『佳代子』
《まえがき》
これは事実に基づいた小説です。小説と言っても、そのほとんどが事実。熟年離婚など夫婦の人間関係を長続きさせることが非常に難しくなった時代にあって、夫婦とはどうあるべきなのか、この小説を執筆しながら、私自身も考察していきたいと思っています。
佳代子とは私の妻の名前です。私自身いわゆるバツイチの人間でしたが、佳代子もまたバツイチで私の元に嫁いでくれました。佳代子との出会いは本文中で詳しく触れるとして、私は佳代子のような心優しい女性が、なぜ大切にされなかったのか、それが不思議でなりませんでした。夫婦がうまくいかない原因の多くの、もしかしたら野性味と優しさを失った現代の男性側にあるのではないかと、佳代子を見ていてつくづく感じたものです。
社会心理学の学者は言います。近年、益々男性の自立年齢が高年齢化してきていると。「冬彦さん」という言葉が一時大流行しましたが、成人しても乳離れできない男性がいかに多いかということを物語っている現象でした。アメリカのように、何歳になっても両親や家族を大切にするという意味の肉親や配偶者への執着ではないのです。日本人の男性の場合は、自立することの恐ろしさから少しでも逃れるための「依存関係」の域を脱していません。それが、自分の妻に対する過度の甘えにつながり、夫婦生活を破綻させてしまうのではないでしょうか。
私は二十二年以上も公立中学校で教員をしていましたが、男子生徒が率先して学校生活をリードしていたのは、残念ながら(ジェンダーフリーの時代にこの言い方は叱られてしまうかも知れませんね)最初の一年間だけでした。二年目からは女生徒の活躍が目立ち始め、女性の生徒会長も当たり前の時代になりました。生徒会長は男性であるべきだと言っているのではありません。女性と同様に男性が積極的になれる時代が終わったことを嘆いているのです。男女平等どころか、女性優位の時代です。なぜこのような逆転現象が起きてしまったのでしょうか。うだつの上がらない夫に失望した母親たちが、全ての希望を息子に向けるがために、男の子の自立が後れてしまうのだという意見もありますが、人間の変化はそんなステレオタイプの理論に集約できるものではないでしょう。
日本の女性は強くなって扱いにくいとこぼす男性が多くなりました。果たして、日本の女性は本当に気が強くなったのでしょうか。コンビニの前でパンツが見えるのも構わず、コンクリートの駐車スペースの上にあぐらをかいて座り込んでいる女子高生の姿を見て、単純に嘆いてはいけません。なぜなら、彼女たちは家で見せるくつろぎの姿を外で見せても平気になってしまっただけだからです。なぜ平気になってしまったのか。それは、そんな姿を見せたら恥ずかしいと思わせてくれるような男性たちが少なくなったからに他ならないのではないでしょうか。魅力的な異性を意識したら、絶対にあんなはしたない真似はできません。何しろ思春期の女性たちなのですからね。世間の中年女性たちが歓声を上げているヨン様の前では、さすがにあぐらをかいて地べたに座り込む女性はいないでしょう。 日本人の男性は、女性たちからすれば物足りない存在に成り下がってしまったと考えるのが一番公平かも知れません。韓国の男性たちは二年間の徴兵制度を経験してから社会人になります。そのような制度がない日本人との差は歴然としているのです。そして、腹の据わっていない男性に限って、女性を大切にすることができません。女性に対してわがままで、甘えん坊で、暴力的で…それはまるで相手の女性を自分の母親と勘違いしているかのようです。私はこの小説を通して、日本人男性のあり方も追求していきたいと思います。
《佳代子との出会い》
私と佳代子との出会いはもう二十五年も前の話になります。私は東京の第一志望の国立大学に落ちて、落胆した思いで埼玉県のある私立大学に入学しました。当時の私はほとんど劣等感の固まりです。神奈川県ナンバーワンの有名進学高校の出身でありながら、田舎の三流大学に進学するというのは、当時の見栄坊の私にしてみれば、プライドを粉々に砕かれるに等しい屈辱でした。しかし、人生とは本当に何が幸いするか知れたものではありません。あまり勉強には興味のない学生が多かったとは言え、外国人講師や教授たちは立派な人が揃っていましたから、選択する授業を工夫すれば、ほとんど二〜三名の少人数クラスで授業を受けることができたからです。他のみんなは授業をさぼって、どこかに遊びに行っているか、あるいは大量の勉強をさせられる授業は避けてしまうという背景もありました。おかげで、英会話の授業を週に十四コマも入れた私は、まるで外国に留学しているかのような、恵まれた環境で勉強に精出すことができました。今の私は、外国人と会話をすると必ず同じ質問をされます。「アメリカには何年くらい住んでいたんだ。アメリカのどこにいたの?」私の答えはもちろん決まっています。「僕は海外在住経験はないんだよ。勉強はもっぱら大学の授業とラジオ英会話でやったんだ」相手の外国人は、まず例外なく驚きます。私の英語はネイティブとほとんど遜色がないらしいのです。これは、全て私が田舎の三流大学に進学したおかげです。 さて、話が遠回りになってしまいましたが、私はそんな学生時代に、友人の紹介である小さな学習塾で講師のアルバイトを始めることになりました。「ソフィアセンター」という名前のその小さな塾との出会いは、私にとって一生の宝となります。そこで出会った数々の人々は、私の人生に大きな影響を与えてくれました。佳代子は、そのソフィアセンターに通っていた生徒の一人でした。私が彼女のクラスを担当したときは、私も教員になる前の最後の年で、佳代子は中学三年生でした。彼女のクラスには十名弱の生徒がおりましたが、佳代子だけはどことなく斜めに構えているのです。つまり素直ではありませんでした。それは、佳代子が大好きだった私の大先輩の先生が、九州の実家に帰ってそこで私塾を始めたことと大きく関係していたようです。私も尊敬していたそのM先生と比べたら、私などは取るに足らない存在だったのでしょう。佳代子はあからさまに私に反抗的な態度をとっておりました。
今でこそ体重八十キロを超えた堂々たる体格の私ですが、佳代子に言わせれば、当時の私は体重五十二キロ前後の細い学生で、小指でついても倒れてしまうのではないかと思えたそうです。佳代子にとってはまさに大器と呼ぶにふさわしかったM先生の印象が強すぎて、とても私を頼る気持ちにはなれなかったのでしょう。佳代子はそういう律儀な生徒でもあったのです。
しかし、私はある日、そんな反抗的な佳代子の態度に我慢ができず、何を思ったのか、佳代子の家を家庭訪問することにしました。いっかいの塾の講師、しかもまだ学生の分際で家庭訪問を考えるなど、私もずいぶん無茶な人間だったと思います。それでも、家庭訪問は本当に実行されてしまいました。あのとき始めて出会った佳代子のご両親の顔は、正直のところあまりよく覚えてはいません。ただ、どういういきさつからか、その日はそのまま佳代子の家に泊まることになってしまったのです。私は今も人が度肝を抜かされるようなことをときどきやってのけますが、学生時代の私も常識を越えた行動をたまにとっていたのですね。
ある日、こんなことがありました。佳代子の通っている中学校の教頭先生が本を出版したのです。私はその本が大変気に入ってしまい、剣道の達人でもあったその教頭先生のお宅に、アポイントもなしで突然お邪魔したのです。「あの、先生の本にいたく感動したものですから、今日は突然お邪魔してしまいました。ぜひこの色紙にお言葉をいただけませんでしょうか」突然の学生の訪問に、教頭先生もさぞかし驚かれたことでしょう。しかし、そういう学生はほとんどいない時代だったので、教頭先生はおもしろがって私を家に上げてくれました。ちょうど夕食の時間帯だったので、夕食までご一緒させていただくことになり、私はとんでもないことをしたのだということにやっと気づきましたが、もう手遅れです。その場には教頭先生の確かお兄さんで、その方はその当時の市長さんでした。私はとんでもない場に同席してしまったのです。教頭先生のお嬢さんからお酌をしてもらって、今でははっきり覚えてはいませんが、そのときの私は心臓が口から飛び出しそうなくらい大きな鼓動をたてていたはずです。
緊張の夕餉が終わり、私はやっと帰りの玄関に立つことができました。そして、教頭先生は私がお願いした色紙と一緒に、大切な木刀までプレゼントしてくれたのです。私はもう有頂天でした。まるで、ハリウッドの映画スターから記念の品をもらったような心境だったのです。
そんな私ですから、佳代子の家に家庭訪問した挙げ句、一泊させてもらうなどということは、今思えば私ならではの大胆な行動の一つだったのでしょう。佳代子は、今でもそのときの様子をよく覚えているそうですが、私は残念ながら、ほとんど全くと言っていいほど記憶には残っていないのです。ただ覚えているのは、佳代子の家が国道四号線のすぐそばにあったということだけです。私にあれだけ反抗的だった佳代子が、私が彼女の家に泊まることに反対しなかったのも、今思えば不思議なことですが、もしかしたら佳代子は私のことを嫌ってはいなかったのかも知れませんね。もちろん、本人に確認すればはっきりすることなのですが、私はなぜかそこだけはファジーなままで残しておいてもいいかなと思っています。
私は、正直なところを告白しますが、学生になるまでは本当に過保護に育てられていました。農家の長男に生まれた私は、学歴のない両親から手厚い保護を受け、教育には莫大な投資をしてもらいました。おかげで有名進学校に進学できたのですが、大学は親の期待を全く裏切ってしまったことになります。もちろん、東京都内の有名私大や神奈川県内の有名国立大学に合格する程度の実力は持っていたと思います。でも、私のプライドは一流の国立大学に入れなければ、中途半端な大学に進学することを許してはくれなかったのです。どうせ、志望の国立大学に合格できないのなら、田舎の名もない大学に行けと、私の馬鹿で未熟な青いプライドが私に強く命じていました。しかし、名前のない大学に在籍すると言うことは、社会に出てから勝負するためには実力一本になるわけで、その環境が逆に私を鍛えてくれることにもなったのです。 とにかく、そんな頭でっかちのケツの青い私を、佳代子の両親がどうして家に泊める気になったのかも、その理由は未だに不明です。佳代子の両親は運良く私たちの住む茅ヶ崎市の住宅公団に応募して一遍で当選してしまい、現在では車で五分ほどの団地に住んでいますから、行き来も盛んで、その当時のことも聞けば聞けるのですが、私はこれに関してもファジーなままにしておきたい気分なのです。でも、恐らくはこれも何かの縁だったのではないでしょうか。私は二年ほど前までは、佳代子を嫁にもらうことなど考えたこともありませんでしたから、学生時代の私も佳代子に対していやらしい感情を抱いていた訳では決してありませんでした。それなのに、一番反抗的だった佳代子の家族とまで知り合うことになったというのは、どう考えても神様のお導きとしか考えられないではありませんか。実際、佳代子はそれ以来私に対する反抗的な態度をすっかり潜め、私が神奈川県の教員採用試験に合格して茅ヶ崎市で中学校の英語科教師を始めることになってからも、度々茅ヶ崎の私の家に遊びに来てくれました。
佳代子は私の両親に対してとても優しく、特に私の父は佳代子の明るさが大好きで、自分の娘のようにかわいがってくれました。恐らく、私の顔は忘れてしまっても、佳代子の顔だけは絶対に忘れないのではないでしょうか。こうして、それから現在に至るまでの二十年以上に及ぶ佳代子と我が家とのつきあいが始まったのです。
それにしても出会いとは不思議なものです。私に一番反抗的だった佳代子が、私の家族の一員のように我が家にとけ込んでしまうのですから。父は佳代子が遊びに来てくれるのを本当に楽しみにしていました。よほど佳代子のことが気に入ったのでしょう。
年をとった父は、十年ほど前に脳梗塞の発作を起こし、それがきっかけで、次第に老化が進んでしまいました。救急車のお世話になること数回。毎晩のように、今夜は大丈夫か、今夜はどうかと、母も私も気が気ではありませんでした。そして、やがては寝たきりに近い状態になった父は、もう私たち親子の手の及ぶ状況を超えてしまい、現在では老人福祉介護施設に入所しています。皮肉なことに、入所してからの父はすっかり若さを取り戻し、薬も合っているのか、夜中に発作を起こすこともほとんどなくなりました。週に二回ほどの割合で施設を訪れる母と妻。私もときどき顔を出しますが、どうやら父が一番喜ぶのは妻の佳代子を見たときのようです。娘同然に成長する姿を見てきた父にとって、佳代子はかけがえのない優しい娘なのでしょう。施設の所員の間でも、父が佳代子の訪問を楽しみにしているのが有名なところを見ると、父は恐らく佳代子の自慢話をしているに違いありません。
二十五年前の佳代子との出会いが、こうして私と佳代子を夫婦という絆で結ぶようになるなど、誰が想像したでしょうか。私は佳代子の優しい人柄をよく知っていましたから、佳代子のような女性を妻に持って、それでもきちんとした家庭を築けない男は、人間的に相当欠陥があると思っていました。佳代子が最初の結婚で味わった苦痛は、後に詳しく述べることにしますが、おかげで佳代子は自分は一生「幸せ」という言葉とは縁のない女なのだと思いこんでしまったようでした。私はそんな佳代子を絶対に幸せにしたいと思っているうちに、佳代子を思う気持ちが愛情へと徐々に変わっていったのだと思います。佳代子は私を今でも「先生」と呼びます。もしかしたら、私のことを一人の男として見るようにし向けるのは、佳代子にとっては過酷なことだったのかも知れません。でも、縁あって夫婦になったからには、絶対に幸せにします。
《一匹狼の少女時代》
私は、佳代子の少女時代を実際に見たわけではありませんが、本人から聞く限りでは、学校の先生たちには比較的反抗的な生徒だったようです。それは、甘ったれて反抗するというのではなく、先生たちが納得のいかない言動をとったときに、あからさまに反抗したということのようです。ですから、佳代子はあまり先生受けのいい生徒ではなかったはずなのですが、中には佳代子にストーカーのようにつきまとう馬鹿な教師もいて、佳代子はずいぶん困ったと漏らしていました。
佳代子は実に不思議な魅力を持っていて、彼女の周りにはいわゆるツッパリの先輩たちが防護壁のように立ちはだかってくれていたのだそうです。佳代子自身は決して不良グループに属するようなことはありませんでした。昔風の言い方をすれば「つるんで悪をする」のは主義に反していたようなのです。ですから佳代子はいつも一人で突っ張っていました。それは同級生から見れば、非常に生意気に見えたでしょうから、佳代子が何度も体育館裏に呼び出されたのも無理からぬ事だったかも知れません。しかし、同級生たちは佳代子には強力なバックがいることを忘れていました。佳代子が呼び出されたと聞けば、はるかに怖い連中が佳代子の救出に向かったのです。佳代子は決して権威にこびる女性ではなかったので、なぜツッパリの先輩たちが彼女をそこまでかばったのかはよくわかりませんが、絶対に仲間を裏切らない彼女の誠実さと優しさを先輩たちは評価してくれていたのかも知れません。無用な喧嘩も好まないタイプでした。でも、友達がいじめられていたりすると、俄然正義感を発揮して勝負に出たようです。本気になれば、グループの頭になることもできたでしょうに、佳代子にはそんな趣味はなかったのですね。
そんな話を聞くと、佳代子がガールスカウトに入っていたなどという話には全く信憑性がなくなってしまいそうですが、それもまた事実です。彼女はガールの厳しい訓練にも耐え、精神的な強さを身につけていきました。そして弱者に対する優しさや正義感も、そんな訓練の中から身につけたものでしょう。また、彼女の父親は宮大工の血筋を引く建築業者でしたが、父親も正義と誠の人で、曲がったことが大嫌いでしたから、佳代子のまっすぐな性格は、そんな父親からの影響も強く受けていたに違いありません。
中学時代の佳代子は、スイミングの選手育成クラスに在籍したり、学校の体操部に属したりと、運動にも果敢に挑戦していましたが、本人の言葉をそのまま借りれば、「私は根性がなかったから本気で続ける気にはなれなかった」とのことでした。でも、私から見た佳代子は決して根気のない女性ではありません。きっと何かの理由があって、スイミングもやめてしまったのだと思います。体操部ではどの程度の活躍をしたのかは定かではありませんが、それほど夢中にはなっていなかったようです。
私と出会った頃の佳代子は、ちょうどその年頃の佳代子でしたから、「教師」と名の付く人間に対しては、非常に厚い壁を築いておりました。もちろん、尊敬するM先生と塾長のK先生にだけは、完全に心を開いていたのですが。佳代子からすれば、突然M先生に代わって授業を持つようになった、へなちょこの私は「いったいどこの馬の骨なんだ、この野郎は?」という感じだったのでしょう。それでも、私の中に秘められていた優しさとか正義感を彼女は敏感にかぎつけてくれていたのかも知れません。その当時は、まだまだ未熟だった私も、年齢を重ねるに連れて、非常に個性の強い一筋縄ではいかない教師へと変貌していったのですから。佳代子と同じように、私は弱者に追い打ちをかけるような真似だけは絶対にしませんでした。一戦を交えるとしたら、損得勘定を抜きにして権威のある相手とだけしか戦いませんでしたから、私には出世の道は完全に閉ざされていたと思います。いくら上から命令されても、自分の主義に反することは絶対に実行しない頑固な私でしたが、方針さえ納得がいけば、期待された二倍か三倍の活躍はしてきたと思います。そして、私は日教組からも脱組し、市内の研究会からも抜け、まさに一匹狼の教員生活を送っていましたから、人によっては私のことを「変わり者で扱いにくい」と評価していた人間も多かったことでしょう。そう言う意味では、佳代子と私は非常によく似ていたのです。 しかし、現実の私は決して変わり者などではありません。「一人で何かができない人間が十人集まって何ができると言うんだ」というのが私の考え方です。「三人寄れば文殊の知恵」という諺は、無能な三人が寄ることを意味してはいないと思います。有能な人間が力を合わせるからこそ意味があるのです。ですから、人間はまずは自分一人でできるだけの努力をしなければいけない。他人の評価をいちいち気にしながら仕事をするような人間は、どんなに他人の力を借りても、大した実績を上げることはできないでしょう。
しかし、佳代子は私とは違って、他人との争いは極力避けるタイプでした。無駄な争いは絶対にしないのです。自分に火の粉がかかるまでは絶対に余計なことに首を突っ込むことはしない。でも、困った人間を見たら絶対に放ってはおけない人間でした。ただ、高校生時代の佳代子は、かなりな放蕩生活を送っていたようです。大学生のバイクの尻に乗っかっては遠乗りを楽しんだり、夜の帰宅時間も決して早くはなかったようです。ダンスが好きで、ディスコにも入り浸りだったようですが、それでも決して節操の乱れた生活だけはしなかったところが、佳代子の一本筋の通ったところなのです。ですから、佳代子はいろいろな仲間たちから大切にされたようでした。決して尻軽女とは見られなかったのです。 思春期の娘ですから恋の一つや二つはしたことでしょう。でも、筋金入りの佳代子は、男性に関しては意外なほど臆病でした。用心深かったと言った方がいいかも知れません。佳代子が初めて私の家にボーイフレンドを紹介しに連れてきたのは、ちょうど彼女が二十歳になる少し前の頃だったでしょうか。高校卒業後は専門学校に行って歯科補助士の資格を取った彼女は、ある歯医者で事務の仕事をしていたようですが、人当たりのいい彼女に嫉妬した先輩の女性からは、結構いびられたようでした。筋金入りだったはずの佳代子の心に、繊細な傷が付き始めたのはその頃だったでしょうか。
女性は突っ張って見える人ほど、繊細な内面を持っているものですが、佳代子もその例外ではなかったのかも知れません。先輩のいびりに耐えきれず、仕事をさぼって熱海の方までぶらりと旅に出てしまったこともあったようです。鉄の女は真綿の心の持ち主でした。
《昔気質の父親》
佳代子の父親、つまり私の義父は筋金入りの人物です。若い頃は、喧嘩もよくした威勢のいい兄ちゃんだったようですが、どこか親分肌のところがあり、周囲の人間たちには慕われたそうです。頑固で自分の仕事にはプライドを持っていたので、大工の仕事も寸分違わぬ仕上がりが評判だったのですが、バブルの崩壊の時期に、信じていた友人に裏切られ保証人として多額の借金を背負ってしまいました。佳代子の家族は、その頃が最も辛い時期だったようで、佳代子の精神的な不安定さもその時期に助長されてしまったのかも知れません。
今では、この茅ヶ崎に引っ越してきて、穏やかな生活をしている義理の父と母ですが、義父は今でも仕事をしていなければ落ち着かないようで、古い車を飛ばしては今日は東京、明日は千葉と、若者顔負けの行動力を発揮しています。人間は仕事をしなくなって、自分の存在感がなくなったときに、急速に老け込むそうですから、元気な打ちは義父の好きなように仕事をしてくれればいいと佳代子も私も願っています。
そんな義父のところに、正式に佳代子をもらいに行ったときは、さすがの私も緊張しました。茅ヶ崎でも評判の地酒屋に酔って日本酒の一升瓶を日本仕入れ、それを手みやげに千葉まで向かったのですが、いつ結婚の話を切り出していいものやら、本当に緊張しました。しかし、佳代子から聞いていた義父のイメージと実際の義父とは大違いで、おおらかそうな優しい笑顔が似合う好人物で、私のことも気に入ってくれたようでした。私は佳代子の義父母も絶対に幸せにしなければと、そのとき固く心に誓ったのです。しかし、その割には待遇面では申し分のない公立学校の教員を途中で辞めてしまうなど、私の行動は一見すると非常に無責任なものでした。それでも、人生の苦労をたっぷりと味わってきた義父は、にこにこして私の決断を支持してくれました。もちろん、義母も佳代子も私の実の母も、みんな不安でいっぱいだったはずなのですが、そんなことはお首にも出さずに私の決断を受け入れてくれたのです。
本当に優しい人とは、本当の苦労を知っている人なのでしょう。佳代子の両親も、私の母も、共に信じていた仲間に裏切られて多額の借金に苦しんだ経験を持っていますから、私の苦しむ姿を見るのは忍びなかったのではないでしょうか。そして、ひと言もコメントをしなかった佳代子も立派な妻だったと思います。職人気質の父にしてこの娘ありというところでしょうか。
今でも心配して時々何かに事かけては私の様子を見に来てくれる義父母です。佳代子の優しい両親のためにも、私は精一杯頑張らなければなりません。そして、職人気質を貫き通した義父を見習って、私も言い意味で頑固に一生を送っていきたいと思います。
ところで、佳代子の父親は亭主関白に違いないような印象を与えると思うのですが、実際には非常に母親に気遣って生活しています。義母のことを「はっちゃん」と呼んでいることからも、それは明らかでしょう。確かに若い頃はいろいろ心配もかけたに違いありませんが、義母は常に義父をたてることを忘れない女性でした。ですから、年老いた義父は若い頃の義母の苦労を十分にねぎらいたい気持ちで一杯なのではないでしょうか。最近の夫婦に欠けているのは、お互いに対する敬意だと思うのです。中には子供の前で平気でご主人の悪口を言う主婦もいるようですね。しかし、本当に賢い妻とは、子供の前や他人の前では絶対に旦那さんをたてるものです。男というものは、何も気づいていないようでいて、女性のそういうきめ細かい心配りにはしっかり気づいているものなのです。そして、いつか自分が落ち着いた人生を送る頃になれば、若い頃の妻に対する恩をきちんと返そうとするのではないでしょうか。
老夫婦になってから、仲違いしてしまうような男女は、恐らく若い頃に苦楽を共にした経験もないのでしょうし、お互いに敬意を払いながら生活した経験もないのでしょう。だから、すっかり老いてしまったお互いの皺だらけの表情を見て、嫌気がさしてしまうのです。本当の愛情が育まれた夫婦なら、お互いの顔や手の、一本一本の皺にそれまでの人生の苦楽を感じ取るでしょうし、その皺を目にする度に、お互いに感謝の念を抱くに違いありません。
そして、世の中の女性陣に言いたいのですが、頑固に見える男性ほど律儀であるということを忘れてはいけません。男が優しいのは当たり前のことで、ただ優しいだけの男性を理想としたら、いざというときに自分のことを守ってはくれないかも知れません。本当に伴侶として頼れる男性とはどんな人なのか、もう一度よく考えてみるべきだと思います。
《最悪な男との出会い》
佳代子には素晴らしい恋人がいたのですが、縁がなく彼と寄り添うことはできませんでした。そして皮肉なことに、彼女が選んだ男性はとんでもない男だったのです。実際にどんな結婚生活が送られていたのかは、文字にするのもはばかられるような状況でした。ですから、ここでは一般論を書いて、後は皆さんの想像にお任せすることにしましょう。
世の中には、外面は至って良くても、家に帰ると「幼児帰り症候群」に陥って、信じられないような行動に出る男たちがいます。特に酒を飲んで訳がわからなくなる男性は、最低でしょう。いわゆる「DV法」が施行されてから数年がたちますが、自分より明らかに腕力の劣る女性に、酔った勢いで暴力をふるう男の存在など、私にはとても信じられません。腕力をふるうなら、自分より強い相手に立ち向かっていくのが男なのではないでしょうか。それが、社会でどんなストレスをためているかは知りませんが、妻が待っていてくれる家庭に帰った途端に、野獣と化し信じられないような暴君に変貌するなど、もってのほかです。自分自身に対して甘く、性格が幼稚で弱い人格だからそういう行動に出るのでしょうが、そんな目に遭わされる女性たちはたまったものではありません。そういう輩はそれこそ懲役刑に処すればいいのです。子供や女性に、感情の赴くままに暴力をふるうような男性は、人格的に以上なのですから、世の中から隔離する必要があります。
ところが、そういう意気地のない男に限って、会社などでは至って大人しい振る舞いをしているものですから、周囲の人間は家庭内で暴力をふるっていることなど全く信じようとはしません。そして、そういうつまらない男の同僚たちの台詞は決まっています。「奥さんにも問題があるんじゃないの?」
百歩譲って妻に問題があるとしても、それが暴力をふるう理由になるのでしょうか。人間はみなどこかに欠点を持った存在です。何か問題が起きれば、すぐに他人のせいにするのは人格的に未熟な証拠です。本当の大人は責任を自分に求めるものです。「どうして、」あいつは俺に〜してくれないんだ」と問う前に、なぜ「どうして俺はあいつに〜してやれなかったんだろう」と考えられないのでしょうか。
基本的に、社会に出て働いている男性たちは大きなストレスを抱えているのは確かでしょう。しかし、家庭にこもって専業主婦をしている女性たちもまた、別の意味で大きなストレスを抱えます。かえって、社会に出て外の空気を吸うことができる男性たちの方が、ストレスを解消する方法をたくさん知っているのではないでしょうか。ストレスと上手に付き合うのも大人の仕事です。それができずに、家庭に全てを持ち込んで妻に八つ当たりするのは、最も卑怯で幼稚な方法だとは思いませんか。
家庭での暴力に走らずに、外で放蕩生活を送ることでストレスを発散する男性もいるようですが、そんな性的に野放図な生活を送りたければ、結婚して家庭など持たなければいいのです。結婚という社会的な儀式は、男性も女性も共に大きな責任を持つことを意味します。共に協力し合って、辛苦を共にするのです。その約束を守れる自信のない男性諸君は、残念ですが結婚など夢見ないことです。世の中に不幸な女性を増やすだけですから。 私は決してフェミニストなどではありません。一生懸命にストレスと闘いながら、家族のために汗している男性に対して、正当な評価をしようとしない女性たちがいることも確かです。女性の幸福が人格の熟した男性との出会いにあるのと同様に、男性の幸福も思いやりに満ちた女性との出会いにあるのです。なかなか出世をしないからと言って、ご主人を責めたりしてはいけません。ずるがしこさがないからこそ、出世が遅れるわけで、結婚したときにはご主人のそういう純粋さに魅力を感じたのではないのですか?
確かに世の中はお金が物を言う場面が多いですね。しかし、それが全てではありません。お金では買えない「愛情」も確実に存在します。札束に囲まれて一人寂しく生きることを選ぶのは勝手ですが、それだけが幸せな人生ではありません。
さて、佳代子の話に戻りますが、佳代子はとても面倒見のいい女性なので、駄目な男にも心を込めて尽くそうと頑張りました。そして、夫婦生活がうまくいかないのは、きっと自分にも原因があるのだろうと、自分を責め続けたのです。その結果、佳代子は自律神経を患ってしまいました。どんなにか苦しかったことでしょう。私にもっと早く相談してくれれば、その苦しみからもっと早く解放して上げられたかも知れないのに。
私は佳代子に何度も離婚を勧めましたが、佳代子は自分が頑張れるだけ頑張ろうと決心していたようでした。こんな健気な女性を妻としてもらっていながら、なぜ彼女の幸せにしてあげられなかったのでしょう。前述したように、佳代子にも何か欠けている点は合ったかも知れませんが、私から見ていて彼女は同世代の女性の中では、珍しいほどしっかりした「妻」だったと思います。やがて彼女は別居を決意しますが、それまでは家庭内の問題を両親に漏らすこともなかったようでした。佳代子が味わってきた長きにわたる苦痛を知った父親は激怒しました。それはそうでしょう。たった一人の娘を預けたのです。第三者の私でさえ相手の男を殺してやろうかと思ったくらいひどい仕打ちを受けてきましたから、義父の憤りはどれほど大きかったことか。また義母の悲しみを思うと、胸が痛みました。佳代子の父親は百戦錬磨の筋金入りでしたから、相手の男性を社会的に葬ることなどいとも簡単にできたはずです。しかし、義父は佳代子の心の傷を深く思いやったのでしょう。極端な行動に出ることは精一杯我慢しておりました。私の知り合いにも、その筋の幹部はおりますから、そういう人たちに相談して相手の男を痛めつけることも簡単にできたのですが、それまで一生懸命苦しい生活に耐えてきた佳代子の心情を思うと、そう簡単に事を荒立てることはできませんでした。
離婚が成立するまでどのくらいの長い時間が経過したことでしょう。相手の男性にも社会的なメンツがあったのでしょうが、せめて男なら最後に引き際ぐらいは潔くして欲しかったと思います。佳代子にとっても、離婚をすることは決してプラスになるとは限りませんでした。最初の結婚の失敗がトラウマになって、二度と結婚生活に踏み切ることができなくなってしまう可能性もあったからです。しかし、だだっ子のように離婚を長引かせる相手も、ついに根尽きて、佳代子はやっと野獣の巣から解放されることになりました。
私が佳代子との結婚を考え始めたのはそんなときでした。佳代子のような女性を妻に迎えることができれば、どんな男性も絶対に幸せになれるという確信はあったものの、その相手に自分をあてはめることなど、それまでは全くなかったのです。しかし、同じバツイチで新しい伴侶を求めていた私は、思い切って佳代子にプロポーズしました。離婚したばかりの女性にプロポーズするなど常識を逸しているとは思いましたが、佳代子には辛い思いが整理できた後には、新しい生活が待っているという希望を持って欲しかったのです。それまでは「先生」としてしか私を見ていなかった佳代子に、突然「男性」として私を見ろと要求するのは実に過酷なことでした。しかし、佳代子は長く迷った挙げ句に、私の申し出を受け入れる決心をしてくれました。私は、そんな佳代子を、それまでの分まで幸せにしてあげたいと思いました。誰かを幸せにして上げる、という考え方はある意味では非常におごった考えですが、そのときの私は本気で白馬の騎士になる決意でいたのです。
それにしても、私たちを含め、結婚生活に破綻を来すカップルの何と多いことでしょう。私の同級生でも、離婚してしまった男女は珍しくありませんし、私の身の回りにもそういう人たちを探すのに苦労はしません。お互いにほんの少しずつの思いやりがあれば、きっと乗り切れるはずの困難も、今の時代には簡単にあきらめられてしまうのでしょう。特に子供がいる場合には、親は自分自身の人生よりも、まずは子供の将来を考えるべきではないのでしょうか。離婚をするのは子供たちが成人してからでも遅くはありません。しかし「無理な同居を続けているよりも、別れてしまった方が子供のためにもいい」と言われるケースがあるのも事実です。
先ほども言ったように、私は決してフェミニストなどではありませんが、結婚生活の破綻の責任の多くは男性の決断力と包容力のなさに起因しているような気がします。私自身が最初の結婚でそうだったように。大きな心で、妻をいたわる気持ちを持ち続けることができる男性なら、きっと円滑な結婚生活を営むことができるに違いないのです。でも、多くの男性は、極端なストレスを抱えた生活の中で自分の足元を見る余裕さえなくしていきます。ましてや、自分の女房の苦労を思いやる余裕など、どこかに忘れてしまっているのです。たまに花一本を買って帰るだけでも、女性はどれほど嬉しいか知れません。「この人は私のことをちゃんと思ってくれていたんだわ」女性はきっとそう思って安心することでしょう。男性と違って、女性は常に自分が愛されていることを確認したいのです。だからこそ、髪型を変えたことにも気づかない亭主に冗談半分に文句を言ったりする。冗談半分ですから、半分は本気です。私も含めた男性陣は、そんな妻をいたわる余裕を、常に心のどこかに持っていなければなりません。これは自戒の意味も込めて断言できます。
ところで、その最悪の男とはいったい誰のことなんだと、追求しないで下さい。佳代子は今でも、自分がもっとしっかりした妻だったら、彼もそんなひどい状態にはならなかったのではないかと、自分自身では思っているようなのです。私は、ですから彼の悪口を佳代子の前では言わないように努めています。彼にしても、この離婚がきっかけとなって、少しは成長しているかも知れません。これは暴露本ではありませんから、どうぞそのあたりは十分に理解していただきたいと思います。 そして、もし万が一、この本を「彼」が目にすることがあったとしても、決して逆上しないでもらいたいのです。佳代子には血の気の多い応援団が信じられないくらい大勢いるからです。命があっただけでもラッキーだったと思って、潔く新しい人生を踏み出してもらいたいと思います。DV法がすでに施行されていましたから、両手にわっかがかからなかっただけでも儲けものですからね。
《京都をこよなく愛する女性》
実は、佳代子と義母は旅行が大好きです。全国あらゆるところを旅してきたと言ってもいいかも知れません。そして、その中でも、佳代子は京都をこよなく愛しています。私は中学校教員をしていた関係で、京都には何度も修学旅行の引率で行っているのですが、佳代子と一緒になって、本当にゆっくりと京都の旅を楽しむようになりました。もう二十回近くも京都に旅した計算になりますから、下手をすると旅行代理店の社員も務まるかも知れません。
私たちは、京都に行くと、多くの場合は鴨川沿いのホテルFに宿泊します。佳代子はそこの土産物売り場の若い女性と友達になってしまいました。たいていは、鴨川に面した部屋を予約するので、夜は鴨川のせせらぎを子守歌代わりに聞きながら眠りにつきます。本当に心が洗われる感じです。最初の頃はレンタカーであちこち移動していた私たちも、今ではバス・地下鉄の一日乗車券を買って、ゆっくりと京都の町を楽しむようになりました。桜色に染まった春の京都も素晴らしかったし、あかね色に染まった初冬の京都もまた見事でした。修学旅行はたいてい新緑の時期に実施されるので、京都の別の顔を見た思いがしました。
私も佳代子も静かな庭園が大好きです。ですから詩仙堂とか大原三千院などは、本当に何度行っても飽きません。旅行の楽しみの一つは食事ですが、佳代子は湯葉料理が大好きで、嵐山で食べた湯葉定食は本当に美味でした。嵐山の竹林も素晴らしかった。何もかもが、私たち夫婦のいい思い出として、デジカメの画像となってコンピューターの中にしっかりと保存されています。
佳代子は京都の美しさに感動するたびに私に言うのです。「先生、連れてきてくれて本当にどうもありがとう」私は別に大したことをしているわけではありませんから、どう答えていいかわからず、ただ笑っているだけですが、佳代子は本当に幸せそうな笑顔を私に見せてくれます。そこで、ある時私は花屋によって小さな花束を買って佳代子にあげました。すると、佳代子は大喜びで砂糖を溶かした水の中にその花束をさして、ホテルの部屋のベッドのところに、大事そうに飾ってくれました。「先生、本当にどうもありがとう」佳代子は私に感謝してばかりいます。私はそんな佳代子が愛おしくてしかたありません。 ちょうど仕事で疲れていた私にとっても、佳代子との京都への旅はいい気分転換になりました。私が尊敬する坂本龍馬のお墓参りもすることができましたし、有名な円山公園の夜桜見物もすることができました。幸せな夫婦になれるようにとお参りした下鴨神社には、時間的な余裕があれば必ず行って、お礼を言うようにしています。私たち夫婦にとって、京都は本当に特別な場所です。そして、佳代子が本当に幸せそうな笑顔を見せてくれる限り、私は何度でも京都への旅を企画するつもりです。今度は雪景色の京都に行ってみたいと思っているのですが、仕事を辞めてしまって一挙に収入が減った今の私の経済的状況では、その話が実現するのはもう少し後のことになりそうですが。
佳代子はとても几帳面な性格で、何度も行っている京都なのに、旅の前には必ず楽しそうにガイドブックでどこに何があるかを調べています。そんな楽しそうな佳代子の横顔を見るのも私にとっては幸せな瞬間です。目が飛び出るほどの値段のダイヤモンドを勝手上げたわけでもないのに、佳代子はどんな小さなことにでも、必ず感謝の気持ちを言葉にしてくれます。こんな優しい女性が世の中にいるのかと思うほど、繊細な心を持った女性なのです。私も早く安定した収入を得られるようになって、また佳代子を京都の旅に連れて行ってあげなければなりません。今度もまた鴨川沿いのホテルFに宿を取りながら。
ちなみに、今年の京都は紅葉が例年より長続きしているようです。テレビで清水寺の真っ赤に色づいた木々を見るたびに、ため息が出てしまいます。私たちは、まだ清水寺の紅葉を直に見たことがないからです。坂本龍馬が京都の町をこよなく愛したという気持ちが本当によくわかります。
しかし、京都は驚くべき一面も持っているのですが、皆さんはご存じでしょうか。それはドライバーの運転の荒さです。そこに関しては大阪と京都は結構いい勝負かも知れません。信号無視は当たり前。車の窓からたばこの吸い殻は平気で捨てる。制限時速などあって無きがごとし。あんなに美しい街なのですから、そこに生活する人々にはもっと心の余裕を持って欲しいなと感じました。京都は観光客には温かいが、移入者にはめっぽう冷たいと言う話も聞きましたが、それは事実かどうか確かめるすべもありません。でも、私は柔らかい京都弁が大好きなので、京都の人たちも大好きです。自分もあの京都弁を自由に操れるようになればいいのにと思うことがあります。
佳代子は、自律神経を患った割には、非常に人なつこい女性なので、どこに行ってもすぐにいろいろな人と仲良くなってしまいます。誰からもかわいがられるのです。本当に不思議な女性です。きっと佳代子と接する人たちは、安心して佳代子に心を開くことができるのでしょう。イルカが癒しの超音波を発するように、傷ついた心の痛みを嫌と言うほど味わった佳代子は、自分でも知らず知らずのうちに癒しのオーラでも発しているのではないでしょうか。
昭和四十一年十月生まれのO型の佳代子。少々言葉が乱暴なときもありますが、心は少女のように純粋な女性です。そして、周囲の人間に細かな気配りをしすぎて、自分の中にストレスをため込んでしまう女性でもあります。私はそのストレスの吸飲材でいたいです。
《周囲に気を配りすぎて》
前章にも少し書きましたが、佳代子は本当に気配りの細かな女性です。O型で大ざっぱな性格のように見えますが、本当はA型の私以上に細かな気配りを常にしている女性なのです。そんなに気を遣っていたら疲れてしまうだろうにと、私の方が心配になるくらいです。私の母も、佳代子のことはとても気に入っていて、私に佳代子を嫁にもらえとしきりに言っていたのですが、いざ一緒に暮らしてみれば、ニアミスだって度々あります。そのたびに、佳代子は小さな心を傷つけているのがよくわかりました。私は表面上はできるだけどちらの味方もしないように配慮しながら、佳代子と二人きりになったときには、いろいろ励ますような言葉をかけていましたが、どんなに気に入った人間同士でも、同じ屋根の下で暮らすとなると、それなりの軋轢があるものです。特に女性同士の関係は、構築するのが非常に難しい。
うちの母は母で、佳代子の両親に大変気を遣っています。母は、若くして父の元に嫁がされてしまったので、祖母からいろいろな事を仕込まれたようです。海のそばの館山で生まれ、海の生活に慣れていた母が、十八才の若さで農家に嫁いだのですから、本当に逃げたい気持ちだったでしょう。しかし、母は昔の女性でした。私がお腹にいることを知ったとき、全ての困難を乗り越えて石山家に残ることを固く決意したようです。そんな苦労を乗り越えてきた母ですから、本当は佳代子の苦労もよく理解しています。ただ、海千山千で人生を送ってきた母なので、多少言葉がきついときがあって、それをまともに受けてしまう佳代子は、その都度傷ついていたようでした。今では、だいぶ慣れたようですが。
佳代子は、夜のうちに次の日に私が着ていくYシャツとネクタイのコーディネイトを考えます。「そんなこと明日の朝やればいいじゃないか。早く寝ようよ」と私が言っても、なかなか言うことをききません。基本的に、私は自分のことは自分でやる主義です。妻だから亭主に尽くせなどという考えは微塵も持ってはいません。お互いに忙しい生活をしているのですから、女性だけが犠牲になる必要など全くないのです。お互いにできることをして、支え合っていけばいい。でも、佳代子は自分が自分の理想とする妻らしいことをしそこねたとき、私に何度も謝ります。私はなぜ佳代子が私に謝っているのか理解できないときがあるくらいです。理由を尋ねて、なんだそんなことを気にしていたのかと、がくっとくることも度々です。そのくらい佳代子はいろいろなことに気を遣っているのです。もしかしたら、それは最初の結婚に失敗してしまった佳代子のトラウマがなせる業かも知れません。ですから、私は「そんなこと」と頭から佳代子の心遣いを否定することは、できるだけしないようにしているのですが、それでも余裕がないときには、心ない言葉で佳代子を傷つけてしまっていることでしょう。私の気性は母とそっくりですから。
ある時、私が二階の寝室にいると、階下から女性の泣き声が聞こえてきたことがありました。すすり泣きではなくて大泣きです。まさかと思って下に降りてきてみると、台所で佳代子がわんわん泣いているのです。それは、私のひと言が原因でした。当時私は財布の中身が非常に寂しい状況で、そのことを家族にも知られたくなかったので黙っておりました。ところが、私自身の処方薬がちょうど底をつくところだったので、佳代子から何度も医者に行くように言われていたのです。私もそうしたかったのですが、実は財布の中身がほとんどゼロでした。私はあまりにしつこく医者の話をするので、佳代子に「お金が無くて行けなかったんだ」と言ってしまいました。どこかのサラ金に借金をしてでもいいから、最後まで黙っているべきだったのに、私は男らしくなかったと思います。私のその言葉を聞いた佳代子は、自分の至らなさが情けなくなってしまったそうです。それで、子供のように大きな声を上げて泣いてしまったとのことでした。私は佳代子に謝りました。なぜなら、私の財布の中身が空なのは、佳代子のせいなどではなかったからです。計画的にお金を使うことができなかった私に原因があるのですから、そのことで佳代子を泣かせるのは、本当に男として恥ずかしいことです。
そんなこんなで、結婚してしばらくの間は、佳代子が台所で食事の後によく戻している姿を見ました。私は何度も佳代子に医者に行って診てもらうように言ったのですが、佳代子は、原因はわかっているから大丈夫だと言ってなかなか病院には行きませんでした。今だから理解できるのですが、佳代子はストレスが胃に来てしまって、それで食べたものを吐き出していたのです。何とかしてあげたいと思ったのですが、私にできるのは佳代子を好きな京都に連れて行ってあげることくらいしかありませんでした。しかし、そんな我が家に、ある日突然救世主が現れることになります。それは、今年の母の日に、私の母にプレゼントした柴犬の「龍馬」でした。私は、母の日に間に合うように(と言っても、仕事に追われていて、探し出したのは間際でした)大きなペットショップに行ったのですが、求めていた柴犬は見あたりませんでした。どうしようかと途方に暮れてしまった私は、何気なくインターネットオークションのページを開いてみたのです。そしてびっくりしてしまいました。なぜなら、そこにはかわいい柴犬の赤ちゃんが何匹も出品されていたからです。私はすぐに印象に残った柴犬に六万円で入札し、見事に落札することができました。出品者は、たまたま隣町のペットショップのご夫婦だったので、私と佳代子は六万円を手に、大急ぎで隣町まで車を飛ばしました。そして龍馬は佳代子の胸に抱かれながら、我が家の一員となったのです。母はとても喜んでくれました。そして不思議なことが起きたのです。 それまで、食後に必ず戻していた佳代子が、一切戻さなくなったのです。これは、明らかに龍馬の癒し効果でした。本当にずっと抱きしめていたいくらいかわいい龍馬は、佳代子のストレスを全て吸収してくれたのです。私は、神様が人間の世界に動物を置いた訳がわかったような気がしました。イルカの癒し効果は有名ですが、犬も大変なパワーを秘めているのです。老人ホームを数匹の犬や猫が訪問して、閉ざされた老人たちの心を開いてしまうという話は何度も聞いていましたが、私は目の前でその不思議な力を目撃することになりました。龍馬のおかげで、介護施設に父が入所して、私が退職してと、災難続きだった我が家が一気に明るくなったような気がしました。そして、佳代子も笑顔が絶えなくなったのです。私は心の底から龍馬との出会いに感謝しました。もちろん、佳代子自身が一番そのことに感謝しているはずです。
《龍馬との関係》
愛犬龍馬の話をしましたが、犬は一般的に周囲の人間の格付けをすると言われています。自分のボスが誰で、友達は誰で、子分は誰なのか、という具合です。どうやら、龍馬の場合は私と母のどちらかがボスで、佳代子はお姉ちゃんか友達だと格付けしているようです。恐らくは、小さい頃に佳代子の胸の中に抱かれて我が家に来たときの記憶がしっかりと残っているのでしょう。龍馬にとっては佳代子は優しさそのものなのです。ですから、佳代子とじゃれるときはもう大変です。佳代子は長い髪を後ろで結っているのですが、龍馬はその束ねられた髪の毛に飛びつくのが大好きで、佳代子を押し倒して束ねられた髪の毛に思い切り噛みつきます。佳代子は必死に抵抗するのですが、もうすぐ九ヶ月を迎える龍馬の力は相当なもので、佳代子も大苦戦。「パパ、助けて!」という悲鳴で、私が救援に駆けつけるという始末です。
母や私は龍馬がいたずらをすると、結構きつく叱りつけますが、佳代子は龍馬に語りかけるように話をします。母は、そんな佳代子に「もっと厳しくしつけなくちゃだめだよ」と言いますが、私は母には「いろいろな役目の人間がいなくちゃ、龍馬だって身の置き所がなくなるだろう」と言うことにしているのです。実際、家族の誰もが厳しいボスのような存在になってしまったら、龍馬は叱られたときに甘える場所がなくなってしまいます。人間の子供もそうなのですが、逃げ場がないような追いつめ方をしては絶対にいけません。必ず逃げ場は作って上げないと駄目なのです。それは人間の子供も犬も同じこと。
佳代子の決まり文句は、「できるだけ龍馬が叱られる回数を減らすように、龍馬がいたずらしそうなものは片づけてあげないとね」なのです。佳代子はあくまで優しいわけです。本当に龍馬がかわいくて仕方ないといった感じです。それは私も同じ気持ちなのですが。 子供のいない私たち夫婦にとっては、龍馬は子供以上の存在です。人間のように口がきけないだけ、余計に関わりが深くなるものなのでしょう。お互いに表情で相手の感情を読み取らなければならないわけですからね。夜になって、龍馬が眠気に勝てずにうとうとしているときなど、本当に愛おしく感じます。龍馬は寂しがり屋なので、私と佳代子が座っているソファーに上がってきて、私と佳代子の間に横たわるのですが、この間は頭が下がってかわいそうだと思い、枕を置いて「使っていいよ」と言いましたら、本当に枕に頭を載せて寝てしまいました。その姿はしっかりと佳代子がデジカメに納めてくれていますが、もう何とも言えないかわいさでした。
私と佳代子が父の介護施設に行くときは、龍馬を必ず連れて行って上げて、佳代子が父の面倒を見ている間に、私が近くの川岸を龍馬を連れて散歩することにしているのですが、龍馬はときどき車の中で粗相をしてしまいます。彼なりに一生懸命我慢していても、車が揺れた瞬間におしっこを漏らしてしまうことがあるのでしょうね。それでも、佳代子も私も龍馬を叱ることは絶対にありません。車のシートなど、そうじをすればいくらでもきれいになるからです。それよりも、一生懸命におしっこを我慢していた龍馬の律儀さを思うと、そちらの方がかわいくなってしまいます。犬にだって限界はあるのです。そういう意味では、佳代子も私も動物に対する味方は一致しています。
昨日は、どうしても佳代子が龍馬の散歩コースを一緒に歩いてみたいというので、父の介護施設に行く日ではありませんでしたが、昼間の温かい時間帯にいつもの川岸までピクニックに出かけました。そこはまだ自然がたっぷり残っていて、龍馬にとってはまさに天国です。龍馬は鳥や蝶々のような動きの素早いものにすぐに反応するので、ちょっと油断していると、リードを思いっきり引っ張られてしまいます。草むらもたくさんあって、龍馬の思うとおりのペースで散歩をしていたら恐らくは一時間以上はかかってしまうコースでしょう。
龍馬の散歩に関しては、佳代子と私とでは全く方法が違います。私は自分のペースでどんどん龍馬を引っ張ってしまいますが、佳代子は龍馬の思うように歩かせてあげているようです。ですから、散歩に要する時間も倍近く違ってしまいます。ある時などは、散歩に出かけて二時間近くも戻ってこないので、私と母で心配してしまいました。佳代子の龍馬に対する優しい気持ちがよくわかりますね。 しかし、甘えん坊は佳代子も龍馬に決して引けをとりません。私が夜の十一時近くに帰宅すると、佳代子と龍馬が出迎えてくれるのですが、私が「龍馬ただいま」などと龍馬に先に声をかけたらもう大変です。「違う!私の方が先でしょ」と佳代子が怒り出します。そういうときの佳代子はまるで幼稚園児のように無邪気です。むしろ龍馬の方がよほど大人に見えるくらいですから。
佳代子は、どこかに出かけるときは、必ず龍馬にさよならを言うことを忘れません。まあ、うちの家族全員が似たような行動をとるのですが、佳代子の場合は完全に龍馬を自分の子供と同様に扱っています。もしかしたら子供ができない自分を、どこかで密かに責めているのかも知れません。私は、子供は点からの授かりものだと思っていますから、自分の跡継ぎができようとできまいと少しも気にしていないのですが、佳代子はずいぶん気にしているようなのです。私の母も、そのことで佳代子にプレッシャーをかけるような言動は一切していませんが、もしかしたらそんな気遣いがかえって佳代子には大きなプレッシャーとなって感じられるのかも知れません。ですから、そんな自分のやるせなさが、龍馬に対する愛情の深さになって表れているような気がしないでもありません。
龍馬を抱きしめているときの佳代子は、母親の顔そのものです。本当に龍馬のことを愛しているのがよくわかります。世の中には動物を虐待する人間もたくさんいますが、おもしろいもので、物を大切にできない人は、動物の命も大切にできず、動物をかわいがることができない人は、結局は人間の命をもいとおしむことができないのです。ですから、世の中がこれだけ物質主義の時代に染まって、そこいら中に使い古された道具やゴミが散乱している状況は、世間に人を愛する心が薄れつつあることを物語っていると言えるでしょう。ですから、私は散歩で誰かと出会うとほっとします。ああ、ここにも動物を愛する人がいると。そして佳代子を見ていると、本当に心が豊かになる気がするのです。きっと、食糧難の時代になっても、佳代子は自分の分の食べ物を龍馬に分け与えることでしょう。龍馬もそのことをよくわかっているので、佳代子には安心して甘えていくのだと思います。
《助手席で頭を下げるなんて》
私が収入の道を絶たれ、現在は今までの公務員時代の三分の一の給料で進学塾の講師をしている私のおかげで、佳代子も定期的に市立図書館の仕事を引き受けています。市の規定で普段は公共の交通機関を使って勤めに向かっている佳代子ですが、余りひどい雨の日などは私が来るまで駅まで送ることにしています。途中、狭い道路で対向車に道を譲ってもらったりすると、私が手を挙げてお礼を言っているのに、ふと助手席を見れば、佳代子までが手を挙げてお礼を言っているのです。「佳代子、助手席の人間は大人しく座っていてくれればいいんだよ」と何度言っても、佳代子はお礼を言うのを辞めません。そういう娘に育てられてしまっているのでしょう。
それでいて、迷惑な運転をしている車を目にすると「おめえ、何やってんだよ」なんてつぶやいているのですから、全くそのギャップが楽しくて仕方ありません。そういうときの佳代子は、すっかり学生時代の正義の味方の一匹狼に戻っているのでしょう。佳代子は不正が大嫌いです。迷惑駐車も大嫌いだし、携帯電話をかけながら運転しているドライバーを見かけると、まるで婦人警官にでもなったかのように腹を立てます。もっとも、婦人警官という職業は佳代子が最も嫌う職業の打ちの一つなのですが。別に暴走族のレディースに属していたわけでもないのに、警察を極端に嫌います。それは、恐らく権威を振りかざして自分たちは平気で悪いことをしている一部の警察官たちに対する憤りの表れなのでしょう。また、親友のご主人が警察官をしていて、その男がこれまたひどい亭主で、佳代子の親友を泣かせてばかりいるのです。それも佳代子が警察権力を嫌う理由の一つになっているのでしょう。
それでも、私がとろい運転をしている前の車に文句を言ったりすると、「ほら、運転しているのはお年寄りなんだから仕方ないわよ」などと言って、私をたしなめたりします。ですから、私が横断歩道を渡ろうとしている老人や子供を見て車を止めると、佳代子は本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれるのです。そして必ず私に「ありがとう」と言います。どうして佳代子にお礼を言われるのかなあと妙な気分になりながらも、佳代子が喜んでいると無条件で私も嬉しくなってしまうのですから、理屈などどうでも構いません。
ただ、助手席の佳代子はいいのですが、運転席に座らせるともう大変です。直進は安心して見ていられるのですが、バックになると全く方向感覚がない。「ちゃんと自動車学校へ行ったのか?自動車学校の教官は女性には甘いからな。失敗しても笑ってごまかしていたんだろう」などと言って私は佳代子をからかいますが、本人はいくら頑張ってもバックの感覚がわからないのだそうです。しかも、運転中あちこちに気を遣っていますから、運転が終わった後はどっと疲れが出てしまうようです。まあ、世の中の人全てがドライバーになる必要はないわけですから、佳代子にはハンドルを握らせない方が世の中のためかも知れませんね。ただ、これは私の想像でしかありませんが、恐らく助手席に私が座っていなければ、佳代子はもっと大胆に自然な運転をするのではないかと思うのです。私に怪我をさせてはいけないと考えるから、体に力が入ってしまうのではないでしょうか。佳代子とはそういう女性なのです。
そういう事情もあってか、佳代子はどちらかと言えば、自転車や原付自転車で風を切って走る方がずっと好きなようです。ちょうど宮崎駿さんのナウシカという作品の中で、ジェットグライダーのメーヴェに乗って、風邪を読みながら大空を自由に飛び回るナウシカのような心境なのではないでしょうか。私は佳代子が風邪に髪をなびかせて自由に走り回っている姿を想像すると嬉しくなります。佳代子にはもっと自由が必要だからです。
佳代子は本当に愛想のいい女性です。龍馬の散歩をしていても、いっかいの散歩で何人もの人と知り合いになって帰ってきますから、変わりに私が散歩に出たときなどは、「あらいつもは奥さんが散歩をしてらっしゃるわよね。龍馬君でしたっけ」などと声をかけられて面食らう始末です。現在は市立図書館の仕事をしている佳代子ですが、市の規定で勤務は三ヶ月以上連続ですることができないのですが、上司にかわいがられる佳代子は、仕事の真面目さも手伝って、定期的に何度も声がかかります。歯科医院に勤めていた頃は、患者さんが佳代子の顔を見たくて病院に来るという有様で、本当に不思議な魅力を持った女性なのでしょう。
でも、O型の佳代子はそれでも精一杯四方八方に気を遣っているらしく、仕事から帰ってくるとソファーでぐったり眠り込んでしまいます。ある時などは、パソコンでインターネットをしているうちに、うとうとと眠り込んでしまったこともありました。気疲れしてしまうのでしょう。
ただ、老人や子供と接しているときの佳代子は、何の気遣いもしていません。自分をそのままさらけ出しているだけだからです。笑顔を満面にたたえて接する佳代子に、老人も子供もすぐになついてしまいます。老人がなつくという言い方はおかしいかも知れませんが、うちの父以外の介護施設のご老人たちも佳代子の訪問を楽しみにしているのです。きっと、佳代子が来るとその場がぱっと明るく花が咲いたような状況になるのでしょう。どんな人にも気軽に声をかける佳代子です。普段、家族の面会がほとんどない人などは、佳代子に声をかけられて肩をもまれたりしたら、きっと涙が出るほど嬉しいに違いありません。私から見ていると、佳代子は看護師や介護福祉関係の仕事や保育園の保母さんなどが向いているのではないかと思います。佳代子は助手席以外でもいつも手を挙げているのです。
《感激屋の佳代子》
佳代子は非常に情にもろい女性であり、またどんな小さな事にも、私から見るとどうしてそんなに大袈裟なんだと思うほど、大感激する女性でもあります。きれいな景色を見たときの佳代子は、もうその場を動くことはありません。あまりに長い間じっとしているものですから、私の方が「もう行こうよ」とせかさなければならない始末です。まるでうちの龍馬とそっくり。そして、きれいな一輪の花にも感動する佳代子は、いつも感激した後に私に「ありがとう、パパ」と言います。きれいな景色を作ったのは神様であって私ではないのに、佳代子は私にお礼を言うのです。それは、こんなきれいな場所に連れてきてくれてどうもありがとう、という意味らしいのですが、何とまあ謙虚な人間なのでしょう。 佳代子を春と秋の京都に連れて行ったときなどは、もう大歓声の嵐で大変でした。桜の花に縁取られた哲学の道を歩くのに、どれだけ時間がかかったことでしょうか。琵琶湖疎水の激しい水の流れにも大歓声を上げておりました。そして、秋の京都などはもう子供のようにはしゃいでしまう始末です。まあ、私でも心が躍る美しさでしたから、それも無理からぬ事なのですが、そういう大きな自然だけでなく、どんな小さなことにも感動できる佳代子は、本当に繊細な感覚の持ち主なのだと思います。私が小説を書いたりするより、佳代子が書いた方がおもしろい作品ができそうな気がしますが、佳代子は文章を書くのが気が遠くなるほど遅いのです。だいたい、手紙を書くのに下書きをするくらいですからね。私はワープロに向かっていきなりキーボードをたたき始めるタイプですが、佳代子は用意周到です。ですから、彼女が小説などを書き始めたら、恐らく死ぬまでに完成することはないでしょう。
佳代子はデジカメで龍馬の写真の撮るのが大好きです。それだけ、龍馬が信じられないほどいろいろな楽しいポーズをとってくれるということでもあるのですが、かわいい寝顔を見せていれば、デジカメのシャッター音でせっかく気持ちよく寝ている龍馬を起こしてしまうことになります。佳代子の努力のおかげで、私のコンピューターの外付けハードディスクの中は、龍馬の写真であふれかえっています。コマ送りのスピードを速くしてスライドショーを上映したら、動画になってしまいそうです。でも、佳代子のそんな趣味のおかげで、記念すべき龍馬のナイスショットが何枚も残されたのは素晴らしいことでした。 佳代子と私は何度も映画館に足を運びましたが、二人の好みの映画は全く違います。私は未来物・科学物・戦争物などが好きですが、佳代子は泣かせる映画が大好きです。二人が共通して感動したのは『冷静と情熱のあいだ』でした。私は、いつか佳代子をイタリアに連れて行ってあげたいと思っています。
佳代子が大好きな映画は、『A・I』とか『アイ・アム・サム』など、深く考えさせられる作品です。特に、『アイ・アム・サム』に主演したション・ペーンの演技にはいたく感動していました。
私は家の居間と寝室を、インターネット・オークションで落札したホームシアターセットを使って劇場化してあって、そこでDVDの映画を鑑賞するのが大好きです。それは、私の英語修行の一環でもあるのですが、佳代子に一緒に見ようと呼びかけても、佳代子はいつの間にかすやすやと寝てしまっています。ですから、いつも映画の最後のシーンは私が解説してあげなければなりません。そういうときは決まって、「もう一度見てみたいなあ」と言うので、もう一度見せるのですが、結果はいつも同じです。『恋しくて』という古い映画をご存じの方はいらっしゃるでしょうか。パラマウント映画から一九八七年にリリースされた映画で、佳代子はその中のボーイッシュな少女ワッツ(メアリー・スチュアート・マスターソン)が大好きです。きっと、自分の気持ちを素直に表現できないワッツに、自分の姿を重ねたのでしょう。佳代子は言いたいことがあっても、喉のところまで出かけた瞬間に飲み込んでしまう女性だからです。だからときどきつぶやくように言っています。「あんな風に、思い切って自分の考えを言える人はいいなあ…」私のような優しい亭主を持っているのですから、少しも遠慮することはないじゃありませんかねえ。
加代子は義母と一緒に国内のいろいろな場所を旅したという話はしましたが、彼女はまだ一度も海外に出たことはありません。ですから、私の夢は佳代子に一度でいいからインド洋に浮かぶモルジブを見せてあげることです。地球温暖化現象がこのまま進めば、北極の氷が溶けて水没してしまうのではないかと心配されているモルジブ共和国。インド洋に浮かぶ真珠と呼ばれるモルジブは、三千個以上の美しい珊瑚の島々で形成されている国です。そのどの島を訪れても、この世の物とはとても思えない美しい景色に圧倒されてしまいます。私は、モルジブの魅力にとりつかれて、三回も行ってしまいました。三回ともスリランカ経由のエアランカ航空で旅したので、佳代子と行くときには、シンガポール経由で直接首都のマーレ国際空港に向かうシンガポール航空を使ってみようと思います。きっとシンガポールも佳代子にはたくさんの感動と思い出を残してくれるはずだからです。モルジブの浜と海を見たら、きっと佳代子は気絶してしまうのではないでしょうか。それほど美しいのです。私の言葉などではとても言い表すことなどできません。南太平洋のニューカレドニアやタヒチにも連れて行ってあげたい。感激屋の佳代子ですから、地球上の美しい物はできるだけたくさん見せてあげたいのです。タヒチのモーレア島やボラボラ島に行ったら、やはり佳代子は気絶するでしょう。でも、佳代子こそその度に値する女性です。 夕暮れ時の紫色の空気。砂糖を敷き詰めたように真っ白な砂浜。入浴剤を溶かしたのではないかと疑いたくなるほど、神秘的なブルーに輝く海。モルジブの船着き場は、だいたい深さ二〇メートルから三〇メートルの深度なのですが、底まではっきりと見通すことができるのですよ。高所恐怖症の私は、ラグーンから深海に出るところの、いわゆるドロップオフに顔を出すことは非常に難しいですが、佳代子と一緒ならきっとシュノーケリングで恐怖に打ち勝つこともできるでしょう。
朝食のパンを少し確保して、それを手にラグーンの海にもぐれば、手の中から漏れるパンくずを目指して、色とりどりの熱帯魚が無数に集まってきます。人間を恐れることを知りませんから、水族館の餌付け係にでもなったような気分です。中学生までずっとスイミングクラブに通っていた佳代子ですから、彼女のそばにいれば、私も安心して泳いでいることができるでしょう。実現させたい夢…。 そうそう、私にはまず最初にやらなければならないことがありました。それは、南の島の教会で佳代子との結婚式を挙げることです。私たちは、九月十日に入籍しただけで、お互いに二度目の結婚だからと言うこともあって正式な結婚式を挙げていません。しかも、結婚記念の写真も撮ってありませんから、私はぜひ南の島の教会で、外国人の神父さんに立ち会ってもらって結婚式を挙げたいのです。そして、たくさんの外国人観光客に祝福されながら、どこまでも青い海を背景に記念写真を撮るのです。これだけは、絶対に実現させてあげなければなりません。
それは南の島でなくてもいいかも知れませんね。佳代子の大好きなイタリアでもいいし、オリンピックが終わったばかりのギリシャのアテネでもいいかもしれません。あるいは、世界で最も透明度の高い海として有名なカリブ海でもいいかも知れない。とにかく、印象に強く残る場所で挙式をしたいと思います。 佳代子は我が家の仏壇のお世話も、毎日こまめに行ってくれます。家の持ち主の私でさえ、たまにしか手をあわせに行かない不義理をしているというのに、佳代子は毎日必ずお水とお茶とご飯を取り替えて、そして必ず手を合わせて何事か念じております。誰に矯正されているわけでもないのに、こんなにご先祖様に心から感謝の意を示す女性がいるなんて、私は本当に感心してしまいます。
私がたまに散歩から花を摘んで帰ってきたときなどは、ほんの数本の野草に対しても、満面に笑みをたたえて挨拶をしているのです。「よく来たね」っといった具合です。そして、必ず花瓶の水に砂糖を混ぜたあげて、精一杯の心を尽くすのです。しかし、花が大好きな佳代子自身は、例えば川の岸辺で可憐な花を見つけたとしても、決して私のように摘んできたりはしません。「自然の命はどんなに小さい物でも大切にしてあげなくちゃ」と言って、やさしく花びらをなでてあげてそれでおしまいです。佳代子のそういう優しさはどこから来るのでしょうか。私も男としては非常に心の優しい人間に育ててもらいましたが、佳代子は私とは比べものにならないくらい、小さな生命にも精一杯の気配りをします。前にも出して宮崎駿さんのアニメに登場する風の谷のナウシカのような女性です。
ですから、彼女には世の中の美しい物を全て見せて上げたくなってしまいます。現在の私にはまだそれだけの財力はありませんが、必ず数年以内に経済的な土台をしっかり固めて、佳代子をあちこちの有名な場所に案内してあげたいのです。彼女が二十歳頃から最初の結婚が破綻するまでに味わってきた数々の辛苦を全てぬぐい去るのに十分なほどの感激を佳代子には味わってもらいたいのです。それが同時に私の幸せでもあります。男にそんな風に思わせてくれる女性が、今の世の中にはどれほどいるでしょう。そう考えると、私は本当に最高の妻を得ることができました。
《わずかな給料を分け合って》
公立中学校教員時代の私は、手取りで月給四十五万円ほどは稼いでおりましたから、現在の私塾の講師の仕事は、その三分の一以下の収入になってしまいました。私が授業にかける情熱は、もしかしたら教員時代以上かも知れないのに、それが民間の厳しさであり、また私塾経営のずるがしこさでもあるのでしょう。私の講師としての月給は、三ヶ月分を合わせても、以前の一ヶ月の手取りの給料にも達しません。男としてこれほど情けないことはない。すぐにでももっと月給のいい仕事に鞍替えすることは可能ですが、生徒たちとの出会いを、簡単に放棄したら私の教員人生は本当に終わりを告げてしまうでしょう。それがわかっているから、妻も母も安月給に笑顔で我慢してくれているのです。
先月の手取りの給料は一四七、〇〇〇円でした。交通費の二二、〇〇〇を差し引いたら、純粋に授業で稼いだ収入は本当にわずかです。私は毎日欠かさず授業をしていますし、日曜日や定休日の月曜日に実施される定期テスト対策授業にも、他のどの講師よりも多くの授業を担当しています。それなのにこの低待遇ですから、これはほとんど「ぼったくり」に等しい行為でしょう。しかし、低賃金を覚悟で敢えて大手進学塾に籍を置いたのは自分ですから、塾に文句を言う権利はありません。私は六万円ずつ母と佳代子に渡して、私自身は二七、〇〇〇円をもらいました。これでももらいすぎだとは思ったのですが、交通費も食費も込みですから、何とかそれで許してもらいたいと思います。
すると、佳代子は「先生はもっとお金を持っていなくちゃ駄目だよ」と言います。母は「私はいらないから、お前が全部持っていなさい」と言います。私は心の中で涙を流していました。これだけしか家族にしてあげられない自分が情けなくて仕方なかったからです。母も佳代子も、経済的には非常に不自由な生活を送っているはずです。私の月給など、住宅金融公庫から借りた返済金と国民健康保険の支払いをしたらそれでおしまいでしょう。その他の保険料や食費や医療費や父の介護施設の入所代などは、全て母と佳代子が何とかやりくりしてくれているのです。
よく、世の中には夫の稼ぎが悪くて愚痴をこぼす奥さん連中がいるようですが、我が家ではそれとは全く正反対な状況が存在します。しかし、佳代子たちに気を遣われれば遣われるほど、私は情けなくなり、そして同時に今に必ず楽をさせるからという、勇気が湧いてきます。先日佳代子がジーパンを買いました。市立図書館の仕事は長ズボンをはかなければならないことに成っているそうで、そのためにジーパンを買ったようですが、何と値段は七〇〇円です。私は泣きたい気持ちでした。私が短気な結論さえ出さなければ、裕福な生活を持続することができていたはずなのですからね。
しかし、私はどんなに自分のことを情けなく思ったとしても、それで自暴自棄になることは決してありません。それは、私のことを心から心配してくれている母と佳代子と佳代子の両親の存在があるからです。男は、こうして周囲の、特に女たちの気遣いでいくらでもパワーを発揮する生き物なのだと思います。「自分がしっかりしてあげなければ」と思えば思うほど、勇気と力が湧いてきます。まるで自分が原始時代に斧を持ってマンモスの狩りにでも出かける亭主になったかのような力強さです。ある心理学者の話では、人間の深層心理には大昔の祖先の記憶が遺伝情報として残っているそうですから、私は本当に昔の祖先たちのたくましさを発揮しようとしているのかも知れません。こうして書いている随筆や小説も、一ヶ月に原稿用紙にして六〇〇枚以上は楽に書いてしまいます。それもこれも、すべて周囲の家族が私にくれるパワーなのです。佳代子はその代表格です。
ところで、塾の講師の仕事がそんなにお金にならないなんて信じられないという方もいるかも知れませんね。しかし、タウンワークに書かれている内容などほとんど言葉だけの世界で、実際には個別指導の担当講師は時給一、二〇〇円前後で仕事をしています。これは絶対に労働に見合わない額です。しかし、塾の経営者たちはまだ若い。私から見ればケツの青い連中です。経営のなんたるかもわかっていない連中が経営しているのですから、赤字を建て直したり収益を増やしたりするのに、最初にするのが人件費の削減なのです。社会の公民の授業で経済活動について詳しく生徒に教えていても、自分自身は全く経済の仕組みを学習していないのですから、あきれて物が言えません。
目先の収益増収を考えたら人件費の削減も致し方ないでしょうが、適正な給与を与えられない講師たちが、情熱に燃えて授業に臨むと思いますか。もし、講師たちに情熱がなければ、生徒の数は徐々に減っていくしかありません。つまり、人件費の削減は将来的には塾の経営を更に悪化させる悪循環になるのです。そのくらいの簡単な理屈もわからない未熟な連中が、高い背広を着て、立派なネクタイをして、いかにも私はビジネスマンですという顔をしながら、肩で風を切って歩いている。私はいつもていねいに挨拶をしながら、腹の中では笑っています。
自分の馬鹿さ加減に気づいていない人間こそが、本物の馬鹿者なのです。私は私を雇ってくれた現在の私塾に少しでも貢献したいと真剣に思ってきました。しかし、今は生徒のためには頑張っても、塾の収益などどうでもいいと思っています。将来は必ず斜陽を経験する塾だということが目に見えているからです。私は勇気を出して数々の提言をしましたが、謙虚さの足りないトップの若造たちは残念ながらその提案を受け入れることはありませんでした。やはり公教育には勝てません。 というわけで、私は今担当している生徒たちにある程度の義理が果たせたら、恐らく半年以内にはこの塾を去ることになるでしょう。一生を捧げる場所では絶対にないからです。私は特別に優秀な人間では無いかも知れませんが、少なくとも私塾で教員免許もなく働いている連中と比べたら、比較にならないほど教育技術も教育に対する知識も情熱も上回っています。しかし、そんな私をうまく優遇して利用するつもりがないのなら、ここに長居をする必要はないわけです。私の経験や知識や能力を低評価されるということは、すなわち家族が愚弄されるのと同じ事ですから、私はこれ以上低賃金に甘んじているわけにはいきません。
しかし、私は彼らを決して恨んでもいないし、彼らに何かを期待してもいません。彼らは彼らなりに一生懸命なのでしょうから。ただ、「教育」という言葉を口にするのは百年早いことだけは歴然とした事実です。
おっといけません。私は塾の経営問題を論じているのではありませんでした。佳代子の話題に戻らなければなりませんね。ついさっき、佳代子が洋服のチェーン店の広告を私に見せながら、「ねえ、見て。このダウンジャケット、この間の広告より二千円も安くなってるわよ」私は佳代子に言いました。「じゃあ、明日佳代子のために買いに行こう。僕が買ってあげるからさ」「先生こそ、私が買ってあげる。私はいいの。もったいないからいいの」佳代子にもったいないダウンジャケットなら、私のように肉付きのいい男にはもっともったいないことになってしまいます。佳代子は私の財布を気にしているのでしょう。私は佳代子を安心させるために、財布の中身を見せてあげたのですが、それでも佳代子は首を横に振るだけでした。「お金は、先生のためにとっておいてね」そこまで言われてしまったら、明日は無理矢理にでも佳代子を用品店に連れて行かなければなりません。
ところで、私は私塾で社会科の公民の授業も担当していますが、中学3年生の生徒たちには、資本主義経済の欠点は貧富の差が拡大してしまうことだと教えます。日本の場合には極貧状態に置かれている家庭の数はかなりすくなくなったとは言え、それでもまだ闇金融に返済の目処も立たないような借金をして、夜逃げをする人々も少なくはないでしょう。自己破産する人たちの数も同じように多い。突然のリストラで、家族を養っていくあてを失い、自殺に走る中高年層の人数も激増しているそうです。
私が働いている塾がある、ある私鉄の駅前のロータリーには、昼間から酒によってたむろしている中高年の人々が大勢います。きっと仕事もろくにないのでしょう。若ければ、アルバイトを渡り歩いて何とか生活していくことができても、年齢を重ねてしまえば、勤務可能な職種も極端に限られてきます。
私の場合には、教育技術も持っているし、教師としての二十年以上の経験もあるし、コンピューターの操作技術も人並み以上だし、英語はネイティブ並みに話せるし、そういう意味ではどこの学習塾でも即戦力なので高く買ってくれてもいいのですが、私のような中途半端な年齢の人間に多額の人件費を割くくらいなら、安く使える学生を三人雇った方が得だという判断なのでしょう。保護者は、私のようなベテランが教えていても、教育実習生以下の学生が教えていても、授業を直接見学しているわけではありませんから、その大きな違いには気づきません。塾はその盲点をうまく利用しているわけです。
とにかく、世の中はあこぎな真似をして不当に高額な収入を得ている人間たちが結構いるものです。それも能力のうちだと言えば言えなくもありませんね。正直に生きようとしたら、生活していくのが大変です。しかし、母や佳代子が我慢できる範囲内で、私の挑戦は続けなければなりません。
《追いつめられた記憶》
普段は、ごくごく普通に、いや普通以上に快活に私と話をしている佳代子ですが、ある特定の場面では言葉がうまく出てこずに、しどろもどろしてしまうことがあります。私が見ている範囲では、そういう場面は二種類あるようです。一つは、私に何か自分では大変だと思いこんでいることを頼むとき、そしてもう一つは決断を求められて追いつめられた心境にあるときです。たぶん、これは佳代子が幼い頃から身に付いていた性格ではなく、大人になってから、特に最初の結婚生活の中で心に受けてしまった傷(トラウマ)が原因しているのではないでしょうか。
例えばこんな具合です。昼間ちょっと自分の用で買い物に出かけたいとき。普通の主婦なら、「ちょっと出かけてくるから、家の中掃除しておいてね」くらいの大胆な台詞は当然のことのように口から飛び出してくるはずなのですが、佳代子の場合は、「ねえ、あのね、佳代子ね、ちょっとね、買い物に行ってきてもいいかな」「もちろんいいよ。何でそんなこといちいち聞くの?」「だって、先生が一人になっちゃうし」「おいおい、勘弁してくれよ。幼稚園生じゃないんだから、一人になったって問題ないだろう?」「じゃ、ごめんね、ちょっとだけ行ってくるから」どうしてここまで気を遣わなければならないのでしょうか。妻は一生夫の面倒を見なければならないとでも思いこんでいるのでしょうか。確かに、佳代子の前の亭主は「亭主関白」というよりは、「幼児性の抜けないだだっ子」だったようなので、その彼を相手にしているうちに、母親的な妻を演じることを否応なく身につけてしまったのかも知れません。思うとおりに動かないと、暴力的になる亭主を持てば、そうならざるを得ないではありませんか。全く、世の中には手のかかる男たちが多くなりました。私だって偉そうなことは言えませんが、言い年齢になっても乳離れできていない「とっちゃんぼうや」が多すぎるのです。これは、息子を大事にする余り、過度に甘やかして育ててしまった母親にも原因の一端があるでしょう。「原因の一端」と言ったのは、男は社会に出てから学習する存在なので、社会に出てからも甘えた根性が直らないのは、誰あろう自分自身の責任だからです。 佳代子が、簡単な決断でもおっかなびっくりでなかなかできないでいるのも、暴力をふるわれていた時代のトラウマが大きな原因でしょう。例えば青いネクタイか黄色いネクタイか、男にしてみればどちらでもいいようなことで真剣に悩んでいる。そんなとき「どっちだって同じだから、早くしろよ」などと言おうものなら、それこそ追いつめられた猫のようにパニック状態に陥ってしまうのです。私はそういうとき、本当に申し訳ないことをしてしまったなと思います。だってそうではありませんか。どうでもいいことで、妻を追いつめる亭主など、ろくな物ではありません。 「トラウマ」という言葉が日本で市民権を得てからまだそう長い年月は経過していませんが、人間が心に追ってしまった傷とその記憶は、一生かかっても消えないほど強烈なもののようです。例えば、私が暗い場所に閉じこめられるのを極端に恐れるのは、人間本来の性質のせいだけではなく、子供の頃に何か悪さをすると、ときどき父に物置の中に閉じこめられた経験があるからでしょう。立場の弱い女性を追いつめている男性を見ると、たたきのめしてやりたくなるのも、子供の頃に母に暴力をふるっていた父の姿を目撃してしまったことが原因しているかも知れません。何度も言うようですが、私は決してフェミニストなどではありません。「男女同権」などという下らない運動にも興味はありませんし(男女はそれぞれの個性を平等に発揮すればいいのであって、同じ事をするようにはできていないと思うから)、ジェンダーフリーなどという形式的な男女平等には大反対です。しかし、女性をいたぶっている男性や、弱い子供を守ってやれない大人を見ると、本気で攻撃を仕掛けようとします。私のように普段はあまり暴力的でない人間が、ダムが決壊するように暴力行為に走ったときは大変危険です。なぜなら、恐らくは相手の息の根を止めてしまうまでとことんやってしまう可能性があるからです。私はもともと筋肉質な上に、学生時代からずっとウエイトトレーニングをやっていたので、腕力は人一倍あります。ですから、本気で誰かを殴ったことなど一度もありません。殴れば大怪我をさせてしまうばかりか、止まらなくなれば相手を殺してしまうことだってあるかも知れないと思っているからです。ですから、私は家族や自分の命が危険にさらされたとき以外は、決して本気で相手に殴りかかることはないでしょう。人間は、特に男は、弱い物に暴力をふるってはいけません。戦うのなら、自分より強い相手と戦わなければ卑怯です。多くの場合、弱い立場の人間や動物に八つ当たりする男性は、普段の生活では「強い物には巻かれろ」式の生き方を余儀なくされている場合が多いでしょう。意気地のないやつに限って、そうなってしまう。私は、他人がどんな生き方をしようと、あれこれ批判するつもりはありませんが、意気地のない男は大嫌いです。権威の前でひれ伏すやつとは、絶対に友達になどなりたくありません。それは私のいいところでもあり、同時に他人に心配をかけてしまう欠点でもあることはよくわかっているのですが…。
結局、佳代子の場合には極端な恐怖を味わわされる経験が続いたために、自分の気持ちを正直に表現することを恐れるようになってしまったのではないでしょうか。佳代子のお願いなど、非常に取るに足りないかわいいものがほとんどです。何百万円もするブルーダイヤを買ってくれなどと言うことは、冗談にもありません。愛犬の龍馬が来てからは、佳代子のそういうびくびくしたところは徐々に姿を消しつつありますが、佳代子が普通に振る舞うことができるようになるのは、恐らく一生かかってもできないことでしょう。トラウマとは、それほどに強烈なものなのです。 しかし、うまくできたもので、佳代子の優しい心が私の攻撃的な性格を上手にコントロールしてくれています。私は弱い立場の人たちにはとことん優しいのですが、権威をふりかざす輩や、実力もないのに威張り散らしている人間を見ると、信じられないほど攻撃的になります。そして、我慢の限界を超えれば相手が誰であろうと、くってかかります。それでも、手加減してくってかかっているのですが、本気で戦えば大変なことになるでしょう。自分でもそれがよくわかっているので、できるだけ本気にはならないようにしていますが、私のような人間が軍隊に入って戦争にでも参加したら、大変な人間平気になってしまうのではないかと、自分でも恐ろしくなります。だから、佳代子に危害を加えた人間たちには絶対に会いたくはありません。相手の態度によっては、大変な事件に発展しないとは限らないからです。つまらないやつに怪我を負わせて、牢屋に入るのはまっぴらごめんですからね。
佳代子は争いごとを好みません。しかし、佳代子も本当は私とよく似た性格の持ち主です。不正を極端に嫌います。それでも、私が腹を立てているときなどは、上手に私の怒りをどこか別の場所にそらそうと一生懸命努力してくれています。佳代子と愛犬龍馬の存在がなければ、私は自暴自棄になって大暴れしていた場面がいくらでもあったかも知れません。そんな風に言うと、私がかなり危険な人物だと思われてしまうかも知れませんが、普段の私は至って優しい男性です。酒を飲んで虎になることも絶対にありません。私の血が頭に上るのは、許し難い不正を目にしたときだけです。でも、佳代子と龍馬の純粋な目を見ていると、誰かを恨むことは非常に馬鹿馬鹿しく感じてしまいます。人は、誰かを恨むよりも、誰かを愛して生きた方が、はるかに幸せな人生を送ることができるのです。私は佳代子が妻になってくれたおかげで、本当に強くなることができました。人間の強さとは、逆境に耐える力のことです。私は、母や佳代子や龍馬や介護施設に入所している父や、佳代子の両親のことを思うとき、短気な結論を出してはいけないと、自分の気持ちを上手にコントロールできるようになったのです。
それでも、癒し役を演じてくれている佳代子にはきっとストレスがたまっていることでしょう。佳代子は旅が好きなので、真冬の時期にはなるでしょうが、二人で大山登山に行ってくるつもりです。頂上の阿夫利神社に二人でお参りをしたら、来年はきっといいことがあるかも知れません。実を言うと、私は以前にも阿夫利神社までの山道に挑戦したことがあるのですが、そのときは根性が無くて途中で断念してしまいました。今度こそ…。
《カラオケ大嫌いのはずなのに》
そう言えば、私は佳代子と一緒にカラオケというものに行ったことがありません。我が家には数ヶ月前まで、通信カラオケの家庭版があったので、いつでも居間でカラオケを楽しむことができたのですが、佳代子が私の前でマイクを握ることはただの一度もありませんでした。私は、佳代子が相当の音痴なのだろうと思いこんでおりましたら、家事をしながら鼻歌を歌っている佳代子の音程の見事さにびっくりしてしまいました。私は、子供の頃ピアノを二年間ほど習っていたので、音感は確かです。ちょっとした音のずれも耳でキャッチできるのですが、佳代子は歌が非常にうまい部類に属するでしょう。佳代子は歌詞付きの日本のポップスも好きですが、一番好きなのは西洋のダンスミュージックのようです。ダンスミュージックはいわばBGMのようなものなので、これは歌うわけにはいきませんが、佳代子は鼻歌でこれを演奏しているわけです。音楽を聴くのが大好きな佳代子だったので、私はある時、佳代子が断るのを無視して、録音もできるMDプレーヤーを購入しました。もちろん佳代子のものです。佳代子はそのMDに、自分のパソコンから一生懸命好きな音楽を録音しては、家事をしながらイヤホーンで好きなダンスミュージックを楽しんでいます。
きっと本来が照れ屋なのでしょうね。カラオケで歌を歌わせれば、みんなが振り返るほどの歌声を披露してくれるはずなのですが、佳代子の性格からして、相当お酒を飲ませなければ歌声を聞かせてくれることはまずないでしょう。しかし、酒量も私などよりはずっと多いので、佳代子を酔わせる前に、私の方が気絶してしまうかも知れません。本当に不思議な子です。
若い頃の佳代子は、結構遊び回ったようです。それも、かなり夜遅くまでディスコに行っていたり、危なっかしい高校生時代を過ごしたようですが、驚くほど節操が固く、乱れた男女関係を好むことはなかったようです。夜遊びに興じる佳代子に、義父は「自分で責任を取れないようなことは絶対にするな」とだけしか言わなかったそうです。職人気質の義父らしい台詞だと思います。本当は心配で心配でならなかったはずなのに、そのひと言しか言わずに、佳代子の帰りをじっと待っていたのでしょう。
佳代子はバイクの遠乗りも好きでした。しかし暴走族は嫌いです。いわゆるツーリング族に知り合いが多かったのでしょう。しかし佳代子自身がハンドルを握ることはなく、いつもバイクの後ろに乗せてもらって、遠乗りを楽しんでいたようです。今でも、車の運転よりは原チャリの運転の方が好きですね。風邪を感じながら走るのが好きなのでしょう。佳代子が一緒に遊んでいたグループの男性たちは、決して佳代子を尻軽女としては扱わなかったようで、素直でいて芯の通った佳代子を本当にかわいがってくれました。佳代子がバイクの遠乗りをしていた話を聞けば、何も知らない人たちは、佳代子がレディースの頭だったように勘違いするかも知れませんが、前述したように、佳代子は暴走族のように他人に平気で迷惑をかける連中が大嫌いでしたから、レディースなどはほど遠い存在でした。ただ、暴れ者たちもなぜか佳代子には一目を置いていたのです。それが、佳代子の不思議な魅力なのでしょう。怖い友達がたくさんいるということは、危ないときに助けてもらえるということですから、私としては非常に心強い限りですがね。私は佳代子とは違って、味方よりも敵を多く作るタイプです。一匹狼で、決して誰かとつるんで行動することが内という意味では、佳代子と私はとてもよく似ていますが、私はとても攻撃的な性格なので、敵意をあらわにして、知らず知らずのうちに敵をたくさん作ってきてしまいました。ですから、私が職場を去るときに、私を引き留めた同僚がほんの一人か二人しかいなかったのです。私のように、不正を絶対に許さず、教員としての仕事に関しては自分にも他人にも厳しい目を向ける存在は、ある意味では非常に目障りでしかなかったはずです。朝から晩まであくせく働き通しの私の「農民根性」は、見方を変えれば、他ののんびりした教員たちに保護者や生徒の批判の目を向けさせることになってしまいます。「石山先生はあんなに一生懸命動いているのに、どうして他の先生は何もしないのだろう」ということになってしまう。私にはそんなつもりは毛頭なくても、周囲がそういう味方をすれば、恨みを買うのは私自身です。一生懸命働くことがかえって仇になるのが、悲しいことですが、公務員の世界です。給料分かそれより少し下の仕事量だけをこなしていればそれでいいのが公務員です。特に教員は、残業手当など決して出ませんから、私のように朝早くから夜遅くまで学校で仕事をする人間は、一般教員や日教組の敵でしかありませんでした。そんな私とは違って、同じように一生懸命働く佳代子は、決して他人から恨みを買うことがありません。もちろん、職場の女性の上司からねたみを買うことが何度もあったようですが、それ以外は多くの人々が佳代子をかわいがってくれました。それも佳代子の人徳なのでしょう。
私は、そんな佳代子の姿を見ながら、自分がついつい敵を多く作ってしまう性格であることを、かなり反省させられました。教職を退いた今になって、私はできるだけ他人に恨みを買わないように気を配るようになりました。自分がよかれと思ってしたことでも、知らぬ間に他人の恨みを買ってしまっていることがあります。ですから、私はできるだけ無用な争いは避けるようにしたのです。なぜなら、私自身は誰からどんなに恨まれようとちっとも気にしないのですが、人から恨まれている私を周りで見ているしかない母や佳代子は、そのことで大きなストレスを抱えることになるからです。つまり、私は自分のためにではなく、家族のために我慢をすることを覚えました。もちろん、それが最終的には自分のためになっていることは確かですが。
人間は、社会性の生き物ですから、一人だけの力で生きていくことはできません。それは、無人島では生きていけないという意味ではなくて、一人の力だけで社会に認められるような経済活動を営むことはできないという意味です。経済活動、つまり仕事は、他人から認められたり応援されたりして初めて成り立つものです。そのためには、常に敵ばかり作っていてはお話にならないのです。自分には厳しくても、他人にはできるだけ寛大であることが、社会で上手に生きていくコツなのでしょう。恐らく私はいずれ自分で事業を興さなければならなくなるはずです。そのときは、母や佳代子が補佐役になってくれるとしても、周囲の多くの人から応援をもらわなければなりません。
私は一応四年生の大学を出て、教員採用試験に合格し、二十二年以上も「先生」と呼ばれて偉そうに生きてきましたが、こうして実社会に出るようになって、中学しか出ていない母や、高校を卒業して専門学校に行った佳代子から学ぶことがいかに多いことか。人生の学習に関しては、私はまだまだ小学生です。母や佳代子から教わることが非常に多い。これは示唆に富んだ事実ですね。
佳代子は雑誌や新聞や地域情報紙や書籍などから、非常に器用に情報を入手します。下手をすると、塾で社会科を教えている私よりもよほど知識が豊富かも知れません。人が学ぶと言うことはそういうことなのです。教科書を暗記して試験でいい点数を取ることが学習ではありません。「生涯学習」の時代の学習は、いかにいろいろなものから的確な情報を入手するかということにかかっています。そういう意味でも、私は佳代子から学ぶことがまでまだたくさんあるようです。
《結婚してたばこをやめた佳代子》
私はパチンコとかロトくじとかナンバーズなどのギャンブルが大好きですが、佳代子は余り好きではありません。でも、結婚する前後は、パチンコ好きな私に付き合ってくれて、佳代子はパチンコ屋のすぐそばにあるファミリーレストランで本を読みながら時間をつぶし、その間に私がパチンコをやってちょこちょこっと儲ける(?)というパターンでした。私に気を遣ってくれていたのでしょう。その頃の佳代子はたばこも吸っていたのですが、ある事件をきっかけに、ぱったりと喫煙をやめてしまったのです。
その事件とは、私が2年間にわたる陰湿ないじめを受けていた女生徒を助けようとして、小学生の頃にいじめを始めた二人の男子生徒に体罰をふるったことでした。その女生徒のいじめに真剣に取り組んだのは私だけだったのに、体罰を受けた子供の母親たちが、いじめの被害者の少女の痛みよりも、自分の息子たちの平手の痛みを重視して、学校と教育委員会に苦情を申し入れたのです。学校長はもとより、同僚も教育委員会も、誰も私の味方をしてくれる人間はおりませんでした。みんな関わりたくなかったのでしょうが、今まで苦楽を共にしてきてこのざまかと、私の受けた失望感は絶大なものでした。私はそれ以来教員というものを信じなくなりました。普段はいくらきれいごとを並べていても、いざとなれば何もしないのがほとんどの教員です。いじめられていた少女が、もし自分の娘だったらと考えることができる教師が一人もいないなんて、私は本当に失望しました。
そんな事件のおかげで、県教委との実りのない交渉を続けながらストレスとどんどんためていく私を見ていて、佳代子は禁煙したのです。きっと、自分にはそのくらいしか応援する手段がないとでも思ったのでしょう。佳代子はそういう女性です。基本的に、私は女性の喫煙を好みません。自分がたばこを吸うくせに、とんでもない傲慢な意見だということは承知の上で、それでも喫煙する女性を好きにはなれません。しかし、佳代子は例外でした。普通ならとっくの昔に気が狂ってしまうような苦境にあって、必死でその苦痛に耐えてきた佳代子から喫煙を奪うことなど私にはとてもできなかったからです。たばこを吸うことで、少しでもストレスが解消できるなら、それでいいと思っていました。そんな佳代子が、ある日突然、何の前触れもなく禁煙してしまったのです。
佳代子や家族の他の者たちの応援もむなしく、私の言い分は認められませんでしたが、私は精一杯頑張ったので後悔はありません。ただ、悔しいのは、その少女に対するアフターケアが何もなかったことでした。学校長も教育委員会も、責任を持っていじめには対処をするから大人しく県教委から処分を受けるように私を説得し、私も他の人たちに迷惑をかけたくなかったので、渋々それを了承したのですが、人間とはかくも簡単に人を裏切ることができるものなのでしょうか。一人の少女の人生が無視されたのです。私は減給二ヶ月の懲戒処分を受けたのに、その少女は三年生になってから、いじめの加害者の男子生徒と同じクラスに入れられてしまって、ほとんど不登校の状態になってしまいました。こんなことが許されていいのでしょうか。
私が教員を辞めたのはそれだけが理由ではありませんでしたが、嘘で塗り固められた教員の世界にこれ以上留まることは、私にとっては苦痛以外の何物でもありませんでした。しかし、私は一つ大切なことを忘れていたのです。それは、同僚たちに裏切られながら悔しい思いにあえいでいる私よりも、それを何もできずに見ているしかなかった母や佳代子の方が、よほど大きな精神的苦痛を受けていたということです。私に関しては、でたらめな情報をたくさん公表されましたから、名誉毀損で民事訴訟を起こすこともできるのですが、それでは教育界を混乱させるだけですし、何よりも佳代子たちに、もっと大きな苦痛を与えるだけだと思ったので、私は残りの人生を前向きに生きる決心をしたのです。
佳代子とはそういう女性です。私の苦痛を少しでも和らげることはできないものかと、ありとあらゆる思案を練ってくれていたのです。そんなことも知らずに、家に帰ってきては学校の愚痴ばかりこぼしていた私は、本当に男らしくなかったと思います。
私の事件に関しては、いろいろと複雑な問題もからんでいるので、私は刑事告発もできるのですが(それだけの証拠は用意し、地方検察庁の検事さんには相談済み)、そんなことをしても何も戻っては来ないので、相談に乗ってくれた検事さんには大変申し訳ないのですが、刑事告発はやめることにしました。ただ、検事さんの話では、この事件の時効は二〇一七年だそうですから、事の成り行きによってはまた決心をかえることもあるかも知れませんが。
ただ、私の判断基準はもう一つしかありません。それは、私の行動が家族を幸せにするかどうかということです。私の気が晴れたとしても、私の行動が母や佳代子に精神的な負担を強いることになるのだとしたら、私は絶対に行動を起こすことはないでしょう。知り合いの政治家にも相談しましたが、結局政治家とは自分の利害関係に影響するとなれば、簡単に手を引いてしまうのです。それは仕方のないことでしょう。頼った私が馬鹿だったということになります。
佳代子は今しみじみと言います。「世の中の人間なんて信じられないわ」これは本当の実感でしょう。私も家族と生徒以外の人間を信じることはもうできません。普段、どんなにうまいことを言っていても、いざとなって自分が傷つくのを覚悟で仲間を助けようとする人間など、今の時代にはもういないのです。私は日教組に入っていなくて本当に良かったと思いました。もし組合員だったら、何もしてくれない日教組にさらにいらいらさせられたと思うからです。何でもかんでも、文部省(現在の文科省)の提案には反対する日教組は、教育闘争をしているのではなく、明らかに政治闘争をしているのです。そんなに政治が好きなら政治家になればいいのですよね。確かに文科省の教育改革には無理な部分もありますが、もっともな部分もあります。何でもかんでも反対するのではなく、真剣に討論する人々の集まりであったなら、私は喜んで組合員で居続けたでしょう。
こういう考え方に関しては、佳代子も私とほとんど同じ意見です。ただ、民間の会社をいくつか経験して生きている佳代子は、もっとクールな目で社会を見つめています。社会に正義とか誠意を期待しても無理だと言うのです。社会は利益だけで動くからだと。そんな風に考えたら寂しいとは思いますが、まさに今の日本は義理人情のない世界です。
まだ私が若かった頃、自分が顧問をしていた男子軟式テニス部(現在ではソフトテニス部)の部員たちが試合に負けてしまった責任を感じて、私は生まれて初めて頭を丸めたことがありました。若気の至りだったのでしょうが、今はそんなことをする先生が果たしているでしょうか。試合に負ければ生徒のせいで、試合に勝てば顧問の指導力のおかげ。本当は、その逆で、試合に勝つのは生徒の力で、試合に負けたら顧問の未熟さなのですが、そんな謙虚な姿勢すら維持できない顧問が激増しています。自分の担当する部活動の生徒たちは自分の子供と一緒です。それなのに、家庭の事情とか何とか理由をつけて、平気で部活を閉じてしまう。給料をもらう資格などありませんよね。
佳代子はそんな私の一本気なところをよく理解してくれているので、経済的に苦しい生活を強いられていても、きっといつかは私が何かをしてくれると信じて、常に笑顔を絶やさずにいてくれるのでしょう。「雨露がしのげる家があって、みんなで一緒に食事ができればそれで十分じゃない」佳代子はそう言って私を励ましてくれます。私が、たまのパチンコでお金を儲けて、佳代子に分けて上げようとしても、「私は大丈夫だから、先生が持っていて」と言って受け取ろうとはしません。佳代子がお金など持っているはずはないのです。それなのに「私は大丈夫だから」と言って私を騙そうとする。そういうときは、私は無理矢理佳代子にお札を押しつけます。でも、佳代子のことですから、そんな臨時の収入は郵便貯金にでもしてしまっているのではないでしょうか。それでもなければ、きっと義父母や私や私の母のために、何かを買ってしまうのです。決して自分のものは買わずに。普通ならおしゃれにこりたい年頃でしょう。それなのに、新しい服の一つも買わずに我慢している佳代子を見るのが、今の私にとっては一番つらいことです。ごめんなさい、佳代子。 佳代子は非常に責任感の強い主婦です。家計のやりくりもとても上手にやってくれています。聞くところに寄れば、前の結婚の時は、一ヶ月の生活費さえ渡してくれなかったとか。佳代子はいったいどうやって家計をやりくりしていたのでしょう。そもそも、仕事をしていながら言えにお金を入れない男というのはどういう神経をしているのか私にはよく理解できません。私などは、教員時代の給料袋はそのまま妻に渡しておりました。妻がいてくれるから安心して働けるのです。「自分が外で働いて食わしてやっているんだ」などと横柄な考えを持つ男は、人生の何たるかを全くわかっていないのではないでしょうか。
よく財布は亭主が握っている家庭があると聞きますが、どうして妻に大切な役柄を与えないのでしょうか。自分の妻が信用できないのだったら、結婚などしなければ良かったのです。そういう亭主に限って、老後に体が自由に動かなくなったとき、妻に見捨てられてしまうのではないでしょうか。いわゆる熟年離婚というやつですね。世の中は、他人にすることはやがては巡り巡って自分に返ってくるものです。自分の女房を大切にして、感謝の気持ちを忘れないようにしないと、いつかは年老いたしわくちゃの手で、自分の食事を作る羽目になりますよ。
さて、恐らくは私のためにたばこをやめてくれた佳代子を横目に、私は教員を辞めてからまたたばこの本数が増えてしまいました。「ストレスが多いから」などというのは理由にはなりません。家族のために、自分の健康管理をしっかりしなければいけないという責任感が、今の私には少々欠如しているようです。わたしの喫煙もそろそろ本気で終わりにしなければならないかも知れません。それが、私に精一杯の気を遣って、禁煙を断行してくれた佳代子に対する誠意というものでしょう。などと言っておきながら、いつになったら本当に禁煙できる事やら。
《血液型の相性診断》
みなさんは血液型が性格に及ぼす影響を信じますか。私は、結構信じる方です。先日、ある民放テレビでおもしろい番組をやっていました。男性と女性の血液型の相性はどの組み合わせが最も良いかというランク付けです。もちろん、このランク付けには科学的な根拠は一切ないとは思いますが、私の予想はほぼ的中していました。私はA型で、妻の佳代子はO型です。きっとこの組み合わせが一番いいのではないかと思っていたら、どうやら第四位だったようです。それでも、十六通りある組み合わせの中の第四位はかなり立派な成績ですね。実は、前の妻はB型で、A型の男性とB型の女性の相性は、何と最下位の十六位だったのです。しかし、B型の女性は自由奔放な生き方を抱擁してくれる男性を求めるもので、私たちの場合は私の血液型ではなく、若い私の包容力のなさが、前妻の期待を大きく裏切ってしまったのでしょう。
しかし、私と佳代子の相性は本当にいいと思います。佳代子はわがままな私の気持ちをいつも大きな心で見守ってくれます。そういう風に思われてしまうと、不思議なもので自分のわがままを主張できなくなってしまうものです。「佳代子はきっと我慢してくれているのだろうな」と思うと、A型の私はどこかで譲ってしまうのです。でも、激情型の私の性格を思えば、O型の佳代子がそばにいてくれるおかげで、ずいぶん性格が穏やかになったのではないかと思います。
私は完璧主義者ではありませんが、自分の仕事に関してはあまり妥協をしない方です。いくら人がほめてくれても、自分に納得がいく仕事ができなければ、自分を厳しく責め立てます。しかし、そんな私を見ていて、佳代子はいつも「先生はすごいよ」と言って褒めてくれるのです。私を励ましてくれているのだとわかってはいても、佳代子にそういう優しい言葉をかけてもらうと、「まあいいか」となってしまう私は、あまりにも単細胞なのでしょうか。佳代子はめったに他人をけなすことがありません。ですから、佳代子と一緒に暮らすようになって、私も少しは他人の不満を言わないように気をつける習慣が身に付いてきました。それでも、まだまだ家の中では吠えていますけどね。
私は、おおらかな性格で誰からも好かれる佳代子が、仕事の面であまりいい待遇を受けてこなかったことに大きな不満を持っています。そこで、機械にはあまり自信がないと言っていた佳代子に、無理矢理専用のノートパソコンを買い込んできて、今ではインターネットサーフィンから始めて、いろいろな技術を仕込んでいるところです。これからの時代は、パソコンを自由に操ることができなければ事務職にも採用されるのは難しいでしょう。実は、かくいう私も、ちょっと前まではパソコンは全くのど素人だったのです。それが、職場で無理なデータ処理をやらされたりしているうちに、負けず嫌いな性格が幸いして、驚くほど短期間にパソコンをマスターしてしまいました。今では、自分の思い通りのソフトを自分で作れるレベルにまで到達しています。雑誌の編集などはお手のもんです。もちろん、コンピューター言語を用いてプログラミングするレベルにまでは到達してはいませんけれどね。人間、やれば何でもできるものです。私こそ、機械音痴だと思いこんでいたのに(実際、ビデオの録画の予約もできなかった)今では、二部屋にホームシアターを設置できるまでになりました。機械をいじるのは、やってみると結構楽しいもので、コンピューターのセッティングも、何も知識がない段階で何時間もかけて全て一人でやりました。だから、佳代子にもきっとできるはずだと信じていますが、謙虚で自信のない佳代子は、まだおっかなびっくりパソコンと向き合っています。私が何か操作を教えると、メモ帳を引っ張り出して丁寧にメモする有様ですから、几帳面と言われるA型人間よりも、もしかしたらO型人間の方が、よほど気配りが細かいのではないでしょうか。恐らく、A型は部分的に几帳面なのであって、その他の部分では非常にいい加減な性格なのではないかと、自分自身を分析してそう思います。ところが、O型は結構平均的に几帳面です。もちろん、これは佳代子の行動を観察している限りにおいての判断ではありますが。
私は三月二十日魚座の生まれですが、ものの本によると、私の場合はセックスからエネルギーを得るということになっています。ところが、性生活となると、佳代子は至ってうぶなのです。男性と遊んだ経験がないからでしょう。私だって女性と遊んだ経験は少ない方だと思いますが、佳代子は自分が私を満足させられていないのではないかといつも心配しているようです。しかし、実際にはそんなことは全くなく、私たちの性生活の相性もぴったり合っているのです。こんなことを本に書いたら、佳代子が顔を赤くしてページを削除することを要求するかも知れませんが、本当に佳代子には自信を持ってもらいたいのです。あらゆる面でです。O型の女性は、きっと自分に謙虚すぎるのです。少しはB型の女性を見習ってもいいのではないでしょうか。 佳代子は、自分には子供はできないだろうとよく言っていますが、私は子供は天からの授かりものだと思っていますから、子供ができようとできまいと、そんなことは露ほども気にしたことはありません。幸いなことに、私の母もそのことには触れないでくれるので非常に助かります。なぜなら、佳代子は自分に子供ができないことをものすごく気にしていると思うからです。でも、佳代子の心の傷がすっかり癒える頃に、神様は子宝を授けてくれるのではないでしょうか。その頃には、私は結構の年齢になっているかも知れませんが、それだって別に世間の平均的な数字にこだわる必要はありません。
ただ、私が気になることが一つあるとすれば、それは佳代子が自分の気持ちを思い切って言葉にする勇気に欠けることです。私は四方八方に気配りをするはずのA型のくせに、自分の意見ははっきりと主張する方です。若い頃はそうでもなかったのですが、外国人と付き合っているうちにそういう生き方が身に付いてしまったのでしょう。ですから、私は自分が思っていることを率直に佳代子に伝えることができても、佳代子は自分の気持ちを飲み込んでしまっていることが多いはずなのです。もっとわがままになって甘えてくれればいいのにと思うことがたくさんあります。 私たちの生活に余裕が出てきて、佳代子の心の傷が癒える頃には、佳代子も私にわがままを言ってくれるようになるでしょうか。私は佳代子のわがままなら何でも聞いてあげられると思います。私にとっては、本当にかわいくてかわいくて仕方ない存在なのですから。こんなところでのろけても仕方ないですね。
《自然を愛する豊かな心》
前にも少し触れましたが、私は宮崎駿さんの『風の谷のナウシカ』が大好きです。主人公のナウシカは、メーヴェという名前のジェットグライダーに乗って、大空を自由に飛び回ります。世界は腐海という毒気を放つ死の森に支配されつつあるのですが、ナウシカは腐海の秘密を探ろうと一生懸命になります。地球上の人々の全てが恐れるオームという怪物も、ナウシカからすれば愛すべき存在なのです。腐海に棲む生き物たちを、ナウシカはこよなく愛しています。物語の中で、ナウシカの永遠のペットとなるテトという名前のキツネザルとの出会いの場面があるのですが、野生のテトはナウシカの肩に乗ると、ナウシカが差し出した指に思いっきり噛みつくのです。それでも、ナウシカは痛みをこらえながらテトに言い聞かせます。「お前はおびえているのでしょう?私は何もしないから大丈夫だよ」テトは次第に警戒心を解き、すぐに自分が噛んでしまったナウシカの指を舐め始めるのです。野生のキツネザルであるテトは、ほんの一瞬のナウシカとの交流によって、ナウシカの大の仲良しになってしまいました。ナウシカとはそんな不思議な力を持った少女なのです。
私は佳代子の中にもナウシカに似た何かを」感じることがよくあります。なぜなら、佳代子は道ばたに咲く小さな花にも感激し、そして優しく語りかけたりするのです。愛犬龍馬がどんないたずらをしても、佳代子は龍馬に優しく語りかけます。母は、そんな佳代子を見ていて、「もっと厳しく叱らなくちゃだめだよ」と言いますが、私はそんな母に「家族のみんなが厳しい存在になってしまったら、龍馬の逃げ場所がなくなってしまうじゃないか。せめて佳代子くらいは甘えられる存在でいていいんじゃないの」すると、母は黙ってしまいます。叱る役目は、私一人で十分で、本当は母にも優しい人間役を演じてもらいたいのです。龍馬はもともとは母の日のプレゼントだったのですからね。
佳代子は散歩で出会う犬たちとも、すぐに仲良くなってしまうようです。もちろん龍馬もそうなのですが、九ヶ月を過ぎた龍馬は次第に赤ちゃんから少年へと成長し、今ではしっかりと自己主張をすることを覚え始めました。ですから、同じ柴犬の雄と出会うと、お互いに縄張りを主張して吠え合ったりするのです。以前の龍馬は、どんな犬にもすり寄っていく子犬でした。しかし、佳代子だけは相変わらず(人間だから当たり前なのですが)どんな犬にも笑顔で接しています。
父の介護施設のすぐそばに大きな川が流れているのですが、龍馬はその岸辺を散歩するのが大好きです。草はたくさん生えていますし、何と言っても土の上を歩くことができるからです。普段はアスファルトの上を歩くことが多いので、田舎の小道は龍馬にとっては天国にも等しい場所なのでしょう。行ったり来たりして、わざと時間稼ぎをすることもあるのですよ。そして、その龍馬以上に佳代子が岸辺の小道を大変気に入ってしまいました。昔のままの自然がしっかりと残されているからです。でも、ちょっと残念なこともありました。散歩をする人たちのための憩いの場として東屋が造られているのですが、その近くのベンチの周辺の芝の上にはたばこの吸い殻がたくさん捨ててあるのです。私は、ある日の朝、ゴミ拾いの大ばさみとビニール袋を持ってボランティア活動に出かけました。あれから数日しかたっていないのに、私がきれいに掃除したはずのベンチの周囲には、またたくさんのたばこの吸い殻が捨ててありました。どうして私たち現代人は、自分たちから自然を破壊するような行為を犯してしまうのでしょうか。私はまたボランティア活動に出かけるつもりです。佳代子と龍馬が愛する岸辺は美しい自然を保っていなければいけません。 今日も父の介護施設に行ってきたのですが、佳代子は散歩道で珍しいシロツメクサの赤い花を見つけました。たった一輪だけの花だったのですが、まさに「紅一点」という感じでした。佳代子は本当に嬉しそうにはしゃいでおりました。その川には、百羽前後の野生の鴨が棲みついているのですが、その鴨たちがまだ日が高いうちは水浴びをしたり、えさの小魚を捕ったりして元気に活動しています。龍馬も佳代子もそんな鴨たちの愛らしい仕草が大好きで、二人で(?)一生懸命見つめているのです。先日は珍しく雄のマガモが混じっていて、その美しさは見事なものでした。ときどき白鷺も舞い降りています。決してきれいな川とは言えませんが、それでも彼らにとっては天敵のいない安全な住み処なのでしょう。
もう冬に入りましたが、岸辺の近くの農家の方が、気を利かせて土手にきれいな花をたくさん植えてくれました。色とりどりの花々が、寒さに負けずにきれいに咲いている様は本当に美しい限りです。私はデジカメを持って行って、その光景をしっかりとカメラに納めておきました。そうして、自然を大切にしてくれる人々がいる一方で、恐らく自動車の灰皿の吸い殻を持ってきたのでしょう、まとめてたばこの吸い殻が捨ててあったりします。そういう光景を見ると、佳代子はとても寂しそうな顔をするのです。私も情けなくなってしまいました。
不景気な時代で、みんな何らかのストレスを抱えているのはよく理解できます。しかし、自分たちから自然を汚してしまったら、ストレスを癒してくれるはずの自然の力を、自ら破壊しているようなものです。これでは悪循環にしかなりません。「一人一人がちょっとした心遣いをするだけでいいのにね」佳代子はしみじみと私に言いました。本当にその通りだと思います。私たちは、忘れかけている自然を愛する心を、もう一度思い出さなければなりません。佳代子のような純粋な心を。
《佳代子は完璧主義なの?》
前の章で血液型の話をしましたが、佳代子はO型で、おおらかな性格のはずなのに、なぜか家事に関しては、私から見る限り完璧主義なのです。流しについた一滴の水も逃さないといった感じです。特に、彼女は毎日ガスコンロを磨くのですが、その徹底ぶりには恐れ入ってしまいます。せっかく佳代子がぴかぴかに磨き上げた後に、私が小腹を空かせて磯辺焼きでもやってしまえば、佳代子の努力は水泡に帰してしまうというのに、それでも佳代子は一生懸命にコンロを受け皿を磨き上げます。でも、佳代子がぴかぴかな作品を完成させた後で私が汚してしまったとしても、それでがみがみ文句を言うことは決してありません。そこはO型の女性のおおらかさなのかなと納得できるのですが。
今も、佳代子が二階の部屋に掃除機をかけている音が聞こえます。「今の若い主婦は」とよく中高年のおばさん連中が「気の利かない嫁」を嘆きますが、佳代子に関してはまずそんな必要はありません。私は、なぜ佳代子がいい主婦になろうと一生懸命になるのか不思議でなりません。なぜなら、私は彼女にそんな要求など一度もしたことはないからです。 そして、これは私の想像なのですが、佳代子が立派に家事をこなそうとする理由は、義母が義父のために一生懸命尽くしてきた姿を見てきたからではないでしょうか。前にも言ったように、義父母夫婦はとても仲良しです。しかし、昔は職人気質の一徹な義父に、義母はずいぶんと振り回されたことは容易に想像できます。それでも、相撲部屋を預かる女将さんのように義母はひたすら家庭を守り続けたのでしょう。佳代子はそんな義母の姿を見ながら育ちました。途中で、元気のいい女子高生を演じた時期もありましたが、佳代子の記憶の中には、亭主のために必死で尽くす妻としての義母の姿が、しっかりと焼き付いているのではないかと思います。
私の家はとても広いので、一人で掃除をしようとしたら大変です。それこそお手伝いさんが欲しいくらいなのですが、経済的な事情がそれを許しません。一階の居間は、愛犬龍馬の毛が毎日のように散乱してしまうので、そこは私がこまめに掃除をするように心がけています。龍馬を我が家に招いたのは私ですから、私にはその義務があるわけです。
基本的に、家事は全て女がこなすという発想は、現代にはマッチしないと思います。男も女も忙しい時代なのですから、家事も上手に分担しなければなりません。仕事から帰ってきて疲れているからと言って、すぐにソファーに横になってテレビのチャンネルを入れるなどという殿様気取りは、居間の亭主には許されないのはないでしょうか。外で働いていようが、家の中で留守を守っていようが、精神的な疲労は大して変わらないのではないでしょうか。前述したように、外で気分転換できる男性の方が、逆に気分転換のチャンスが多いと言えるかも知れません。それにもかかわらず、家事全般を妻に押しつけるというのは、拷問に等しいのではないでしょうか。と演説をぶってみても、私が頻繁に料理をしたりするかと言えばそんなことはありません。私にできるのは、本当にたまに作るフランス料理(鶏のささみのクリームソースがけ)とホットケーキと特製チャーハンと磯辺焼きとバナナと牛乳のミックスドリンクくらいです。学生時代の一人暮らしのおかげで、料理は決して嫌いではありません。
とにかく、家事は女性がするものという決めつけは、時代遅れも甚だしいということになるでしょう。男が女がと理屈をこねている暇があったら、気がついた人間がどんどん家事をこなしていけばそれでいいのです。私は前に「男女平等」とか「ジェンダーフリー」とかいう言葉には興味がないと言いました。形式的な男女平等など意味がないと思うからです。でも、もう皆さんもおわかりの通り、私の考え方はまさにジェンダーフリーそのものなのです。大切なのは言葉より実行です。 最近の女子中学生や女子高生の話になりますが、年頃の女の子たちは父親の触ったものには触らないとか、父親の後にはお風呂に入らないとか、父親の下着と自分の下着を一緒に洗濯されるのを拒むとか、自分の父親をばい菌のように汚いものとして扱う傾向があるそうです。これはとんでもない話ですね。いくら年頃の娘だからと言って、女性が男性よりも特にきれい好きで清潔かと言うと、決してそんなことはないのです。むしろ、女性の方が大胆で、男性の方が潔癖性かも知れません。とにかく、若い娘が父親を毛嫌いする原因は、母親が父親にどのように接しているかで決まるのではないでしょうか。母親が父親を立てる姿勢を子供たちに見せている家庭では、娘が父親を毛嫌いすることは絶対にないのではないかと思うのです。ところが、最近の母親たちは、自分の亭主を小馬鹿にしているケースが少なくありません。「若い頃は良かったのに、すっかりおやじになってしまって…」と嘆きながら、テレビに映るヨン様や若いアイドルたちに夢中になるのです。何と愚かなことなのでしょう。確かに自分の亭主も「おやじ」になってしまっているかも知れませんが、それを愚痴る前に鏡に映る自分の顔も見てみなければなりません。自分だってしっかりと「おばさん」に、下手をすれば、「オバタリアン」になってしまっているのではありませんか。
娘が父親を毛嫌いする姿は、まさに母親の父親に対する態度を鏡に映したようなものなのです。恐らくそういう母親は、自分の下着と父親の下着を一緒に洗濯機の中に入れることはないでしょう。雑巾と父親の下着は一緒に洗濯することはできても、です。家族のために一生懸命働いてくれている父親の後の風呂には入れないなど、娘の教育がなっていません。なぜ、「お父さん、疲れてるだろうから先に入っていいよ」と笑顔で父親に言える娘を育てないのでしょうか。これは全て母親の責任です。
佳代子の場合は、その辺の教育は徹底していますから、佳代子はたいてい一番最後にお風呂に入ろうとします。もちろん、私は風呂の順番などないのだと佳代子に言い聞かせていますが、佳代子は自分が一番最後に風呂に入って、排水溝にたまった毛髪をそうじして、浴槽を磨いて出てくるのが自分の役目だと信じ込んでいるようです。もちろん、私の下着と自分の下着を別々に洗うなどというふざけた真似も絶対にしません。それどころか、自分の下着なら雑巾と一緒にでも洗うタイプなのです。私は、佳代子の母親の教育をとても尊敬しています。よくもこんな立派な娘を育て上げたと感心してしまうのです。
清潔好きであることは、現代人の特徴です。そして、ばい菌のように扱われる男性たちにも原因の一端がないとは言いません。しかし、原始時代の生活を想像してみて下さい。男は」槍を手にマンモスを倒しに命がけの旅に出て獲物を手に家族の元へ戻ってきます。当時はお風呂などありませんでしたから、男性の体には動物の血の臭いが染みついていたでしょうし、体をきれいにする余裕などなかったに違いありません。それでも、父親の権威は絶対だったはずです。それは、父親が自分の命をかけて家族を守ろうとしていたからです。現代人の潔癖性は、文明病の一つだと私は思います。確かに清潔であることは大切ですが、それよりも実質を重んじる時代にもう一度戻る必要があるのではないでしょうか。
ただし、男性は男性で、もっとしっかりしなくてはいけません。仕事の帰りに必ず飲み屋に寄って上司の悪口を言っている暇があたら、少しはコンピューターの勉強でも始めたらいいのです。四十歳を過ぎてからピアノを習い始める優雅な男性もいるのですよ。男性ももっと魅力的になる努力が必要です。
《女性の魅力》
佳代子は私にとってはとてもかわいい女性です。もちろん外見もかわいいと思いますが、本人は全く自信がないようです。女性というのは、実に控えめですね。しかし、佳代子に言わせれば私は非常に「ストライクゾーンが広い」男性だということで、私のかわいいという評価は当てにならないとのことでした。
街を歩いていると、すれ違いざまに視線を下に落としてしまう女性が少なくありません。きっと自分自身に自信がないためでしょう。しかし、女性陣は勘違いをしてもらっては困ります。女性の美しさとは内面からにじみ出るものであって、決して外見の美形ではないということです。それに、内面からにじみ出る美しさは、自分の気持ちの持ちようで、その強さがいくらでも変わるのです。
こんな話を聞いたことがあるでしょうか。カメラマンが女性モデルのスチール写真を撮影するときに、絶えず「いいよ、いいよ、なかなかきれいだね。うん、最高だよその笑顔。素晴らしいね」などと、褒め言葉の限りを尽くすという話です。それはなぜかというと、女性はカメラマンに褒められることで自分が本当に美しいと、自己暗示にかかってしまうのです。そして、内面から美しさがどんどんにじみ出て、本当に美しい女性へと変身してしまいます。よく、恋人ができた女性がきれいになると言われますが、それも相手の彼氏から「きれいだよ」と褒められることによる自己暗示と、彼のためにもっと美しくなりたいという願望から女性ホルモンの分泌が盛んになるためでしょう。
ですから、鏡に映る自分の顔かたちと、テレビのアイドルを見比べて落ち込んだりする必要は全くありません。それが証拠に、有名なモーニング娘。に新しく加入したメンバーは、どうしても素人っぽさが抜けないのですが、数ヶ月もしないうちに、しっかりと他のメンバーにとけ込んでしまうではありませんか。周囲の人間に見られることと、褒められることで、女性はどんどん美しく変身していくことができるのです。
「自分など決して美人ではない」と謙虚に思う姿勢も大切かも知れませんが、「女は顔かたちじゃないぞ!」と自信を持って開き直る姿勢はもっと大切だと思います。「かわいい子はやっぱり得だよね」と女性同士で会話しているのをときどき耳にしますが、実際にはそんなことはないと思います。かわいくても中身のない女性は、そのかわいさ故に逆に非常に貧粗に見えるものなのです。世の中の全ての男性が私と同じような考え方をするわけではもちろんありませんが、現実に私のように考える男もいるということを知って欲しいと思います。
私は長年教師をしてきて、ありとあらゆる種類の女の子を見てきましたが、彼女たちが一番美しく見えるのは、常に自信を持って活発な学校生活を送っているときでした。その原因は、目の表情にあるような気がします。生き生きとしている人間は目が美しく輝いているのです。そして、その美しい目がその女性をきれいに見せるのでしょう。私は、長くソフトボール部の顧問をしていました。部員たちはいつも泥まみれになって練習に試合に取り組んでおりましたが、彼女たちはどれほど美しく見えたか知れません。それにとても凛々しくもありました。私は、そういう一生懸命な女性こそ世の中で最も美しい女性だと思っています。
佳代子も、非常に謙虚な女性である分、私からするととても美しい女性に見えます。彼女は内面が非常に豊かですから、そのオーラのようなものが外ににじみ出るのでしょう。その証拠に、佳代子はどこの職場に行ってもみんなから愛されかわいがられます。女性にとって、周囲から大切にされることほど嬉しいことはないのではありませんか?たとえ誰もが認める美人であっても、周囲の人間が倦厭して近寄ってくれなければ、こんなに寂しいことはありません。
それに、人間の価値観などは本当に多種多様で、日本では良しとされる価値観が、南洋の島国に行けばだめになることも往々にしてあるのです。例えば、南太平洋の島国では、女性の美人の条件の一つにふくよかであることが含まれます。つまり太っていなければ美人とは言われないのです。この価値観を日本にそのまま持ってくることができると思いますか?もちろん、日本の中でも、ふくよかな女性をこよなく愛する男性はたくさんいます。私もどちらかと言えば、ほっそりした女性よりは少しぽっちゃりした女性の方が好みです。 「美人は三日で飽きるが、ブスは一緒にいればいるほど味が出る」などと、少々失礼な格言があります。本当にそうかどうかは知りませんが、要するにこれは女性は美人であることが最大の条件ではないのだということを諭すための格言なのでしょう。そして、大切なことは、私が前述したように、自分は本当は美しいのだと信じることが、美人になる一番の近道です。最近ではプチ整形などが流行っているようですが、それはそれで個人の自由ですから私がとやかく言う問題ではないにしても、顔かたちが変われば自分の内面まで美しくなれると思いこむのはちょっと早合点過ぎると思います。内面を磨くことは、やはり努力を要しますし、とにかく日々の生活を一生懸命に送り、他人を恨んだり自分を卑下したりしなければ、女性は美しさが自然と内面からにじみ出るものだと信じるべきでしょう。そして、女性によって男性の好みがいろいろあるように、男性側の女性の好みも千差万別だということを知るべきです。どうか、道で誰かとすれ違っても、決して視線を下に落としたりしないで下さい。堂々と胸を張って街中を歩こうではありませんか。SMAPが歌ったように、あなたはこの世に咲くたった一つの花なのですから。
《決して愚痴をこぼさない優しい女性》
ところで、佳代子は自分の仕事については一生懸命完璧を目指しているのかも知れませんが、私に対して同じように完璧であることを求めることは決してありません。仕事から疲れてかえって、服や靴下を脱ぎっぱなしで寝込んでしまうことがあっても、何も言わずに片づけておいてくれます。実は、私はとんでもない大切な日を忘れてしまいました。佳代子と私の記念すべき第一回目の結婚記念日です。覚えやすいように、九月十日にしておいたのに、その日を提案した私が忘れてしまうなんて、もうどうしようもありません。実を言うと、私は前の妻との最初の結婚記念日も忘れてしまいました。本当にどうしようもないボケ男です。それなのに、佳代子は二週間も私が気づくまで待っていてくれて、とうとう私が気づきそうもないので、そっと私に教えてくれました。私は心から申し訳ないと思って謝りましたが、佳代子は笑顔で許してくれたのです。まるで天使のような女性だとは思いませんか。佳代子のその笑顔に感謝した私は、もちろん今年の第二回目の結婚記念日には大サービス(?)をさせてもらいました。当然のことですよね。
自分には厳しい規準を当てはめても、決して他人には厳しい規準を押しつけないところが、佳代子の素晴らしいところです。私は、佳代子自身の規準ももっとずっと引き下げてもいいと何度も言っているのですが、そんなに無理してるわけではないからと、自分のやるべきことはしっかりとこなし続けています。どんなに眠くても、どんなに疲れていても、絶対に仕事をさぼることはありません。どうしてそこまで私に尽くしてくれるのか、私は佳代子の誠意にどうやって報いたらいいのか本当に迷ってしまいます。恐らく私にできる唯一の恩返しは、いつまでも健康で、家族のために一生懸命仕事をすることでしょう。そして、できれば常に家庭の中では笑顔を絶やさない太っ腹の亭主でいたいと思います。
ところで、私が佳代子を嫁にもらうことを一番強く望んだのは私の母でした。私の父も母も、佳代子のことをとても気に入っていたからです。佳代子が前の亭主と離婚するなら、何とか嫁に来てもらおうと勝手に決めてしまっていたようでした。私の弟までが、そうなればいいと思っていたそうですから、佳代子の人気も大したものです。しかし、実際に一つ屋根の下で暮らすようになると、やはり嫁と姑の難しい関係は排除することができませんでした。母は決して悪気はないのですが、私と同じで物事をはっきり言う性格ですから、自分の言いたいこともなかなか言い出せずにもじもじしている佳代子を見て、ついついきつい言葉で物を言う場面が何度かありました。佳代子は精一杯私や母に気を遣っていてくれたのです。母も、家事を少しずつ佳代子に譲ればいいのですが、家事を辞めてしまえば自分が老いてしまうとでも思っているのか、なかなか台所を佳代子に譲ろうとはしません。もちろん、佳代子の料理の腕前に文句があるわけではないのです。しかし、自分になかなか台所を任せてはもらえない佳代子の身になって考えれば、これくらい悲しいことはなかったのではないでしょうか。それが証拠に、母が出かけてしまっていていないときには、佳代子は私の好みに合わせた料理を作ろうと一生懸命になっていました。母は本当は佳代子のことを母なりに精一杯思いやってくれているのでしょうが、女同士というのは意志が通じ合うまでにやはりそれ相応の時間がかかるもののようです。最近ではやっと安心して見ていられるようになった二人ですが、一時期は私がどうやって間を繕おうかと結構気をもんだこともありました。
しかし、佳代子は私が何とかして佳代子の立場を良くしようと頑張っていることを察していてくれて、一生懸命母に尽くしてくれたのです。泣きたいこともあったことでしょう。しかし、佳代子はたったの一度も私に母の愚痴をこぼしたことはありません。それが佳代子のいいところなのです。今の私は、佳代子と母がぐるになって、私に冗談っぽく文句を言うような場面があると、本当に心から安心します。そして、佳代子も次第に母とのつきあい方を覚えてきてくれたようです。私は佳代子に言いました。「決して母に気を遣おうとせずに、自然にしていればいいんだよ」と。佳代子は実際に私の言葉を実行に移すことができるようになったのです。本当に賢いお嫁さんだと思います。佳代子の年齢の普通の女性ならば、母から受ける無言のプレッシャーに負けて、私に愚痴をこぼしていたに違いありません。しかし、佳代子はそうすることで私がどんなに悲しい思いをするか、よく理解してくれていたのでしょう。
さだまさしさんの「関白宣言」という歌の中に、「姑とうまくやるのは難しくはない。愛すればいいだけだ」という内容の歌詞がありました。彼は本当に素晴らしい作詞家です。嫁と姑の関係を繕う知恵を、短い歌詞の中で端的に表現しているのです。「関白宣言」自体は、当時のウーマンリブ運動を推進していた団体に男尊女卑の歌だと批判されて、一時はピンチになりましたが、「関白宣言」の歌詞をじっくり読めば、あれは「女房賛美」の歌以外の何物でもないことに気づきます。世の中の全ての若い主婦たちが、さだまさしさんの知恵深い歌詞の意味を、よく味わってくれたら、世の中はもっともっと平和になると思うのですが。
佳代子が私の両親を大事にしてくれている分、私は佳代子の両親に精一杯の親孝行をしようと頑張っています。義父母にすればたった一人の大切な娘です。その娘を嫁にくれたのですから、私には佳代子と佳代子の両親を幸せにする義務があるわけです。私が一番貢献すべきなのは経済的なことですが、それにはもう少し時間がかかるかも知れません。
《佳代子の夢は?》
…と題してみたはものの、私は佳代子が自分の将来に何を夢見ているのか、全く予想もできません。少なくとも、今の佳代子を見ていると、幸せな家庭が築ければそれでいいという感じにも見えるのですが、女性にも夢がきっとあるはずだと思うのです。年齢を重ねても、いつまでも心の中の「少年」を忘れることができない私たち男性は、常に大きな夢を持って生活しています。もちろん、社会に出て疲れ果てて、その夢を忘れかけることもあるかも知れませんが、基本的には大きな夢や野心を持っているはずなのです。
私は、男性も女性も、共に自分の夢に向かって歩む権利を平等に持っていると思います。主婦だから、妻だから、という理由で若い頃の夢をあきらめる必要など全くありません。そして、自分が夢をあきらめない代わりに、子供じみたご主人の夢も大切にしてあげて欲しいと思います。人は夢を追いかけることで常に生き生きとしていられるのだと思いますし、その夢が完全に実現されなかったとしても、少しでも夢の実現に近づこうと努力する人生はとても豊かだと思うのです。
私の夢は、自分の英語学校を作ることと、作家として世に認められることです。特に自分の英語学校では、私が今まで感じてきたいろいろな矛盾を一挙に解決していきたいのです。授業は全て英語で行います。誤解しないで下さいね。決して外国人講師を雇うと言う意味ではありません。私自身が全て英語で授業を行うのです。日本の英語教育は、日本語で英語の授業をしているところに問題があるのですが、英語を自由に使いこなせる日本人の英語教師がほとんどいないために、この世界でも最も後れた英語教育がなかなか改革されることがありません。私は、学生時代から大変な思いをしながら、ネイティブスピーカーと対等に渡り合える英語力を身につける努力をしてきました。確かに会話学校に通えば一般的な英会話はできるようになるかも知れませんが、本当の英語の力は、あらゆる話題を英語で討論できる力でなければなりません。私は、できれば英語学校の中に、大人のクラスも作りたいと思います。なぜなら、年を取ってからもう一度英語を習いたいと思っている人たちが大勢いるからです。意志さえあれば、物事を学ぶのに年齢は問題ではありません。ちょっと夢が大きすぎますかね。
私の二つめの夢は、実現するのに一生かかるかも知れませんが、私は常に挑戦を続けていきたいと思います。幸いにも私には素晴らしい出版社のアドバイザーがついていてくれるので、私の足りない点は率直にしてくれます。今までに二十作以上の原稿を仕上げてきましたが、私がお世話になっている出版社は、私の作品をいつも真剣に検討してくれるのです。そして、検討会議に出た意見は細かく私に知らせてくれます。それによれば、私はまだまだ小説家としては幼稚園段階のようです。 佳代子は、私がそんな大きな夢を持っていることを知っています。そして、子供のように夢を追いかける私を、にこにこしながら見守ってくれているのです。経済的にどんなに苦しくても、佳代子は常に私のそばにいて私を励ましてくれます。しかし、私は佳代子にも自分の夢を追いかけてもらいたい。なぜなら、今まで書いてきたように、佳代子の人生はあまりに佳代子に対して過酷な試練を与え続けてきたからです。人間には等しく幸福を追求する権利があることは、国の最高法規である日本国憲法に明記されています。
まさか、佳代子は私が夢を実現する手伝いをすることに自分の人生をかけようとしているのではないでしょうね。私は、そんな女性の生き方は好きではありません。何度も言うようですが、男性も女性もそれぞれに自分の夢を追う権利があるし、女性は男性のために生きてはいけないと思います。人間はみな自分のために生きなければなりません。夫婦はお互いに自分の人生を歩みながら、支え合っていくものなのではないでしょうか。
私は佳代子が何を夢見ているのかよくわかりませんが、とにかくいつその夢に向かって歩き出してもいいように、佳代子には今のうちにいろいろな武器を身につけさせてあげたいと思います。コンピューターの技術もそうですし、佳代子が希望すれば厚生省に支援された資格取得講座を受講することもいいのではないかと思っています。
しかし、私が佳代子に本当に自分の夢を追わせてあげるためには、私たち夫婦が経済的に非常に余裕のある状態を築き上げなければなりません。ですから、私は自分の夢を実現させる前に、家族の経済的な安定のために、どんな仕事にでも積極的に挑戦して行きたいと思っています。私にとっては、どんな遠回りも、全て自分の肥やしになってくれるのですから、ちっとも苦ではありません。そして、佳代子に大きな夢を抱いてもらいたいのです。 私と違って、佳代子は欲張りな女性ではありませんから、美しい景色を見たりするだけで、もう十分に幸せだわという表情をします。「こんなきれいな景色を見せてくれて本当にありがとうね、先生」佳代子にそう言われると、私はうれしさと共に、不思議なせつなさに襲われてしまうのです。佳代子に小さな幸せしかあげられない自分が情けなくなってしまうからでしょうか。もちろん、誰かに幸せをあげるなどという考え方自体が、神をも恐れぬ傲慢な考え方であるのはよくわかってはいるのですが。
歴史の中には、大きな功績を残してきた女性も数多く存在しますが、一般的な女性は本当に健気な人生を送ってきたのではないでしょうか。戦争の犠牲になり、心ない男性の犠牲になり、無理解な社会の犠牲になり、いったい女性の人生とは何なのでしょう。実力主義の世の中になったのですから、女性も大いに武器を身につけて戦って欲しいと思います。
《世界一の甘えん坊》
今まで書いてきた佳代子の話を聞けば、佳代子は非常にしっかり者の女性に思えることでしょう。ところが、佳代子は世界一の甘えん坊なのです。私が仕事に出かける支度をしているときは、いつも私のそばにぴったり寄り添っています。ネクタイはそれでいいかとか、Yシャツの色はどうかとか、私は全く気にしていないのに、あれこれ世話を焼きたがるのです。挙げ句の果ては、ハンカチはこれでいいかとなりまして、私は適当にいいよと返事をしますが、実際にはどのハンカチなのか確認もしていません。
ところが佳代子の目的は、私の世話を焼くことではないのです。私が最後にムスクの香水をシュッシュッとかけて、さあ出かけようかどいう段になると、佳代子は両手を広げて私に抱きしめてくれと要求します。もちろん優しい私はちゃんと佳代子を抱きしめて、軽くキスをして、「それじゃあ行ってくるよ」と言うのですが、そうすると佳代子は「いやだ」とわざとだだをこねて時間稼ぎをします。「それじゃあ、一緒に行く?」と言うと、そうすると言うので、「それなら、僕の代わりに授業もやってよ」と言うと、「それは困るわ」と言って、やっとのことで私を解放してくれるのです。
幸せな結婚生活に恵まれなかった佳代子は、実はその最初の結婚の前に、最愛の男性との別れを経験しています。きっと、そのすてきな彼は今でも佳代子の心の中にしっかりと住んでいることでしょう。私はそのことで焼き餅をやくことは絶対にありません。佳代子の思い出を大切にしてあげたいのです。だから佳代子は人から愛されることにとても飢えているのではないでしょうか。それが、ときどき突然顔を現して、甘えん坊の佳代子に変身させてしまうのでしょう。私はそんな佳代子を本当に愛おしく思います。そして、佳代子の甘えん坊は一生続いても構いません。
人間は常に完璧な大人を演じていたら疲れてしまいます。一昔前に、会社の管理職連中が「赤ちゃんクラブ」などに通っていて社会問題になったことがありましたが、普段責任ある立場にある人ほど、どこかで誰かに甘えたいという願望を強く抱いているに違いありません。ですから、当時のそのニュースを私は非常に冷たい目で見ていましたが、年齢を重ねて少しは世の中のことが見えるようになった今では、馬鹿げた彼らの行動を許せるような気がするのです。
かく言う私も、とても甘えん坊です。学校でも塾でもしっかり者の先生を演じていますが、本当はものすごい甘えん坊で、母や佳代子にしてみれば、家に愛犬が二匹いるようなものかも知れません。しかし、人間はそれで心のバランスがしっかりととれるようにできているのだと思います。お互いが、お互いの甘えを許せるようになることが、世の中の人間関係を円滑にするコツでしょう。
しかし、実際には自分には至って甘い規準しかあてはめない人間に限って、他人には完璧を要求するものです。でも、他人にあれこれ指図する人間は、それ以前に自分に対してものすごく厳しい規準と要求を課していなければなりません。それでなければ、絶対に部下はついてこないからです。それは、会社の上司と部下の関係だけでなく、夫婦の関係も親子の関係も同じではないでしょうか。とやかく言う前に、まずは自分の足下をもう一度点検する謙虚さを持つことが、世の中の全ての人間関係の基本です。他人を批判するのは簡単ですが、自分の欠点を鏡に映して見ることは非常に難しい。そのことを十分に承知していれば、自分の欠点を他人は寛大に許してくれることでしょう。
今の時代は「批判の時代」と言ってもいいくらい、世の中には批判の声があふれかえっています。小泉首相が駄目だとかブッシュ大統領は駄目だとか、批判するのは簡単ですが、もし自分が彼らの立場にいたら、もっと優れた政策が取れたとでもいうのでしょうか。ブッシュ大統領はイラクとの戦争を強行したということでケリー大統領候補からも大批判を受けていましたが、大統領の背後には兵器産業に従事する大物たちも控えていますし、彼個人が本当に戦争を、つまりイラクの国民の殺戮を希望したとは限らないではありませんか。基本的に、アメリカ人は「強いアメリカ」の復活を希望しています。ブッシュ大統領はそう言う意味でも、国民の希望を叶えようとしたのです。
小泉首相も靖国神社参拝を非難されていますが、こんな時期に靖国神社に行けば、中国が黙ってはいないことくらい、中学生でもわかります。それを敢えて挙行したという背景には、強大な保守勢力があって、戦争で犠牲になった人間たちに敬意を表せと、しきりに小泉首相に圧力をかけているはずです。政治家として、少しでも命を長く保つためには、あらゆる人々の要求に応えようとしなければなりません。ですから、表面上の政策を見ただけで、簡単に批判するのは、それは自分自身が政治に対して無知である証拠です。
他人を簡単に批判してはいけません。人にはそれぞれに「立場」というものがあるのです。それはおかしいと思う人がいたら、私はそういう人々に聞きたいのですが、「あなたたちは、正義のために自分の生活を犠牲にすることができますか?」とね。実際、社会保障を充実せよと叫んでいる人は多くても、ボランティアで公園に寝泊まりしている浮浪者の人々に食事のサービスを喜んでしようとする人間が何人いますか?多くの場合、人は言動が一致しません。自分が「机上の空論」と唱えていることに気づかない人が世の中には多すぎます。
人間が何かの行動を取るときには、それなりの判断基準があったはずです。その行動の背景を深く知りもせずに、他人の行動が自分の期待に反しているからと言って、すぐに文句を並べるのは非常に幼稚です。人間として成熟しているならば、「なぜなのだろう」とワンクッション置くことができなければなりません。
私も決して偉そうなことは言えない人間ですが、結婚してから佳代子の行動の背景にある佳代子の感情を、私なりに一生懸命想像するよう努力してきました。私の判断が間違っていたこともたくさんあるかも知れませんが、私にできることはそれしかなかったからです。佳代子に直接理由を聞いても、佳代子のことですから、私に余計な気を遣わせないように適当な嘘で事を済ませようとしたことでしょう。そういう謙虚な女性なのです。
私は今の時代に「おしん」のような生活を強いられる女性が存在することは絶対に許せません。学校のトイレ掃除に来て下さる「掃除のおばさん」に挨拶ができない生徒や先生たちを見て、本当に嘆かわしいと思いました。
《ブランド志向のない佳代子》
佳代子は、本当に贅沢ができない女性です。ブランド品のことはよく知っているのですが、値札を見て簡単にあきらめてしまいます。佳代子の話によれば、ブランド志向は高校生の時に卒業してしまったそうなのです。今では経済的で実用的で庶民的な商品を専ら好んでいるようです。でも本当は高価な衣服や装飾品も欲しいのではないでしょうか。それを、今の私に望んでも無理だから、きっと興味がない素振りをしているだけなのだと思います。 せめて結婚5周年くらいには、高価なダイヤモンドの指輪でも買ってあげられるようになっていたいのですが、果たして世の中はそんなに甘いものかどうか。私は常にチャンスをつかもうと努力はしていますが、物事にはタイミングというものがあり、また運もあるでしょう。でも、きっといつかは佳代子のブランド志向をもう一度蘇らせたいと思います。 私自身は決してブランドにこだわるようなことはありませんが(男だから当然かも知れませんね)、しかしブランド品というものは名前だけでなく、実際に質も最高なのです。例えば、同じシルバー925の指輪を買っても、ブランド品は決して肌が荒れることがありませんが、安売りの商品は驚くほど指が荒れてしまいます。今の私にできるのは、言い商品をできるだけ安く、インターネットオークションで落札することくらいです。佳代子はそんなにお金を使わなくていいんだからと言いますが、やはり女性ですから、自分を飾るものはいくらあってもありすぎるということはないでしょう。
最近では、生活感覚が鈍くて、ブランド品をクレジットカードで買いあさって、最終的には買った商品は戸棚に詰め込まれて、自己破産寸前の状態に陥る若い女性が多くなったそうですが、そういう意味では佳代子は実に堅実な主婦です。身分相応の贅沢しか考えないのです。しかし、自分の妻がそういうできた女性であればあるほど、男としては何とか贅沢をさせてやりたいという気持ちになってしまうものなのですよね。
私は男のくせに、宝石が大好きです。デパートの貴金属売り場に行けば、何時間でもショーウィンドウを覗きながら、楽しんでいることができます。もしかしたら、私の前世はカラスだったのかも知れませんね。私は宝石の中でもルビーが一番好きです。ダイヤモンドは確かに素晴らしいとは思いますが、同じダイヤモンドならブルーダイヤの方がいいですね。でも、とにかく宝石の中でルビーに勝る輝きを持ったものはないのではないでしょうか。ですから、私の夢は高価なルビーの指輪を佳代子にプレゼントすることです。
それに、佳代子の大好きな黒のイブニングドレスも買って上げたい。もちろんそれを着ていくような場所も必要ですが、私がそれなりの地位を築けば、佳代子にも立派なドレスが必要になるでしょう。しかし、こんなことばかり考えている私は、夢を見すぎなのでしょうか。あるいは、大好きな映画の見過ぎで、すてきな男性を演じようとしているのかも知れませんね。
女性が身につけるものは豪華ならいいというものではないでしょう。いくら高価なブランド品を身につけていても、中身の薄っぺらな女性であれば、かえってブランド品が本人を貧祖に見せるということもあるからです。そして、多くの場合、自分の内面が豊かな女性ほど、外見を飾ろうとはしないのではないでしょうか。それは、何も女性に限ったことではないかも知れませんが。
しかしながら、平凡な男性の私としては、質素に生活している佳代子には、彼女にふさわしいおしゃれをさせてあげたいと思ってしまうのです。これは男のエゴなのでしょうか。それとも見栄なのでしょうか。私にもよくわかりませんが、佳代子には大きなルビーのついた指輪が似合うと固く信じている私です。 ただ、佳代子のことですから、恐らく私がプレゼントするものなら、野に咲く花一輪にもたっぷりと愛情を感じてくれるに違いありません。どんな立派なルビーの指輪よりも、心のこもった一輪の花を喜ぶ女性でもあるからです。私は男なので、やはり野心や名声欲がありますが、佳代子は幸せな生活さえ送ることができれば、何の名誉も名声も財宝も必要ないという人生観を持っているようです。ですから、まだ安定した職に就けないでいる私のことも、決して不安な表情で見下したりはしないのでしょう。どんなに収入は少なくても、家族のために一生懸命頑張ってくれているのだからと、佳代子はいつも私に笑顔で接してくれるのです。男は、自分の妻にそんな応援の仕方をされたら、本当に勇気百倍でしょう。現に、私はこれからぶつかるかもしれないどんな困難にも、勇敢に立ち向かっていく自信に満ちています。体裁を気にしない妻を持った男性は本当に幸せです。
《佳代子の愛する風景》

これは我が家の南側 に見える黄葉した銀杏 の木です。佳代子は京 都の紅葉も大好きですが、色づく木々の葉の美しさにも非常に敏感です。愛犬龍馬のとなりに座ってときどきじっと眺めています。我が家の庭にも佳代子が愛する花々がいろいろと咲いています。玄関先には、母が作った菊の鉢が置かれていて、これも佳代子のお気に入りです。また、すぐ近くの叔母の家には立派なピラカンサが、たくさんの赤い実をつけています。
ピラカンサの実によく似た実を つけているのは、我が家の庭に植 えられている南 天の木です。アロエの花も咲いていますよ。


今の季節にはもちろん見ることはできませんが、梅雨の時期には、私と佳代子が一緒に小田原の近くの開成町で毎年開かれているあじさい祭りに出かけたとき買ってきた、柏葉あじさい(写真右の白いすずらんのような花)や、きれいなマリンブルーのあじさいが、年々多くの花をつけて、私たちの目を楽しませてくれます。
佳代子は自然や動物をこよなく愛する女性です。「散歩で出会うワンちゃんたちはみんなかわいいのよ。でもうちの龍馬君が何と言っても世界一ね」などと言うときの佳代子は、親ばかそのものですけどね。でも、散歩の時に、龍馬以上に佳代子の方がいろいろな犬と友達になって帰ってくるのですから、あきれてしまいます。佳代子は、散歩の途中の景色を龍馬と一緒に楽しんで来ますから、下手をすると二時間以上も散歩から帰ってこないときがあります。事故でもあったのかと、私や母が気をもむ始末です。ですから、佳代子は街中を歩くのが大好きなのです。


これは佳代子と二人で横浜の八景島シーパラダイスに行ったときの写真ですが、ドームになった水槽のトンネルは二度もくぐらされました。佳代子はもう子供のようにはしゃぎっぱなしでした。
右側は春の桜の季節に京都の嵐山渡月橋で撮った写真です。本当に嬉しそうな顔をしていますね。このときは天竜寺裏の竹林を抜けて、常寂光寺まで歩かされました。佳代子は大変な健脚です。
残念ながら、紅葉の京都に行ったときにはデジタルカメラを持って行かなかったので、私のコンピューターのアルバムに真っ赤に色づいた紅葉の葉の下で、満足そうな笑顔を見せる佳代子の写真が加わるのは、来年の秋になりそうです。
自然や動物を愛する人は、人を愛する気持ちも非常に強いものです。佳代子が非常に人なつこい性格なのは、そのためでしょう。これからもずっとそんな女性でいて欲しいな。

ちなみに、これは 龍馬と佳代子が大好 きな、父の介護施設の近くに流れる川の土手を散歩する佳代子と龍馬の姿です。背景に高速道路の橋脚工事の様子が映っていますが、自然はそのまま残して欲しいですね。昔ながらの自然の姿を。
《朝はこっそり部屋を抜け出して》
佳代子は市立図書館のデータベース作りの仕事をしていますが、それでも夜は早く寝ずに、私が塾の仕事を終えて帰ってくるまでちゃんと待っていてくれます。その上に、母が戻ってくる夜中の二時頃まで待ち続けていますから、私以上に寝不足の状態にあるはずなのです。それでも、翌日仕事があるときは、朝早くに起き出して、私が目を覚まさないようにこっそりと部屋を抜け出してしまいます。いつも起こしてくれと言っているのに、それでも私を起こしたことは今まで一度もありません。母は、龍馬の世話をしながら今に布団を敷いて寝ていることが多いので、一階に下りてきても、母を起こさないようにこっそりと支度をして、母が目覚めたときにはちょうど家を出るという具合です。仕事に出かける妻を見送ることもできない夫にはなりたくないのに、どうして佳代子は忍者のように抜け出していってしまうのでしょう。
佳代子は自転車で7分ほどの団地に越してきている実家の両親のところへ行くにも、遠慮がちに許可を求めてきます。どうして、そんなにびくびくしなければいけないのでしょうね。佳代子の心の中には、どんなトラウマが隠されているのでしょう。佳代子は家のために精一杯頑張ってくれているから、何をするにも堂々と胸を張って行動して欲しいのですが、彼女の中には何をするにも「罪悪感」に似た感情がくすぶってしまうようなのです。 石山家に嫁いだからと言って、佳代子の一人の人間としての尊厳が軽くなってしまうわけではないのに。人間は生まれながらにして平等です。そして、誰もが等しく幸せな生活を求める権利を有していることは、日本国憲法に明記されています。いわゆる、中学生が習う憲法の三大原則の一つである「基本的人権の尊重」というやつですね。佳代子も、僕の社会(公民)の授業を受ければいいのになあ。そうすれば、もっと堂々と胸を張って幸せになる権利が自分にあることを自覚できるようになるかも知れません。
私が勤めに出るときは、どんなに土砂降りの日でも、必ず外に見送りに来てくれる佳代子なのですから、佳代子が出かけるときに私がまだベッドの中で眠りについているなんていうのは、全くもってけしからん話ではありませんか。私はそういうのが大嫌いです。誰か一人が苦労していたり、無理していたりするのを見過ごすことは大嫌いです。佳代子も私と同じ性格のはずなのに…。今度から目覚まし時計をセットして寝なければなりませんね。佳代子に起こせと頼むこと自体に無理があるわけでしょうから。
世の中には他にも、自分が亭主のためにとことん尽くさなければならないと信じ込んでいる女性が大勢いるのでしょうか。男女平等とかジェンダーフリーが声高に叫ばれるこの時代に、そんな「おしん」のような生き方を自ら選択する女性が大勢いるのでしょうか。私は思うのですが、夫婦とは共に協力し合って幸せを追求する運命共同体ではないのでしょうか。だとすれば、亭主だけが特別な待遇を受けているのはどう考えてもおかしい。本当に相手のことを考えているのなら、お互いに自分自身がまず幸せにならなければなりません。なぜなら、愛し合っている夫婦はお互いに相手の幸せを切望しているからです。
私は佳代子の細かな配慮に本当に感謝していますが、どうか私や母に遠慮した生き方だけはしないで欲しいのです。まあ、それでも結婚したての頃と比べると、佳代子の動きもだいぶスムーズになってきたようではありますけれどね。中学を卒業してから、私の妻になるまでの佳代子が経験してきた数々の出来事を私は詳しくは知りませんが、佳代子はよほど遠慮しながら生活をしなければならない環境に置かれていたに違いありません。学生時代、自由奔放だった少女が、ぎこちない行動をするようになるには、それなりの衝撃的な経験が続いたのでしょう。佳代子がときどきふと口にする台詞…「世の中の人間なんて簡単に信じられないわよ」その台詞が全てを物語っているような気がします。
佳代子はいくつかの職場を経験したようですが、人受けのいい彼女は、その愛くるしい性格のために、他の女性職員の羨望の的になったようです。職場の女性社員の陰湿ないじめは想像に難くありません。佳代子は滅多に人の悪口を言いませんから、過去の悪い思い出も私に詳しく話してはくれませんが、私が聞きかじったわずかな情報からだけでも、職場で相当いびられたことは事実のようです。 極度に辛い経験は、人の性格を必要以上に臆病にしてしまうのでしょう。佳代子はそのために、私や母に何か頼み事をするとき、たとえそれがどんなに些細なことであっても、重大な頼み事をするような緊張感に襲われてしまうのです。早く昔の自由奔放な女性に戻ってくれるといいのですが。
ところで、佳代子は今日の夜、久しぶりに両親のところへ出かけました。クリーニング屋さんに洗濯物を取りに行くついでなのですが、両親にインターネットオークションで買った磁気ブレスレットを渡す目的もありました。佳代子が出かけてから一時間ほどしてからでしょうか、義母から電話があり、磁気ブレスレットのお礼をわざわざ言ってきてくれたのです。「先生、いつも気にかけてもらって本当にどうもすみませんね」自分の義父母なのですから、気にかけるのは当然なのですが、佳代子と同じで佳代子の両親も非常に謙虚な人たちです。住み慣れた千葉から、わざわざ茅ヶ崎に越してきて、慣れないことも多く苦労したことでしょう。しかし、そんな愚痴などひと言も私には言ったことがありません。佳代子の近くに住めるだけで幸せだと言わんがばかりです。私たち夫婦にしても、お互いの両親がそばにいるというのはとても安心なことです。義父母に幸せな老後を!
《二十年以上かわいがられてきたクマ》
「クマ」というのは、佳代子がかわいがっているぬいぐるみの名前です。今では、実家の方に預けてあるのですが、佳代子の人生を共に歩んできた、佳代子にとっては本当に大切なぬいぐるみです。実は、そのぬいぐるみを佳代子に買って上げたのは、私自身でした。ところが、買った当時のことは恥ずかしながらあまりよく覚えていないのです。でも、うちに遊びに来た佳代子を連れて、駅の近くのデパートのぬいぐるみ売り場に一緒に行ったことはかすかに覚えています。私は、佳代子はそのぬいぐるみに「クマ」という名前を付けて、二十年以上も大切にしてきてくれたことを知ったときには、絶句してしまいました。 佳代子にとっては、龍馬と同じく生きている「クマ」です。佳代子にそう言われて、クマを見ると、本当に表情があるのです。ぬいぐるみも、かわいがってもらえることを理解するのでしょうか。不思議な現象ですね。

写真の佳代子の左 隣にいるのがクマで す。赤い洋服を着て、かわいいでしょう? クマは何着も服を持 っています。両隣は コロとサンタで、私 がクリスマスに買っ て上げたわんちゃん たちです。今では生 きた龍馬がいますから、ソファーには置いてはおけませんけどね。龍馬の格好の餌食になってしまうからです。
佳代子がいつも自分のそばから離さずに暮らしてきたクマを団地に越してきた両親に預けてしまったのは、恐らくは両親が寂しがるのを何とかしたかったからでしょう。佳代子にとっては、クマのいない寝室で寝ることは、最初のうちは深刻な問題だったはずです。子供じみていると思う人もいるかも知れませんが、人間には基本的に「アニミズム」と言って、自然にある物体に霊魂の存在を感じる本能があります。昔ながらの原始的な生活を続けている民族にあっては、それが彼らの宗教になるわけですね。ですから、私たちのように文明に毒された人間たちであっても、自分の使っている道具に愛着を感じたりすることがあるではありませんか。それも、一種のアニミズムでしょう。佳代子のクマに対する思いは、言葉では表現できないほど深い愛情に支えられていました。
今でも「クマは元気でいるかなあ…」と思ってはいるのでしょうが、律儀な佳代子は決して私の前でその台詞を言うことはありません。たぶん、ときどき団地の両親に電話をしてクマの状態を確認しているに違いありません。我が家はとても広いので、本当なら団地のご両親も一緒に住んでしまえばいいのですが、それも新たな難しい問題を生むといけないので、しばらくは適度な距離を保って置く方が賢明でしょう。それこそ「スープがほんのちょっと冷める程度の距離」ですから、いつでも行き来できるので。
佳代子にとってはクマは生きているペットと同じなので、少しくすんできたクマをクリーニングに出すことには断固として反対しました。それに、長い年月が経過しているので、首の据わりもあまりよくなくなっています。専門の業者に頼んで修理してもらえばと言っても、そんなのはかわいそうだから駄目だと言って聞きません。私は、それこそいつ首がとれてしまうかと気が気ではありませんでした。そんなことになったら、佳代子が絶叫して泣きわめくのが目に見えていたからです。まあ、そのうちうまいこと佳代子を説得してクマの修理を承諾させなければならないと思っています。
クマと離れた生活で寂しそうな佳代子に、私はクマとの写真入りの名刺を作ってあげました。全く世話の焼ける女房です。
《夫婦で散歩ができる幸せ》
父の介護施設の近くに川が流れていて、その土手が龍馬の大好きな散歩コースであることは、前述した通りです。そして、その土手は多くの人々の散歩コースにもなっているのです。最近では、仲良く一緒に散歩をする年配の夫婦の姿もよく見かけます。その仲の良い夫婦たちを真似するかのように、川面にはつがいの鴨たちが何羽も浮かんでいるのです。本当に心休まる光景です。

今日も、佳代子が 父の着替えなどを全 て回収してきたあと で、龍馬を連れて夫 婦仲良く土手の散歩 に出かけました。冬 の空気は澄んでいて、西方には雪を頂いた 富士の雄姿と、大山 や丹沢の風景が望め ます。しかし、残念なことに、土手のすぐそばに作られた小さな公園内の東屋付近は、相変わらずゴミだらけなのです。日本人は、本当に精神的に貧しいなあと佳代子とうなずき合っておりました。
気がつくと、佳代子の後ろに小学校4年生の女の子が3人、龍馬と戯れるようについてきていました。物騒な事件が世間を騒がせているこの時勢に、佳代子は子供たちから全く警戒されないのです。子供たちや動物は、人間の本質を見抜く直感ようなものを持っていると私は思っていますが、今日の小学生たちも、佳代子の心に触れたのでしょう。私とも気軽に会話を交わしてくれました。
佳代子の話では、佳代子の父親も建築現場に出かけたりすると、必ず近所の子供たちになつかれてしまうそうです。義母は、こんな時代だから、よそ様の子供と仲良くしていたりしたらどんな誤解を受けるか知れたものではないから注意してくれと義父に頼んでいるのだそうですが、子供の方から寄ってきてしまうのでは、むげに追い払うわけにもいかないでしょう。佳代子の両親も佳代子も、本当に純粋な心を持った人たちです。子供にはそれがよくわかるのでしょう。佳代子の母親はインド人夫婦の子供の子守役をして働いていたのですが、その一家がカナダに転勤してしまうと決まったときの落ち込みようと言ったら、それはもう大変なものでした。アビ君と呼んでいたそのインターナショナルスクールに通う小学生の息子さんも、佳代子の母親に本当になついていて、成田空港でのお別れは大変悲しいものになってしまいました。佳代子の両親は、自分たちが生きているうちにもう一度アビ君一家と会うことはできないだろうとあきらめていますが、私は神様が必ず再会させてくれるような気がしてなりません。きっと近いうちに、通訳として活躍していた私のパソコンに、カナダからメールが届くのではないかと思っています。
ところで、私は冬の夕暮れが大好きです。寒い季節なのに、なぜか家庭の温かさを感じさせるのです。どうしてそんな気持ちになるのかは自分でもわかりませんが、冬の空気の冷たさが人間の心の温かさをよけいに強く感じさせるせいかも知れません。龍馬を連れて佳代子と歩く土手の散歩は、本当に幸せなひとときです。世界の至る所で、家族が離ればなれになってしまって幸せとは縁のない生活を余儀なくされている人々が大勢いるこの時代に、川面の鴨を眺め、土手に咲く小さな花々を話題に談笑し、富士の雄姿に二人で見入ることのできる幸せには、本当に感謝しなければならないでしょう。
優しい心の佳代子を妻に迎えた私は、ストレスを感じることが極端に少なくなり、そんな癒された二人の心に挟まれながら歩く龍馬も、本当に穏やかな性格の成犬に成長しつつあります。龍馬もまた、不思議なほどいろいろな犬に好かれるのです。そして、自分から喧嘩を売っていくこともまずありません。小さい頃からそうでしたが、龍馬はまず無駄吠えというものをしない犬です。人間で言えば「天然ボケ」系の性格なのではないでしょうか。そんな龍馬と佳代子の姿を後ろから眺めている私は、何とも言えない豊かな気持ちにさせられます。
忙しい教員生活をしていた二十二年間に、私は数えるほどしか散歩などしたことがありませんでした。ですから、経済的には苦しくても、今の生活は私にとってはかけがえのない貴重な日々です。冬の澄んだ空気を、ゆっくりと吸い込んで味わうことも、今までほとんどなかったような気がします。世の中は、本当に何がどう幸いするかわからないものですね。
私にはいろいろな野心や夢がありますが、それでも私はこのささやかな幸せのひとときを一番大切にしていきたいと思います。ちなみに東屋は私がきれいに掃除をしました。
《弱者に刃を向ける時代》
中学生集団による浮浪者襲撃事件が社会問題になったのは、何年前のことになるでしょうか。最近では、大学生のグループが女性に乱暴を働いたり、痴漢行為を働いたりする事件が世の中をにぎわせました。ストレスの時代にあって、常に犠牲になるのは弱い立場の人たちです。特に仕事でストレスをためた男性や、母親に甘やかされて我慢をすることを覚えずに大人と呼ばれる年齢に達してしまった男性は、自分のイライラを弱い女性に暴力を振るうことで発散しようとします。そういう男性に限って、決して自分より強い者や権力者には立ち向かってはいけない。要するに意気地がないわけですね。
女子小学生の惨殺事件や、小学校児童大量虐殺事件などは、まさに意気地のない男性の仕業でしょう。以前、矢ガモや矢猫のような動物虐待が話題になったとき、すでに現在の弱者虐待の導火線には火がついていたに違いありません。動物の次は浮浪者で、その次が女性や子供です。不幸中の幸いで、事件に巻き込まれながらも何とか命だけは助かった被害者たちは、心に大きな傷を受けることになります。いわゆる「トラウマ」です。体の外側の傷はすぐに癒えても、心の傷は癒えるのに想像以上に長い時間がかかります。最悪の場合は、死ぬまで癒えることがありません。 私も、以前仕事でイライラしていたとき、ちょうど父親の介護疲れも重なって、思いきりドアを蹴飛ばしたことがありました。私に蹴られたドアは、内側の化粧ベニヤがそっくり抜けてしまいましたが、そのときの大きな音を聞いた佳代子のうろたえた様子は、今でも私の脳裏に焼き付いています。威勢の良かった学生時代には、どんな暴力行為を見ても決してひるまずに立ち向かっていった強気な佳代子が、人が変わったように怯えているのです。それは、佳代子が最初の結婚で心に受けてしまった「トラウマ」のせいでした。
でも、私だって偉そうなことは言えません。一度目の結婚生活の中でも、二度ほど前妻に対して激怒したことがあって、一度はテレビのリモコンを画面に向かって思いっきり投げつけたし、もう一度は冷蔵庫のドアを力任せに拳固でパンチしてしまいました。おかげで冷蔵庫には私の拳固型のくぼみができてしまったという失態ぶりです。もちろん、妻に対して手を挙げたことは一度もありませんが。それは、若い頃父の暴力に悩んだことのある母からの、絶対命令だったのです。「女に手を挙げたら絶対に許さないからね」母は本気で私に言ったものでした。
普段は温厚な私でも、堪忍袋の緒が切れるとこの始末なのですから、忍耐力がはるかに劣る今の若い人たちが、自分の女房に暴力を振るうというのは想像に難くありません。しかし、それがどんなに卑劣なことか、男ならば徹底的に自分の弱さを責めるべきでしょう。闘うなら、自分より強い者、権力を振りかざす相手と闘わなければ、男とは言えないのです。それができずにためこんでしまったストレスを、弱い女子供で解消しようなどという魂胆は全くもって情けない限りです。
というわけで、佳代子は暴力や闘争を好まない女性になっています。無益な争いはできるだけ避けたいし、私にも避けて欲しいようです。しかしながら、それは人間としては非常に賢いことだと思います。相手に向けた敵意や遺恨は、いつの日か必ず形を変えて自分に対して返ってくるからです。平常心で生活することが、人間が幸せな生活を手に入れる最良の方法なのでしょう。
ところが、私は私たち夫婦の寝室で面白いものを発見してしまいました。それは、書棚のガラス戸の間にはさんであった雑誌かタウン誌の切り抜きなのですが、図解で効果的なパンチの方法を解説してあるのです。佳代子はいったい誰を殴ろうとしているのでしょう。ただ単に護身用なのでしょうか。まさか私が眠っている間に私にパンチを食らわそうとしているわけではないでしょうし、何を考えているのかちっともわかりません。そう言えば「私、空手かボクシングを習いたいなあ」といつだったかぼそっと漏らしていたのを思い出しました。争いや暴力を好まない佳代子もやはりストレスがたまっているのでしょうか。この冬は、どうしても箱根の温泉か大山登山をして、お互いにストレスの解消に努める必要がありそうですね。
弱い犬ほどよく吠えると言いますが、人間も同じで、強気な発言ばかりしている人間ほど小心者であることが多いようです。自分が大きな心を持てるようになれば、自然と穏やかな心境になって、周囲の人々に優しく接することができるでしょう。私も含めて、世の中の男性はもっともっと強くならなければなりません。強くなって、自分の弱さを認め、決して他人を傷つけない優しい心を手に入れなければなりません。それはこの世の中から理不尽なストレスに甘んじている不幸な女性を一人でも少なくするために、ぜひとも必要なことなのです。
「アッシー君」「キープ君」等々、現代の若い女性が若い男性を馬鹿にしたような言葉が流行っていますが、実際の世の中はやはり女性にとってはあまり有利な場所とは言えないでしょう。威張っていられるのは、自分に若さと美しさがあるうちで、人間は必ず衰える生き物ですから、二十代も後半以降になれば、空威張りはできなくなってしまいます。中身のない女性にいつまでもストーカーのように執着するほど、男性も馬鹿ではありませんし、結局は純真な女性を見つけて、彼女たちを甘い罠に陥れるような悪さをするようになってしまいます。
私は普通の男女関係の話をしているのではありません。女性を人間扱いしない野獣のような男性の話をしているのです。男を甘く見てはいけません。仮面の下は野獣かも…。
《上手に手抜きのできない佳代子》
ついに佳代子が寝込んでしまいました。どうやら、睡眠不足がたたって風邪を引いてしまったようです。基本的にどんなに具合が悪くても、家事に手抜きをできないのが、佳代子という女性です。私が「休んでいいんだよ」と優しい言葉をかければかけるほど、佳代子は律儀に働いてしまうのです。私が「具合が悪くても働け」とでも言えばいいのでしょうか。いやいや、そんなことをしたら、私を信頼しきってくれている佳代子の心が大きく傷ついてしまうだけでしょう。困ったものです。
友人の店の厨房に立って、夜中の二時三時に帰宅する母を、佳代子は待たずに床につくことがありません。翌日に図書館の仕事があるときだけは、少し早めに床につきますが、それでも夜中の一時前に眠りにつくことはないのです。佳代子自身、前の結婚生活で受け続けたストレスのために、自律神経失調症を患った経験がある身です。恐らくは、私の場合より数段重症だったでしょう。ですから、今でもまだ寒さや暑さを感じる感覚が鈍いままのようです。最近は食事も細ってきてしまいました。我が家に嫁いできてくれたのですから、もっと気持ちを楽に持ってくれればいいのに、佳代子は周囲の人間の優しさを感じると、その何倍もの律儀さで応えようと頑張ってしまうのです。そういう女性です。
さすがに今日は、私と母の強い命令によって、軽い朝食をとった後で病院からもらってきてある風邪薬を飲んで、二階の寝室で布団にくるまっています。私は、つい先日例のインターネットオークションで落札した、マイナスイオン発生装置付加湿器をセットしてきました。今日一日、湿気のある暖かい部屋でぐっすり眠ることができれば、佳代子の風邪もだいぶよくなるでしょう。普段は決して二階に上がることのない龍馬を、私は抱きかかえて佳代子の枕元に連れて行きました。「ほら、ママが具合が悪いから、早く良くなってねって言ってあげなくちゃ」私の言葉に龍馬は敏感に反応して、佳代子の顔をしきりに舐めようとしていました。こういう時には、動物の直感と優しさは人間以上です。佳代子もにこっと笑ってくれました。佳代子にとって、龍馬は我が子のように愛すべき存在だからです。龍馬にとっても、佳代子は母親のような優しい存在でしょう。
世の中の少なからぬ主婦が、不倫に走ったり、昼のメロドラマに涙してけだるい午後をぶらぶらと過ごしたり、パチンコに狂ったりしている時代にあって、佳代子のように一生懸命良き妻になろうと頑張っている女性もまた、大勢いることでしょう。そういう女性たちの頑張りを見たら、私たち男性はもっと頑張らなくてはという、大きな勇気をもらわざるを得ないのですが、ストレスの時代にあって、そういう人情にも疎くなってしまっている男性も非常に多いのではないでしょうか。世の中は明らかに病んでいます。
マスコミや政府は、北朝鮮の拉致問題やイラクの問題など、世界的な大問題に執着しているようですが、世の中の平和は、一つ一つの小さな家庭の平和、もっと大元をたどれば一人一人の平和な心によってもたらされるものだということを忘れてはいけません。国民の多くが病んだ状態で、なぜ平和な国を築くことができるでしょうか。長引く不景気の中でリストラされている人々がこれだけ大勢いるというのに、先日発表された公務員のボーナス平均は七十万円に近い状況でした。昨年度よりも金額がアップしたのです。私が教員を辞めてからボーナスが上がるというのも、私にとっては皮肉な話ですが、なぜ公務員だけが好待遇を受けて、民間の労働者は見捨てられているのでしょう。
年金や税金などの公的資金を不正に運用していた政府の役人たち。働きの良さ悪さにかかわらず、常に好待遇を受ける公務員組織だからこそ、驚くような不正や犯罪も発生するのです。官民の差をもっと縮めなければ、いつか国民は暴動を起こすかも知れません。小泉首相のボーナスは六〇三万円だと発表されました。一般サラリーマンの年収より多いわけです。こんな社会が、いつまで長続きすると思っているのでしょう。法外な報酬を公務員に与える代わりに、もっと福祉対策に予算をつぎ込むべきではないのでしょうか。
小さな子供を抱えて、苦しい生活に甘んじている母子家庭。地方自治体の公的扶助など大した役には立っていません。義務教育とは名ばかりで、いくらお金がかかるか皆さんはご存じでしょうか。一泊二日のキャンプに行くのに一万円弱、修学旅行は五万円もかかるのですよ。月々学校に納める諸費は五千円弱です。義務教育は無償ではなかったのでしょうかね。何のために税金を納めているのでしょうか。世の中でDVに苦しむ女性たちには十分な医療費の保障がなされていると思いますか。もしかしたら、亭主のプレッシャーがあって、心療内科の門をたたくことも許されずに、悶々として日々を過ごしている女性たちもいるかも知れないのです。民生委員たちは十分に機能しているでしょうか。
私は佳代子を見ていて、世の中に腹の立つことが山ほどもあります。自分のことなら我慢できても、愛する女房のこととなれば、黙っているわけにはいきません。DVによって自律神経を患ったりうつ病になってしまった女性には、医療費の援助を最大限に実施すべきです。そして、弱い女性に暴力を振るう男性たちには厳罰を持って処するべきです。そういう根性の腐った男たちは、何年か厳しい懲役に服させない限り、腐った心を鍛え直すことは不可能です。なぜなら、そういう意気地のない男たちに限って、世の中に出ればいい人を装う術を身につけているからです。社会には「いい人」を演じていて、家に帰ると途端に「野獣」と化すのです。同じ男として絶対に許すことはできません。
人間は完璧ではありません。ですから、良き妻になろうと頑張っている女性諸君には、もっと上手に手抜きをする方法を身につけてもらいたいと思います。家事は傍目で見るほど生やさしいものではありません。大きな家に住めば、そうじだけでも大変な肉体労働になります。多少のゴミに包まれていても人間は死ぬことはないのです。隅から隅まできれいにする必要はないではありませんか。私はA型のきれい好きですが、そんな私でもそう思うのですから、堂々と手抜きをしたらいいと思います。
それよりも、疲れて仕事から帰って来る旦那さんに、「お疲れ様」と優しいひと言をかける気配りだけは忘れないように努力して下さい。男性は妻のその優しいひと言で、翌日の労働のエネルギーを充電することができるのですからね。何よりも、妻が元気で幸せな笑顔を見せてくれることが、夫である男性にとっては最高の贈り物なのですよ。
《勝ち組と負け組》
こんな言葉がいつから使われるようになったのでしょう。言葉の単純な定義からすれば、佳代子や私は今のところ「負け組」に所属するのでしょうか。それにしても、愚かな言葉です。人生に勝ち負けなどあるわけがありませんし、人生は他人と競うものでもありません。人生で闘う相手がいるとすれば、それは自らの中の弱い自分でしょう。ですから、この「勝ち組」と「負け組」という言葉にはまったく意味がないことになります。
インターネットのあるオープンの掲示板上で、二人の学生が口論をしていました。一人は、ある私塾の愚痴をこれでもかと言わんばかりに、悪口雑言の限りを尽くして展開しているのです。もう一人は同じ塾の出身で、見事に志望の大学に合格した学生のようでした。その志望がかなった学生が書いていました。「お前はそうやってお世話になった塾の悪口を言うなんて、さすがに『負け組』だけのことはあるな」すると愚痴をこぼしていた最初の学生が「お前の言う『勝ち組』って言うのは、そこいらの有名私立大学程度の合格者のことを言っているのか。それともお前は、塾の工作員か」「お前は馬鹿か。俺が工作員のはずはないだろう。その程度の頭だから『負け組』になっちまうんだ」という具合です。二人とも自分たちが間違った理論を展開していることに気がつきません。お世話になった塾の悪口を、自分の名前を伏せて掲示板に書き連ねるという行為はやはり卑劣です。しかし、大学に合格したら即「勝ち組」と決め込むのも早合点に過ぎます。人生は長い。「人間万事塞翁が馬」と故事が言うように、人生は何が幸いし、何が災いするか誰にも予測がつかないのです。ですから、目の前の目標が達成できたとかできなかったとかで、大袈裟に一喜一憂するのは非常に馬鹿げています。大学に合格しようが落ちようが、大切なのは自分の将来と前向きに向かい合うことです。下らない論争に明け暮れしている暇があったら、政治経済のことでも勉強して、今の日本が危機的な状況にあることを早く理解した方がいいでしょう。あと数年すれば、憲法が改正されて、自衛隊は自衛軍と改称し、若い世代を対象にした徴兵制が復活するのです。そんな危機的状況にあるにもかかわらず、「勝ち組」「負け組」論争に興じるなど、それこそ学生になる資格のない馬鹿者です。
人の一生には、浮き沈みがつきものです。平家物語が語るように、「奢れる者も久しからず、ひとえに風の前の塵に同じ」「盛者必衰」これが人の一生です。いいときもあれば悪いときもある。言い方を変えれば、晴れの日もあれば雨の日もあるということです。今日が雨だからと言って、きっと明日も雨になるだろうと落胆する人間がどこにいるでしょうか。普通は、明日は晴れるかも知れないと希望を抱くでしょう。人生も同じです。自分の希望通りにならなくても、決して落ち込むことはないのです。また、自分の希望が叶ったとしても、それで油断してはいけないのです。そして、一番大切なのは、全く逆の立場になってしまった人間のことを、お互いに思いやる優しさです。私は友達と二人である国立大学を受験しました。結果は私が不合格で彼が合格。難関の大学でしたから、二人とも合格になるのは無理でした。合格した彼は、不合格になった私のことを気遣って、合格者用の封筒も受け取らずに、「一緒に帰ろう」と言ってくれました。私は彼の申し出を丁重に断って、一人寂しく帰路につきましたが、本当に寂しい思いをしていたのは、むしろ彼の方だったかも知れません。そのときの私は不合格になった自分を情けなく思う気持ちでいっぱいで、友人の思いやりを受け入れる心の余裕がなかったのでしょう。ところが、第一希望の大学に落ちて、地方の無名の大学に進学することになった私は、大学時代に多くの貴重な友と師を得て、英語の達人になる道を歩み始めることができましたが、彼は合格した国立大学には進学せずに、就職率が上だった有名私大に進み、その後は噂も耳にしなくなってしまいました。一度だけ、私の下宿に遊びに来て、一緒に私の大学の授業に出て、すらすらと英文を書く私をうらやましそうな目で見ていたのを覚えています。彼は中国語学科への進学を希望していた秀才でした。本の虫で歴史のことなら何でも知っていた彼なのですが、人生はどこで歯車が狂ってしまうかわからないということです。私は、きっと彼がどこかで元気に暮らしてくれていると信じていますが。
人は、闘争本能の持ち主ですから、勝った負けたと騒ぐのは致し方のないことです。それが自分の刺激になるのであればいいのですが、それが他人を攻撃する行為につながってしまうとしたら、考える必要があるでしょう。「人は勝利よりも敗北から多くを学ぶ」と言われます。人生の苦労や悲哀を知った人は、他人の心の痛みをよく理解できるようになりますから、それが一生の宝になるのです。私は、高校受験を控えて神経質になっている受験生にはこう言います。「受かったときには大喜びすればいいし、落ちたら人の悲しみがわかる宝を得たのだと大喜びすればいい。受かっても落ちても、それなりに喜べるのだから、何も心配することはないよ」と。
悲しみと苦痛だけが永遠に続きそうに思える生活を何年もしてきた佳代子が、父の介護施設に行くと、他のお年寄りたちからもかわいがれ訪問を喜ばれる理由は、佳代子が長年の苦難の生活から得たかけがえのない「優しい心」の持ち主だからに他なりません。佳代子にとって苦しかった生活の全てが、佳代子を魅力的な女性に育ててくれたのです。佳代子は謙虚な女性ですから、いつも自分に自信を持てません。私がこの本を書くことで、佳代子に大きな自信を与えることができれば幸いです。お金のない私の精一杯の贈り物です。《あとがき》
この本は、私の妻の自慢をしようと思って書いたわけではもちろんありません。私は、佳代子のような素晴らしい女性が、自分に自信を持てずに生活しているのを見ていて、放ってはおけなかったのです。しかし、学校の教員を辞めてしまった私には、佳代子に経済的な幸せをあげることができません。ですから、この本は現在の私にできる、佳代子への精一杯の贈り物なのです。
本文中にも書いたように、私は決してフェミニストではありません。女性は女性なりに男性に甘えずに頑張る必要があると思います。男女同権を叫んでいながら、女性への特別な配慮を要求する姿勢には、どこか矛盾があると思うのです。本当に憲法が改正されて、日本が自衛軍を保持するようになり、徴兵制が敷かれたら、男女を問わず二年間の徴兵生活に参加することになるでしょうか。男女同権を主張するなら、女性も男性と同じように兵役に就くべきです。もちろん、私は憲法改正自体に反対ですが。
世の中には、佳代子よりもっと悲惨な生活に甘んじている女性がたくさんいるでしょう。外国から売春目的で日本にやってくる若い女性たちは、狭いたこ部屋に閉じこめられて、不法就労をごまかしてもらうかわりに、安い賃金で体を売ることを余儀なくされます。それでも、日本人にとっては取るに足らない額のお金が、本国に送金すれば大金に化けるのです。だから、彼女たちは日本人にいくら酷使されても絶え続けます。本国の若い男性たちには仕事がないからです。
「人間は文化的に最低限度の生活をする権利を有する」という生存権の発想は、二十世紀の初めにドイツのワイマール憲法に世界で初めて明記されました。日本国憲法はそのワイマール憲法も参考にして作られた最高法規ですから、当然の事ながら基本的人権の尊重が三本柱の一つになっており、生存権もしっかりと明記されています。しかし、憲法に反する政策が一切許されない日本にあって、なぜ人権を無視された女性や子供、それにリストラされて公園や橋の下に寝泊まりする浮浪者の生活が保護されていないのでしょう。DV方が施行されても、子供の権利条約を批准しても、月に一度のボランティアの炊き出しがあっても、現実の問題として生存権を踏みにじられた人々が数多く存在すると言う事実から、私たちは決して目を背けてはいけないと思います。
人は、ついつい自分のことで精一杯になってしまいがちですが、少子高齢化の共存社会の中で、他人を無視する生き方は認められなくなりました。お互いが支え合っていかなければ、自分の身の安全さえ確保することが難しい時代になってしまったのです。犯罪の凶悪化には歯止めがかかりませんから、安心して子供を通学させることもできません。若い女性が夜道を一人で歩くことはもはや自殺行為に等しい時代になってしまいました。
世の中のストレスの発散は、常に弱者を対象にして行われてきました。いつの時代も犠牲になるのは女性と子供と老人です。ブッシュ大統領を非難するためにムーア監督が制作した「華氏911」という映画がありました。私も最初は、映画を政治に利用するのはもっての他だと興味を示しませんでしたが、どうしても気になったので、DVDを入手して見てみましたが、映画の内容は非常に客観的で私の想像とは全く違っていました。イラクでの戦争が、イラクの女性や子供たちをどんなひどい目に遭わせているか、映画は切々と訴えています。
私は、部活動で無理をしすぎて自律神経失調症になってしまいましたが、私がお世話になっている心療内科には、信じられないほど多くの患者さんが通ってきます。世の中にはこんなにも心に傷を負ってしまった人たちがいたのかと、改めて驚かされました。私のように、自分が心療内科に通っていることを堂々と主張できる強気の人間は例外的で、ほとんどの患者さんは自分が「精神的な弱者」であるとか「精神的な異常者」であると見られることを恐れて、病院通いを秘密にしたがります。私は、自分の弱さを知っている人間が一番強い人間だと信じて疑いませんから、こうして堂々と宣言しているのですが、現実はもっと深刻なのです。
男性から受ける暴力に毎日のように怯えて生活する女性を想像して見て下さい。どうして誰も救いの手をさしのべないのでしょう。そんな意気地のない男性は、本当にひどい目に遭わせなければ目が覚めないでしょう。暴力的な制裁は意味がありませんから、社会的な制裁を加えればいいのです。男性にとって社会的に抹殺されることほど恐ろしいことはないからです。私は、この本を愛する妻である佳代子と、全国の悩める女性に捧げたいと思います。みんな頑張って下さいね。