄という偉大な人物のおかげで、私の父は命を救われたのだと、私は心からそう思っている。
 私の母も、徳洲会病院に通っている。血糖値が高いためだ。定期的に血糖値を計ることで、食事のメニューなども工夫してきた。定期的に病院にかかるようになってからの母は、以前よりも健康になったような気がする。母は、胆嚢に大きな石も抱えているから、定期的な通院は非常に助かる。少しでも様子がおかしければ、手術をしなければならないとのことだが、その判断も遅れずに済むからだ。
 現在の私は心療内科のお世話になっているから、我が家は三人そろって病院と仲良く付き合っていることになる。病院様々である。頻繁に病院通いをしている人の方が、かえって健康だとも言われるし、とにかく我が家は病院の先生方によって支えられているのだ。
 ところで、最近は医療ミスに関する事件が後を絶たない。手術で使った道具が体の中に残ったままになっていて患者が死亡したり、点滴ミスが原因でやはり患者が命を落としたり、診断ミスから治療が遅れて、致命的な結果になったりと、世間は医療ミスのニュースでもちきりだ。しかし、私は医者や看護婦が手抜きの仕事をしているとは思わないし、本などで救急治療室の多忙さを読んだりすると、人員不足で医療関係者の疲労が蓄積され、その結果、信じられないようなミスにつながっているのではないかと想像する。医者の数が足りないのなら、国家試験を工夫して増員すればいい。頭がいいだけの医者よりも、少しでも臨床経験を積んだ、腕と勘のいい医者の方が、実際にははるかに私たちの役に立ってくれる。高いお金や豊富な知識を持った学生よりも、医療というものに対して、しっかりした使命感を持った学生を医学部に入学させるようにすればいいのだ。私たちは、徳田虎雄のような医者を熱望している。医療ミスに関するニュースが大々的に報道されるということは、裏を返せばそれだけ医療に対する一般国民の期待が大きいということだ。現在、医療に従事している人々には、決して勇気をなくすことなく、これからも一生懸命仕事に励んでもらいたい。
 夜中に救急車のサイレンの音を聞くのは、あまり気持ちのいいものではないが、高齢化の時代を迎えたいま、救急消防隊員も含め、医療に従事する人々に対する期待は高まる一方だ。いつ具合が悪くなっても、すぐに病院に運んでもらって治療が受けられるという体制は、これからもどんどん強化して欲しい。看護婦の数が足りないという話も聞くが、私の生徒の中には将来看護婦になりたいという希望を持っている子は少なくない。そういう子たちを、しっかりと教育できる場も必要になってくる。神奈川県内には、看護専門の高校はまだ一つしかないではないか。しかも、レベルが比較的高いので、真剣に看護婦への道を夢見ていても、成績が見合わないために、看護科への進学をあきらめなければならない子も多い。看護婦の不足が解消されて、看護婦に十分な睡眠時間が確保されれば、点滴ミスなどもなくなるだろう。私たちは、医療関係者に大きな期待を寄せているのだ。 

『心のこもった贈り物』
 日本は贈り物の文化の発達した国だ。「お中元」「お歳暮」「新築祝い」「結婚祝い」などなど例を挙げればきりがない。形だけの儀礼的な贈り物はあまり意味がないという人もいるが、ものをもらって嬉しくない人はいないだろう。
 特に、心のこもった特別な贈り物は、贈る側も贈られる側も楽しい気持ちになれる。「きっと喜んでもらえるに違いない」「こんなに気を遣ってもらえるなんて」といった具合だ。
 私は、今年のソフトボール部の卒業生たちから、ゴマフアザラシの抱き枕をプレゼントしてもらった。一人一人の心のこもった手紙まで添えられていて、私の喜びは格別だった。ゴマフアザラシは小太りな私の体型から連想したプレゼントなのだろうか。まあ、この年齢になって抱き枕もないだろうから、私は大切に部屋に飾ってある。ときどきその柔らかい感触を確かめながら。私は、彼女たちの卒業祝いに、クリスタルに埋め込まれた金メダルを贈った。とても美しい盾で、彼女たちも気に入ってくれたようだ。「親愛」「友情」「愛情」「感謝」など、人間の持つ温かい感情はたくさんあるが、どれもこれも決して目に見えるものではない。贈り物はその目に見えない気持ちを、目に見える形にしてくれるから意味があるのだと思う。決して、値段のはるものである必要はないし、可能なら手作りのものでもいいだろう。形あるものは、永遠ではないにしても、長い間その姿をとどめてくれるから、それを見る度に、昔の感情を思い出すことができる。すばらしいではないか。
 私は、今まで友達や生徒や保護者からいろいろな贈り物をもらってきた。どれもこれも、お金には換えられない貴重なものばかりだ。生徒全員のメッセージ入りの色紙、ぬいぐるみ、手作りのクッション、サイン入りボールなどいろいろだ。あるときは、ソフトボール部の保護者が部員全員のネームを背中に入れたトレーナーを贈ってくれたことがある。私は、それを着ていると、いつも背中に部員たちを背負っているような気持ちになれて嬉しいので、今でも愛用している。もう、何度も洗濯してすっかり色あせてきてしまったが。別の年には、やはりソフト部の保護者から部員のネーム入りのタオルとポロシャツをもらった。ポロシャツの袖口に赤で刺繍された名前を見るたびに、当時のことが思い出される。最近では、誕生日にまで贈り物をもらうようになった。卒業生や卒業生の保護者からのもので、いつまでもよく人の誕生日を覚えているなあと感心してしまう。本当なら、生徒それぞれに誕生日のお祝いをしてあげたいところだが、何かを贈るのは少し無理があるし、せめて学級通信に誕生日のお祝いの言葉をのせることくらいしかできない。贈り物はもらってばかりではいけないと思うし。
 以前の私は、贈り物にはあまり興味を示さなかった。大切なのは心だからと言って、人にものを贈ることはあまりしなかった。しかし、贈られる側の喜びを知るに連れ、私の考えも大きく変わったようだ。今年の母の日には、私は何枚かの服を母に贈った。そんなに高い品物ではないが、心がこもっていれば値段にこだわる必要はないと思う。父の日には何を贈ろうかと現在思案中である。ものを贈るというのは、本当に楽しいものだ。相手の喜ぶ顔を想像するだけで楽しくなってしまう。だから、少しでも早く手渡したくて仕方ない。
 先日は、弟の娘の入学祝いに、筆入れとたくさんの色ペンと英和辞典と和英辞典と国語辞典をプレゼントした。ちょっと多すぎるかなとは思ったが、自分に子供がいない分、奮発してもいいのではないかという結論に達したのだ。弟には息子もいるので、中学校の入学祝いにあれこれもらった姉をうらやましそうに眺めていた彼にも何かプレゼントしなければと思い、今日は久しぶりにデパートまで買い物に出かけてきた。彼は、ぬいぐるみが大好きなので、小さな犬のぬいぐるみを買ってきた。私は、甥っ子の喜ぶ顔が早く見たくて、ついさっき車で出かけて渡してきたところだ。ちょっと甘いかな?

『泳げないカバ』
 長崎のある動物園に、泳げないカバのモモちゃんがいる。カバは普通水中で出産するが、モモちゃんの母親はモモちゃんを陸上で出産した上に、お乳もやらずに子育てを完全に放棄してしまった。結局、モモちゃんは飼育係の伊藤さんに育てられることになる。伊藤さんの持つ大きなほ乳瓶からお乳を飲むモモちゃん。モモちゃんは次第に伊藤さんのことを親だと思うようになった。しかし、水中での生活経験がないモモちゃんは泳ぎが苦手だ。飼育係たちはいやがるモモちゃんを無理矢理池の中に連れ込んでは水泳の特訓を始めた。ところが、モモちゃんはただおぼれそうになってあがくばかり。そんな悪戦苦闘の結果、モモちゃんが身につけた泳ぎは、何とバタフライだった。これはもう泳ぐというよりは、水中を突進するという感じ。ある日、すでに体重が300キロを越えたモモちゃんを、伊藤さんたちは子育てを放棄した実の母親の所へ連れて行った。親子の対面である。でも、悲しいことに親も子もお互いが血のつながった親子であることを認識できなかった。
 モモちゃんも年頃になり、いよいよ結婚の季節がやってきた。相手はモモちゃんより年下のムー君。モモちゃんとムー君はとても相性が良くて、いつもべたべたくっついている。そして、モモちゃんの妊娠。伊藤さんたちは母親に育てられた経験のないモモちゃんが、無事に赤ちゃんを出産できるのかどうか心配だった。案の定、モモちゃんの出産は難産になる。赤ちゃんの足は出てきたのだが、なかなか全身が出てこない。モモちゃんは水中で必死のもがきを続ける。出産が長引けば死産の危険性も出てくる。伊藤さんたち飼育係の人や、動物園のお客さんたちが心配そうに見守る中、モモちゃんの出産は無事終わった。しかし、これで安心はできない。6時間以内にモモちゃんが赤ちゃんに母乳を与えることがなければ、モモちゃんの赤ちゃんもまた伊藤さんたちが飼育しなければならなくなる。でも、今回の心配は杞憂に終わった。野生の中で育つことのなかったモモちゃんだが、自然の母性本能は決して忘れていなかったのだ。モモちゃんの母親ぶりを見ながら、伊藤さんの目には涙が光る。伊藤さんにしてみれば、自分の娘が一人前になった瞬間だからである。
 モモちゃんの赤ちゃんに名前が付いた。「桃太郎君」、本当は漢字ではなくて「ももたろう」である。「桃から生まれた桃太郎」という訳だ。ももたろう君は順調に育ち、モモちゃんも陸上で横になってももたろう君に授乳するようになった。これは、いい親子関係を象徴しているのだそうだ。父親のムー君と三匹で川の字になって横たわるモモちゃん一家。本当に微笑ましい光景だ。人間に育てられたモモちゃんが、しっかり野生のカバを演じている。自然とはかくも偉大なものなのである。
 野生といえば、日光のニホンザルたちが観光客を襲うことで、いま大きな問題になっている。元々は、観光客が猿たちを餌付けしてしまったことに原因がある。人間から簡単に食べ物を手に入れることを覚えた猿たちは、やがては車や売店を襲撃して食べ物を奪うようになる。自然のエサを求めて集団で移動することをしなくなってしまったために、順位の低い若い猿たちはエサの分け前をもらえず、餓死するケースが増えているそうだ。繁殖期の若い猿たちが少なくなれば、当然ニホンザルは絶滅の危機に瀕する。日光のニホンザルの数は、専門家の調査でも実際に減少を続けている。野生の動物が野生を失うことの恐ろしさ。自然は、自然の中の不自然を淘汰する。日光では、立て看板を作ったりして、観光客に猿にエサを与えないよう注意を呼びかけているが(実際条例化された)、なかなか効果が上がらないようだ。
 野生動物を保護するというのは本当に難しい。特に生活圏が人間社会と重なる場合にはなおさらだ。動物たちから野生の本能を奪ってはいけない。長崎の動物園のモモちゃんは幸運にも野生の本能を忘れなかったが、ことは常にモモちゃんのようにうまく運ぶとは限らない。

『行きつけの床屋さん』
 私は近所の床屋さんを行きつけにしている。子供の頃からずっとその床屋さんだ。おじさんもすっかり年を取ってしまった。最近は、チェーンの床屋の進出で、商売はあがったりだという。「おじさん、いつまでも同じ値段にしてないで、そろそろ値上げしてもいいんじゃないの?」「いやあ、これでいいの。別に儲けようとは思ってないから。」おじさんは全然商売気がない。私は、おじさんの所へ行くと、いつもすっきりと短髪にしてもらう。学生時代は長髪が流行っていて、私も肩まで髪の毛があったが、今ではスポーツ刈りに近い髪型が気に入っている。だからおじさんの作業も簡単だ。私は、おじさんに顔を剃ってもらっている時間が一番好きだ。いい気持ちになって、思わず眠りそうになりながら、おじさんと会話をしている。おじさんとの会話はありとあらゆる話題に及ぶ。私にとっては、おじさんとの会話がまた楽しみなのである。昔は大酒のみだったおじさんも、体をこわしてから酒量はめっきり減ったそうだ。でも、一時は早朝野球なんぞに参加する活発ぶりだった。いまも元気いっぱいである。
 店を一軒構えるということが、非常に難しい時代になった。大型チェーン店の進出がめざましいからだ。私たち消費者にしてみれば、値段の安さは何よりの魅力。昔はデパートもほとんどなかった茅ヶ崎だが、今では大型店舗がどんどん進出してくる。ダイクマ・イトーヨーカドー・駅ビルのルミネ・サティー・ジャスコ・エッサン・ユニクロなどなど、買い物には全く困らない。しかし、大型店舗進出の陰で、商店街の小売商たちは売り上げの落ち込みに悩んでいるのではないか。何とかうまく共存できるといいのだが。 私がよく行くお寿司屋さんも、儲けは度外視して店を開けている。おやじさんは、「趣味でやってるから」なんて言いながら、ちゃんと朝早くに築地までネタの仕入れに出かけるそうだ。私はおやじさんの握る寿司が大好きで、よく仲間にも紹介するし、宴会の幹事などを引き受けると、おやじさんの店を使うことにしている。味は抜群である。値段も超安値。しゃりは大きいし、ネタは新鮮だし、おやじさん夫婦は仲むつまじいし、もう言うことなしだ。でも、多くのお客さんは、最近流行の廻転寿司に足を運ぶ。廻転寿司では寿司を握ってくれる人とお客との会話も滅多にない。それでも、ネタの豊富さと値段の安さが客を呼ぶ。
 時代は大きく変わりつつある。商品の質の高さと値段の安さの両方を追求する競争も激化している。衣料品チェーン店のユニクロなどは、店内を見れば驚くほどの豪華さだ。品揃えは豊富だし、サイズもばっちりそろっているし、値段は安いし、材質はいいし、これではそんじょそこらの小売店は競争相手にはならないだろう。それに加えてこの不景気である。消費者の財布のひもも固くなって当然だ。経済対策が進んで、私たちの所得が増えない限り、安値の商品へのこだわりは続く。そして、その陰で、老舗の小売商は静かに姿を消してゆくのだ。
 人間の社会にはお金では買えない大切なものがあると思う。大型店舗よりも値段は高いかも知れないが、近所の商店街の酒屋さんや肉屋さんをひいきにすることも大切だと思う。行きつけの店には、いざというときのわがままもきく。会話も楽しい。その人間同士のつながりを、果たしてお金に換算してしまうことができるだろうか。
 私の父も、最近は私と同じ床屋さんに行くようになった。「お父さんも来てくれるようになって、有り難いね。」おじさんは嬉しそうだ。実は、父には昔からの行きつけの床屋さんが別にあったのだ。でも、病気をして歩くのが大変になったこともあって、近くのおじさんの店に変更したといういきさつがある。近所づきあいも少なくなった今の時代に、近所のお店とのつながりは大変貴重だと思う。あ、私の髪の毛もまた少し伸びてきた。そろそろおじさんのところに行かなくては。今度行ったら、きっと話題はイチロー選手の活躍ぶりかも知れない。

『スズメの庭』
 我が家の庭に遊びに来るスズメたちの餌付けを始めてから、もう一週間になる。最初は硬い米粒をまいていたのが、今では柔らかいご飯を水で洗ってまくようになった。その方が、ずっと食べやすそうだ。結構大量にまくのだが、何匹も集団でやって来るから、あっという間になくなってしまう。一日に三〜四回はまかなければならない。ちょっとこれはエサのやりすぎだろうか。スズメにも肥満などという体型はあるのだろうか。などと考えながらも、私はついついエサをまいてしまう。
 スズメたちは本当に用心深い。私がまいているのはどこかで見ているはずなのに、私の姿が庭にある間は絶対に着陸しない。私が居間の中に姿を消すと、どこからともなく飛来するのである。どこに営巣しているのかは知らないが、昼間は前の団地にある大きなびわの木に群れていることが多い。しかし、背の高いびわの木も決して安全な場所ではない。なぜなら、近所の飼い猫が必死で木登りをするからだ。最近の猫はネズミも捕れないとよく悪口を言われるが、様子を見ているとどうやらスズメも捕れそうにない。スズメたちの方が、はるかにすばしっこいのだ。飼い猫君は仕方なく木から降りてくる。ときどき、びわの木の隣のヒマラヤスギの木の枝で居眠りを決め込んでいるらしい。そこにも、スズメがやって来るから、寝たふりをして奇襲攻撃に出るつもりなのか。まあ、あの鈍さではどう見ても成功の可能性は低い。先日などは、雨上がりの午後に、金網の柵の上に乗ろうとして、こけそうになっていた。雨で足が滑ってしまったのだろう。それとも、最近の猫はバランス感覚も鈍くなってしまったのだろうか。
 話はスズメに戻って、どうやらスズメの一団にもボスがいるらしい。最初に一羽だけがやってきて、エサがあることと周囲の安全を確認してから、他のスズメたちがやって来る。親子のスズメも後から来る組だ。まだ産毛の抜けきっていない子スズメは、相変わらず親から口移しでエサをもらっている。もう自分で飛べるのだから、エサだって自分で食べられるだろうに、スズメの世界も過保護になっているのだろうか。とにかく、多いときでは一度に10羽ほどのスズメが庭に舞い降りる。エサを食べずに、植木の棚に乗って遊んでいるのもいる。それにしても、スズメの食欲は旺盛だ。さっきまいたご飯粒が、もうほんのわずかしか残っていない。これで、私の姿に慣れてくれて、私が庭に座っていても平気でえさを食べに来るようになったらすごいと思うが、まあそれは人間のエゴというもの。野生のスズメは、ある程度は野生のままにしておかないと。
 エサのご飯粒が何もないと、遊びに来たスズメは、まるで居間をのぞき込むようにして、近くまでやって来る。これは、もしかしたらエサの催促をしているつもりなのだろうか。小さな体でも、一人前に知恵を働かすのかも知れない。京都の方では、スズメはあくまでも稲穂を食べてしまう害鳥だそうで、そのために伏見のあたりではスズメの焼き鳥が名物になったとか。私も以前焼鳥屋でスズメの焼き鳥を頼んだことがあるが、頭までしっかりついているその姿にすっかり食べる勇気を失ってしまった。しかし、考えて見れば、あんなに小さな体だから、肉だけをはぎ取って焼くというのは難しいに違いない。だから丸焼きになってしまう。京都では害鳥のスズメたちも、我が家の庭では益鳥である。なぜかというと、植木についた虫を食べてくれるからだ。これなら、わざわざ殺虫剤を散布する必要もない。
 ところで、ちょっと食べてはまた飛び去り、すぐに舞い戻ってくるところを見ると、まだ近くの巣には雛がいるのかも知れない。ゆうべのテレビニュースでは、トイレで産み落とした赤子を、自分の家の玄関先に捨て去って死亡させた女性が逮捕されたと言っていた。自然界では、こんなに小さな動物たちまでが一生懸命に子育てをしているというのに、まったく人間というのは何と愚かな存在なのか。あっ、またエサがない。

『卒業式のパフォーマンス』
 
 成人式での醜態が社会問題になったのは、ついこの間のことである。二十歳にもなって、時と場合も分からないとは、何とも情けない成人たちだ。まあ、授業中おしゃべりばかりで先生の話も聴かずに育った世代なのだから、成人式の講話など聴くはずもないが。これが日本の将来を背負ってゆく若者たちなのかと思うと、背筋に冷たいものが走る。
 私の学生時代にもとんでもないやつがいた。
教授の講義を一番前の列で聴いていた男女のカップルが、突然おしゃべりを始めたのである。一番前の、教授の目の前の座席でだ。「おいおい、ここは公園のベンチとは違うぞ!」と怒鳴りつけてやりたい気持ちになったが、教授も教授でそのまま授業を続行。これは、今から20年も前の話だから、現代っ子がそれを越えた離れ業を演じても、少しも不思議ではない。先日も、デパートのエスカレーターで抱き合っている若い男女がいたが、これでは昔話題になったストリーキング(真っ裸で街を走り抜ける)とちっとも変わらない。
 成人式で大騒ぎを起こした若者たち(「馬鹿者たち」と呼んだ方がいいかも知れない)は、あまりに厳しい批判にさらされたので、その後反省して謝罪したそうだが、本当に悪いと心から思っているかどうかは、100%疑わしい。成人式の醜態は、今回が初めてではない。早稲田大学の吉村教授も、成人式の講演で新成人たちのあまりの態度の悪さに、講演を途中でやめてしまったということもあった。式場内で酒は飲むわ、携帯電話で話はするわで、もうやりたい放題である。それなら式典に参加する必要はないではないか。自分のアホさ加減を披露する成人式など、馬鹿馬鹿しくてお話にならない。
 最近では、中学校の卒業式もパフォーマンスの舞台となりつつある。私の学校でも、去年初めてパフォーマンスがあった。私は三年一組の担任だったのだが、緊張して呼名を始めた私の目に入ったのは、ステージからピースをして降りてくる男子生徒の姿とカメラのフラッシュだった。いつもはたかぶる感情を抑えきれずに、涙声で生徒の名前を呼ぶ私も、この年だけは妙にしらけた気持ちで呼名を続けることになった。卒業証書を体育館に詰めた人たちに向かって広げて見せてから階段を降りる者もいた。予想もしなかった生徒たちのパフォーマンスに、ただ呆然として卒業式を終えた私は、彼らが体育館から退場した直後にクラッカーを鳴らしたことにも気付かなかった。9年間の義務教育を無事に終了したことを祝う、記念の儀式である。人生の一つの節目でもあると思う。その卒業式をこんな風に軽いのりでこなしてしまう子たちの気持ちが理解できず、私はこんな情けない生徒を育ててしまった自分が恨めしかった。教室に戻った彼らは、少しも悪びれることなく、ギターの演奏で私を迎えてくれたが、私の気持ちは作った笑顔の下で冷め切っていた。「今さら何を言っても始まらない・・・・」私は、本当に寂しかった。
 それでも、こんなのはまだいい方らしい。別の学校の話を聞くと、卒業証書をもらう壇上で自分に向かってインスタントカメラのシャッターを切る馬鹿者もいるらしい。式場内でクラッカーや爆竹が鳴ったりすることもあるようだ。こういう世代が成人式を迎える頃には、いったい式典はどうなっているのだろう。今年の卒業式でも、去年以上のパフォーマンスを警戒していた私の学校だが、事前の注意をよく聞き分けてくれたのか、今年は何事もなく無事に卒業式は終わった。しかし、とてもではないが、涙を誘うような厳粛な雰囲気ではなかった。
 お葬式にジーパン姿で参列する人間がいないように、社会には時と場合に応じた行動のルールがある。それを無視して大人の仲間入りをすることはできない。精神的な成人年齢は、年を追うごとに遅くなっているそうだ。昔は15歳で元服した。今は、30歳を越えても成人できない人間もいる。自ら社会に出るのを拒むフリーターの数も年々増えているそうだ。節度ある行動は、小さな子供時代にしつけないと手遅れだ。

『運動神経』
 私は中学校で女子ソフトボール部の顧問をしているが、ボールを扱った経験がほとんどない女の子たちに、「野球」を教えていると、人間の運動神経というものについていろいろと考えさせられてしまう。中学校の部活生活は、正味2年4ヶ月しかないから、その短い期間の中で、キャッチボールができるようになり、野球らしい守備も身に付き、バッティングも一人前になってゆく様子は、まさに奇跡を見ているようだ。 ソフトボールという競技は、女子にはあまり人気のないスポーツらしい。中学校で女子に人気のある部活ベスト3をあげれば、恐らくソフトテニス(以前の軟式テニス)・バレーボール・バスケットボールだろう。陸上や卓球もそこそこの人気があるから、毎年ソフトボール部では、新入部員の勧誘に悪戦苦闘する。現に、今年などは4人しか入らなかった。しかも、運動能力の高い子はたいてい人気のあるスポーツに興味を示すから、比較的運動の苦手な子がソフトボール部に入ってくることになる。中には、ファーストまで走ると息切れしてしまいそうな子もいる。その子たちにまずはボールの握り方から教え、文字通り手取り足取りでキャッチボールの基本を仕込んでゆく。もちろん、投げることと同時に捕ることも教えなければならない。グラブが大きすぎて手から抜け落ちてしまいそうな子たちに、捕球の基礎を教える。ゴロを捕るときのグラブの角度から両足の位置まで、ていねいに教えても、フライが捕れるようになるまでには相当な時間がかかってしまう。バッティングに関しては、右利きも左利きも関係ない。とにかく、まともにバットが振れないのだから、腕力のない小柄な子はだいたい左バッターに育てることにしている。その方が有利なのである。打撃練習も、まずはフォームを固めてから、毎日しつこくティーの上に置いたボールをたたくことから始める。それでも、守備に比べるとバッティングの方が上達が早いかも知れない。少し慣れてくると、ピッチングマシーンを使って、実践的な打撃練習へと移ってゆく。・・・・とここまで文字にするだけでも気が遠くなってきた。しかし、女の子というのは本当にねばり強い。単調な練習の繰り返しにも、決して音を上げることがない。だから、確実に上達してゆくのだろう。とにかく、一応「試合」と呼べるものができるようになるまでは、大変な苦労である。
 私が不思議に思うのは、こういう苦労の過程を経て、ほとんど全ての部員が一人前になってしまうことだ。百科事典で運動神経について調べてみた。すると、最後の方にこんな記述があった。「俗に言う〈運動神経がよく発達している〉のは、脳内部の機構の問題であって、末梢性の運動神経が特に太いなどというわけではない。」つまり、運動神経が生まれつきない子はいないわけで、それは脳の訓練次第でいくらでも発達する可能性があるということではないか。そう言えば、指先を細かく使う作業をしていると、脳の老化防止につながるということを聞いたことがある。運動は脳からの指令で行われるわけだが、反対に体を動かす訓練をすることで運動を司る脳が発達するというわけだ。事故などで体に麻痺を生じてしまった人たちのリハビリテーションは、この理屈によるものだ。脳は一部が破壊されると、その周辺の部位が破壊された脳の代わりに働くようになると聞いた。人間の脳は、訓練次第で何ができるようになるか計り知れないということだろう。
 プロ野球の世界でも、不器用な選手ほどよく努力をして立派な選手に成長するそうだ。もちろん、運動神経の発達には個人差はあるだろう。誰もがイチロー選手になれるわけではない。しかし、最初から「運動神経が鈍い」と言って、スポーツをあきらめてしまうのはもったいないことだ。運動の得意な人が10回でできることは、100回やって補えばいい。それを「努力」と呼ぶのだと思う。また、運動能力を開発するようなトレーニングの開発も面白いと思う。私も、「今年の子は鈍いからなあ・・・・」などと愚痴をこぼすのはやめなければならない。

『変身願望』
 私が中学2年生の時、イギリス映画で『小さな恋のメロディー』というのがやって来た。主演はマーク・レスターとトレーシー・ハイド。二人ともまだ可愛い子供俳優だった。中学2年生と言えば、思春期真っ盛り。スクリーンに映し出される二人の美形の顔を見ては、「ああ、何で外国人に生まれなかったんだろう・・・・」などとため息をついていた。日本人は鼻も低いし、髪の毛も目も真っ黒だし、同じ人間なのにあんな人形みたいな子たちがいるなんて信じられな
い。子供心に真剣に悩んだものだった。
 人間は、現在の自分の姿をなかなか肯定できない生き物らしい。だから、他人を見てはうらやましがり、自分も別の人間に変身したいと、知らず知らずのうちに思っている。私も、中学生の頃黄色のワイシャツを着て学校に行ったことがあった。上には学ランを着ていたからそんなに目立ったわけではないが、他人と違った服装をしてみたいと思うのも、変身願望の一つの形なのではないかと思う。
 私が高校生の時は、厚底のサンダルが流行ったものだ。ファッション界の流行も過去を繰り返すらしいが、現代の若い女性が厚底の靴を履くのは、あの時代の再現だろう。私は身長も低いので、特に厚底には興味があった。自分を少しでもよく見せたい・・・・思春期の心は、一生懸命背伸びをしたがるものだ。髪の毛も、肩まで掛かる長髪だった。夜寝る前には、ヘアピンを何本も使って髪型を整える。私は癖毛なので、夜のうちに形を決めておかないと、朝は大変なことになってしまうのだ。特に、長髪にしていた頃は天然パーマ状態で苦労した。今、あの頃の記念写真を見ると、長髪の自分がやけに恥ずかしい。よくもまああんな髪型で通学のバスに乗っていたものだと感心してしまう。
 今時の子供たちが髪の毛を茶色に染めたがるのも、変身願望の一つなのだろう。鏡に映し出される茶髪の自分を見ると、何だか今までの自分とは違った自分になれたような錯覚に陥る。私も一度でいいから髪の毛を染めてみたい。どんな気持ちになるのか体験したいのだ。しかし、子供たちに茶髪を注意する立場の自分が、黄色い髪の毛で学校に行くわけにもいかない。夏休みがチャンスだろうか。でも、43歳にもなって茶髪にした息子の姿を見たら、親が嘆くかも知れない。最近の私は赤系の洋服を着ることが多くなった。きっかけは、自分の担任したクラスが一組で、そのクラスカラーが赤だったからなのだが、ジャージも赤、ハーフパンツも赤、靴下も赤、もちろんポロシャツも赤だ。さすがに下着だけは赤にするわけにはいかない。私はその赤ずくめの格好で体育祭に参加したので、ずいぶん目立ったようだった。そのときはちょうどピストルを撃つスターター役で常にグランドの中央にいたから、観客の目を引きやすかったこともある。正直言って、気分爽快だった。これは完全に変身した自分に対する満足感だ。
 最近は、男女を問わず整形手術をする人の数が増えているという。私だって決して美男子ではないから、顔がキムタクみたいになったらいいなと思うことはないではない。でも、せっかく親にもらった味のあるこの顔を、大金をはたいて変えてしまおうとは思わない。ただ、子供時代に野球をしていて大怪我をした下唇だけは、今も大きな傷跡になって残っているので、お金に余裕があれば元通りにしたいと思うことはある。しかし、その反面、怪我をした自分の顔も、自分の個性なんだからという気持ちもある。ただ、私としては整形手術を望む人たちを非難するつもりは全くない。顔を変えたくらいで、人生に光明が差すのであれば、それもまたいいではないか。お隣の韓国でも、二重まぶたにする女性の手術が流行っているそうだから、整形は世界的な流行なのかも知れない。
 しかし、「他人をうらやましいと思うときは、自分がしっかりと生きていないときだ。自分の宝に気付かないのはもったいない。」と加藤諦三さんが言っている。変身願望は悪くはないが、その前に今の自分をもっと知らなくては。

『文章を書くこと』
 文章を書くのは苦手だ、と言う人は多い。私も小学生の頃は作文が大の苦手だった。私が文章を書くのに神経質になっていた原因は、句読点にあった。小学校の国語の授業で、句読点の打ち方を教わったとき、その理屈がうまく理解できなかったのだ。「文章を書くのは難しい」私はそのとき固定観念を持ってしまったのだろう。でも、私は読書感想文コンクールで県大会にまで行っている。実は、もう時効だから告白するが、文章の下書きは全て父が行った。尋常高等小学校しか出ていなかった父だが、どうやら文才があったらしい。他の作文も父の手が加わったものが多かった。
 中学校の頃の作文を読んでみても、私の文章は実にぎこちない。何か形を作ろうとしている感じがして、自然な気持ちが伝わってこないのだ。文章は、体裁にこだわっていてはいけない。プロの物書きなら別だが、素人が文章を書くときには、心に浮かんだ思いをそのまま文字にすればいいのだと思う。
 私が長い文章をすらすらと書くようになったのは、学生時代だった。孤独な下宿生活で日記をつけ始めたのがきっかけだ。大学ノートに綴られる日々の思いは、次々に文字になってページを重ねていった。また、大学でのある英作文の授業が良かったと思う。一枚の写真を見せられて、その写真に写ったものをとにかく文字にしなさいという授業だ。写真の説明文を書いてもいいし、勝手な想像をして物語を作ってもいい。とにかく、頭に浮かぶ英語を文字にしろというのだ。これは、ものすごくいい訓練になった。そして、同時に頭に浮かぶ考えを素直に文字にする習慣を養ってくれたと思う。文章の構成などは考えない。「起承転結」なんていう難しいことも考える必要はない。結論などいらないし、とにかく思考を文字にする訓練をするわけだ。これは、日本語の文章を書くときにも大いに役立った。文章を書くことに慣れてくると、書きながら文章の構成も考えられるようになる。どういうまとめ方をするか、少しずつアイデアを練りながら、文章を書き続けるのだ。私が今やっている作業がそれである。私は、この文章の結論はまだ考えていない。成り行き任せである。それでも、慣れてくると自然にまとまってしまうから不思議だ。
 いい文章を書きたければ、手本になるようないい本をたくさん読めと言われる。それは、いい絵を描きたければ、まずは名画の鑑賞から始めろというのと発想は同じだ。しかし、私は多読家ではない。新聞や雑誌も、気が向かなければそんなに熱心に読む方でもない。ただ、私が接する少ない本や記事でも、心には強く焼き付くことが多い。私の頭は自然にそんな風になってしまった。でも、多読家ではないから、私は難しい表現をあまりよく知らない。そのために、私の文章は簡潔平明である。それも、一つの長所としてとらえるようにすればいい。
 私は学級通信を書くのが大好きだ。「そんなこと、口で言えば済むだろうに。」なんて、職員室の仲間に笑われてしまうこともあるが、文字になった言葉には、独特の雰囲気がある。口から出る言葉はその場で消えてしまうが、文字になった言葉は形に残るから、後で何回も読み返すことができる。それに、文章を書いていると、頭の中を一生懸命に整理しようとするから、自分の考えもより一層鮮明になるのだ。たくさん学級通信を出せば、たわいもない内容も多くなるが、たまには心に残るような名文も登場するらしい。それが読み手の心に強く焼き付いてくれるというのも、すばらしいことだと思う。また、長い文章を毎日のように読まされる生徒たちは、活字離れの悪癖から少しは解放される。一石数鳥である。
 私はクラスで班日誌を書かせているが、その文章を読むとちょっとびっくりしてしまう。まず読解不能なものもある。内容はまとまりがなくてもいいが、相手に理解されない文を書いたのでは意味がない。気軽な気持ちで文章を書く習慣は、子供の頃から養いたいものだ。

『坂本龍馬』
 以前京都に旅したとき、私は高台寺の脇の坂を上って、霊山護国神社にある坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓参りをしてきた。学生時代に司馬遼太郎の『竜馬がゆく(全八巻)』を読んですっかり龍馬の魅力にとりつかれていた私は、彼のお墓の前に立って身が引き締まる思いだった。ふと後ろを振り返ると、京都の街並みが見える。龍馬は大好きだった京の街を眺めながら、静かに眠っているのだなと安心した。
 しかし、なぜあんな偉大な人物が幕末の日本に誕生したのだろう。よく「時代が英雄を必要としていた」という言い方をされるが、高知城下の洟垂れ小僧が、やがては剣の道を究め、勝海舟との出会いで世界に目を向けてゆく。何もかもが運命的な出来事であり、出会いだった。龍馬は勤王の志士と言われるが、実際には他の若者たちとは全く考え方が違っていたと思う。龍馬の夢は大きな商船に乗って世界をまわることだった。彼の考え方は非常に現実的で、日本がしっかりした経済力をつけなければ、いくら愛国心を唱えても、外国に勝てるわけがないと考えていた。純粋に使命感に燃え、討幕運動を展開していた若者たちとは明らかに違う。だから、国賊呼ばわりされて、新撰組にもねらわれることになる。龍馬の考え方は、勝海舟のような広い視野を持って世界を見つめていた人物以外には、とてもではないが理解されなかったのだろう。しかし、あの時代にあって経済的な発展を考えるというのは、実に信じがたいことだ。彼は本当の天才だったのだろうか。彼は、身分の差別のない平等な世界も夢見た。努力する者全てにチャンスが与えられる世界。それは、まさにアメリカン・ドリームの原型でもあるかも知れない。龍馬は100年早く生まれてしまったのだと言う人もいるが、まさにその通りかも知れない。彼のようなスケールの大きな人物は、そうそう出現するわけではない。日本は大きな宝を若くして失ってしまった。
 かつて、教え子のサッカーの試合があるというので、高知へ応援に出かけたことがあった。これはいいチャンスだと思い、私は龍馬が酒を飲みながら寝ころんだという、桂浜に行ってみた。夜だったら、私も日本酒を飲みながら海を見つめてみたかった。もしかしたら、龍馬の鼻歌が聞こえてきたかも知れない。今ではすっかり観光地となり、そばには水族館までができている。私は、イルカのショーまで見てきてしまった。高台にある龍馬の銅像は修復中だった。龍馬は、ここからいつも桂浜を見下ろしているのだ。彼が、現代の日本を見たら、何と言うだろう。日本の若者たちを見たら、がっかりするだろうか。それとも、相変わらず周囲の状況を気にせずに、大きな船に乗って世界を旅したがるだろうか。
 龍馬に限らず、幕末の若者たちはものすごいエネルギーの持ち主ばかりだった。「志」という言葉は、彼らのためにあるのだと思う。刀を持って斬り合いをするのは、さぞかし恐ろしいことだったに違いない。それでも、自分たちの志を貫くために、彼らは命をかけて勇敢に戦った。ときには、無念のうちに切腹した者もいる。作家の三島由紀夫が割腹自殺を遂げたのはずいぶん昔のことだが、自分の腹を切り裂くというのが、どれだけ大変だったことか。切腹にもいろいろな流儀作法があるようで、一通りの切り方をしないうちは、介錯してもらわない。聞くところによると、腹を十文字に切り裂くのが一番の流儀だったようだ。そんなことをしたら介錯を待つまでもなく、気絶してしまうではないか。切腹は、多くの場合腹に刃を立てた瞬間に介錯されたようだ。いずれにしても、当時の若者たちの心意気というのは、私たちの想像をはるかに絶していたに違いない。
 私たちは彼らの子孫である。彼らが築いてくれた土台の上に作られた平和な日本で、私たちはあぐらをかいて座っている。いつの時代にも「改革の志」は必要なのに、今の時代は誰もが非常に保守的だ。「こんなことではいかんぜよ!」龍馬の声が聞こえてきそうな気がする。

『戦争』
        
 第二次世界大戦(太平洋戦争)で大きな被害を受けた日本。広島・長崎への原子爆弾の投下。東京大空襲に沖縄上陸。被害を受けたのは兵隊たちばかりか、それ以上に一般の婦女子だった。私の住んでいる茅ヶ崎も米軍の戦闘機グラマンの攻撃を受けたそうだ。遠くに見える工場の煙突には、まだその弾痕が残っていると父から聞かされた。隣の平塚は軍事工場があったために大空襲を受けて焼け野原になってしまったそうである。そのときの悲劇は『ガラスのうさぎ』という本に描かれている。
 二度と戦争を繰り返してはいけないと誓った日本。しかし、世界は懲りずに戦争を続けた。戦争の悲惨さを知っているはずのアメリカは、朝鮮戦争・イランイラク戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争と常に戦いを繰り広げてきた。なぜなのだろう。私の学校に外国人講師として来ていたアメリカ人は米海空軍の出身で、以前は実戦で爆撃手を務めたことがあるそうだ。「爆弾を投下するのは楽しい。」と言っていた。下で、死んでゆく人たちが見えないから、そんなことが言えるのだろう。ちょうど湾岸戦争が起きていたとき、私は英語の授業でジョン・レノンの「イマジン」を生徒と一緒に歌った。そばにいた外国人講師は何も言わずに聞いていてくれたが。「イマジン」は強烈な反戦歌である。
 ベトナム戦争は実に悲惨だった。湾岸戦争のようなハイテク戦争ではなかったから、ジャングルに潜んだベトコンたちを殺すために、アメリカ軍は枯れ葉剤やナパーム弾をどんどん投下した。その結果、枯れ葉剤の毒素が原因でベトナムでは多くの奇形児が生まれることになる。戦場に仕掛けられた地雷は、今も完全に撤去されることはなく、日々その犠牲者の数は後を絶たない。片足を失った子供や女性の姿を見て、それでもまだ大義名分がたてば戦争を遂行するというのか。湾岸戦争でも、ミサイルは必ずしも目標をとらえたわけではなかっただろう。多くの一般人が犠牲になったはずだ。攻撃をしかけていたアメリカ側にも、多くの犠牲者が出た。ベトナム戦争のあまりの悲惨さに精神を病んで帰国した若者たち、また劣化ウラン弾のせいで放射線病にかかった兵隊たち。アラモゴード砂漠で行われた初めての原爆実験でも、兵士たちは被曝しているのだ。
 ソビエト連邦が崩壊し冷戦の構造はすっかり形を変えた。しかし、今もなお宗教戦争は続いている。アメリカ帝国主義からイスラム国家を守ると頑張っているイラクのフセイン国王にしても、宗教がらみの戦争をしていると言えなくもない。また、イスラエルでは相変わらず爆弾テロが続いている。テロが続けば報復攻撃がある。殺し合いは止むところを知らない。
 生活のため以外に殺戮を繰り返す動物は人間だけである。戦争も経済的な危機がもとで起こることが多かったが、今では主義主張の違いからも戦いは勃発する。もっとも知恵深いはずの動物が、もっとも残虐であるというのも皮肉な話ではないか。
 今もまだ戦争を「必要悪」と考えている人々は、ぜひ広島と長崎の原爆資料館を見学に来るといい。核兵器のもたらす被害の甚大さに目を見張ることだろう。そうすれば、「太平洋戦争でこれ以上多くの犠牲者を出さないために、しかたなく原爆を投下したのだ。」などという偽善論は姿を消すに違いない。
 国のために命をかけて頑張るというのなら納得は行くが、国のために命を捧げるというのはとても許せることではない。二度と生きては帰れぬ特攻隊機に乗って離陸した若者たちの切ない気持ちを考えると、国はもっと一人一人の国民の命を大切にしてもらいたいと大声で訴えたくなる。私の父は、実戦に参加することなく終戦を迎えた世代だが、終戦前は爆弾を抱えて戦車の下に潜り込む訓練をしていたそうだ。人の命を何だと思っているのだろう。一つの命には多くの命が関わっている。一人の死は、多くの人々の悲しみだ。この世の中から戦争がなくなる日が、少しでも早く訪れますように。

『短気は損気』
 英語に、「小さなやかんはすぐ熱くなる(A little pot is soon hot.)」という諺があるが、私は本当に小さなやかんだ。ものすごく短気なのである。だから、この文章は自戒の念をたっぷりこめて書こうと思う。
 私の短気はいつ頃から顕著になったか覚えてはいないが、子供の頃も思うようにならないことがあると、いらいらして部屋に置いてあったセキセイインコの鳥かごを蹴飛ばしたりしていたから、歴史はかなり長いかも知れない。「あんたは、その短気なところを直さないと。」なんて母に指摘されようものなら、「こんな短気に生んだのは誰だよ!」とすかさず反撃する。とんでもないやつだ。
 私は中学校のソフトボール部の顧問をしているが、生徒がとんちんかんなプレーをすると、もう大爆発する。「馬鹿野郎!何もたもたやってんだ!」以下は文字にできないような言葉が続く。でも、すぐに頭を冷やして、自分の短気のフォローを自分ですることになる。「まあ、人間だから誰だってミスはある。プロ野球の選手だってエラーはするからな。」・・・・「小さなやかんはすぐ冷める(A little pot is soon cool.)」という新しい諺を作ってしまおうか。クラスでも、短気は同じである。掃除が終わって、なかなか帰りの学活の準備ができないと、教卓をたたいて生徒を威嚇したりする。行事の時などはもう大変。もたもたしていたらすぐに怒鳴り声が飛ぶ。合唱の練習などで、なかなか練習体形に並べないでいると、「ふざけんな!こんな愚図なクラスは練習なんかしなくていい!」なんて大声でわめいて、ひどいときは教卓が宙を飛ぶ。もちろん、生徒には当てないくらいの配慮をする余裕はあるのだが。
 あるとき、専門学校に合格した生徒が、職員室で合格の報告をすることになった。朝の打ち合わせが延びてしまって、やっとのことで三日目に報告の時間がとれることになったのだが、その日はたまたま卒業アルバム用の職員集合写真の撮影が予定されていたのだ。教頭は私に言った。「時間がないから早くしてくれる?」
私はこの言葉を聞いた瞬間に頭に血が上ってしまった。三日も待たせた挙げ句に、大切な合格の報告を早くすませとは何事だ!その場はじっとこらえて、生徒に報告をさせ、職員は集合写真の撮影に外へ出た。私はふてくされてずっと職員室隣の喫煙部屋に座ったままだった。いつまでたっても姿を現さない私を呼びに、何人かの職員がやってきたが、私はテコでも動かない。昔の恩師の説得でしぶしぶ外に出た私に向かって、今度は校長が言った。「いつまでガキみたいな事やってるんだ!」私は完全に切れた。そして、次の瞬間校長に殴りかかったのである。気がつくと私はすんでの所で職員仲間に羽交い締めにされていた。「我慢しろ!落ち着け!」確かに、校長を殴ったとなればただでは済まないだろう。私は精一杯の反抗のつもりで、職員写真のシャッターが押された瞬間そっぽを向いた。あの年の卒業アルバムで、私は確かにぶすっとしてそっぽを向いているのである。「先生、どうしてそっぽを向いて写ってるの?」生徒の純粋な質問に、「いつか一緒にお酒が飲める年になったら教えてあげるね。」と答えた私。私は、納得できないことがあると、相手構わずくってかかる性格なのだ。「弱い犬はよく吠える」という諺もあるが、戌年生まれの私は弱い犬でもあるのだろう。ああ、駄目なやつ。
 スーパーやデパートで買い物をしても、レジに並ぶのは苦手である。前の人がたくさん買っていたりすると、もういらいらしてしまう。八方美人のA型だから、顔は笑っているのだが。私の車の前を走る車は気をつけた方がいい。決してぶつけたりはしないが、のろのろ走っていたりすると、「おせえなあ!お前、車の運転の仕方知ってんのか!」「早くしねえと、信号が変わっちまうだろうが!」などとわめいている。ろくなドライバーではない。ああ、この短気、本当にどうにかならないものか。桜エビでカルシウムを補給すれば直る?う〜ん、イライライラ。 

『自然の摂理』
 ようやくあじさいの花が似合う季節になってきた。気象庁の長期予報では、今年の梅雨は大量の雨に恵まれそうだ。「恵まれそう」と言ったのは、春先の雨量が少なくて困っていたからだ。「恵みの雨」になるのではないかと、コメントされていた。今年の夏は、大変暑くなるとか。オホーツク高気圧の影響で夏前に一時的に低温の状態が来るそうだが、その後は灼熱の八月である。夏は夏らしい方が自然でいいが。
 自然のサイクルというのは実に見事にできている。海の水は蒸発し雲を作って再び地上に雨をもたらす。雨は地上の植物に新しい生命と活気を与え生物の命の源となる。汚れた水は地中にしみ込みバクテリアの働きなどで浄化され川に流れ込む。さらに川の中の小さな生物たちが水の汚れを浄化する。自然というのは、それ自体が神なのだと思う。これだけの複雑なシステムを作り上げたのだから、偶然そうなったとはとても思えない。まるで自然には意志があるように思われる。
 しかし、そんな自然のサイクルも人類の長い営みが徐々に破壊してきてしまった。森の木は切られ、保水能力を失った大地は水を浄化することができずに、泥と一緒にそのまま川に流し込む。泥まみれの川は微生物を殺してしまう。大量の廃棄ガスで汚染された大気は、雨の質をも変えてしまった。酸性雨の被害が話題になってから、もう何十年もたつ。普通の雨はPH6.5程度の弱酸性だが(これは大気中に自然に存在する二酸化炭素の影響である)、酸性雨はひどい場合にはPH4以下になることがある。空中からレモン汁が降ってくる感覚だ。肥沃な大地はアルカリ性だから、酸性雨は植物にとっては大敵だ。有名なドイツの「黒い森」も酸性雨の被害で壊滅状態だと聞く。酸性雨のために酸性湖と化した湖にはもはや生物は棲息できない。対策としては、大量の石灰をまくことだそうだ。しかし散布の量にも限界があるだろう。経済的な問題もある。
 大地から植物が姿を消してゆけば、空気中の酸素の量も徐々に減ってゆく。このまま大気中への二酸化炭素などの放出が続けば、やがては地球は生命の存在できない惑星になるだろう。「自然の摂理」の中には恐ろしい原理も含まれている。つまり、大量発生した動物は自然淘汰されて適切な数に補正されるという原理だ。よくよく考えてみれば、人類は大量発生しているのが現状である。世界の人口は、増加の一途をたどっている。エイズなどの病気は、人口の増加を抑えるための自然の摂理であると考えられなくもない。
 いくら社会が進歩しても、人間はあくまでも自然の産物である。自然の摂理から逃げることはできない。人工的に自然をコントロールしようとすれば、どこかにひずみが生じるだろう。それがどんな形で私たちに襲いかかってくるのかは、想像することすらできない。大地震のような自然災害なのか、それとも大戦争のような人為的災害なのか。
 私が子供の頃は、自然の破壊などという発想は学校で教わった覚えがない。「ゴミはやたらと捨ててはいけない」程度の教育だったと思う。学校の帰り道、雨上がりの道にできた水たまりをじっと見つめて、そこに小石を落とす。底の方にたまっていた泥がかすかに舞い上がって、自然の芸術になる。最後には水をかき回してコーヒー牛乳を作る。そんな自然とのささいな戯れも過去のものとなって行くのだろうか。これからは、雨が降ると外出ができなくなる時代が来るかも知れない。酸性雨防御服などもできるのだろうか。まさか、酸素ボンベを背負って街を歩くようにはならないとは思うが、オゾン層の破壊で有害な紫外線が大量に注ぐようになれば、紫外線防御のための工夫が必要になってくるだろう。抗生物質の使いすぎで、ウィルスは抵抗力をつけてしまい、抗生物質の効果がなくなってきたそうだ。人類の自然淘汰は始まっている。
 自然の摂理をなめてはいけない。私たちは身の周りの小さな努力から始めよう。

『刺激を欲する人々』
 
 裁判所の判事が、携帯電話の伝言メモを使って女子中学生と知り合って、猥褻な行為をしたという問題が大きくニュースに取り上げられた。新聞の報道によれば、最初は「若い子に興味があった」と自供していた本人も、次第に本音を吐くようになり、最後は「仕事に疲れていて、何か刺激が欲しかった」と言ったそうだ。
 携帯電話の出会い系サイトで若い男性と不倫をする人妻も、単調な生活の中で刺激が欲しかったと独白している。確かに、単調な生活は退屈だろうが、「刺激」にもいろいろあるのではないか。本を読んでもいいし、映画を観てもいい、どこかのサークル活動に参加するのもいいし、アスレチックジムに通うのもいい。健全な刺激材料なら世の中にはいくらでもある。
 刺激の求め方には二通りあると思う。一つは自分の趣味に没頭すること。子供たちがゲームセンターで遊ぶのもこのタイプだ。二つ目は人との出会いを求めること。今世間で騒がれているのはこちらのタイプの不健全バージョンだ。どちらかと言えば、大人は後者を好むのかも知れない。自分一人で趣味の世界に没頭していても、やがてはそれ自体が漫然とした習慣になり刺激性を失う。だから、人との出会いを求める方がいい。しかも、危険を伴う出会い方の方が刺激が大きいというわけだ。「不倫」や「援交」はさぞかし胸がときめくことだろう。あとは理性の問題だ。自分の立場を危うくしてもいいのなら、危険を冒せばいいし、そうしたくなければもっと健全な出会いの場を見つければいい。
 ゆうべ、夜遅くになって、昔のクラスの母親グループが我が家を訪問してくれた。療休で学校を休んでいる私の様子を見舞ってくれたのだ。私は自由に外出を認められているので(医者からはとにかくのんびりとした生活をするよう指示されている)、私は彼女たちの誘いに乗って久しぶりに外食に出かけた。藤沢に近いところにある焼き肉屋である。お母さんたち(と言っても、私と同年代だが)は、よほどお腹がすいていたらしく、次々と品物を注文する。テーブルの上はあっという間に肉皿でいっぱいになってしまった。まあ、にぎやかなことと言ったらない。このグループは私が中学2年生を担任していたときのクラスの保護者の集まりなのだが、なぜか意気投合してしまって、その後何年間もつき合いを続けている。私の後援会のような存在である。ここ1〜2年ほど私が体調をくずしていたこともあって、今回は久しぶりの会合だった。だから話にも花が咲いて満開状態だ。あまりににぎやかなものだから、近くの席の別のお客さんに「もう少し静かにしてくれませんか?」などと注意されてしまったくらいだ。みんなで集まると、自分たちが母親であることはすっかり忘れてしまって、18歳くらいの(と本人たちは言っている)若い時代にタイムスリップしてしまうらしい。雰囲気はすっかり女学生なのである。学校の先生が、保護者とこんな親密な関係になるなんてと、一般的には非難を受けるのだろうが、私は一向に気にしない。たとえ、それが現役のクラスの保護者であっても、そのために成績を上げたりするわけではないし、私は公私の区別はしっかりできている。だから、私もその「女学生集団」に混じって一緒に騒いでいる。私にとっては、何よりの刺激である。
 たまに卒業生が見舞ってくれることもある。まだ20歳にも満たないのに、もう小さな赤ん坊を連れているのだから、参ってしまう。しかし、嬉しいではないか。自分の子供を連れて、かつての担任の家に顔を出してくれるなんて、こんなに有り難いことはない。お土産に持ってきてくれたドーナツを食べながら、みんなで私の入れたコーヒーを飲んだ。こういう思いがけない訪問客は、私の生活にアクセントをつけてくれる。 私は、立場上人との出会いに恵まれているのだと思う。今度は体力作りのためにプール付きのアスレチックジムの会員になろうかとも考えている。いろいろな人との会話は何よりの刺激である。携帯電話のボタンをちまちまと押しているより、もっと楽しい出会いはたくさんある。

『暴走族』
 土曜の深夜は、遠くの海岸道路を走る暴走族のバイクの爆音が聞こえてくる。昔は、土曜の夜になると江の島に暴走族が集結して集会を開いたものだ。今では、観光地の環境を守るために、暴走バイクの進入は禁止している。私のクラスの生徒などは、自転車を改造してわざわざ集会に参加していたというから、びっくりさせられる。自転車の改造と言ってもイメージがわかないかも知れないが、要するに段ボールの箱をサドルの両サイドにつけて、ラジカセを固定し、旗を立てる程度の改造だ。何も知らない人が見たら、頭がおかしいのではないかと疑われてしまうだろう。
 それはともかくとして、最近の暴走族はその横暴ぶりが目に余る。国道をわざとゆっくり蛇行して走ったり、文句を言う一般車両を追いかけて、挙げ句の果てはドライバーに暴行を加えたり。実際、それで殺されてしまったドライバーもいた。二人乗りの後ろのやつは金属バットを持って振り回していたりするから、そばに近づくのも危険である。先日は、暴走族と間違えられた青年が、殴り殺されるという事件も起きている。もう怖いものなしの横暴ぶりだ。警察署の前でも、わざと信号無視をする。警官たちを挑発しているのである。追いかけてこないのがわかっているから、堂々とやっている。警察署の建物の中から誰かが出てくる気配もない。
 暴走族とツーリング族は違う。ツーリング族は心からバイクを愛する人たちのグループで、決して交通ルールも無視しなければ、他人に迷惑をかけることもない。もちろん、金属バットなんか持っていない。私は50ccの小型バイクしか乗らないが、大きなバイクに乗って風を切りながら走ったら、さぞかし気持ちいいだろうと思う。バイク自体は決して悪の根元ではない。それを改造して、凶悪な犯罪に結びつける暴走族のために、悪いイメージを持たれてしまうのだ。 全国各地の警察は、色々工夫して彼らの暴走をくい止めようと頑張っているが、数が数だけに、焼け石に水の感がある。タイヤにロープがからみついてしまう仕掛けも発明された。それでも暴走族の数は一向に減る気配を見せない。警察官に警棒一つで戦えというのが、どだい無理な話なのだ。威嚇射撃をしてはまずいのだろうか。タイヤに発砲するのはどうだろう。本気で暴走族を取り締まろうと思ったら、機動隊でも使って、武器の威力も借りなければ、無理なのではないか。相手は少年だからなどと侮ってはいけない。相手は、狂気に満ちた暴徒であることを忘れてはいけない。
 こんな文章を書いていたら、それこそ暴走族に闇討ちされてしまいそうだ。しかし、世の中の迷惑は迷惑だ。やっていることは、オウム真理教の地下鉄サリン事件と大して変わらない。それは、社会の秩序に対する挑戦なのだから。バイクに乗って仲間と一緒に憂さを晴らすのはよい。しかし、そのために他人まで巻き込むのはやめてもらいたい。真面目に一生懸命人生を生きている人間も、世の中にはたくさんいるのだ。その人たちをあざ笑うかのように、暴挙を繰り返すのはいい加減にやめて欲しい。
 暴走族もいつかは卒業する。いい年齢になってまだ改造バイクで集会に参加しているのはさすがに情けないと思うのだろうか。かつての暴走族も、やがては人の親になる。そのとき、自分の子供が遊び半分で殺害されたらどんな気持ちになるだろう。自業自得だとあきらめることはできるのだろうか。「因果応報」という言葉があるが、自分の過去の犯罪は、必ずいつかは自分に返ってくるものだ。
 若さは貴重である。若い時代は二度とやってこない。本当に大切なものは、失ったときに初めて分かる。バイクで暴走していて電信柱に激突し、若い命を落とした者もいる。窃盗バイクで事故を起こして、頭蓋骨を砕いた者もいる。若いエネルギーをプラスの方向に向ければ、人生には楽しいことがいくらでもあるではないか。むしゃくしゃした気持ちを社会のせいにしてはいけない。人生は自分の手で切り開くものだ。

『無信不立』
 『無信不立(信なくば立たず)』は、小泉首相の座右の銘だそうだ。信念なくして政治家の道もない。私は、先日のハンセン病訴訟の熊本地裁の判決に政府が控訴を断念したとき、びっくりした。テレビカメラの前でハンセン病に苦しむ患者たちと実際に対話をする小泉首相の目が、心なしか潤んでいたのは気付いていたが、その直後にこんな英断が下されるとは。「国民のための政治」・・・・小泉首相は、文字通りそんな政治を志している。
 地方紙の特集で小泉家の歴史を扱っていた。それによれば、祖父の又次郎、父の純也、共に国民の側に立った政治家だったそうだ。又次郎は国民普通選挙制の実施のために命をかけた。純也は小泉家に婿入りした身だが、又次郎の娘と恋に落ちて駆け落ちまでしたというのだから、血の熱さが伺える。小泉三代目の純一郎首相にも、そんな熱い血が脈々と流れているのを感じる。まさに、心意気の人だ。
 「どうせ誰がやったって大して国が変わるわけじゃないさ。」私は今まで政治家に期待などしたことは一度もなかった。今回の自民党の総裁選挙にしても、誰がなっても大して変わりはないだろうと、高をくくっていたのだが、それは全くの間違いだった。小泉首相の答弁を聞いていると、まるで明治維新直後の新進気鋭の政治家を見ているような気がしてくる。彼が首相になったのは、偶然ではないのかも知れない。日本の国が彼を必要としていたのだろう。「時代が英雄を必要とする」と言われるが、今の時代はまさにヒーロー不在の時代だった。
 小泉首相は靖国神社に公人として参拝するそうだ。「公人として」「私人として」などとくだらない議論を繰り返してきた政治家たちとは違って、はっきりとそう明言した。国が遂行した戦争のために犠牲となった多くの命に、深く頭を垂れるのは、日本の政治家として当たり前のことである。他国がどんな懸念を表明しようとも、靖国神社の公式参拝は決して戦争美化などでもなければ、戦争肯定などでもない。純粋に、戦争の犠牲者を弔っているのだ。そこには、二度とこんな悲惨な戦争を起こすことはないという、強い決意も含まれている。どうしてそれが批判の的にならなければならないのだろう。小泉首相には、自分の初志を最後まで貫徹してもらいたい。
 小泉内閣の看板娘である田中真紀子外相がいよいよ正式に国際舞台にデビューした。しかし、最初の関門は結構手強い。韓国と中国はともに日本の歴史教科書問題について、あからさまな不快感を表明している。田中外相としては、日中平和友好条約を命がけで締結した父親と中国との親密な関係もあって、なかなか歯切れのいい答弁ができにくいかも知れない。しかし、外国の指摘が正しければ日本が姿勢を是正すればいいし、それが大きな誤解であるのなら、日本の立場をはっきりと説明して断固とした態度で臨むべきだろう。歴史の解釈は、長い時間をかけないと困難だ。60年前の戦争の解釈に、歴史家同士でずれが生じるのは仕方ないと思う。まだ時間が足りなすぎるのだ。しかし、細かな点は別として、日本が戦争を肯定する立場にないことだけは確かだ。「仕方ないから戦争をしました」では済まされないことぐらい誰でも知っている。朝鮮半島や中国本土で日本軍が行った残虐な行為の数々も、周知の事実である。それに言い訳をすることは許されない。ただ、歴史というのは、なぜそんな悲惨な戦争に至ったのかという背景を学ぶものでなければいけないと思う。経済制裁を受け、資源の枯渇にも苦悩した日本が選んだ道が正しかったかどうかは別として、戦争に至るにはそれなりの経緯がある。その事実をありのままに記述すればいいのだ。そこまで日本の立場を説明してもまだ分かってもらえないのだとしたら、それ以上は「内政干渉」として抗議していいと思う。 「無信不立」は小泉首相だけでなく、小泉内閣全体の指針であって欲しい。そうすれば、国民の高支持率もずっと続くだろう。

『失われ行く本能』
 最近の猫はネズミも捕れなくなったと悪口を言われている。しかし、私の家の庭を散歩道にしている数匹の猫たちは、毎日スズメを捕ろうと必死になっている。今も、目の前の庭の地面には猫の爪痕がくっきりと残っている。私は二週間ほど前からスズメの餌付けを始めたので、庭にはスズメがしょっちゅうやってきては、まかれたエサをつついているのだ。どうやら、今日の猫はそれを狙ったらしい。きっと、猛ダッシュをかけたのだろう。地面の爪痕は、彼のブレーキの跡だった。つまり、失敗したのだ。
 別の猫は、目の前の団地のびわの木に登っている。びわの木にはスズメを初めとしてたくさんの鳥たちが遊びに来ているのだ。猫は枝に身を横たえて、その鳥たちを捕獲しようとしているらしい。全く馬鹿げている。野生の山猫ならともかく、飼い猫が木の上のスズメを狙ったところで、自分が足を滑らせて地面に落下するのが関の山だ。実際、成功したためしがない。
 猫が動くものを追いかけるのは本能なのだろうが、最近の猫はたとえ狩りに成功したとしても、獲物を食べるわけではない。飼い主の家の玄関先などに獲物を置いて、「ほら見て、僕ってすごいでしょう?」てな具合に自慢するだけなのだ。これは猫の本能とは言えないのではないだろうか。人間と一緒の生活を続けているうちに、猫の野生の本能はすっかり鈍ってしまったのかも知れない。
 ずっと昔にうちで飼っていたシェトランド・シープドッグのメリーも子育ての本能を忘れていた。せっかく産んだ赤ちゃんをただ口にくわえて振り回すだけで、結局は殺してしまったのだ。狭い檻の中に閉じこめられた生活が、メリーにストレスを与えて、一時的に母性本能を奪ってしまったのだろうか。とても悲しい光景だった。 やはり、動物たちは野生でいないと、本能を失ってゆくのだろう。ペットにする動物が野生の本能をそのまま失わずにいたら、もちろん飼い主の人間は困ってしまうのだが。
 人間にもいくつかの本能があるが、最近では「闘争本能」が鈍ってきたような気がする。闘争本能を上手に利用したのが、オリンピックのようなスポーツ競技だが、特に男性の闘争本能に陰りが見えてきたように思う。例えば、中学校の体育祭などで騎馬戦のような競技は嫌われる。殴り合いの喧嘩もたまにはあるが、多くの場合は睨み合いか口げんかで終わってしまう。自分がリーダーシップをとってクラスを引っ張ろうという意欲も、男子にはあまり見られなくなった。今の学校では成績や順位が公表されることはないから、「ライバル」などという言葉も死語同然だ。学期末にもらった通知票も平気でお互いに見せ合っている。負けても悔しそうな顔を見せるどころか、笑い飛ばしているのである。学校行事に燃えることは燃えるが、あまり勝ち負けにこだわらない。それがいいときもあるが、もっとこだわって欲しいときもある。ダイオキシンなどの環境ホルモンは男性を女性化させると専門家が指摘しているが、そう言えば、私の学校の近くには茅ヶ崎市のゴミ焼却場があるのだ。まさか、それが原因で男子生徒のいい意味での闘争本能が鈍くなっているとは言い切れないとは思うが。
 幼児虐待や幼児虐殺が毎日のようにテレビニュースで流れてくる。これはまさに異常である。女性たちの母性本能は完全に麻痺し始めているかのようだ。児童虐待に関しては、その事実を突き止めるのがなかなか難しい。被害に遭っている子供自身は、加害者が親だけに、正直に他人に告白することを躊躇する。体のあちこちにあざを作っているので、不審に思って本人に聞きただしても、なかなか本当のことを言わない。母親ばかりか、父親までが親としての本能を忘れかけている。「虐待」も人間の持つ暗い本能なのだろうか。
 自然環境が大きく悪化して、動物たちの行動にも異変が起き始めている。人間が、本来の優しさを取り戻すことはもうできないのだろうか。親としての本能だけは鈍っては困る。

『働くということ』
 正月を過ぎると、日本全国あちこちで道路工事が始まる。予算を減らされてはいけないから、必死に工事するのだろうか。こんなに短期間にまとめてやらなくても、もっと計画的に進めることができるのではないかと、いつも近所の人たちと苦情を言い合っている。まあ、それはともかくとして、工事はだいたい深夜に行われる。少しでも交通渋滞の種にならないようにするためだ。一月・二月と言えば、夜の冷え込みも相当に厳しい季節だ。発電機でこうこうとライトを照らして、せっせと仕事をしている姿には頭が下がる。私は、エアコンで暖房のきいた車内から彼らの仕事を見ているのだから。お金を稼ぐというのは、本当に大変なことだ。今では、大変な建築・土木関係の仕事には、外国人が就くことも多い。日本人の若者は3Kは嫌うのだ。確か、「危険・汚い・きつい」の頭文字だったろうか。外国人就労者の問題は難しいが、働き手がなければ彼らの助けを借りないわけにはいかない。日本で稼ぐお金は、自国に送金すれば結構な額の収入にもなる。
 私たち教員の仕事も結構大変だと思われている。中には、「夏休みがあっていい」などと言う人もいるが、実際には部活の顧問をしていれば、夏休みなどない。それこそ、一般企業の夏期休暇の方が長いくらいだ。「切れる17歳」なる言葉が登場して、そんな危険な子供たちを相手にする教員は何かと苦労が多いだろうということになる。確かに、荒れている学校の教員は肉体的にも精神的にもぎりぎりに追い込まれた状態で働いている。対応を間違うと、ナイフで刺されたりすることもあり得るから、文字通り命がけである。親の手に負えない子を、何十人も預かるのだから、大変に決まっている。それでいて、世間からは冷たい批判の目で常に見られている。しかし、これもお金を稼ぐためには我慢しなければならない。「サラリーマン教師」だなどと言わないでもらいたい。教師だって生活費は必要なのだから。
 アルバイトにもいろいろあるが、学生時代の友人はトイレ掃除の仕事をしていた。ビニール手袋をして指先で便器をこすって洗うのだそうだ。体中、アンモニアの臭いがこびりついてしまうと嘆いていた。噂では、死体洗いのアルバイトがあって、一体につき一万円の収入だと言う。ファミリーレストランやコンビニやハンバーガーショップなどの飲食店でのアルバイトはきれいでいいが、世の中には汚れ仕事もたくさんあるのだ。仕事の苦労はどこも一緒かも知れないが、とにかくお金を稼ぐというのは大変なことだ。 最近の高校生は、携帯電話の使いすぎで、一ヶ月の通信費が目の玉が飛び出るほどの高額になるケースも多いと言う。メールをばちばち打って、その費用を全額親が負担する家庭もあるというから、あきれたものだ。携帯電話の費用を稼ぐためにバイトをするという女子高生もいるそうで、まあそれはそれでいいかも知れないが(親に負担させるよりはずっとまし)、高校生の本分はどこへ行ってしまったのだろう。
 文部科学省の提案で小学校から総合学習がカリキュラムに取り入れられた。中学校では職場体験を実施するところも多い。これは、実に貴重な経験だと思う。新聞によれば、大学生にも職場体験を実施しようという案が出ているそうだ。自分に適さない職場に就職して、途中で挫折する新入社員が多くなってきたからなのだと言う。中学生の場合は、働くことの大変さを実感するという意味で、職場体験を何回か実施したらいいと思う。自分の親がどんなに大変な思いをして月々の生活費を稼いでいるのかを考える、いい機会にもなるだろう。そうすれば、お小遣いの無駄遣いも減るに違いない。 「働かざる者食うべからず」という言葉があるが、社会人として生きる以上、働くことは必要不可欠だ。働いてお金を稼ぐことの大変さと大切さは、子供の頃から教育しなければいけない。フリーターとして定職を持たない若者たちも、そのまま年齢を重ねるわけにはいかないだろう。どこで働いても、苦労はつきものなのだ。

『いたずらがき』
 あれは2年前の卒業式の朝だった。私のソフト部は、気合いを入れて卒業式の朝であるにもかかわらず朝練を計画していたのだ。ところが学校に着いた私の所へ、先に着いていた部員たちが顔色を変えて飛んできた。体育館にスプレーでいたずらがきをされているというのだ。急いで現場に駆けつけた私は唖然とした。体育館入り口の鉄製の扉から側面のガラス扉、そして体育館正面と裏側の壁面、挙げ句の果ては裏門の通路のコンクリートの上にまで、スプレーでいたずらがきがしてあるではないか。それからが大変だった。続々と駆けつけてくる職員。みんな、ペンキ缶とロールを持ってペンキ塗りが始まったのだ。ある先生は、あわてて礼服のままペンキ塗りをしていたので、大切な礼服に塗料が付いてしまった。ソフト部員も動員しての大作業は、あっという間に体育館をほとんど元通りの状態に復元してしまった。その直後に行われた卒業式に参列した保護者も生徒たちも、まさか早朝にそんな事件があったなど、想像もしなかったことだろう。ガラス窓が割られていなかっただけ良かったのだ。式場までもが荒らされていたら、恐らく無事に卒業式を挙行することはできなかっただろう。それにしても、いったい誰がこんな無茶ないたずらをしたのか。犯人探しをしても始まらないし、そのときは器物破損で警察に被害届を出す暇もなかった。被害届を出すためには、ペンキ塗りをして現場をいじるわけにはいかなかったからだ。
 先日の新聞に、東横線の車両にスプレーでいたずらがきをした二人の男性が、近所の住人の通報で現行犯逮捕されたという記事が載っていた。二人は、どうやら終電が出た後に、駅の構内に侵入したらしい。とんだ騒ぎのおかげで、電車は一本運休になってしまった。何を考えているのやら。そんなにいたずらがきがしたかったら、自分の家の壁にすればいい。ストレス発散だかなんだか知らないが、多くの人に不快感を抱かせるいたずらは許せない。
 最近では、公園のトイレなど公共の建物だけでなく、ありとあらゆる所にスプレーを使ったいたずらがきが目に付く。店のシャッターにまでいたずらがきされる有様だ。あるテレビ番組で、いたずらがきで困っている商店街の様子を暗視カメラで隠し撮りしていたことがある。馬鹿な犯人たちは、監視されているとも知らずに、のこのことスプレー缶を持って登場した。警官は同行していなかったので、その場で逮捕されることはなかったが、住人が彼らに注意すると、何と開き直って「何が悪いんだ」という態度に出たからさらにあきれる。れっきとした犯罪行為であることを知らないのだろうか。器物損壊罪とでも言うのだろうか、とにかく犯罪なのだ。地元の住民ももっと怒りをあらわにしていいと思う。犯人はどうせとるに足らない若者たちなのだから。陰でこそこそいたずらすることしかできない、意気地なしなのだから。
 シンガポールでは街にゴミを捨てただけでも高額な罰金を科せられるそうだ。日本でも、いたずらがきに対して、高額な罰金を科したらどうだろう。そうでもしなければ、公園や海岸やトイレや、とにかくあちこちのいたずらがきはひどくなる一方だと思う。また、自治体はいたずらがきがあったら、すぐにペンキの塗り替えをするべきだ。予算がどうのこうのと言っていてはいけない。学校でも、いたずらがきはそのまま放っては置かない。割れた窓ガラスもすぐに修理する。なぜなら、荒廃した環境に慣れてしまうと、全体の美化意識が低下するからだ。現に、トンネルなどのいたずらがきを見ても、誰も危機感を感じなくなっているではないか。
 こういう状況は世界的に共通しているのだろうか。駅のトイレなどは壁に卑猥ないたずらがきがいっぱいだ。あのままにしておくから、どんどん描き足されてしまう。もはや日本人のモラルも落ちるところまで落ちてしまったか。きれいな街並みを維持するためには、草花を植えるだけではだめだ。いたずらがきに即対処する体制を整えない限り、この惨状は続くだろう。